分からない話




 そもそもは土に還ろうと思ったのです。
 動機やら経緯やら、細かいことは割愛します。今となっては何も変えられない、私から遠く離れてしまった、どうでもいいことだからです。とにかく私は還ろうとしました。ですが、そのための綿密な計画を立てる気力もなければ、痛い思いをする勇気もありませんでした。それで、住宅街から離れた、人のあまり寄り付かない手近な林──それなりの面積があるように見受けられたので、始めは森かと思っていました──に入り、人に見つからないような自然に溶け込む服を着て、還るまで寝ていることにしたのです。
 アホかと笑われそうな行動です。笑ってください。これで私のアホらしさに笑った誰かが、生きようと思えるならば、この人生の落伍者たる私にはもったいないくらいの光栄です。生きていて良かったとさえ思えます。
 正直なことを言えば、私は成し遂げられなくても構わなかったのです。だから実のところ、回帰願望など無かったのでしょう。そんなものの実際を検証したところで何にもならないので、この話はもうこれで終いにします。
 ともかく私は林の中へ分け入り、寝ました。そして、飲まず食わずで何ヶ月も過ごしたのです。
 普通なら、横たわり続けることにすら耐えられなかったでしょう。何も服用しなかったのですから。
 還って当然でしょう。食事は勿論、水を摂ることすらしなかったのですから。
 それなのに、私はそうできませんでした。
 何故か。確かなことは何も分かりませんが、それはきっと、あの奇妙な体験のおかげなのだと思います。
 あれは、私が林に入って何日目のことだったのでしょうか。草や虫の擦れる搔痒感やら何も口に入れない飢餓感やら、そういうものが遠ざかり、世界の輪郭がぼやぼやにぼやけていました。何となく視界の明度が低かったので、夜だったのかもしれません。
 そんなあやふやな世界の中へ、突如、力強い声が響き渡ったのです。
「まさに、ふしだらの与一!」
 誰だよ、と思いました。
 声の主のことではありません。その時の私には自他を区別する余裕などありませんでしたから、その声の主のことなど認識できていませんでした。
 那須与一のようですが、違うのでしょう。音の響きはマグダラのマリアの方が近いです。よく分かりませんが、下の弓にものを言わせそうな、嫌な与一だなと思いました。
 そんなことを考えている間に、ふと気がつけば私は、遥か頭上から叫ぶ眼鏡のイケメンの歌に合わせて雄叫びを上げていました。
 私は白を基調とした世界におり、身体はチェスの歩兵の駒と化していました。
 何が起きたのか、さっぱり分かりません。
 さっぱり分かりませんでしたが、その時の私は気にしませんでした。彼の奏でる秩序に身を任せるのが快かったのです。彼は苛烈ではありますが、純真でした。それが倦み疲れた身には清冽で、悦ばしく感じられました。
 それからというもの、私の意識は、どこかに佇む美しい緑に囲まれた大きな館に囚われました。
 少し、妙な建物でした。外観はヘンテコではありません。青天井をひっくり返したような蒼い屋根に白壁が美しい、レトロかつモダンな建物です。内装もシックに整っています。しかし、造りそのものはかなり古いように思われました。明治期に現れた擬洋風建築によく似ています。文化財として指定されていてもおかしくないような由緒の気配を感じましたが、保護されている風情もなく、人が暮らしているのですから、どういうことだろうと思いました。
 そこに住んでいる人々は、もっと妙でした。彼らは、自らをカリスマと称する七人の若者でした。それぞれの負うカリスマ性は、一般の人間が生活の中で気に留めず曲げたり流したりしてしまうような、精神的な分野におけるものでした。
 住人たちは、日々「カリスマチャージ」をしていました。
 どんな理屈で、何がチャージされるのか。
 これも知りませんが、眺めていた記憶から考えるに、シェアハウスが彼らの中の蓄積を助けているようでした。そして蓄積が十分になった時に放出──「カリスマブレイク」が起き、結果、私がカリスマたちを知るきっかけにもなったあの謎領域が展開されるらしいのです。
 もっとも、その領域が展開されずとも、彼らの暮らしぶりは、妙な磁力をもって私の意識を惹きつけて離しませんでした。
 彼らは、直接的な関わりを持たずに眺める分には、とても面白い人たちでした。鉛筆に喩えるなら、その自己の強さは10H、濃さは10B。商品として流通し得ない規格でした。
 正直に告白します。最初のうちは、見慣れないものをなんとなく目で追ってしまう生き物の習性に従って、彼らを観察していたところがありました。しかし、いつしか私は、彼らに心から惹かれるようになっていきました。これは、性愛だとか恋愛だとかそういうものではありません。ただただ、彼らのブレない生き方を眺める愉しみにはまってしまったのです。
 私は、社会の好む規格にはまって群れる楽さに骨抜きにされた人間でした。彼らに心の底からの共感はできませんでしたが、一方でその生き様が共感の余地のない奇人のものとも思えませんでした。私もかつては、社会の規格を息苦しく思うことがあったのです。ですが、他者の掲げる適正基準を前に、私はことごとく自分を曲げました。そこで貫き通せるほど強固な自己も哲学も持ち合わせていませんでしたから、それはそれで良かったのです。しかしその一方で、弱い自分への虚しさが、夜空に消えた花火の硝煙のように心の内へ残っていました。自分の存在への懐疑心と失望が、根底にうっすらとあったのです。
 対して、彼らはどうでしょう。
 良くも悪くもあまりに強く、純粋なのです。しかも、その強すぎる自己に対する自覚がないのです。
 私は驚嘆しました。次第に、敬愛を覚えるようになりました。
 こうして私は自分という存在をすっかり忘れ、カリスマたちのシェアハウス──カリスマハウスを覗き見するストーキング生霊になりました。何も飲み食いせず、風雨にさらされ、生死の境をさ迷っていた霊魂が、些末な砂鉄が大きな磁石に吸い付くように、強烈な自我パワーを持つカリスマ達に引き寄せられ、ストーキング生霊となるのは、自然なことです。カリスマにかかれば、私のような凡人の意識くらいこうなって当然なのです。その原理を正確に理解しようとは思いません。カリスマの理は凡人の外にあるものでしょうから。
 干からびた魂は、やがて彼らの現在に飽き足らず、これまでのことをも欲するようになりました。
 彼らは何故、自らをカリスマと呼ぶに至ったのか。
 シェアハウスをするまでに何があったのか。
 何故シェアハウスをしているのか。
 そういうことが気になって仕方なく、ずっと彼らを見ていました。私のこれまでの人生のありとあらゆる心象に、カリスマが勝りました。他人の生活を覗き見するなんて良くない。そう思いながらも、私は彼らを取り巻く空気よりもっと遠いところから、彼らを眺め続けました。彼らのことを知れるのが、この上ない喜びとなっていました。










 カリスマの全員を、私は敬愛していました。
 あの館から離れた今でもそうです。それぞれの困ったところと背中合わせになったチャームポイントを挙げることもできます。
 ですが一人だけ、どう言い表したらいいか──そもそもどんな人となりなのかすら分からない人物がいました。
 それは、伊藤ふみやという少年でした。
 彼の役割を一言で言い表すならば、シェアハウスの発起人でした。しかし、共同生活を提案した動機も、メンバーに声をかけた理由も分からなければ、あの屋敷の正式な所有者であるのかも不明でした。
 カリスマハウスを留守にしていることが多いのも、彼の素性の知れなさに拍車をかけているように思えますが、実のところそれは彼の数多ある謎の一つでしかありません。ハウスにいる時の方が謎の深まる、掴みどころのない人物なのです。
 年齢は十九歳だそうですが、疑わしいものです。私には、甘味を無限に吸収する強靭な胃袋と自転車をハイスピードで漕ぎ続ける体力以外に、年相応の部分が見えませんでした。
 全てをまっすぐ見据え、揺れることのない瞳孔は、ぼんやりしているだけのようにも悟りきっているようにも見えます。
 いかなる状況でも余計な力みを見せません。寡黙な方で、他のメンバーと比べると自己主張も乏しいように思います。しかし、淡々としているようで住人との遊びに興じたり、悪ノリに応えたりするのですから、よく分かりません。
 何より彼を分からなくさせるのが、その寡黙さに反する弁舌家ぶりでした。
 彼が一度口を開くと、周りの者はなべて耳を傾けます。
 低い調子で淡々と紡ぐ言葉は、浮いたところのない極めて現実的な見地に立ち、魔法のように人の心を動かします。
 彼の弁舌の標的にされたものは、何であれその在り方を脅かされます。咀嚼され、吟味され、輪郭をぐちゃぐちゃのあやふやにされるのです。そうして気付けば彼のペースに乗せられ、出口のない思索の沼に落とされるのです。
 彼が個性豊かなカリスマメンバーを一つの家に集めたのも、彼の弁舌のなせる技だったのではないか。実際の彼らのこれまでを知らないので、想像の域を出ませんが、そうだったとしても驚かないほどに、彼の言葉は強い力を持っていました。
 そのような影響力を持つ一方で、彼の思想は一向に窺えませんでした。
 彼は他の住人たちのように、自らの信条や信念を語りません。他者や社会について話すことが多いように思います。相反する二つの事象の境を見つめたり、極限状態を楽しんだりするようにも見えますが、定かではありません。自身について能動的に語るのは、食のことくらいです。
 ある時は隣人の持ち物を奪い、またある時は隣人の苦しみを救います。欲望のままに動き回っているようで、己に降り掛かる危険を省みず他者に手を差し伸べることもあります。それによって生じる己への評価は、良いものであれ悪いものであれ、気にする素振りがありません。
 自分が無いのだろうか。そう疑ったこともありましたが、彼の行動に見える放埒さや合理性には、何かしらの哲学か目的があるような気がします。
 でもその印象は、一体どこから? そう問われると、我ながら怪しくなります。彼の言動の中から、食の本能ほど確かなものを挙げられないのです。いや、その確かに思えることすら怪しくなってきます。彼を見つめる時間が長くなるほど、これまでに蓄積された煙に巻くような彼の言動の数々が想起され、確かに思えることすらぼかしてしまうのです。
 どんなに考えても、観察しても、彼は確かなところの少ない人間でした。
 それでも、周りに彼を信じたいと思わせるのですから、本当に不思議です。
 彼が、凡人的に見て関係性に致命的なヒビの入りそうなことをしても、あの家に彼との関係を断とうとする人間はいませんでした。
 何故なのでしょう。カリスマの超人的思考は理解できません。しかし私は、自らを投げうってカリスマを観察し続けるうち、ある可能性に気付きました。それは、彼がカリスマたちの貴重な伴奏者かもしれないということでした。
 彼はカリスマたちの在り方を否定することも、過剰に讃美することもなく、ただ彼らを認めていました。彼の言葉は思惑の分からないものばかりでしたが、それでも彼らを大きく履き違えたり、傷つけたりすることはありませんでした。己の目的と一致しない時でさえ、彼らを損なうようなことは言いませんでした。
 彼は確かにカリスマたちを理解し、その在り方を受け止めているように見えます。そしてそのような人間がいることが、当人たちにとってどれほど貴重なことだろうかと思うのです。
 無論、彼の言葉が本心でない可能性もあります。しかし、理解者なき荊棘の我が道を行くことを決意したカリスマたちにとって、同情や共感がどれほど大事でしょうか。
 当人に対する強く深い情があっても、人間にはそれを相手へ正確に伝える術がありません。言葉も行動も事象の一部を表すもので、万能ではないのです。
 何より、情を込めて言葉を発しても、受け手が得る情報はその表皮だけです。人間というのは環境と自我の相剋で仕上がる生き物ですから、人間に完全なる一致がないのは、性格や個性という言葉が普及している現状からも明らかでしょう。受信者が、受け取った情報を発信者の期待通りに組み立てるのは難しいのです。日常会話ならともかく、人の深い所へ踏み入る話なら、なおさら。
 ですから、真心というものは必ずしも人を救うものではありません。それより確実なのは、当人の理屈に沿いそうな、ちょっとした言動です。何故なら、冗長な言動より断片的なものの方が、当人が脳内補完し、自らの思うように捉えてくれる可能性が高くなるからです。
 ですから伊藤ふみやの内心がどうであれ、彼は伴奏者として優秀であるように思います。彼は適度に能弁で寡黙です。雄弁は銀、沈黙は金と言いますが、彼はそれを上手く体得している点で、意図の有無に関わらず真に弁舌家なのだと思わされるのです。
 もっとも、それは彼の輪郭の話であって、彼が分からない人物であることには変わりがないのですが。










 何故こんなにも伊藤ふみやの話をするのか。
 そろそろ、そのような疑問を持つ方が現れる頃でしょう。
 結末から申し上げます。私の生霊状態を解いたのが彼だったからです。
 私の夢のような日々は突如終わりを告げました。
 我に返った時、林を背負った彼が視界の中心にいました。横たわる私を覗き込む感情の乏しい顔を、現実として認識できませんでした。そして、私という存在が在ることも、すぐには思い出せませんでした。
「俺たちのこと、見てたよな」
 そう話しかけられて、やっと自我を取り戻しました。頷くと、彼は片手を差し出して掌を上に受けました。
「分かるだろ?」
 私は枕にしていた鞄の中から、ぺしゃんこになった財布を取り出し、入っていた紙幣を全て渡しました。鞄の防水性が高かったおかげで、金は無事でした。
 彼は紙幣を懐に収めてから問いました。
「もっと見たい?」
 私は頷きました。すると、濃霧の夜に似た双眸が僅かに狭まりました。
「また、追って指示するよ」
 そうして踵を返し、あっという間にいなくなってしまいました。
 しばらくして、私は林を後にしました。猛烈な空腹に耐えかねたからです。
 こうして私は人界へ戻りました。数ヶ月外に放置しっぱなしだった私の肉体は、不思議なことに、ちょっと手ひどく転んでしまったくらいの風体を保っていました。おそらくカリスマのおかげだろう。私はそう結論づけました。
 私は今、カリスマハウスへ資金を振り込むために再就職先を見つけ、働いています。生きがいのある生活というのは楽しいものです。伊藤ふみやが私の生霊を認知していたことも、何故かWebでカリスマたちの物語を鑑賞できるようになっていることも、彼らのグッズを販売する店があることも、私がかつて林で体験したことが夢か現か分からないのも、あの林が見つからないのも、愉快な人生においては瑣末な問題です。
 今日も明日も明後日も、カリスマたちは生きるのです。そのために、世界には続いてもらわないと困るのです。
 ですから私はこれからずっと、凡才を活用して社会の歯車を務めます。よく食べて、よく寝て、長生きします。そして、この寿命尽きるまでカリスマハウスに送金するのです。
 カリスマハウス万歳。
 カリスマっていいな。