ばーさす★てんくう




「ってことは……貴方が、最初の天空の勇者さま?」



 おう! と力強くレックが答えると、金髪の双子の顔はみるみるうちにぱあっと輝いた。

 そして、初代天空の勇者ことレック、二代目天空の勇者ことソロ、そして三代目天空の勇者ことレックスによる冒険トークが始まった。

 彼らは皆天空の血がその身に流れる人間で、魔と戦う宿命を背負わされたらしい。どうして天空人と地上人のハーフが、魔王を倒すさだめだったのか。それに、レックの両親はどちらも天空人ではないと聞いているんだけど、どういうことなのか。部外者である俺にはいまいち分からないことが多いけど、ハーフの理屈だけは何となく分かっているつもりだ。俺もハーフだし。



「ねえ、僕と戦ってよ!」



 すっかり話し込んで打ちとけた頃、レックスが目を輝かせてそう提案した。



「え、俺達と? お前一人で?」

「私も戦います!」


 レックスの双子の妹、タバサが声を張り上げて言う。兄は大きな目を更に開いて、彼女を振り返る。


「ダメだよ、お前は。危ないよ」

「私だってお兄ちゃんの妹よ。私も、一緒に」



 身の丈ほどある杖を握る手が、小さく震えている。今にも泣き出しそう。

 レックとソロは、困ったように目を見合わせる。仲間、敵、両方に容赦ない二人も、小さな女の子には弱いらしい。微笑ましいなあ、と俺は遠目に彼らを眺める。隣の椅子が床を滑った。



「じゃあ、代わりに僕が戦おう」



 俺の横で立ち上がった人物へ、天空の血を引く皆が視線を移す。彼は衣擦れの音と共に紫のマントをなびかせ、金髪の双子のもとへ歩み寄り肩を抱く。ソロの端正な顔立ちに、純粋な驚きが浮かぶ。



「マジか? アベルさん」

「たまには僕も身体を動かさないと、なまっちゃうからね」



 アベルさんは穏やかに微笑み、息子娘の肩を抱いた。双子はサファイアのような瞳を、一様に父へと向ける。



「二人とも、彼らとの勝負はお父さんに譲ってくれないか?」



 お父さん以上に戦える人は、なかなかいなくてね。その台詞を聞いて情けなく眉を下げた困り顔から一転、レックは白い歯を見せて笑った。



「アベルと戦えるなんて願ってもねえな! 俺アンタが本気で戦ってるところ、あんまり見たことねえし」

「お父さんの、本気……」



 双子はごくりとのどを鳴らした。マシュマロのような頬が、期待の薔薇色に色付く。伝説と称される父の勇姿が、その脳裏に蘇っているのだろう。その証拠に、二人はさっきまでの対立が嘘のように父を仰いで仲良くはしゃいだ声を上げた。



「お父さん頑張って!」

「無理しないでね、お父さん」



 年の割にしっかりした子達だと思ってたけど、こういうところはまだ子供らしいなあ。俺の頬は、さっきから弛みっぱなしだろう。仕方ないよね、無邪気にはしゃぐ子供は平和を感じさせてくれるんだから。



「面白そうなことになっていますね」

「わっ!」



 耳元で声がした。俺はぎょっとして振り向きながら立ち上がった。椅子が転がって、床にぶつかる。



「なんだ、君達か」

「ごめんねエイト、驚かせちゃって」



 驚かせた張本人ではなく、その半歩後ろに控えたアルスが謝った。張本人ことナインは、俺の姿を通り越した先に夢中らしい。



「あのアベルさんが模擬戦闘に参加するなんて珍しい。これは見逃せません」

「今度こそ、観戦させてもらわなくっちゃ。前回は見逃しちゃったから」



 アルスの言う前回っていうのは、ロト組の模擬試合のことだろう。あの時俺は、ソロと審判を兼ねて観戦していた。それなりにひやひやさせられる戦いだったのをよく覚えている。

 この分だと、また観戦できるかな? またこういうところに居合わせるなんて、妙な縁もあるものだ。



「おい、エイト」



 呼ばれて、俺はもう一度身体を反す。ソロだった。



「また審判やってくれ」

「え、俺でいいの?」

「おめえが適任だろうって、このオニーサン達が推すからよ」



 親指で、レックとアベルさんを指す。レックが片手を挙げて見せる。



「ソロアベル対俺だから、よろしくな!」

「あれ、単独じゃないんだ」

「三人だと面倒くせえからな。それにコイツが、初代の力見せてやるって張り切ってやがるし」

「うっし。じゃあそうと決まったら、ラミアス取って来るぜ!」



 レックは鼻歌交じりに二階へと消えた。上機嫌だ、すごいなあ。俺は早くも尊敬を抱きつつ、その背中を見送る。



「レックス、タバサ、お父さんは支度してくるから、好きに過ごしておいで」



 アベルさんは双子の頭をぽんぽんと軽く撫でてから、その祖となった青年に言う。



「よろしくね。しっかり対策していこう」

「おう。ちゃんとやっとかねーと、アイツについていけねえからな」



 ソロとアベルさんも、レックの行った方へと向かう。二人ともあまり好戦的じゃない方だけど、今回ばっかりは一応やる気みたいだ。レック相手だし、それもそうか。



「あの」



 レックスが、僕らに近づいて来た。その後ろを、躊躇いがちなタバサが続く。



「レックさんって、一人で大丈夫なんですか? ……いえっその、実力を疑ってるわけじゃなくって、一対二だなんて平気かなあって」

「私が、我が儘言っちゃったから……」



 タバサが小さい声で呟き、俯く。

 優しい子達だ。俺は安心させようと微笑んで、口を開く。



「いえ、何も問題ないと思いますよ」



 しかし先に答えたのは俺じゃなかった。ナインが進み出て、双子を見下ろす。



「確かにアベルさん、ソロさん、レックさんは、どなたもかなりの実力者です。単純に足し算で考えるなら、レックさんが不利でしょう。ですが、相性を考えればそうとも言いきれないのです」

「それって……お父さんとソロさんの方が、負けそうってこと?」

「いいえ、そんなことはありません」



 ナインは、首を横に振る。



「どちらが勝つとも言い切れないのです。ソロさんもアベルさんも戦闘中の駆け引きがお上手で守りが堅く、互いの短所も補い合える、一見すれば非の打ちどころがないと言っても過言ではないコンビです。まず、僕などでは勝てないでしょう。しかし、レックさんが相手となると話は変わってくるのです」

「どうに?」

「レックさんは持ち前の積極性と爆発力で守りを打ち崩し、相手の先手先手に回るのが何よりも得意な方なんですよ」



 双子は目をぱちくりとさせている。俺とアルスは苦笑した。まったく、この変わり者は子供相手でもいつも通りなんだから。



「ナイン、ちょっと難しいよ」



 アルスが彼の肩に手を置き、先を遮る。もと天使は頭を下げた。



「すみません」

「まあ君の話は、今より実際の戦闘の様子を見てもらってからの方がいいんじゃないかな」



 ナインは頷き、目を白黒させている双子に手を差し伸べる。



「名乗りもせず失礼しました。僕はナイン。貴方がたのお父上と、この世界で仕事をしております」

「僕はアルス。こっちはエイト。お父さんにはいつもお世話になってます。よろしくね」

「よろしくお願いします! 僕はレックスです」

「私は、タバサといいます。初めまして」



 俺も軽く名乗ると、双子と握手した。子供の手。でも、兄の方には剣ダコが、妹には小さな傷がいくつもある。それが、この子達がただの子供じゃないことを雄弁に物語っていた。



「ここにいるってことは貴方がたも魔王を?」

「そうだよ。勿論、仲間と一緒にだけどね」



 今度は、アルスやナインと冒険の話に花が咲く。俺もその輪に入ってしばし会話を楽しむ。しばらく経って、俺はちらりと階段を見て四人に告げた。



「先にいつもの修行場に言っててくれない? 俺は三人を連れて、後から行くよ」



 四人とも観戦するだろ? そう尋ねると、元気のいい肯定の返事が返って来た。



「じゃあ、お言葉に甘えて」



 行こう、とアルスが促して、四人は宿を出る。俺は扉が閉まるのを見届けて、また椅子に座りなおした。



「やっぱり、子供相手は気が引けるの?」



 階段を降りる足音に尋ねる。降りた足音は、俺の方へ近づく。



「うーん、そうなんみたいだ。男だけならまだアレなんだけど」



 レックは頭を掻きながら、さっきまでアベルさんが座っていた席に腰を下ろす。彼の相棒であり、のちに天空の剣と呼ばれるようになるラミアスの剣が、ちゃきりと存在を主張するように鳴いた。



「タバサちゃんはああ見えて天才的な賢者タイプだよ? あの年で何の職業にもつかないで、ドラゴラムやイオナズンまで使いこなせるんだ。あと十年も経てば、きっと俺達どころかサマンサと肩を並べるくらいになるよ」

「分かってるさ、ただの女の子じゃないことくらい」



 レックはへらへらっと笑って、大きく伸びをしながら体を反らした。



「変に気を遣ってるわけじゃねえ……俺が、ダメなんだ」



 死んだ妹を思い出す。

 何気なく添えられた言葉。俺は首を回すけど、彼は身体をすっかり反ってしまっていて、厚い胸板までしか見えなかった。



「え……?」

「いや、そう言えばまだエイトには話してなかったか。ターニアは俺の恩人で、義理の妹でいてくれた子。そっちじゃなくてもう一人いたんだ。セーラっていう、血を分けた妹が」



 レックの上体が、ばねのように戻って来た。ぼさぼさになってしまった髪を、彼は手櫛で整える。



「ちょうどあのくらいの年の頃かなあ。死んじゃったんだ。いきなりだった。引っ込み思案だった俺を外に引っ張り出して遊ぶ、ちょっと我が儘だけど人懐っこくて可愛い子だった」



 レックは蒼い髪を元通り突っ立てると、よし、と呟いてからにっと俺に笑って見せた。



「ごめんな。楽しいバトルの前に湿気っぽい話しちまって」

「いや、俺こそ……何も知らないで、ごめん」



 俺はどうしようもなく、申し訳ない気持ちになった。妹が好きだと公言している彼に、そんな複雑な事情があったなんて。俺に家族がいた記憶はあまりないけど、ミーティアを思い浮かべれば過去の彼の心情はある程度推し量れる。



「でもっ! それより俺はアイツらと戦えるのが、もう楽しみで楽しみでわくわくしてしょうがないんだ!」



 レックはぱっと勢いよく立ち上がって、椅子やテーブルにぶつからないよう屈伸運動を始めた。



「アベル滅多に戦ってくれないし! ソロも、いっつも手合せはしてくれるけどマジで動いてくれたことあんまねーし。ああどうしよう、興奮するッ!」



 レックはぴょんぴょんと跳ねる。そんな風に言えるのは、君とアレンくらいだろう。俺も今まで何百と戦闘回数を重ねて来たけれど、いつまで経っても武器を振るい血を流すことへの恐れに囚われて、純粋に楽しむことができない。それはきっと、他のみんなも一緒だと思う。そうでないのは、きっと前述した二人くらいだ。

 こんなことを言うと、何も知らない人には彼らが快楽殺人者のように思われてしまうだろう。違うんだ。レックもアレンも、殺戮や暴力と快楽が繋がっているわけではない。うまく言うのは難しいけど、俺なんかよりずっと彼らが優しい人達であるのは間違いない。



「おいおい、あんま張り切り過ぎんなよぉ」



 階上から呆れた声が。ソロがアベルさんと共に二階から降りてくる。その姿に俺は驚いた。というのも、二人とも盾こそないけれど、完全武装だったからだ。



「あれ、鎧着てきたんだ」

「おう。おめー相手じゃ、マジで殺されるかもしれねえからな」

「えー? 俺、そこまでへたくそじゃないもん」



 唇を尖らせそっぽを向く彼を宥めるように、アベルがすまなそうに笑う。



「いや、君の攻撃に軽装で耐えきれる自信がなくて。君の腕がどうこうってわけじゃないんだよ」

「あーアベルは優しいなあ! ソロはひでーなあ!」

「うっせ。それより、剣一本でいいのかよ? お前も鎧くらい着てくるか?」

「いらねー」



 レックはにかっと白い歯を見せて、ラミアスの鞘を叩いた。主人の気合いに答えるように、竜の目がきらりと光る。



「攻撃こそ、最大の防御だからな!」











 鋭い剣戟の音は、俺達の身まで削れているのではないかと錯覚させるほどだった。



 試合開始直後、先に動いたのは案の定レックだった。馬鹿正直と言えるほどまっすぐな突き込みに、まず対応したのはソロ。捌いて弾きあげ太刀を浴びせる。しかし彼はひらりと身体を回し、躱した勢いを止めぬままに蹴りを放つ。受けたソロの剣がぐわんと揺れた。



 だが、それで終わるレックじゃない。止められた足を軸にもう一回転、今度は頭部を狙う。緑の髪がさっと仰け反った。旋回して着地したところから、下段に切り込む。足を封じる気なのだろう。天空の剣は間一髪、ラミアスの軌道を逸らした。



「すっげー! 速い!」



 レックスが歓声を上げる。タバサも目を丸くしている。初代天空の勇者は竜巻の如く剣を、拳を足を繰り出す。その様は猛攻、と呼ぶのがまさにふさわしい。



「レックの凄いところは、あの手の速さでもちゃんと考えて攻撃してるところだよね」



 双子の隣に並んだアルスが、のんびりとした口調で言う。



「ちょっと見ると何も考えてないみたいに見えるでしょ? でも、そんなことないんだよねえ。その見極めが難しくて」



 双子は目を凝らす。竜巻の中心にあるのは、紛れもなく無邪気な笑顔である。紫水晶に焦点を合わせた茶眼は、きらきらと光っていた。

 子犬みたいだ――他人事と眺める俺とは対照的に、一対の紫はふと警戒に見開かれる。



「ソロ!」



 やや離れた位置から飛んだ低く鋭い声が、空を裂いたかのようだった。

 突風が二つ、ぶつかった。空気の流れが刃となり地を削り、二人の術者の青い髪と紅のマントを引きちぎらんばかりに蹂躙する。



「あっ」



 タバサが口元に手を当て、息を飲んだ。ぶつかる烈風の上空、一足先に逃れた翡翠の青年の、唇が何事か紡ぐ。

 赤い閃光が、レックの足下をなめる。彼の目が一瞬、炎を見る。その隙があれば十分だった。



 疾風を断った竜が、ラミアスと激突する。



「アベル!」


 キインッ! 白刃が高い音と共に舞い、杖が唸り声を上げて追随する。意表を突かれたにも関わらず、レックは喜色満面だった。



「手加減すんなよなッ」



 口元から覗いた犬歯がきらりと光る。答えるかのように、若き二児の父はにっこりと笑んで首を傾げる。「どうかな?」と誤魔化しているようにも、「君もね」と挑発しているようにも窺える。

 爆裂拳の要領で繰り出される剣を、アベルさんは落ち着いて止める。最後の一撃を見切り、くるりと一回転させた杖を突き出す。受けようとしたラミアスが、奇妙な方向に軌跡を描いた。



「んんっ!?」



 止め切れず、レックは大きく跳躍して距離を取る。



「真空呪文を帯びさせていたようですね」



 背後から襲ってきたソロ、応戦するレックをナインは食いつかんばかりに凝視している。それぞれの太刀筋を、その目に焼き付けようとしているのだろうか。それでも細い首を曲げた三代目勇者の仕草を察したのか、そう解説をつけた。



「目に見えないほど弱いものです。だから、レックさんは軌道を逸らされるまで気付かなかった」

「あのタイミングが、レックさんの隙だったのね」

「えっ、タバサ分かるの?」



 娘には、父が術をかけたのに気付いていたらしい。さすが生まれついての賢者。

 二本のよく似た剣が弾き弾かれ絡みあい、解れたと思うとまた青い風が絡みに行く。一見すると、鳥同士が戯れているかのような動きだ。

 さっきまでやや下がった位置から様子を窺っていたアベルさんも、戦闘に加わっている。とにかく矢継早に繰り出して来るレック、やや荒っぽくも鋭い変化球の多いソロ、ポーカーフェイスを崩さないアベルさん。三人のバランスは良い感じに均衡している。



 上空から、俺を含めた五対の眼差しが注がれる。最初はレックがやや不利かと思っていたけど、案外いい勝負だ。本当に、守りを崩している。



「うん、すごい……揺るがないなあ」



 少年の一対のサファイアは、徐々に熱っぽい色を帯びつつあった。小さいけれど、本当に戦士なんだなあ。



「皆下半身は勿論だけど、身体の軸が全然ぶれない。お父さんは、僧侶みたいな杖使いだけど戦い方は戦士なんだ。ソロさんも、結構剣に重みがある。荒っぽいし自己流に見えるけど、どこかの型が混じってるみたい……でも、不思議なのはレックさんだよ」



 レックスはその動きを真似るように、形のない剣を握った手を振る。



「ぴょんぴょんくるくる、飛んで跳ねて回って。あんなに筋肉があるからできることなんだろうけど、それにしてもあんなに動いてたら、もう疲れちゃうんじゃないかなあ……?」

「それが、疲れないんですよ」

「スタミナ凄いよねえ」



 ナインとアルスは、俺の方を見る。俺達は三人そろって、頷き合った。



「いつも凄く、ぴょんぴょん跳ねるよねえ」

「でも持久力はすさまじいから驚きです」

「軽業師みたいなんだよ」



 レックスは俺達の言を聞いて、へえと驚きの声を漏らした。



「確かに、純粋な戦士とか武闘家とは違うよね……あっ違うよ! いい意味でだよ!?」

「分かってるよ」



 俺は口元を緩める。



「彼の場合、ダーマ神殿を使った修業の影響が大きいんだろうな。打撃職を中心に極めてたらしいんだけど」

「あの身のこなしは、スーパースターだね」

「技はバトルマスター、パラディンが中心でしょうか? あまり魔力を消費せず動けるのが、強みなのでしょうね」

「魔法は、あんまり使わないのね」



 タバサが、ちょっとがっかりしたように言う。その横に座ったナインが、そんなことありませんよ、と目で二つの三日月を描いた。



「貴女ならお気づきでしょう。あのお三方の魔力量」

「貴方ほどではないですけど、戦士にしてはあり過ぎるくらいだと思います」



 しゃんと背筋を伸ばした王女は、改めてじっと地上の戦士達を観察する。



「でもレックさんは……こう言ったら失礼かもしれないですけど、一番少なそう――」



 あっ! しかし、彼女は目を丸くした。



「これっ、お兄ちゃんと同じ――」



 言われて、俺もやっと気づいた。レックの身体から、覚えのあるエネルギーが溢れ出す!



「ギガデインッ!!!」



 いづ方からか湧き出た暗褐色の雲から、雷光が飛び散った。暴れ狂う稲妻が、逃れきれなかったソロ、アベルさんの身体を貫く。上げかけた悲鳴を、タバサは口を強く抑えることで飲み込んだ。



「まだまだァ!」



 レックが大きく息を吸い込む。逞しい胸に溜まった空気、顔がやや紅に染まる。



 一拍の間を置いて吐き出されるは、光。



 いや、目が灼けるほどの熱量を伴った、火炎だ。灼熱の炎が彼の周囲を侵略し、稲妻に弄られたばかりの大地を、男達を容赦なく襲う。

 これは、俺も覚えがある。あまり使わないけど、以前祖父に教わったのだ。



「レックさん、ドラゴン職もやってらっしゃったんですか」



 感心したようにナインが漏らす。天使らしい美貌は橙の光にぼうと照らされ、陰影を濃く帯びている。それでも、彼の口の端がややつりあがっていることに、俺は気付いた。



「以前から興味はあったのです。これは『しゃくねつ』ですね。人体のまま、あんな高温を体内で練りだすなんて」

「覚える手段は違うけど、僕らが使うのとよく似てるなあ」



 アルスも身を乗り出した。二人とも、地面の草が燃えだしてまた大火災になりかけてることについては気にならないのかな?

 轟々と、炎が踊る。火の粉が舞う。熱く燃えたぎる手を、数多天に伸ばす。いつぞやも見た火の海を、まさかまた同じ場所で見ることになるなんてね。



 ソロは? アベルさんは? 俺は目を凝らそうとして、それより先に海の中心に気を取られてしまった。



 レックがまた、空を抱きかかえるように両腕を掲げ、呼気を取り込んでいる。また炎で追撃をかける気なのか?



「なに、アレ!?」



 レックスが指さしたものを見て、俺は考えを改めた。何かが揺らめく炎を反射して、キラキラと輝いている。

 違う、炎じゃない。



「細氷だ」



 俺が呟くのと、レックが溜めたそれを吐くのが同時だった。

 ダイヤモンドの吐息は瞬きより速く一面に広がり、踊り狂っていた炎を、その踊っていたポーズのまま氷のオブジェへと変容させた。焦熱地獄が、青蓮地獄に早変わり。俺の頬を、風がひやりと撫でる。



「無茶をなさいますね」



 労わるような口調であるくせに、ナインはやはり楽しそうだった。



「あれだけの高温を急激に下げてしまうとは。使う力も相当でしょうに」

「ホント、無茶だよ」



 アルスは反対に、案じる顔つきだった。



「ソロもアベルさんも、どこに行ったんだろう?」



 氷原上に、二人の姿はない。ただ、雪に似た氷の礫が宙を漂うのみ。

 双子に目を移す。二人とも、表情と言葉を無くして地上を見つめている。お互いの小さな手をぎゅっと握り、唇を噛み締めて。



「おーい、隠れてないで出てこいよぉ」



 地獄の創造主は、間延びした声を投げかける。息が白く染まる。そこまで気温が下がっているのか、下は。俺は半分竜神である自分より上手く呼気を操る彼を、腹の底が冷える気持ちで眺める。



 彼の足下に、僅かなヒビが入った。



「うわーおっ」



 ふざけたような声を上げて、レックが上方に吹っ飛んだ。氷片が散って、妙に綺麗な絵面になっている。



「さっむーいっ!」

「さっむーい、じゃねえッ!」



 どうと音を立てて倒れ込んだレックの叫びを掻き消すように、盛り上がった穴から声がした。



「テメェっ、マジで死ぬかと思ったじゃねえか!」

「これくらいで死なねーだろー!? 全身武装してるしー!」



 穴から這い出て来たソロは、焦げていた。しかし、無事である。整い過ぎている顔立ちに火傷もさしてないし、五体も満足に動いている。ソロはずかずかとレックに歩み寄ると、鎧のつま先で蹴り始めた。寝転がっていた彼はぎゃっと叫んで飛び起きる。



「冷たっ! ヒィーッ! くっついちゃう皮膚裂けちゃう!」

「裂けろコンチキショウ! よぉぉく冷えた鎧でドタマ冷やしやがれ!」



 ガスガスと蹴りを連発するソロに、レックは情けない声を上げながら追い立てられる。いつの間にか剣なしの武術勝負、というか取っ組み合いになっている。ソロがレックの胸ぐらを引っ掴んで、レックは鎧をとにかく避けようと軟体動物よろしく身体を動かす。



 が、突然その滑らかな動きが止まった。



「捕まえた」



 レックの足首を掴んだ腕の持ち主は、地下から上半身を覗かせて莞爾とした。双子の顔に、大輪の花束にも勝る笑みが開く。



「お父さんっ!!」

「あーっくっそー!」



 レックは大きく両腕を振り上げて、宣言する。



「負けだ負けだ! 俺の負け!」



 金のつむじ風が、地上へと吹き付ける。受け止めた王者は、大きく体勢と相好を崩して愛しい子達を掻き抱いた。子供達の歓声をBGMに、ソロはまだレックをいびり続けている。



「あれ、おかしいですね」



 先程までの流れはどこへやら、和やかな雰囲気にナインは首を傾げる。



「レックさんは、ソロさんが硬化呪文の使い手であることを知っていたはずです。地中で様子を窺っているのは簡単に予想がついたでしょうし、出てきたところを容赦なく攻めることくらい、安易でしょう。なのに何故、負けを認めるのです?」

「うーん、まあそうだけど」



 相槌を打つアルスは、顎に利き手を添える。



「満足したんじゃない?」

「レックさんなら、もう少し暴れそうな気もします」

「確かに」



 アルスは苦笑している。何となく、この友人も察しているのかもしれない。



 俺は眼下を見下ろして、思わず微笑んだ。レックは地面に腰を下ろし、父親にじゃれる双子を温かな目で見つめている。



「甘いなあ、君は」












※アンケートリクエスト





20141025