牧人と羊たちの影
※主ビア要素有。
自分はうつらうつらしながら、父の背中に寄りかかっている。
自分は幼い。
まだ足が立たないので、背負い紐で父の背に括られて旅をしている。
父は戦士だった。
どうもかなり強いらしい。
だから当然、背中には厚い筋肉がしっかりとついていて、寄りかかった感触も硬い。
加えて、使い込まれた鎧の革と汗の匂いもする。
しかし、自分は限りなく安らかな気持ちで眠れていた。
なぜなら、頼れる父の存在を、限りなく近くで感じていられるからだ。
自分は幼くて、世界がよく分からない。
それでも、自分の傍にいる父のことはわかる。
声を上げれば、こちらを向いてくれる。
笑えば、笑い返してくれる。
泣けば、あやしてくれる。
どんな時でも、父は自分の求めに応じてくれる。
それだけで安心できた。
自分は赤子である。
赤子はやがて幼児になり、旅の景色から、普通の人々が持っている家というものを、自分と父が持っていないことを悟る。
それでも、不安はなかった。
何故ならば、自分の前にはいつでも父がいたからだ。
父の背は、世界のどこよりも安全で、あたたかい場所だったのだ。
▶
父の背に負われていた自分は、成長して少年になり、父の後をついて歩けるようになる。
父は顔が広かった。
行く先々で、笑顔の人々に迎えられた。
「パパスさん! 久しぶりじゃないか」
「しばらく見ないから、寂しかったですよ」
「後でうちに寄っとくれ。みんなが旅の話を聞きたがってるんだ」
「また強くなったんじゃねえか?」
「息子さんも大きくなって。男手一つで大したもんだ」
父を見る人々の目は輝いていた。
彼らは、父をさまざまな呼称で呼んだ。
うできき。
つわもの。
えいゆう。
聞いたことのない言葉も、会話の流れや雰囲気から意味を察することができた。
父はやはりすごいのだ。
自分だけではなく、みんながみんな、父といると安心するらしい。
「坊やのお父さんは、すごい人だよ」
父を知る人は口を揃えてそう言う。
言われるたび、父のことが誇らしく、自分もそうなりたいと思えた。
しかし、そんなすごい父にも困っていることがあるらしい。
村の住人から聞いたのだ。
なんでも、ずっと見つからない探し物をしているのだと言う。
てんくうのゆうしゃというものだそうだ。
「坊やがもう少し大きければ、父さんの手伝いもできただろうにのう」
そう言われたこともある。
自分だって大きくなったのだと言い返したかった。
だってもう、ひのきの棒を買ってもらえたのだから。
つまり、父と一緒に戦えるようになったのである。
きっと今に、父には及ばないまでも、父の手助けをしていけるようになるのだ。
いや。すぐに手助けができるものならば、したい。
父は探し物について多くを語らなかった。
それでも父をずっと見ていた自分は、時折その顔によぎる苦悩の影を察していた。
父が困っているなら、助けたい。
だから、自分ができなそうなことに挑戦するのも怖くなかった。
帰ってこない薬屋の主人を探すために、洞窟に一人で入っていくのも。
子猫を助けるために、ビアンカと二人でレヌール城のおばけを退治するのも。
春が来ないと言う妖精たちのために、妖精の国に行って春風のフルートを取り返すのも。
(僕はお父さんの力になれるようになるんだ)
正直なところ、予想していなかった怪物がやってくるたびに足が竦んだが、毎回敵に立ち向かう父の姿を思い出して気力を奮い立たせた。
だから、アルカパからの帰り道に父から褒められた時は、とても嬉しかった。
「おばけ退治のこと、この父も感心したぞ」
認めてもらえた。
飛び上がりたいくらい嬉しかったけれど、我慢してにこにこするだけにした。
「あまり無茶するんじゃないぞ」
「無茶してないよ」
「すっかり英雄気取りだな」
まあ、それもよかろう。
父は穏やかに笑う。
(僕のお父さんはカッコいい)
憧れだった。
大好きだった。
いつか、英雄気取りと言われないくらいの強い戦士になりたい。
そしててんくうのゆうしゃを見つけて、父と笑い合うのだ。
きっとその時には、自分の背も父に追いつくだろう。
逞しくて優しい、父のような戦士になれていたらいい。
そう考えていた六歳の年に、目標にしていた父は永遠の夢になって散った。
▶
ひたすらに石を積む。
古い神殿の崩されてできたその石を、ずっと運んでは積み上げている。
下手によそへ行けば、鞭が飛ぶ。
鞭は痛い。
でもそれより、鞭一つでこの場所に縛られているのが、つらい。
自分には何もできない。
何もできない。
奴隷仲間も、父も、これまで誰一人として助けられなかったのだから。
ああ、でも。
何もできないのだとしても、ここから出て、何かをしたい。
何かをしたい?
何をしたいかなんて、決まっている。
「アベル。またいつか、いっしょに冒険しましょうね! 絶対よ」
脳裏によみがえる、黄色の思い出。
少女と子猫。
二人との冒険の日々は、黄金色に輝いていた。
元気でね、と彼女は言った。
元気でいなければ、冒険はできない。
黄金色の思い出に浸りながら、自分はパンの欠片を口に運び、石を運ぶ。
鮮やかな黄金の記憶は、やがてあの日へと到る。
下り階段。
誘拐。
逃亡。
敗北。
「お前の母さんは、まだ生きているはず。わしに代わって、母さんを」
断末魔が、耳の奥にこだまする。
途端に記憶の輝きは失せ、代わりにすべてを塗りつぶすような漆黒が頭を塗りつぶしていく。
許せない。
受け入れられない。
父の死も。父を殺した魔族も。光の教団も。
何よりこの状況を受け入れている自分が、許せない。
漆黒の思いに浸りながら、自分は石を積む。
父の志を継ぐのだ。
そのために生きて、逃げなければ。
母を助けにいかなくては。
「僕が助けるよ」
溌剌とした少年の声がして、驚いた。
石を取り落とす。
転がっていった先に、男の子がいた。
一つに括っていても跳ねてしまう髪質こそやんちゃそうだが、落ち着いた物腰といい、あどけない笑顔といい、育ちの良さが窺える。
粗悪なものに満ちたこの労働場で、彼の存在は浮いていた。
「僕は天空の勇者なんだ」
天空の勇者。
母へ至る手がかりとして、父が探し求めていたもの。
こんな子供が?
確かに天空の剣を背負っている。
あの剣は、選ばれた者でないと持ち上げることすら厳しい。
ああ、ついに勇者がやって来た。
手を伸ばすと、彼は握り返してくれた。幼い見た目に反して、手は硬い。
「もう苦しまなくていいんだよ」
男の子は笑う。
しかし自分は妙に苦しくなった。
やっと勇者が見つかった。
父の苦労も報われよう。
そう思っているのに、安らげない。
少年の、丹念に櫛を入れられているのだろう髪に映り込む色や、顔立ちの愛らしさや、天空を溶かしたような瞳が、胸を刺す。
この気持ちは何だ。
「やっと、人を愛せたと思ったのに」
言葉が口から勝手に出て来た。
「何で僕らの子が、勇者なんだ!」
▶︎▶︎▶︎
目が覚めた。
アベルはうつ伏せで寝ていた。下には仲間のギガンテスの体がある。
彼は、ギガンテスの背中に乗ってマッサージをしているうちに己も寝入ってしまったのだと察した。
「ひどい夢だなあ」
独りごちて、失笑する。
魔界の王はすでに倒された。
こうして、グランバニアの森で居所寝をできるくらい、世界は平和になったのだ。
「最初は、いい夢だと思ったんだけど」
巨人はまだ眠っている。
仰向けに寝転がる。寝息にともなう緩やかな振動が体を揺すぶって、心地よい。
アベルはもう一度目を閉じる。
まだ、父の背に揺られているような気がした。
20210408