旅愁



 一歩踏みしめる度、草がさくさくと音を立てる。草は、僕、マリベル、ガボと続けて踏んでも跳ね起きて、すまし顔でまた背を伸ばす。
 良い人、悪い人、戦える人、戦えない人。多くの人が足を向けるダーマ地方の草原だ。僕ら程度の重みなど、きっとなんてこともないのだろう。踏まれた直後には、僕らが通っていった衝撃など忘れてしまうに違いない。
 しかしこの草たちも、僕らが先日踏みしめてきた現在のダーマ地方にはもういないのだ。
「ずいぶんさびれてたわね」
 マリベルが言った。ガボが首を傾げる。
「スイフーの町のことか?」
「それ以外に何があるのよ」
 僕らは石版に封じられていたダーマ地方に、再びやって来ていた。
 この石版の世界で、僕らはダーマ神殿に巣くっていた魔物を倒した。それによって現代にダーマ地方を復活させることができたので、様子を見てきたのが昨日。
 そうしたら石版世界の方のダーマのその後が気になったので、つい来てしまったのだ。この世界から帰る時、きっともう当分来ないと思っていたのだけど。
「もうあんな場所絶対に行くもんかと思ってたけど、ああなってるのを見ると、拍子抜けしちゃうわ」
 二度と来ないと力強く宣言していた代表者マリベルが肩を竦める。
「人がいなくなるのは分かってた。でも、まさかもう廃墟になりかけるなんてね」
「あそこは力を奪われた人たちが仕方なく住んでいた町だから」
「そうね。あーんな嫌な思いをさせられた場所がなくなって、清々するわ」
 神殿で転職しようとしたら、いきなり力を奪われて落とされた町。
 力も生き方も見失った人々が吹きだまるだけのあそこで、様々なことがあった。忘れたいこと、忘れられないこと、色々。
「でもなくなったらなくなったで、ちょっともやもやするわね」
「何でだ? せいせいするんじゃなかったのか?」
 ガボが首を傾ける。マリベルは細い眉をひそめた。
「だって、このマリベル様が散々辛酸を舐めさせられた場所よ? それがあんなにあっさり、何の事件もなく消滅していくなんて、キツネに化かされた気分だわ」
「アントレアルは魔物だぞ」
「知ってるわよ。キツネに化かされた、は言葉のあや」
 幻だったみたい、とマリベルは言った。
 そうだ。
 昨夜もあの町の夢を見て飛び起きた。あの町での思い出は未だに鮮烈に残っているのに、石版の世界でふきだまりは解消され、現代ではもう跡形もない。
「全部、こうして」
 言いかけた時、ふと、帽子に何かが触れた気がした。背筋がぞっとする。
 力任せに掴んできた手。踏みつけてくる足。顔にかけられる泥、ぶつかる石。
 反射的に振り返った。そこには何もいない。ただ柔らかな風が、額を撫でて過ぎていった。
 視界を遮る高い山も建物もない野原。青天井を、一面の草原を、目に見えない大きな流れがさあと声を上げて駆けていく。青天井には雲が細くたなびき、草は風に撫でられた順番に白く波打った。
 束の間そこに、船を手に入れたばかりの頃に漕ぎ出した大海を見た。けれどもそれも一瞬のことで、青草はすぐもとのようにまっすぐ立ち上がる。
 人の足跡はおろか、風さえここにはとどまれない。
「どうしたの、アルス」
「いや」
 きっと、何もかもが旅の中にいるんだ。
 唐突にそんな言葉が頭に浮かんだ。けれどそんなことを言ったところで、柄にもないとマリベルに笑われるのがいいところである。
 この感慨を説明できるだけの力は、僕の中にない。
 僕はしばし立ち尽くして、踵を返した。
「次は、どこに行けるかな」





20200815 DQ小説同盟に感謝を込めて