05 落ちた天空人




 次のゲストは、Ⅳ番の冒険の書の人間らしい。
 新しい地図を発見した天使達は、すぐに新しい冒険者を迎えに行くことにしたようだ。一方でレックは、竜王討伐後、宿に帰ってきたエイトとの会話が気にかかっていた。
「アレフとアレンは、Ⅳ番の世界の人なのかな」
「そういえば、聞いてなかった」
 どの世界の住人だろうと、同じ目的の下に集った戦士であることに変わりはないだろう。
 エイトは何故そのようなことを気にするのだろうか。
 尋ねてみると、彼は考え考えの様子でこう返事をした。
「次の呼ばれる人が分かった時、二人の顔が曇った気がしたんだ。だから、知り合いなのかと思って。でも、俺の気のせいかもしれないから」
 ちょうど会話をしたのが寝る前で、互いに部屋に帰ってしまったために、それ以上話は発展しなかった。
 だがレックは、翌朝目覚めてもそのことが気になっていた。だから、聞きに行くことにした。
 朝食を摂り、身支度を調え、エイトの部屋に行った。エレベーターから降りて扉をノックすると、それほど待たずに開いた。まだバンダナを巻いていないエイトは、レックを見て眼を丸くした。
「どうしたの?」
「時間、あるか? 昨日話してたことについて、アレフとアレンに聞きに行こうぜ」
「ああ。Ⅳ番の世界の人なのかって話?」
 エイトは、言われて思い出したようだった。
「俺が気になるってだけなんだから、レックは無理に付き合わなくてもいいんだよ?」
「いや、俺も気になるんだよ。って言うか、あいつらともっと話がしたい」
 レックは、他人と話すのが好きだ。加えて、魔王を倒した戦士達全員に聞きたいことが山ほどある。
 どんな趣味があるのか、これまでにどんな冒険をしてきたのか、どんな世界に住んでいるのか。人としても、勇者の宿命にあった者としても、興味は尽きない。
「どこにいるか、知ってる?」
「いや。適当に探そうかと思ってた」
「さっき俺がご飯を食べに行った時、二人で宿から出ていくのを見たよ」
「さすがエイト」
「何それ」
 エイトは目を細めて笑った。
「俺も暇だから行くよ。準備するから、ちょっと入って待っててくれる?」
「いいのか? お邪魔しまーす」
 部屋は非常に片付いていた。机の上には私物が何もなく、カーペットも汚れていない。ベッドも使っているはずなのに、シーツがピンと張って、四角く整っている。住人の存在を感じさせるのは開いているクローゼットだけだが、その中さえ呉服屋と紛うほどに、服が規則正しく掛けられている。
「良かったら、座っててよ」
 エイトはクローゼットからバンダナを取り出し、閉じて鏡の前へ向かった。これで完全に、一週間以上人間が滞在しているとは思えない部屋になった。
 レックは、バンダナを締める背中を眺めながら、考える。
(スタイル良し。人柄良し。気遣い良し。清潔感良し。料理の腕、良し。戦闘も攻守回復、ソツがない。星八つの完璧ボーイじゃん)
 粗がない。強いて言うならば、完璧すぎて、逆に周りが近寄りがたく感じそうだというくらいか。
 椅子を引き、机を正面に座る。卓上には世界樹のモニュメントがある。これはレックの部屋にもあって、張った枝の部分にモノがかけられて便利だから、無意味に薬草などを干したり、アクセサリーを飾ったりしている。
 エイトはそういう遊びはしていないようだ。眺めていて、はたと気付いた。
 先程立っていた時は分からなかったのだが、よく見ると枝に一つ、ロケットペンダントが掛けてある。楕円状の金のロケットは開いていて、左右の扉にはそれぞれ、別の写真が飾られていた。
 レックは顔を近づける。右の扉には、四人の人間が映っていた。中心にエイトがいて、手前にいる人相の悪そうな小太りの男が、彼に視線を集めようとするかのように両手を掲げている。右手側にいるグラマラスな美女は、エイトの後ろから現れるような形でピースサインを出していて、左手側の派手な優男は、エイトの肩に腕を置いて、ポーズを取っていた。全員が目を糸のようにして笑っていて、撮影した時の愉しそうな雰囲気がよく伝わってくる写真だ。
 一方、左側の写真は家族の肖像のようだった。椅子に座る少女とその横に立つ初老の男性という構図は、家族写真でよく使われる構図だ。もっとも、二人の容貌は全く似ていない。かんばせも佇まいも百合の如き可憐さを持つ美少女に対して、初老の方はまるで王冠をかぶったカエルである。しかしレックには、この二人が親子なのだという確信があった。二人の浮かべた心からの笑顔と、纏う上質な衣装に負けぬ品位が、そっくり同じだったからだ。
「あ」
 エイトの声がした。
 レックは顔を跳ね上げる。バンダナを巻き、鞄を提げて準備万端の彼が佇んでいた。
「悪い! つい見ちまった」
 両手を合わせて謝る。対してエイトは眉を下げる。
「あー、いいんだよ。ちょっと恥ずかしいけど、別に隠してるものじゃないんだ」
 はにかむような表情を見て、レックは悟る。
 これは聞いて、語らせていいやつだ。
「いい写真だな。こっちのは仲間か?」
「そうだよ」
 エイトはレックの横に来て、右の写真の人物を順に指す。
「これがヤンガス。女性がゼシカで、こっちがククール。一緒に旅をして、暗黒神を討った仲間なんだ」
「どうやって出会ったんだ?」
「簡単にまとめるとね」
 エイトは語った。三人に出会ったのは、彼の仕える城と主君を呪ったドルマゲスを追う旅の途中だったこと。ヤンガスは元山賊で、襲ってきたところを助けた結果、感激して尽くしてくれるようになったこと。ゼシカとククールは、ドルマゲスに家族を殺されたため、仇討ちを目的として同行したこと。しかし三人とも、ドルマゲスを倒してからも、呪いが解けるまで一緒に旅をしてくれたこと。
「かなり打ち解けてるな。この写真、エイトがめっちゃ慕われてるリーダーだっていうのが、すげえ伝わってくる写真だぜ」
「いやいや。俺は陛下の方針に従って、旅程を組んでみんなの意見をまとめたり、会計係をしたりしてただけだから。色々一緒に経験してれば、打ち解けるでしょ」
「たとえば?」
「うーん。島流しにあって、一ヶ月一緒に投獄された」
「とっさにあげる具体例がそれでいいのか?」
 レックは左側の写真を示した。
「するとこっちは、エイトの王様か」
「うん。トロデ陛下。行き倒れて、記憶も出自も分からなかった俺を引き取ってくれた恩人だよ」
 先程から、エイトの優しげで品のある容姿からは想像できない話ばかり出てくる。
「陛下は少し口の強いところがおありだけど、民に対して、わけへだてなく優しいお方なんだ。その陛下の治めるトロデーン城だから、住んでいる人達もやっぱりみんな優しくて、俺によくしてくれたよ。俺の身体が小さいうちは、そんな俺でもできる仕事を割り振ってくれたし、成長してくると文字や学問を教えてくれて、できることを増やしてくれた」
「力のある王様ってわけか」
 エイトは頷く。言葉ももちろんだが、ロケットに注がれる黒い目が、彼に関わった人々の情の深さを雄弁に物語っていた。
「そうすると、こちらはトロデ王の姫様か」
「分かるの?」
 レックがトロデの隣に座る少女をそう言うと、エイトは驚いたような顔をした。この様子だと、二人はあまり親子らしくないと評判なのだろう。
「正直、見た目は全然似てないけど、佇まいが似てる。親子ってそういうものじゃないか?」
「うん。うん、そうなんだ」
 エイトは破顔した。
「ミーティア姫っていうんだ」
「さっきのゼシカちゃんも美人だったけど、ミーティア姫も美人だな」
「でしょ? 俺の世界でも、トロデーンの花と言えばミーティア姫って言われるくらい、評判なんだ」
 なんだか、やけに嬉しそうだ。レックはピンと来た。
「さてはエイト。お前、姫様といい仲だな?」
「実は、婚約してるんだ」
「ひゅーっ」
 直球で尋ねたところ、エイトはあっさり認めた。レックはにやつきながら小突く。
「隅に置けねえなあ!」
「へへ」
 顔に締まりがない。ふにゃりと笑う彼が、これまでで一番、年相応の男に見えた。
「じゃあ、お前もいつかは王になるわけか」
「うん。でも俺でいいのかなって、今でも恐れ多く思うよ」
 謙虚な姿勢が微笑ましい。レックは、照れる好青年を見守る。
「大変だったんだよ。元々姫の婚約者は別の国の王子だったんだけど、結婚直前にその国の王様に根回しして、結婚を取りやめてもらったんだ」
 ん?
 レックの心中に、巨大なクエスチョンマークが浮かんだ。
「トロデーンとあちらの国の、何代か前の先祖が、お互いの国に異性の王位継承者が生まれたら結婚させようって約束しちゃったんだ。そうして結婚することになったのが、ミーティアと、その王子だった。王子は悪い人じゃないんだけど、すごくわがままで、とてもじゃないけどミーティアを任せられるような人じゃない。でもミーティアは国同士の約束だからって、我慢しようとしたんだ。だけど長い目で見れば、決して良いこととは言えないよね。トロデーンは王位継承者を失う。王族同士の結婚とはいえ、あまりに関係がうまくいかなければ、破談も考えられる。だってミーティアは、トロデーン唯一の姫だよ? ミーティアを粗末に扱うってことは、トロデーンを辱めるも同然じゃないか。そうなれば遅かれ早かれ、どちらの王家にも傷がつくよね? だいたいあの王子自身が、サザンビーク王家の治らない傷口みたいなものなんだから、もういいよね?」
 エイトは淀みなく語る。語り口も笑顔も、いつも通り柔らかい。
「幸い、俺には奥の手があったんだ。一つは王子が王位継承の儀式の時に不正を行ったことを知ってたこと。その不正をサザンビーク王から直々に頼まれたのが、俺だったからね。証拠品もある。もう一つは、俺もサザンビーク王家の血を引いてるってこと。現国王の出奔した兄が俺の父なんだ。その、王家の人間しか持たないっていう父の遺品も、俺は持ってたんだ。この二つを持って、王子のお父様に直談判しに行った。いやあ、熱い夜だったよ。でもお陰で、ミーティアは不本意な結婚をしないで済んで、俺たちも国の大事な人を失わないで済んだ。結婚式が取りやめになった日のトロデーンは、あまり大きな声では言えないけど、お祭り騒ぎだったよ」
 ロケットを手に取り、エイトは懐かしむような様子で写真を眺めている。レックは尋ねた。
「すげえけど、国交とか大丈夫だったのか?」
「ああ。もちろん、ちょっとぎくしゃくしたよ。どっちの国にもいろんな人がいて、意見も様々だから」
 エイトは目を細めた。
「でも、一つのことだけを重視し続けたら、国は弱ってしまうよ。多面的な視点、顔を持ってこそ、基盤は強力になる。国交も、かなり規模が大きいけど、基本は人間関係でしょ。大変なことをしちゃった分、たくさんあちらを助けることにした。やっぱり人情は大切だからね」
「エイト」
 レックは、その肩に手を置いた。
「お前はすぐ王になれると思う。その度胸としたたかさ、俺も見習いたいわ」
「お褒めに預かり、光栄です」
 エイトは冗談めかした仕草で一礼した。ロケットを閉じ、首にかけて懐にしまう。
「長くなっちゃってごめん。とにかくこの写真の人たちは、俺に居場所をくれた、大事な人たちなんだ。彼らのためなら、俺はなんだって頑張れるよ」
 ドアを叩く音がした。
「エイト。入ってもいいか?」
 アレフの声である。二人は顔を見合わせて、エイトが扉に向き直った。
「どうぞ」
「失礼する」
 アレフが先に入ってきて、その後からアレンが続いた。二人とも、やけに真剣な表情をしている。
「どうしたの?」
「天使たちを知らないか」
「俺は見てないよ。レックは?」
「もう、新しい冒険者を迎えに行ったみたいだったぞ。二人で一緒に向かったかどうかまでは知らないけどな」
「そうか」
 眉間に皺を寄せて俯く先祖を、アレンが覗き込む。
「アレフさん、いいじゃないですか。地図は新しいⅣ番の奴を指名したんだから、その通りにしてればいいんですよ」
「しかし、彼を放っておくのはもったいない。来てもらえれば、いい戦力になってもらえると思うんだが」
「あの野郎にこだわるだけ、時間の無駄ですって」
「なあ、誰の話をしてるんだ?」
 レックは口を挟んだ。アレフが顔を上げる。
「竜王に挑む前──つまり、昨日だな──に、ノインが出して見せた地図が、三枚あったのを覚えているか」
「そういえば、そうだったな」
 何という名前の大魔王がいたかまでは忘れたが、三体いた気がする。
「昨日倒した竜王がⅠ番、アレフさんの世界の魔王。シドーがⅡ番、つまり俺の世界の宿敵だ」
 アレンが先祖と自分とを順繰りに指す。
「あともう一体、エスタークというのがいた。コイツの対策に、実はもう一人呼ばれていたんだが」
 ここで彼は溜め息を吐いた。あとをアレフが引き取り、続ける。
「彼は、ノインと俺たちと共にシドー、エスタークを討ち取った後、離脱してしまったんだ。以来、行方が知れない」
「離脱って、元の世界に帰ったわけじゃないのか?」
 レックは首を傾げる。
 自分は今、ムドーの偽者がこの世界にいる原因を突き止め、危険性が低くなったという確証を得るまで留まると決めてこうしているが、そうしないという選択肢を選んでも構わないとナインは言っていた。一応、第一の目標だった魔王討伐は成し遂げたのだ。普通ならば、自分の世界にはもう魔王はいないのだから、帰っても問題ないだろう。
「それすら分からねえんだよ。ある朝起きたら、蒸発してたんだからな」
 アレンは眉間に皺を寄せ、吐き捨てるように言う。
「もともと、このクエストに協力的じゃない奴だった。ことあるごとに含みがあるような言い方をして、反抗的な態度が目立った。何でアイツが指名されたのか、分からないくらいだ」
「魔王を倒した経験が三度あると話していただろう。実力も確かだった。彼のお陰で窮地を脱せたことも、何度かあったじゃないか」
「それは、そうですけど」
 アレンは口ごもった。どうも、そのもう一人の戦士に対して良い印象を抱いていないらしい。しかしアレフがいなくなったことを惜しんでおり、アレンが反感を持ちながらも認めているところを見ると、本当に光るものがある戦士のようだ。
「その人、もしかしてⅣ番の世界の出身なの?」
 エイトが尋ねたところ、ロトの戦士達はそろって頷いた。
「俺たちも冒険の書を見せてもらったから、間違いない。Ⅳ番出身の、雷を操れる勇者だった。三度魔王を倒したそうだが、二度目に討ったのがデスピサロだったと言っていた。だから、何か作戦を聞けたらと思ったんだ」
「必要ありませんって」
 アレンはかたくなに首を横に振る。
「クエストを途中で投げ出す薄情な奴が、今更協力するとも思えませんよ。だいたい、新しいⅣ番の人が来るんでしょう? 十分じゃないですか」
「そうそう! このあたしが来たんだから、いいじゃん」
 明るい女の声が響いた。
 視線がいっせいに扉へと集まる。いつの間にか開いていたそこに、ナインと、知らない少女が立っていた。盛夏の木々に似た緑髪は短いながら癖が強いらしく、小ぶりな顔の周りをふわふわと舞っている。くっきりとした目鼻立ちが華やかで、豊満な肢体の輪郭を、ぴたりとしたレオタードで惜しげなく晒している。
 女は片目を瞑った。
「あたしがソフィアでーす。デスピサロを、一人で百回は殺したかな。よろしくね」
「また、えらいのが来たな」
 レックは声を落として漏らした。前に立つアレフとアレンの反応はなかったが、隣のエイトは微かに唇を動かした。君が言う? と言ったように見えた。
 その言葉、そのまま返したい。






▶︎▶︎▶︎



「進化の秘法って知ってる? 生き物を、本来の進化の道筋から外れた形に成長させる、魔族の邪法。動物を人間のように語ることができるようにしたり、人間を魔族にしたりできる。簡単に言うと、生命の法則をぶっ壊す禁術ね。
「そもそもはエスタークっていう魔王がこれを生み出して、最初に使ったらしいよ。あ、そういえば戦った人もいるんだっけ? そうそう。とんでもない生命力を得られるの。でも代償で、記憶をなくしたし、まともにモノも考えられなくなったし、寝てばっかりのうすのろになっちゃったんだけどね。だから、自分に使おうなんて思わない方がいいよ?
「デスピサロもこれを、世界征服の目的で自分に使ったんだ。案の定うまくいかなくて、身体も頭もバカになっちゃった。六回心臓をぶち破って、頭を飛ばしても、壊したパーツをすぐに回復させて、それどころか余計なパーツまで生やして襲いかかってくる。思考も意思疎通もまともにできないっぽいけど、何もかもを壊したいってことだけは覚えてるんだよね。七回目にぶっ飛ばして、やっと死んだ。あたしの旅もこれで終わったって、思ったんだけどねー。
「パーティーを解散してしばらく経ってから、あたしは一人でピサロを滅ぼした場所に行った。まだいた。あいつ、復活してた。もう何もなくなって、荒れ果てた自分の領地に突っ立って、あたしの姿を見たら襲いかかってきた。もう、世界征服なんて忘れちゃってるんだと思う。でも、危ないことには変わりないし、世界征服なんてしようとする奴を、ほっとけないじゃない。
「あたしは何度も何度もあいつを殺した。そのたびにあいつは甦った。だから、この世界にいるデスピサロは本物じゃないと思う。でもね。たとえ別世界であっても、ピサロって名前のつく奴がいて、誰かを傷つけようとしているならば、あたしはやるよ。それがあたしの、天空の勇者の務めだもの」
 ソフィアは作戦を立案し、メンバーを募った。
 デスピサロは生物として不安定なので、どの形態で来るかわからない。
 戦い慣れた自分が判断して指示を出したい。
 猛攻を受けるだろう上に長期戦が予想されるので、確かな回復手段を持っている者四人で、臨んだ方が良い。
 よって、守備力の強化ができる者、魔法を多く使える者、防御に秀でた者、敵を攪乱できる者がいてほしい。
 その方針のもと、前衛兼攪乱役としてレック、回復専念役としてエイト、壁役兼補助役としてナインが、ソフィアと共にデスピサロに挑むことになった。
 翌日、デスピサロ討伐メンバーは、地図に記された洞窟の前に立っていた。いつもと似たような暗黒が、岩山に口を開けている。
「とんでもなくタフな魔王かあ。どんな奴なんだろうな」
 レックは笑顔で軽く片腕を回す。エイトは微苦笑を浮かべる。
「緊張しないの?」
「してる。心臓ドッキドキのわっくわく」
「それは緊張って言わないんじゃないかな」
 エイトは反対側の隣人へ顔を向ける。洞窟を凝視していた少年が、こちらを見つめ返す。
「何か?」
「いや、何でもないよ」
 全く表情が変化していない。緊張という仕組みが彼の中にあるのかどうかさえ怪しい。
「改めまして、よろしくお願いしまーす! パーティーを組んで戦うのは久しぶりだから、フォローしてもらえると嬉しいな」
 ソフィアがにこにことして挨拶をする。レックも挨拶を返す。
「こっちこそよろしくな! 俺は思いきり攻めに行くから、うまく使ってくれ」
「うん!」
 レックとソフィアは同じ前衛として、戦いが始まる前最後の作戦確認をしている。後衛を務めるエイトとナインも、簡潔に話すことにした。
「俺は回復優先。ナインは今回も壁役。それでいいんだよね?」
「はい」
「ナインがスクルト以外の補助をしないって、なんだか慣れないな」
「今回の敵は複数回行動、高火力、属性攻撃、バフ解除特技持ちと、かなり手強いようですから、ダメージを軽減する努力ももちろんですが、まずある程度ダメージそのものをカットすることも必要です。パラディンの防御能力は欠かせません。万が一の時は、蘇生をお願いします」
「わかった」
「ソフィアさんが補助呪文をおおむね習得しているそうですから、お任せしましょう」
 二人はそろって女勇者の背中を見た。レックと何やら笑い合っている様は、特別な風もない快活な少女だ。
「信じられないよね」
 エイトは呟いた。
「重い武器を使って攻撃できるだけじゃなくて、魔法全般使えるなんて。モシャスってそんなにすごい呪文だったんだね。俺もモシャスを使える子を一人知ってるけど、あれは見た目を真似するのが限界だったからなあ」
 ソフィアは擬態呪文モシャスを使い、かつてパーティーにいた仲間全員の技を使えるのだという。この呪文はあまり広く流通しているわけではないようで、魔物が使役しているのを見たことがあるというレック、仲間が使えたというサンドラ以外、誰もこの呪文を使ったことも、使われているところを見たこともなかった。
「気になる?」
「ええ」
 そう言うわりに、ナインの反応は鈍い。いつもならば目を輝かせて語り出すのに。エイトは彼の顔を覗き込む。
「どうしたの?」
「変化呪文モシャスのことは、僕も知識としては把握しています。使い手の姿を模倣の対象に変化させるというもので、変化の内容も使い手のレベルによって変わります。最初は外見の模倣しかできませんが、熟達すれば能力のコピーができるようになり、存在の共有すら可能になります」
「存在の共有?」
「擬態の対象と全く同じような状態になれることです。たとえば怪我をしている人にモシャスすれば、全く同じ場所に怪我をした状態で化けることができます」
「それ、メリットあるの?」
「もちろん。擬態対象の現在の状況になれるということは、対象の経験した時の経過すら共有できるということです。理論上では、意識をコピーすることも可能かと」
「つまり、身体も心も、相手の本当の分身になれるってこと?」
 ナインが頷く。エイトはぞっとした。
 心身ともに、変化の対象になりきる。多くの不可能を可能にするだろう。しかし、なんと恐ろしいことか。
「僕も変化呪文を使えたらどんなに便利だろうと思い、習得を目指して天使界を駆け回ったこともありました。しかし、できませんでした」
「どうして」
「この世界では、抹消されたものとされていたからです。僕が先程喋った内容は、天使界の禁書架から発見した内容になります」
 ソフィアさんは恐らく、かなり高レベルの身体および能力の変化ができるのでしょうね。
 エイトはもう一度ソフィアを見た。もう、ただの快活な少女に見えなかった。
「じゃあ、やるぞー!」
 ソフィアが片腕を挙げる。おー! とレックが同じようにして応えた。無邪気な前衛達を先頭に、パーティーはついに洞窟に踏み入った。
 ひらけた洞に辿り着く。そこにいたのは巨大な顔を二つ縦に積み重ね、強靱な四肢を生やした化け物だった。上の頭に生えた第三の目が、ぎょろりと闖入者たちを映す。
「第七形態からスタートだね」
 ソフィアが瞬時に魔方陣を展開した。
「硬化いくよ!」
 四人の身体が硬い石となる。これでしばらく敵の攻撃パターンを観察する手はずになっていた。
 デスピサロだけが動く。攻撃、ドルマドン、マヒャデドス、スクルト、攻撃、煉獄火炎、攻撃、ザラキ、攻撃、輝く息、凍てつく波動、甘い息。
 眠りの吐息が去った後に石化が解け、すぐにナインが言う。
「一ターン三回攻撃です。これまでの敵がよく使役する属性=弱点属性だったことから予想すると、デスピサロの場合は氷属性が弱点の可能性があります」
「おっけー。あたしは少し準備があるから、みんな時間稼いで」
「俺が前に出るぜ」
「俺も行くよ」
「僕はパラディンガードでサポートします」
 いっせいに動き出す。
 レックとエイトがデスピサロへ突撃し、ナインが呪を唱えながら深紅の旗を掲げる。
 デスピサロの眼前に迫ったレックへ、輝く息が吐き出される。しかし吹雪は彼の前に現れた半透明の障壁に阻まれ、脇へ逸れる。
 ラミアスの剣が閃めいて、デスピサロの足に無数の十字が入る。
 その反対側で、エイトが槍を腕に刺す。彼を潰そうとするデスピサロの腕は、やはりパラディンの守りで弾かれた。
 ソフィアは自身の両腕を胸元に翳す。
「我が鏡。念ずる姿を映し出せ。モシャス」
 身体が白く発光し、輪郭が変化する。光が失せた後、現れたのは白髪白髭が四方に伸びた老魔術師である。
 老魔術師となったソフィアは唱えた。
「ピオリム」
 山彦の悟りが発動し、戦士達の身のこなしがより軽くなる。
 しわがれた声で続けて詠唱する。
「ルカニ。バイキルト」
 怪物の身体にかかった守護が弱まり、逆に老爺の身体に力が漲る。  彼は背に負った剣を抜く。すると途端、骨張った腕は張りのあるしなやかな腕に変わり、落ちくぼんだ眼窩が情念ぎらつく女のものへ戻る。
「いっくよー!」
 ソフィアは弾丸のように駆けだした。彼女の軌道を見て取ったエイトが退く。
 デスピサロは下にいたレック、脇に逸れたエイトをそれぞれ上下の顔で追っていた。そのため、真っ向から迫る刃への対応が遅れた。
 間一髪退きながら敵を見たレックは唖然とした。
 天から降ってきた彼女の刃が、巨体の中心を割った。まるで斧で薪を割るかのような思い切りの良さで、巨体が二つに裂けたのだ。
(は?)
 レックは現実を疑ったが、どう見てもたった一太刀である。
 彼女に強化呪文が、敵に弱体化呪文がかかっているにしても、豪腕すぎる。
「まだだッ!」
 鋭く飛んだソフィアの声に我を取り戻し、レックは印を切った。彼女はまだ剣を繰り出す姿勢だ。ならば自分は一度サポートをした方が良い。
 レックは弱体化の呪文を唱える。ナインが全体守護強化の言葉を口にする声が遠くで聞こえた。
 デスピサロの両腕が、脇から身体の中心をがしりと押さえつける。頭の天辺、割れた部分の肉が盛り上がり、切れ目を塞いでいく。
 そこへ下から繰り出されたソフィアの剣が両足を薙ぐ。まだ回復途中のデスピサロが揺らいだ、その隙を逃さんと彼女は叫んだ。
「倒して!」
 すかさず飛び上がったエイトが槍で巨躯の中心を刺突する。鋭く突き出された穂先と倒れゆく大魔族の間に、漆黒の魔方陣が展開する。ジゴスパークだ。
 雷がデスピサロを撃った。背中から地へ落ちる。激しい地響き。レックは足を踏ん張った。
「やったか!?」
「まだです」
 ナインが地鳴りに負けじと声を張る。
「まだ、生きてます!」
「手応えがよくない。雷はあまり効かないみたいだ」
 エイトの声もした。
 デスピサロは苦痛にもがいている。両腕が振り上がって落ちる、その様を見ていたレックは身構える。
 飛び退いた刹那、腕がレックのいた場所を抉った。
 輝く息をお見舞いするとデスピサロは凍り付き傷つきながらも死の呪言を吐く。口から迸る精霊文字が舞い、おどろおどろしい光を放ちながらレックのもとへ飛ぶ。振り払って、再び襲ってきた腕に脇腹を裂かれながらも、爆裂拳を浴びせる。めちゃくちゃに殴れば腕が折れる。
 視線を上げたレックは、上体を浮かしてこちらを向くピサロの四つの目玉に気付いた。
(こっちに攻撃する気だな)
 受けて立つべく、体内で竜の呼気を練り上げる。
「マヒャド!」
 ソフィアの詠唱が聞こえた。
 天井で魔方陣が二重に輝き、山彦に応えて出現した無数の氷槍が大地を貫く。
「おいおいおいっ」
 当然近くにいるレックの方へも氷雨が注ぐ。躱そうとした瞬間、レックの前に魔力の防壁が現れた。
 すかさずマヒャドの降り注ぐ一帯から脱出する。デスピサロから離れて防壁を張るナインの近くに、ソフィアもエイトも揃っていた。寄ってきたレックをすぐにエイトが癒やす。
「ありがとな」
「いえ」
 ナインと短く会話を交わすレックに、ソフィアが明るい声をかける。
「ナイス陽動。いい身のこなししてるじゃん」
「死ぬかと思ったわ」
「へへん。そんなへっぽこじゃないっての」
 舌を出し、視線をデスピサロの方へ戻す。
「一応、もう一発やっちゃおうか」
 再び氷雨と言うより氷河の如きそれをピサロへと叩きつける。離れていても、砕け散る氷のつぶての合間に、緑やら黒やらの破片や液体が飛び散るのが見えた。
「さっき真っ二つに裂かれた時、再生しかけてたな。あのくらい木っ端微塵にしなくちゃなんねえのか」
「うん。半分八つ当たりだけどね」
 ざまあみろ、とソフィアは嗤う。それから、自分の横顔を呆気にとられた風に眺めていたレックやエイトに気付いて、肩を竦めた。
「あたしの不幸自慢、聞いちゃう?」
「何があったか知りたいです」
 どう返したものか迷ってる間に、ナインが答えた。ソフィアは一転してからからと笑う。
「いいね。その淡々とした感じ、あたし好き。じゃあ話すね」
 ソフィアは片手を振って氷塊を降らしながら、語る。
「あたしの故郷はあいつに滅ぼされたの。他種族を虐げる人間が許せなくて、弱い奴でも生き残れる世界を作りたいみたいな、まあごもっともな理由もあったらしいんだけど、それとあたしを狙ってあたしの周りのみんなを殺すのは別じゃない」
 大地が揺れる。執拗に降る刃に、巨体はのたうってあがき続ける。
「あたしみたいな、天空人と異種族の者の間に生まれたハーフ──天空の勇者って呼ぶんだって──は破魔の力を持つみたいで、それが世界征服を企む魔王のあいつには邪魔だったらしいのね。それで子供のうちに殺そうって。
「あたし、ピサロに狙われ始めた頃はまだ赤ん坊だったから。魔王に抵抗したい人間達は魔族に隠れてあたしを育てるため、山奥に村を作った。あたしは何にも知らずにのんびり育った。田舎って退屈だなー外に出たいなーなんてませたことを考え始めた十七歳の時に、村がピサロに見つかって滅ぼされた」
 魔方陣の煌めきが氷塊に映り込み、青く燃え上がる。
「最後の一日、ドラマチックだったんだ。両親にお前は本当の子供じゃないって言われて、みんなが地下室に逃げろって。幼馴染みはあたしを無理矢理連れてって閉じ込めて、あたしの姿になって、バイバイって笑った。
「幼馴染みは、綺麗な可愛い子だった。エルフだから全然年を取らなくて、ずっと十七歳のあたしと変わらないような見た目をしてたけど、何歳だったか今でも知らない。いつも変身の、モシャスの練習をしてて、成功したときはあたしを驚かせにきたっけ。あたしはあの子が大好きだった。
「村のみんなは魔王が天空の勇者を探しに来るのを知ってて、その時のために幼馴染みをあたしの身代わりにする計画を立ててたんだって、あの状況になって知った。何も知らなかったのはあたしだけ。人を守るのが勇者のはずなのに、あたしは──さて!」
 低くなっていたソフィアの声が、明るく跳ね上がる。
「こんな感じでどう? 良い感じに死んでると思うんだけど」
 レック達は眼前の景色を眺める。
 巨大な匙で荒くくり貫いたような穴ができあがっていた。その深さはこの洞の、レック達の立つもとの地面の高さから天井程度ほどもあり、洞の壁ギリギリまで抉っている。
 その穴の中心に、黒い影が横たわっていた。否、横たわっているわけではない。
「デスピサロは完全に消滅したようですね。あれは彼の消えるときに立ち上った魔瘴の色です」
 ナインはそう判断した。ソフィアは満面の笑みで指を鳴らした。
「やったぁ、討伐完了!」
 いえーいとハイタッチをしてまわる。
「新しい姿に変化したらどうしようって思ってたけど、全然心配なかったね! さ、帰ろ」
「待ってください。魔王の地図があるか確認したいです」
 ナインが道具袋から紐を出し、レックに持たせた。
「うまく上がれなかった時のために、一応持っていていただいてもいいですか。すぐ戻ります」
「待って。あたしも行く」
 ナインとソフィアは穴の縁に足をかけて滑り降りていく。
 二人の背中が遠ざかり、穴の中心辺りに辿り着くまで、レックとエイトは立ち尽くしていた。
「なあ」
 レックが語りかける。エイトは首を傾けて応えた。
「この世には似たような世界がたくさんあるんだろ?」
「そうらしいね」
「Ⅳ番の世界の天空の勇者って、みんなあんな目に遭ってるのかな」
「…………」
「もう一人、この世界にもⅣ番の奴が来てたんだろ。そいつも、ああいう感じなのか?」
「俺は会ったこともないから分からないよ」
 エイトはややあってそう言った。だよなとレックは頷いた。
「でも」
「うん?」
「俺はトロデーン城で拾ってもらって、色々あったけど城のみんなも生きてて、幸運な方だったんだなって思う」
 エイトは女勇者を見据えていた。レックもそちらを見て呟いた。
「俺もそう思う」
 天使と女勇者はクレーターの中心でしばらく這いつくばっていたが、あちらこちらうろついた後、ソフィアがナインに何か見せた。天使の頭は止まっていたように見えたものの、僅かに縦に動いたらしい。ソフィアが勢いよく立ち上がって走ってきた。
「次の地図、あったよー!」
 笑っている。
「えーとね、次の魔王は……あれ、なんて名前だっけ」
「忘れるの早いな」
 レックがツッコむと、ソフィアは走りながら手元の地図をもう一度見る。その後ろから駆け寄ってくるナインは僅かに口元を緩め、
「次の魔王は」
 言葉を止めた。
 レックは振り返るソフィアと時を同じくして、ナインへ目を移した。そして、立ち止まった彼の円らな瞳がめいっぱい見開かれているのに気付いた。
 小さな頭が後ろを向く。そこには何もない。
「ナイン、どうしたの?」
 エイトが呼ぶ。
 ナインの反応はない。彼の見つめる先へ、レックは目を凝らす。気付いた。
 砂が僅かに動いている。
「逃げてください!」
 ナインが叫んだ時、突然穴の中心から太い砂柱が二本立ちのぼった。
 凝視するソフィアの背中を押し、ナインが全速力で穴の縁まで駆けてきて縄を引く。レック達は二人を急いで引き上げる。そうしながらレックは、砂柱の中心へ視線をやった。  もうもうと立ちこめる砂埃の中に、巨大な影が二つある。そのサイズに嫌な予感がした。
「ナイン、あれは何だ」
「新たな大魔王です。それも、二体」
「二体!?」
 四人は影を見つめる。砂埃が晴れ、その全貌が露わになる。
 ソフィアが息を飲んだ。
「エスターク……」
「え?」
 彼女の目は右の、茶褐色の双剣を携えた甲冑の如き魔王を捉えていた。顔こそひとつで、色も異なるが、先程まで戦っていたデスピサロとよく似た外見をしている。
 レックはナインに尋ねる。
「エスタークってノイン達が倒したんじゃねえのかよ?」
「そうです。しかも、エスタークが出現した場所はここより遙かに東。ここに出現するはずがない」
 さらに、とナインはソフィアの手元の地図を覗いてもう片方の新しい魔王を見やる。皮膚は赤と黒のまだら模様で、太い胴から四本の腕と巨大な翼が生えている。口は耳元まで裂け、太く長い牙が露出している。
「あれは」
 瞠目した。
 名の知れぬ魔王の腕の一本を、エスタークが切り落としたのだ。
 魔王は何も言わず、落ちた腕が断面を下にして大地に突き刺さる様を眺めている。
 顔色を変えたのはソフィアだった。
「やばい!」
 飛び出そうとした彼女にナインがしがみつく。彼女の動機が分からなかったレックとエイトも、大地に刺さった腕の色が次第に見覚えのある黒ずんだ緑に変化していくのを見て、悟った。
 腕は蠢いた。そして肘を曲げ、力み、地中から身体を生やした。
 顔が一つ現れる。その下の胴にも、顔がある。
「デスピサロが復活した!?」
「さすがに三体相手は厳しいです。退きましょう!」
 レック達は出口目指して駆けだした。洞から細道に入り、地上目指して駆ける。
 しかし、出口があったはずの場所は岩で塞がれていた。
「なんで!?」
「エイトさん、脱出を」
「リレミト」
 エイトが詠唱した。浮かび上がって精霊文字は、陣を描く前に掻き消えた。続いてソフィアも試し、レックも試してみたが、結果は同じだった。
「どういうことなんだ」
「マホトーンなんて喰らってないよ?」
 戸惑うレックとソフィア。ナインがこめかみに手を当てる。
「僕らの魔法が神霊に届く前に掻き消されてるんです」
「つまり、ここはアイツらに支配されてるってこと?」
 エイトが言うと、ナインは頷いた。
「こんなこと今までありませんでしたのに、いったいなにが」
「話してる場合じゃねえ」
 レックはもと来た道へ振り向いた。
「あいつら、追ってくるぞ。あのでかい身体じゃあここには入れねえけど、攻撃が届かないわけじゃない。このままじゃここで蒸し焼きにされる!」
「やっぱり戦うしかないよ」
 ソフィアが再び剣を抜いた。険しい眼差しが洞の方を睨む。レックも剣を抜き、次いでエイトも槍を構え、ナインを見下ろす。
「黙ってやられるわけにはいかないって。それに、やられたとしても教会で復活できるでしょ」
「ええ、そうですね」
 ナインは小声で答えた。
「我々がやられた後、この場所が外界に通じられれば、ですが」
「生き残れば問題ないだろ」
 レックは笑って見せた。ナインは微かな笑みを浮かべ、盾を持ち直す。
「まだこの通路口までは来てねえ。あいつらが来るより先に脱出して、奴らの背後に抜けよう!」
 四人は覚悟を決め、再び戦地へと戻った。
 来た道を戻り、まず洞へレックとナインが飛び出す。当然巨大な火炎やら爆発が襲ってきたが、まだ飛び出さずにいたエイトがすかさず全体回復の呪をかけて持ち直させる。
 攻撃によって立ちのぼった煙が失せぬうちに、エイトとソフィアも小道を脱出して魔力を纏い、魔王らの背後、広い空間へ飛ぶ。行く手を塞ごうとするエスタークの顔面へ、レックがまだら蜘蛛糸を投げつける。ついでとばかりに他の二体にも投げつけてみたが、デスピサロには腕にかかったものを取り払われ、もう一体の魔王には躱された。
 その間、先に魔王達の背後へ抜けていたナインはスクルトを重ねがけし、魔法戦士の秘伝を用いて全員に属性の加護をかける。ソフィアは全員に増強呪をかけ、エイトは敵を引きつけるレックを回復しつつ、賢者の聖水で魔力を回復させた。
 あらかじめできる支度を終えたところで、レックが三人のもとへ飛んでくる。魔力の衣を纏った四人は、顔を見合わせた。
「あんなにマヒャド連発しなければ良かった。足場ボコボコでやりづらくてごめん」
「ううん。あの図体の三体相手だと地上戦じゃあまともにやりあえないから、足場が無事だったとしても飛んでたと思うよ」
「僕は補助に専念します。順番に一体ずつ仕留めていきましょう」
「デスピサロはまたさっきみたいに復活されると厄介だから、後回しにするか。エスターク、よく分かんねえ奴、デスピサロの順番にしようぜ」
 三人は賛同する。レックはラミアスの剣を持つ拳を突き出した。
「やるぞ」
 ソフィアが、エイトが、ナインが、それぞれ得物を持つ拳で応じる。
 頷き合い、四人は横一列に並んだ。三体の魔王が、こちらへ赴こうとしていた。






▶︎▶︎▶︎



 レックたちは戦った。剣を駆り、魔法を駆使し、斃れたら蘇生した。
 それでも敵は大魔王三体。次第に手が追いつかなくなる。
 回復しようとしたナインが、エスタークの両刀で二つに削がれた。
 次に彼を蘇生させようとしたエイトが、デスピサロの凍り付く息で斃れた。
 大魔王の攻撃を躱しながらエイトの傍まで駆けてきたレックは、仰向けになった彼の蒼白な顔を見下ろし、歯がみする。
 世界樹の葉がきれた。もう蘇生は適わない。
(あと少しで一体は仕留められるのに)
 レックは戦いの中心を見やる。大魔王三体とソフィアが交戦している。うち一体、赤い巨体の敵は先程から身体が傾いだままだ。あと少しで削りきれるだろう。
 しかしこちらは魔力の残り少ないたった二人。猛攻を凌ぎながら攻撃するのは厳しい。
 エスタークや得体の知れない敵の吐息攻撃の範囲外へ逃れるため、ソフィアがレックの方へ駆けてきた。
 大きくせり立った岩の背後に隠れ、吹きつける吐息攻撃を躱す。
 狭い岩の陰に入り込むなり、ソフィアが倒れ込んだ。
 レックは攻撃を喰らわないよう、彼女の身体を引き寄せた。
 身体が大きく波打っている。
 肩でさえ、息を調えきれていない。
「ソフィア。一か八かで逃げよう」
「──ねえ」
 最初、呼びかけられたのかと思った。
 ソフィアは深く地に臥していて、レックからは小さく動いている唇しか窺えない。
 よく耳を澄ませてみようとした時、彼女の声が俄かに強くなった。
「許さねえ……よくも、ナインとエイトを……許さねえッ……!」
 声が震えている。
 四つん這いになっていた身体が起き上がる。
 地についていた顔が、上がる。
 ギラついた双眸。
 こめかみには血管が浮き上がっている。
 歯を食いしばり、血を垂れ流す口元が歪んでいる。
「ソフィ……」
 レックはぎょっとした。
 彼女の怒りの形相が、急に婀娜な笑みに変化したのだ。
「やだ-、いったーい。たまにはあたしも本気を出さないとかしらぁ?」
 ソフィアはしなを作って片手を頬に当てた。
 その表情がまたくるりと変わり、しかめ面になる。
「やれやれ、若いモンは柔でいかんわ」
「おじいちゃん、そんなこと言わないで助けてよー」
 しかめ面から一転、ソフィアは唇を尖らせる。
 口調、表情、仕草、何もかもが次々に転がるように変わる。
 これは何だ。
「そ、ソフィア?」
 レックの伸ばした指の先で、ソフィアはがくりと上体を折った。
 正座した彼女の背中が、ボコリと音を立てて盛り上がる。
 盛り上がりは彼女の両の肩甲骨から始まり、みるみるうちに大きく隆起していく。
 はじめ、背中から生えた二つの塊は翼のように思えた。
 血に濡れていたが、かたちは紛うことなく巨大な鷲の翼である。
 肉の翼はすぐ裂け、形を変えた。
 右の翼は長髪のジプシーとなり、ソフィアの身体にしがみつく。
 左の翼は先程見た老爺となり、ソフィアの身体を見下ろして鼻を鳴らす。
(背中に、ヒトが)
 レックは言葉を失って、眼前に発生した変貌を見つめていた。
「あたしの特大のメラゾーマをお見舞いしてあげるわ」
 艶めかしく、女が笑う。
 右のジプシーが喋ったのだ。
「まったく、世話が焼けるのは姫様だけで十分じゃわい」
 ぶつくさと老爺が愚痴る。
 左の老人が喋ったのだ。
「二人とも、ごめんね」
 女は両足で立ち上がった。
 先程まで過度の疲労で倒れ込んでいたはずなのに、もう揺らぐことすらしない。
 そこに立ったのは、もはや一人の女勇者ではなかった。
 毅然とした面持ちの女の背から、二人の人間の上半身が生えている。
 右のジプシーがあくびをしてみせる。
 左の老爺は両手を操って早詠みの陣を編んでいる。
 一つの体に、「パーティー」が内在している。
(二人とも、意思を持ってるのか? 召喚か?)
 それにしても、こんな形は見たことがない。
 ソフィアは剣についた血糊を血に払い、身体の前に構えた。
「行くよ」
 岩陰から躍り出た。
 赤き巨体の大魔王が、ソフィアめがけて大木のような腕を突き出す。
 老爺の詠唱が響く。
「ピオリム」
 魔王の手が触れるすんでのところで半回転して躱し、さらに加速をかけながら肉薄する。
 赤黒い巨体の至近距離で、ジプシーが腕を翳し、ソフィアが剣先を向ける。
「メラゾーマ!」
「ギガデイン」
 最高位呪文が山彦する。
 痙攣する巨体を盾にして他二体の攻撃を逃れたソフィアの半身、老爺の姿が変貌して若い男に変わる。
 その様を見て、レックはやっと彼女が使っているのは召喚術ではなく変化呪文なのだと悟った。
「スクルト」
 男の詠唱した精霊言語が女の周辺を舞う。
 燐光をまき散らしながら、レオタードから伸びた形の良い足が大地を蹴り、大跳躍を見せる。
 ちょうど、赤き巨体を回り込もうとしていた二体の大魔王の背後に回った。
「ベギラゴン!」
 ジプシーの練った火炎がソフィアの掲げた剣に宿る。
 ソフィアの咆吼とともに、火炎の大太刀は振り向こうとする大魔王達を薙いだ。
 着地した彼女を、赤い大魔王の腕が横ざまに殴りつける。
 ソフィアは勢いよく転がっていき、巨大なクレーターを転げ落ちそうになる。
「危ないッ」
 レックが受け止めに行くより先に、彼女は力を振り絞り地面に食らいついた。
 四肢で地にしがみつき、三体の大魔王を睨む。
(なんて奴だ)
 その風体に、レックはぞっとする。
 己の背に二人の人間を宿し、全身を自らの血と返り血で真っ赤に染める姿。
 四つ足で這いつくばりながらも、決して失われない眼力。
 そして右手に握りしめる、天空の剣。
(あんなに傷ついて、消耗しているのに。あんなに酷い転がり方をしながら剣を握っていたら、腕を切り落としかねないぞ)
 今日出会ったばかりだ。
 それでもここまで共に激戦をくぐり抜けてきて、レックは理解した。
 彼女の強さを。
 そしてその強さをもたらす、凄まじい執念と憎悪を。
「クリフト、ミネアと交代!」
 ソフィアは全体回復を施し、剣を手に駆ける。
 背中に揃ったジプシーの姉妹が、火炎と旋風の最大呪を口にする。
 たちまち起こる火炎の暴風が敵を蹂躙する。
 それでも襲い来る、さらなる上級呪文。
 超爆発をその身に受け、絶え間なく迫る殺意の肉弾攻撃を受け、それでも女は駆ける。
 大きく口を開け、吼える。
「殺す。お前らみんな、殺してやるぅぅぅッ!」
 真っ赤な口腔が、さらなる血を求めるよう。
(これが、天空の勇者なのか?)
 レックは支援に行くことさえできず、三体の大魔王の周囲で奔走する彼女の姿を見つめる。
 エスタークの首を断ち、デスピサロの腕をもぎ、歓喜の笑みを浮かべる。
 憎しみに歪んでいた美しいかんばせが、その時だけ花のように綻ぶ。
(あれは、勇者と言うよりまるで)
 特大の爆発が起きた。
 三魔王のイオグランデが重なったのだ。爆心地から遠いレックさえ風に煽られ、片腕で顔を守る。
 それでも飛ばされてくる人影を見つけ、駆け寄った。
「ソフィア!」
 間一髪、壁にぶつかる前に抱きとめた。彼女の胴を抱える手が血と脂で濡れて滑る。
 レックはそれでも力を込めて離すまいとする。
「もういい。もう、やめよう。逃げるんだ」
 必死で呼びかけるが、ソフィアは彼の腕を払いのけた。
 地にどうと伏せるも、やっとのことで上体を起こす。
 見開いた目には、迫り来る敵しか映っていない。
「ミネア」
 魔力が尽きる
。  ソフィアはそう言った。
 背中のジプシーの姉妹のうち、黒魔術使いの方はだらりとのけぞったまま微動だにしない。
 もう一人、白魔術使いの方は、理知的な双眸をソフィアと共に敵へと据えた。
「導かれしさだめに従い、再び死せる者を一所に集めましょう」
 涼やかな声で詠唱を始める。
 その音を辿るうちに、レックは悟る。
 自己犠牲呪文だ。
(そんなのまで使えるのか!)
「やめろ、もう──」
 追いすがったレックの頭に、冷たい飛沫が飛んだ。
「ばーか」
 知らない人物の声がして、一瞬思考が静止した。
 腕に抱え込んだソフィアも同様で、先程までの鬼のような形相はどこへやら、幼子のような表情でぽかんとしている。
 さらに三体の大魔王さえその場に留まっていた。
 彼らの無数の目は、レック達の背後に注がれていた。
「そんな状態で殺せるかよ。本気で殺したいと思うなら、作戦くらい練れ」
 先程聞こえたのと同じ声がした。
 皮肉な響きを含んで笑う、青年のようである。
 ソフィアが首を回し、背後を見上げた。
「ソロ。アンタ、本当に存在してたの?」
「こっちのセリフだ。お前こそマジでいたんだな」
 レックも振り返る。
 そこに、新たな人影が四つあった。
「遅くなってごめんなさい」
 ノインが眉を下げている。両手杖を握っている。
「酷い有様ね。サポートするわ」
 サンドラはセリフの割に、いつもの無表情だ。
 あとの二人は知らない人間だった。緑髪の青年と黒い長髪の男である。
 レックとソフィアに何やら水を撒けて語りかけたのは、真後ろにいる緑髪の方らしい。
「敵じゃねーよ」
 青年が白い歯を見せた。その表情を見て、レックは彼が目の覚めるほどの美形であることにやっと気付いた。
 彼は手の中にある小瓶を振ってみせる。
 賢者の聖水の空き瓶だ。レックは、自分の魔力が少し回復していることに気付いた。
「俺はソロ。Ⅳ番の書の人間で、コイツの知り合いだ」
 そう言いながら、ソフィアの頭を小突く。
 彼女は不満そうに唇を尖らせて彼を仰いだが、表情に先程までの取り憑かれたような狂気はない。背中の「仲間達」も消えている。
 Ⅳ番。男勇者。レックは閃いた。
「もしかして、エスタークを倒してから行方不明になってたっていう?」
「お、知ってんのか。そう、あのエスタークがただでいなくなるワケがねえと思って、ちょっくら自由行動してたってわけだ」
 口の片側を吊り上げるソロの隣に、黒髪の男が立つ。
「僕はグランバニアのアベル。僕の知る魔王が復活したとノインちゃんから聞いて、この世界に来たばかりなんだ」
「ナインの生命が尋常で無い潰え方を繰り返したのを感知したので、もしやと思い、お二方をお捜しして連れてきたのです。来て正解でした」
 ノインは離れた位置に斃れるナインの姿を認め、目元に皺を寄せた。
 いつも、文字通り天使のように無邪気な彼女が、初めて負の感情を見せている。
「アイテムも十分に持ってきました。大魔王三体相手とは言え、戦力に問題はないはずです。すぐさま蘇生と回復を試みます」
「ああ、そうしてくれるかな」
 アベルが答え、未だ警戒している様子の三魔王へ視線を移した。
「本当に復活してたんだね。エスタークはもう生き物としてめちゃくちゃだから確かめようがないけど、ミルドラースは偽者だ」
 彼の目が赤き巨体の魔王へ向くのを見て、レックはあの魔王がミルドラースという名なのを初めて知った。
「デスピサロは俺が知ってる」
「助かるよ。これだけの情報と戦力が揃ってるなら、申し分ない」
 アベルが手にした錫杖で地を突いた。振動が腹を伝い、不思議と落ち着いた気持ちになった。
「さあ。反撃を始めようか」






▶▶▶



 ドラムの刻むリズムが拍動と重なり、いつにも増して熱い血潮が体中を巡っていく。鳴動には攻撃力を増す呪術が込められているのだ。
 レックは三体の大魔王に向けて駆ける。先ほどまでよりずっと、足に力が籠る。理由は魔力や傷が回復したからだけではない。
「はああッ」
 エイトが渾身の雷でエスタークとデスピサロを薙ぐ。ギガスラッシュが二体を揺るがせ、目玉がエイトの挑発的な瞳とかち合った。
 彼へ向けて放った激しき吹雪と火焔とを、寸前で滑り込んだ大盾が受けて流す。煙が立ち上り、失せていく。そこには装備の損傷こそあるもののしっかと立つナインと、その後ろに伏せたエイトがいた。二体の注意がナインに向く。
「今だ!」
ドラムを置いたアベルが声を飛ばす。レックは応じるように大きく跳躍し、剣を振りかざしたまま宙返りする。
切っ先の落ちる先は、大魔王二体から離れた位置。
仲間から引き離されたミルドラースの脳天。
「レイドック流、兜割りッ」
 ルカニを宿した剣で、頭に叩きつける。
 二つに割れた顔面から噴き出す、黒い奔流。それでもよろよろと次の攻撃を繰り出そうと伸ばした手を、蹴り飛ばした者がいた。
「うらああああっ!」
 ソフィアの全体重と魔力を込めた蹴りが、大魔王の巨体さえ倒す。
 大きく地が揺れる。他のメンバーはその場でたたらを踏んだ。魔王もよろめく。しかし中空に未だとどまるソフィアには関係ない。
 地に叩きつけられ、跳ね返ったミルドラースの体を足場にもう一度飛び上がり、剣を掲げる。咆哮と共に分厚い肉の間に剣が滑り込む。
 ミルドラースの腹が緊張して膨張する。次の瞬間、吐く息と同時にミルドラースの体は黒い霧と化した。
「一体!」
「っしゃあッ!」
 ソフィアとレックは剣をかち合わせた。
「レック君とソフィアさんはそのままガンガン攻めて。エイト君とナイン君は一度後衛に。ノインちゃんは前に出ないで攻撃呪文でサポート。サンドラさんはそのまま回復に専念」
 アベルの導くまま、ミルドラースを倒した二人はそのまま残る魔王のもとへ迫り、これまで引き付けていたエイトとナインが下がる。
 大魔王たちは、これまで注目していた二人の方へついていく。満身創痍のエイトとナインと入れ替わる形で、ソロとアベルが前へ出る。
「お客さん。残念だが、もう延長はなしだぜ」
 ソロが左右不均等な笑みを浮かべる。アベルが両手杖を体の前で構え、目を瞑る。
「あとは任せたよ、ソロ君」
「へっ。しゃーねえな」
 アベルは口元だけで微笑み、次の瞬間双眸をカッと見開いた。その瞳孔と構えた両手杖に彫られた竜の眼が、等しく黄金に輝く。
 旋風が巻き起こる。中心にたたずむアベルが浮き上がり、黄金の輝きが全身を包む。身体の輪郭が変化していく。
 胴は大きく。
 手足は長く、太く。
 首は伸びて顎が逞しくなり、頭から二本の角が後方へ伸びる。
 背中から二枚の何かが分離し、左右均等に開く。
 黄金の輝きが失せ、アベルが再び地に立つ。大魔王二体はたたずみ、警戒の色を浮かべて彼を見つめた。
 輝きの中から現れたのは、一匹の黒龍だった。背丈は大魔王に並ぶほど。逞しい筋骨を正真正銘の鱗の鎧が覆う。長いひげと深い紫のたてがみが悠々と靡く。
 ドラゴンは咆哮し、相対した二つの巨躯に向かって突進していく。不意を突かれた魔王たちは四肢を踏ん張り、ドラゴンの体を受け止めるのが精一杯だった。
「テメェら、突っ込め!」
 ソロが剣を振りかざす。大魔王たちの背後に迫っていたレックとソフィアは、それぞれ最大の魔法を、剣を放つ。
「ギガデイン!」
「ギガスラッシュ!」
 ソフィアの雷が敵の脳天を殴り、レックの一撃が背を抉る。両魔王共に振り向こうとするが、取っ組み合ったアベルがそれを許さない。鋭い爪を二体の肩に、胴に食い込ませ、その場から動かさない。
 苛立ったデスピサロが地獄の業火を吐く。アベルの黒き鎧を炎が舐め、焦がすも、巨躯は全く揺るがない。
「ドルマドン」
「ベギラゴン」
 ノインとエイトも詠唱を重ねる。ソフィアもギガデインの詠唱を続け、レックは繰り返し太刀を浴びせる。
 しかし、魔王たちはなかなか倒れない。
(俺たちの体力はともかく、アベルは大丈夫なのか?)
 レックはそれが心配だった。アベルがその身をもって魔王たちをとどめてくれているおかげで攻撃がしやすい。しかし敵に攻撃を絞っているとはいえ、彼はあまりにも敵に近い位置にいる。
 アベルが使用しているのは竜変化の呪文ドラゴラムだろう。それならば魔力を駆使して竜に擬態することはできても、そもそもの生命力は人間と変わりないはずだ。
 レックはまた中空から一撃を放つ。聳え立つ黒龍の向こう、その背にかばわれたサンドラは彼の回復に専念している。しかし時間の問題だ。
 案の定、アベルが後ずさり始めた。魔王を掴む腕も震えている。
 エスタークが口腔にエネルギーを溜め始める。あの太陽より強く禍々しい輝きは、究極火球呪文メラガイアーだ。
 アベルは動こうとしない。レックは飛び出そうとしかけた。
「行け」
 ソロの声。次いで、アベルの頭上を小さな影が飛び越してきた。
 ナインだ。
 アベルの鼻頭に落ちてきた少年を、メラガイアーはしたたかに撃った。
 迸る灼熱。閃光の中へナインの姿が消える。よろけた竜が男に変わり、地に落ちる。
 隣でソフィアが息をのんだ。
「──生命の危機を感知」
 宙でくすぶる炎の塊から、声がした。
「必殺技、発動します」
 炎が一際激しく波打つ。
 否。
 火焔の中から、燃え盛る深紅の旗が舞ったのだ。
 旗は水平に一回転し、持ち主ごと大地に立つ。血と煤で汚れた少年の全身。その中で大きな瞳だけが、冴え冴えとした静かな輝きを宿している。
「星空の下にあるすべての命に、加護を。すべての災いを我がもとへ」
 二つの詠唱。旗の柄が大地を突き、絶対守護の防壁が現れる。
 パラディンガードと仁王立ちが発動した。
 魔王たちは少年のもとへ寄っていく。それよりわずかに早く、彼のもとへノインが駆け付けた。
 二人は視線を交わした。それだけで十分らしかった。
 正面へ向き直った二人は、まったく同じ速さと形で印を切る。
「冷たき加護を!」
 魔王らへ、冷気をまとった魔力の煌めきを放つ。彼らはどうということもないという風に手で払おうとして、硬直した。
 レックはなぜ動かないのかと訝しんだ。だが彼らの足元に目をやって、気づいた。
 彼らが流した夥しい血液と汗。
 体中に垂れたそれらが、アイスフォースの影響で凍りつこうとしている。
 ソロが何かを投げつけた。魔力の燐光を帯び、精緻なコントロールのもと二魔王の額に刺さったのは、タロットカードだ。
 カードが光を放った。途端、カードから青白く煌めく精霊文字が迸り、二魔王の全身を覆いつくす。文字が這った後、燐光が失せた箇所が次第に石化していく。
 魔王は抗おうとした。しかしアイスフォースの影響で体は半分凍り付いており、もう暴れることができない。
 その全身が石の巨像となっていく。憎々しげな二対の眼を真っ向から見返して、ソロは言う。
「ただのタロットカードじゃねえぜ。昔の仲間が作ってくれた、魔法の織り込まれたカードだ。こういう形じゃねえと、アストロンなんて使い物にならねーからな」
 ソロは腰に下げた剣を抜き、振りかざした。レックのものとも、ソフィアのとも似た、竜を形どった剣だ。天空の剣と呼ばれているのだったか。
 その刀身に雷の力が宿っていく。荒く、猛々しく瞬くその力は、そのくせいやに澄んだ高山の碧空に似た色をしていた。
「じゃあな。そのツラ、もう二度と見せんなよ」
 罵倒と共に、雷が剣となって落ちた。