命短し笑えよ少年




 アリアハンが誇る白壁の王宮へと繋がる跳ね橋の前で、一組の男女が向き合っていた。いや、男女というと語弊があるかもしれない。女の方は外見から察するに初老に差し掛かろうという頃で、対して男の方は少年と呼ぶのがふさわしいまだあどけなさの残る顔つきをしていた。
 つまり、きっと彼らは親子なのだろう。よくよく見れば、二人はよく似た口元をしていた。
「本当に王様に会わないの?」
 母が問う。彼女の小さな皺が刻まれた目の淵はやや潤んだようで、柔らかくも悲しげな光を宿している。対して息子の菱形に似て大きく開かれた双眸は、頑固な拒絶を示していた。
「会わない。絶対に会わない」
 彼は大声でこそないものの、叩きつけるような口調で言った。母はやや口を噤んでから、そっと呟く。
「無茶だけはしないでね」
「しないわけにいくもんか!」
 息子は声で平手打ちでもするかの如く台詞を放って、真新しい紫のマントを勢いよく翻して背を向けた。弾かれたように走っていく少年の背を、女性は口を堅く引き結んでじっと見つめている。
「あらあら、これは大変だわ」
 見上げると、隣に立つ女は場面に似つかわしくない笑みを浮かべて立ち尽くす女を眺めていた。パールピンクのルージュが引かれた唇から、白い歯が零れる。それに加えてその鼈甲に似た褐色の肌、月光を織り込んだ銀髪、美貌で知られるイシスの民らしい端整な顔立ちと揃うと彼の職業神である運命と悪戯を司る女神を模した像と見間違う美しさだったが、目の前の女はかの無邪気な笑みで知られる女神と比べると、やや悪魔めいた雰囲気を纏っていた。
「何だ、おめえ。今の親子のこと知ってんのか?」
「当り前じゃない。アタシは昔ここで長かったのよ」
 彼女は切れ長の瞳を眇めてこちらを見下ろしてきた。
「あれはこの国じゃ有名な、光の一族の末裔よ」
「はあ」
「オルテガって知らない?」
「ああ、希代の勇者だったって噂の」
「オルテガはね、大昔アリアハンを世界帝国にのし上げた光の一族の、もうほとんど残ってない貴重な子孫なのよ。あの御姉さんはその嫁。さっきの坊やは、その息子よ」
 改めて少年の消えていった方を目で追ってみる。彼の姿はもうどこにも見られなかった。
「光の一族は優れた身体と魔力を持つのと同時に、全ての魔物をうち滅ぼす天雷の呪を操るの。だから古くから戦いの場では人々の尊敬と信頼、そして畏怖を集めてきたわ。特に、魔物相手の戦いでは絶大な力を示してきた――だから、今回も彼が選ばれたんでしょうね」
 パールピンクの口元は微笑んでいるが、琥珀色の瞳には笑みがのっていない。顔の上下でちぐはぐな感情を浮かべる彼女は、憐れむように自分に説明して聞かせる。
「あの坊やは、十に届く前から亡くなった父の仕事を引き継ぐ形で、成人する日に魔王の刺客として旅立つことになってたのよ。学び舎でも一人だけ別指導、子供たちの中でも浮いていたと聞くわ」
「十より前?」
 思わず聞き返した。
「そんなガキに、魔王を倒せって言ったのか」
「言ったでしょ? 光の一族はもう彼以外残ってないに等しいのよ。世界各国に逆らう動きがないか、バラモスはいつだって目を光らせてるわ。その目を掻い潜るなら、軍は動かせない。彼が最適だと、判断したらしいわ」
 彼らはまだ立ち尽くす女性を凝視した。彼女は俯いて、スカートの裾を握りしめている。裾が小刻みに揺れている。往来の人々は彼女に窺うような視線こそ浴びせたが、その傍らに立ち止まってどうしたのかと尋ねることはしなかった。
「一族の誇りと、子への愛と。とてもじゃないけど、心中お察ししますなんて言えないわね」
 思わず唸ってしまう。すると隣の女が、自分の顔に流し目をくれて首を横に振った。
「口出しはやめなさいよ。アタシたちはただの流れ者なんだから」
「わーってるよ。俺っちは生まれた時からの流れモンだ。家族なんていやしねえ。一座の連中を家族と思って生きてきたが、みんな血が繋がってねえからな。俺にゃ血統の誇りなんて分かんねえよ」
 腕を組んでやや俯けば、自分の派手な縞模様の衣装が目に痛い。
 あの少年は魔王討伐の任を蹴って、どこへ行くのだろうか。旅に出るにも仲間のあてがあればいいが、仲間探しに最適なルイーダの酒場は王の許しがなければ利用できない。子供関係は親関係も映す。子供たちの間は浮いていたなら、大人との付き合いだって怪しい。誰か、あてがあればいいのだが。
 そこまで考えて、苦笑した。一度気になると執着してしまうのは、自分の悪い癖だ。だが生来のものだから、どうしようもない。
「おい」
「ん?」
「今のうちの一座の面子、戦士、武闘家、魔法使い、僧侶、商人――そして盗賊のお前と遊び人の俺。だよな?」
「ええ」
「よくここまで色んな職業のプロが、たかが旅芸人の一座にそろったもんだ。そう思わねえか?」
「アンタまさか」
 嫌な予感がするとばかりに涼しげな目元を顰めた彼女に、にやりと笑いかける。
「勇者も、揃えてみてえと思わねえか?」
「天下の勇者サマが旅芸人に? 何させるの?」
「そりゃあよぅ、雷に決まってんだろ」
「バチ当たるよ?」
「当たるもんか」
 鼻を鳴らす。先端につけた球体が一瞬、ぷかりと浮かんだ。
「てめえの力で他人様が楽しくやってんの見てバチ当てる神様なんざ、神様じゃねえさ」


 もう、母の辛そうな顔を見るのが嫌になった。子供の駄々のような物言いしかできない自分にも、ほとほと愛想が尽きた。
 魔王となんて戦いたくない。陰謀渦巻く王宮の駒にもされたくない。大人たちの、子供たちのどこかしらに期待や恐れを含んだ眼差しを浴びたくない。父の名声も知らない。光の一族の宿命なんて知らない。
 彼は自分を取り巻く全てを拒絶したかった。たとえそれが生きるべき社会を失って死ぬことに繋がるとしても構わない。でもただじゃ死にたくない。
 だから彼は一人で、町を飛び出した。追手はかかるかもしれないとは予想していた。けれど、まさか王国に関わりのない者が来るとは全く思わなかった。
「旅芸人、やらない?」
 追手を避けるため国道を離れ獣道を辿っていた彼を見つけたのは、奇妙な男女だった。この辺りでは見かけないエキゾチックな褐色の肌をした美女と、化粧と衣装を道化師風にそろえた小太りの男である。
 少年はあからさまな警戒と共に彼らを睨んだ。だが、道化師らしい男は屈託なく笑い返す。
「大丈夫だよ、誰にも言ってねえさ。アンタ、王様の命令蹴る気なんだろ?」
「お前らは誰だ」
「しがない旅芸人の一座だって」
 道化師は愛嬌のある外見に似合わないハスキーな声で飄々と話す。彼より背の高い褐色肌の美人が、大ぶりなピアスを揺らして首を傾けた。
「追手に見つからずに前に国を出たいんでしょ? でも、そのサークレットがあるんじゃ無理よ。取れないんでしょ?」
 少年は僅かに身を跳ねさせた。図星である。選ばれし者として下賜されたこの円は、魔王討伐の命を負うことになった日から頭にしがみついて離れない。
「このご時世に、アンタみたいな巣立ったばかりの雛が一人でふらふらしてたら目立つわよ。実際、こうやってアタシ達に見つかっちゃったでしょ?」
「どうして俺の場所が分かった」
「盗賊だもの。あとはちょっと土地勘があれば分かるわ」
 肩を竦める女。細い腰には使い込まれた短剣と鞭を帯びている。遊び人の方は分からないが、数からしても予想される実力からしても、こちらが不利であることに変わりはない。少年の背中を嫌な汗が伝った。
 だが遊び人の男は至って愛想よく問いかけてくる。
「で、旅芸人どうよ?」
「何で俺が旅芸人なんて」
「俺達と一緒にくれば、色々いいと思うんだけどなあ。城に引っ張り戻されることもない。一人で魔物の群れと戦う手間もない。あ、俺達結構戦闘には慣れてるぞ? 力自慢の戦士もいるし、傷を癒せる僧侶もいるし、金稼ぎの得意な商人だっている。どうだ?」
 少年は乾いた唇を舐めた。相手の目的が見えない。アリアハン王に指名手配されるだろう自分をそうやって取り入れて、なんのメリットがあるのだろう。
「俺を誘うのは何故だ」
「カタい坊やだなあ。そんなの、勇者が入ればショーが盛り上がるからに決まってるだろ」
 男はあっさりと言った。目を丸くする少年の前へ進み出て、興味津々といった様子で尋ねる。
「雷操れるって聞いたけど、どれくらいできるんだ? ドーンって豪快に落とせるか? それとも蝋燭の炎みたいにできるか? お前、蛍って知ってるか? あんな感じで光の芸術ができたら、儲かるだろうな。盛り上がるだろうなあ――」
「俺達の力はそんなことのためにあるんじゃないっ!」
 勇者は激昂した。だが遊び人は、半円を描く唇をそのままに問い返す。
「じゃあ、どんなことのために使うモンなんだ」
 少年は、自分の表情が凍るのを感じた。
 光の力は天のため、人のため。祖父に繰り返し聞かされた台詞が頭を木霊した。幼い頃、大好きだった言葉。いつかはその家訓通り、人のために働くのだと思っていた。最近は迫る旅立ちの時への焦燥感にばかり囚われていて忘れていた。
 自分はそれを今日、自分から蹴ったのだ。もうかつての純粋な滅私奉公の精神は己の中にない。それでも自分は何故、声を荒げた? 吹き荒れる内心の叫びを前に、彼は愕然とした。
「何度も言わせるなよ、坊や」
 旅芸人はピエロらしく明るく、その一方でらしくない渋みのある声で諭した。
「逃げたいアンタに、選択肢なんてねえんだ。分かるかい?」
 少年はもう何も言えず、歯を食いしばり頷いた。




第43回ワンライ参加作品。お題は「遊び人男、盗賊女、意気地なし」選択。



20150426