巫
「ミネア、母さんの髪飾り知らない?」
思えば、妹は昔から不思議な子だった。
あれはまだ、あの子がやっとまともに喋れるようになったくらいのこと。
朝から父さんが、大事にしていた母さんの形見をどこに置いたか忘れてしまったと大騒ぎしていた。アタシも探しそうとしたわ。でも、タンスに背も届かない子供に、自分の何倍もある家の中全部を探すなんて無理じゃない? だから途中で飽きて、アタシの後をよちよちついて回ってたあの子に聞いたのよ。
あの子はアタシにそっくりな大きい目を、遠くのものを見るみたいに細めて、
「くらくて、ぢめぢめした――」
一生懸命喋るんだけど、アタシにはどこのことだかさっぱり。それで仕方ないから、父にそれを聞かせたの。
で、びっくりした。あの子が言った所に、本当に母さんの髪飾りがあったの! しかも、その場所は父の研究室。家の外の、洞窟の奥底にある場所だった!
ミネアはまだ、洞窟になんて行けない。なのに何で分かったのか、父さんはしきりに知りたがったわ。勿論アタシもね。
「みえたの」
でもあの子はにっこりしてそう言っただけだった。
「ミネア、ただいま」
思えば、あの子はよく生きられたもんだわ。
父さんが殺されて、アタシ達の生活は激変した。
裏切り者のバルザックを追っていったオーリンを除いて、他のお弟子さん達はみんな殺されちゃったみたい。アタシは庇ってくれる壁なんてない、吹きっさらしの荒野みたいな現実にぽーんって投げ出された。
不吉な事件の被害者の子供を養ってくれる人なんていなかったのよ。仕方ないからアタシは、モンバーバラで働き始めた。きったない下水の臭いがぷんぷんする飲み屋で給仕やったり、酒の臭いを振りまいてるお客に絡まれたり、嫌なこといっぱいで不意に叫びだしたくなるくらいだった。
でも、アタシが働かないと妹が体まで死んじゃうって思って、歯を食い縛ったのよ。
「ミネアー?」
仕事から帰ってきて、私が呼んでもすぐには返事をしない。どこかで、ペスタの吠える声がする。
「どこー?」
何度か呼びかけながら家を回る。飛び散ったぬいぐるみ、床に落ちた洗濯物、割れた花瓶。
不吉な予感を覚えながら、最後に風呂場を覗く。
浴槽から、紫の髪が溢れていた。
アタシはペスタを押しのけて水に浮かぶそれに飛び付いた。冷たかった。水も、そこに着た服ごと浸かっていたあの子も。
自分でも気づかないうちに、すごい叫び声を上げていたらしい。驚いたのかあの子は、大きく痙攣するように目覚めた。
「姉さん……いま、喋った、のは姉さんなの?」
今でも覚えてる。あの子の瞳は、天空の更にその向こうを凝視していた。
「声がする。導かれし光、ヒカリ、ひかり」
目の焦点が定まらなくなる。ああううと意味のない呻き声をあげて、あの子は顔を覆った。
「あああ魔物が! わたしを殺しにくる! わたしのことを見てる! あそこにもッほらあそこにも!」
そう叫ぶ妹の指は、盥とタオルを示す。金切り声と共に、足で床を蹴り手で壁を叩く。
父さんがいなくなって三日経った日、あの子は崩れてしまった。父さんの本を引っ張り出して調べてみると、かなりの重症。幻覚にたえず苛まれ、時折わけの分からないことを喚く。情緒不安定で、しばらく死体みたいに横たわってると思ったら、急に暴れだすこともしょっちゅう。
薬は、子供の細腕じゃあ届きそうにない値段だった。
「いやあッ! 見ないで! いやあー!!」
アタシはただあの子を抱えて、大丈夫、大丈夫と繰り返すことしかできなかった。
「ミネア、どうしたの?」
思えば、あの時はすごく驚いたわ。
劇場から帰ってきたら、ドアの前にあの子が立ってたの。
「お帰りなさい、姉さん」
何年ぶりだろう、全く浮わついたところのない声だった。
「ミネア、アンタ今日は……」
「いいの」
もう、いいのよ。言い聞かせるように反復するあの子が落ち着きすぎていて、アタシは思わず身を引いた。月光を浴びて暗闇に浮かび上がる妹が、知らない誰かみたいに見えたから。
「姉さん、仇討ちしたいと思ってるでしょう?」
「え……?」
「私、もう行けるわ」
「な、何? 急にどうしたの」
あの子はアタシを見つめる。狂った譫言を投げつけてくる病人じゃなくて、何かを悟った人の顔つき。
「姉さん、バルザックが許せないでしょう?」
「……そうね。でも」
「私達はバルザックを止めなければならないの。彼の野望を、企みを阻止しなくちゃ」
それが、私達の宿命。
妹はそんな雄々しくも突拍子のないことを言い出した。
「私、見えるのよ……運命が」
そう告げたあの子は、どこまでも真剣だった。
「ミネアぁ」
「ダメよ、カジノは」
思えば、小さい頃は可愛かったのに。
妹はぴしゃりとそう言って、商売道具を広げ始めた。点検のお時間みたい。
「いいじゃないのちょっとくらいー」
「姉さんのちょっとはちょっと地獄見られるくらいまでの略だから、ダメ」
言葉選びも容赦なくなったって感じ。ああ、まだよちよち歩きでねーたんねーたん言ってた頃が懐かしいわ。
「コツコツ貯めておかないと、旅の資金がなくなっちゃうでしょ」
「うわっ! うら若いオトメがそんな所帯染みたこと言わないでよ!」
「所帯染みてて何が悪いの! 私は地に足つけたいのよ!」
この子は、安定を求める。揺るがない土台に腰を据えて生きることを望んでいる。
ねえ、欲しいってことは「今はそれを持ってない」ってことよね? ならこの子は。
「いつか絶対、安定した収入のある頼れる男の人を見つけてやる……」
「ならアタシはカジノ持ってるお金持ちがいい!」
「姉さんを懐の、とにかく懐の広い大金持ちに売りつけて……」
顔だけはいいものいけるわ、などと妹は失礼かつ不穏な計画をぶつぶつ呟いている。そうしながらも水晶玉を磨きタロットを整理し触媒の量を確認して、メモを取る。それから旅に必要なものの見直しも始める。
アタシはその止まることのない手へ、じっと視線を注ぐ。
「ねえミネア。アンタ本当にしっかりしてるわ」
「え……姉さんどうしたの? まさか」
心配そうに額に手を当てようとしてきた。もう、違うっての!
「熱なんてないわよ! 褒めてんの!」
「えっやだ……何もあげないからね!?」
「しっかり者の妹がいて姉さん幸せー! だからねえお金」
「ダーメ!」
財布をかっさらおうとしたら、一瞬早く取り上げられた。使い古してるのに、大して厚みのない財布。
でも、これでいいの。お金も何もないけど、生きてさえいてくれれば。
元気で、生きてさえいてくれれば。
第19回DQワンライ参加作品。お題「ミネア」選択。
20141103