ばーさす★ろと




 俺達が憩いの宿屋に来てからさして経たない頃のことである。俺とエイトとサタルが昼飯食ってだらだらしてたら、二階からアレフ、アレン、アーサー、サマンサが降りてきた。四人ともかなりマジな面して真っ直ぐ俺達のテーブルに向かってくるから、最初は何かあったんじゃねえかって俺もエイトも身構えた。


 先頭に立つアレフが、お話中のところ申し訳ありませんと丁寧に断りを入れてから俺の隣をまっすぐ見据える。


「サタルさん。お願いがあるのですがよろしいでしょうか?」
「はいはい何でしょう」


 対して呼びかけられたサタルは気さくな口調で応じる。それでもアレフは慇懃な姿勢を崩すことなく、こう言った。


「俺達に稽古をつけて頂けないでしょうか?」


 俺とエイトは顔を見合わせた。
 そう言や俺、サタルが仕事以外で剣を握ってんの見たことねーな。レックとかエイト、アルスなんかはよく模擬戦やってんの見るけど。
 サタルの卓上に置かれた掌を見る。剣ダコはできてるけど、アレフやアレンほどじゃねえ。体格も明らかに戦士系な子孫二人に比べると細ぇし。筋肉量も少ねえだろうし。でも俺とはどっこいかな?
 サタルはちょっと眉を持ち上げてから首を傾けた。


「何の稽古?」
「戦闘技術です」


 簡潔明瞭なアレフの答えに、サタルは苦笑した。
 何で四人も同時に自分のところに、と聞かない辺り、コイツも分かってんだろう。俺にも何となく察しはついた。


 サタル、アレフ、アレン、アーサー、サマンサは時代こそ違うが同じ世界の人間だ。しかも代々所謂「悪」というものとやりあってきた勇者の血統というやつらしく、その大もとがサタルなんだと。聞いた話じゃその世界では救世主を意味する「ロト」なんて称号をつけられて伝記まで書かれて、子孫からも子孫じゃない奴からももうえらく尊敬されてんだそうだ。
 見た感じ、この四人もサタルをえらく英雄視してる。伝説の勇者に自分の力を鍛えてもらいたいに違ぇねえ。あとは、同じ戦う者として手合わせしてもらいてえとかも思ってんのかもしんねえな。


 偉大なるロト様はお品もよろしく微笑んでいらっしゃる。ぱっと見印象の良い笑顔だ。けど俺みてえな野郎には、ちょっくら整いすぎに見える。
 奴は首を振って言った。


「みんなには悪いけど、俺は伝えられてるほど強くないよ。それにここには俺より強い人がいっぱいいる。そうだな、たとえば剣ならここにいるソロやエイトはかなりの腕だし、呪文はアルスやナインの方がいっぱい知ってるはずだ。稽古つけてもらうなら、他の人の方が適任だと思うよ」


 要するにお断りってこった。ま、色々伝説みたいにもて囃されてりゃ戦いづらくもなるわな。俺だってアベルの息子娘に会った時はくそ気まずかった。尾ひれってのは嫌なモンだ。
 四人は顔を見合わせた。困ってる。でも、アレフがまたサタルの方に向き直った。


「ですが、サタルさんがいいんです」


 お、もう一押ししてみるか。サタルも困ったように眉を吊り下げて言う。


「うーん。気持ちは嬉しいけどさ、俺じゃない人の方がいいと思うよ?」
「俺達はサタルさんに教わりたいんです」
「君は魔法戦士型だから、エイトとかいいと思うけど」
「エイトにも後でお願いしたいですが、その前にサタルさんとやりたいです」
「アレンはどうなの? 君は肉弾戦がとことん強いし、レックやアルスあたりからうちの世界にはない技を教わってみるといいんじゃないかな」
「アレンはレックとよく戦ってますし、アルスからも教わっています。その上で、サタルさんにもご指導願いたいそうです」
「そうなんだ。じゃあアーサーは? 剣以外にも攻撃、補助、回復って使える器用なタイプだから、誰から教わってもためになると思うよ?」
「アーサーもここにいる人とは万遍なく学び合っています。あとご指導頂いてないのはサタルさんだけです」
「サマンサは――」
「ナイン、アルスに呪文を教わっています。あとは自分の腕がどれほどのものか知りたいそうです」
「……君達十分強いじゃないか。俺なんて必要ないよ」
「ですが俺達はサタルさんと戦いたいんです」
「いや、ホント君達が期待するほどのもんじゃないから……」
「俺達はサタルさんと戦いたいんです」


 向かいでエイトが笑いを堪えている。俺も口元を押さえずにはいられなかった。
 こりゃすげえ。コイツ筋金入りの頑固だな。そう言やコイツの嫁は秘技「そんなひどい」の使い手らしいから、似たんかもしれねえ。


 サタルはさすがにちょっと困ってるようだ。いったん口を噤んでいる。多分、どうにかして断れないか考えてるんだろう。アレフはただ真摯に先祖を見つめている。後ろに控える三人は、アレフに賞賛の眼差しを送っている。
 どっちも引っ込む素振りナシ。こりゃどこまで続くかな?


「ごめん、ちょっといい?」


 しかし、ここで第三者が割って入った。エイトだ。


「俺が口を出すべきじゃないかもしれないけど、このままだと決まりそうにないから一つ提案してもいいかな?」
「何を?」


 サタルが問いかける。エイトは一度立ち上がって、壁に寄せられた棚まで歩いていくと何かを持って帰ってきた。持ってきたものを卓上に置く。トランプだ。


「今から俺とソロとサタルでポーカーをやる。みんなポーカーは知ってる?」


 俺も含めて、円卓を囲む全員が頷く。エイトは山になったカードを片手でスライドさせて、綺麗な直線を描いた。スペード、ダイヤ、ハート、クローバーがそれぞれの数字と共に勢揃いする。


「それでサタルかソロが勝ったら稽古はなし。俺が勝ったらサタルはこの後、四人全員と同時に戦うってのはどう?」


 白の直線から目を上げた。エイトはにこにこしている。サタルが姿勢を正して問い直した。


「ごめん、よく聞こえなかった。もう一回言ってくれ」
「サタルかソロが勝ったら、サタルは稽古をしない。でも、俺が勝ったらサタルは四人のチームと一人で戦うっていうのはどう?」


 聞き間違いでも言い間違いでもなかった。サタルは考え込む素振りを見せる。その子孫達は一様に目を丸くしている。
 それまで黙っていたアレンが口を開く。


「四対一はいくらなんでもやめた方がいいんじゃねえか? 俺達だって、自分で言うのはあれだけど弱くはねえしサタルさんは強いかもしれねえけど、四人と一人じゃ……」
「大丈夫だよ。サタルはせこいから案外楽しい勝負になると思うよ」


 エイトは朗らかに言う。さりげなくひでえなコイツ。


 でも、これはなかなか良い案だと思う。賭けてしまえば、負けて稽古ができなくても四人はちゃんと諦めるだろう。また万が一勝って勝負をすることになっても、四対一ならサタルが負けても体面を保てる。それに何より、面白そうだ。
 俺はサタルの顔を覗き込んで挑発的に口の端を吊り上げ、囁く。


「どうした勇者ロト。怖じ気づいたか?」


 するとサタルは顔を少し上げて、俺と同様の笑みを返した。


「いや、やろうか」


 おおっとアレフとアレンから声が上がった。
 そうこなくっちゃな。俺はサタルの肩を叩いて、席に戻る。既にエイトが札を切って山を作り、分配を始めていた。自分の手札を確認する。適当に捨てるカードを見繕って入れ替える。
 サタルには悪ぃが、俺は勝つ気なんてちっともねえ。どっちかっていうと、エイトに勝って欲しいからな。


「もういいか?」


 問うと二人は頷いた。さっと手札を出してみせる。俺のは7のスリーカード。さして強くない。


 サタルが手の内を開いた。スペードの8からQ、ストレートフラッシュ。同じ目で隣り合った数字を五つ集めなくちゃなんねえ手役だ。普通なかなか出ねえ。


 こいつぁエイトに勝ち目はねえかもしれないな。サタルの手札に勝つんにはこれより数が上のストレートフラッシュを出すしかねえ。それが出る確率は、かなり低い。
 エイトの丸くなった黒い瞳が俺達の札をなぞる。ロト四人は固唾を呑む。サタルは完爾として言った。


「俺の勝ちかな?」


 エイトは彼の顔をじっと見つめる。そして、相好を崩した。


 長い指が卓上に降りて、カードを広げる。ハートの10、J、Q、K、A――目を見開かずにはいられない。


 嘘だろ? ロイヤルストレートフラッシュだ。


「俺の勝ちだよ」


 食い入るように晒された手役を見つめるロト組の間を、エイトの朗らかな声が渡っていった。唖然としたサタルがその顔を見上げる。エイトは励ますように言った。


「決まりだね。頑張って」


 頭を抱えた先祖を余所に、四人の歓声が宿に木霊した。





「今のお気持ちをどうぞ」
「決戦前の大魔王のような気分だよ」


 珍しく沈痛な面持ちでサタルが言うから、俺は噴き出しちまった。


「大魔王なんて、アイツら俺らのことなんかスライムの欠片ほどにしか考えてねーんだから今のお前みてえな顔してねえよ!」
「でもシチュエーションがよく似てるじゃないか。一対四だぜ? まさか大魔王の気持ちになれる日が来るなんて思わなかったよ」


 今なら俺、魔王に転職できるかもしれない。そう真顔で抜かしやがるから、なら魔王に転職したつもりで殲滅して来いよと言うとやっといつものように笑った。


 恐るべきエイトにより子孫チームとの戦いが確定したサタルは、今宿から少し離れた所にある広々とした空き地でアップを終えたところだった。ちなみにどんなことをしていたのかは、俺見てねえから知らん。でも剣持ってるし汗かいてるから素振りでもしてたんじゃねえかな?
 多分、あと少ししたらここに子孫連中が来る。アイツらもアイツらでアップしつつ作戦会議してるらしい。何か大変だよな。


「最初は稽古って話のはずだったのに、これじゃただの試合じゃないか」
「今更何言ってんだよ。エイトの賭けに乗ったのはお前だろ?」
「そうだけど……」


 サタルは大きく伸びをした。試合に臨むっていうのに、装備は意外と軽い。愛用のサークレットに旅装、あとは剣だけ。盾も鎧も使う気はないらしい。
 試合を怖がってる割にそんな装備で大丈夫か? 訊ねると、大丈夫だ問題ないと返ってきた。そして話すところによると、コイツ愛用のサークレットはコイツしか装備できない特別な品で、下手な鎧を着るより高い防御力を発揮してくれるらしい。


「あー……こえー」


 それでもサタルはしゃがみ込んでぼやいた。俺もその隣に座って顔を覗き込む。虚ろな目はあらぬ方向を向いていた。


「やっぱ怖ぇんだ」
「当たり前だろ。まあここも俺達を守護する神のお膝元だし、万が一死んでも生き返れるけどさあ」


 サタルは砂を剣で引っ掻く。言葉の続きを待っていると、やがてぽつりと呟かれた。


「自分が死ぬくらいならともかく……子孫は特に殺したくねえよ」


 俺は目を瞬かせた。確かにこれからやる試合は実戦に近づけるため真剣を使う。だけど武器にはうっかり相手を斬っちまわないように真空呪文を応用した防護壁を纏わせる約束だから、そんな心配する必要なんてないんじゃねえかな? て言うか、どっちかって言うと危ねえの自分じゃね?


「四対一だってのに相手の心配かよ。随分余裕だな」
「余裕じゃねーよ。そんなことないだろうってのは勿論分かってるんだけど、もしそんなことが起こったらって考えるとちょっとな」


 サタルは刀身を手に持ち、何を考えたかそれを凝視してから溜め息を吐く。


「絶対無理。だってアイツらの腕すげえもん。見たことある?」


 俺は頷いた。他の奴らと手合わせしてんのを見たことがある。アレフはあまり呪文が得意じゃないらしいが、その分剣捌きはやばかった。迷いと無駄のない太刀筋で、重く速く的確な一撃を繰り出してくる。俺みたいな自己流じゃない、洗練された型をしっかり土台に持った上で磨き上げてきたといった感じの剣だった。


 アレンはその子孫であるだけあって、剣の使い方はよく似ている。だがアイツの場合恐ろしいのはそれだけじゃない。マジで怖ぇのは奴の持つ天性の戦闘センスと身体能力だ。アレンは身体の使い方が上手く、何の武器でも使いこなす。アイツに何か一つ武器持たせるだけで、向かうとこ敵なしだ。いや、武器がなくてもあの肉体一つあれば大抵のダンジョンは難なくクリアできるだろう。別に妄想で言ってるわけじゃない。ガチでそうなんだ。現に俺はアイツが素手でギガンテスを軽々ぶん投げたのを見たことがある。


 次にアーサー。魔法戦士タイプ。剣術はやはり前二人と似てるが、コイツの場合はアレンみてえな力押しじゃなくて、素早い攻撃で隙を狙うのが上手い。急所突きなんて見事なもんだ。呪文も上手く併用するし。あといつものんびりぼけーっとしてる印象が強えけど、意外と頭が回る。破壊神を倒す旅をしてた頃、パーティーの頭脳はコイツだったらしい。目の付け所がいいんだろう。


 そしてサマンサ。生まれながらの賢者タイプだ。体力面には不安があるが、魔法のセンスと能力はずば抜けている。アルスが呪文を教えてるのを見たことがあるが、魔法の理解がかなり早い。既に自分の世界では習得できなかった呪文をいくつか身につけたみてえだ。コイツは魔力さえ尽きなければ誰かに負けることはないだろう。
 四人の姿と戦闘力を一通り思い浮かべてから、改めて目の前の男を見る。外見は子孫より良いが、あの四人を同時に長いこと相手に出来るほどの力があるだろうか? 正直ちと厳しそうだと思わざるを得ない。


 勇者ロトは秀麗な顔立ちを曇らせて、やばいという単語を繰り返しぶつぶつ呟いている。普段の勇者スマイルどこ行った。ふとその碧眼がこちらを向いて言う。


「いや、ホントやばいって。四人とも神様みたいなもんだから俺一人じゃ無理だよ。なあソロ一緒に戦ってくれ」
「駄目だ。おめえには同情するけど、アイツらはおめえ一人と戦いたがってるんだから」


 そうなんだよね、とサタルはまた息を吐いた。哀れなり勇者ロト。だが憐憫を覚えつつも俺はとても楽しみだ。お前が仮に負けたとしても、あの四人の連携を見られるんだからな。


「サタルーソロー!」


 呼ぶ声がしたので振り返ると、エイトがこちらに向かってきているところだった。背負った竜神王の剣が揺れている。近くまで来るのを待って、俺は言った。


「剣にしたのか」
「うん、小回りが利くからね」


 エイトは試合の審判を務める。いや、審判というより制止係って言った方が合ってるな。ルールなんてどうせどっちも破りゃしないだろうけど、試合を客観視して止める役割を持ってる奴が一応いた方がいいだろうということでやってもらうことにした。うっかり必殺技なんて放ち合う事態になったら危ねえからな。
 サタルが顔を上げて訊ねる。


「四人は?」
「これから来るよ。凄く熱心に作戦会議してた」
「うわあ、やめてくれよ」


 サタルはげんなりする。エイトは彼の装備を眺めて問う。


「本気で戦うんだよね?」
「まあ一応。俺にも意地があるし」
「格好つけたいだけだろ」
「そんなことねえよ。そうだけど」


 どっちだ。俺が返してエイトが笑った。
 十分ほど喋ってたら四人がやって来た。みんなすっげー気合い入った面してて、マジで大魔王に挑む勇者ご一行様って感じである。俺は悪く思われない程度ににやにやするのに苦労した。
 対するサタルはさっきまでの不安そうな顔つきは消して、勇者スマイルを浮かべている。やっぱコイツ格好つけたがりだ。今度、鏡の前で一日何回笑顔作ってんのか聞いてみよう。


「じゃあルールを確認するよ」


 向かい合う両者の間に立ったエイトが言う。


「制限時間はなし。相手に急所を取られたら戦闘不能扱いにする。その時は俺が一声かけるよ。魔法は使ってOK.。でも回復呪文は使用禁止、子孫チームは補助呪文の使用も禁止。いいね?」


 両者ともに頷いた。エイトが腕を広げる。


「それじゃあ、位置について」


 子孫達の間に緊張が走る。男達は剣を鞘走らせる。俺とエイトはルーラの要領で宙に浮き上がった。試合の邪魔になっちゃ悪いからな。


「始めッ」


 エイトの声が飛ぶ。まず動き出したのはアレンだった。駆けていきサタルに斬りかかる。剣がぶつかって、すぐに斬り合いが始まった。


「やっぱり型は似てるね」


 宙を泳いでエイトが隣に来る。俺は頷く。


「代々伝えてる剣術なんだろうな。てっきりアレフがもとかと思ってたが、サタルの方だったか」
「前にアレンがロト流なんだって言ってたよ。サタルは『そんなのあったんだ』なんて言ってたけどね」


 アイツらしい。その奴はまだアレンと斬り結んでいる。アレンに比べて動きが軽やかに感じられるが、重心がしっかりしているから頼りなさはない。アレンの重い一撃を上手く流している。


 後方で二人の様子を見守る三人が動き出した。アレフが右、アーサーが左に回っていく。サマンサは留まる。アレフが切り結ぶ二人へと駆け寄っていく。二人が離れた一瞬の隙に、アレフの白刃がロトの懐に飛び込んだ。サタルは間一髪で上体を反らす。そこに容赦なくアレンが下段から斬りかかる。ステップを踏んで退くサタル。二本の剣が後を追う。蛇のように絡みついてくる白刃は、サタルに息を整える暇を与えさせない。


 攻められてねえな。サタルはさっきから防戦一方だ。アレフとアレンの方が体力あるだろうし、アイツらの攻撃は重いからあのままじゃそのうちついていけなくなるだろう。サタルの受け流しは上手いもんだが、限界がある。


 剣戟に紛れて空気が動くのを感じた。サタルの背後に回り込んだアーサー、留まっていたサマンサ、それぞれの周りに精霊文字が浮かんでいる。ベギラマとバギマだ。アレフとアレンが飛び退く。


 両者を結んだ中点、即ちサタルの所に火炎と竜巻が湧き起こった。火は聖風に巻き上げられ、炎の渦となって立ち上る。サタルがどうなったのかよく見えない。俺は目の上に手をかざす。


「ミディアムかな?」
「ミディアムレアじゃないかな」


 エイトは俺の言葉にのって答えた。
 炎渦から煙が上がる。白い煙がもやもやと辺りに立ちこめて――いや、あれは煙か? 俺が疑問を感じた時である。


 白い靄が津波のように四方へ広がった。様子見をしていた四人の姿がその中に飲み込まれる。俺達は煙の届かない高さに昇った。眼下は一面白に染まってしまっている。


「これ魔法だよな?」


 俺が聞くとエイトは頷く。


「マヌーサだね。無言呪文だろう」


 俺達は魔法を使う時に、原則呪文を唱える。魔法の発動には呪文、祈り、想像の三要素が必要で、呪文ってのは神や精霊との合い言葉だ。俺達が定められた約束の文句を言えば、神霊の力がそれ見合った力を与えて答えてくれる。呪文は精霊文字から成り立っていて、大抵の術者はこれを唱えると周りに唱えた精霊文字が浮かび上がる。さっきのアーサーとサマンサみたいにな。


 だが、例外もある。発動の三要素のどれかを省いても魔法が発動する時がたまにあるんだ。よくあるのは呪文を省くパターン。これを俺達は無言呪文って呼んでる。ベテランの術者が使ったり、何も知らねえ素人が無意識に使っちまったりする奴だ。


 ただし、これはかなり難しい。祈りも想像も曖昧だからな。思った通りになかなかできなくて、魔力ばっか無駄に使っちまったり魔法が暴走したりすることがある。


 多分この不自然な霧はサタルの無言呪文によるマヌーサだ。ただのマヌーサにしちゃあ範囲が広いし、精霊文字の光が見えなかったからな。


「てかこれサタル自身も巻き込まれてると思うけど、大丈夫なのかな」


 エイトが呟く。うん、俺もそれ考えてた。これでサタル自身も幻惑にかかってたら笑える。新たなロト伝説に加えられるかもしれない。


 霧が晴れてきた。俺達はさっきいた辺りまで降りていく。立っている人が四人に減っていた。一人を中心に三人が円のように離れて立っているが、うち青い男は何やら様子がおかしい。剣を構えているが、あらぬ方向に向かって斬りつけている。アレン、状態異常確定。


「引っかからなかったんだね。君もかかることを期待してたんだけど」


 中心に立つサタルはアーサーに向かって言った。腕には白いローブを抱えている。サマンサだ。紫の巻き髪は力なく風に揺られ、瞳が開く気配はない。
 アーサーはいつの間にかゴーグルをしていたが、それを額の上に押し戻して答える。


「この人数で目潰しを使われないわけがないと思ってましたから。皆にもそれは伝えてあったんですけど、発動が予想外でしたので見事に引っかかっちゃいました」


 なるほど、マヌーサが来ることは予測済みだったらしい。でも火炎の煙に紛れて使われた上に広がりが速かったから、アレンとサマンサは引っかかっちまったってことか。
 サタルは抱えていたサマンサをアレンに向けて優しく押し出した。サマンサが音もなく宙を滑り、背を向けていたアレンの正面に回り込む。サタルが声を張り上げる。


「アレンー、いったん剣置いて両腕を前に出して掌を上に向けろ」
「引っかかりませんよ俺は!」
「マヌーサかかった奴が何言ってるんだ。愛すべき姫のために一時休戦、ちゃんと言うこと聞け。サマンサだよ。お前の目の前にサマンサが浮かんでるから、姫抱きの準備しろ。で、マヌーサ解けるまで待ってな」
「サマンサぁ!?」


 アレンは素っ頓狂な声を上げてきょろきょろしながらも、指示に従った。その様子が可笑しくて俺は思わず噴き出した。


「何が起こったんですか!?」
「寝てもらった」
「はあ!?」
「変な解釈すんな。催眠呪文だよ。女の子に手荒な真似はしたくないからね」


 落とすなよ、と釘を刺してサタルは魔法を解いた。アレンの腕にサマンサが落ち着く。反対に落ち着かなそうな彼に、アレフが声をかける。


「そこでじっとしていろ! しばらく俺達だけで戦う」
「すみません」


 アレンが座る。アーサーが彼から大先祖に目を戻した。


「サマンサは戦闘不能扱いじゃなくていいんですか?」
「ああ、いいよ。本当の戦闘なら地面に倒れてるだけだろうからね。でも女の子を硬い地面に寝かせるのは忍びないから、今回は受け止めさせてもらったけど」
「何格好つけてんだアホ」


 俺はそう言わずにはいられなかった。くっそむず痒い。せっかく一番の魔法の使い手を押さえたってのに何で戦闘不能にしねえんだ。何やってんだアイツ。
 でもこれでアレン、サマンサが一時戦線離脱。一気に一対二だ。随分戦いやすくなっただろう。


 剣を構えたままのアレフとアーサーに、サタルが言う。


「さて、また始めようか」


 アレフが音もなく近寄る。鋭い突きを躱したサタルがその流れに沿うようにして突き返した。アレフの手の中で剣が回り受け止める。サタルの剣を跳ね上げて斬り込む。サタルは受けて左側に回り込む。いきなり眼前から先祖の姿が消えても、アレフは冷静に対応した。変則的にかかってきた剣をいなして間合いを取りフェイントをかけて攻める。突いて躱して薙いで払って……あーいちいち細かく目で追ってたら疲れちまう。何にしても性格がよく剣に現れてる。アレフは堅実、サタルは飄々。同じ型がベースだが、アレフが真っ当に攻めて攻めて切り開く剣なら、サタルはのらりくらりやって相手のミスを誘う剣だ。どっちの方が優れてるなんて一概にゃ言えねえ。ただ俺の考えじゃ、アレフの方が体力も力もあるから先に崩されるのはサタルだろう。アレフは馬鹿がつく真面目だが馬鹿じゃねえ。


 アーサーから火炎が放たれた。サタルはそれを剣で払う。もう一回ベギラマ。ただ今回はそれから僅かに遅れて、アレフが飛び込んできた。奴の剣が先祖の喉元に吸い込まれる。


 刹那、パーンという音と共にアレフが吹き飛ばされた。アレフは一回転して立ち上がり、目を大きくして先祖を凝視する。それはアーサーも俺も同じだった。


「何だ今の?」


 疑問が俺の口から溢れた。今、アレフの剣がサタルの首に届くかと思ったのに。サタルは何もしてないみてえだったが、いきなりアレフとの間に光が走り、奴が吹き飛ばされたんだ。


 アレフは警戒している。エイトは眉根を寄せてサタルを見ていたが、やがて俺の方を向いた。


「今のはイオ系の何かだと思う」
「イオ? バシルーラじゃねーのかよ?」


 エイトが頷く。眼下で、またアレフがサタルにかかっていった。


「輝きがイオのものだった。でもイオより大分小さい感じがしたから……うん、やっぱ無言呪文だ。敢えて呪文を唱えずに、魔法の効果を小さくしたとしか考えられない」
「あの一瞬で? 反射的に?」


 理論上は、とエイトは返してまた下を見る。アーサーも剣のやり取りに加わっている。気のせいか、サタルの動きがさっきアレンとアレフと斬り合っていた時より速い。
 青い光が二つ閃いた。


「ベギラマ!」
「ヒャダルコ!」


 アレフの詠唱で火炎が、アーサーの詠唱で氷刃が襲いかかる。しかしどちらもサタルに届く前に、破裂するような音がして爆発した。間違いねえ。これはイオラだ。


 アーサーがまたベギラマを飛ばす。サタルの前に火炎が巻き起こって相殺した。アレフが打ちかかるのをサタルが受け止める。そのまま流そうとするのを、アレフは無理矢理押し止めてつばぜり合いに持ち込んだ。


「伝説では、貴方の使う呪文のことは雷についてしか触れられていませんでした」


 ギリギリと音をさせながらアレフが言う。真っ直ぐな瞳を受け止めて、サタルは曖昧に笑う。


「伝承は歪むものだよ。もっとも、俺の時代から本当のことを伝えなかっただけなんだけどね」


 会話の隙に、アーサーの剣が無防備な背中に叩き付けられる! 俺は刮目した。しかし予想していたうめき声ではなく、剣同士がぶつかったような金属音が上がった。


 アーサーが驚くのが見えた。そりゃそうだろうな、いきなり色鮮やかだった紫のマントが黒い鋼鉄に変わっちまったんだから。


 ありゃ多分アストロンだ。けど、あれは全身鋼鉄にしちまって身動きできなくなる呪文だろ? 俺も使えるが、ああに一部だけ形状を変化させることなんてできた試しがない。


 サタルがアレフの一瞬の弛みを突いてつばぜり合いから抜け出した。でもそれで逃すアレフじゃねえ。追って剣が一閃、一閃。剣神と呼ばれた男の勢いは衰えない。重苦しい鎧着て休みなしでもまだいける。はー感心感心。


 止まることを知らないアレフの剣とひたすらやり合っているサタルはちょっと苦しそうにも見える。アーサーが魔法を使う素振りを見せると、サタルは追撃を振り払って大きく後ろに飛び退いた。左手を前に突き出すと、掌に小さな火球が現れる。一直線に放たれた指先ほどの火の玉を見て、アーサーが顔色を変えた。


「アレフさん危ない!」


 しかし火球は追おうとしていたアレフの胸にぶつかる。


 ぽん、と間抜けな音がした。胸元を見下ろすアレフ。その視線の先でみるみるうちに球が膨張する。球が彼の姿を飲み込んだ途端、巨大な火柱がそびえ立った。アーサーが熱風に煽られながらも先祖の名を叫ぶ。


「……何だありゃ?」
「さあ……」


 俺とエイトはサタルを見下ろす。奴はやっちまったとでも言いたげな顔をしていた。やっちまったなんてもんじゃねーぞこれ。今度こそウェルダンじゃねえか?


 しかしその時、火柱から赤い光が飛び出してきた。一文字を描いて光はサタルにぶつかる。紫のマントがぶっ飛んで土埃が舞う。


 飛び出してきた光はアレフだった。鎧の中央が凹んで、両腕内側のアンダーが焼けて火傷が露わになっている。だが全身は煤けてる程度だ。
 アレフは一度着地したが、すぐに地を蹴った。砂埃の中で頬の裂傷――それだけかよ――を気にしているサタルのもとへ飛び込み一閃。剣が煌めいたと思ったら後はもう目に止まらなかった。


「ちょっとアレフアレフ速い! もうちょっと優しくして!」
「お断りします!」


 ぎりぎりで剣を受けるサタルが悲鳴を上げる。アレフは五月雨のように剣を繰り出しながら叫ぶようにして答えた。


「これまでは四対一では対等ではないと思い力をセーブしてきました! ですが先程の貴方の一撃を受けて確信しました!」


 アレフの剣がサタルの肩を掠る。脇腹を掠る。血が滲んでもアレフは追撃の手を弛めない。


「貴方は伝説よりも強い! ならば、俺達も全力で行かせて頂きます!」


 その言葉と同時に、アレフの背を飛び越えて緑の法衣が舞い上がった。サタルの頭上から光の剣が振り下ろされる。黒髪に触れる手前でまた剣先に爆発が起こった。剣が爆風に煽られ、逆さになっていた法衣がくるりと回る。そのまま円を描いて、緑のブーツがサタルの頭を捉えた。これは予測できていなかったらしくサタルがつんのめる。アレフがその隙を逃さないわけがない。狙い澄まされた突きがサタルの肩を狙う。


 ガツ、と硬い音がした。再びの硬化呪文、鉄の肩が剣を弾く。そのまま一息に間合いを詰めサタルはアレフに体当たりを喰らわせた。体勢を崩すアレフから身体を反転させ、袈裟懸けに斬りかかるアーサーを硬化した足で蹴り飛ばす。


「おいおい、何で鋼鉄になってんのに動くんだよ?」
「あれ動けないものなの?」


 思わず呟くとエイトが聞いてきた。そう、普通は動けねえ。アストロンは一時的に身体の芯まで鋼鉄にしちまう。お陰で生半可じゃねえ守備力が手に入るが、筋肉や神経まで石になっちまうから動けなくなる。だからあんま実戦向きじゃねえ、どうしようもなくなった時に使う呪文だ。
 そう説明してやると、エイトはふーんと感心したように頷いた。


「そんな呪文があるんだね」
「俺もマジで全滅しそうなやべえ攻撃が来る前にしか使ったことねえ。でもアイツの場合……」


 と、ここで戦況を見る。サタルは両手足を石にしてくるくると舞うように子孫二人の相手をしている。動きはあくまで身軽でかろやか、武闘家みてえだ。アストロンの副作用は全く窺えねえ。


「どういうわけか動けてやがる。石を動かす方法を知ってんのか、または筋肉や神経が冒されちまう前段階で硬化を止めてんのか……」


 俺は首を振った。


「あー駄目だ、俺あんま魔法の原理詳しくねえし鈍いから分かんねえ」
「君呪文得意じゃないか」
「得意じゃねーよ。感覚だけで使ってんだ。原理なんてほとんど理解してねえ」
「それでも魔法使えるんだから十分凄いと思うけど。でも俺も理屈は理解してても、魔力の察知とか分析は全然だからなあ」


 俺達の視線は自然と下に落ちる。アレフの攻撃をはねのけてアーサーの剣を剣で受ける。しかしアレフが攻め込んできたのを躱した瞬間バランスを崩した。わあと叫んで地面に転がる先祖にアレフとアーサーが容赦なく剣を送る。ご先祖危機! サタルは二人の剣に自分の剣を投げつける。火花が散った、それを認識した次の瞬間爆発した。
 アレフとアーサーは爆発をもろに喰らい、後ろに吹っ飛んだ。俺とエイトは互いの顔を見る。


「イオ系だよね?」
「イオラにしちゃちょっと強いくれーじゃね?」


 俺達は頷いてまた目を戻す。サタルは既に自身の剣を回収し、大地から身を起こす子孫達を見ている。


「ちょっとー、お前らスタミナありすぎだろ? 俺疲れちゃうからあんまり速く攻撃しないでくれよ」


 剣を地に刺して頬杖をつき、サタルはそうぼやいた。まだ両手足にアストロンがかかっている。あれを持続するにはそれなりの集中力と魔力がいるはずなんだが。


「疲れて下さい。じゃないと僕達が勝てないじゃないですか」


 アーサーはそう返した。おっとりしてるが言うときゃ言う。それからアーサーとアレフは何やら小声で話し合い始めた。サタルはストレッチをして律儀に待っている。勝つ気があるんだかないんだかよく分からねえ。
 やがて話し合いが終わり、アレフとアーサーは剣を握り直した。


「行きます」


 アレフが告げる。律儀なこった。


「お手柔らかにお願いします」


 サタルがお辞儀を返す。上体が上がりきるより先に、その眼前でアーサーが剣を振りかぶっているのを見て奴は目を丸くした。


 速い! サタルが剣を受けたと思った次の時には光の剣が真横から迫っている。目で捉え切れねえ。アレフだって結構速かったが、こりゃそれ以上だ。
 サタルが悲鳴を上げた。


「うわーっ無理無理無理だって!」
「じゃあ負けて下さい」


 アーサーがいつもと変わらぬのんびりとした調子で言う。そうだ、負ければいいんじゃねえか? いやでもそれじゃつまんねえ。もっと頑張れ。俺は心の中で適当な声援を送る。


 サタルが悲鳴を上げてる隙にアレフも加わって、三人の纏う衣服の色が宙に軌跡を描く。大分ガチになってきたな、大変だ。金属音が絶え間なく響き、時折それに炎の燃える音や氷の砕ける音、爆発音が混じる。


 サタルは剣を振るのにあっぷあっぷしている。二人の攻撃が止まない上にスピードが上がったから、大変なんだろう。たまに剣を退けるために爆発させたり炎を飛ばす比率が高くなってきた。いや、何で大変なのにもっと面倒な魔法使うんだ。ワケ分からん。


 正直もう目で追っかけるのが面倒なので、最初はどういった剣の振るい方をしているか食い入るように見ていた俺も、途中から高速で回る万華鏡を見ているつもりでぼんやりと観戦するようになった。しかもこの斬り合いが続く続く。その長えの何のって、ついエイトと今日の夕飯が何かについて話し始めちまうくらいだった。


 だが互いの故郷の食文化について話し出したところで視界の端に変化が起き、俺達は思わず身を乗り出した。


「下がって下さい!」


 凛とした声が空気を裂いて、アーサーとアレンが飛び退いた後に巨大な竜巻が湧き起こった。間を置かず人よりでかい炎の塊がそこに投げ込まれて、さらに大爆発が起こる。視界が赤く染まり、エイトと俺の前髪も風圧で巻き上がった。


 戦っていた三人から離れた所で、白いローブがはためく。紫の髪をなびかせた白磁の乙女、赤き瞳を炎に煌めかせて、魔法の寵姫サマンサ様の覚醒だ。


「もう油断は致しませんわ、ご先祖様」


 サマンサの声は春をうたう小鳥のようだった。


「まさか私達の知るロト伝説の偽りを貴方自らお作りになったなんて、思いもしませんでした。貴方は剣に長けた、正義の雷を操る救世主だと教わっておりました」


 ですが、とサマンサは盛んに燃えさかる炎を見つめて話す。て言うか、アイツ今燃えてんじゃねえの? 聞こえてねえよ絶対。


「私は貴方に初めてお会いした時から並々ならぬ魔力を感じておりました。伝説では貴方が魔法を使うところは一切ありませんでした。とても不思議に思っていたのですが、今の戦いぶりを一目見た途端理解しました」


 俺は今喋ってるサマンサがいつもと別人のような気がしてきていた。だってサマンサって上品でしっかりした感じの可愛い子ってイメージ強かったんだけど、今のコイツ先祖にバギクロスメラゾーマイオナズンって三つ続けてぶっ放したし、しかも先祖燃えてるだろうに嬉しそうだし、うん、何か違う。


「貴方は剣より魔法に長けていらっしゃいます。剣を振るいながらも、祈りと想像だけで息をするように魔法を使うのがその証。今まで呪文の縛りをなくしてここまで自分の思うように魔法を調節できた方を、私は今まで見たことがありませんでした」


 サマンサは頬を紅潮させ、火の山に向かって高らかに言う。


「さあ、まだ戦えることは分かっております。もっと貴方の魔法を私達に見せて下さい!」


 その声に応えるかのように、あれだけ燃えさかっていた火が一瞬にして消え失せた。焼け焦げた地の中央で紫のマントがはためく。衣装の裂けがあり多少黒ずんではいるものの、サタルはしっかりとそこに立っていた。


「やっぱり君を戦闘不能にしておくべきだったかな」


 そう言いながらも、彼は微笑んでいた。サマンサもしっぺ返しするように笑みを浮かべる。


「あら、私だけではございませんでしょう?」


 俺達の横を何かが落下していった。サタルがこちらを仰ぎ見て脇に飛ぶ。


 青い影が大地に突き刺さった。地が裂け、同心円状に周囲の地盤が広く隆起する。サタルは飛んでそれを避けていたが、そこにアレフとアーサーがかかっていった。
地を割った主は剣を引き抜き、空色の瞳を戦う男達に向ける。そこにもう淀みはなく、ただ戦いへの渇望で爛々としていた。


 破壊神よりやべえ男、アレン復活。


「うわあ」


 エイトが呆れとも感心とも聞こえる声を洩らした。


 アレフの剣を己の剣で巻き上げ、アーサーのを上体を下げることで躱してアレンのを蹴り上げてそこから更に回し蹴る。アーサーの疾風の二連撃を腕で止めて火炎で仕返し、そのまま残る二人にも火炎を贈る。


 おっとここでサマンサのメラゾーマ。それにはさっきアレフに喰らわせた火の玉でお出迎え。でっかい火にちっこいのが飛び込んで大爆発。でもサマンサそれだけじゃ終わらねえ。次はマヒャドにバギクロスの合わせ技、更にアーサーとアレフのベギラマが重なったベギラゴンも来る。同時に二方向から来たのを、一方は指で突っついて火炎の渦で相殺し、もう一方はやっぱ爆発で吹き飛ばす。吹き飛ばした向こうからアレンが来る。大上段から斬り込み逆袈裟突き、重い連撃を受け止め一瞬、胸元に掌を滑り込ませ雷一丁。アレンが飛んでもアレフが来る。アレフをいなしてもアーサー、サマンサとどんどん来る。キリがねえ。


 サマンサとアレンが加わった途端、サタルの表情に変化が起きた。それまでは疲れとか笑いとか勘弁してくれよみたいな顔をしてたのが、今は何も映さねえ。無表情で縦横無尽に襲い来る攻撃をひたすら受けている。剣に武闘、最高位の攻撃呪文五種などなど。それらを四人は器用に繋げてくる。時々もろに喰らってもサタルは動じねえ。眉一つ口一つ動かさずうまいこと切り返す。


 この後半戦に入ってから、サタルは魔法を使用することが多くなった。とは言っても、相変わらず呪文なんて唱えやしねえ。奴の見た場所、見ない場所、手の先、足の先、どこにでも魔法がついて来る。使うのはメラ系、ギラ系、イオ系の三種のみ。どれも勇者がよく使う奴だ。威力もその時その時で変えて、魔法の相殺、相手への攻撃を器用にこなす。吹いた息が炎に変わり、蹴り上げた砂が爆発するなんてこともあった。また、放たれた魔法を奪って喰らわせるなんて真似もやってのけた。


 加えて奴の動きは更に速くなっている。ありゃどうなってんだかよく分からねえが、さっきより更剣術っていうより武術に近くなってきていた。アストロンのかかった両手足と剣と魔法とを上手く使って攻撃を受け、反撃する。のらりくらりテンポ良くやってるが、あれ相当きついんじゃねーかな。
 そしてそれはどうも当たりだったらしい。


「あーもう無理ッ!」


 どれくらい経った時だろう。サタルは叫んで横に振り抜かれたアレンの剣を足場にして高く舞い上がると、宙に浮いて半回転する間に指を大地に向けた。


 するとその指先から太ぇ稲妻が幾本も走り出す。勇者のみに許された呪文、ギガデイン。激しい稲妻が大地を蹂躙するのと時を同じくして、今度は裂けた地から灼熱の炎が噴き出す。更に腕を一振りすると、裂け目からもっと天高く火の壁がそびえ立った。


 あっという間に、眼下火の海。それをサタルは宙に浮いて悠然と見下ろしているが、息が荒い。どうもこの時間に呼吸を整えたいらしい。


「そろそろ止めた方がいいかな?」


 エイトが呟く。俺は辺りを確認した。森の辺まではかろうじて行ってねえが、この調子で暴れ続けたらやばいだろう。俺は頷いた。エイトが背中の剣に手をかける。


 しかし、炎の海から何か飛び出してきた。血の滴るような深紅のドラゴンだ。その背にはアレフ、アレン、アーサーが乗っている。王女様はドラゴラムまでご存じだったらしい。


 ドラゴンが咆哮し、背に乗る男達が剣を掲げる。地の風景を写し取ったような夕焼けの空にどこからともなく暗雲が立ちこめる。これも見覚えがあるぞ。ミナデインじゃねえか?


 サタルは何を思ったか笑い出した。そして手を掲げる。掌に青く凝縮されたエネルギーが集まっていく。これも多分デイン系だろう。勇者同士のデイン合戦だ。


 子孫達が剣を先祖に向けた。暗雲から腹の底を震わすような轟音と共に神の怒りが降る。対してサタルの掌からも、それにひけを取らない光が放たれた。二つの聖なる雷がぶつかり、眩い光が弾け飛ぶ。バチバチ火花が飛ぶ。両者拮抗して動かない。


「あれ、地上に落ちたらやばそうだよね」


 エイトが他人事のように言った。下は相変わらずの火の海である。これに雷が勢いを増したら……えらいこっちゃ。
 引き攣った笑みを浮かべているエイトの肩を抱く。


「頑張れよ竜神族。雨降らしとかお得意じゃねえのかよ?」
「俺は火属性の強い種族なんだよ。まだ降水まではできないんだ」


 ジゴスパークとかギガブレイク、ギガスラッシュなら得意だよ、とエイト。オメーそれじゃ火に油じゃねえか。森林火災が起きるぞ。俺もアイツら止められるような必殺技はデイン系だし――俺達は頭を抱えた。こうしているうちにも、ぶつかり合う雷はどんどん力を増している。


「わー凄いねー!」
「この世の終わりみたいな光景ですねー」


 その時、何とも呑気な声が聞こえた。しかし俺とエイトはそれを天使の声だと思った。


「アルス! ナイン!」


 同時に二人の名を呼んでしまう。無理もねえ、この二人は今まさに必要な存在だった。


 アルスは俺達の中では珍しい水属性に強え奴だ。そしてナインはもと天上界の住人。両方とも、あの火をこれ以上広げないで済み、かつロトの一族を止められそうな数少ない奴らだった。
 二人の小さな少年に、俺達は抱きつかんばかりの勢いで駆け寄る。


「頼む! アイツらを止めてくれ!」
「このままだと火災が酷くなりそうなんだよ!」


 アルスとナインはロト組を見て、地面を見て、空を見て納得したように頷いた。


「分かった。でもあの勝負楽しそうだね」
「僕達も見たかったです」


 おーいそうじゃねえよ。止めてくれよ頼むから。


「でも、もう夕飯だしね」
「止めなくちゃですよね」
「え、もうそんな時間?」


 エイトがきょとんとして言った。アルスが頷く。


「うん、今日はいい食材が取れたから、いつもよりちょっと早めにエテポンゲが腕によりをかけて料理してくれたんだ」
「エテポンゲは不味そうですが、料理はとても美味しそうですよ」


 冷めてしまうといけませんね、とナインは銀河の剣を暗雲に向かって突き上げた。雲が一部だけ退いて、巨大な紺碧の剣が姿を現す。


「アルスさん、タイミングを見計らってお願いします」
「分かったよ」


 アルスの左腕の紋章が光った。湿った風が頬を撫でるのを感じる。


 ナインはにっこりして、ロト組に目がけて急降下する大剣に向けて銀河の剣を投げつけた。
 お見事! 大剣の宝玉に剣がまっすぐ飛び込み、金と赤に鮮やかに早変わり。そのままぶつかり合う雷玉の中央へと突っ込む。


 雷が弾け飛んだ。呆気に取られるロト組の顔に、間を置かず土砂降りの雨が降りかかる。恵みの雨は荒れる大地を潤し鎮める。誰がやったのかは勿論、言うまでもない。


「皆さーん、お夕飯ですよー!」


 ナインが明るく呼びかける。ロトの一族は何が起こったのか理解できているだろうか。まさか「いいところだったのに!」なんて怒ったりはしねえよな? 俺は今更そのことが心配になった。だがお前らのおかげで森林火災の一歩手前だ。理解してくれ。
 そしてそれは杞憂だった。


「もーそんな時間か! 道理で腹減ったはずだ」
「手間をかけさせてすまない。ありがとう」


 アレン、アレフがナインにそう答える。深紅のドラゴンは降下し、ひび割れた地面に降り立って男達を下ろすと光に身を包む。すぐにいつもの可憐な王女が現れた。


「ああ、久しぶりに大きめの呪文が使えて楽しかったわ」


 白い頬に指を滑らせ夢見るような表情でふふと小さく笑うと、まだ宙に浮いている大先祖を見上げた。


「サタルさん、今日のところは引き分けということでよろしいでしょうか?」
「ああ、うん」


 サタルはゆっくりと地上に降り立ちながら頷いた。その周りに子孫達が駆け寄る。


「サタルさん、またたくさん魔法を見せて下さい。そしてご指導願いたいです。よろしくお願い致します」


 とサマンサが幼子のように無邪気に笑う。


「あ、僕もお願いします」


 すっきりした顔つきのアーサーが頭を下げる。


「サタルさんさっきのあれどうやってたんですか!? 今度武術の方も教えて下さいよ!」


 と熱を込めて言うのはアレン。


「技術のことは勿論ですが、今度伝説のどこを改変されたのかについて詳しくお聞かせ願いたいです」


 相変わらずの堅真面目な顔で、しかし戦いの喜びを隠せなそうなアレフ。


 それぞれにサタルは愛想良く返事をする。和気藹々と会話を交わし、最高位回復呪文を全員にかけると四人は喜んだ。今度教えて下さいとせがむサマンサとアーサー。そこにアレンとアレフがそれより先に剣術を、と詰め寄る。サタルは言い合う子孫達を、目を細めて見つめている。


 戦う前に比べ、五人の仲は格段に深まったような感じがする。だが俺は、にこやかな先祖の下半身が全くの直立不動のまま微動だにしないことが気に掛かっていた。


「はーいお疲れさんお疲れさん」


 俺は拍手をしながら声を張り上げる。五人がこちらを見たので、俺は口の端を吊り上げた。


「やーお前らマジで凄かったな! その話は後でするとしてよ、お前ら晩飯のこと忘れてねえか?」
「あ」


 子孫達はそろって口を開けた。ナインが一歩前に出る。


「今日は人が少ないからまだ食器を用意してない上に、よそりつけもできていないんです。お疲れの所申し訳ありませんが、どなたか数人手伝って下さいませんか?」
「じゃあ俺達が行く!」
「俺も行こう。サタルさんは後からゆっくりいらして下さい。ソロとエイトも、ありがとうな」
「いえいえ」


 アレン達と加えアレフが名乗りを上げる。子孫らとアルス、ナインは宿屋に向かってルーラしていった。


 後には始まる前同様、俺達三人が残される。違うのは地面がすっかりボコボコになっちまったことと、雨が降ってることくらいか。だがもう小雨だ、もうじき止むだろう。
 それより、俺はサタルに向き直った。


「おらッ」


 足払いをかけたら声もなしに呆気なくすっ転んだ。サタルは尻餅をつき、目を丸くして俺を見上げる。


「何だよ!」
「いーから座ってろ」


 俺は地べたに座り込んだ。服が汚れるがしゃーねえ。そんなん気にするほど俺はみみっちくねえ。目線を奴に合わせて言う。


「どっちにしろ、お前今立てねえだろ」


 サタルは更に目を丸くした。口を開きかけ、しかし自身の足を動かそうとしてぎこちない反応と震えることしかできないのに気づき苦笑する。


「ああ……力が抜けちゃって。情けないな」


 地面に足を着いていたように見えたが、本当は違う。下手に力を抜いたら今みたいに立てなくなっちまうから、魔法でまだ浮いてたんだ。うめーことやってたから誰も気付かなかったみてえだけど。
 エイトもサタルの隣にしゃがみ込んだ。優しげな面差しの中で、眉を心配そうに顰めている。


「何時間だったんだろ、日が暮れちゃったくらいだし、かなり長かったよね。ずっと戦ってたんだから仕方ないよ。ごめんね、無理させちゃって」
「いや、エイトのせいじゃない。俺がまだ未熟だから」


 サタルは珍しく殊勝なことを言う。


「楽しかったし、みんなも楽しんでくれてたから良かったけど……実はずっと緊張してたんだ。力加減を間違えないか心配で」


 みんなを殺さなくて良かった、と力の抜けた笑みを浮かべる。
 やっぱ俺はコイツを見誤ってた。ロトは伊達に伝説じゃねえ。半端なく強い。コイツの強さは戦う技術とか剣とか魔法とか、そういうのじゃねえんだ。
 サタルはいつもの凛々しく悠然とした感じじゃなく、抓ったら消しちまいそうな感じで笑っている。それがらしくなくて感じられてどうも落ち着かなくて、俺は立ち上がった。


「ま、何にしろお疲れ! 後で一杯やんねーか?」
「いいね。三人で?」
「おう。俺の部屋でどうだ?」


 そうしようと二人も同意する。なら早ぇとこ帰ってまずは飯食わねえとな。
 エイトも立ち上がった。優しいコイツは座ったままのサタルに手を差しのべる。


「大丈夫? 立てる?」
「ああ、大丈夫」


 サタルはいててなどとぼやきながらゆっくり立った。じじいみてえだ。コイツが気取ってねえと少し落ち着かねえと言うか、ほっとすると言うか。


「強がりめ」
「俺なんてそこまでのもんじゃないよ」
「君に言えたことじゃないでしょ」


 サタルとエイトが順に、俺の呟きに答える。ただ鼻を鳴らして背を向けた。
 今日は楽しい酒が飲めそうだ。












20140208