03 半竜の付き人




 冒険者は皆、冒険の書を持っている。この記録は、冒険者が命を失った際の守護のために必要なのだと思っていたが、どうも仕組みはもっと複雑らしい。 「各世界ごとに、世界全体の出来事を記録する大きな冒険の書が一冊、あるものだと思ってください。これを仮に、『世界の書』としましょう。各個人が持っている冒険の書は、その複製であり、分身のようなものです。冒険者達が教会で祈りを捧げることで、個人の経験が確かなものとして、世界の書に上書きされ、保存されます。この仕組みについて、詳しく聞きますか?」
「いいえ」
 レックは答えた。
 顔こそ動かしていないが、斜向かいに座るサンドラの視線を感じた。「なに、その不自然な返事」と、目が言っている気がした。仕方ないではないか。腹がいっぱいになると新しい物を食べられないのと同じように、頭も知識でいっぱいになったら本当に知りたいことを知ることすらできなくなると、レックは思うのである。
 ムドーを討伐して外に出ると、もう日が暮れるところだった。帰ってきたレック達に、リッカは満面の笑顔と美味しい食事を用意し、さらにこちらの要望を受けて、レックの部屋に食事を運んでくれるサービスを提供してくれた。リッカの宿屋はすごい。
 食事の場所を部屋に指定した理由は、もちろんクエストのためだ。この宿は熟練の冒険者も多く泊まると言うが、だからこそ、酒場で大魔王の地図について語るのは避けたかった。
「ですから、個人の持つ冒険の書=冒険者といっても過言ではないのです。冒険の書には、所有する冒険者の情報が詰まっています。これまでにどんな場所へ行き、どんなことをして、どんな人に会ったか。皆さんの経験の通りに、記録されています。ですがよくこの冊子を見ていただくと、何でこんなものが記されているんだろう、と思うようなものがあるはずです。その一つが、皆さんの冒険の書の背表紙に振ってある番号です」
 レックは手元の冒険の書を見た。背表紙には「Ⅵ」とある。
「『何番の冒険の書に記録しますか』と、神父様が仰るでしょう。あれとは違います。あれは、世界の冒険の書全体で、何番目に皆さんの記録が保存されるかを表す番号です。背表紙はそれではなく、諸説ありますが、どうも皆さんの所属する世界そのものの番号ではないかと言われています」
「なら、俺の世界はⅥ番目の世界で」
 言いながら、斜向かいの彼女が持つ冊子を見やる。
「サンドラの世界は、Ⅲ番の世界ってわけか」
「その通りです」
 ナインは自分の手にした冊子を掲げる。背表紙には「Ⅸ」と記されている。
「僕の世界はⅨ番──この世界の冒険者の冒険の書の背表紙に、全てⅨと印字されているのも確認しましたので、まず間違いないかと思われます」
 天使は三枚の地図を取り出し、卓上に並べた。レックとサンドラが覗き込む。大魔王の地図にはそれぞれ、関連する英雄の名前が記されている。
「ムドーの地図は分かりやすかったです。『Ⅵ番の勇者レック・モルドオム』とありましたから、Ⅵ番の世界で勇者と名高いレックという名前の人物を探せば良かった。バラモスの地図の方が、分かりづらかったです。何せ、『Ⅲ番の女勇者ロト』なんて、山ほどいますからね」
「ロト?」
「私の世界に代々伝わる、勇者の尊称よ」
 いぶかしげなレックに、サンドラが答える。ナインが付け足す。
「厄介なのは、この番号付き(ナンバリング)の世界は、一つしか存在しないとは限らないということです。夢と現実の世界を経験しているレックさんならお分かりいただけるかと思いますが、同じものを軸としてできあがったそっくりな世界というのは、この時空間において、非常に多く存在するのです」
 ここでナインは、文机から白紙とペンを持ってくる。まず机の上に紙を広げ、その上に絵を描いていく。
「世界というものがどのような存在か、説明します。天使界での世界研究のうち、もっとも世界を捉えた概念として適切だろうと言われていた、有力な学説をお話ししましょう」
 真っ白な空間が、たちまち四角で埋められていく。細長い長方形の中に、仕切りがあり、また四角い長方形が詰められている。レックはまたたきした。
「これ、図書館か?」
「その通りです。僕ら天使は、世界を記録し、監視してきました。すると当然、冒険の書を管理する教会の働きにもふれることになります。彼らを観察した結果、この時空図書館説は生まれました」
 白紙上に、書棚の居並ぶ図書館が生まれる。ナインはペンの尻で、白紙の周囲をなぞる。
「この図書館が時空、一つ一つの書棚が世界軸、本が世界です。僕達物質は、時と空間があって初めて存在できます。その中において、世界というのはてんでんばらばらに存在しているわけではなく、一定の体系をもって存在しています。これが世界軸です。この世界軸にある程度収まったり、はみ出したりする形で存在するのが、世界です」
 さらに二つの人影を描く。片方は白いまま、もう片方を黒く塗り潰す。
「加えて、この空間に本を生み、管理する者がいるとしましょう。広い図書館なので、たくさん必要です。組織のもとに人がそろえば、流れが生まれます。この管理者の派閥が二つあるとしましょう。光の神々派と、闇の神々派です」
 ペンで二人の管理人を順番に示す。
「光と闇は、それぞれ蔵書の管理者としての役割と方針が異なります。すると衝突が起きます。彼らは本の扱いやら有り様について争います。これが光と闇の闘争です」
「そう言われると、なんか、自分のしてきたことがどうしようもないことのような気がしてくるな」
 苦笑するレックに、ナインは返す。
「あくまで、喩え話ですので。諍いは、往々にしてそのようなものです。第三者からしてみればどうでもいいように思えますが、当事者は執着しているわけですから、必死なのです」
「で、私達の住む番号付きの世界は、どうして番号がつけられてるの?」
 サンドラが先を促す。天使はそれが、と肩を竦めた。
「番号の理由については、天使の中でも意見が割れていました。闇の脅威度だとか、数秘学だとか、世界の生まれた順番だとか。僕は、書記長であった大天使様の唱えていた説に、最も説得力があると考えています」
「どんな説なんだ?」
「巨大な世界軸の発生順です」
 ナインは書棚の一つに、大きな長方形を上書きする。
「番号付きの世界に共通しているのは、乱れた調和を取り戻す出来事が起きていること。世界それぞれの起源を調べて推測するに、時空のどこかで、一つの大きな、オリジナルとでもいうべき『摂理』が発生した。この摂理を基本として、光の神々がそれぞれの世界でその摂理を体現する出来事を引き起こし、世界軸を確立させた。番号は、その世界軸が確立された順番です」
「摂理って?」
「何と言えば良いのでしょう。世界というには大きすぎる。原理というには曖昧だ。筋道、道理あたりが分かりやすいかもしれません」
 ナインは言葉を切り、視線を落とした。レックはその先を追う。卓の端に、白い皿が重ねられ、その上に銀のフォークが数本まとめられている。
「それならば、納得がいくんです。複数のよく似た世界があることも、世界を越えた先で、自分によく似た存在に会うことも。また、どの世界でも、同じような者達が、同じような道筋を辿ることも。割合、納得がいくんです」
 銀の食器を映していた夜空の瞳が、レックを映し出す。
「失礼しました。話が逸れてしまいましたね。世界について、おわかりいただけましたか?」
「まあ、それなりに」
「お力になれて、良かったです」
 ナインは微笑んだ。
「次の英雄は見つけやすいでしょう。Ⅷ番は比較的、時空間転移の容易い世界ですし、勇者様のお名前も、他に多くはなさそうです。僕がまた呼んでくる間、この宿でお待ちいただきながら、倒した魔王達の様子を観察していただけますか」
 サンドラは頷いた。
「勿論。バラモスは倒した後、三日で復活していたわ。洞窟から出る気配がないからいいものの、不死なのだとすると困ったことになる」
「ムドーもそうだったら、どうしたらいいんだろうな」
 レックは額に手を当てる。多くの敵と戦ってきたが、復活してくる敵など、初めて聞く。
「まず、世界に被害が出ないことが一番です。倒すか封印するかは、その後考えましょう」
「そうだな」
 その日はそれで解散となった。
 二人が部屋を出た後、入浴を済ませたレックは、寝間着に着替えて早々、寝台に倒れ込んだ。
 久しぶりの戦闘で疲れた。あまりに濃い一日だった。うつらうつらする彼の頭の奥で、今日の出来事が甦り、無意識の暗がりの中へ溶けていく。
 ──番号付きの世界に共通しているのは、乱れた調和を取り戻す出来事が起きていること。
 最後に聞いた天使の台詞が、木霊する。
 ──この摂理を基本として、光の神々がそれぞれの世界でその摂理を体現する出来事を引き起こし、世界軸を確立させた。
 レックの世界は、二つあった。
 ──複数のよく似た世界があることも、世界を越えた先で、自分によく似た存在に会うことも。
 臆病な自分と、無鉄砲な自分と、どちらが自分だったのだろう。
 ──また、どの世界でも、同じような者達が、同じような道筋を辿ることも。
 仲間達の顔が浮かぶ。故郷に戻った者、旅立った者、消えた者。
 ──割合、納得がいくんです。
(考えて、どうなるんだ)
 レックは夢うつつに思う。
(みんなに出会えた。楽しかった。それだけで、いいじゃないか)
 鮮やかな冒険の記憶が瞼の裏に浮かんでは消えていく。眺めながら、レックはまどろみに落ちていった。






▶︎▶︎▶︎



 ムドーを倒してから二日が経った。ナインはまだ姿を見せない。
 レックはサンドラと大魔王の巣窟の観察を続けている。バラモスというトカゲの怪物はまだ動き出す気配がなく、ムドーは依然として蘇生しない。
 ずっと見張っていても仕方ないので、日に四回の監視の他は、セントシュタインの街を散策して過ごしていた。
 見慣れぬ世界を観察するのは楽しく、最初の一日こそ本当に眺めるだけで終わったが、二日目からは実際に触れて体験したいという気持ちが強まり、ついに商店街での買い物を決意した。
 八百屋に行く。げんこつダケという、傘の部分が拳骨のような形をしたキノコが気になっていた。
 調理法は知らないが、食せる自信さえあればいいだろう。解毒呪もある。リッカの宿には、プライベートキッチンという、VIPルームの利用客が自由に使える調理場だってある。見知らぬ土地での失敗も、冒険の醍醐味だ。店頭の拳骨の山から六つ程度取り、他にもキノコを数種持ってから、会計に向かった。
 翌朝、レックは食材を持ってプライベートキッチンに赴いた。隣の大きな厨房に比べて随分小さいが、必要な設備がよくそろっていて、団体三組が調理できる分のスペースがあった。
 先客が一人いて、リズミカルな包丁の音が響いている。レックはそちらに背を向ける形で、作業台に食材を置く。今日作ろうと考えているのは、げんこつダケその他キノコ数種のバター炒めのみ。それと、厚切りのハムとトーストを焼いて食べたい。シンプルだが、出来たての旨さが際立つだろうという予想のもと組んだラインナップである。
 まずはキノコを割く。うるわしキノコというのは割かなくても良さそうなので、それ以外のキノコを割いていく。げんこつダケを割いてみると、かなり弾力がある。これは炒めてみたら、きっと歯ごたえがいいだろう。
 まだ見ぬ味覚に期待しつつ、ハムを焼き、トーストをトースターにセットする。ハムを炒め終わり、準備万端なフライパンへバターを入れようとしたレックは、硬直した。
(やっべ。バター買うの、忘れた)
「何か、足りないんですか?」
 振り返ると、先客がこちらを見ていた。すらりとした、線の細い、人の良さそうな青年である。彼の背後には、既に良い出汁の匂いを漂わせている鍋がある。真っ赤な水面に浮かぶ具材を見るに、トマト煮込みだろうか。栗色の髪を押さえつけるバンダナ、固くまくったシャツの袖に、手慣れた料理人の気配が漂っている。
「ああ。バターを買うのを忘れてて」
 すると青年は、自分の作業台の端から、紙にくるまれた白い塊を差し出した。言われなくても分かる。バターである。それもかなり、上質そうだ。
「僕の、良かったら使ってください」
「いいのか」
「もちろん。キノコ炒めにバターがあるのとないのとでは、だいぶ味が違うでしょう」  代わりに、と青年は眉尻を下げ、レックの背後を指さした。そこには、レックが買った一斤のトーストがある。
「お願いがあるんですけど、そのトースト、一枚わけてもらえませんか? 今日の献立にはバゲットが合うかと思ったんですけど、普通のトーストとも合わせて食べてみたいなという気になってしまって」
 レックにバターを借りやすくさせるための、方便だったのかもしれない。しかし彼の困ったような表情を見ていると、不思議に手助けしなくてはという気分にさせられた。
「おう、もちろん!」
 青年にもらったバターを熱したフライパンで溶かし、キノコを投入する。バターの甘い油分が宙に漂い、キノコが香ばしい香りを放ち始めた頃、塩胡椒をまぶして皿によそりつけた。
 フライパンを洗い、皿を抱えて振り返る。青年もちょうど、調理台の片付けを終えたところのようで、手を布巾で拭っていた。
「一緒に食わねえ?」
「ぜひ」
 プライベートキッチンには、使用者のための食事スペースも隣接している。こじんまりとしているが、サンデッキに出られるようになっており、そこにも机と椅子が置いてある。良い天気なのでそちらで食べようという話になり、二人は料理を持って外へ出た。
 セントシュタインは今日も晴天だ。デッキへ踏み出すとすぐ、朝日を浴びた草木の、一番に吐き出した呼気が、清新な風として吹き抜けていく。まだ店を開くには早い時間のようで、商店街にぽつぽつと人が出ては、唯一営業している朝食屋でトーストを囓ったり、あくびを噛み殺したりしているのが見える。
 机の上に料理を広げた。レックのトースト、ハム、キノコ炒めの他に、青年の作ったチキンのトマト煮込み、新鮮な野菜のサラダ、ニンニクとオリーブオイルで焼いたバゲットが並べば、賑やかな食卓になる。
 二人で向き合って座り、ほぼ同時に手を合わせた。
「女神様に感謝して」
「いただきます!」
 指を組んで言う青年の後に、図らずもレックが続けたかのような形になった。青年はきょとんとし、少し間が空いてから笑った。弧を描いていた眉が、また下がっている。良い奴だな、と直感的に思う。食事の挨拶ができる奴は良い奴だ。
 レックは早速、キノコのバター炒めをトーストにのせ、齧り付く。真っ先に口腔へ広がる、少し焦げたバターの香り。その後キノコのうまみが広がる。
「旨い!」
「そのキノコ、変わってるね。どんな味?」
 青年が興味津々といった風に聞いてきた。首を傾げて、口の中のキノコを咀嚼する。
「んー、げんこつダケか? 歯ごたえがめっちゃ良くて、ボリュームがあるな」
「どれがげんこつダケ?」
 レックは皿の上のキノコの一片を指す。それから、他に使用したキノコを指す。
「これがうるわしキノコ。こっちはイチイタケとシメジ」
「味は?」
「んーそうなあ……説明するより、食った方が早いな!」
 レックは皿を差し出した。青年ははっとして、乗り出していた上半身を引いた。
「ご、ごめん! 催促したわけじゃなくて」
「いーんだよ。一人で食うより、二人で食った方が旨いだろ」
 な? とレックが促すと、青年は申し訳なさそうにフォークを伸ばす。
「いただきます」
 一口食べてみる。一転、柔和な面差しが、驚きであどけない少年のようになる。
「全部食感が違う。げんこつダケは君の言う通りで、うるわしキノコは優しい、深みのある味がするね。美味しい」
「きっとお前のバターのお陰もあるんだろうな」
「役に立てて良かったよ。ついでに、僕の作った料理も食べてくれない?」
「マジで!?」
 レックは喜んだ。実を言うと、プライベートキッチンに入った時から、彼の作る料理の美味しそうな匂いが気になっていたのだ。
 青年は皿を持ってきて、レックの分をよそってくれた。礼を言い、まずトマト煮込みを啜ってみて、驚く。
 トマトの酸味が刺さない上に、具材の煮え加減がちょうど良い。チキンは口の中でほどけるようで、ピーマンやタマネギ、ジャガイモが信じられないほどに柔らかく、甘い。新鮮な野菜と振りかけてある乾燥ドレッシングの味も良いし、ガーリックトーストも香ばしい。
「すっげえ、美味しいな。お前、プロなの?」
「褒めすぎだよ」
 青年は謙遜して、手を振る。その掌を見て、気付く。
(確かに、料理のプロじゃないかもしれないな)
 彼の手にはタコができている。その形は、レイドック城のコック達のものとは違う。むしろ自分の手に近い。
 レックは、もっとこの青年と話をしてみたいと思った。
「俺、レック。お前は?」
「エイトって呼んで欲しいな」
 青年改めエイトは、目を細め、愛想の良い笑みを浮かべた。
「この辺りの人間じゃないんだろ?」
「うん。遠いところから来たんだ。トロデーンって国、知ってる?」
「ごめん、知らないわ」
「いいんだよ。かなり遠いところにある国なんだ」
「仕事は? シェフ?」
「まさか。兵士だよ」
「へえ! じゃあきっと、腕が立つんだな」
「うーん。人並みには、ってところ?」
「この宿にはどうして来たんだ?」
「人に呼ばれて。それと、観光も兼ねてるかな」
 人当たりが良い。加えてここまでのやりとりから分かるように、親切である。
 しかし、裏を返せば、どことなく底の見えない感じがする。見知らぬ人間に親切ができるというのは、一般的に人柄の良さのあらわれだ。だが旅人のする親切は、ある程度自身の状況に余裕があるか、もしくは腕に覚えがあるということのあらわれでもある。
 エイトの柔和な面差しに反して、掌は彼が場慣れした人間であると語っている。一介の兵士が、たった一人で主君のもとを離れ、かなり遠いという異国へやって来た事情は何だろう。
「レックは? 君も、この辺りの人じゃないんでしょ?」
 エイトはにこやかな笑みを崩さない。その、黒い双眸を見据える。
「ああ。この宿のヤツに雇われてる。ナインって従業員、知ってるか?」
 何も知らない人間ならば、誤魔化せばそれで終わる。
 少しだけ彼を知っている人間ならば、適当に話を合わせれば良い。
 だがエイトは、笑みを消した。
「そうか。じゃあ君が──」
「失礼します」
 デッキの扉を開き、ナインが顔を出した。レックとエイトを見比べ、瞳を瞬かせる。
「もう、お会いしていたのですか」
 エイトは椅子から立ち、レックの前で跪いた。見慣れた光景だ。淀みなく自然で、彼の身体に染みついている所作なのだと、レックは察した。
「改めて自己紹介させてください。レイドック王太子殿下」
 エイトは頭を垂れる。
「トロデーン王国近衛隊長、エトヴァルト・ハイン・ギルベルトと申します。悪夢を払いし暁の王子、そのご尊顔を拝むことが叶いまして、大変光栄に存じます」
 王族の名前を直接口にせず、尊称を言うのは、レックの国と同じ作法である。ナインに聞いたのだろうか。
 それからエイトは一呼吸空いて、言葉を続ける。
「失礼ながら、王太子殿下に敬意と親愛を表しますために、お名前呼びと、親しみを込めた語りかけをお許しいただけますか」
 これは言われたことがない。でも、言いたいことは察せる。
 レックはゆるゆると息を吐いた。開いた口が緩む。
「顔、あげてくれ」
 顔を上げたエイトは、にこりとした。
「そんな畏まった挨拶、いいのに」
「うちの陛下が、他国の王族と知り合ったら、一度は礼儀を守って挨拶しろって仰るから。よろしくね、レック」
 レックが差し伸べた手を、エイトが取って立ち上がる。二人は、固く握手を交わした。






▶︎▶︎▶︎



 サンドラが部屋のベッドに転がってぼんやりしていると、ナインがやって来て、新しい戦士の来訪を告げた。昨夜到着したのらしい。さっそく作戦会議をしたいという彼の要望に応じて、プライベートキッチン横のサンデッキへとやって来た。
「トロデーンより来ました、エトヴァルトです。エイトと呼んでください」
 テーブルでレックと歓談していた新しい戦士が立ち上がり、挨拶をした。礼儀正しい好青年だ。童顔で細身だが、よく見ると腕にはしっかり筋肉がついている。
「アリアハンのアレクサンドラよ。ところで、これから作戦会議をするって聞いてたんだけど」
 サンドラは周囲を見回した。陽光降り注ぐ芝生を背景とし、レックとエイトの囲むテーブルの上には、とりどりの形をしたクッキーの乗るカラフルな大皿と、スコーンたっぷりのバスケットがある。
「今は、十時のお茶の時間だったかしら」
「まだ九時です」
 ナインは答えながら、サンドラの横をすり抜けていく。テーブルに近づくと、手にしたシルバートレイからソーサーを四枚置き、カップを乗せて、ポットから紅茶を注ぎ始める。
 レックが首を傾けた。
「作戦会議に紅茶があったらダメかな。アリアハンでは、禁止されてるのか?」
「それはないけど」
「じゃあいいだろ? それに、まだ朝ご飯、食べてねえよな?」
 その通りである。
 レックはバスケットに盛られたスコーンの山を指した。プレーンのもの、チョコチップの入ったもの、木の実の入ったもの。種類は違うが、どれもキツネ色に焼けていて美味しそうだった。
「すみません。使ってしまいたい小麦粉があったので、待っている間に作ってたんです」
 よろしければお一ついかがですか、とエイトが言った。断る道理もない。
 サンドラが席に着くと、すかさずエイトがバターとジャム、ナイフを差し出してきた。ナインも卓につく。レックが再びクッキーに手を伸ばし、ナインは紅茶を啜る。サンドラは、無地のスコーンに手を伸ばし、囓った。まだ仄かに温かい。卵の風味が素朴で、優しい。
「食いながら会議するの、嫌いなのか?」
 無言で咀嚼していると、レックが尋ねてきた。サンドラは首を横に振る。
「いえ。旅をしていた頃も、食事を摂りながら旅の方針について話していたことはあったわ。ただ、私達がこれから挑むのは、得体の知れない魔族なのよ? 教会でお祈りしているとはいえ、気を抜いて挑んだらどうなるか」
「今は気を抜いてても、戦いに手は抜かねえよ」
 レックはクッキーを日にかざしながら言う。
「ずっと気を引き締めてたら、いざって時に疲れて動けないだろ。全力のしかめっ面で考えれば、絶対作戦の良い案が浮かぶってわけでもないし」
「……分かってるならば、いいわ」
「でもあんまり食べ過ぎないでね、レック」
 エイトが窘める。
「君、朝ご飯も食べたのに、クッキーが焼き上がった時からずっと食べっぱなしじゃないか」
「それは、エイトのクッキーが旨いのが悪い!」
「俺のせいにしないでよ」
 すっかり打ち解けている。
 談笑する青年たちの間を清風が通り抜け、焼けた小麦と砂糖の匂いが広がる。傍に立つ樹木の枝葉が、心地よい木漏れ日を醸し出す。卓上のバターは陽だまりのように、木苺のジャムは紅玉の如く輝いている。遠方で商売人達が威勢の良い呼び声を上げ、小鳥たちは日常の讃歌を歌っている。
 長閑である。サンドラは向かいに座るナインを見る。少年は二冊の本を読んでいた。片方は冒険者名簿、もう一方は背に「モンスター図鑑」とある。
「エイトさん、ありがとうございます。非常にわかりやすいレポートでした」
 ナインは二冊の本を、卓上に広げた。エイトがバスケットをどかしてスペースを作り、レックは皿をどかしつつ、さりげなく残っていた十枚のクッキーを全て平らげた。
 少年天使の大きな瞳が、三人の戦士をまっすぐ映す。
「昨夜のうちに、エイトさんにご自身のステータスと、ドルマゲスの情報をまとめていただきました。これをもとに、作戦を練りましょう。まずはエイトさん。ドルマゲスについて、ご説明いただけますか」
「分かったよ」
 エイトの口元が引き締まる。一変して、雰囲気が優しげな好青年のものから、戦士に変わった。
「僕の仕えるトロデーン城は、魔神を封じた杖を管理していた。この杖を持ち出し、城を呪い、一夜にして廃墟へと変えたのが、ドルマゲスだ。道化師風の格好をした男で、悪魔のような魔物の姿に変化することができる。俺達はヤツを追いかけ、倒した。確かにこの手で、仕留めたはずなんだ」
 長い指を伸ばし、卓上に広げてあるモンスター図鑑を指した。
「手強かったよ。閃光と氷の最高位呪文が使えた。それだけでなく、拳でありえないほどに殴ることも、灼熱の炎を吐くことも、凍てつく波動を放つことも、刃みたいに硬くした自分の羽根を、激しい雨みたいに飛ばして攻撃することもできた。でも、一番厄介なのは雄叫びかな。尋常でないあの声を聞くと、身体が思うように動かなくなるんだ」
「行動不能特技と最高位呪文の対策が必要でしょう。かなり火力のある敵のようですから、全体回復呪文をかなり使うことになりそうです」
 ナインがエイトのあとを継いで、対策を語る。 
「この手の敵は、持久戦になると厄介です。行動不能攻撃に耐性のある装備品を持っていますので、皆さんにお渡ししますが、それでも百パーセント防ぐことは不可能です。短期決戦を心がけ、早い段階からガンガン攻めた方がいいでしょう。レックさん、エイトさん。お二人に攻撃役をしてもらって、サンドラさんが前回同様回復と攻撃。僕が魔法戦士になって、補助をする。それでいかがですか?」
「サンドラ、どうだ?」
「何でそこで私に振るの」
 サンドラは怪訝な顔をする。レックは己を親指で指した。
「俺は全っ然異論ないんだよ。後衛がいまいち得意じゃなくて、サポートは仲間に任せっきりのことが多かった。前衛が性に合ってるんだ。でも俺ばっかりがやりやすい戦闘スタイルなのも、悪いじゃん。サンドラにも、やりやすい戦闘スタイルってあるだろ?」
「問題ないわ。私、後衛の方がやりやすいの」
 サンドラは答えた。
「前衛も後衛も両方やってきたけど、全体の様子がよく見えるから、後衛の方がいい」
「ナインはいいのか?」
「僕も、普段から補助をやることが多いので、そのままで構いません」
「エイトは」
「これ、俺の習得特技」
 エイトは冒険者名簿を示した。レックとサンドラは帳面を覗き込む。
「うわ。意外と、エグいくらいに攻撃派だな! 剣と槍の特技がいっぱいある」
「デイン系の攻撃ができて、全体回復呪文も使える。正統派勇者のステータスね。ベギラゴンまで使えるのは珍しいわ」
「勇者ではないけどね」
「勇者でしょ。デイン系を使えるのは勇者よ」
「そうなの? 俺、そう言われたことないよ。ただの兵士だって」
「その若さで近衛隊長なのも、十分すごいと思うわよ」
 エイトはしきりに首を傾げている。
 名簿に記されている特技をじっくり眺めていたレックが、帳面に指を当てた。
「だいたいの特技は俺の世界と一緒だから分かるけど、このドラゴンソウルって何だ?」
「ああ、それはドラゴンの力を解放するみたいな技かな」
「ドラゴンの力まで持ってるのか。俺もドラゴン職についてたことがあるけど、その技は聞いたことない」
「ドラゴンしょく?」
「ドラゴンの力を身につけられる職業のことだ。息吹攻撃ができるようになったり、強力な呪文が使えるようになったりする」
 レックは名簿で自分のページを開き、ドラゴン職で習得できる技について説明した。エイトは目を丸くして聞いていた。
「へえ、そういうものがあるんだ。俺の世界には、その職業ってシステムがないから、何でなのかは分からないな」
「職業つかなくてもドラゴンの技覚えられるなんて、いいなあ!」
「ドラゴンのハーフだからね」
 レックは瞬きした。横を見れば、サンドラも目を見開いている。
「そうなの?」
「うん。竜神族っていう、人間と竜の姿を持つ一族の血が半分流れてる」
「はい、エイトさん」
 ここまでずっと黙っていたナインが手を挙げた。
「ドラゴンソウルの習得条件に関する推理を述べてもよろしいでしょうか」
 いつも日の当たらない森の泉のように静かな瞳が、朝の海より輝いている。レックはサンドラを窺った。彼女もまた、レックを横目で見ていた。
(これは、来るぞ)
 サンドラが口を開きかけたが、それよりエイトの方が早かった。
「いいよ」
「結論から参りましょう。ずばり、血を引いているか否かが鍵です。スタート地点が違うといえばいいのでしょうか。ドラゴン職は職業ですから、次第にドラゴンになるために技術と心得を身につけていくものなのです。一方竜神族は最初からドラゴンですから、ドラゴン職と全く同じではないまでも似た技を素の状態で身につけることができます。たとえばエイトさんの呪文を見ましょう。デイン系、ギラ系を習得するという特徴は勇者そのもののようですが、ドラゴンの属性にも通じるところがあると思いませんか。ドラゴン属は、生まれつき二つの属性を持っているようです。二つの属性のうち、一つは光か闇、もう一つは五大属性のいずれかです。エイトさんの世界の竜神族について調べたのですが、暗黒神ラプソーンと対決した歴史があり、かつ竜神王様その他の方々の様子から考えますに、光属性が基本で間違いないようですね。それからもう一つ、各自五大属性のいずれかを持っているようです。これは習得している特技から察せます。年を経たドラゴン、熟練のドラゴンはさらに属性を多く持つこともできているようです。エイトさんはお若いですので、壮年のドラゴンの話は割愛しましょう。時に、魔法の呪文となっているのは精霊言語であるわけですが、そもそもドラゴンという生物は神として祀られるものの中でも唯一実体を持っているものでして、そう考えるとドラゴンの肉声には魔法と同等の効果が宿るのではないかという考察が──」
 ナインは語った。
 最初エイトは元気な弟を見守るような顔をしていたが、時間と論の展開に従って、困惑の色が強くなっていった。時折、「あの」や「えっと」と声をあげて、何か言いたそうな反応を見せるも、ナインは頷くだけで構わず話し続ける。
 エイトはレックの方に目を泳がせた。レックは微笑み返した。次いでエイトの視線はサンドラの方に移る。反応がない。目が死んでいるようだ。
「──というわけで、ドラゴンソウルの習得条件は竜の魂と肉体を持つことであり、ドラゴン職は竜の精神を身につけることによって肉体をドラゴンに近づけるものですので、ドラゴンソウルの習得は厳しいものと考えられます」
「ありがとうナイン! すごく、すっごくよく分かった!」
 レックは立ち上がり、ナインの手を両手で握った。
「ところでたくさん喋って腹が減らないか? 減ったよな!? 飯食お?」
 天使は目をぱちくりさせた。
「ご飯は、先程食べたばかりでは?」
「ナイン」
 死んでいたサンドラの口が動いた。
「今、正午になるところよ」
「えっ」
 ナインの瞳が、真円になる。
「大変申し訳ありませんでした。人間界の時間は進むのが早いのですね。ドルマゲス討伐にこの後行こうかと考えておりましたが、僕のせいで予定が狂ってしまいましたから、今日の所はやめましょうか」
「あ、いや、それはいいよ。なあ?」
「別に構わないわ」
「俺も大丈夫だよ」
「大変申し訳ありません」
 ナインは立ち上がり、深々と礼をした。
「せめて、お昼ご飯にご希望のものを用意させていただきます。準備して参りますので、少々お待ちください」
 少し早足で、ナインはデッキを去る。後に残された三人は、顔を見合わせた。
「悪い子じゃ、ないのよ」
「うん、分かるよ」
「素直なヤツなんだよ」
「うんうん、分かる」
 サンドラ、レックのフォローに、エイトは頷き、微笑んだ。
「正直な話、ナインが天使だって名乗った時、俺は信じられなかったんだ。自分の世界で神様らしい神様を確認したことがないから、本当かなって、疑ってた。でも、今なら信じられるよ」
 エイトは空を仰いだ。
「あの知識量と熱量、人間じゃないね。俺と同じ人外の仲間がいるんだって分かって、ちょっと嬉しい」
「エイト……お前、良い奴だな!」






▶︎▶︎▶︎



 ドルマゲスの巣窟は、森の傍だった。レック達は、偽者のムドーがいたのとよく似た小さな入り口を覗き込む。ナインが小首を傾げた。
「声がします」
「そうか?」
 レックは耳を澄ましたが、何も聞こえない。サンドラとエイトも口を噤んでみたが、木々の葉擦れが際立っただけだった。
「どんな声なの?」
「男性の、裏返ったような笑い声に聞こえます」
「ああ」
 エイトが苦笑した。
「それ、ヒッヒッヒって笑ってるように聞こえない?」
「そのような音です」
「ドルマゲスの笑い声だね」
「なんで分かるんだよ」
 レックが尋ねると、肩を竦めて答える。
「ドルマゲスって、すごい特徴的な高笑いをする癖があるんだ。どんな時も笑ってたよ。俺の城を茨だらけにした時も、八人の賢者の子孫を殺した時も、きまってアヒャアヒャ笑いながら、『悲しいなあ』とか、言うんだよね」
「何だそいつ。気持ち悪いな」
 レックは顔をしかめた。サンドラが顎に手をあてる。
「大魔王の洞窟って、魔物一体のみ出現っていうのが、原則よね」
「そうですね」
「だとすると、今ドルマゲスは、一人で笑ってることになるわ」
「マジで? ちょっとクスってするだけならともかく、一人で馬鹿笑いとか、あり得るか?」
 レックがエイトの顔を覗き込む。しかしエイトは、大真面目な顔で頷いた。
「アイツなら、あり得る」
「個性の強い奴なんだな」
 四人は入り口をくぐった。進むにつれ、ナインの言うとおり、奇妙な声が聞こえてきた。時折しゃくり上げながら、声を過剰に震わせる、気味の悪い高笑いである。
 大きな空洞に出る。その奥にはやはり祭壇があって、羽の生えた、奇怪な生物が立っていた。
 人型をしているが、人間の二倍の背がある。紫の体毛が全身を覆っているが、顔、腹、四肢の先だけは青い地肌が露わになっている。異形である。しかし本当に普通でないのは、その笑いざまだった。
「あっひゃ! あっひゃ! あーっひゃひゃっひゃひゃひゃ」
 目を見開き、全身を震わせている。大口を開けて、地獄の如く真っ赤な口内から、だらだらと笑い声を漏らしていた。
「うっわあ」
 あまりの異様さに、レックは一歩引いた。サンドラは黙って剣を抜く。ナインは最後尾から、怪物の様子を瞬きせずに見つめる。
「あれがドルマゲスだよ」
 エイトが一歩進み出た。優しげな面立ちが、険しくなっていた。
「人間の姿じゃない、第二形態からスタートか」
「元人間だと聞いていたけど、そうは見えない禍々しさね」
「皆さん、気を付けて。来ます」
 ナインが囁いたのと、ドルマゲスの瞳孔がこちらを捉えたのが同時だった。
「この虫ケラどもめ! 二度とうろちょろできないよう、バラバラに引き裂いてくれるわっ!」
 翼が大きく反り、空気を叩いた。レックは剣を抜き、飛来する怪物を見据える。ドルマゲスは右腕を引き、鋭い爪で斬りつけてきた。
「せいっ!」
 剣で弾く。怪物の上体が後方へ傾いだ。踏み込み、もう一撃加えようと剣を振ったレックは、眦を開いた。
 後方五十度に倒れたドルマゲスの上体が、バネのように戻ってくる。
「うわッ」
 そのまま神速の拳を浴びせてきたのを、必死で躱す。しかし完全に逃げ切る前に、拳に何発か捕らえられた。
 殴られた勢いのまま、レックは高く宙返りし、後方へ引いた。足が地面を激しくこすり、深く二本の線を刻む。利き手を地面に添え、バランスを整えながら、周囲を見やる。
 レックが打ち合う間に、他の仲間は散ったらしい。サンドラとナインは左右へ分かれ、エイトは中央に残っている。背に負った槍も、腰に括った剣も、抜かれていない。
「あひゃひゃひゃッ」
 そこへ、一直線にドルマゲスが迫る。
(コイツ、とんでもなく速ぇ!)
 もはや紫の凶弾である。前衛一人でしのぐのは厳しい。エイトの武器装備も、間に合うか。
 瞬時にレックは地を蹴る。敵の初手に間に合わずとも、フォローに回るつもりだった。
 ドルマゲスの腕がエイトに伸びる。
 山吹の衣が、霞んだ。
「あひゃひぃッ!?」
 紫の巨体が、宙を舞った。
 エイトの腰に帯びた剣がいつの間にか抜かれ、突き上げたのだった。
「神速をもたらせ、ピオリム」
 ナインが詠唱する。全員に精霊言語の輪が宿り、纏う空気が軽くなる。消えゆく言語の燐光を散らし、エイトは地に落ちたドルマゲスの上へ跳躍する。
 銀が一閃。それだけで、怪物の身体に十字が二つ刻まれていた。
「うおりゃあッ」
 レックはドルマゲスの脳天に跳び蹴りを落とし、再び退いた。やや遅れて、同じく退いてきたエイトが隣に並ぶ。
「バイキルト」
「ベホマ」
 天使の詠唱が身体に力を与える。女勇者の回復呪が傷を十分に癒やす。加護が馴染むのを待ちながら、レックは隣の青年に目をやった。
「その剣、うまいこと使いこなしてるんだな」
「呪文のサポートがちゃんと入るならこれかなって思って選んだんだけど、別の意味で正解だったよ」
 エイトは手にした剣を一振りし、黒い血を飛ばす。元の冴え冴えとした光を取り戻したそれは、隼の剣だった。
「槍の方が慣れてて好きなんだけど、ここまで速いとね」
「バイキルトは」
「もうかけてもらってある」
 答えて、エイトは身構える。ドルマゲスが立ち上がろうとしていた。
「アイツ、やばいな。一ターン三回行動とか、反則だろ」
「前戦った時は、あんなに速くなかった」
 毒づくレックに対し、エイトは淡々としている。
「あの勢いで後衛をやられるとまずい。君と俺でどうにか引きつけて、叩こう」
「おう」
 レックが先に駆けだし、エイトが後に続く。ドルマゲスの胸が膨れ、口の端から炎が漏れ出る。
「ッしゃ来い!」
 こちらも大きく吸い込んだ呼気を、体内で灼熱に練り上げ、放出した。ぶつかった二つの火炎の波が、辺りを深紅に染める。
 その隙に死角へと回り込んだエイトが、隼の如き剣さばきでドルマゲスの背を斬りつけた。炎の均衡が崩れ、レックの灼熱がドルマゲスを飲み込む。エイトはそれより速く飛び退き、剣を掲げる。
「いくよッ」
 エイトが飛び上がった。レックが息吹を止め、退く。振り向いたドルマゲスの瞳孔に、猛き雷が映り込む。
「ギガブレイク!」
 雷の剣が二度、ドルマゲスを襲う。レックは腕で目を庇いながら、それでもドルマゲスの様子を窺う。紫の体毛が焼け、身体が抉れていく。
「はーっひゃっひゃっひゃ!」
 ドルマゲスは哄笑を上げ、両腕を振り上げた。
「マヒャド」
 天井に数多発生した巨大な銛の如き氷塊が、落下する。エイトはすかさず手を翳した。
「ベギラゴン」
 紅蓮の炎と白藍の塊が衝突し、油の上がるような音を立て、辺りに白煙が立ちこめる。熱気でちりちりと焦げる肌を、サンドラの唱えた全体回復呪がまた癒やす。
 レックはじっとしていた。靄が一帯に立ちこめたまま、空気が止まっている。今動くのは危ない。靄が晴れるのを待とうとしていると、正面で何かが光るのを見た。
 刹那、無数の輝くものが飛来する。
 息を飲み、反射的に剣を振った。硬質な何かを弾く感触。逸らしきれなかったものが三つ手足をかすめ、一つ上腕に刺さった。羽根である。傷口から引き抜いて捨てると、地面に突き刺さった。
(下手に動くのも危ねえけど、じっとしてても危ないな)
 レックは息を殺し、気配を研ぎ澄ます。精霊言語の燐光が、遠くで瞬いた。
「イオラ」
 サンドラの声だ。
 正面で爆発が起き、靄が吹き飛んだ。  魔法ならば、視界が悪くても敵に届く。かつ、空気を動かすならば閃光呪がうってつけだ。
 にくい手を打った敵を、振り向いたドルマゲスが探し出す。爛れた羽毛が逆立ち、硬化する。羽ばたけば、羽根が刃の豪雨となって、女勇者に襲いかかった。
 あの量は、盾一枚では捌ききれない。
「サ……っ」
 レックがそちらへ術を放つ前に、刃の雨と女勇者の前に、山吹の疾風が飛び込んだ。エイトは背の槍を回して引き抜き、身体の前で高速で回転させる。掌中で鮮やかに舞う長い柄が、羽根をことごとく弾き落とす。
 回した勢いをそのままに、エイトは槍を地に突き刺した。黒い魔方陣が展開し、迸り出た稲妻がドルマゲスを貫き、飛ばす。
「大丈夫?」
「ありがとう」
 エイトとサンドラが短く言葉を交わす。一方レックはドルマゲスに駆け寄り、腰を落として拳を叩き込む。
「正拳突きッ!」
 重い音を立てて倒れ伏したドルマゲスを中心として、同心円状に地が割れた。さらにそこへ、爆裂拳をお見舞いしてから、跳躍して距離を取り、体勢を立て直そうとする。
「大いなる暗黒、極夜を呼べ、死の緞帳を奴らに下ろせ──」
 伏していたドルマゲスの口から、うめき声が漏れた。聞いたことのない詠唱である。しかし、ドルマゲスを挟む反対にいたナインが瞠目し、唇だけで「いけない」と呟くのが見えた。
「下がってください!」
 ドルマゲスを中心に、漆黒の力が弾けた。視界が暗くなり、五感が完全なる闇の下に閉ざされる。
 身体を、暗黒が塗りつぶす。体験したことのない痛みが、全身を襲った。
「救済と祝福を、ベホマズン」
 サンドラの詠唱で、五感が戻った。凄絶な痛みの名残にもだえながら、四つん這いになっていた自分の手を見る。漆黒に染まっていた腕が、元の健康的な肌の色を取り戻し、癒えていく。
「昏き加護を」
 少年が詠唱している。自分の身体を、柔らかな力が包み込んだのを感じた。
 頭を巡らすと、周囲を淡い闇が包んでいる。先程と違って、嫌な感覚はない。
 ナインが昏い魔力を宿した矢を一本放つ。背に刺さった途端、ドルマゲスはぐらりと不安定に傾いだ。
「分かりました、弱点は土と闇属性です」
 ナインが叫ぶ。
「皆さんに属性を付与しました。畳みかけてください」
 レックはもう一人のアタッカーを窺う。エイトは槍を構え、ひたとドルマゲスを見据えていた。
「散らせる?」
「おう!」
 魔力をまとい、レックは高く高く跳ね上がる。天井につくかという頃になって、拳に思いきり力を込めた。
 雄叫びと共に岩壁を殴打する。ひび割れ、削られ、巨石の群が壁から独立したところを見計らい、レックはそれらに魔力を伝わせた。
「喰らえッ、天空の岩石落とし!」
 全ての石を解き放つ。岩は仲間達を避け、ドルマゲス一体のもとへ一直線に落ちる。
 轟音。粉塵。地鳴り。
 凄まじい速度で落下した岩は、ドルマゲスを潰し、粉微塵となって砕け散る。天井に留まっていたレックには、途中から地上の様子が砂埃だらけでよく見えなくなった。
 それでも次第に、煙は晴れる。
 凹み、削られ、荒れ果てた大地に、岩石の山ができている。三人の仲間達が注視する中、山の一角が、ガラ、と崩れた。
 ドルマゲスの身体が、瓦礫の隙間から這い出てきた。全身生傷だらけになり、片腕は動かないものの、ふらつきながら立ち上がる。そして、動く方の手を振り上げた。
「まずい」
 レックは急いで地上に戻ろうとして、しかしその場に留まった。
 ドルマゲスは片腕を上げたまま、動かない。双眸をかっと見開いた怪物の額を、音も無く、閃光の如く肉薄した槍が、貫いていた。
「雷光、一閃突き」
 エイトはそっと、吐く息と共に呟く。槍を僅かに動かし、ドルマゲスの身体から完全に力が抜けているのを確認して、口元を緩めた。
「久しぶりだから緊張したけど、ちゃんと決まって良かった」
 槍を地に向けて振り抜いた。ドルマゲスが崩れ落ち、闇の滓となって消え失せる。後には紫の宝珠のみが残った。
「討伐、完了です」
 ナインが告げる。溜め息を吐いて、サンドラが座り込んだ。レックは今度こそ天井から舞い降り、満面の笑みを浮かべたエイトとハイタッチした。
「やったな!」
「俺の知ってるドルマゲスのステータスと違うから、どうなるかドキドキしたよ」
「あの黒い呪文やばかったな。初めて見た」
「ドルマドンといいます。闇の攻撃呪文ドルマ系統の、最高位と称される呪文です」
 ナインが歩み寄ってきた。パープルオーブと地図を回収し、戦士達を見上げる。
「吐息攻撃の予測はついていたので、ファイアフォースをかけてはいましたが、まさか闇系統の攻撃に強く、かつ弱いとは、予想外でした」
「こいつも偽者っぽいな」
「うん、俺もそう思う」
 ナインの手に握られたパープルオーブを眺めつつ、レックは考える。
 分からないことがたくさんある。何故、どの魔族も元の世界にいた時とステータスが違うのか。何故、何も言ってこないのか。何故、洞窟から出て、世界を浸食しに行かないのか。
「貴方達、化け物みたいな体力してるのね」
 物思いに沈んでいたレックの意識を、サンドラの声が呼び戻した。座り込んだ彼女は疲れた顔をして、レックとエイトとを交互に指す。
「あれだけの大技を連発しておいて、何で平然としてられるのよ」
「俺はまあ、スタミナが取り柄だし?」
 レックは胸を張る。エイトは柔らかな口調で言う。
「サンドラは、回復呪文で神経を使ったから、余計疲れてるんだよ。魔力の大量消費は、精神を削るからね。俺たちはその点、実はあんまり魔力を使ってないから、元気なんだと思うよ」
「あ、そっか。言われてみれば、俺の覚えてる特技、魔力食わないのが多いかも」
「でも、エイトは魔力使ってたじゃない。ベギラゴンはもちろんそうだけど、ギガブレイクも、ジゴスパークって技も、魔力はそれなりに使うはずよ」
「エイトさん。少しいいですか」
 ナインがエイトの袖を引いた。少年の幼くも見える仕草に、エイトは完爾と笑う。
「なに?」
 しかしナインは応えず、先程引いたエイトの腕を持ち上げ、とくとくと眺める。彼の腕には、先程の戦闘で負った傷がある。細かな切り傷と、割合深めに削られ、血の滲んだ傷とが混在している。
 ナインはおもむろに、深めの傷に口をつけた。エイトの笑顔が固まった。ついでに、レックとサンドラも動くのを忘れた。
 束の間の沈黙の後、じゅっという音が響く。エイトははっとして、反射的に腕を引き抜いて庇った。
 レックは、傷口の一つの周りが濡れているのを見た。
「なっ、にするんだよ!?」
「おかしいですね」
 動揺しきりのエイトとは反対に、ナインは落ち着き払った様子で頬に手を当て、考え込んでいる。
「呪文や特技の使役による消費魔力量には個人差がありますので一概には言えませんが、僕の世界でははやぶさ斬り一回につき二ポイント、ギガブレイク一回につき三〇ポイントの消費を強いられます。ベギラゴンは、僕の世界では使われていませんが、他の世界では平均一〇ポイントの消費が一般的なようです。一閃突きも、平均八ポイントの消費が必要なはずなのです。しかし現在エイトさんに残っている魔力量から考えますに、先程の戦闘で消費された魔力量は、精々二〇ポイント程度。あれほどの大技を放ったにも関わらず、異様に魔力を消費していない」
 魔力覚醒でも、山彦の悟りでもない。
 ナインはぶつぶつ呟いた後、顔を跳ね上げた。まっすぐな視線を浴びたエイトが、びくりと跳ねた。
「まさかとは思いますが、消費魔力量を制限できるのですか?」
「そう、なんじゃないかな?」
 眉尻を下げて、エイトが答える。
「戦闘をたくさんこなしてるうちに、自然と少ない魔力でこれまで通りの威力の技が使えるようになったんだ」
「なんと!」
 ナインは破顔して、エイトの両肘を掴んだ。
「魔力の調節を自然と成し遂げる方を、初めて見ました! 何故そのような技が可能なのでしょう。ぜひ調べさせていただきたいです。よろしくお願いします」
「え、ちょっと待ってちょっと待って。色々追いつかない」
 エイトはナインの手をほどき、逆に彼の両肩を押さえた。天使の両眼が丸くなっている。心底、不思議そうな顔だ。
「どうかなさいましたか?」
「いや、どうかなさったのお前だろ」
 レックは思わずツッコミを入れた。
「お前今、傷吸った?」
「はい」
 素直に頷いてくれる。エイトの顔は青くなっている。
「何で?」
「何でとは? ……あ、痛かったということですか。大変申し訳ありません。すぐ回復させていただきます」
「まあ、うん。確かに染みたけど、今はいいよ。それより、何で舐めたの?」
「え、吸っただけじゃないの? 舐めたの?」
 レックは目を剥く。ナインは舐めましたと答えた。エイトは赤くなっている。
 ますます収まりがつかなくなっているので、見かねたサンドラが口を開いた。
「ナイン。人間は普通、傷口を舐めないわ。怪我の応急処置として口をつけることはあっても、そうじゃない目的で、それも急に口をつけたら、びっくりするわよ」
「そうなのですか」
 今度はナインが目を見開いた。そして、しょんぼりとうなだれた。
「無礼をはたらきまして、申し訳ありませんでした。魔力量を具体的に測るためには、霊性の顕われる血液の摂取しか方法がありませんでしたので、つい、血を吸ってしまいました」
「そんな、汚いからダメだよ! 口濯いで!」
「そこ?」
 青い顔をしていたから引いているのかと思ったが、エイトの心配事は違ったらしい。
「心配ご無用です。人間になってからこんなことをずっと続けていたら、近年体にある程度の状態異常耐性がついてきました」
「マジで? モノは鍛えようなんだな」
「自分もやってみようかなみたいな顔しないで」
 身を乗り出したレックを、サンドラが嗜める。エイトはナインの目を正面から覗き込み、言う。
「何でも口に入れると危ないよ。特に生モノは駄目だからね!」
「はい」
 少年は頷いた。ママと赤ちゃんか、とレックは思った。
「しかし、エイトさんのステータスについて知ることができたのは非常にいいのですが、少し面倒なことになりましたね」
「何が?」
「新しい地図がドロップしませんでした」
 三人ははっとした。言われてみればそうだ。パープルオーブこと落としたが、それ以外には何もアイテムなど残っていない。
「大魔王の地図は、全部で十三枚あるはずなのです。やはり、残りの十枚を別の手で探す必要があります」
 帰りましょう、と天使が促す。道のりは長そうだった。