竜と青年




 その花を手にした時、数多の顔が脳裏に浮かんだ。数日間浮かんでは消え、消えては浮かんでを繰り返して。しかし知らない顔も知った顔も消して最後に残ったのは、憎悪する男を慕う紅玉の雫だった。
 彼女の墓に花を手向ける前、再度自分に問い直した。本当にこれでいいのか、と。


「いいよな、これで」


 あの時自分は仲間達にそう言って笑った。
 だが、本当に良かったのだろうか。



***




「ソロ、やっぱ元気なくない?」


 そう言い出したのはアリーナだった。
 閑散とした宿の食堂には導かれし七人しかいない。残る一人は、既に部屋へと戻っていた。
 長机の空席を一同は見る。ある者は息を吐き、またある者は唸る。


「無理もありませんよ。だってソロさんにはあの花で蘇らせたい人が、たくさんいたでしょうから」


 そう言うのはトルネコである。平素は商人らしい笑顔を絶やさない彼も、今ばかりは沈痛な面持ちを隠せなかった。
 一行は一時、世界樹の花を手にした。魂がこの世を完全に離れてしまった者でも呼び戻せる、あの世とこの世を繋ぐ伝説の存在である。
 最初どう使うかという話になった時、一同はソロが好きに使うよう勧めた。皆、彼が最も失ったものを取り戻したいと思っていることを知っていた。加えて彼には我が身を顧みない癖があるから、誰か故郷の人を一人だけでもこの世に連れてこれたら、それが治るだろうと思ったのだ。
 しかし彼はしばし考えて、その勧めを断った。そして思いもしない人物の名をあげたのだ。


「やっぱり、アタシには納得できない」


 マーニャが官能的な口元を歪ませ、拳を握り締める。


「確かにロザリーもピサロも可哀想なトコあるわ。でも何であいつに故郷を滅ぼされたあの子が、あいつのために世界樹の花を使わなくちゃならなかったのよ?」
「それはソロも言っていただろう」


 ライアンが穏やかに諭す。


「自分には生き返らせたい人が多すぎるから、それと――」
「ピサロを止められるのはロザリーだけだからでしょ? そんなの分かってる! でも」


 こんなのあり得ないわよ、と叫ぶようにマーニャは吐き捨てる。


「あの子が何をしたって言うの? 父親を殺されて母親とは引き裂かれて、引き取ってくれた村はあいつに全部壊されて、それで挙げ句の果てには仇の恋人を生き返らせて世界を救え? バカ言ってんじゃないわよ! 頭おかしいんじゃないの、あのドラゴン!」


 踊り子のきりりとした目には涙が浮かんでいた。


「なのにあの子、アタシ達に謝ったのよ。親父さんを選べなくてごめんって……」


 目頭を拭う。その肩に手を置いて姉を宥めてから、占い師は静かに口を開いた。


「ソロと初めて会った時のこと、よく覚えています。淀んだ目に暗い顔つきをして、身なりも構わないで、今にも崩れて粉々に壊れてしまいそうだった」


 水晶玉を通して見た彼の運命たる光は、それとは対照的に強く明るくて。ミネアは驚きと共に一抹の不安を覚えたのだった。


「今ではすっかり明るくなったように見えるけど、それは見せかけ。あの子は今でも傷が癒えず増える一方で、苦しんでいます。そんな誰よりも苦しんでいるあの子が決めたことを、そしてもう過ぎたことを、もうどうすることはできないわ。あとはあの子を、全力で支えなくては」


 一同は頷いた。ブライが顎髭を引っ張りながら隣の男を見上げる。


「どうなのじゃ? 奴は何かお前に打ち明けたりしていないのか?」
「それが、今回ばかりは何とも」


 クリフトは首を横に振った。クリフトとソロとは年も近く同性で、宿の部屋が同室になることがほとんどであるから、よく打ち解けている関係にある。しかしいつもなら何気なく愚痴を溢す彼が、最近は何も言わないのである。部屋で一緒にいる時は彼からやたら明るく会話を振ってくる。そして何より気になるのは、近頃就寝が早い。気付けば、死んだように眠っているのだ。


「単に疲れているだけかもしれません。ですが、それにしては前に比べて睡眠時間が長い上に寝起きも悪い。これは良くない傾向です」
「どうして?」


 姫の問いに、神官はちょっと口をつぐんでから答える。


「人は生きることに喜びを見出だせなくなると、眠りに逃避するのです」


 沈黙が場を支配した。皆が皆、自分にできることを考える。しかしいい解決策は浮かばない。
 そして懸命に思考を巡らせる彼らは、食堂からは死角となっている壁際で白いワンピースが踊ったことに気付かなかった。




***



 瞼を上げると、見たことのない空があった。雲一つない、深い青は常より広い。上体を起こして見回すと、岩肌の剥き出した険しい山にいるようだった。下を見て、雲が見えなかった理由を知る。ここは雲より上なのだった。


「どこだよここ」


 ソロは立ち上がる。いつもの武具を身につけ、剣も帯びている。自分は一体いつここに来たのだろうか? 記憶を探ってみるが、全く手がかりはなかった。
 その時、頭上で空気が唸った。跳ね上げられた紫水晶に翼竜の姿が写り込む。羽ばたく白銀に、一瞬で忌まわしい名が蘇った。


「マスタードラゴン……?」


 竜はこちらに向かって滑空しながら大きく口を開いた。暗褐色から目映い光が生まれ――いや光ではない、炎だ!
 飛び退いた後を間髪入れずに火炎が舐める。転がり膝をついて立ち、天空の剣を鞘走らせながら崖の上に降り立った神竜に怒号を浴びせる。


「テメー何のつもりだッ!?」


 竜は答えず、無言で彼を見下ろしている。殺気のいまいち感じられない、攻撃的な色合いもさしてない金の瞳に苛立ちが込み上げてくる。いつ高慢な口調で何か言い出すかと待ってみたが、一向に口を開く様子もなかった。
 何かおかしい。冷静になってドラゴンを観察して気付いた。あれはかの神竜ではない。白銀の鱗は同じだが、身体の細かいパーツが違う。それにこいつはあれに比べて少し小さい。


「おめえ、マスタードラゴンじゃねえな?」


 問いに返ってきたのは咆哮だった。白銀の竜は再び地面を離れる。そして空中で羽ばたきながら、天に向かって火柱を噴き上げた。火の粉が宙を舞い、金色の双眸がソロを睨み付ける。彼は目を細めた。


「戦えってことか?」


 竜が身体の向きを変え、崖下の彼に向かって急降下してきた。ソロははっと笑って白い歯を剥き出した。


「いいぜ。でも……」


 天空の剣を頭上に突き上げる。抜けるような青空にたちまち暗雲が湧き起こり、その中から一本の稲妻が駆け落ちた。閃光は竜の身体に突き刺さり、空と竜とが遅れて悲鳴を上げる。


「今の俺は手加減できねえから、うっかり殺しちまうかもしんねえぞ。その覚悟でかかってこい!」


 ソロは剣を構え直し、地に落ちた巨体を目指して走り出した。竜が首をもたげる。表情の読み取りにくい顔に、やっと戦意が宿った。


 焼かれた巨躯に力がみなぎり、火球が野太い声と共に吐き出された。横に跳躍して幾度も追ってくる炎を躱しながら詠唱。燃えさかる球が彼を捕らえんとした刹那手を突き出し、炎は爆発に姿を変えた。


 飛び散る熱をうまくかいくぐって更に距離を縮めようとする。しかしその時、視界一杯に竜の顔が映り込んだ。


 慌てて剣を前に突き出したのが幸いした。天空の剣は氷柱のような牙を跳ねてのけ、主の首を守った。しかし別の歯が肩と脚に突き刺さり、思わずうめき声が漏れる。


 竜は長い首を上へ振り上げ、ちっぽけなソロを宙へ投げ出した。面白いほど高く放物線を描く身体。冷たい空気が傷口だけではなく全身を痛めつける。くるくると回転する世界で、竜が飛び立ち炎波が押し寄せて来るのが見えた。これは躱せない。


 ――一か八かだ。


 ソロは古の呪を口にした。音となって言葉が零れ落ちきる間に、彼の身体は温もりなき石へと変わる。それを火炎が包み込んだ。一度再び舞い上がった身体は、ややあって重力に従う。速度を上げて落ちてきたそれは竜の目と鼻の先で温もりを取り戻した。


「ナイスだクソ野郎!」


 色を取り戻した剣が、頭を覆う白銀の鎧を切り裂く。そのまま勢いに任せて首を通り、背中まで赤い軌跡を描いたところで落下は止まった。
 竜が身体を揺する。投げ出されそうになりながら支えとなる剣をしっかり握りしめ、ソロは身体の奥底から声を振り絞った。


「ギガデインっ!!」


 金色の眼が大きく見開かれた。先程召喚された黒雲から今度は幾筋もの雷が迸り一本の槍となって、術者の身体ごと白銀の塊を焼く。
 バチバチと細かい光をまき散らしながら、両者ともに落ちていく。先に竜が不時着し、ソロはそれにぶつかって幾度もバウンドしながら地面を転がった。


 竜はじっと翡翠色の青年を見つめる。彼はやがて無事な方の腕で上体を持ち上げ、視線に気付くとにやりと笑った。


「バカだって思ってんだろ? 普通自分に雷落とすような奴ぁいねーやな」


 ドラゴンは何も言わず、動かない。ソロは口に込み上げてきた血を吐き出し、憎々しげに端正な顔を歪めた。


「俺はてめーらのそういうスカした面が大っ嫌ぇだ。てめーがアイツと関係あんだがねーんだか知らねえけど……今はとにかく我慢ならねえ」


 けど、と彼は呟いて、天空の剣を地面に思い切り突き立てた。


「それよりな、俺は手前のことが、この世でいっちばん大嫌いなんだよッ……!」


 咳き込みながら身体を起こす。落下の衝撃で全身が麻痺していたが、次第に身体中が悲鳴を上げ始めている。その声が大きくなるばかりだが、ソロは構わなかった。剣に寄りかかり、ふらつきながらも立ち上がる。薄汚れた全身の中で自身の操る稲妻のような光を秘めた瞳が、白銀の竜を映し出した。


「てめーはあの、全知全能の神って奴の知り合いなのか?」


 ドラゴンが小さく頷いたような気がした。ソロは睨み付ける眼光はそのまま、問いかける。


「なら答えを知ってるかもしれねえな。あの野郎に聞いても分かんなかったことがある……答えてくれ。俺はどうして生まれたんだ?」


 その問いを口にした途端、胸にどっと物凄い質量が込み上げてきた。吐き出さずにはいられない。何も考えず、ただ口から矢継ぎ早に疑問符が飛び出す。


「どうして違う種族が交わっちゃいけねーんだ? なんで俺の親父は殺されて、俺は生きなくちゃならなかった? 俺の親父とお袋のしたことが罪なら、どうして俺を残した? どうしてその俺のために村のみんなは死ななきゃなんなかったんだ? みんな俺なんか放っぽっときゃ良かったんだ。そうすりゃアイツだって俺一人を殺せば良かった。俺はもっと早く死ぬべきだった。いや――」


 大きく息を吸い込む。


「俺なんか生まれなきゃ良かったんだ!!」


 絶叫はひび割れていた。


 暗雲が再び唸り出す。だんだん空を占める黒の面積が青より大きくなっていく。風が吹き始めて湿り気を帯びてくる。
 竜の背に一つ、水滴が落ちた。一つ、三つ四つと雫が乾いた地に染みこむ。湿風が勇者の頬を一撫でする。するとそれを皮切りに、凄まじい量の雨粒が大地を叩き始めた。


「どうして俺を殺してくれなかった!?」


 生き残った青年は叫ぶ。優しかったはずの風は、いつの間にか暴虐な狂風へと姿を変えていた。激しい空気の流れが青年の緑髪を巻き上げる。彫りの深い顔立ちを雨が伝い、すぐに濡れた跡すらも飲み込んでしまう。


「俺より強ぇ奴なんかいっぱいいただろ! 俺より勇者らしい奴だっているだろ!? 何で俺を生き残らせた!」


 最後の声と雷鳴が重なった。竜に再び稲妻が落ちる。しかし声は上がらなかった。


「そんなに俺の命は大事かよ!? そりゃみんなが生き残らせてくれたのは分かってるよ! 生きろって言うのも分かるよ! でも、みんなを殺してまで生きたくなかったよ俺は!!」


 彼が叫ぶ一節に落雷が伴う。目を瞑れば雲が泣く。風は吹き荒れ、砂塵すらも黙らせる。


 大気は最早彼の心そのものだった。仲間にすら吐き出せない、旅立ちの時から抱いてくすぶらせてきた思い。それが天空を操り支配していた。


 彼は思いの丈を叫んだ。何故自分のような半端者を生んだのか。どうして皆同じ種族に生まれてこなかったのか。何故皆違うのか。どうして争いは起きるのか。それで何故罪のない人が死ぬのか。それならば、生き残った者は何なのか。どうすればいいのか。


 彼の怒りが白銀の体躯を貫く。悲しみが雨と流れる。憤りが風に舞い狂う。止むことのない嵐のただ中に身を置きながら、天空の勇者は声が枯れ、血が喉に染み入るまで叫び続けた。


 やがて、竜がどうと地に倒れ伏す。震動が彼の足を揺らして、ソロはふっと吸った息を胸に留めた。


「死んだのか……?」


 嗄れた声に返事はない。静かに歩み寄る。風が緩くなり、雨足が弱まった。


 ソロは竜の首元へ行き、冷雨に温もりを奪われた手を白鱗の上に押し当てる。氷のような表皮の下に僅かな温もりと鼓動を感じて、止めていた息を吐き出した。
 良かった、生きている。そう思ってしまってから彼は苦笑した。ドラゴンなんてお高い生物はもう嫌いだと思っていたのに。自分の甘さがつくづく嫌になる。


「ごめんな」


 それでも言わずにはいられなかった。途中から、この竜に敵意がないことは分かっていた。それでも忌み嫌う存在に似ていたし、その仲間である可能性を捨てきれなかったからやめられなかった。
 自分はどうかしている。似ていて同種族というそれだけの理由で、ここまでしてしまうなんて。


「結局、俺も同じ穴の狢なんだよな。あのクソ魔王と」


 己がほとほと嫌になる。理屈では理解しているのに。


「分かってるんだよ。アイツにも守りたいものがあったからってことも。俺がもしアイツの立場でも、同じことしたかもしれねえってことも。何もかも……」


 溜め息を吐いて、薄く笑む。


「もう、どうしようもねえんだってことも」


 竜はぴくりとも動かない。ソロは独白を続ける。


「それでも俺は……許せねえんだ。アイツがしたことを。でもアイツがしたことを俺がしたら、また俺やアイツみたいのが生まれちまう。他の誰かを、村のみんなみたいに殺しちまうかもしれねえ」


 語尾が震えた。止みかけていた雨が、また強くなる。
 脳裏に懐かしい顔がいくつも浮かんでくる。父、母、幼馴染み、幼馴染みの育て親、剣の師――村に住んでいた一人一人の姿と生活の場面が走馬燈のように駆け巡って、消えていく。


「……ごめん」


 喉が震えてしまって、上手く声にならない。身体が震えて堪えきれず、その場に膝から崩れ落ちた。


「ごめん……みんなを選べなくて、生き返せなくて、ごめ、んなさい……ッ!」


 生暖かい雨が頬を伝う。


 許せない。どうしようもないことだとは分かっていても、何を感じても無駄だと分かっていても。
 世界のためだと分かっていても、こうするしかなかったんだと分かっていても。
 心に叩き込む理屈と底から込み上げる感情は別でも、自分のやったことに変わりはないから。


 ――ごめん、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめん。


 雨音の中で掠れた謝罪が、止むことなく繰り返される。戦いと心労と猛雨で精根疲れ果てた彼は、やがて雨が霧へと変わる頃意識を失った。










***



 瞼が勝手に開いた。宿の天井が目に入り、ソロは全てが夢だったのだと認識する。何だか妙な夢だった。確か、腹が立つ奴によく似た竜と戦った。竜が倒れた後のことは曖昧で思い出せない。しかし、身体はここ最近で一番すっきりと軽かった。


 夢にしてはやけに現実的で、本当に戦っているような感覚だったなあ。
 雷を操る感覚を思い返しながら、腹筋を使って起き上がる。目を擦りながら隣のベッドに目をやって、その上に畏まった姿勢でこちらに向かって正座する蒼髪の友人を見つけた。


「……何やってんの?」


 クリフトもぽかんとしていたが、次の瞬間我に返ったその口から勢いよく挨拶が飛び出した。


「おはようございます!」
「あ、うん。おはよ」


 どうしたんだこいつは。一晩の内にどうかしてしまったのか。
 怪訝に思われていることを感じたのか、クリフトは顔を赤らめる。そして不審なくらい目をこちらに据えて、こう言った。


「あっあのですね! 今日みんなでアネイルに行きませんか?」
「アネイル? 何かあんのか?」
「いやその……」


 クリフトはどもる。ソロが続きを促すように首を傾げると、彼は意を決したような顔に変わった。


「ソロさん、最近お疲れじゃないですか?」
「いや、そんなに――」
「いえ絶対疲れてます!」


 断言された。クリフトは掴みかからんばかりの勢いで詰め寄る。


「皆さんがソロさんと温泉に行ってじっくり日々の疲れ癒したいと言っているので行きましょう! ね!?」
「え、そうなの? どうしたんだよみんな」
「細かいことはいいんです! とにかく行きましょう! 行きますよね!?」


 聞きたいことは色々あったが、クリフトの凄い剣幕と必死の表情に押されて目を瞬かせることしかできない。これはイエス以外許さないという顔だ。


「お……おう」


 そんなに言うならば。短い返事だったが、それでもクリフトは飛び上がらんばかりに喜んだ。


「ありがとうございます! では皆さんに伝えてきますから、ソロさんはゆっくり支度してきて下さい!」


 クリフトは颯爽と部屋を出て行こうとして、扉を開けた瞬間何かを見て肩を跳ね上げた。しかしちらりとこちらを見て、すぐに何事もなかったかのようにそそくさと扉の向こうに姿を消した。
 何かおかしい。ソロは立ち上がって足音を忍ばせ、扉に耳を当てる。しばらくそうした後、思い切って一気に扉を開け放った。


 その先では、円の形に集まった七人の仲間達がこちらを見ていた。皆驚愕そのものといった顔をしている。いや、驚愕しているのはこちらも同じなのだが。


「何やってんだ?」
「ううん何でも! 何でもないのよ!」


 アリーナがわたわたと手を振って首を振る。笑顔の端が不自然に引き攣っている。その隣のトルネコが、こちらは自然な風の笑顔で皆の方を振り返った。


「さあ皆さん、いったん部屋に戻って支度をしましょう」


 皆律儀に返事をして、連れだって帰って行った。おい、とソロが声をかけるも返事はない。ソロと同室であるはずのクリフトは、何故かもう一つの男部屋の方へと引っ張られていってしまった。


「何なんだよ、アイツら……」


 扉を閉めて、部屋の中で唸る。その時、頭の中で知らない声が響いた。


 ――仲間が君のことを心配してるんだってこと、気付いてあげて。それから世界を越えたところにもそういう人がいるんだってことも、いつか知って欲しい。みんな君のこと、君が思う以上に思ってるんだよ。


 誰が言ったんだ? 声は思い出せるが、顔は浮かばない。ソロは懸命に考えるが分からない。次第に誰が言ったかより、その内容が気になってきた。


「心配、ねえ」


 まさか、アイツら俺のこと心配してんのか?
 彼はすぐにそれに思い至った。だが頭を振ってそれを否定する。そんな、自分に心配されるようなことなんてない。でもクリフトの表情を思い返してみると、それに近かったような気も……。
 彼はもう一度頭を振った。


「んなわけねーだろ。こっぱずかしい」


 それからまずは着替えるべく、今日の衣服を探しにタンスに向かうのだった。




 その日、やけに自分ばかり仲間達から厚遇されて戸惑うことになるとは、彼はまだ知らない。









20140123 前サイトに掲載
20140822 移転に伴い修正