牧人と羊たちの影




※主ビア要素有。












 自分はうつらうつらしながら、父の背中に寄りかかっている。

 自分は幼い。
 まだ足が立たないので、背負い紐で父の背に括られて旅をしている。

 父は戦士だった。
 どうもかなり強いらしい。
 だから当然、背中には厚い筋肉がしっかりとついていて、寄りかかった感触も硬い。
 加えて、使い込まれた鎧の革と汗の匂いもする。

 しかし、自分は限りなく安らかな気持ちで眠れていた。
 なぜなら、頼れる父の存在を、限りなく近くで感じていられるからだ。

 自分は幼くて、世界がよく分からない。
 それでも、自分の傍にいる父のことはわかる。

 声を上げれば、こちらを向いてくれる。
 笑えば、笑い返してくれる。
 泣けば、あやしてくれる。

 どんな時でも、父は自分の求めに応じてくれる。
 それだけで安心できた。

 自分は赤子である。
 赤子はやがて幼児になり、旅の景色から、普通の人々が持っている家というものを、自分と父が持っていないことを悟る。
 それでも、不安はなかった。
 何故ならば、自分の前にはいつでも父がいたからだ。

 父の背は、世界のどこよりも安全で、あたたかい場所だったのだ。











 父の背に負われていた自分は、成長して少年になり、父の後をついて歩けるようになる。

 父は顔が広かった。
 行く先々で、笑顔の人々に迎えられた。

「パパスさん! 久しぶりじゃないか」
「しばらく見ないから、寂しかったですよ」
「後でうちに寄っとくれ。みんなが旅の話を聞きたがってるんだ」
「また強くなったんじゃねえか?」
「息子さんも大きくなって。男手一つで大したもんだ」

 父を見る人々の目は輝いていた。
 彼らは、父をさまざまな呼称で呼んだ。

 うできき。
 つわもの。
 えいゆう。

 聞いたことのない言葉も、会話の流れや雰囲気から意味を察することができた。

 父はやはりすごいのだ。
 自分だけではなく、みんながみんな、父といると安心するらしい。

「坊やのお父さんは、すごい人だよ」

 父を知る人は口を揃えてそう言う。
 言われるたび、父のことが誇らしく、自分もそうなりたいと思えた。

 しかし、そんなすごい父にも困っていることがあるらしい。

 村の住人から聞いたのだ。
 なんでも、ずっと見つからない探し物をしているのだと言う。
 てんくうのゆうしゃというものだそうだ。

「坊やがもう少し大きければ、父さんの手伝いもできただろうにのう」

 そう言われたこともある。

 自分だって大きくなったのだと言い返したかった。
 だってもう、ひのきの棒を買ってもらえたのだから。
 つまり、父と一緒に戦えるようになったのである。
 きっと今に、父には及ばないまでも、父の手助けをしていけるようになるのだ。
 いや。すぐに手助けができるものならば、したい。

 父は探し物について多くを語らなかった。
 それでも父をずっと見ていた自分は、時折その顔によぎる苦悩の影を察していた。

 父が困っているなら、助けたい。
 だから、自分ができなそうなことに挑戦するのも怖くなかった。

 帰ってこない薬屋の主人を探すために、洞窟に一人で入っていくのも。
 子猫を助けるために、ビアンカと二人でレヌール城のおばけを退治するのも。
 春が来ないと言う妖精たちのために、妖精の国に行って春風のフルートを取り返すのも。

(僕はお父さんの力になれるようになるんだ)

 正直なところ、予想していなかった怪物がやってくるたびに足が竦んだが、毎回敵に立ち向かう父の姿を思い出して気力を奮い立たせた。

 だから、アルカパからの帰り道に父から褒められた時は、とても嬉しかった。

「おばけ退治のこと、この父も感心したぞ」

 認めてもらえた。
 飛び上がりたいくらい嬉しかったけれど、我慢してにこにこするだけにした。

「あまり無茶するんじゃないぞ」
「無茶してないよ」
「すっかり英雄気取りだな」

 まあ、それもよかろう。
 父は穏やかに笑う。

(僕のお父さんはカッコいい)

 憧れだった。
 大好きだった。
 いつか、英雄気取りと言われないくらいの強い戦士になりたい。
 そしててんくうのゆうしゃを見つけて、父と笑い合うのだ。

 きっとその時には、自分の背も父に追いつくだろう。
 逞しくて優しい、父のような戦士になれていたらいい。





 そう考えていた六歳の年に、目標にしていた父は永遠の夢になって散った。












 ひたすらに石を積む。
 古い神殿の崩されてできたその石を、ずっと運んでは積み上げている。
 下手によそへ行けば、鞭が飛ぶ。
 鞭は痛い。
 でもそれより、鞭一つでこの場所に縛られているのが、つらい。

 自分には何もできない。
 何もできない。
 奴隷仲間も、父も、これまで誰一人として助けられなかったのだから。
 ああ、でも。
 何もできないのだとしても、ここから出て、何かをしたい。
 何かをしたい?
 何をしたいかなんて、決まっている。

「アベル。またいつか、いっしょに冒険しましょうね! 絶対よ」

 脳裏によみがえる、黄色の思い出。
 少女と子猫。
 二人との冒険の日々は、黄金色に輝いていた。
 元気でね、と彼女は言った。
 元気でいなければ、冒険はできない。

 黄金色の思い出に浸りながら、自分はパンの欠片を口に運び、石を運ぶ。

 鮮やかな黄金の記憶は、やがてあの日へと到る。

 下り階段。
 誘拐。
 逃亡。
 敗北。

「お前の母さんは、まだ生きているはず。わしに代わって、母さんを」

 断末魔が、耳の奥にこだまする。
 途端に記憶の輝きは失せ、代わりにすべてを塗りつぶすような漆黒が頭を塗りつぶしていく。

 許せない。
 受け入れられない。
 父の死も。父を殺した魔族も。光の教団も。
 何よりこの状況を受け入れている自分が、許せない。

 漆黒の思いに浸りながら、自分は石を積む。

 父の志を継ぐのだ。
 そのために生きて、逃げなければ。

 母を助けにいかなくては。

「僕が助けるよ」

 溌剌とした少年の声がして、驚いた。

 石を取り落とす。
 転がっていった先に、男の子がいた。
 一つに括っていても跳ねてしまう髪質こそやんちゃそうだが、落ち着いた物腰といい、あどけない笑顔といい、育ちの良さが窺える。
 粗悪なものに満ちたこの労働場で、彼の存在は浮いていた。

「僕は天空の勇者なんだ」

 天空の勇者。
 母へ至る手がかりとして、父が探し求めていたもの。

 こんな子供が?

 確かに天空の剣を背負っている。
 あの剣は、選ばれた者でないと持ち上げることすら厳しい。

 ああ、ついに勇者がやって来た。

 手を伸ばすと、彼は握り返してくれた。幼い見た目に反して、手は硬い。

「もう苦しまなくていいんだよ」

 男の子は笑う。
 しかし自分は妙に苦しくなった。

 やっと勇者が見つかった。
 父の苦労も報われよう。

 そう思っているのに、安らげない。
 少年の、丹念に櫛を入れられているのだろう髪に映り込む色や、顔立ちの愛らしさや、天空を溶かしたような瞳が、胸を刺す。

 この気持ちは何だ。

「やっと、人を愛せたと思ったのに」

 言葉が口から勝手に出て来た。

「何で僕らの子が、勇者なんだ!」









▶︎▶︎▶︎



 目が覚めた。

 アベルはうつ伏せで寝ていた。下には仲間のギガンテスの体がある。
 彼は、ギガンテスの背中に乗ってマッサージをしているうちに己も寝入ってしまったのだと察した。

「ひどい夢だなあ」

 独りごちて、失笑する。

 魔界の王はすでに倒された。
 こうして、グランバニアの森で居所寝をできるくらい、世界は平和になったのだ。

「最初は、いい夢だと思ったんだけど」

 巨人はまだ眠っている。
 仰向けに寝転がる。寝息にともなう緩やかな振動が体を揺すぶって、心地よい。

 アベルはもう一度目を閉じる。
 まだ、父の背に揺られているような気がした。









20210408