プロジェクト英雄ドールズ
第1話 新生!
殺戮人形アレンちゃん
完全なる静寂の中にいる。
心音の奏でる規則正しい旋律だけが、自分を動かしている。自分に告げている。
──全てを壊せ。
──お前の目の前に現れる、異形を、全て壊せ。
自分は手にした獲物を握り締める。
「【アレン】! しっかりして!」
静寂が破れた。
『誰か』が叫んだのだ。
己を包んでいた静寂が、ナイフで刺されたように剥がれる。五感が蘇り、世界の情報がこの身体に届いていたことに──これまでそれを認識できていなかったことにも──気付く。騒々しかった。悲鳴、怒号、土煙、血の匂い。
「俺、は……」
俺は意識を取り戻す。
そうだ。俺は一体、何を……
「は?」
気付いた。俺は荒野にいた。目の前に見たことのない魔物が潰れている。人間の口だけを切り取った──ちょうど入れ歯に似た──姿で、俺の半身ほどの大きさがあり、牙もゾッとするほどでかい。しかしその上顎と下顎らしき部分は、滑らかな切り口で真っ二つに分かたれ、黒い体液を流していた。
自分の手を見た。知らない剣を握っていた。そこに付着している液体は、眼前の異形から流れ出るものと同じ色だ。俺がやったのか。
「アレン……」
聞き慣れた声に呼ばれた。振り向くと親友が唖然として立っていた。
「アーサー?」
「君もついに、そちら側に行ってしまったんだね」
アーサーは眉を下げて俯いた。
ふと気付いた。なんだか寒い。俺は自分の体を見下ろして愕然とした。
「な、何だこれ」
俺はドレスを纏っていた。詰襟の、燕尾服のようなものを羽織っている。バックルがやたらついているのに、何故か肩がむき出しである。胸部に鍵穴のついたハート型をした石の装飾が付いていて、それを中心としてマントどころか肩掛けにもならなそうなフリフリした謎の布が背中まで一巡り巻きついているが、全く体を守ることには役立ちそうにない。寧ろきっちり巻きついているせいで肩周りがキツい。更に白いフリルのスカートは膝丈で、筋肉質な脚が丸見えである。寒いわけだ。
「信じられない。人形になったばかりなのに記憶があるのね」
また別の声がした。アーサーとは反対の方向に、仕事仲間のソフィアがいた。しかしこいつも服装がおかしい。胸元の大きく開いたスーツ姿である。それも、タイトスカートにハイヒールのパンプスという、彼女にあるまじき礼服のような出で立ちなのだ。
どうにも変だ。倒れている魔物といい、様子のおかしい仲間たちといい、どうなっているんだ。
「お前らどうしたんだよ。俺のこの服は何だ。この魔物は何だ、俺が倒したんだよな?」
「所長、やっぱり記憶はないみたいだよ」
「そっか、残念だね。でも、こんなに早く自我を取り戻すドールは珍しい」
アーサーはソフィアを所長と呼んだ。ソフィアもそれを受け入れ、よく分からないことを言っている。
「何だよ。分かるように、説明しろよ」
「分かってるよ。順番に答えてあげる」
ソフィアは俺を一瞥して、魔物を指した。
「そいつは《ピグマリオン》。人間の感情エネルギーを食い物にする魔物だよ。アレンはさっき、こいつに食い殺されたんだ」
「え……」
俺は死んでいるピグマリオンとかいう奴を見下ろした。俺ともあろう者が、この、入れ歯みたいな化け物に一度負けたのか。屈辱だ。
「死にかけた君を引き止めるには、《ギア》を使うしかなかった。ほら、君の胸についてるハート型のそれだよ。大商人トルネコでさえ仔細を知らない、光の神々が創り出したと言われる謎のアイテムで、それを核として埋め込まれた人間は、記憶や感情を代償に尋常じゃない力を発揮できるんだ」
アーサーのいうことにつられて、自分の胸部を見下ろした。このハートの石の装飾は飾りじゃなかったのか。触ってみれば、確かに俺の胸骨の間に食いつくようにして沈み込んでいる。
俺はそれがビクともしないのに感心しながらも思う。
「え、ザオリクじゃダメだったのか?」
「ピグマリオンは記憶や感情ごと人間を食うから、ザオリクは効かない」
「ええー……」
俺はもう一度入れ歯のような以下略を見下ろした。解せぬ。屈辱である。
ソフィアは地平線を眺めている。先程から目がまともに合わない。アーサーもそうだ。合わせようとしていないのか。
「私たちは、ギアを埋め込まれた人間を《ドール》──このアイテムを生み出した神の、人形と呼んでいる」
そして私は、とソフィアは自分の胸に手を当てた。
「ドール達が神の代行人としてピグマリオンを討伐するのをサポートする《異世界調査局》の所長。あなたは今日から、先輩のドール達と、それからそこのドールマスター・アーサーと共に、神の御使いとして、ピグマリオンと戦うことになる」
アーサーはこちらを見ない。俯いた肩が震えている。
「死を超えたあなたは今、見事ピグマリオンを倒し、神の兵器として生まれ変わった」
ソフィアは刹那唇を噛み締める。それから、僅かに揺れる声で、言った。
「おめでとう。これであなたも立派な人形よ」
「目を見て言えよ」
俺と目が合った瞬間、二人して噴き出した。
「ちょ、まって、むり」
「胸ぱっつぱつじゃん、ウッ、く」
「腕が、上腕二頭筋すごい、わはは」
「思ったより美脚だし」
「しょちょッ、そういうこと言うの、やめっ、ふははっ」
なんだかよく分からないが、ソフィアもアーサーも、笑いを堪えていたことだけは分かった。
第2話 ようこそ、ドールハウスへ
「ここがあたし達の家。ヒーローハウスって呼んでるわ」
連れてこられたのはいつもの憩いの宿屋だった。特に建物が変わった様子もない。
「ヒーローたちはここで仕事に備えて待機してるの。それぞれ訓練したり食っちゃ寝したりしてる」
「なんだ、変わんねえな」
内心胸を撫で下ろして、扉に手をかけた時だった。
「あ」
ひとりでに扉が開いた。中から見知った童顔が一つ、こちらを見て目をパチクリさせていた。
「来ましたね。皆さん、談話室でお待ちです」
ナインは扉を開け放ち、俺たちを中に誘った。変化の乏しい表情も、事務的な立ち振る舞いもいつもと変わりない。だが。
「お前、何その服……」
これですか、とナインが自分のスカートの裾を摘んだ。ハートを胸部にあしらった袖の無い上衣は白が基調、丈の短いスカートは赤が基調、どちらもフリルがついている。
「僕達の、アイドルとしての正装です」
「あいどる」
「ソフィアさんとアーサーさんから聞いていませんか。僕達ヒーロードールは、人間の感情エネルギー──《フィール》と呼ばれています──をギアの動力としています。ですから活動に必要な多くのフィールを集めるため、アイドル活動をしているのです」
「あいどるかつどう」
「具体的には、歌ったり踊ったりしています」
「うたったりおどったり」
俺は彼の言うことをよく理解しようと、要点と思われる部分を反復してみたのだが、まったく理解できた気がしなかった。アーサーの方を見たが思い切り目をそらされた。ソフィアは一人、壁に向かってステップを刻んでいる。
「おっと、こうしてはいられません。早く行きましょう」
「どこに?」
「談話室です。アレンさんが新加入したのですから、次のライブのフォーメーションを組み直さないといけないということで、皆さん集合しています」
ナインは俺の腕を掴んで歩き出した。むき出しの腕は俺の半分もないくらいに細いのに、恐ろしく力強い。引きずられつつ俺は尋ねた。嫌な予感がしていた。
「待て待て、皆さんって誰だよ」
「神々の特殊兵器兼アイドルグループ 《HEROES》の皆さんです。僕も合わせて八人でしたが、今日からアレンさんも合わせて九人ですね」
神々の特殊兵器兼アイドルグループ《HEROES》、ナインと俺を含めて八人の英雄達、歌ったり踊ったり。
俺の脳内を、走馬灯よろしくこれまでに聞いたセリフが過ぎ去っていく。そして最後に、ナインの言ったセリフがリフレインした。
──僕達の、アイドルとしての正装です。
「待て心の準備をさせろ、だいたい俺たちの筋肉量を考えろ、筋肉は見せびらかすもんじゃないましてやスカートからのチラリズムを楽しむなんて──」
「皆さん、新しいドールが来ましたよ」
ナインが扉を開き、俺は知った。
これから俺の所属する組織は、まさに俺の嗜好と真逆の方向性を持つのだと言うことを。
そして、鍛えあげた肉体を誇る戦士達が四肢を露出させるアイドル衣装と出会った時、視野にとてつもない圧がかかるのだということを。
第3話 アレンちゃん、初めての試練
ドールになって三日が経つ頃には、俺もすっかりこの奇妙な環境に慣れてきた。とは言っても、実は生活自体は以前とあまり変わっていない。クエストをこなし、飲み食い眠るのが基本だ。そこに、アイドル業と称される踊りや歌の訓練が入ったり、着飾って舞台に立つ仕事が増えたくらいで、基本本当に何も変わらない。いや本当に。何も変わってなんかいない。踊りや歌程度、これまで請け負ってきたクエストと比べればなんてことないはずだ。
「俺は、疲れてなんかいない……」
「疲れてるでしょ」
アーサーはにべもない。俺の額を小突いて、人差し指で眉間を押してくる。
「いつ見てもここに皺ができてるよ。アイドルでしょ? 気をつけなよ」
「俺はアイドルなんかじゃない」
「現実を受け止めなよ。前にアイドル業を一週間しなかった時にどうなったか、忘れた?」
忘れていない。意識がブラックアウトした。人生で初めてだった気がする。
「まあ、アレンはドールになる前からアイドル業だけは嫌だって言ってたから、予想はできてたけどね。神の言いなりになっても、気の向かないミニスカートを履いてでも生きることを決めたのは君だろう」
「俺は選択した覚えはない」
「死ぬ前の君が決めたんだから、覚えてないのも当たり前か。でも確かに君が決断したんだからね。ドールとしての生き方を拒むならば、君には死しかない。諦めた方がいいよ。僕は仲間に無理矢理ギアを引っこ抜かれる君よりは、ミニスカートにしかめ面しながらも戦闘の時だけは生き生きとしてる君を眺めていたいな」
「人間としての尊厳ある死か、惨めな人形としての生か……」
「自分で思うほど君の様子は惨めじゃないって。確かに君についてるガチ勢のファンを見てると、かわいそうだなあって思うこともあるけど」
「おい、そんな話聞いてないぞ。ガチ勢ってなんだ」
「君の心底嫌そうな表情と、無駄にキレのいいダンスのギャップなんて最高だと思うよ」
「説明しろ。なんで俺にファンが湧くんだ。しかもお前、最高だなんて思ってないだろ。お前のその笑い方はいつもの俺を馬鹿にするときの顔だ。おい」
アーサーがそっぽを向いた。俺が肩を揺さぶるとわははと声を上げて笑った。わははじゃない。説明しろ。
「あなたたち、こんなところにいたのね。探したわよ」
遊戯室のドアが開き、サンドラさんが顔を出した。ここにおける彼女の正装は青のセットアップスーツにヘッドホンらしく、いつ見ても同じ服装をしている。
「チームRに集合がかかったわ」
「急だな」
「ソフィアは突拍子もないから」
「所長命令か。ならば仕方いね」
アーサーが立ち上がった。俺もつられて手を離さざるを得ない。今は諦めるが後で絶対吐かす。
サンドラさんとアーサーが先に並んで歩き、俺が後に続く形になった。サンドラさんは所長であるソフィアの補佐を務めている。正確にはマルチなお世話係といった方がいいんだろうが、そういうとうっかりソフィアに聞かれた時面倒なので誰も言わない。
「無線で呼びかけてくれればよかったのに」
アーサーが言う。こいつはサンドラさんには優しい。それは俺だってそうなのだが──というか、以前の通常通りの止まり木の世界に集った連中のうち、サンドラさんをぞんざいに扱う奴なんていなかった。うちでは珍しい、どこに行って名乗っても恥ずかしくないまっとうな勇者だからな──おそらく以前の世界以上に優しいのは、彼女がアーサーと同じHEROESの補佐役だからだろう。
サンドラさんは首を振った。
「そうしてもよかったんだけど、ちょっとあの場を離れたかったから」
「そういえば、僕たちはどこに向かえばいいの?」
「衣装工房に」
げ、と漏らしたのは俺だけじゃなかった。アーサーも同時だった。
「ってことは衣装の合わせ?」
「ええ」
「俺腹が痛いです部屋に帰ります」
「待とうか」
速やかに離脱しようとしたらアーサーに思い切り肩を掴まれた。顔は笑顔だが細くなった目が笑ってない。怖い。肩に食い込んだ指がマンドリルみたいな力で肩を締めてくる。
「アーサー……マンドリル一匹と一騎打ちするだけで死にかけてたお前がたくましくなったことは認める。認めるから離せ」
「君は弱くなったね。衣装合わせなんてものを前に敵前逃亡するなんて」
「お前だってさっき、げって言っただろ」
「言ってない」
「言った」
「そんなことはこの際どうでもいいよ。仮に言ったとしようか」
「思い切り言ってただろ」
「さっき僕は君に言ったじゃないか。君はもうアイドルとしての自分も受け入れるしか生きる道はないんだ。僕に二度も友人を亡くさせないでくれ」
「本音は?」
「君が衣装合わせをしてる時の表情が唯一の楽しみなんだから、離脱は許さない。漏らしてでも引きずっていくからね」
「鬼! ブリザード! デビルロード! ロンダルキアの悪魔!」
アーサーに引きずられてわあわあわめく俺を、サンドラさんが処刑場に連れて行かれる冤罪人を見るような目で眺めている。さらに何を思ったか、口を開いた。
「衣装合わせはチームRだけよ」
「うわあああああ」
「うるさいよアレン」
これが叫ばずにいられるか! 露出の高い衣装との親密度と常識度の高いチームSや、様々な意味で謎のカリスマ性を持つチームTとならともかく、チームRだけの衣装合わせなんて地獄でしかない。
HEROESは、単純に九人で活動するだけでなく、三人を一組とした小さなチーム展開でも活動している。それぞれチームR、チームT、チームSと呼ばれており、俺が所属するのはチームRだ。
チームSが元の世界と唯一変わりない女装職人天使ナインを擁する正統派チーム、チームTが総合リーダーでもあるアベルさんをリーダーにいただく高性能系チームとするなら、チームRは個性派以外の何物でもない。個性派ならば表現としてまだ柔らかい方だろう。ファンの評判を比較すれば、俺のチームがどれだけひどいかわかる。
「チームSは美少年路線で売り出してるから、衣装合わせもほぼ短時間で済んじゃうのよね」
「さすが『天使の集まり』って呼ばれるだけあるよ。やりやすい素材がそろってるからね」
「チームTはハイヒール系が似合うから、やっぱり工房も衣装作りに迷わなくて済むのよ」
「単独ライブで『踏んでください』コールが響くの、ホント笑える」
「でもチームRはね……ちょっと、工房も衣装作りが難しいらしいのよね……」
「『個性のビッグバン』、『性癖の闇鍋』、『チームパルプンテ』……ふふふ」
「笑ってんじゃねえよ!」
本気で漏らしてやろうかと思ったが、そもそも腹が痛くない上に燃費のいい俺はそれどころか空腹なくらいだったので不可能だった。
そして俺たちは、衣装工房についてしまったのだった。
第4話 チームRと衣装工房の妖精
衣装工房は文字通り衣装を作る場所だ。ヒーロードールの衣装は単なるアイドルのお飾りではなく、立派な戦闘衣装である。《ドレス》と呼ばれるそれは、意匠に合わせて様々な性能を持ち、装備者に能力を与える。ほぼ魔法の武器とイコールか、それ以上のものだと思っていい。
そんなドレスを作る人間も、勿論ただ者ではない。
「こんな形で初登場することになって、ぼかァ非常に遺憾です」
「いきなり何を言ってるんだ」
衣装工房の唯一の住人にして主人のビルドは、いつでも眠そうな男である。少年のような外見なのだが、ティーンズにしては腕が良すぎるので、ショタじじい疑惑の絶えない、通称「工房の妖精さん」だ。
妖精さんは半眼で俺を見ている。いつも以上に目が死んでいる気がするのは、きっと背後に揃っている三人のせいだろう。
「期待の新星がやっと来たね! じゃ、本格的に始めよっか」
所長ことソフィアが言う。その隣に並ぶ男たちが進み出た。
「よし、美しいライブ目指して頑張ろうな!」
チームR総合リーダーことサタルさんが言う。
「はい。よろしくお願いします」
もう一人ことアレフさんが頷いた。
言うまでもなく、この二人が俺の所属するチームRの先輩にして、悪名高きチームRの元凶たちである。
二人とも以前同様ルックスはいいし戦闘能力は高いのだが、難のある性格に変わりがなくて嫌だ。
ちなみに二人の本日の衣装だが、黒革のジャンパーに黒革のホットパンツ、そして黒いルビス十字の刺繍された赤の胸当である。
いっそ何も着ないでいてくれた方がマシだ。
「早速、チームR単独ライブ『騙リ継ガレシ血族ノ契約【Be told B†ady Legends】』のコンセプトについてなんだけど」
もうサタルさんの語り出しから嫌だ。
彼は美しくカッコいいライブパフォーマンスに重きをおく。その拘りが時として神がかったパフォーマンスを産む時もあるが、大抵はファンをして「チームRのライブは闇鍋」「まさにパルプンテ」と言わしめる事態を引き起こしているようなのである。
確かに、思い返せば普通にクエストに明け暮れていた以前もそうだった。サタルさんのセンスは確かに光るものがあって、だから見た目もそれなりによろしいのだが、なんというか、どこかイタさだかクサさだかウザさのようなものを感じさせることがあった。あったけれども。
「普通じゃない生育環境、屈折した世界観、やたらと高みを目指す美意識……それがまさか、アイドルとして研ぎ澄まされた結果、ヘヴィメタル系凝り性厨二アイドルに目覚めるとはね」
アーサーが耳元で囁いてきた。改めて言われると悲惨だ。この血が俺の中に、微量でも流れてるのが耐え難い。
「俺たちのソロ曲はハードなのが多いから、衣装もそれに揃えてきた。今回のライブもその方針で行くつもりだった。でも」
サタルさんが目をソフィアの方へやった。彼女は大きく頷いた。
「まだあなたたちは活動を始めて二周年! チームの形を決めてしまうのは早いと思うの。だから今回、新曲と新衣装で一つやってみたいと思うんだ」
一般的なアイドル事務所ならば、所長の命令は絶対だろう。だがここは一般的な事務所じゃないので、俺は挙手した。
「はい、アレン」
「ライブは一週間後だろ。間に合うのか」
「大丈夫。客の前で披露するってなると、プレッシャーになるでしょ? だから、休憩の間ファンに見せておくVTRとしてやってみようかと思うんだよね。それならそんなに気張らなくてもいけるじゃん」
「なるほど」
断れなそうだ。俺の相槌を受けて、アレフさんが言う。
「VTRは三十分。内容は禁断の姉妹愛を主軸にしたバハラタムービー風ラブコメディだ」
「ムッフォ」とアーサーが口を押さえて俯いた。肩が震えている。反対に俺の心はひどく凪いでいる。と言うか、感情の炉の火が落ちたと言った方が適切だろう。
「バハラタムービーってあの、大人数で歌ったり踊ったりするやつですか」
「そうだ」
「面白おかしく踊りながら、こう、大袈裟な表情とアクションで突拍子も無いストーリーを繰り広げる」
「そうだ」
「……企画したのは誰ですか」
す、と二本の手が上がった。ソフィアとサタルである。
「そんなこったろうと思ったよ!!」
「なになに、何か文句あるの?」
「大アリだよッ!!!」
俺は天に向かってシャウトしたが、ソフィアはきょとんとしている。サタルさんは頭の後ろで手を組んで、唇を尖らせている。
「いーじゃん。ライブの小休止に流すんだから、笑える内容の方がいいって」
「アンタ本気で言ってるのか!? 冗談だろ!?」
「本気だよ。絶対楽しいって。俺が長女でお前らが妹で、三角関係が生じるっていういつものパターン」
「ツッコミどころしかねえな!?」
「大丈夫だよ。義理設定にするから」
「何にも大丈夫じゃねえよ!?」
「最後は三人で肩組んでラインダンスで締めような」
「頭沸いてんのか!?」
俺は頭を抱えた。
「アレフもいいと思うだろ?」
「はい、真面目なパフォーマンス以外で俺たちの絆をアピールするいい企画だと思います」
「何が駄目なんだよ。レックもソロも、すっげー賛同してたのに」
「めちゃ大爆笑だったよねー」
頭と心が痛い。絶対アイツら、ネタ的な意味で笑ってるんだろ。
俺は隣の友に必死で囁く。
「アーサー、もうお前だけが頼りだ。止めてくれ」
「無理。サタルさんだけならともかく、アレフさんをひっくり返すのは厳しい」
俺たちは横目でサンドラさんを見た。サンドラさんも視線だけは返してくれたが、目から光が失せている。絶望を受け入れろということだ。
アレフさんはアイドルとして何をしたいという拘りは無いようだが、歌にも踊りにも手を抜かない努力家である。そして実際見せる技もすごい。
すごいのだが、サタルさんの提案には必ずイエスと返す上に、それを絶対取り下げないのでどうしようもない。
俺は工房の天井を仰いだ。燦々と降り注ぐ太陽光を集めるため、工房の天井はステンドグラスのような透明のパネルが組み合わさってできている。その美しい天井に俺同様空を見上げて瞼を閉じるアーサーの顔も見えて、なんだか悲しくなった。
意識は立派、だが突き進む方向を間違うといっそ突っ立ってるだけの方がマシ──それが俺の所属する、美しさ至上主義厨二病チームRの通常スタイルなのである。
「じゃ、衣装なんだけどね」
ここでソフィアが画板を掲げる。
そこには、俗に言う『ロリータファッション』……クラシカル系、姫ロリ系、ゴシック系に身を包む、三人の男たちの姿が。
「キッツイわー」
ビルドの起伏のない声が、逆に胸に突き刺さる。
父上。不肖アレニウス・ローレシアは、じゅうはちねんいきてきたいま、はじめておうちにかえりたいとかんがえています。
第5話 チームTと立ちはだかる壁
「みんなー! 来てくれてありがとなーッ」
レックが叫んだ途端、会場が沸いた。黄色い声と野太い声がいい勝負でせめぎ合っているのがすごい。
「どーも。金ガンガン落とせよなー」
ソロが言うと、今度は圧倒的に黄色い声が会場を支配する。ツラだけはいいからな。
「今日はみんなで楽しめるライブにしたいから、協力よろしくね!」
締めにアベルが口を開くと、会場が揺れた。断末魔なんじゃないだろうか、これ。それくらいの声量と勢いである。
「チームTすげえ」
「圧倒的カリスマとはこのことを言うんだろうねえ」
勉強になる? とアーサーが顔を覗き込んできたので、次元が違いすぎて参考にならねえと答えたら笑われた。この野郎。
今日は新米アイドルとしての勉強という名目で、チームRのライブを見学しに来ている。コロシアムいっぱいに詰まった観客の目は、ハイヒールを履いた三人の男達に釘付けだ。アイドルには自分の決められたカラーがあって、レックは水色、ソロは緑、アベルは紫という風に、指先から足先まで自分のカラーに身を包んでいるのだが、同じようにファンも自分の担当アイドルのカラーに合わせたサイリウムを振るのが暗黙の了解みたいなところがある。
だから、観客席が同じ水色、緑、紫の三色に統一されて、振り付けに合わせて規則正しく揺れる様は、非常に圧巻である。
「普通もっとブレるんだけどな」
アーサーの言う通りで、サイリウムの振り方一つとっても、通常はファンごとにかなりのブレが生じていくはずなのだが、その点このファン達は完璧だった。ズレている者が誰もいない。
「ハイハイハイ! あっそーれ!」
その理由の一つは、間違いなくレックだろう。レックはHEROESで最もダンスが上手いのだが盛り上げるのも上手で、踊るあいつに笑いかけられると、観客も笑顔で踊らずにはいられなくなってしまうのだとか。
「半分、誘う踊り入ってるんじゃない?」
アーサーは怪しげな目を向けているが、体力の限界まで踊ってしまった誰かが死んだという話も聞かないので気のせいだろう。
二つ目は、メリハリ上手というか、場を読むのが上手い奴がいることか。
「じゃあ次の曲ッ! 『Lady GARDEN』いっくぜ──」
「ふざけんな」
三曲目の伴奏も終わらないうちに次の曲名を叫んだレックの頭を、ソロが叩いた。観客席から笑い声と嬉しげな悲鳴が響く。
「いってーな! なんだよ」
「『Q.March.verHIGH』『恋するお嬢さん』『KIKIkiller☆MAJINGA』から『Lady GARDEN』はキッツいだろうが。オメーはいいだろうけど、俺のくるぶしは子鹿みてーに繊細なんだ。ちったぁ加減しろこの踊る人参野郎が」
「誰がポイズンキャロットだッ」
ソロは流れに竿を刺さない、自然な展開運びが得意だ。暴走してアップテンポの曲ばかり進めようとするレックにツッコミを入れるという形でさりげなくトークタイムに入ることで、観客に疲労を意識させないようにしつつ、自分たちの世界に引き込みながらも休ませている。
「アベル、何か言ってくれよ!」
「アベルさん。こいつ、どー思います」
「二人は仲良しだねえ」
「パパか」
そして最後にアベルだ。アベルは生まれながらのアイドルと言うか、存在自体が魅力の塊なので、何をしてもみんなの心を動かしてしまう。現に、今のズレた一言で、会場は大いに沸いている。
──真似できるわけがねえ。
踊りは苦手じゃないが、レックほどノリよくできない。ソロほど頭も切れない上に、口を利くのは苦手だ。アベルさんは人格からして違う。
凄いとは思うが、それをどう活かしたらいいのか分からない。
──なんで俺はこんなことをしてるんだろう。
そんなことを考えていた。
俺はどうしてここにいるんだ。俺はそもそも鎧を着込んで武器を振るって戦うだけの戦士だったのに、何で急に、こんなややこしいアイドルなんてやることになったんだろうか。
「……あれ」
ふと、あることに気が付いた。一瞬遅れて、肌が粟立つのを自覚した。
「どうしたの?」
アーサーは俺の様子がおかしいのに気付いたらしい。深呼吸して、なるべく落ち着いていると思われそうな声色で尋ねる。
「なあ……ドール、ってさ。なっちまったら、なる前の記憶は、消えるんだよな」
「うん、そうだね。記憶の迷宮に潜り込めば取り戻せるけど、まだアレンには難しいよ」
「そっか」
記憶の迷宮は、俺たちの意識を模するダンジョンのこと。俺はまだそこに一度も行ったことがない。
なのに、何故俺には、『ドールになる前の』女装しないで戦っていた記憶があるんだろう。
第6話 チームSと隠された真実
「ドールになる前のこと? そんなの、覚えてないよ」
「俺も何もないな」
アレフさんもサタルさんも記憶はないという。
「そんなの知ってどうすんだよ」
「僕も知らないな」
「覚えてねえもんを気にしてもしょうがないだろ」
チームTもである。
俺は途方に暮れてしまった。ドールの記憶について分かってくれるのは、きっと当のドール達自身だ。そう思い、きっと俺の他にも少しくらい記憶がある人間がいるだろうと期待していたのに、予想外である。
あとはチームSしかいない。俺は外の鍛錬場へ向かった。
鍛錬場といっても、何か特別なものがあるわけではない。ただ生活の都合上、一定のエリア内で実戦訓練をするようにしないと、無関係の人間が巻き込まれることがあるので、便宜上そのエリアのことをそう呼んでいる。
まず、宿から少し離れたところで、アルスとエイトが打ち合いをしているのが見えた。日本の剣がぶつかっては離れるのに合わせて、いつもの殺戮礼装と呼ばれている戦闘用ドレスが翻る。不慮の事故を避けるため、俺は二人の稽古が一段落つくのを待ってから声をかけることにした。
「え、記憶? ごめん。俺は全然覚えてないかなあ」
エイトが眉を下げる。こいつは結構いい身体をしているんだが、あまり女装と不釣り合いでなく感じるのが不思議だ。恐らく周囲が周囲なのと、以前の衣装もわりとひらひらしていたからなのかもしれない。
──だから、なんで以前の衣装を覚えてるんだ?
俺は脳裏にちらついた彼の長い山吹のコートを片隅に追いやる。
「力になれなくて申し訳ないけど、僕も覚えてない」
アルスもまた、違和感が無い。小柄で、筋肉もあまり目立つ方では無いからだろうか。本人はやや体格にコンプレックスがあったはずなので、言わない。
「でも、もしかしたらナインなら覚えてるかも」
「それはあり得る。俺達の中で最初にドールになったのは、ナインのはずだから」
「え、そうなのか?」
「うん。ナインの次に、サタル、アベル、エイトの順でドールになったんだったよね」
「そうそう。その後、アレフ、僕、レック、ソロが増えて、最後にアレンがドールになったんだよ」
「ナインはあっち」
背後を指さした。随分離れた位置にある木陰に座り込む姿が見える。俺は早速聞きに行ってみることにした。
これで、ナインにも記憶がなかったらどうするか。他のメンツに聞くか。ソフィアは最高権力者のはずなのだが、あまりまともな情報を教えてもらえる気がしない。アーサーはサポート側の人間だが、一番新入りで知らないことも多いと言っていた。となると、サンドラさんだろうか。忙しそうだから聞きづらそうだ。
「何か御用ですか」
俺が声を掛けるより先に、ナインが声を発した。瞑想でもしていたのだろうか。瞼がうっすらと開き、深い灰色の瞳が覗いていた。
「ああ。ちょっとドールの記憶について聞きたいんだけど、いいか」
「どうぞ」
「ナインはドールになる前の記憶があるか」
「あります」
断言されて、喜ぶよりも先に驚いた。もっと曖昧な返事が来るものと思っていたのだが、これならば期待できそうだ。
「なあ、俺にもドールになる前の記憶がはっきりあるんだ。俺達はアイドル業なんてしなくても神々からのクエストをこなせていた。それがどうしてこういう形になっちまったんだ? それから、あいつらは順番に一人ずつドールになっていったとか言ってたけど、俺の中にそういう記憶は無いんだよ。あと初めて俺がドールとして覚醒した時、アーサー達は俺が前にドールになるのをすごく嫌がってたって言ってたんだ。だがその記憶も俺には無い。どういうことなんだと思う?」
「なるほど」
ナインの双眸は、いまやはっきりと開いていた。こちらを仰ぎ、例の起伏の乏しい口調で言う。
「ではアレンさん。お答えする前に、一つだけ質問をしてもよろしいですか」
「なんだ」
「貴方は、最初に見たあの入れ歯のような魔物に負けるほど弱いですか」
「いや、ありえない。俺の方が絶対強い」
「ならばこの世界は偽りです」
俺は考えた。ナインの発した言語を頭で理解しようと努めた。慇懃な言葉を咀嚼して咀嚼して、嚥下しきってから、やっと口を開いた。
「マジで?」
第7話 天使と妖精と奇跡のストーリー
ナインは俺を鍛錬場から連れ出した。話は移動しながらするのだと言う。
「アレンさんの記憶は正しいです。僕達の任務は神に仰せつかったクエストの達成であって、異空間の異常を全て解決することでも、魔物を全て刈り尽くすことでも無い。特にあの『ピグマリオン』という魔物は、僕達にとって管轄外の世界で生まれて暴れているもので、こちらに討伐の義務はなかったはずです」
「じゃあ、なんでこんなことになってるんだ」
「心当たりはあります」
憩いの宿屋に戻り、火の消えた暖炉前であまりの暑さに茹だっているソロとレックを見つける。二人とも露出度の高いチアリーダーみたいな服を着ている。俺はそちらを見ないようにしつつ、ナインについていく。
「扉はしっかり閉めてくださいね」
導かれた先は工房だった。言うとおりに戸を閉める。
「ビルドさん。入りますよ」
声をかけて、ナインは奥へ進んでいく。天井のステンドグラスから射し込む日差しは強烈だが、不思議と工房内はひんやりとしていた。戦闘シュミレーター、ドレス作成のための機器など、置かれたものには見向きもせず、ナインは工房の最奥を目指す。小さな扉がある。ナインが手をかけようとした時、勝手に内側から開いた。
「あ、天使君だ」
ビルドが顔を覗かせた。ナインが俺を指す。
「アレンさんはやはり、まっとうな記憶を持っていました」
「おっけ。じゃあ入って」
身を引いてできた隙間に、ナインが入り込む。俺もその後に続くと、ビルドはすぐに戸を閉めた。見たことの無い小部屋だった。機械、作業台、鍋、様々な道具がそろっている。
「じゃあ、改めて自己紹介」
ビルドは俺達に適当な椅子に座るよう勧めた後、自分も作業台の前に腰掛けてからそう言った。
「俺はビルダーのビルド。物造りを専門にする、えーと、早い話が職人だ」
「ビルドさんは、ルビス様が遣わしてくださった、この拠点を新しくサポートしてくださる方です」
俺は目を瞬かせた。こいつ、衣装を造る妖精じゃなかったのか。
「妖精じゃなくて?」
「うーん、ある意味近いけど、ドワーフとかエルフみたいなのではないな」
一応人間に近いよ、とビルドは言った。つまり人間でもない、と。
「今回の件は、多分俺のせいだ」
目が丸くなる。ビルドが傍らの天使を仰ぎ見る。ナインは説明する。
「『ビルダー』は新しいものを造り出す力を持つ存在として、彼の世界では重宝されていたそうです。彼の力を借りようと、神々は彼を僕たちの世界に派遣することにしました。いつものように僕が迎え入れまして、この世界の説明をしようとした時に、異変が起こったようなのです」
ビルドが作業台にあった本を手に取る。
「これ、俺の冒険の書。読んでみる?」
「いいのか?」
ビルドの手から冒険の書を受け取る。栞を挟んだページに、こうあった。
『あらすじ…胸に《ギア》を埋め込まれた死人達がよみがえり、生前の記憶と引き換えに手に入れた力で、記憶を食らう化け物を倒す』
聞いたことのある話だ。その後には、《ギア》の設定、世界を調査する人間の存在、《ギア》を埋め込まれた《ドール》という存在について記してある。
「ここに来る前に小説を読んでたんだ。その設定をメモしてたんだけど、結構書いてから、冒険の書を使ってたことに気付いた」
「嘘だろ」
ナインを見た。天使は大真面目な顔で頷く。
「ビルドさんは神の力を借りてこの地までやって来ました。どうもその神の力が世界に干渉したことと、ビルドさんの物作りの力が冒険の書に作用してしまったこととが運悪く関係して、この世界の情報を書き換えてしまったようなんです」
冒険の書による世界の書き換え。それはつまり、もうこの止まり木の世界は元には戻れないってことなのか?
茫然自失に陥っていたのだと思う。その間、どこか興奮したようなナインの声が聞こえていた。
「これは大変驚くべき事です。合理的に考えて、いくら冒険の書に誤情報を書き込んでしまったにしても、その冒険の書が存在する世界自体を変えてしまうなどということはめったに起こらないのですが、ある意味、奇跡が起こったのでしょう。ビルドさんには物を造る力がある。僕等のような光の世界の住人からすれば普通のことに思えるかもしれませんが、ビルドさんの世界では物を造れるのは彼だけだった。彼のふるう道具は彼の世界では創造主の御手に等しく、彼の物作りの業は奇跡の御業だった。その存在感がこの世界に、そのまま持ち込まれてしまったのです。彼の力は神の意志として、この世界に働きかけた。さらにビルドさんの読んでいた小説とビルドさんの境遇とは、共通している部分があったのです。『記憶を失って甦ったものが、尋常でない力を手に入れる』──この共通項が、従来の冒険の書のデータと誤ったデータとを調和させたのでしょう。僕達が気付いた時、この憩いの宿屋にこの工房ができていました。さらに、工房の窓から外にあのピグマリオンという怪物が徘徊してるのも見えました。これは、間違いなく世界の情報が書き換えられている。僕達は『冒険の書』を見て確信しました。ですが、ここでまずいことに気付いた。ビルドさんは登場人物のデータも書き込んでいたのです。このままではこの世界に余分な人間のような存在が生まれ、しかもそれを場合によっては殺さなくてはならなくなる──そこで僕達は慌てて人間の情報を書き換えました。具体的には、登場するはずの九人の《ドール》と呼ばれる少女たちと、そのサポートをする三人の人間を、この世界にいる人間に書き換えたのです」
「いや、余計悪化させてんじゃねえか!」
アレンは我に返った。ナインは言う。
「正直なことを申し上げますと、本当にビルドさんが書いている通りに世界が変わってしまったのか、ほんの少しだけ確かめたかった気持ちもありました」
「天使君がめちゃテンション高く書き換えを強制してきて、俺は引いた」
「ノリノリだったんじゃねーか! 何がほんの少しだ!」
ナインは続けます、と片手を挙げた。
「最初に一番最初のドールの名前を僕にしました。設定欄に『天使』と書いてあったので、問題ないかと思いました。すると僕の名前が書かれた途端、僕はアイドル衣装に着替えていて、かつ作中で歌われるものと思われる知らない歌を覚えていました。これはすごいと思いまして、次々書き換えていきました。二番目にサタルさん、三番目にアベルさん、という風に。それで人間の情報を書き換えていったところ、このような状態ができあがったのです」
俺は頭を抱えた。
「つまり、神の力が間違った形で作用して、新入りの冒険の書に起きた事故が現実になったと。さらにナインが余計なことをしたせいで、俺達は女装アイドルデビューすることになったってことか」
「僕としてはいつもとあまり変わらないかと思ったのですが、驚かせてしまって申し訳ありませんでした」
「そうだよな。お前にとって女装も歌うのもいつものことだからな」
ナインにふざけている様子はない。魔物や魔族より真剣な人間の暴走が一番怖いと、俺は認識を改めた。
責めていたって仕方ない。ナインは確かに好奇心のままに暴走する癖こそあるが、天使としての責務を忘れることはない。咄嗟とはいえここまで好き勝手したからには、元に戻れる算段もあるはずだ。
「元に戻れるんだよな?」
「確かかは分かりませんが、心当たりはあります」
案の定、天使はすぐに壁際に置かれていたアイテム図鑑をめくり、解決策を示してきた。
「今回の件で幸いだったのは、ビルドさんの記述にただのインクとペンが使われていたことです。ここに書かれた情報をパオームのインクを用いて妖精の羽根ペンで書き換えれば、元通りに戻せるはずです」
「道具、あるのか」
「今ノインに取りに行ってもらっています。そろそろ、帰ってきてもいいはずです」
長い間姿が見えないと思っていたら、そういうことだったらしい。
解決策が分かった途端、どっと疲労感が増した。背もたれに身体を預け、大きな溜息を吐く。
「全く、何だよ。解決できるなら、もっと早く元に戻してくれれば良かったのに」
「その通りなのですが、あまりに早く世界の情報を書き換えてしまうと、情報過多で世界が崩れてしまう心配がありましたので。でも、先程アレンさんが質問に来てくれたお陰でもう大丈夫だと確信が持てました。アレンさんの質問は、この世界に仕組みに疑問を抱いているようで、《ドール》の存在をゆるぎない前提として捉えていましたから」
そういえば、ドールになりたての頃は、ドールなんてものも女装してるみんなも信じられなくて、すごく動揺していた。その頃のことを思い出して、気付く。
「ナイン達が俺達の情報を書き換えたんだろ? なら、なんで俺以外はあんなに受け入れてて、俺だけ疑問を持つようになってたんだ」
「これこれ」
ビルドが小指で鼻をほじりながら、冒険の書を指した。自分でも眉間にシワが寄ったのがわかった。
「汚ねえな」
「王子様は育ちがいいね。それより、ほら」
仕方なく手元を見る。
『アレン…ドールの新入り。分からないことが多い中、世界を守るために懸命に努力する。ツッコミ気質』
「なるほど。俺の言動で世界の状態が分かるように仕組んでいたわけか」
「いや。ツッコミ気質だから、このワケ分からん世界にツッコミ入れてるうちに、こうなったんじゃないのか」
「そうだと思います」
「嘘だろ」
ツッコミの気質ってそんなに凄いのか。説明が適当すぎやしないか。
「まあ、そんなもんだよ。俺達被造物なんて、作り手からしたら、そんなもんさ」
ビルドは小指についた鼻くそを弾く。跳んで、どこに行ったのかさえ分からなくなった。
第8話 決着!アイドルよ永遠なれ
ノインが帰ってこない。ナインとビルドに毎日確認しているが、全く帰ってくる気配が無い。パオームに引かれてるんじゃないかとビルドは言うが、ナインはそれならば自分が気付かないはずが無いという。俺はやきもきしながら彼女を待った。
待望の時は、部屋の壁が衣装で埋め尽くされ、現在リリースされているHEROESの曲を全て完璧に踊って歌えるようになり、単独ライブをやってみないかとソフィアに提案された頃になってからやっと来た。
「お待たせしました」
ノインは頭からパオームの牙を生やしていた。例の如く衣装工房の小部屋に集合して、ノインの頭を三人で診る。
「確かにパオームの牙だけど、なんで刺さってんの」
「最近『Ⅴ』の世界軸が盛んに活動をしていてアクセスが厳しかったので、それ以外の世界で採取に挑んだ結果、こうなりました」
「『Ⅴ』番は不安定になりやすい世界軸ですから、仕方ないでしょう」
ナインがノインの頭に回復呪文を唱えている間に、頃合いを見計らってビルドがパオームの牙を抜いた。
「さて、じゃあ書くか」
「気をつけてください」
「パオームのインクで書いたことはそう簡単には消えませんので」
ビルドが妖精のペンを取り、ナインとノインがその両脇で見守る。俺ははらはらしながら、近づいたものか遠巻きに見守った方がいいものか迷っていた。
「じゃあまず、リセットの段階から書きましょう」
「書いた設定を全て反対の表現に書き換えます」
「設定は本来の形として無理に書こうとせず、『~ではない』という形で書きます」
「そうすれば勝手に本来の形に戻るはずです」
天使は交互に複雑な指示を出している。ビルドは意外にも根をあげることも無く、さっさと筆を動かしていく。
「かんせーい」
やがて間の抜けた声を上げて、ビルドが伸びをした。ノインが彼の冒険の書を手に取り、ナインと目を合わせて頷く。
「あとはこの設定を反映させましょう」
「止まり木に読み聞かせてきます」
では僕達はこれで、と二人の天使は部屋を出た。後には俺とビルドが残る。ビルドは椅子にそっくり返って、例の死んだ目で天井を眺めている。
「あの」
俺が話しかけると、こっちを向いた。
「お前は、ちゃんとこの世界に居続けるんだよな」
「そうなんじゃないの」
自分のことなのに、曖昧な答え方をする。
「俺達の仕事を助けてくれるのか」
「気が向いたらな」
ビルドは俺の顔をじっと見つめた。
「すげえ顔だな」
「うるさい。どうせ綺麗な顔じゃねえよ」
「そうじゃなくて、表情」
彼は両手の人差し指を自分の眉頭に当て、中央に寄せた。
「意味わかんね、って顔」
「お前のせいだろ。気が向いたら助けるのか? お前、なんでここに来たんだ」
「話すと長いから略すが」
「略すなよ」
「俺はアンタらと違って、神に選ばれたもんじゃない。ただ単に、呼ばれたから来た」
「誰に」
ビルドはかすかに笑った。死んだような面差しに初めて表情が宿る。こうしてみると、なかなかに利発な顔立ちをしていたのだと分かった。
「やっぱりアンタ、俺とは違うな」
どういうことか問おうとした時、ぐらりと視界が揺れた。
──目覚めなさい。
──目覚めなさい。
天使の声がする。止まり木への詠唱が始まったのだ。
「時間だ」
小男は笑みを消した。
「アンタは選ばれたヤツだけど、良かったよ。アンタのためなら、物を造ってやってもいいかもな」
視界が白くなる。薄くなるビルドの輪郭が立ち上がったように見えたのが最後だった。
窓から射し込む光が眩い。壁は真っ白だから、すぐ朝日に染まる。あのごちゃごちゃした衣装が消え去ったのだ。
元に戻ったのか。俺は寝台から起き上がる。
「……?」
眉根を寄せた。
なんだか、上半身が軽い。あと身体の感覚がおかしい。反射的に下を見た。
「おはようございまーす」
凍り付く俺に構わず、部屋の戸が開いた。死んだ顔の少年が立っていた。
「あーあ」
そう言いながらビルドの表情筋はぴくりとも動かず、ただ俺の方へ歩み寄ってきた。そしてあーあと繰り返し声を上げながら、俺に触れた。冷たい小さな手が俺の長く伸びた髪を、滑らかな首を、筋肉こそあるものの遙かに細くなった腕を辿る。
「ごめん」
「……何が」
「間違えて『HEROESの性別は逆転する』って書いてた」
俺は叫びながら倒れた。
異変に悪乗りした一部の提案によって、今度こそ本当にドレスを戦装束にするアイドル軍団にさせられかけた俺達がまっとうにビルドを迎えられたのは、それから更に五日後のことだった。
20190810