悪霊
金を貸している男が、金の代わりに持ってきたのが出会いだった。
「いやいや、本当に値打ちモンなんだって。ゆきのふさんならぜってーコイツの価値が分かるだろうと思って、持ってきたんだ」
その男はドムドーラでも有名な博打打ちだった。もとは高名な名家の生まれなのに、今では不況のあおりを受けて家が倒れ、男自身も博打にのめり込んで落ちこぼれたせいで、高貴な血筋だなんて見る影もない。
彼は口八丁手八丁で金を借りては、全て博打に注ぎ込んだ。ゆきのふも調子のいい男の口に乗せられて金を貸し、後で後悔していた。ゆきのふには愛する妻と息子夫婦、そして生まれたばかりの孫が一人いる。彼らを危険に晒すことになりかねない真似は、もう二度とするまい。男の抱えてきた大きな薄汚い風呂敷の中身を見るまでは、そう思っていた。
どうせロクな代物ではなかろうと疑いながら誘われるままに包みを開けて、目を瞠った。煤に塗れ擦り切れた布地から、目が覚めるような群青が零れ出し冴え冴えと輝いた。
「ほら、綺麗だろう?」
「ぶ、ブルーメタル……?」
「そうよそれよ! 一昔前どころじゃねえ大昔に取られつくしたって言う、幻の鋼でできてるんだぜ。もっとよく見とくれよ」
男はそう言って、更に包みを開いた。群青の輝きは鎧の形をしていた。これまでにゆきのふがこさえてきたどんな鎧も、これに比べれば鉄くず同然だと感じられるほどに神々しく、頑健でいながら芸術品のような美しさを内包している。だがそれよりゆきのふの目を奪ったのは、鎧の板金の中央に記された黄金のエンブレムの方だった。
「これは、ロトの紋章じゃないか!」
「おうよ。聞いて驚くなよおっさん。この鎧は、恐れ多くもあの偉大なる勇者ロトが、この地に振りかかった闇を祓う時に身に着けていた伝説の鎧なんだぜ」
「そんな馬鹿な。あれは、ただの昔話のはず」
そう言いながらも、ゆきのふの目は黄金の不死鳥が舞う碧空の鎧に吸い寄せられたままだった。彼の視線が鎧から離れないのを見て、男はにやりと笑う。
「それが、タダの与太話じゃねえんだよ。俺の一族がずっと苦労して苦労して探してきたんだからマジもんさ」
男は鎧を凝視するゆきのふの傍へそそっと寄り、その耳元へ囁く。
「なあ、これが手に入るとしたらどうだい? 十万ゴールドくらい、なんてことねえと思わねえか?」
「お前、何を言う」
「なんてったって、伝説のロト様の鎧だぜ? さらにもう千ゴールドくらい、つけたっていいくれえだろう。いや、つけねえ方が寧ろバチが当たるくらいだ。なんてったって、伝説の――」
ゆきのふは迷った。彼にはかなりの額を貸していた。この鎧が伝説のロトの鎧であるという確証はない。だが、彼はこの鎧に強く惹かれていた。運命の出会い、一目惚れというものがあるのならこれだろうとまで思い、これを我が物とする機会を逃がすことは、大変惜しく思われた。
しばし迷い、鍛冶屋は遂にこの鎧で手を打つことを打診した。男は喜んで鎧を渡し、千ゴールドを受け取って立ち去った。男が去ってからも、ゆきのふはその手で触れることもできないままに、鎧に魅入られたまま立ち尽くしていた。
「おじいちゃん、お客さん帰った?」
高い声で、彼は我に返った。カウンターの裏から、今年で四つになる孫が顔を見せている。彼がよちよちと短い足を動かして近寄るうちに、ゆきのふは風呂敷で鎧を隠していた。
「おじいちゃん?」
「ああ、帰ったよ」
ゆきのふは動揺を隠して、なるべく優しい声色で答えた。孫はそれを聞くと、ふくふくした頬を持ち上げて笑みを浮かべた。
「じゃあ、またおじいちゃんの作った道具のお話して?」
「ああ、勿論さ」
「おじいちゃんの作ったものは、すごかったんだよね? 魔物といっぱい、いっぱい戦ったんだよね?」
ゆきのふは答えながら、己の胸のうちに確かな罪悪感が芽生えるのを感じていた。
ああ、もう老い先短い自分は、この未来ある子に思い出と金くらいしか遺してあげることができないのに。その金を、自分の一時的な衝動で不意にしてしまった。しかもさらに使ってしまったなんて、息子夫婦にも嫁にも、情けなくてとてもじゃないが言えない。
このことは、己の胸のうちにしまっておこう。この鎧も、どこか見つからない場所に隠してしまおう。
「ねえ、それなあに?」
意識なく、手に入れたばかりの代物を触っていたらしい。幼子が、目を丸くしてカウンターの上の包みを指して尋ねる。それを改めて意識し、あの青い輝きを思いだしてゆきのふは溜め息を吐いた。胸がざわめく。
「お祖父ちゃんの宝物さ」
鍛冶に捧げてきた自分の心に、嘘は吐けない。
それから間もなく、博打打ちはカジノでご法度に触れたらしくドムドーラを去った。この町に、彼の持っていた鎧がどうなったかを知る者はゆきのふだけになった。
ゆきのふはあの鎧を、裏庭の木の下に埋めた。あの目を焼くような群青が目の裏にちらついて仕方なかったが、家族を蔑ろにした己への罰として封じ込めた。その一方で、本物のブルーメタルならばこの程度で傷みはしないだろうことを思い、また胸の底が騒いだ。それでも彼は鎧を裏庭に埋め、ざわつく心を抑えて口を堅く噤んでいた。
あの鎧は傷んだだろうか。きっと偽物だったのだ。いや、だがあの輝きは間違いなくただの金属ではない。
目の前をちらつく青の輝き、黄金の栄光の影に囚われはじめて、どれほどの時が経った頃か。街に、魔物の大群が襲い掛かって来た。送り主は近ごろ不穏な噂としてしきりに人々の口に上っていた、竜王。街は一晩にしてたちまち戦火に飲まれた。
「父さん、逃げよう!」
断末魔や金切声が錯綜する中で、荷物を背負った息子がそう叫ぶ。彼の手は年老いた母の手を引き、彼女には息子の若い嫁が付き添っている。その背には、孫がおぶさって怯えた目でこちらを見つめていた。
ゆきのふも荷物は整えきった。手にはいつも店先に飾って来た大斧を握り、全身に使い込んできた鎧を纏っている。ゆきのふとて、鍛冶屋ではあるが得物の扱いくらい知っている。魔物を蹴散らすことに何の不安はない。
だがここまで来ても、彼の目の裏からメタリックブルーの輝きが離れなかった。それどころか輝きは常にも増して、彼を呼び寄せようとするかのようだった。
隣家には既に火が燃え移っている。この家だって、もう長くは保たないだろう。
「お前らは先に行っていろ」
ゆきのふは家族に背を向けた。息子とその嫁の呼ぶ声がする。妻の戸惑いが叫びとなって耳を裂く。孫の泣き声が遠ざかる。ゆきのふの心は涙のように血を流していた。しかし、彼の心は既に決まっていた。
裏庭に走り出てすぐに、木の根元を掘る。しばらくいじっていないはずなのに土は柔らかく、手でもあっさりと掘り返せた。黒い土から、薄い風呂敷の緑が姿を現す。ゆきのふの心臓が肋骨を叩く。
ゆきのふは、震える手で風呂敷を解いた。濁ったような緑から、あのメタリックブルーが零れて輝いた。群青に戦火の影が落ちると海中に炎が揺らめくようで、その美しさが老鍛冶屋の心を奪った。
この輝き、間違いない。これこそがかの勇者を闇の災いから守った、伝説の鎧である。彼はもう疑わない。メタリックブルーに投げかけられる炎の影はたった今戦場で返り血を浴びた様で、ゆきのふは息を飲んだ。
彼は弾かれたように背後を振り向いた。既に、そこには魔物の影が見られた。戦火で赤く染まる庭に、幾多の影が揺れてこちらを向く。彼らは皆、この木の根元へ向かっている。そう感じたゆきのふは声を張り上げた。
「これは俺のものだ!」
彼は鎧を風呂敷で包み乱雑に土をかぶせると、大斧を手に雄叫びを上げて飛び出した。
この鎧だけは盗らせてなるものか。
この鎧だけは――
「なかなかに手強い敵だった」
閑散とした廃墟に、荒い吐息が響く。吐息の主は四つん這いのまま呼気を整えようと努め、己の手を胸に当てた。彼の漆黒の甲冑には無残な切り傷が数多付き、真紅の血でぬらぬらと光っている。彼は酷く痛めつけられていた。だが彼が手を己に翳した途端、痛みに口を開けていた傷という傷がことごとく閉じ癒え始めた。
「これで魔力が切れてしまった。帰りはキメラの翼だな」
男は呟くと、眉根を寄せながら立ち上がった。そして、目の前に横たわる者を見下ろした。
それは、全身に甲冑を着込んだ魔物だった。鎧はどれだけ使い込まれたのか分からないほどに傷が刻まれていたが、未だに剣を寄せ付けないほどに分厚い。その籠手に握られた大斧を見て、男は顔を顰めた。その斧は、繰り返し繰り返し彼を切り刻もうと迫って来た。そのこちらを除こうとする勢いは尋常ではなく、まるで悪魔でも憑いているかのようだった。
『勇者様、ご無事ですか?』
ごこからともなく女の声がする。妖精の笛のように美しいその声に、彼は思わずといった風に微笑んだ。
「ええ、私は大丈夫です」
『本当ですの? 貴方様を信じていないわけではございませんが、心配ですわ。早く帰って来て、このローラに元気なお顔をお見せになってくださいませ』
「一刻も早く馳せ参じます、姫」
男は嬉しそうに応じて、辺りを見回した。甲冑の騎士の背後に、枯れ木が一本佇んでいた。
『ですが、勇者様がここまで苦戦なさるなんて、一体どんな敵だったのですの?』
「騎士のような外見をした悪霊です。よっぽど私を何かに近づけたくなかったようで、激しく抵抗されました」
男は話しながら木の根元に近づく。一瞬、そこから青い煌めきが漏れているように見えたのだ。
『まあ! やはり勇者様、酷いお怪我をなさったのですね!?』
「大丈夫です、もう癒えました」
根元を掘り返しながら彼は首を傾げ、しかし妙な敵でした、と呟く。
「あんな派手な装飾の大斧、今時鍛冶屋の店先くらいでしか飾ってないだろうと思っていたのですが。妙なものを使う魔物もいるのですね」
※第45回ワンライ参加。
お題「ロトの鎧」選択。
20150509