僕を許す君がいけない




ナイン×アルス






 好奇心は猫をも殺すということわざがある。
 猫のような九つの命を持つとされる生き物さえ、好奇心のせいで身に危険が迫ってしまうことがある。人間であればなおさらだろう。
 ゆえに、強過ぎる好奇心は身を滅ぼすぞと戒める際によく使われる言葉である。
「だから、ほどほどにしておいた方がいいんじゃないかな」
 僕はそう言って、釣り堀に垂らした釣り糸に目を戻した。
 水面に宿る輝かしい晴天。そこへ差し込まれた針に動きはない。当然だ。何も餌をつけていないのだから。
 僕に釣りをする気はなかった。
 考え事をしたかったのだ。部屋でぼーっとするより、風にさざめく池や、魚や小石を泳がせる川、天空の運行に合わせて表情を変える海を眺めている時の方が思考が巡る。
 しかしそれも、客が来たせいで途絶えてしまった。
 若干の非難を込めて言ったつもりなのだけれど、きっと伝わっても気にしないだろう。
 何せ、相手はパーティーで一二を争う意志の強さを誇る奇人だ。
「アルスさんは、強い好奇心を抱えた状態で止まれますか」
 期待を裏切らない返事が来た。
 溜め息をついて、隣に腰掛けるナインを睨む。
「僕のことはいいだろ。君の話をしてるんだから」
「僕の話はアルスさんの話です」
「普通、人はそこで止まるんだよ」
「あなたは好奇心を捨てられなかったから、あの遺跡から何度も旅立ったのでは?」
「暇だったからっていうのもあるけど、そうかもね。そして世界は変わっていった」
 僕は竿を引く。
 糸が舞って、針が水面から引き抜かれる。鏡のような水面に波紋が散った。
「僕のしたことは、この釣り針程度のものさ。僕の意思に関わらず、世界は巡る。もたらされた変化に応え、変わっていく」
 糸をキャッチした。針を外して、釣具をまとめたポーチに収める。
「ことわざの言う通りだろ? 好奇心は滅びの始まりさ」
「誕生のきっかけとも言えます」
 ナインはなおも言い募る。
「変化は終焉と誕生、二つの顔を持ちます」
「そうだね」
「そのあわいを生きるのが僕らです」
「そうとも言える」
「僕は」
「離してよ」
 ナインが僕の腕を掴んだ手を緩めた。
 僕は彼の双眸を見据え、ゆったりとした調子を心がけて話す。
「僕は君の好奇心を満たすための玩具じゃないんだ。好奇心だけでやっていいことには、限度があるよ。一度は付き合うって言ったけど、これ以上は付き合えない」
「すみません。失礼しました」
 ナインは項垂れた。
 大きな目を悲しそうに歪め、眉を下げている。
 まさか、彼がしょげるとは。
 いたたまれなくなり、目を逸らした僕に、ナインが話しかけてくる。
「確かに僕は、好奇心が強い。知的欲求によって生きていると言っても過言ではありません。好奇心は僕の生きる源ですが、それがあなたを害するのなら、抑える努力をします。あなたについて知ったことも、あなたが望むなら口外しないと約束します」
 顔を正面に戻すと、縋るような目にかち合った。
「だから、すみませんが簡単には引き下がりたくないのです」
 僕は面食らった。もっとあっさり引き下がるか、泰然とした姿勢で迫られるかのどちらかだと予想していたので、どうしたらいいか分からない。
「何で」
「伴侶になってほしいのです」
「え、待って」
 出たぞ。ナインの言い方問題。
 まさか今来るとは思ってなかったから、油断していた。
 僕は深呼吸して、聞き返した。
「色々言いたいことはあるんだけどさ。まず、そこは助手じゃないの?」
「助手でも問題ありませんが、助手という言葉には肉体関係を持っているという前提が含まれていませんよね?」
「移動!」
 屋外、公共の場で話を聞いていた僕が馬鹿だった。
 ナインを引っ張って、傍にあった七号棟の一室、釣り用具倉庫に飛び込んだ。
 扉と鍵を閉め、息を吐く。
 これで、少なくとも誰かに聞かれる心配はない。
「僕はそもそも昨日、僕にもうこれ以上、その──『好奇心』を持つなって話を、君にしたんだったよね?」
「はい」
 ナインは頷いた。
「しかし、僕はもっとアルスさんと冒険したいです。いろんな世界に出かけたい。もちろん、性的な方面でも」
「言い方やめろ!」
 こいつ、わざとか?
 自分でも顔が赤くなってるのがわかる。今、顔がすごく熱い。
 僕はナインの胸を人差し指で突いた。
「よく考えて。君のその、僕にしていたアレは、人体への好奇心だったんじゃないの?」
「最初はそうでした。しかし、繰り返すうちにアルスさんという個体の反応パターンに興味が移りました」
「いや、だからって伴侶はないよ。第一そんなの、すぐ追求し終わる」
「永続的にコンビを組んで様々なことに取り組むのには、最善の選択だと思ったのですが」
「にしても、そんな」
「アルスさんは、僕と組むのがもう嫌なのですか」
 僕は内心頭を抱えた。
 本当のことなんて言いたくないけれど、嘘もつきたくない。
 言葉に悩みながら、口を開いた。
「パーティーを組むのは、いいよ。僕だってまだまだ知りたいことがたくさんあるし、君は頼りになる。二人で世界を冒険するのは、発見が多くて楽しい」
 ナインの表情がぱっと明るくなった。
「では、僕とのキスは?」
「いや、だから何でそこにこだわるの? 好奇心だけでそういうことするのはもうやだって言ったじゃん」
「好奇心は、僕にとって愛と同義です」
 ナインが僕の手を取り、体を寄せる。
「アルスさんを見てるとキスしたくなるんです。生理的興奮現象がない時でもです。キスした感触や反応をとっくに知っていても──ええ、初めてした時よりも強く、あなたに触れたくなる」
 その表情は真剣だった。
「アルスさん。これまで、僕の人体への好奇心だけに付き合っていると思わせてしまっていたこと、すみませんでした。天使失格ですね。察してもらえている気になっていて、大事なことを言っていませんでした」
 愛しています、とナインは言った。
 僕は唖然とした。
 嫌がらせだろうか。いや、それはない。
 元天使、今でも生粋の純粋さを持つナインには、悪意が存在しないのだから。
「いくら僕でも、誰彼構わず体の関係を持つことはしません。人間心理に疎い僕ですが、無遠慮に関係を持てば社会が崩壊することは知っています。それは、世界を愛する者として、やってはならないことです」
 ナインは握り込んだ僕の手を、己の胸に添える。
「アルスさんは、僕の気持ちを知っているものだと思い込んでいました。だから、体を触らせてほしいと頼んだのです。本当に申し訳ありません」
「僕のこと、好きなの?」
 呆けたような声が出た。
 ナインは頷く。
 何だ。
 てっきり、僕だけが一方通行の気持ちを抱えていて、身を委ねてしまったのかと。
 ぼんやりしていたら、さっと顔を寄せて唇をさらわれた。
 驚いて、今度は顔だけでなく全身熱くなった。
「ちょっ、と、急にやめてよッ」
「抱きつかれたからいいのかと。早まりましたか、すみません」
 無意識に寄せていた身体を指摘されれば、返す言葉もない。
 顔を伏せていると、ナインの笑みを含んだ声がする。
「アルスさん。簡単に気を許しすぎですよ」
「うるさいな」
「僕だから良かったですが、こういうことは誰にも許さないでくださいね」
 君のせいだろ。
 抗議した口は、また吸われた。













20220530 診断メーカー「お題ひねり出してみた」をもとに執筆