のっぽの影法師






 悠久の桜咲き誇る王都カミハルムイの宮城へ、小さな白き桜が舞い込んだ。
 万年桜の花弁を織り込んだ、その手漉きの便箋は、風の町アズランより飛脚によって運ばれてやってきた。手にすると、長寿の桜たちがこぼすのとは異なる、新鮮な風の匂いがした。
 それは、萌芽の香り。
 新たな葉が芽吹いたときに木々がこぼす、喜びの息吹だった。
(そうか。アズランにようやく、新たな風乗りが生まれたか)
 老王ニコロイは封を解いて中身に目を通す。次第に、自然と相好を崩していた。
 手紙には、送り主であるアズラン領主タケトラの、格式ばった文章に隠しきれない喜びがにじみ出ていた。
 長くツスクルの学びの庭に行っていた娘が、風乗りになる決意を固めてくれたこと。
 それもほかならぬ、アズランの民のことを思っての行動であったこと。
 スイの塔に魔の者がよこされていて苦戦したが、見事風の衣と手綱を持ち帰ってきたこと。
『スイの塔に魔の者が棲みついていたこと、非常に気がかりではありますが、現在異常は見られないようです。新しい風乗りが就任して十日経ちます。アズランの風は日々清らかになり、悪心を抱く魔物は里より離れ、町の者も健やかに過ごしております』
 その他、手紙には風送りの儀のことや、アズラン地方の様子などが事細かに記載されている。
 一通り目を通し、至急手を打たねばならない事態は起きていないことを確認して安堵した。
 アズラン地方は風の要所だ。あの場所に異変があれば、大陸全土に影響が出るおそれもある。レンダーシアとの連絡が途絶え、アストルティア各地で魔障が発生している今、アズランに新たな風が吹き始めたことは僥倖だった。
(嬉しい便りというのは久々だ)
 玉座について、もう長い。その月日から、心の底から喜べる吉報というのはめったに来ないものだと教わった。多くは泰平が揺らぐ不安につながる話ばかりなのである。
 久々に訪れた純粋な喜びを噛み締めようと、もう一度手紙に目を落とした。
 ちょうど、タケトラが新しい風乗り──彼と、先代風乗りの娘である──が継承を決意した次第について綴った部分だった。
『これは、娘の儀式を手伝ってくれた者から聞いた話なのですが』
 タケトラは、常々娘が心を開いてくれないと嘆いていた。
『人にはきっと、それぞれやるべきことや行くべきところがある。自分の場合はそれが風に乗ることだ──そのように、娘が言っていたそうです。その言葉を聞いて安心すると同時に、嬉しく思いました。
『娘の望まぬ道を強いることは、領主としても親としても良い結果には結びつきませんでしょう。一時は、娘でない者を風乗りにとも考えました。しかし、娘は自分で故郷アズランを守りたいと言い、風乗りになることを選んでくれました。
『娘が学びの庭に行っている間、私は我が身を振り返っておりました。六年前、娘はカムシカを憎んで町を出ていきました。あの時、どんな言葉をかけても娘は風乗りになろうとはしませんでした。当然、腹が立ちました。
『けれど、思い返せば妻も私も、アズラン地方のことや風のことで手いっぱいで、これまで娘と向き合ったことがあまりありませんでした。これまで娘を見てこなかった我々の態度が、今の娘にあらわれているのではないか。向き合えなかった時間が、娘の心をかたくなにさせたのではないか。時が経つにつれ、そう思われて仕方なく、娘にアズランへ戻ってくるよう言いづらくなっていきました。
『しかし、アズランは風の要。悠長にはしていられませんので、今年は帰ってくるよう伝えていました。娘は帰ってきた当初こそ強ばった顔をしておりましたが、母親の墓参りをした後には柔らかな表情になっていました。私は、フウラを案じた同窓の友の働きかけと、カムシカたちの献身が娘の心をほぐしたのだと知りました。
『この六年、娘は未熟なりに苦しんだのでしょう。本人の未熟さ故の苦しみでもありましょうが、子の未熟は親の未熟です。私も自らの非力が憎く、先立った妻を恨めしくさえ思いました。
『それでも、フウラは変わってくれた。大きな悲しみから逃げるようにツスクルへ発ったフウラが、よどんだ風に苦しむ町の者の手を取り、立ち上がることができるようになりました。ありがたいことです。これも、長きにわたりフウラを受け入れてくださったヒメア様のお導き、学びの庭の師兄らの教え、そして同窓の者らの心くばりのお陰でございましょう。
『我々親子は、各方面へご迷惑をおかけしてきました。これより、その分のはたらきをする所存でございます』
(学びの庭か。懐かしい)
 学びの庭は、より高き知恵を身に着けたいと願うエルフなら誰しも一度は戸を叩く場所である。
 ニコロイも、かつて髪が青々としていた頃は、ツスクルの草原の上を跳ねまわっていたものだ。
(人にはやるべきことや行くべきところがある、か)
 フウラが言ったという言葉を噛み締める。不慮の事故で母を失った少女の六年を思うと、感慨深いものがあった。
 エルトナ大陸を統べるカミハルムイとしても、風送りの儀は規則通り行うことが望ましかった。にも関わらず、それをフウラに強いなかったのには二つのわけがある。
 一つは、風乗りは心から風を吹かせたい者でなければなれないから。エルドナ神の恵みは、嫌々与えられるような安いものではない。
 もう一つは、フウラの身の上に自分を重ねて同情してしまったからだ。
 ニコロイは、幼い頃に家族を全員亡くしていた。
 朗らかな父王。優美な母后。そして物静かで賢い姉。
 良い家族だった分、喪失感は途方もなく大きかったようで、家族を亡くした当時の記憶はあまり残っていない。おぼろげに思い出せるのは、侍従の背中に負われて見た旧都の黒ずんだ影と、遷都の慌ただしい空気程度である。
 老王は格子戸の外へ目を向けた。
 遷都して五十年。旧都から移植した桜の巨樹を囲うようにして植えた前栽は、降り積もる薄紅の花弁に劣らぬ常緑を蓄えた。
 新しき風が吹けば、古き風は散っていくだろう。
 魔障が活発化すれば、腕利きの勇士たちが立ち上がろう。
(ならば今こそ、故きを温ねる時かもしれぬ)
 老王は目を瞑る。
 その瞼の裏には、彼のふるさと──新都が背を向けた、旧カミハルムイ王城の影が浮かんでいた。






+++



 エルフ族の王都カミハルムイに不穏な空気が流れている。
 その中心には、五十年ほど前に突如捨てられた旧カミハルムイ王城の存在があるらしい。
「私たちエルフにとって、遷都というのはとてつもない大事なのです」
 イム曰く、風の民エルフにとって移ろいの儀式は浄化を意味する。
 アズランで古き風を清めるために風送りの儀が行われたように、エルフは決まった手順で「変化」を迎えることで、古きものの澱みを払えると捉えているそうだ。
「エルフにとって、『変化』は禁忌ではありません。エルドナ神は風の神ですから、変化自体は聖なるものとして捉えられます。しかし、遷都だけは違うのです」
 そもそも旧都カミハルムイは聖地であった。太古の樹霊たちが集う夢幻の森の奥地であった旧都は、魔障を清める力を蓄えており、エルトナ大陸の命の要であったという。
 そのような要所を守るため、多くのエルフたちが集った。そのうち聖地に通じる力の強い者が祭祀となり、祭祀の長が王となり、カミハルムイの都が誕生した。
 こうした歴史を持つ旧都を捨てざるを得なかったというのは、大変なことなのだ。
 何せ、かの聖なる地で、不浄を清めきれず、浄化の力までも失うような忌み事が起きたということなのだから。
「学び舎の古老たちさえ、五十年前の遷都については口を噤みました。歴史書にも、遷都したとあるだけで詳細は記されていません。聖地の不浄……最近の状況とよく似ています。調べれば、魔瘴の活発化を和らげる手掛かりが見つかるかもしれません」
「最近の?」
「ええ。世界樹の内側から、魔障が噴き出したのです」
 イムのいたツスクルの北東、久遠の森の最奥には世界樹の生える丘がある。
 エルフたちにとって神聖なその地で、世界樹の内部から魔障が噴き出したのを見たのだそうだ。
 世界樹は生命の恵みの樹である。触れた人間の命を奪い、魔物すら狂暴化させる魔瘴がそこから噴き出すのは、異常なことだった。
「世界樹は無事だったのか?」
「はい。世界樹から魔障が出た時、空から大いなる光が降りてきました。あれは、レンダーシアより放たれた勇者覚醒の光だと聞いています」
「光……」
「僕たちが見たのと同じだね。エックス、覚えてる? あの時は僕が主に動いてたから、覚えてないかな」
 ウェディのエークスが問いかけてきた。
「いや。あの光なら、よく覚えてる」
 レーンの村のさらわれた花嫁キールを取り戻しに、花婿アーシクとヒューザと共に亡霊と戦った晩。
 魔瘴の力で暴走する亡霊は、突如夜空を駆けぬけた白光によって闇を払われ、我を取り戻した。
 魔の濃厚な気配が立ち込める夜を、さざ波のように洗い流していった、あの光。
 星々は喜ぶようにちかちかと煌めいて、空は一時高揚したように裾を薄紅に染めた。
 突然よく分からない体に蘇ることになって混乱していたエックスも、あの時ばかりはあまりの絶景にすべてを忘れた。
「あの光によって、魔瘴は払われました。その後、世界樹の精霊が身を捧げて世界樹を復活させてくれました」
 イムは細い顎に手をあてた。
「これまでに世界樹は、悪しき者が現れるたびに何度も滅ぼされかけてきたのだそうです。そして勇者もまた、混沌の中に生まれる者。光は同時に大いなる闇の誕生を示してもいるのです。ならば光と闇がせめぎ合った場所へ行くことで、正体を確かめることもできるでしょう。旧カミハルムイ王城は、古くはエルトナ大陸の聖なる力の心臓とまで称されました。あの地について調べて、聖地が力を失った理由を知れば、現在の異常を解き明かすこともできるかもしれません」
「それ、オレたち二人だけでできるのか?」
 話の規模が大きすぎる気がする。こなせる気がしない。
 エックスが問うと、イムは首を横に振った。
「調べごとだけならば私たちだけでいいでしょう。けれど、この先どんな荒事が待っているともわかりません。知り合いにサポートを頼んでいます。現地の酒場で合流する話になっているので、支度ができたら私のルーラストーンで飛びましょうか」
「支度?」
「あなた方は生き返しの後遺症を心配して、この町へ湯治に来たんでしたよね?」
「あっ」
 そうだった。風送りの儀のサポートクエストの悔しさで、忘れていた。
 イムはエクスの身体の状況を診てくれた。曰く、もう傷も癒え、魂も定着しているという。
「器と魂がうまく合致しています。術者の力も素晴らしいのでしょうが、それだけでなく、お二人の親和性が高かったから一つの体に二つの魂が共存できる形になっているのでしょう」
 エクスにはよくわからない呪文やら器具やらをひとしきり使った後、イムはそう評した。
「各地で生き返しの術を受けた者が出ているという噂は聞きましたか?」
「うん」
「生き返しを受けた者は、皆生き返った形がそれぞれ違うようです。二つの魂が融合した者、記憶障害の生じている者、器の魂は完全に去って、別人の魂が入っている者など、状況はさまざまなのだとか。生き返しの術は奇跡ですから、術者の思う通りには操れないということでしょう」
「イムも生き返しの術を受けたんだよな?」
 エックスが尋ねる。イムは器具を片付けながら答える。
「そのようなものですね」
「俺は、姿の見えない声にいろいろ言われて、器を借りる種族を選べって言われたんだけど、イムはどうだった?」
「エックスさん」
 イムは手を止めて、ベッドの上に座るエクスを仰ぎ見た。
「私が受けたのは生き返しではなくて、蘇りなんです」
 エックスは首を傾げる。エルフは微かに笑った。
「生き返しは命を吹き返させる術です。つまり、術者は命を授けることのできる、力ある神霊ということになります。一方蘇りは、一度冥土に行った魂を帰ってこさせる術。術者は神霊ではなく、蘇生の術に長けた生者です。私の場合は、死んだその瞬間に魂に干渉する力を持つ人が居合わせていた。そのおかげで、蘇れました」
「蘇生呪文ってやつか? すごいな」
 高レベルの術者はザオ系と呼ばれる蘇生呪文を操れるという話は、ダーマ神官から聞いたことがある。
 エックスが感嘆の声を上げたところで、唇が意図せず動いた。エークスが発言したのだ。
「でもそれ、ザオじゃないよね」
「どうしてそう思うのです?」
「ザオ系の呪文は、魂を行くべき場所に導くって聞いたことがある。死ぬさだめの人には効かないんだろ?」
「お詳しい。冥界の狭間では一般常識なのですか?」
「両親が研究者だったから、僕もちょっと興味が湧いて調べたことがあったんだよね」
 イムは笑みを浮かべたまま、長袖で覆った腕を、手袋をした手でさすった。細い指で腕を丹念になぞる様を眺めながら、エックスは彼の素肌に刻まれた刻印のことを思い出した。
「術のことは、私が話すわけにはいきません。いつか、施した人に会うことがあったら聞いてみてください」
「会えるのか?」
 出会えないまま、一生教えてもらうことなく終わりそうだ。
 エックスがそう言うと、イムは小首をかしげた。
「彼は人目に触れることをとても嫌がりますから、何とも。でも、あなた方相手ならば、いつか会って話をすることもできるかもしれませんね」
 イムは窓を見た。エックスも視界の端に何かよぎった気がして、そちらを窺った。
 窓の向こうにはアズランの森が広がっている。枝葉に止まっていたカラスが一羽、声を上げて飛び立っていった。







+++



 アズランの宿を引き払って、イムと共にカミハルムイへ赴いた。
 一言でいえば、王都は美しい場所だった。
 家々は釘を使わず、限りなく自然に近しい形で木材を組み込むことで作られている。黒い瓦屋根に白壁を基調としたデザインが奥ゆかしい。
 白石造りの舗道の上を風が吹けば、ひらひらと淡いピンクの花びらが落ちてくる。光の雨粒のようなそれは、カミハルムイの端正な街並みに文字通り花を添えている、桜という樹木のものなのだそうだ。
「本当ならば暖かく穏やかな季節にしか咲かないのですが、研究の結果、この辺りの桜だけは一年中花を咲かせるようになりました」
 イムが説明して、酒場の軒先に咲き誇る桜の木を見上げた。
 エクスもつられて仰ぐ。葉の代わりに甘い朱を帯びた花で着飾った桜の木は、雲一つない碧空を背景にすると、その儚さと美しさが際立つようだった。
「雪みたいだ。きれいだなあ」
 エックスがぽかんと口を眺めていると、エークスが感嘆した声を漏らした。
「ゆき?」
「エックスさんは雪を見たことがないのですか?」
 イムが問う。エークスはかぶりを振った。
「そう。エックスの住んでた村は、僕の住んでたコルット地方みたいに一年中暖かかったみたいだよ。だから、長袖も着たことがないんだって」
「エックスさんの故郷は、レンダーシア大陸でしたね。エルトナ大陸はそこまで暖かくなることがないので、いつか行ってみたいです」
 エクスたちは酒場に入った。入ってすぐ正面がカウンターになっており、右手側に客が座るためのテーブルが並んでいた。客席側は少し高くなっていて、畳──アズランでも出会った、草を編んだ床だ──の敷かれた座敷になっている。
 座敷はがらんとしていた。隅に一組だけ客がいて、その一人が机にもたれかかりながらこちらに手を振った。
「おーい、イムー!」
 エックスは目を瞠った。
 赤銅の肌に、頭と肩に二本ずつ生えた角。ウェディの自分と背もあまり変わらない、肉付きのいい女である。
(オーガだ)
 好戦的でまっすぐな気性の者の多い、炎と戦いの種族である。
 エックスはオーガとまともに関わるのは初めてだ。しかし、本当に驚いたのはそちらではない。
 女オーガの隣には、兜をかぶった真っ白なモーモンが浮かんでいたのである。
「イム様、久しぶりでごじゃりますもん」
 喋った。意外と声が低く、人間でいうところの中年男と少年の間くらいの不思議な声質をしている。
「かつて受けた恩を返すべく、グレースとこのトロロ、馳せ参じましてごじゃりますもん」
「お二人とも、ありがとうございます」
 イムは座敷を横切り、彼らの正面に座った。エクスもその後に続いてくと、オーガとモーモンがこちらを見る。イムがエクスを指した。
「こちらは今一緒にパーティーを組んでいるエクスさんです。職業は武闘家でしたね?」
「はい」
 よろしくお願いします、とエクスは頭を下げた。
 オーガが己を指さす。
「アタシはグレース。ランガーオ村から出てきて、アストルティアをめぐって武者修行の旅をしてるところさ。で、こっちのかたっ苦しいスノーモーモンはトロロ」
「清廉潔白が評判のスノーモーモン、トロロと申しますもん。よろしくお願いもんしあげます」
 モーモンは中空に浮いたままお辞儀をした。なかなかに癖が強いのも気になるが、それ以上に町の中に魔物を見るのが初めてで、エックスは戸惑っていた。
「エクスさんは、魔物使いに会うのは初めてですか?」
 イムの言葉に頷く。すると、グレースが説明してくれた。
「魔物使いっていうのは、魔物と心を通わせて生きる職業さ。詳しく知りたければ、プクランド大陸のオルファの丘に行ってみな。美人のおねーさんが、優しくサポートしてくれるよ」
「そうですか」
 エックスが知っている職業は、ダーマ神官に教えてもらった戦士、武闘家、魔法使い、僧侶、盗賊、旅芸人の六職だけである。各職業で身に着けた技能は、基本的にその職業についている間しか使えないが、中には職業につくつかない関係なく自分の能力を上げさせてくれるスキルもある。だから、新しい職業の存在を知れたことはありがたかった。
 のちほど、地図上でオルファの丘を調べてみよう。
 エックスがそんなことを考えていると、グレースが声をかけてきた。
「あんた、ウェディなんだよね?」
「はい」
「ふーん」
 グレースはどこか訝しげな様子だった。
「アンタみたいに、美人って聞いても何の反応もしないタイプのウェディもいるんだね」
 やばい。怪しまれた。
 エックスは強いて何事もない風を保ちながら、湧き出てきた背中の汗が収まることを祈った。
 別に、正体がバレてもいいのかもしれない。しかし、ネルゲルやレーンの村の面々のことを考えると、うかつに人間の自分の存在を表に出そうと思えなかった。
「確かに、ウェディには素敵な異性って聞いたらリアクションしちゃう人が多いかもね」
 何も言えないエックスの代わりに、エークスが話し始めた。
「ウェディ族のモットーは、人とのつながりやつながりから生まれた心を大切にすることだと僕は思うんだ。ウェディが十人いれば十通りの人の好みがあるけど、根っこのところはみんな、大事な人への愛を大切にしたいんだと思うよ」
「へえ」
 グレースは起伏の乏しい返事をした。関心の有無が分かりづらい。
 エークスは構わず話し続ける。
「ウェディの男が美人さんを気にかけやすいのは、美人さんに見る人の心を動かす力があることが多いからじゃないかな。ウェディは感情の動きに敏感だから、そういう感情を動かしてくれる人と関わりたくなるんだと思う。だから中には僕みたいに、きれいとか醜いとかそういう時代や種族の基準はどっちでもよくて、いろんな人と関われるだけで満足できるタイプもいるんだ」
「変わってるね」
 グレースはばっさり切った。
「そうかもな。でも、真面目なウェディだろ?」
「真面目かどうかは知らないし、どうでもいいけど、アタシからすれば付き合いやすいわ。下手に見た目とか性別とか気にされるの、面倒くさいんだよな。アタシが見てほしいのは戦いの腕なんだから」
「わあ、かっこいいなあ」
 グレースはエークスと握手した。エックスは内心で大きく胸をなでおろす。
 よくわからないが、人間だとバレなくてよかった。
「じゃあ、仕事の話をしようか。イムさん、カミハルムイの捨てられた城について調べたいんだったね」
 グレースは周囲を見回す。店内はがらんとして、客は誰もいない。カウンターでマスターがグラスを磨いているだけだ。
 それでもオーガは声を潜めた。
「ちょっとだけ噂を集めてみたんだ」
「どうでした?」
 イムが尋ね返す。グレースは吊り上がった眉根を寄せた。
「前のカミハルムイの城、結構やばいっぽいよ。しかも、今のカミハルムイ城にも何か起きてるみたいだ」








 今から五十年前、現王ニコロイ以外の王族がたった一日で亡くなった。
 原因はまったく分からない。亡くなったのは当時のカミハルムイ王と王妃、そしてニコロイの姉であるという話だけが伝わっている。
 その王族の死と時を同じくして、カミハルムイに秘めた聖地が力を失い、城が急激に朽ち果てはじめた。
 一連の事件を、人々は王家の呪いだと恐れた。
 そして、まだ幼かったニコロイ王を連れて都を捨て、夢幻の森の南に新しい都を造ったという。
「で、なんでこの話を城の人たちから聞けたかっていうと、最近も捨てられた城に関わる噂があるからなのさ。現王のニコロイが、ちょくちょく捨てられた城に通ってるんだって」
 グレースは右の手のひらを広げた。
「通い始めたのは、五年前に王妃が亡くなってから。カミハルムイの人たちは不安がってるよ。王様に何かあっちゃあ、民族の危機だからね」
「ニコロイ王のお世継ぎは、亡くなられたお妃様との間に生まれた姫だけ。しかもまだ若くていらっしゃりますもん」
「陛下が、そのようなことを」
 イムは利き手で髪を一房取り、指に巻きつけてはほどくのを繰り返している。
「陛下は堅実な執政で知られた方です。理由もなく禁足地に出入りするとは思えません。まずは城へ行って、謁見を願いましょう」
「会ってどうするんだ?」
「ご挨拶を兼ねて、様子を見るだけです。カミハルムイの住民でもないのに、急にこみ入ったことを尋ねても角が立つだけでしょうから」
 イムを先頭にして、酒場を出た。
 宿の北西に、カミハルムイ城の南門がある。そこへまっすぐ向かおうとしたところ、大通りから一人のエルフ女性が駆けてきた。
 女性はイム目掛けて走ってきたようで、彼が足を止めると彼女も歩を緩め、その顔をまじまじと観察して言った。
「あなた。もしかしてツスクルのイムさん?」
「はい。私がイムですが」
「やっぱり! 私、昔あなたに夫の薬を作ってもらった者です。リンドウといいます。ずいぶん大きくなってたから、ちょっと自信がなかったの」
 彼女は相好を崩した。
「あの時は本当にありがとうございました。おかげで夫もすっかり元気になって、船頭の仕事を続けられていますわ」
「それは何よりです。これからもお身体を大切にするよう、お伝えください」
 はい、とリンドウは頷く。
「ところでイムさん。もしかして、城へ向かわれるの?」
「ええ」
「なら、一つ頼まれてくださらないかしら。実は、ニコロイ様が昨晩出かけられたきり、お戻りにならなくて」
 エクスはグレースを見た。彼女も視線を合わせて頷いた。
 イムは会話を続ける。
「見つからないのですか」
「ええ。詳しくは分からないけれど、どうも最近こういうことが多いようなの。呪われた大地の浄化のめども立たないし、魔障も活発化してるこの状況で、ニコロイ様に何かあったら嫌ですわ。イムさんは、腕利きの魔法使いでもいらっしゃったわよね? できたら、お城に行ってコトル大臣に声をかけてくださいな。すっかり参ってるから、きっと心当たりを教えてくださるはずよ。大臣は、ことを解決してくださった方には、褒賞をお渡しすることも考えているという話ですわ」
「分かりました。できることがないか、見に行ってみましょう」
 イムは女性と別れて、城門へ向かう。その後をついていきながら、エックスは彼の背中を見送る女性を少し振り返る。
「イムって有名人なんだな」
 グレースが、知らないのかと目を丸くする。
「エルトナ大陸じゃあ、ちょっと知られてるよ。薬作りの名人でね。学生だった頃、各地の素材を集めて薬を作って、必要そうな奴に無償で渡してたんだ。アタシたちもそれで世話になった」
「グレースも?」
「うん。二回」
「トロロもでごじゃりますもん!」
 モーモンがエクスの顔の前へ飛んできた。
 危うくぶつかりそうになるのを、頭を後ろにそらして躱した。
「あれは今から七十五日前! グレースとトロロはロンダの氷穴で死闘を繰り広げましたもん。激しい戦いの末に、凍傷で死にかけたところを村人に救出されたものの、もはや虫の息。そんな絶体絶命の危機を救ってくださったお薬が、イム様印のお薬だったのでごじゃりますもん!」
「バカ。でかい声で恥晒すんじゃないよ」
 グレースはモーモンを鷲掴みにした。
 トロロは短い手足と羽をばたつかせている。
「離すんでごじゃりますもん! トロロはイム様の武勇伝を語りたいのでごじゃりますもん! この暴力仲間オーガ! 離すんでごじゃりますもむぐぐ」
 グレースが、空いていた方の指でトロロの口をつまんだ。
 そして、エックスにむぐむぐと呻くトロロをかかげて示す。
「モーモンの口をふさぎたいときは、必ず首根っこを掴んでから口をつまんだ方がいい。そうしないと、こいつらの口がペリカンみたいにガバッと開いて、アンタの拳を飲み込むからね」
「はあ」
「さっきの話は聞かなかったことにしておくれ。ロンダの氷穴なんて初級ダンジョンで、モーモンと取っ組み合いの喧嘩して死にかけたなんて、恥ずかしくて言えやしないよ」
 グレースは何やらぶつくさ言っている。
 一方エックスは、彼女のモーモンを押さえつける両手を眺めて考えていた。
(モーモンの首って、どこなんだろう)
 門をくぐり、城の敷地に踏み込む。
 カミハルムイ王城は、白砂青松の上品な宮城であった。
 屋根は漆黒の瓦張り。壁は純白の漆喰。城下町と同じモノトーンの色調で統一されている。
 ウェディやオーガの身長で見ると、決して大きくはない建物であるが、その分造りが繊細だった。
 まず、廊下や部屋の床は板目調で、丁寧に漆が塗りこんである。慎ましい艶を帯びていることから、念入りに手入れをしていることがうかがえる。
 次に、敷地をぐるりと一周するたった一本の廊下で、すべての部屋が繋がっている。シンプルながらつまらないとは思わせない構造で、面白い。
 そして、何よりも見事なのが庭だ。
 カミハルムイ城には大きな中庭があって、廊下の開け放しになった出入り口からいつでも行けるようになっている。
 そこはこまやかな白砂が敷き詰められた、優美な楽園であった。
 中心には、桜の古木。周囲にはエルトナ特有の常緑の木や広葉樹林がそこここに佇み、小さな花々や澄んだ池泉を守っている。
「綺麗な庭だなあ」
 エックスが初めて見る景色に驚いていると、エークスが感嘆の溜息をもらした。
「エルトナ様式は、美しいって言葉が本当によく合うよ」
「ふーん。どのあたりが?」
 グレースがあたりを見回しながら問う。エークスは両手を掲げた。
「それはもう、全部! 人の手で作ったものと、自然のもののバランスがちょうどいいんだよ。僕らウェディの街は、水こそたっぷりあるけど、植物まではあまり組み込んでないんだ。エルトナ様式は、川も、木も、池も、花も、何でもうまく組み込んで、自然とも人工物とも言いきれない庭を造る。特にこのカミハルムイ城の庭は最高だって聞いてたから、見てみたかったんだよ」
 エークスは桜の古樹の前へ駆け寄っていった。
 めいっぱい頭を上げて、豊かな桜花の天蓋を仰ぐ。
「すごいなあ。桜ってこんなに大きくなるんだ」
「その桜は特別ですからね」
 近くに佇んでいた女性が、くすりと笑って話しかけてきた。
「注連縄というものを知っていますか。この幹に巻いてある、紙を挟んだ太い縄のことです」
 女性が指す通り、巨樹にはエークスの胴の太さは超えているだろう見事な縄が巻いてある。
「注連縄は聖なるものを守るために巻かれます。この大きな桜は、旧都から移植してきたのです。前の城で亡くなった先王ナシュロイ様と、王妃アグシュナ様の墓標代わりと聞きました」
「二人だけですか?」
 寄ってきたイムが尋ねる。女性は顔を曇らせる。
「ええ」
「おや。そこのお若いのは、この桜に興味がおありかな」
 そこへ、老いたエルフの男が歩み寄ってきた。イムが彼の方へ体の向きを正す。
「はい。五十年前の悲劇について、少しだけ聞きました」
「そうか。大きな事件じゃったからのう」
 老人は桜の古木を見るともなしに眺める。
「あの日は、とんでもない日じゃった。まさかリタ姫が──」
「爺さん!」
 明後日の方から声がした。
 見れば、池泉にかかる朱塗りの橋の上で、エルフの老女が彼を睨んでいた。
「それ以上はいかん。あの姫の名を口にすると、災いがやってきますぞ」
「そ。そうかのう」
 老女の剣幕に、老人はとぼとぼと去っていった。
 エックスはピリついた空気を肌で感じた。
(この人たちは、遷都に体験したんだ)
 カミハルムイの禁忌は、まだ生きているのだ。
 ひやりとしたものが、背中を走った気がした。
「玉座へ行きましょう」
 イムが促した。
「大臣に城へ入る許可をもらわないと、盗人扱いになってしまう」
 指さした先には、立派な天守をいただく正殿がある。
 観音開きの扉の前に、兵士長と、恰幅のいい小柄な男が一人。
 イムが双眸をつと開いた。女性が黄色い声を上げる。
「まあ、キュウスケ様だわ!」
 男は戸を開け、大股で玉座の間へ入っていった。
 オールバックの後頭部とエルトナ風の礼服しか見えなかったが、ドワーフだろうとエックスは考えた。背格好や大ぶりな仕草に、そういう雰囲気があった。
「ふむ。本当にキュウスケのようですね」
「知り合い?」
「そうですね」
 イムは驚いていたのも束の間で、すぐに笑みを浮かべた。
「ちょっと玉座の間を見に行きましょうか」
「え? 大臣と話すなら、あのキュウスケって人が出てきた後の方がいいんじゃあ」
「キュウスケなら大丈夫。ほら、早く」
 どこかウキウキした風のイムに急かされて、エクスとグレースも玉座の間に向かう。
 扉の前に立つ兵士長に、陛下捜索に協力したくて参りましたと告げ、入室の許可をもらってから玉座の間を開いた。
「コトル大臣! 学びの庭をかつてない成績で卒業したこの奇跡の秀才、キュウスケをお呼びですかな?」
(言葉もでかいなー)
 扉を開くなり聞こえた名乗り口上に、エックスはそんな感想を抱いた。
 玉座の間には、大柄な大臣の前にひざまずくキュウスケの背中があった。大臣はキュウスケの姿を認めると、点のようだった目を糸のようにした。
「おお! キュウスケ、来てくれたか。実はまたニコロイ王が捨てられた城へ行ってしまわれてな。すまぬが、様子を見に行ってくれ」
「ハイッ! お安い御用で」
 男は機敏に立ち上がり、大股で出口のあるこちらへ近づいてきた。
 後ろに撫でつけた紫髪、口周りに生えた四角いひげ。
 笑い皺のあるふくよかな頬と愛嬌のある目が、社交的な雰囲気を醸し出している。
 間近まで近づいてきたキュウスケは、イムの姿を認めると一瞬立ち止まってにやりと笑った。
 それにイムがどう返したか、エックスは見られなかった。キュウスケの耳の形を確かめて、驚いていたからだ。
(耳がとがってる)
 キュウスケはドワーフではなく、エルフだった。
「エルフじゃん」
 キュウスケが出て行った後、グレースが呟いた。エックスと同じことを考えていたようだ。
「おお。そなたらは旅人か」
 大臣がエクス達に気づいた。
「今の話を聞いていたか。いや、それは良い。兵士長が通したということは、そなたらもワシの頼みを聞いてくれる気があるのだろう?」
「はい、陛下の身を案じて参りました。私はツスクルのイム。こちらは仲間です」
 イムはエクス達のことを紹介する。大臣は大きく頷いた。
「王はおそらく旧カミハルムイの王城、捨てられた城へ行っている。王は、あの地の忌まわしい過去を解き明かそうとなさっているのだ。あそこは不吉で恐ろしい地ゆえ、先ほど向かわせたキュウスケ一人では苦戦するだろう。奴も、同窓の友が行くならば心強いに違いない。どうか助けてやってくれ」
 イムは両腕を一つに組み合わせるエルフ式の礼をして、玉座の間を辞した。
 中庭に出てみると、すでにキュウスケの姿はない。すでに捨てられた城へ向かったらしい。
「学びの庭の秀才だってね。イム、そうなのかい?」
 グレースが問うと、イムは頷いた。
「ええ、間違いありませんね」
 玉座の間にいた時は真剣な顔をしていたのに、今は口角が勝手に上がってしまって仕方がないようである。声もやや弾んでいる。
「キュウスケは、私と一緒に学びの庭を卒業した同期です。恋人に会うためだけに、卒業試験の一次試験だけを連続合格し続けた、ある種驚異の成績の持ち主ですよ」
「何それ。すごいの? すごくないの?」
「私はすごいと思っています。インチキ商品を学徒や旅人に売りつけようとするヤクザなところさえなければ、学びの庭での評価ももう少し高かったでしょう」
 イムはこらえきれないようで、笑い声を漏らした。
「いやあ、あの様子。ツスクルを出てから力と自信をつけたようですね。ツスクルを出て王都カミハルムイを真っ先に目指すとは、キュウスケらしい。今の彼ならば、私たちが行かなくてもうまく事を解決しそうな気もしますが、乗り掛かった舟です。協力しましょう」
 エルフは颯爽と歩いていく。
 エックスは後に続きながら、早々に先へ進む手掛かりがつかめそうなことに安堵していた。






+続く+