卵と鶏
あれ、こんにちは。どこからいらしたんですか? ここは危ないから、早く遠くへ行った方がいいですよ。
え? こんなところに用があるんですか? 吹きっさらしで何も生えない、何もない所なのに。
…………。
……それ、どこで聞いてきたんですか。
何でそんなものが気になるんですか? 眉唾かもしれませんよ? ねえ?
……ふーん、永遠の命か。
どんな事情だか知りませんが、そんなものに手を出しちゃダメ。他の眉唾ならまだいいけど、進化の秘法は、特に。
何か知ってるのかって? ふふふ、痛いほど知ってますよ。
聞きますか? そんなに知りたいのなら、私が教えてあげます。
貴方は魔法使いですか? ううん、魔法使いじゃなくてもいいです。魔法の素養はありますか?
あるんですか。なら、ここに来て何を感じましたか?
禍々しい、破滅……そう。それが進化の秘法を使った者の末期です。
ふふふ、そんなに急がないでください。まだ時間はありますから。
そう、その男の話をしましょう。
その男は魔族でした。彼は、人間をひどく憎んでいました。
人間が魔族などの異種族を、理由もなく虐げるのが嫌だったのか。または彼らが弱い者を虐げるのが嫌だったのか。それとも大したものではないくせに、世界を我が物顔で闊歩していたのが嫌だったのか。
理由は詳しく知りませんが、とにかく彼は人間を毛嫌いしていたのです。
だから、いつしか人間を根絶やしにしようという野望を持つようになりました。彼は圧倒的な実力とカリスマ性を持っていましたから、魔物達は彼によく従いました。来る日も来る日も、彼は人間を滅ぼすために様々な手を打ちました。
自身を殺す可能性を持つ勇者を見つけて殺すためにたくさんの子供達をさらい、
自分にとって危険な力を持つとある城に住む人々を全て消し、
人の交わりを防ぐため交通を阻害し、
更なる力を手に入れるため邪な心を抱く者を抱き込んで、
……たった一人の勇者を殺すために、たくさんの人の命を奪って。
人の命を命とも思わぬ男でしたが、そんな彼にも愛しい人がいました。
とってもキレイな、エルフの女の子。髪は桜の一番盛りを織ったようなピンク色、肌は宙を舞う雪を固めたような純白、瞳は宝石のようで、実際にその眼から流れた涙は宝石になるの。
彼はそのエルフを、とても大事に大事にしていました。自分の馴染みの村に高い塔を建てて、そのてっぺんに閉じ込めて、自分以外の誰の目にも触れられぬようにするくらい。
エルフは男の部下に見張られていて、塔から出られません。友達は部屋にいるスライムだけ。それでも、彼女は良かったのです。彼がエルフのことを思っていたように、エルフも彼のことを慕っていました。だから幽閉されても、良かったのです。
だけど昔は一緒に暮らし、望みのために村を出てからも足繁く通ってくれていた男が、野望実現に励むあまり、彼女のもとへなかなか訪れなくなったことを、とても寂しく思っていました。そして、彼の野望が世界だけでなく彼自身を滅ぼしかねないことを、不安に思っていました。
清らかな愛を捧げる彼女が、思えば彼の良心の支えだったのに。
ふふふ。皮肉なことにね、男が仕事にかまけてる間に、彼女は殺されちゃったのです。しかも、彼の部下の謀によって。
部下の手回しで人間に誘拐されていたぶられた彼女を男が発見した時には、もう手遅れでした。可愛い人は、彼の腕の中で息絶えてしまったのです。
ねえ、貴方ならどうしますか?
怒って、すぐ人間に総攻撃を仕掛ける? うん、それならまだどうにかなったかも。
彼の場合は、更に強い復讐のための力を欲しました。そして自分に……さあ、お待ちかね、進化の秘法を使ったのです。
ですが、進化の秘法はどうもうまくいきませんでした。と言うのも、男は強大な力と不滅の肉体を手に入れる代わりに、自我を無くしてしまったのです。覚えてるのは人間への強い憎悪だけ。あとは戦わなければいけないことも、かな?
可愛いエルフの彼女のことも忘れちゃったみたいで、もうすっかりただの化け物ですよ。
それで彼はいったい何のために力を欲したのかも忘れて、今も馬鹿みたいに暴れまわってるのです。
――思ったより長くなっちゃいましたけど、分かりました?
進化の秘法は、そう易々と手を出していいものじゃないんですよ。大きな力も優れた頭脳も持っていた魔族の王ですら、自分も分からない力馬鹿の下等な生物に変えてしまった。
そんなアホみたいなモノに、貴方もなりたいんですか?
どう?
……ふふ、黙っちゃいますか。
自分ならもっと進化の秘法を完全にできる、なんて考えてます?
もしそんなこと考えてるって言うなら、私は貴方を殺します。
冗談じゃありませんよ? この剣が見えませんか?
今貴方にちょっと触れただけで、この切れ具合。大丈夫。浅いですからすぐ治る。
そんなに狼狽えないでくださいよ。貴方、あまり馴れてないんですか?
……私は、あの男に故郷を滅ぼされた。
父も母も親友も、村のみんなは家族みたいなものだったのに
。殺されてしまった。
みんな、私のために囮になって……私に魔王を倒させるために……。
私はね、アイツを許せないんです。
どんなにアイツの言う通り人間が間違っていようと、弱い者を虐げていようと、アイツがやったことに変わりはない。
アイツは私の大切な人達を殺した。その報いは受けてもらう。
……何か、もの言いたそうな顔ですね。
まあ聞いてくださいよ。このところ人と全く話さなかったから、こうしてたまにはたくさん喋らないと、言葉を忘れてしまいそうで。
ん? 何ですか?
私も彼も、同じだって?
そうねぇ。癪だけどそうなんです。
アイツは人間を憎み、復讐に走った。
私も魔族が嫌い。そして、復讐したいと思ってる。
そうね、同じです。
復讐は新しい復讐を生んで、ずっと続く。
だから復讐者は死ななければならない。
私はアイツを殺す。そしてこの世に生きる魔族も全部殺す。そしたら……最後に自分を殺す。それで一丁上がり。
連鎖は終わらせないとね。私も復讐者だもの、死ななくちゃ意味がない。
魔族全部は一人じゃ無理? あはは、できるよ。
だって、あたしは天空の勇者だもの。
さあ、念のため聞いておきましょうか。
いけない、もう時間みたい。
ほら、見てください。あれが進化の秘法を使った男です。
さっき今日まで暴れ続けてるって言ったでしょ? それが、ここ。私は毎日、暴れるアイツの相手をしてるんです。
この時間になるといつもああして蘇ってくるの。すごいでしょう?
私は毎日アイツを殺す。
流れた血は地に注がれ、断たれた肉は地に還り、魂は眠りにつく。
そして起きると、土からまた生まれてくるの。ああして、土から骨が生え、骨から肉が沸き、皮膚まで綺麗に張って……面白いでしょ? ああも細かくやられると、ゾンビよりおぞましいかもしれないですね。だってずっとね、あの断面とか鮮度が――
あれ、もういない?
臆病だなあ。逃げちゃったのか。その程度の奴なら大丈夫かなあ?
でも……うん。
殺っとけば良かった。
20140708