軍師ホメロス策を練る




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 彼を知り己を知れば、百戦して危うからず。

 戦における基本である。しかしこの「知る」ということのなんと難しく、労力を用いることか。戦士や策士ならば、誰しも思う所に違いないだろう。

 それでも、剋つためにはやらねばならぬ。目指す所へ至るためならば、手段も手間も、そして時として自他の犠牲さえ厭わない。それがデルカダール双頭の鷲の一、知将ホメロスの心得である。

 そんなホメロスの目下の課題は、今なお逃亡を続ける悪魔の子一行の追跡と分析であった。

 奴らがどこへ向かうつもりなのか、何をするつもりなのか。そして、悪魔の子を討ち取るためになどうしたらいいのか。

 ホメロスはかの人間に恨みがあった。一度捕らえようとしたところを、逃げられたのである。もう少しで捕らえられるところをすんでで逃してしまったのは、ホメロスにとってこの上ない屈辱であった。

 かつての雪辱を晴らすため、そしてさらなる目的のため、ホメロスは日々、一行の動向を、味方にさえ内密にして探っていた。そしてその動向から奴らを分析し、今後どのような策を取って奴らを掌中に収めるかを、彼の主君と熟考していたのである。

 今日も今日とて、ホメロスは魔物を使役して勇者一行の足跡を辿る。今回の調査結果は、次に行われるグレイグも交えての会議で、最新の情報として提供することになる。この会議で、奴に決して劣らぬ、詳細な報告書をあげたい。

 将ホメロスは、デルカダール城の空を見上げる。

 明朝、レポートが届くはずである。今回の間者も、念入りに二人つけた。魔物は人間と操る言葉が異なるせいで苦労することも多いが、今回は巷で巧みな言葉遣いであると評判の者をつけた。このホメロスに抜かりはない。

 果たして、どのような文が届くのか。ホメロスはもう一度、空を仰いだ。
 












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 チャオ! 俺っちの名はシゲぽん。このメダチャット地方に棲む、しがないリビングデッド族の洟ッ垂れさ。見ての通りの田舎者だが、田舎育ちな分、目と耳は良くてな。これでも地元の兄弟たちからは「世界一鮮度の高いリビングデッド」って呼ばれてんだ。よろしくしてくんな。

 で、あんたが腐った死体のエテポンゲか。話には聞いてるぜ。世界一流暢に人間の言葉を操ることのできる、魔物業界一の人間通にして知識屍だと。ありがてえ。俺っちは目と耳は利くんだが、どうも人間の言葉ってもんを使うのが性に合わねえ。偵察が得意な俺に、人間の言語に長けたあんたがいりゃあ、「おにこんぼうに棍棒」だぜ。

 さて、早速仕事に取り掛かろうか。

 あんたも聞いてるだろう。今回俺たちが取り掛かる重要な仕事──悪魔の子こと勇者一行の観察報告のことだ。

 勇者とその仲間の様子を観察し、レポートにまとめる。そしてそれを伝書ガチャコッコに託して、今日のお月様が天井の真ん中へ着くまでに、デルカダールのホメロス様のもとへ送る。世界の命運を握る、一大案件だそうぜ。絶対に失敗はできねえ。

 おっと、そんな身震いすんなよ。頭についてたでけぇシラミが落ちたぜ?

 心配しなさんな。俺たち生ける屍族は魔界で一番人間に近い。勇者一行に見つかっても、いざとなりゃあ死んだフリで乗り切れる。見つかったらとにかく、死んだフリでいけばどうにかなるだろう。

 なに? 身震いじゃねえ、武者震いだ? はっはっは、そうこなくっちゃな!

 ホメロス様は最近ちまたで噂の花形騎士。そんなホメロス様に仕事を任されちまうなんて、俺っちたちも出世したもんだぜ!

 おっ。噂をすりゃあ、やって来たようだな。

 見えるか? あれが勇者だ。平野を歩いてるあの人間連中の先頭にいる、サラッサラの髪の奴だよ。

 え、何だって? 青い髪の奴かって?
 バカ野郎、サラッサラの髪って言ってるだろうが。青髪はツンツンだろ。

 ……なに? 目ん玉が腐っちまってよく見えねえ?

 人間マニア高じて、勇者一行をナマで見られることに興奮しすぎて、目ん玉の発酵が進んじまっただと?

 しょうがねえなあ。早く次の目ん玉が生えてくるように、唾でもつけとけ。その分、俺がよく見ておいてやるからよ。

 ……ん? 何だ、急に騒がしくなったな。

 おっ、戦闘だ! 勇者一行の前に、巨大なゴーレムが立ちはだかっている!

「ンもう! 疲れ切った乙女の弱みを衝こうとするなんて、イケズな魔物ちゃんね! みんな、短期決戦で行くわよ!」
「行くわよッ!」

 勇者が無言で前に進み出た後に続いて、三人が他のメンバーを庇うようにして前に出る。うち、白黒の派手な服を着た男が声を張り上げ、ゴーレムを指差した。あいつは確か、シルビアとかいったな。ホメロス様からの情報によると、旅芸人らしい。

 その語尾とポーズを真似した赤い子供は、ベロニカっていう魔法使いだ。ちびっちゃいが、忌々しいラムダから来た要注意人物だったはずである。

 ゴーレムが丸太みたいな腕を振り上げるより早く、赤い子供の掌に火球が現れる。

「メラミ!」

 子供のくせに、一丁前にでかい火の玉を飛ばしやがる。それにゴーレムが面食らってるうちに、旅芸人が何やら唱えた。みるみるうちに勇者に力が漲るのが、離れたところにいる俺っちにも分かる。バイキルトだ。

 剣を下げて、勇者の奴が走り出した。真正面から、ゴーレムの奴に斬り込んでいくつもりだ。勇者は一息にゴーレムの頭上へと飛び上がった。

 だが、ゴーレムとてただの置物じゃねえ。奴のどでかい拳がぐん、と振り上がる。あのまま、勇者を殴り落とす気だ。

 ゴーレムの拳と、勇者の体。
 二つが空中で相対する。

 丈こそ同程度だが、全体の大きさを見れば、断然ゴーレムの拳の方がでかい。あのままぶつかれば、あんな細っこい人間、無事で済むわけが──

 ……。

 …………。

 嘘だろう?

 あの野郎、自分に向かってきたゴーレムの拳ごと、奴の左上半身を砕きやがった。

 剣で粉砕されたゴーレムの体が、大きく傾ぐ。降りしきる岩の中、奴の身体を足蹴にして着地した勇者が、剣を持ったまま後転して落下の衝撃をいなす。

 勇者は真直ぐな髪が乱れるのも構わず、叫んだ。

「カミュ!」
「おう」

 応える声は、人間どもから随分離れた所から聞こえてきた。

 俺は耳を疑った。だが間違いねえ。

 この目が、やっと奴の姿を捉えた。勇者の声に応じた奴──青髪の男は、ゴーレムの背後に佇んでいた。

 野郎、いつの間にあんな場所に!

 急展開に驚く俺などいざ知らず。青髪は逆手にしたナイフで、疾風の如くゴーレムの急所を抉った。ゴーレムは言葉にならぬ咆哮を上げ、黒き霧と化して散った。

「キマったわね、シャドウアタック!」
「息ぴったりですね!」

 旅芸人が、背後に控えていた人間が、わっと奴らのもとへ。勇者はにこにこと相好を崩し、青髪は何度もやってるからなと肩を竦めた。

 ──見事なもんだ。

 俺は、自分が敵の立場だということも忘れて感嘆した。

 奴ら、いい連携をしやがる。きっと、魔神のランプと魔神ブドゥの仲みてえなもんなんだろうな。こういうの、人間の言葉で何て言ったかな。なあ、エテポンゲ?

 ……お前、聞いてるのか?

 なに? 今度は、耳の穴の肉が腐り落ちて塞がっちまったせいで、聞こえねえ? めんどくせぇな。そんなもん、自分で穴作っちまえばいいだろ。ほじれよ。
 ほら来いよ。奴ら、移動してるぜ。尾行だ、尾行。

 ふふん。いくら勇者一行と言えど、まさか土の中を掘ってついてくる間者がいるとは夢にも思うめぇよ。しかも俺の耳は、エテポンゲのと違って鮮度がいいからな。土の中でも、奴らの声がよく聞こえる。会話の内容によると、奴らはオーブなるものを集める旅の途中らしい。

 いいかエテポンゲ。しっかり覚えとけよ。お前がしっかり書いて、ホメロス様に報告するんだからな。

 ホメロス様は、勇者一行の現在の動きと今後の動向を一番に知りたいと言っていた。そしてできれば、奴らの性格や素性のことも聞かせろと。些細なことでも、事前に情報があればあるに越したことはねえ。戦っていうのは力さえあればいいもんじゃねえ。策を練って効率よく、うまく攻めねえとな。
 その策ってのも、情報があってこそ錬れるんだ。だから既に現在の様子も今後の動向も掴めた今は、奴らの観察に徹し、些細なことでも書き留めて、月が頭の真上に昇る頃にホメロス様の所へ送るんだ。

 いいな、エテポンゲ。奴らが野営の支度を始めた。女神像の守護のせいで近くに寄ることはできねえが、俺の目と耳なら十分観察できる。あの木陰に潜んで、奴らの様子を窺うぞ。だからお前は、今ここに留まってるうちに色々メモしとけ。月があの星座のあたりまで昇ってきたら、撤退だ。近くに俺ら一族の基地があるから、そこで報告書をまとめて文を出そう。

 ふむ。奴ら、野営しながら周辺でちょくちょく魔物を狩ってるな。ああやって、戦闘経験を積んでるのか。
 戦う魔物からすれば災難かもしれねえが、俺っちとすれば助かるな。奴らの戦力を把握する、良い機会だ。

 勇者一行は全部で七人いる。

 旅芸人と赤い子供は最初に見た通り、補助役と呪文攻撃役らしい。旅芸人は歌や踊りで敵の混乱を誘い、仲間を助ける。赤い子供はとにかく、呪文で敵を殲滅する。

 黒髪の女と爺さんは比較的新参者のようだが、安定した強さがある。黒髪の女は巧みな足技と、華麗な槍さばきが特徴の武闘家だ。さらにその見目麗しさで敵を魅了し、己の戦況を有利にする。

 爺さんはスケベそうな顔をしてるものの、多彩な戦闘技能を持つ。爪を使った武術攻撃に、魔法での攻撃、回復、補助もこなす。

 それから、金髪のほっそりした女。こいつは僧侶だ。俺たち生ける屍族にとって、あんまり気安く近づきたい女じゃねえな。忌々しい清らかさだ。

 青髪は相手の不意を突くのと、またそうするために不利な状況を作るのがうまい。敵を睡眠状態や猛毒状態にしてそこを仕留める、トリックスターってやつだろう。

 勇者は攻守ともに秀でた、正統派アタッカーだ。片手剣と両手剣の両方を使いこなし、仲間の先頭に立って戦況を切り開く。時には雷までも操るその堂々とした勇姿に、仲間たちは奴の力を信じ、己を託して戦う。

 勇者一行は、我々魔族にとって敵に当たる。だから奴らが同じ魔族を狩る姿は、とてつもなく恐ろしい。恐ろしくはあるが、その目を持っていてもなお、奴らの信頼の滲み出た戦いぶりは称賛に値するものとして映った。味方だったらさぞ心強いだろう。

 もう、日が沈んだ。奴らは研鑽の戦いをやめ、夕飯の支度を整え始める。ピリリとした緊張に包まれていた連中の空気が一転、和やかなものへ変化したのがわかった。

「わーっ、美味しい!」
「やっとまともな食卓になってきたわね」

 食事を口にして、金髪の僧侶と赤い子供が言う。空気の似ているこいつらは姉妹らしいが、言うことは全然違う。女の方はのんびりで、子供はズケズケだ。

 その言い方は変えぬまま、子供が向かいに座る勇者と青髪に尋ねる。

「あんたたち、まともに料理できるくせにどうして最初からそうしなかったのよ」

 勇者は答えを考えているらしく、小首を傾げている。代わりに、青髪が答えた。

「男はな、最低限食いたいものが食えりゃあそれでいいんだよ」
「そんなんじゃダメよ!」

 子供は椀を置いて力説する。

「食事はあたしたちの体のもとなのよ! しっかりバランスよく美味しく食べないと、魔法の成功率も下がるし戦闘の効率も悪くなるし、美容にも良くないし──」
「それくらい俺らだって知って──」
「イレブンの髪質だって悪くなっちゃうじゃない!」
「どうしてそこに繋がるんだ」

 呆れた様子の青髪。
 すると、旅芸人が笑う。

「いやね、カミュちゃんったら。女にとって髪は一大関心事なのよ?」
「イレブンは男だろ」
「あら、アタシの言い方が悪かったわね。言い直すわ。女の子は綺麗なものに目がないの。美しいアクセサリー、可愛いお菓子、ステキな恋、憧れるヒト、とかね。だからイレブンちゃんのサラサラツヤツヤの髪は、女の子なら誰もが憧れる、守りたくなるほどに綺麗なものなのよ」
「綺麗なもの、な」

 青髪は何やら考え込む。さすがシルビアさん、分かってらっしゃいますわと僧侶が賛同し、そこからまた別の会話に花が咲く。

 しばらく他愛のない話が続いた。焚き火にかかった鍋が空になり、ご馳走様の声が七つ、唱和された。

「イレブン、今日も髪の毛貸して?」
「うーん。いいけど、汗まみれだよ?」
「大丈夫よ! そう言ってもイレブンの髪はいつもサラサラだし、お日様の匂いがするもの!」
「イレブンさん、ちょっと失礼します」

 夕食の片付けが終わると、先ほど騒いでいた女たちが勇者の周りに集い始めた。珊瑚の髪飾り、カラフルな装飾品、銀細工の簪。見たこともないような髪飾りをあたりに並べ、勇者の髪をあれこれと弄る。

「イレブン様の髪は細くて滑らかで、上手く編めませんわ」

 僧侶は唸りながら、勇者の左側面の髪と悪戦苦闘している。一方、反対側では旅芸人が嬉々として髪をまとめていた。

「ほんっと、若いっていいわね! こっちまで嬉しくなっちゃう」
「もうセーニャ、あんたったら相変わらずトロいわね」

 真ん中で頭頂部の髪を梳かしていた子供が、僧侶と立ち位置を交換する。僧侶の編んでいた無骨な三つ編みを、小さな指先がたちどころに直していく。

「さすがお姉さま、お上手ですわ!」
「ふふん、当たり前よ。何歳から三つ編みしてると思ってるの?」

 得意げな子供。勇者は何を考えているのか、微笑んでされるがままになっている。連中、キャッキャして楽しそうだ。

 それ以外の面子は、各々焚き火の周辺で過ごしている。青髪は無言で短剣を研ぐことに集中しているようだが、組手の型をやっていた爺さんと武闘家は、チラチラと勇者を囲んではしゃぐ女たちを気にしていた。

「羨ましいのう。ワシももうあと十……いや、二十若ければ……」
「ロウ様」

 訓練を中断して華やかな空間を眺める老人に、武闘家が溜息をつく。ちょうどその時、子供が二人の方へ寄ってきた。

「マルティナ、ちょっとこっち来てー」
「えっ、なに?」
「いいからいいから」

 子供が武闘家を引っ張ってくる。老人は微笑ましげにその背を見送る。
 武闘家は戸惑いながらも、導かれたままに勇者の隣に座る。子供は中途半端な三つ編みで放置された勇者と、その後ろでまごついている僧侶を指差した。

「セーニャがぶきっちょで、なかなか私の言った通りに髪がまとめられないのよ。だからあたしがマルティナの髪でお手本をするから、ちょっとじっとしてて」
「え?」

 驚く武闘家。勇者と周囲とを見比べて、首と手を横に振った。

「そんな、洗ってないから汚いわよ」
「ふふ、イレブンちゃんと同じこと言ってるわ!」
「だーいじょうぶよ! むしろ洗ってからだと、玩具にするのが申し訳なくなっちゃうわ。このまま付き合ってよ」

 旅芸人が笑い、子供が背中を押す。さらに僧侶が、懇切丁寧に頭を下げる。

「マルティナ様。私のせいでご迷惑おかけします」

 武闘家はそれでも躊躇っていたが、僧侶に懇願されて折れた。

「分かったわ。私で、いいのならば」

 髪結い三人衆が歓声を上げる。

 中断していた髪結い遊びが再開された。子供が手際よく、武闘家の長い黒髪を編んでいく。その様を、旅芸人と僧侶がうっとりと眺める。

「マルティナも髪が綺麗よね」
「私、お姉さまとお揃いのこの髪の色が大好きですけれども、黒髪にも憧れますわ」
「そんな」

 武闘家が恥じらう。

 その後、金髪姉妹が四苦八苦し、旅芸人が励まし、やっとのことで髪型が編み上がった。品のよい編み込みでふわりとまとまった、清楚ながら麗しい仕上がりである。

「できた!」

 三人組は、仕上がった二人の前に回り横に回りはしゃぐ。

「可愛いわ、お揃いね!」
「姉弟みたい。ねえ?」
「この髪型の場合、姉弟のと言うより姉妹の方が正しいのかもしれませんが」
「姉弟だなんて……」

 黒髪の女がはにかみ、隣の勇者を見た。勇者も微笑み、見つめ返す。

「ボクも、マルティナみたいなお姉さんがいたら嬉しい」
「イレブン……」

 微笑み合う二人。和やかな雰囲気の彼らの上方、少女二人と旅芸人が嬉しげに目線を交わし合う。彼らを遠目に眺める老人も、満足げな祖父の顔をしていた。

「イレブンちゃんって、不思議よね」

 旅芸人が顎に人差し指を当てる。

「男の子らしくてカッコいいのに、女の子みたいな柔らかな魅力があって……」

 勇者は旅芸人を見上げた。まじまじと彼を凝視する。旅芸人は首を僅かに傾けた。

「なぁに?」
「シルビアの方が、格好良くて綺麗だよ?」

 旅芸人は目を丸くする。しかしすぐに悪戯っぽく笑い、長い指で勇者のまろい額を小突いた。

「ふふ。ナマイキね」
「イレブン、そろそろいいか?」

 一人離れたところにいた青髪が、短剣を鞘にしまって立ち上がった。

「もう水浴びに行かねえと」
「いい?」
「もちろんよ。アタシたちの了承なんて気にしないで、行ってらっしゃい」
「ありがとね、イレブン!」
「ありがとうございました!」

 女たちの見送りを受けて、勇者はその髪型のまま水浴びに向かった。

 ……いやあ、すげーな。
 人間の勇者一行なんて、おっかなくて見られたもんじゃねえと思ってたが。戦わなければなかなかどうして、仲睦まじいじゃねえか。なあエテポンゲ。おい、エテポンゲってば。

 …………。

 ……こいつぁすげえ。

 お前、そんなに書いたのか。

 え? これは提出用じゃない? 下書き兼ネタ帳だ?

 あんた、本当にすげーんだな。正直これまでポンコツの死体だと思ってたからよ、今改めて感心したわ。

 これ、人間の言葉なのか? 俺には何て書いてあるのか、どういう意味なのかさっぱり分からねえが、やっぱりあんたがいてくれて良かったよ。

 ……ん、何だと?
 勇者たちの行った方角からネタの気配がするから、見てみろと?

 お前、急に偉そうになったな。まあいいや、行ってやるわ。

 しかし、奴らは交代制で水を浴びるんだな。マメなこった。案外、水浴びしなくていい身体もいいもんだけどな。俺たちだったら水浴びたら余計腐っちまうし、栄養の詰まった身体から植物の芽が生えてくるのもいいも──……。

 ……っ。

 …………ってめぇエテポンゲ! 急に何しやがる!

 あ? 静かにしろだァ? お前、いくら死んでるからってスゲェ馬鹿力で口を塞がれりゃ驚くに決まって──

「好きになっちゃったみたいだ」

 ──何か、聞こえてきた。

 見れば木立の向こう、月光を宿して煌めく泉の中に、勇者と青髪の姿があった。水面が眩くて奴らの姿がよく見えないが、どうも勇者の方は俯いているらしい。水を浴びたのか。先程より心なしか艶を増した髪から、ほとりと雫が落ちた。

「そうか」

 対する青髪はクールに返す。それから、僅かに笑みを含んだ吐息で言った。

「やけにぼんやり俺の方見てると思ったら、そういうことか」
「その」

 勇者は目を伏せる。

「何でだか分からないけど、どうしても頭から離れなくて。他のこと考えてても、ふとした時に頭をよぎって……ずっと気が散って、どうしようもなかったんだ」
「言えばヤッたのに」

 青髪がさらりと言う。
 いや待て。

「ダメだよ」

 勇者は泉の中へ沈んだ。肩まで浸かった拍子に水面の月が歪み、揺らいだ光が散る。

「他のみんなだって色々、我慢してるんだよ? こんなワガママ、許されていいわけない」
「いいじゃねえか、それくらい」

 張り詰めすぎると、身体に良くねえぜ?
 青髪が愉しげに言って、泉から身を引き上げた。水辺の岩に腰掛けた奴の身体が、濡れた月の灯りを纏い、妖しく闇に浮き上がる。

「でも!」

 勇者が水から上がった相棒を追うようにして、水辺へ歩み寄りながら声を張り上げた。葛藤の滲み出る声だった。

「ボクは……勇者だし、男だし、その……ッ」

 恥ずかしい、と。
 青年は消え入りそうに呟いた。

「関係ねえ」

 しかし青髪は、きっぱりと言う。

「そう、つべこべ悩むこたぁねえよ。男だからこーでないといけねえ、勇者だからあーでないといけねえなんて理屈、あいつらが気にすると思うか?」
「でも」
「あいつらはな、お前のことが好きでついてきてるんだ。案外、意外だとか言って喜ぶかもしれねえぜ?」

 青髪は、ゆっくりと己の髪をかき上げて笑う。冷たい水を滴らせ目を眇める美しい貌は、雪国の魔女を思わせて恐ろしく蠱惑的だった。

「さっきだって、楽しげに髪触ってたじゃねえか。なあ?」
「……あれは」

 勇者は首を振った。雫が宙を舞う。雫は青年の逞しくもしなやかな若い牡鹿のごとき上半身を伝い落ち、水面に波紋を作る。
 青髪はくつくつと笑っている。

「なに、そんな悩んでんだよ」
「カミュの意地悪」
「どこが意地悪なんだ」
「カミュが、教えたくせに……っ」

 勇者が背を向けた。声こそ小さくて聞き取りづらかったが、拗ねているらしい。
 青髪も、相手の声色が変わったことに気付いたのか。その端正な顔から笑みが消えた。

「じゃあ、違う言い方してやろうか」

 青髪が泉に滑り込み、勇者のもとへ歩み寄る。片手を彼の方に置くと、青年は意外にもすんなりと相棒の方を向いた。
 不安げに揺れる、澄んだ瞳。青髪はそれをひたと見据えて、形の良い唇で秘めやかに呟いた。

「俺も、お前のヨロコぶ顔が見たい」

 ボトッ。
 エテポンゲの目玉が落ちた。

「いっつも真面目にやってんだ。それくらいの息抜き、したっていいだろ。してくれよ」
「カミュ……」
「俺も男だ。お前の言う、余計なモノを教えちまった側の責任をとって、何とかしてやるよ」

 勇者は情けなく眉を下げた。

「ごめん、こんなボクで」
「ばーか」

 青髪の口元から、白い歯がこぼれた。

「そんなお前だから、ついてきたんだよ。気にすんな」

 ……。

 …………。

 何だこの展開は。

 おい、エテポンゲ。お前そんなに早くペン動かせたのか。腐った死体の素早さとは思えねえぞ。暴れドラゴンみたいなペンさばきじゃねえか。だがちょっと待て、そんなに激しく動いたら……馬鹿野郎、俺らが何処に身を隠してると思ってるんだ。茂みだぞ? そんなに暴れたら──

 ガサッ。

「何だ?」

 ほら見ろ気付かれたじゃねえか!

 まずい。撤退だ、逃げろ!

 アディオス、勇者ども。楽しませてもらったぜ。事の次第は全部、ホメロス様に報告させてもらうからな!














✳︎✳︎✳︎



 ホメロスはバルコニーにて、デルカダールの夜明けを待っていた。否、正確には、夜明けの頃に来るはずのものを待っていた。

 おかしい。もう届いていいはずなのに。

 ホメロスは人差し指で手すりをコツコツと叩く。報告書がまだ来ない。そろそろ届く頃のはずなのだが、まだ一羽のガチャコッコの姿も見えない。

 万が一来なかったとしても、それはそれでいい。昨日までの分で報告を済ませるまでだ。だがこれがもし、届けようとして届いてないなどということであったら。

「ホメロス」

 物思いに声をかけられると、顔に水をかけられたような気分になる。
 驚いた知将が振り返ると、そこにはデルカダールの黒き英雄が佇んでいた。

「何だ、グレイグ」

 ホメロスは何食わぬ顔で応じながら、相手の手を見下ろす。紙が握られている。
 嫌な予感がした。

「先程、巡回中に魔物を発見してな。斬りつけてみれば、こんなものを落とした」

 おのれグレイグ。貴様、またも俺の行く手に立ちはだかるか。
 ホメロスは絶叫をすんでの所で抑えた。ここで下手な騒ぎは起こしたくない。まず、相手の出方を見極めなくては。

「済まないが開けさせてもらった。お前宛の手紙のようだ」

 グレイグの猛禽のごとき眼差しが、こちらへ注がれる。だがそう、動じてなどやらぬ。ホメロスは何食わぬ顔で見つめ返した。
 グレイグはしばらくそのままだったが、やがてふと目を反らした。

「知らぬうちに、随分調査を進めていたのだな。なのにその結果を魔物に盗まれそうになるとは……危ないところだったな」

 これはお前に返す、とグレイグは手紙を差し出してくる。

 馬鹿め、自分から騙されるとは!
 ホメロスは内心ほくそ笑んだ。しかしやはり、策士たる者いかなる時もポーカーフェイスを崩してはならぬ。微笑んで手紙を受け取り、言った。

「すまないな、グレイグ。俺としたことが、ぬかったようだ」
「構わない、お互い様だ」

 グレイグはぶっきらぼうに言う。

「しかし、中身を見てしまったのだが」

 ホメロスの目が狭まる。まさか間者のやつ、手の内がバレるような記述を?
 知らず剣へと手を伸ばしかけたホメロスなど知らず、グレイグは明後日の方を向いて、ぼそりと言った。

「悪魔の子というのは、やはりとんでもない悪漢なのだな」

 ……ンン?

「その報告書によれば、悪魔の子は……その、仲間として男女問わず美しい者を集めて、昼夜問わず乱痴気騒ぎをしていると……」

 何だと?
 ホメロスは報告書を開いた。










 主命に従い、報告致す。
 勇者一行はメダチャット地方にて、オーブの行方を捜しながら、昼夜問わず乱痴気騒ぎをす。奴らが行くところ騒ぎが絶えず、昼はその剛力で周囲をねじ伏せ、夜は仲間同士入り混じり睦み合う。仲間は奴に魅せられた者が多く、大変危険なり。その実情を以下に記す。
 まず老爺ロウは、多彩な技術を持つテクニシャンであり、底が知れぬ。今後とも十分に注意されたし。
 女武闘家マルティナは、我が同胞を魅了する妖しき技を習得。勇者を同胞のように思っているらしい。
 旅芸人シルビアは、奇抜な格好で歌い踊ることで場を支配する妖しき人間なり。敵味方関わらず、彼の言動が場の混乱を誘い、時に魅了すること限りなし。
 僧侶セーニャは忌々しき聖なるまじないの使い手なり。大人しき女なれど、ベロニカに心酔し、人の髪で縄を編まんとするも上手くいかず。マルティナの髪に憧れる。
 魔法使いベロニカは禍々しきまじないの使い手なり。人間の頭髪で縄を編むことを得手とする、恐ろしき童なり。
 盗賊カミュはその耽美な容姿と相反した魔性の者なり。相手を眠らせては襲い、一服盛っては襲いと、その手のいやらしいことを挙げればキリがなし。勇者イレブンの片割れであり、昨晩も泉にて一糸纏わぬ姿で睦み合う。
 そして勇者イレブンは、周囲を引き寄せ己に絡ませながら、ただ笑うのみの得体の知れぬ男なり。見てくれは優男なれど、剣と雷を操る腕は危険。警戒されたし。
 以上、報告を終わる。












 ──何これ。

 ホメロスは思った。これまで数多の報告書を受け取って来たが、こんな内容のものは初めてだ。

 だから知らない。こんな悪魔の子一行は、見たことがない。

「何という連中だ……」

 グレイグの強い感情から握りしめられたのだろう拳が行き場を失って震えているが、俺は知らん。お前の拳の行き場なんぞ、知らん。俺だって困ってるんだ。

「盗賊カミュの出自は我が兵がどんなに駆け回っても掴めなかったが……なるほど、そういうことか。口にできぬ卑劣な行為をしていたから、何も分からなかったのか」

 いや、絶対違うだろ。
 ホメロスは思ったが、グレイグは独り合点で話を進めていく。

「そうか……色情魔と悪魔の子は、デキてるのか……」

 お前の中であの盗賊は色情魔になったのか。
 奴と戦ったことがないから知らないんだろうが、少し考えれば分かるだろう。眠らせて襲いって言うのはな。

 何だその顔は。何で天を仰ぐんだ。何を思い出している。

「その上で、若い娘や別の美しい男、さらには子供にまで手を出すとは……」

 あー、うん。それは俺も信じられんがな。でもまあ、な。ちょっと落ち着け。

「しかし悪魔は魔女などと同じように夜通し猥褻な祭りをすると聞いたことがあったが、本当だったんだな」

 当ててやろう。
 お前のその知識の出処は、ムフフ本だな? 俺は知ってるんだぞ。お前のムフフ本ラインナップは、お前が得意げに拾ったムフフ本を見せびらかしてきた十代の頃から全て知っている。お前がいつもムフフ本を見せびらかそうとしてくるから、俺は「そんなものに興味はない」と冷たくあしらうキャラが身についてしまって、未だに成人男性らしくムフフ本に興味があると大手を振って言えんのだ。貴様のせいだぞ、このタコ助。どうしてくれる。

「これが本当ならば、早く姫様に正気に返っていただかんと……このグレイグ、いくら敵の手に落ちたとはいえ、これ以上姫様に災いが降りかかるのを見てられん!」

 だから、お前の思うようなムフフ本系の災いは降りかかってないと思うぞー? 現実はムフフ本じゃないからな。おい、グレイグ。キリッとした顔を繕うんじゃない。一番落ち着いて正気に戻るべきはお前だ。

「流石ホメロスだ。お陰で、これまで以上に早く悪魔の子を打たねばならんという強く思うようになった。引き続きよろしく頼む」

 グレイグは堅苦しく礼をし、肩を怒らせて去っていった。残されたのは立ち尽くすホメロスと、たった今昇ってきたばかりの清らかな朝日のみである。

「何故こうなった」

 ホメロスは呟く。呟かずにはいられない。本当に何故、こんなことになったんだ。

 その時、ホメロスは背後に気配を感じた。振り返れば、曲がり角の向こうから見慣れた人物が見えた。

「ホメロス……」

 彼の主君だ。重々しく名を呼ぶ声に、ホメロスの背を冷たい汗が伝う。

 今のやり取りを見られたのか? 結果としてグレイグのやる気を引き出すことはできたが、見られてはいけない手紙を見られたことに変わりはない。罰を課されるか、或いは。

 それもこれもグレイグのせいだ。ホメロスは心の中で友を罵倒しながら、臣下らしく跪き目を瞑る。
 こうなったら最早、なすがままだ。

「今度報告書を提出させる時は──」

 重々しい声が続けた。

「是非、詳細な絵図入りで頼む」
「ムフフ本じゃないっつってんだろ」

 思わずツッコんだ。

 しかしそれで聞く主君ではない。結果として間者に絵描きを追加することになり、適任を探すためにホメロスの仕事は増えた。

 許すまじ、グレイグ。ホメロスは本日何度目になるか分からない呪詛を吐いた。



 



















 一方その頃、メダチャット地方では。

「何でこのタイミングで焼きマシュマロするのよ」
「いいだろ。気が向いたんだよ」
「だいたいあんた、どのお金でマシュマロなんて買ったのよ? いくら? まさかパーティの──」
「自分の金に決まってんだろ」
「でも、カミュちゃんが甘いもの買うなんて意外ね! 無駄なもんは買わねえっていいそうなのに」
「なんか怪しいわね……何企んでるのよ?」
「何もねえよ。それよりベロニカ、隣見てみろ」
「お姉さま! このマシュマロというお菓子は、焼くとこんなに美味しいのですね! 焼かないふわふわとしたマシュマロも好きですけれど、このとろける甘さは堪りませんわ!」
「……まあ、セーニャが気に入ったなら、いっか」
「でも、本当に美味しいわ。ねえイレブン?」
「……うん」
「ほっほっほ。皆が気に入ったなら、全体の食費で買ってもいいんじゃないかの?」
「おいおい爺さん、いいのか? この人数でこれだけ甘いものが好きな奴がいたら、すげえ額になるんじゃねえの?」
「そこは規定量を定めればいいじゃろ。それより食べたい者は、各自買う。それでどうじゃ?」
「ロウちゃん、いいアイディアね! たまにはこういう嗜好品があった方が、心も潤うわよ」
「賛成です! ねえお姉さま?」
「構わないけど、マルティナとイレブンはそれでいいの?」
「もちろんよ」
「うん」
「決まったな。いいか皆、オヤツは五百Gまでじゃぞい!」
「はーい!」
「……カミュ、ちょっと薪木運ぶの手伝って」
「おう」
「…………」
「…………」
「……ありがとう、カミュ」
「な、すんなりだっただろ? お前が気にしすぎなんだよ」
「うん。だけど、たとえボク個人のお金でも、一人でお菓子買って食べるなんてできなくて」
「そんなに焼きマシュマロが気に入ったとは、俺も驚いたぜ」
「カミュはボクの知らない美味しいものを、いっぱい知ってるね」
「伊達に旅してねえからな」
「でもカミュ、甘いものはそこまで好きじゃないって言ってたのに。何であんなに甘いの、持ってたの?」
「別に。何となく気が向いただけだ」
「ふーん……ねえ」
「何だ?」
「次の街についてからみんなでお菓子買うまで、またマシュマロ分けてくれる?」
「しょーがねえ勇者さまだな」

 デルカダールでとんでもない噂を立てられているとはつゆ知らず、勇者一行が夜食パーティーに励んでいたのであった。










20170816