桃源郷パロディ





※Ⅹver5.3までのネタバレ有。







 憩いの宿屋は不思議な構造をしている。一口に言うならば、様々な家が寄り集まった形をしているのである。
 まず、訪れた冒険者が最も利用する本館。
 この館からして、大きなハーフティンバー式建造物の中央──二階の位置──に、小さな三角屋根の家がくっついている。この小さな家の中央に正面玄関があるため、利用者は地上から階段をのぼってドアをくぐることになる。
 その本館に、道具収納倉庫がある長屋造りの一号棟、天高く聳え立つ尖塔の二号棟など、九つの棟が円形に連なっている。
 個性豊かな家の集合住宅。それが、憩いの宿屋の全容だった。
 初めてやって来た客はまず迷ってしまうため、慣れたメンバーの付き添いが必要になる。
 だが、何度も利用している者さえ、たまに迷ってしまう。
 その日もまた、新たな迷子が生まれていた。
「おかしいな」
 長屋の中で、青い三角頭巾を被った小男が首をひねっている。
 パーティー唯一のモノづくり専門職人ビルドである。
「一号棟って、こんなに部屋あったか?」
 彼は一号棟に錬金素材を取りに来て、自分の工房に帰ろうとしているところだった。
 ビルドの工房は一号棟の片隅にある。
 だから、数珠つなぎになった倉庫を、本館とは反対方向にひたすら先へ先へと歩いていけば、工房にたどり着けるはずだった。
 しかし、いくつ部屋を通りぬけても、工房に着かない。
 一号棟は横一文字のまっすぐな棟である。
 分岐するルートなどない。迷うはずがないのだ。
「こりゃあ、噂に聞いてたアレかな」
 以前、パーティーメンバーから聞いたことがある。
 この家は、時折ないはずの部屋が出てくる。
 増えるというより、あったはずのない部屋が現れていつの間にか消えるというものなので、皆この現象を「部屋が湧く」と称して受け入れている。
(危険なものが出てきたって話はない。不快じゃないものが出てくることが多いって聞いたな)
 ビルドは今いる部屋を見回した。
 床、壁、天井がオリハルコンでできている。さらに四隅にはあらゆる鉱物資源が積んである。
 確かに不快ではない。資源があって嬉しくない者はいないだろう。
 しかし、ビルドは妙な気味の悪さを感じていた。
(この部屋。おれの好みに沿いすぎていないか?)
 今いる部屋の前に通った一室は、工具がそろった部屋だった。
 その前の一室は、サウナだった。
 サウナは取り立てて好きなわけではないが、思い出がある。
 なんとなく落ち着かなくて、ビルドはここから出る方法を思い出そうとする。
 仲間たちは、何と言っていただろう。
 ──部屋が湧いた経験なら、みんなあるんじゃないかな。
 皆そう言っていた。ビルドは対処法を訪ねた。
 ──斬っても壊しても、消えないよ。
 ずっと新しい部屋が出てくるの、とⅣ番の女勇者は両手を挙げた。
 ──リレミトは効かないよ。ダンジョンじゃないってことなのかな。
 ラストダンジョンに似た構造なのにね、とⅧ番の青年は苦笑いした。
 ──俺は思いっきり楽しんでみた。でも、出られなかったなあ。
 五日間粘ったんだよ、とⅢ番目の男勇者は片目を瞑った。
 ──あの場所にいると空腹にならない。何かしても、しなくても出られない。長くいると、安らぎさえ覚えてくる。すべての必要がない。
 あそこは、とⅤ番目の男は遠い目をして言った。
 ──あそこはある意味、本当の憩いの場所……安息地なのかもしれないね。
 何もしなくていい。
 好きなこと、嫌なこと。得意なこと、苦手なこと。
 何であろうと、してもしなくても変わらない。
 ──安息地? 地獄じゃねえか。
 やりがいがない、とⅡ番目の戦士は顔を顰めた。
 ──僕にとっては、天国かもしれないなあ。
 帰りたくなくなりそうで怖いよ、とⅦ番目の少年が呟いた。
 ──今分かっている、確実に出られる方法は一つです。
 Ⅸ番目の少年が言った後、Ⅸ番目の少女が続けた。
 ──その場から動かずに、自分の今いる棟の番号を思うのです。
「ビルド! やっと見つけた」
 背後の扉が開いた。
 アレフとアレンだった。
「アレンが君に用があると言うから探していたんだ。どこにも見つからないと思ったら、こんなところにいたのか」
「安息地が湧いて、出られなくなってたんだな。さっさと出ようぜ」
 アレンがビルドの腕を引く。
 導かれるがままに、先ほどくぐったばかりのドアをもう一度くぐった。
 そこはもう、憩いの宿の本館だった。
「アレフさんが、ちょうど一緒にいてくれてよかったです」
 アレンが溜息を吐く。
 憩いの宿の【安息地】から出る方法は一つ。
 自分の迷っている棟の番号を思い浮かべて、同じ番号の冒険の書を持つ者を呼ぶことだ。
「助かったよ。ここは変なところだな」
 ビルドは正直な気持ちを述べる。
 アレンはまったくだと頷き、アレフはかぶりを振る。
「こういう不可解な現象こそあるが、非常に素晴らしい宿ではあるんだ。設備が充実していて、居心地も悪くない」
「ああ。おれも、この宿の改築しやすいところは気に入ってるよ」
 ビルドはこの宿に来てから、チームメンバーの道具整備や、宿の改築などを行っている。大工好き講じて、これまでさんざん様々なものを作ってきたが、この宿に用いられる建材にはこれまで会ったことがなかった。
「ともかく、出してもらえて助かった。ところで用って言うのは?」
「ああ。前に頼んだロトの剣のことなんだが」
 アレンは背に負ったロトの剣を外し、ビルドに差し出す。
 同時に、ビルドは一歩引いた。
「え。やだ」
「早いわ。もうちょっと話を聞けよ」
 アレンは以前も、ビルドに彼のロトの剣の手入れを頼んできた。
 その時もビルドは即座に断った。
 何度頼まれても、受ける気はない。
「やだよ。お前の持ってるヤツは、鍛えてから千年は経ってる国宝級の代物だろ。そんなの鍛え直したくない。怖い」
「そんなに心配するな。持ち主の俺も、昔の持ち主のアレフさんもいいって言ってるんだから大丈夫だ」
「アンタらは武器職人じゃないからそんなことが言えるんだよ」
 ビルドはぞんざいにアレンの手を払った。
「いいか。武器は生き物なんだ。比喩じゃないぞ。武器は、もともと鉱石だった。長寿の生物が特別な属性を得るように、長い時を経た石も魔性を得る。特に石は神霊界と相性がいいから、出来上がって長いものほど神霊の力をよく吸う。ヒトのおれが下手にいじったら、きっと違うものになっちまう」
「でも、ビルドは王者の剣を鍛えたことがあるんだろう?」
「あるけど、それとこれは別だ」
 不思議そうなアレフに、ビルドは腕を組んで首を横に振る。
「壊れたとか錆びたならともかく、そうでもない剣を打ち直すのは気が進まねえや。他にもいい剣持ってるだろ? そっちを使ってやれよ」
「そうだな。切れ味で言うなら、稲妻の剣というのが優れているのだったか。アレン、それを使い続ければいいじゃないか。俺たちに気兼ねすることはない」
 アレフがアレンを窺う。子孫はまだ眉間に小さな皺を寄せていた。
「まあ、はい。切れ味ならそうなんですけど」
「なんだ。珍しく歯切れが悪いな」
「俺がこの剣を鍛えてほしいのは、切れ味のせいじゃないんです」
 アレンはロトの剣の柄を握り、少しだけ鞘から刃を滑らせた。
 青銀の輝きが零れ、鏡面のような刀身にアレンの双眸が映りこむ。
「なんだか、剣が疼いてるような気がして」
「疼いている?」
「うわ。この人、モノと会話してる」
「武器を生き物って言ったお前が言うな」
 またしても引いた声を上げるビルドに、アレンは言い返す。
「この剣に不満なんてない。でも、最近この剣を握ってると、なぜか研がなくちゃいけないような気がしてくるんだ」
「俺は、まったくそういう気持ちが起こりそうにないんだが」
 アレフは自分の負うロトの剣に手をかけて、首を傾げる。
「サタルさんやサンドラさん、イレブンさんに、そういうことがないか聞いてみたか?」
「サタルさんはまず、王者の剣を使ってないですよね」
「そうだった」
 アレンの言葉に、アレフは額を押さえた。
 彼らと近しいロトの血統であるサタルは、王者の剣を使っていない。失くしたらしく、代わりにルビスの剣を使っている。
「イレブンさんとサンドラさんも、特にそういうことはないって言ってました。ただ、サンドラさんは『共振かもしれない』って言ってました」
「何と共振してるんだ」
「その剣の、記憶とではないでしょうか?」
 二人の子供の声が重なって聞こえた。
 ロトの遠い子孫たちは振り返る。ナインとノインが佇んでいた。
「その剣が吸った血が」
「破壊の衝動を抱く血が」
「再びどこかで脈打っている」
「再びどこかで流れている」
 天使たちは全く同じ歩幅で歩み寄り、アレンの持つロトの剣を覗き込んだ。
「やはりそうですね、ノイン」
「ええ。間違いないです、ナイン」
「再び、とある世界が破壊されようとして」
「破壊の血潮が湧きたち、そして流れ出た」
 二人は顔を上げた。
 ノインの夜明けの瞳と、ナインの夜更けの瞳が、煌めいている。
「今こそ、新しい戦士を迎えに行く時」
「Ⅹ番の冒険の書を持つ戦士を、迎え入れましょう」
 アレフたちは顔を見合わせた。
「Ⅹ番。大交錯世界アストルティアか」
「そこの戦士って、アレでしょ。勇者の相棒で大魔王っていう、二足の草鞋マン?」
「そいつの周りで運命が複雑に絡み合ってるせいで、なかなか会いに行きづらいって話だったな」
 アレンは双子の天使へ顔を向けた。
「で。なんで俺の剣が変だって話から、勧誘に繋がるんだよ?」
「アストルティアにシドーが接触したのです」
 ノインが答えると、アレンは眉を跳ね上げた。
「シドーが?」
「破壊神は時空の自浄装置」
「不安定な世界を壊します」
「あの世界にヒズミが湧いた今なら」
「ヒズミに彼らが関わっている今なら」
「Ⅹ番の戦士たちと、接触できるはずです」
「この剣は、破壊神に触れた剣ですから」
 天使たちはアレンの持つロトの剣に手を翳した。
 すると、剣が仄かに光を帯び始めた。
 聖銀に発光する刀身に、鱗のごとき模様が浮かび上がる。さらに、閃光がチカチカと瞬き、飛沫が散る様子が映りこむ。
 目を凝らしていたビルドは、はっとした。
 刀身に、一瞬だけアレンの横顔が映ったのだ。
 映った彼はひどく傷ついていて、何かをひたと睨みつけている。
 隣にいるアレンを窺う。無傷だ。己の剣を凝視している。
 ビルドはもう一度、刀身に目を戻した。
 烈しい閃光の中に精霊文字が浮き上がり、その陰に二つの人影が窺える。
 剣と盾とを携える魔法戦士と、両手杖を振りかざす女魔導士。
「これは、俺たちがシドーと戦った時の」
 アレンの声が尻つぼみになる。
 刀身に、また新しい影が映り始めた。
 アレンたちの戦闘の記憶の上に、見知らぬ戦士たちが重なっていく。
(見慣れない装備ばかりだ)
 ビルドは職人の性で、彼らの纏う道具に注目してしまう。
 ひと目見て、手の込んだ装備をしていると気づいた。
 鎧、法衣、盾、全てに加護と呪い除けが施してある。
「ナイン、サポート仲間ですよ」
「これが、アストルティアの酒場が提供しているサポート仲間サービスですか」
 天使たちがはしゃいでいる。
 耳慣れない言葉に、アレフが訝しげな顔をする。
「サポート仲間? 普通の仲間と違うのか」
「はい。サポート仲間とは、仲間を探している冒険者に酒場が紹介する、酒場登録者の分身です」
「サポート仲間は、本体である酒場登録者と同等の能力を持ち、契約した冒険者の命令のもとに戦闘を手伝います」
「意思のない精神体です」
「サポート仲間が得た戦闘経験値は、酒場登録者本体に還元されます」
 アレンは剣に映る人影を指さす。
「じゃあ、こいつらはだいたい精神体で、意識がある奴は少ししかいないのか」
「はい。このパーティーは、冒険者二人とサポート仲間六人の計八人で形成されています」
 こうして見ていても、普通の人間とサポート仲間の違いはいまいちよくわからない。
 話しかけようとしてみないと違いは判らない、とナインが言った。
「ナインとノインが呼ぼうとしている奴は、この中にいるのか?」
「こちらです」
 天使たちは動きの激しい場面の中、時折映りこむ二人を示す。
 一人は、前線に立ち続ける男である。
 左右に茶色の前髪を流した、中肉中背の青年である。
 眼前の敵──おそらくシドーであろう──を険しい顔で睨みつけているが、手の入っていない太い眉と丸い目からお人好しそうな雰囲気が抜けきらないため、どうにも迫力がない。盾で攻撃を防ぎながら、もう一方の手に携えた剣で斬撃に努めているらしい。
 もう一人は、後衛に尽くす女である。
 優しそうながら凛とした面つきを見つめれば、男とサポート仲間らの補助に絶えず気を配っているのがおのずと知れた。よく櫛を通しているのだろうまっすぐな長い髪は、苛烈な戦いのせいでざんばらになっている。しかし、気にする素振りも見せず、魔法や特技を駆使して蘇生や回復や強化を行っている。
「エックスさんとミーナさん」
「彼らはすでに、アストルティアから出ずとも並行世界の存在を理解しています」
「何と言っても、彼らの生きる世界は大交錯世界アストルティア」
「その異常性に気づいてもおかしくはないのかもしれません」
「仲間になってくだされば」
「きっと心強いでしょう」
 天使たちはふと視線を交わした。
「そういえば、アポイントメントを取っていません。どうしましょう、ノイン」
「大丈夫です、ナイン。私が今念派を送っておきました」
「ならば、問題ありません」
「ええ、大丈夫です」
 二人は、ビルドたちに向き直った。
「アレンさんの剣を媒介にして、アストルティアの彼らのもとへ行ってきます」
「勧誘の成功失敗に関わらず、彼らを連れて来ます」
「もてなしの準備をお願いします、と今いる皆さんにお伝えください」
 同じ角度で会釈して、天使たちは指を鳴らした。
 二人の上に光の扉が現れ、彼らを包んで消えた。
 ビルドたちは剣を見下ろした。まだ、仄かに光っている。
「アレン。何にせよ、今はこの剣に手を加えない方がいい」
「はい。鞘にしまうのもやめておきます」
 アレフが声をかけると、アレンはおそるおそる剣を両手で持ち直した。
 ビルドは大きく伸びをし、頭の後ろで腕を組む。
「急展開じゃん。歓迎会だって。どうする?」
「今、誰がそろってるんだ?」
「管理室でログイン状況を確認しましょう」
「とりあえず、集まれる奴は来いって伝えるか」
「伝言するなら、火薬の材料持ってこられる人は持ってきてって伝えてよ」
「何に使うんだよ」
「畑の作物を鳥がつつかないように、空砲を造るんだよ。一号棟に在庫がないから、よろしくな」
 三人はとやかく話しながら、談話室の階段を上っていった。










「つ、疲れた……」
「今度こそ、生きて帰れないかと思った」
 とある世界、ココラタと呼ばれる浜辺で二人の男女が横たわっていた。
 横たわっていると言っても、身体を寄せたり、見つめ合ったりしているわけではない。両者ともに装備はボロボロ。大の字に寝転がり、呆けた表情で空を眺めている。その瞳には、この世界の褪せた空と同様に光がない。婀娜な雰囲気は皆無である。
「もう動けない。ルーラストーンをかかげる力もない」
 男の方──エックスが言う。
「あたしも。サポート仲間さんを出す気も起きない」
 次いで女の方──ミーナも言い、僅かに首を彼の方へ傾ける。
「頑張ってルーラストーン使って。あたし応援するから」
「応援する体力があるなら、そっちがルーラストーン使ってくれよ」
「嫌よ。アンタの家に行って、オーガのコンシェルジュさんに姫抱っこで自分の家まで運んでもらうんだもの」
「ダメだよ」
 エックスの腰から投げ出された道具袋の中から、声がした。
 袋の口が開いて、ぬいぐるみが頭を出す。短髪の丸い頭をした、男ウェディのぬいぐるみである。
「レイゴンさんに、刺繡針より重いものは持たせないから」
 ぬいぐるみが口を開き、声を発した。
 ミーナがウェディぬいぐるみの方へ頭をひねる。
「この前、家に行ったらほうきで掃除してたけど?」
「自分のコンシェルジュに引っ張ってもらいなよ」
「はあ!? クピトたんにそんなことさせる!?」
 今度は、ミーナの道具袋からぬいぐるみが飛び出してきた。
 黒いリボンに似たお下げを揺らした、ドワーフ少女の形をしている。
「クピトたんは鋤より重いものなんて持たないんだわ! このテニャさんが絶対許さん!」
「鋤は重いだろ」
 どっこいしょ、とエックスが心底怠そうに上体を起こした。
「エークスもテニャも元気だなー。ぬいぐるみの身体は疲れないのか?」
「持ち主のあたしたちはへとへとなのにね。本当に不思議だわ」
 ミーナはウェディぬいぐるみに飛びかかろうとしたドワーフぬいぐるみを空中でキャッチし、抱え込んでうつ伏せになった。
「だいたい、このぬいぐるみってどうなってるの? エークスやテニャはもともとあたしたちの生き返しのベースだったけど、今はあたしたちもしっかり生きてるじゃない。テニャたちも、半身のあたしたちの状態に少しは影響されそうなものだけど」
「どうなってるんだろうな。オレは裁縫職人だけど、さっぱりわからないよ」
 裁縫は思いを縫い込むもの。
 そうギルドマスターに教わっているが、裁縫ギルドに喋るぬいぐるみはいない。
「プライベートコンシェルジュってすごいんだな」
「そうね。服やぬいぐるみ以外にも、こんなに動き回れる、魂の依り代となる魔法のぬいぐるみを作れるなんて」
 エックスとミーナは、視線を交わした。
 二人は、ほぼ同じ境遇と旅路を生きてきた互いの目に、生き返し先の相棒が生き延びてくれた喜びと安堵を見つけ、頷き合う。
 エックスとミーナは、同じさだめのもとに生きる運命の双子である。
 アストルティアは不思議な世界で、一つの世界に数多の位相を持ち、位相ごとに異なるストーリーを辿っている。
 エックスとミーナは異なる位相にこそ生まれたが、冥王ネルゲルに一度殺されたエテーネ人で、自分たちと同刻に異邦の地で命を落とした他種族の若者の身体を依り代として生き返しの術を受けたこと、彼らの依り代となった若者の魂が同じ体で一緒に生き延びる相棒となったこと、その後相棒と共に複雑な旅路を辿ったことまで一致していた。
 旅路の途中で互いが同じ運命を生きていることに気づいた二人──実質四人──は、協力して今日まで生き延びてきた。アストルティアは、異なる位相の者同士の交流も可能なのである。
「君たちが持つべきなのは僕らの肉体だけで、魂はどちらでもいいはずなんだけどね」
 ウェディ人形のエークスが言う。
「そういうこと言うなよ。何回も言ってるだろ?」
 エックスは分身をたしなめる。
「その話じゃないよ。このぬいぐるみの依り代の話」
 エークスは綿の詰まった己の胴をつまむ。
「他の位相にいる君たちと似たポジションの人たち──冥王に殺されて生き返しを受けたエテーネ人の生き残りたちは、君たちと同じように他種族の若者の身体で生き返しを受ける。でも、依り代となった他種族の身体の魂──つまり、僕やテニャみたいな人たちだね──の方は、完全に昇天してるそうなんだ。今の僕らのように、こうして君たちと生命を共有して生き延びて、魔法のぬいぐるみという新しい依り代を得てるものはいない」
「つまり、めっちゃラッキーってこと?」
 テニャがミーナの腕の中で問う。そうかもしれないけど、とエークスは首を振る。
「イレギュラーなんだ。プライベートコンシェルジュが、亡者を宿す魔法のぬいぐるみを作ってきたなんて、他で聞いたことがない」
 ねえエックス、とエークスは相棒を仰ぐ。
「プライベートコンシェルジュは世界宿屋協会のサービスだよね。世界宿屋協会が、そんな偏ったサービスをするかな?」
「細かいことはいいよ。お前がいるならば」
 エックスは相棒の丸い頭を撫でようとした。指先が強張り、ぬいぐるみの頭部をゆがませてしまう。エックスは慌てて、優しく頭を撫で直した。
 ミーナが顎に片手を当てる。
「確かに不自然ね。世界宿屋協会が人によってサービスを変えるなんて、ルーラストーンの事件から考えるに、まずありえないわ」
 彼女は仰向けになってから起き上がり、自分の相棒を見つめた。
 ドワーフのぬいぐるみは、黄色のボタンでできた目で見つめ返した。
「これまでよく考えてこなかったけれど、このぬいぐるみの依り代を作ってくれたのは、もしかしてプラコンさんたちじゃないのかもしれない」
「でもクピトは賢者で、レイゴンは踊り子だ。蘇生の技が使えるなら、できるかもしれないだろ」
 エックスが反論する。ミーナはかぶりを振った。
「ただの亡者ならできるかもしれない。でも、あたしたちは特殊でしょ。生き返しを受けて、二つの魂が一体になってるのよ。そこに、どうやって新しいぬいぐるみの依り代をかませる術を加えるの? あたしは裁縫はやってないけど、僧侶として鍛えてるから分かるわ。不可能よ。だって、そもそも生き返しの術自体が神の領域のものだもの。神獣が施した術に一般人が干渉するには相当の魔力と技量が必要で、ただの賢者と踊り子じゃあ無理だよ」
「じゃあ、誰がこれを作ったの?」
 テニャが布の両手をかかげる。
「世界宿屋協会も違う。なら、誰がアタシたちにこんな手の凝ったものをくれたの?」
 ──チリンチリン。
 新しいお知らせを告げる、ベルの音がした。
 エックスは懐を、ミーナはポーチを探った。
 出てきたのは、手のひらサイズの手帳である。褪せた羊皮紙をまとめた茶色い冊子で、表紙には「せんれき」と記されている。
「まさか、破界篇の続き?」
「さっきのクエストが終わってから、だいぶ時間が経ってる」
 続きではなく、新しいクエストだろう。
 二人はクエストリストのページを開く。
 クエスト一覧の中の、まだ受けていないクエストの項目をタップすると、次のページに未消化のクエストリストが浮かび上がってきた。
「ほら、新しいクエストが来てる」
 言ってから、違和感を抱いた。
 「New!」と頭に記されているのが、今入って来たクエストだろう。
「何、このクエストタイトル」
 ミーナは眉をひそめる。
「『あなたに興味があります』だって。就職支援の人かしら」
「職業なら間に合ってるんだよ。魔剣士のレベルを上限にするだけで、オレはもういっぱいいっぱいだって」
 二人はそのクエストの詳細ページを開いて、硬直した。
 緩んだミーナの手から抜け出したテニャが、彼女の手帳をのぞきこんで、
「ひえっ!」
 悲鳴を上げた。
 手帳にはこうあった。

【クエストクエストクエストクエストクエストクエストクエストクエストクエストクエスト】
【????の ????にいる ナインとノインが 話を聞きたがっているようだ。話をしよう】

「せんれきが壊れたのか?」
 二人は手帳をを見せ合う。クエストのタイトル、内容ともに同じ文面である。
「やだ。気味が悪い」
「こういう名前の住人を見た覚えはないな。どこから発注されたんだ?」
 一つ前の画面に戻り、確認する。

【発注場所 あなたの正面】

 二人は反射的に顔を上げた。
 満面の笑みを浮かべた子供が二人、佇んでいた。
「初めまして」
 子供たちは声をそろえて言った。
「僕はナインといいます」
「私はノインといいます」
「エクゼウス・ディエス・デウス様と」
「ヴィルテルミナ・ティオ・マキナ様でいらっしゃいますか」
 身構えた二人を、交互に窺う。
 エックスとミーナは視線を交わした。
 彼らの存在に気づけなかった。
 奇妙なクエスト内容や不自然な現れ方、そして、人離れしてシンクロした動作。
 彼らが只者ではないことは察せられる。
「確かにそうだけど、誰だ? どこから来たんだ?」
 エックスが剣を構え、盾の裏にエークスを隠す。
「何なの。クエストの発注者?」
 ミーナがテニャを後ろに庇いながら睨みつける。
 子供たちは両掌を前に出し、首を横に振る。
「危害は加えません」
「お話をしに来たのです」
「僕たちはあなた方のことがずっと気になっていて」
「いつかお話しできたらと願っていたのです」
 また、二人して微笑む。
 顔立ちと性別が違っても、無邪気な雰囲気が似通っている。
「この感じ、最近も見たわね」
 ミーナが低い声で呟く。
 エクスは頷いて、子供たちに問うた。
「どの神の配下なんだ?」
「おや」
 ナインとノインは顔を綻ばせた。
「僕たちから神の気配を感じたのですか?」
「その通り。私たちは神の旧き被造物です」
「アストルティアの民は眼がいいですね」
「しかし、私たちはあなた方の思う神々の配下ではありません」
「ルティアナ様もジャゴヌバ様も存じておりますが」
「今となっては、私たちから遠い存在」
 二人は指を鳴らす。
 彼らの頭上と背中に光が灯る。
 頭上の方は光輪を、背中の方は双翼を形取る。
「僕たちは天使」
「正確には、もと天使です」
「かつては主がありましたが」
「今は世界に仕えています」
「あらゆる生きとし生けるものを見守り」
「時に手助けするのが、私たちの務めです」
 どこか退廃的なココラタの景色において、天使たちのまとう光は際立って煌めいていた。
 目を奪われていたエックスは、隣のミーナが身を硬くした気配を感じて、我に返った。
 ナインがエックスの盾を、ノインがミーナの背景を見つめていた。
「たとえばその、ぬいぐるみ」
「ある従者の方々が作ったものです」
「彼らは願いました」
 ナインが続けて言う。
「どうか、複雑な運命を生きる主人たちが、生きて帰ってこられますように」
「一体になった二つの魂が、これからも確かに無事で、孤独になることがありませんように」
 ノインが言葉を継ぐ。
「私たちは叶えました」
「僕たちは創世の力を分かつ果実」
「すでに想いの詰まった依り代に」
「生き続けるのに十分な術を加えるのは」
「そう難しいことではありません」
 友人の助けも得ましたけれど、と彼らは顔を見合わせて笑う。
 エックスとミーナは唖然としてしまう。
「エックス。この人たち、本物だよ」
 エックスの盾の影から、エークスが紫ボタンの目を覗かせて囁く。
「神話時代の天使だ。冥府でも話題になってた、魂を視る者たちだ」
「じゃあこの人たちが、初代時の王者?」
 テニャがミーナの背後から出てきた。
「宝の地図を集めてトレジャーハントしてたってホント?」
 ナインは片手を頬に添える。
「時の王者。言われてみれば、そういう名をグレイナル様が口にしていらした」
「宝の地図を使って冒険し、アイテムを集めていたのは事実です」
 ノインが頷く。
 グレイナルの名前が出てきた。
 今の時代に、グレイナルの名を知る者は僅かだ。
 エクスとミーナは戸惑う。
 信じていいのだろうか。
「そうそう。今日はお二人のお話を聞きたくて来たのですけれど、実は本題が別にあるのです」
「はい。ご紹介したいことがあるのです」
 天使らしき双子は、本題について説明した。
 神々によって発注された、異なる世界を跨がなければいけないクエストをこなせる戦士たちを探している。
 神々によるクエストは、膨大ではないが尽きることがない。
 すでに自分たちを含めた十三人の戦士がいるが、それでもいつも緩やかな人手不足の状態が続いている。
「お二人は、幾度となく世界を跨いで滅びの危機を救ったと聞いております」
「私たちに、そのお力を貸してほしいのです」
 要は、エックスとミーナを新しい戦士として勧誘したいということのようだった。
「行ったまま帰れねえってことはないんだよね?」
「はい。たまに来てくださる程度で良いです」
「それなら大丈夫かな。なあ、どう思う?」
「うん。アストルティアのクエストを優先していいなら、いいよ」
 エックスとミーナは、承諾した。
 異世界を旅するのはいつものことだ。
 ナインとノインは二人の返事を聞くと、顔を輝かせた。
「ありがとうございます!」
「さっそくですが、僕らの拠点に来ませんか?」
 聞けば、彼らのパーティーは時空間を旅する神獣──複数の名を持つ不死鳥らしい──の棲む世界を拠点としているのだという。
「オレらが心配するのも変かもしれないけど、そんなに軽く他人を連れていって大丈夫なの?」
 侵略の心配はないのだろうか。
 尋ねると、双子はしっかりと頷いた。
「はい。僕らの招待なく辿り着ける場所ではありませんから」
「辿り着けたとしても制圧できるかは別問題です」
「いつでも警備の魔物たちが常駐してますし」
「最近は腕利きの職人さんが来てくれたので、不審者対策のトラップもできました」
 それに、と彼らは同時に笑った。
「僕たちのパーティーは」
「私たちのパーティーは」
「カミ殺しばかりですから」










 暫定天使たちが語ることによると、彼ら異界戦士たちが拠点としている世界には名前がないそうだ。
 不死鳥がやって来ては羽休めをして去っていく場所なので、仮に「止まり木の世界」と呼んでいるのだという。
「そういえば、不死鳥ってどういうものなの?」
 ミーナが訊いてみると、ノインが答えた。
「滅することのない炎を宿す鳥です」
「炎って?」
「生命です」
 それから天使たちはゲートを作り、エックスとミーナを誘った。
 ゲートをくぐってすぐ、目の前に世界樹が現れた。
 大きさは、ツスクルの森のものと同程度だろう。
 この木を中心として平原が広がっていて、平原の向こうには森が、そのさらに彼方には山や海が窺える。
「これが不死鳥の止まり木です」
「この世界にルーラすると、ここに着きます」
 天使たちは世界樹について説明し、木陰を辿って歩いていく。
 その後ろをやや離れてついていくエックスたちは、小声で会話する。
「意外と普通だな」
「空も土も植物も、アストルティアと似てるね」
「けど、一応エークスたちにはこのまま袋の中に隠れ続けておいてもらうか」
「そうね。はぐれたら大変だから」
 先を行っていた天使たちが立ち止まった。
 体をこちらに回転させ、エックスたちに大樹の向こうを指して見せる。
「あちらが、僕らのパーティーが寝泊まりしている宿屋です」
「私たちは、憩いの宿屋と呼んでいます」
 大樹の木陰には、様式の異なる建造物群が密集していた。
「あの中のどれが宿なんだ?」
「すべて宿ですよ」
 近寄って行ってみると、確かにすべての建物が繋がっている。
 ナインはその中でも比較的クラシックな赤い屋根の家を指し、あれが本館だと言った。
「パーティーメンバーには宿泊代は請求しておりませんので、気軽にご利用ください」
「あ、ああ。ありがとうな」
 ナインとノインはさっさと宿の入口へ向かっていく。
 エックスたちは後に続きつつ、また小声で話す。
「なんていうか、すごい宿ね」
「見たことねえけど、何かに似てる気がするんだよなあ」
「エテーネルキューブじゃない?」
「そうか? ゴツくなったおとぎ話の家の方が似てねえ?」
「渡りする瞬間のエテーネルキューブがモザイク模様だったら、あんな感じかも」
「ああ。似てる気がしてきた」
 宿の入口に据えられた階段の支柱には表札が下がっていて、傍に看板が立っている。
 表札には、端正な彫りで【憩いの宿屋】と記してある。
 一方、看板の方は虹色のペンキで、こう書かれていた。
【愛と平和を届けます/異界和睦の会】
「また誰かが、チームの立て札を書き替えたようですね」
 看板を一瞥したノインが言う。
 ナインは目を眇め、
「筆跡から考えるに、前の文をソロさん、後ろの文をソフィアさんが書いたのでしょう。ですが、ペンキの発色の良さ、看板の滑らかな木地は、ビルドさんでないと作れません」
 それから溜息を一つ吐いて、エックスたちを振り返った。
「対人戦の経験はおありですか」
「え? ある……よな?」
 急な質問に戸惑いながら、エックスはミーナに同意を求める。
 ミーナは頷いた。
「ええ、あるわ」
「では、念のためこちらを」
 ナインが手渡してきたのは、若葉色をした小さな豆──ハツラツ豆だった。
 エックスが目を向く。
「それ、なんで持ってるんだ?」
「色々ありまして。あなたがたの世界から盗んできたわけではありません」
 すぐに食べてください、とナインは豆を二人の掌に一粒ずつ転がす。
 そういえば、シドーと死闘を繰り広げた直後で疲れているのだった。
 エックスはすぐに食べようとしたが、豆を持った手をミーナに抑えられた。
 ミーナは用心深く天使たちを窺う。
「これから何があるんですか。戦闘?」
「断言できないのですが、恐らくそうです」
「何で?」
 エックスは眉を跳ね上げた。
「君らの仲間がいる宿屋に入るだけなんだろ?」
「私たちの仲間の信条をお教えします」
 ノインがエックスたちに向き直って言った。
「『まずは体に聞け』です」
「なんだそれ」
「相手がどんな人物かを知りたいならば、まず戦ってみる。一緒にパーティーを組んで戦うか、仮想敵として対戦してみるか。何にせよ、一戦交えて相手を知るというのが、私たちのパーティーの基本方針なのです」
 ここはバルディスタ軍だっただろうか。
 そんな疑問が、エックスとミーナの頭をよぎった。
「あたしたち、もうパーティーメンバーになったんじゃないの?」
「自己紹介試合は、メンバーになった後に行われることも多いのです」
 ノインは破顔した。
「このパーティーには、勇者パーティーの一員でありながら大魔王でもあった人は一人もいません。だから、あなた方は注目の的なのです。それで皆さん、張りきってるのでしょう」
「注目するのはいいですが、疲れ果てた新人相手に奇襲はいただけません」
「皆さんは、お二人が戦闘後であることを知りませんし──」
「ええ、分かってます。疲労してからがボス戦の本番、力量の見極めどころという考えでしょう」
「私たちが歓迎の準備をお願いしたのを、模擬試合の準備と勘違いしたのかもしれません」
「まったく、人間の動きは予想できませんね。次は具体的にお願いしましょう」
 さて、とナインは頭を宿の扉へ向けた。
「誰が勝負を挑んでくるでしょうか。視たところ、全員揃っているようです」
 エックスとミーナは彼の視線を追う。宿の扉と壁しか見えない。
 ナインは顎に手を添える。
「妙なところに隠れているのが二人。僕が生体の察知ができることを知っていながら、そういう無意味なことをする。エックスさんたちを本気で討とうとしているわけではなさそうです」
「本気で攻めてくることもあるの?」
 初めて会う人に対して、そんなことがあるのだろうか。
 エックスの問いに、ノインが答える。
「まずありません。ですが、相手が殺そうとしてきた時にはこちらも相応の態度で向き合います」
「どんな人たちがいるの?」
 ミーナが、背負っていた盾を体の前へ持ってくる。
「あたしは今遠距離用のスキル振りをしちゃってるから、あんまり役に立てないかも」
「大丈夫です、私が守りますから!」
 不安そうに盾を握りしめるミーナの手を、ノインは両手で包んで笑う。
 ナインが首肯する。
「僕達もあなた方と共に戦います。作戦を練りましょう」
 四人は簡単にお互いの情報を交換し、戦闘の相談をした。
「マジで攻めちゃっていいのか?」
 相談後、それぞれの得物を整える中で、エックスがもう一度確認する。
「ええ。そう簡単に死ぬメンバーではありませんから、心配は不要です」
 ナインは頷いて、相方を窺う。
「ねえ、ノイン」
「ええ、ナイン」
 ノインは可愛らしい笑顔で応じる。
「それにしても、こうして戦うのは久しぶりです」
「そうですね。イレブンさんの時は、共闘のみでしたから」
「しばらく皆さんの調子を確かめていなかった」
「ええ。ですからとても楽しみです」
 二人は同じタイミングで笑みを零し、声をそろえて言った。
「とても、いいデータが取れそうで」 
 そうして、扉を開け放った。










 憩いの宿屋の三階、止まり木の戦士たちが寝泊まりするフロアには、小さいながらに頑丈な鉄扉がある。
 鉄扉の先にある部屋は管理室と呼ばれており、止まり木のメンバーの状態や居場所をチェックすることのできる場所だった。
 壁の一面を占めるモニターに、アレフが声をかける。
「Ⅰ番、アレフだ。Ⅹ番の新メンバーが二人来る。ナインとノインに歓迎の準備をしてほしいと言われたんだが、歓迎会に参加できる者は応答してほしい」
 するとモニターが瞬き、九つの魔方陣が泡のように現れた。
 色とりどりの魔方陣の中心に、メンバーの顔が浮かび上がる。
「マジで? ついに大魔王が来るのか!」
 レックは興奮しているようだ。他の八人は魔方陣に上半身が収まっているのに、彼は目鼻しか映っていない。
「すぐに行くから、誰か一緒に一戦遊んでもらおうぜ!」
「歓迎会だって言ってるだろ。何で戦うんだよ」
 アレンが呆れる。
 スクリーンの魔方陣に浮かんだソフィアが答える。
「当たり前じゃん。あたしらのパーティーに入るなら、まずは戦いからだよ」
 次いでソロが言う。
「穏健派の大魔王だって話だが、本当にそうか確認した方がいいんじゃねえの?」
「ナインとノインが信用してるんだから、きっと大丈夫だよ。急に試すようなことしたら、気を悪くしちゃうんじゃないかな」
 エイトは心配そうである。
 アルスは首を捻っている。
「どうだろう。天使たちは何でも肯定するからね。それに、僕らが天使たちから聞いて知っている彼らのエピソードは、過去のものだ。これからどう行動するかは分からない」
「多少は警戒しておいた方がいいかもね」
 サタルは語る。
「今確立されているナンバリングの世界は、数が大きくなるにしたがって、光にも闇にも等しく干渉できる傾向が強くなっている。Ⅹ番はⅨ番から派生した世界のようだから、その冒険者であるⅩ番の二人も、天使達のような無属性の中間因子みたいな存在だろう。新しくやって来る二人は、荒れていた魔界を落ち着かせ、アストルティアを平和にするために大魔王に就任したそうだから、危険性は低いんじゃないかな。ただ、それだけの重大な役に就いてしまうと、善悪の規準や本人の意思に関わらず、大きな力を使わざるを得ない羽目に陥ることもある」
「つべこべ言ってねーで、バトルしようぜ。会って戦ってみれば、何となくわかるって」
 レックの魔方陣には、もはや顔が映っていない。荷造りを始めている音がする。
「みんな会いに行けそうだね。僕も行けるよ。ちょうど今、公務が終わったところなんだ」
 アベルは立ち上がったようだった。
「イレブンさんとサンドラさんは、どう思われますか?」
 アレフが振ると、サンドラが先に口を開いた。
「どう思うって、何に対して?」
「新しく来る二人がどんな人たちか、またどう接するか、です」
「二人の人物像については、以前ナインとノインの調査内容を聞いて、皆分かっているでしょう。私たちのチームの目的は、世界間の軋轢の解消。仲間になるのだから、挑発や反発に思える行動は避けた方がいい。でも、戦いをもってしてチームの一員を決めるのも、止まり木の規則。彼らをよく知りたい、信用しきれるか分からないという人は、あちらの了承を得た上で試合を行って判断するのがいいと思う」
 イレブンは眉を八の字にしている。
「宿の前に、僕らは平和なチームだけど、参加には試合をこなす必要があるから、武器を構えて進んでくださいって書いた看板を置いておいたら?」
「決まった?」
 ビルドが言う。
「じゃあ、空砲作るから誰か火薬持ってきて」
「お前、新人に興味ないだろ」
「うん」
 それからすぐメンバーが集まり、新メンバーを迎えるための準備を整えた。
 ビルドが用意したペンキを用いて、ソロとソフィアは看板を作った。
 出来上がった看板を、レックとイレブンが階段下と玄関に据えた。
 歓迎会の食事作りを魔物たちに任せ、メンバーは談話室に集まる。
「規則をおさらいしておくわ」
 サンドラが言う。
「この止まり木に入会する者は、チームメンバーと戦うこと。共闘する場合、難易度★3のクエストをこなすこと。試合を行う場合、十ターンまでの動きで判断すること。いいわね?」
 レックが手を上げる。
「俺と一緒に戦ってくれる人ー?」
 ソフィアが手を挙げた。
 彼女は周りを見回し、隣でソファの背に腰かけるソロの肩を掴む。
「あれ、何で誰も手を上げないの? ソロも戦いたいって言ってたじゃん」
「戦いてぇ気持ちはあるぜ。だが、よく考えてみろ」
 ソロは彼女の手をほどき、指を四本立てる。
「戦う相手はⅩ番の二人だけじゃねえ、ナインとノインもいる。戦いてーって気持ちだけでパーティーメンバーを決めたら、十ターンも保たねえよ」
 サタルが頷いた。
「ソロの言う通りだな。天使たちが、何も知らないエックスとミーナだけを俺達の前に放り出すとは思えない。きっと、外の看板を見て、俺達が規則にのっとって試合をしようとしていることを察するだろう。俺達の戦闘データを収集できると考えて、張り切って参加するだろうね」
「天使コンビか。職業の縛りがあるまま出かけて行ったはずだから、ナインがパラディン、ノインが魔法戦士だね」
 ソフィアは頬に手をあてる。
「Ⅹの二人の戦闘パターンは、天使達が調べておいた通りかなあ?」
「エックスが前衛の戦士系職業、ミーナが後衛の補助職で間違いないはずだ。天使たちが迎えに行く直前まで、その職業で戦っているのを見た」
 アレフが言う。
 ソロは腕を組む。
「アストルティアは、Ⅸの世界以上に強化や弱体化の技術が発達している。なら、そういうのを解除できて、いろんな技に耐性があって、さらに張り合えるヤツが必要だよなあ?」
 言いながら、寄りかかるソファに座る少年を横目で窺う。
 少年は、小さく息を吐いた。
「僕も参加するよ」
 アルスが立ち上がると、レックは喜んだ。
「おお! アルスが試合に参加するなんて、いつぶりだ? 滾っちまうなあ!」
「楽しくなるのはいいけど、六号棟でちゃんと転職しておいてよね」
「蘇生できるからいいだろ」
「初対面の人に試合を申し込んでおいて死ぬなんて、格好悪いよ。やるからには、全員生存して終われる、成果のある試合を目指そうよ」
 ほら行ってきて、とアルスはレックの背中を押す。
 レックは踏ん張って彼の顔を見下ろす。
「もう一人は誰だ? それが決まらないと、何の職になるか決められねえ」
「俺が参加してもいいだろうか」
 アレフが手を挙げた。
「エックスは剣と盾を使うようだ。俺も同じ武器を使う者として、手合わせをしてみたい」
 ソフィア、アルス、レックが顔を見合わせて、頷いた。
「もちろん。頑張ろうね!」
「アレフが参加してくれるなら、レックが前衛職じゃなくてもいいね」
「おっけー。攻撃できる盾役がいるなら、俺も自由に転職できるな」
 レックは即座に走り去った。
「私は、管理室に行ってナインとノインが帰って来るのを待つ」
 サンドラは三階へ向かう。
「じゃあ、俺はへなちょこで戦えないので、お暇しようかな」
 ビルドはそろりそろりと工房へ逃げようとする。
 だが、サンドラに腕を掴まれた。
「貴方はまだやることがあるから」
「何で? 絶対無いって。なあ!」
 抵抗空しく、ビルドはサンドラに連れ去られた。
 残ったメンバーは、家具を隅に退かす。
 空いた玄関前の床に、サタルが渦巻き状の魔方陣を描いていく。
「アレン、仕上げよろしく」
「はい」
 アレンは完成した魔方陣に近寄り、手を翳す。
「あまねく照らす光よ。止まり木が二本目の根を指し示せ」
 魔方陣は閃光を放ち、床に染み込んで消え失せた。
 サタルが満足げに頷く。
「これで格闘場と連携できたな」
「アレンは参加しなくていいの?」
 ソフィアがアレンの顔を覗き込む。アレンは首を横に振った。
「今回はパス。Ⅹの二人は、シドーと戦った直後だ。弱っている相手に剣を向けたくねえ」
「ナインとノインなら、全回復させると思うけどな。でも気が進まないなら、やめておいた方がいいね」
 アベルが賛同する。アレフは首を傾ける。
「疲弊を超えた先に戦いの真髄があるのではないか?」
「そうですね。でも、今回は遠慮したいんです」
 アレンは苦笑した。
 その頭に、サタルが飛びついて撫でまわす。
「アレンは優しいなあ! いったい誰に似たんだろう? やっぱり、先祖が優しいんだろうな!」
「そうですね。イレブンさんは優しいですから」
 顔を顰め、アレンはサタルの手を払う。
 離れたところにいたイレブンが、目を丸くして言う。
「え? みんな優しいと思うよ」
 よく聞いていなかったらしい。
 アレンは額を押さえた。
「いや、そうじゃなくて」
「そんなに俺は人情味に欠けているだろうか」
 アレフがしょげる。アレンはその背中を叩く。
「誰もアレフさんが優しくないとは言ってないじゃないですか。俺が言ってるのは──」
「俺は、ロトの血にふさわしくないのだろうか……」
「なんだ、いつものロトオタクの心理かよ。気を遣って損した」
「やっぱりアレンは冷たいな。そんなアレンでも、大先祖は応援してるからな!」
「うるせー! アンタのせいでこんなよくわかんねーことになってるんだろうが!」
 ロトの男たちが騒いでいるのを、ソフィアが笑って茶化しにかかる。
 一方、エイトはアルスに話しかけていた。
「探索以外でアルスが戦おうとするなんて、本当に珍しいね。無理して戦わなくてもいいんだよ?」
「そうだね。本当ならば見学して様子を見たかったんだけど、仲間同士で不要なケガを負わせ合うところを見たくないからさ」
「アルス、ずいぶん強気じゃねえか」
 ソロが口の端を吊り上げる。
「テメーがパーティーに入れば両方にケガさせずに済むなんて、漢気と自信に溢れてるな」
「暗に僕に出ろって言っておいて、よく言うよ。ソロもいてつく波動、ベホマズン、アストロンが使えるんだから、君がパーティーに入ってもまったく問題なかったのに」
「いーや、俺じゃ役不足だわ」
 ソロは大きくかぶりを振る。
「それこそ、俺が脇で見てた方がいいだろうよ。イレギュラーな事態に、勇者の友で大魔王だっていう奴らがどう対応するか、オメーの代わりにじっくり見ておくさ」
「うん、頼むよ」
「ねえ、二人とも」
 エイトは怪訝そうな顔をしている。
「エックス君もミーナちゃんも、いい子そうだよね? 大魔王だけど、俺達がこれまで戦ってきた、世界の支配と滅亡を目論む理不尽な大魔王たちとは違う。二人とも、なんでそんなに警戒してるの?」
「そりゃあ、なあ」
 ソロは薄ら笑いを浮かべる。
「エイト。平和な世界も、作られた支配と滅亡の世界なんじゃねーかって考えたこと、ないか?」
「え?」
「僕はあるよ」
 アルスが応じる。
「生きとし生ける者の選択によって世界は出来上がっている。逆説的に考えるなら、選択されなかったものは淘汰された。注目されないまま、可能性として時の彼方へ消えていった。でも、選択されなかったものも、世界の一部であるはずなんだ。僕らに見えなくなった──いや、僕らが見なくなっただけで」
「俺達は、大魔王という選択肢を否定した。そして魔の侵略の脅威がない世界を作った。考えようによっちゃあ、俺達は魔族を、一つの可能性の世界を滅ぼし、自分が思うままに制圧したということになる」
 俺達は、そういう意味で大魔王と一緒だ。
 ソロは呟く。
「俺達も、侵略者で征服者だ。その責を負い続ける覚悟で、戦った。エイトも、俺やアルスとは違う考えかもしれねえけれど、そういう覚悟で魔族と戦ったんだろ?」
 俺は、とエイトは口を押える。
「トロデーンを……僕の救えなかった人たちに報いるために、戦った。ラプソーンの仕組んだことをどうにかしようと思ったんだ」
「そうさ。自分の選択肢を温めて、それ以外を捨てた。テメーにとって大事なもんを優先し、敵対する者は除いた。そういうことだろ」
「言葉が強いよ、ソロ」
 アルスは困ったような顔になる。
「エイト、変な話になっちゃってごめんね。君を責めているわけでも、自分たちを露悪化したいわけでもないんだ。僕らは生きるために選択肢を選ぶ必要があって、だからそうなってしまうんだ。生きることで生じる罪。誰しもが持つ、原罪だよ」
「そうだな。だから、大魔王の肩書きを警戒してるワケじゃねえ。仮にヤツらが俺らに害をもたらすことがあったとしても、今更失うものもないしな」
「彼らがどういう者かなんて、本当はどうでもいいんだ」
 アルスは目を細める。
「でも、何度でも救世主になり続ける彼らの終わらない旅路は、脅威だ。そういう旅をし続ける人間がどんな精神をしているのか、気になるよね。止まり木の同盟に所属することによって得られる権能には、大きな影響力がある。彼らの旅路も、止まり木のパーティーに参加することも、それを運命と呼ぶならそれまでの話だけど、僕は、本当にそうなっていいのか──そもそも運命なんてものがあるのか、よく検証したいんだ」
 三階からサンドラが降りて来た。
「ナインとノインが戻って来た。配置につきましょう」










 天使たちが扉を開け放った。
 そこは、広い酒場だった。天井は高く、大きな窓から射し込む陽光が、漆喰の壁と木材の温もりを醸し出している。
 ソファや机を壁へ寄せてできた空白の中心に四人の男女が佇んでいる。
 その後方、奥のバーカウンターにも複数の人がいて、興味深そうにエックス達を見つめていた。
「おや。全員お揃いでしたか」
 ナインが眉を持ちあげる。
 上から声が振って来た。
「注目の新人候補が来るんだから、当たり前だよ」
「お前らだって分かってただろ?」
 エックスとミーナは背後を振り仰ぐ。
 玄関の上、ロフトから人影が二つ飛び降りて来た。
「いらっしゃーい! 時空の狭間、不死鳥たちの憩う止まり木の宿屋へようこそ」
 黒髪を遊ばせた青年がにこやかに両腕を広げる。
「俺はⅢ番の世界の冒険者、サタルだよ。よろしくね」
「俺はⅣ番のソロで」
 もう一方、緑髪の美青年は名乗り、酒場の人々を示す。
「ここに揃ってるのが、うちのパーティーのメンバーの全員だ。覚えなくてもいいぜ。まず、所属するかどうかも決まってないんだからな」
「えー、覚えてもらおうよ」
 サタルはエックスとミーナに手を差し出す。
「アストルティアでは、クエストをこなすために組む仲間たちのことを、チームって言うんだっけ? 仮に俺達のチームに入らなくても、こうして時空を超えて出会えたんだから、もう友達だよ。ねえ?」
(歓迎されてるのか?)
 エックスは疑問に思う。
 ナインとノインはチームに参加してほしいと言っていたが、ここにいるメンバーには二人ほどの勧誘の意思が感じられない。
 ミーナが進み出た。
「あたしはミーナ、こっちはエックスです。あたし達はナインさんとノインさんから、異世界のクエストをこなすためにチームに参加しないかと言われて来たんです。正直、まだ何をしたらいいのかよく分かっていないのですが、あたし達は何をしたらいいでしょうか」
「説明しましょう」
 バーカウンターより黒髪の美青年が立ち上がる。
 柳のような体躯にサタルと同じ衣装を纏ったその人は、アレクサンドラと名乗った後、説明を始めた。
「止まり木の戦士として戦うには、渡り鳥の決まりを守ってもらう必要があります。基本となる原則は、任務の達成、因果律の保持、闘争の時代への不干渉。この三つです。加えて、新しくチームに所属する者には、チームの一員と戦闘をしてもらうという決まりがあります」
 サンドラは背後の四人を指す。
「エックスさんとミーナさんには、この四人と戦ってもらいます」
 四人組のうち、逆さ青髪の男が破顔する。
「やっと来たな! 俺はレックって言うんだ。ナイン達からお前らの話を聞いて、戦えるのを楽しみにしてたんだ」
 レックはずんずんと近寄ってきて、エックスとミーナと握手をする。
 次いで、甲冑をまとう男が会釈する。
「俺はアレフだ。よろしく頼む」
「私はソフィアって言います」
 アレフの隣にいる、ふわふわとした髪の女が微笑む。
「勇者の友達だけど大魔王をやってる人って、これまでに聞いたことも会ったこともないわ。思いきりやらせてもらうから、手加減しないでね」
 最後に彼らの背後に佇む少年が名乗る。
「僕はアルスです」
 アルスはエックスとミーナに頷いてみせた後、天使たちを見やる。
「準備はできてるよ。始めよう」
「なんと、まあ」
 天使達は声をそろえて感嘆し、笑みを深くした。
「エックスさんとミーナさんの歓迎の準備をお願いしたはずですのに」
「まさかこうして模擬試合をすることになるなんて」
「とても驚きました」
「白々しい」
 アルスは一言で斬る。
「わざわざ、激しい戦闘をこなした二人の体力を全回復させる手段を持って行ったんだ。最初から、こうなるのを予想できてたんだろう?」
 エックスは天使たちを窺う。
 二人とも、変わらぬ笑みを湛えている。
「試合を行えるという確信はしていませんでした」
 ナインが言う。
「確信はしていませんでしたが、期待はしていました」
 ノインが言う。
 エックスはミーナと顔を見合わせた。ミーナは眉を下げている。
「でもさっき、『歓迎の準備をお願いしたのに、模擬試合の準備をされるなんて思ってなかった』って」
「ええ、そうです」
 ナインがウロボロスの施された黒銀の盾を構え、無邪気な笑顔で言う。
「今日すぐに模擬試合ができるとは、思っていませんでした」
 ノインは扇を顔の前に持ってきて、愛らしく弧を描く唇に沿える。
「ずっと気になっていたエックスさんとミーナさんの戦闘能力を間近で見られるだけでなく、皆さんとの模擬試合までできるなんて、本当に嬉しいです」
 音を立てて扇を開く。
 そのデザインを見たエックスはぎょっとした。
 扇は、七本のナイフで出来ていた。
 凶悪なほどに尖った刃はノインの髪色を吸い込み、赤く剣呑な輝きを宿している。
「君たち、噂通り究極のお人好しみたいだね」
 アルスが同情したように、二人へ声をかける。
「天使の考えは、僕ら人間と根本的に違うんだ。大切な仲間として勧誘したいという気持ちと、もっと知りたいから戦いたいという好奇心を、僕らの思わぬ形で両立させるんだよ」
「ま、そういうところが面白いんだけどな」
 レックが軽く言って、剣を抜く。
 他の三人も次々と剣を構えるのを見て、エックスは焦る。
「待って、マジで真剣でやるの?」
「大丈夫、大丈夫」
 サタルが片目をつぶる。
「ここには不死鳥の加護があるから、真剣でやっても斬れないよ。多少痛いかもしれないけど、死にはしないから平気さ」
「安心しろよ」
 ソロが白い歯を見せる。
「お前らが戦うのは、たったの十ターン。それも、相手はお前らとベクトルは違うが似たようなお人好しばっかりだぜ。一番おっかねーヒトじゃねえ奴らはお前らの味方として戦うから、どんと構えていけ」
「ソロさん、後で僕らのどこが恐ろしいのか教えてください」
「今後の参考にします」
 天使たちは得物を構えたまま、ソロに乞う。
 ミーナは額を押さえた。
「もう、何がなんだか」
「よく分からねえけど、やるしかないってことだな」
 エックスは前に出る。
「ミーナ、サポート頼んだ」
「本気なの?」
「死なないことが約束されてる、十ターンの模擬試合だ。軽く終わるって」
 エックスが剣と盾を構える。
 ミーナは溜息を吐き、盾を構えて後衛へと下がる。
「私とサタル、ソロの三人がジャッジを務めます」
 サンドラが自らを示す。
「これより、Ⅹ番の戦士加入のための審判を行います」
 向かい合った両チームが構える。
「用意──始め」










「どっちも人間じゃねえっての」
 ビルドは呟いた。
 彼の一言に、バーカウンターに腰かける見物人たちは、一様に頷いた。
「今回のパーティー、なかなかに武闘派の構成になったね」
 アベルが新人たちに対峙する四人組について、そう評する。
 まったくだ、とアレンが同意する。
「ソフィアの奴、猫被ってやがる。あいつ、無茶苦茶する気だな」
「無茶苦茶って?」
 イレブンが尋ねると、アレンが答える。
「アイツは警戒してる時に敬語になるんです。戦い始めたら、すぐ化けの皮が剝がれるんですけどね」
「アレフもレックもやる気満々だ。アルス、うまく抑えられるかな」
 エイトは心配している。
「──始め」
 サンドラが開戦を告げる。
 ノインの唱えた加速呪文が木霊する。
 エックスが動き出そうとする眼前に、レックが迫っている。
「うわっ!」
 エックスは叫び、とっさに盾を翳して飛んできた蹴りをいなす。
「お、ガードが硬ぇな」
 レックがにやりと笑う。
 その笑みを認めたエックスの視界の端、銀の光が散る。
 突き出された刃が、頬を掠めていったのだ。
 エックスは必死で剣を振る。
 だが振った先に彼はいない。
 別の方向に逃げていたレックがエックスの手元を蹴りつける。
 鋭い打撃に、盾を持つ手が震える。持ち直そうとするところへ、レックはさらに剣を浴びせていく。
 流星のごとき回避と攻撃の連続を繰り出すレックの姿を見て、イレブンは感嘆する。
「あの速さが出せるなんて、レックはすごいね」
「すごいなんてもんかよ」
 ビルドは呆れている。
「俺には見えない。アイツ、あんな化け物みたいな速さで動く奴だったの?」
「いつものレックは、すっぴんか、勇者やドラコンの職についてることが多いからね」
 久しぶりに見た、とアベルは目を細める。
 ビルドはアベルを仰ぐ。
「じゃあ、何の職業なんだ?」
「そうだねえ。あれを見てごらん」
 ノインが、冷気を纏わせた扇でレックを斬りつける。
 ナインが、はやぶさ斬りを放つ。
 後方からミーナがブーメランを飛ばす。
 だが、レックの身体はすべてを弾き返す。扇も剣もブーメランも、硬質な音を立てて跳ね返される。
 返ってきたブーメランを掴み取ったミーナが、目を丸くしている。
「属性攻撃、弱体化、物理が全然効いてない」
「エックスさん、チェンジです」
 ノインがエックスの前に割り込み、舞うように扇でレックを斬りつける。
 レックにかすり傷一つつかないのを確認したナインが、目を輝かせる。
「ノイン」
「分かってます」
 レックが横薙ぎに剣を振るのを仰け反って交わし、その勢いで空中へ舞い上がる。
 ノインはレック、ソフィア、アレフの頭上を飛び、旋回しながら、扇を持った手を開く。
 扇が桜の煌めきを放ちながら渦を巻いて収縮し、巨大な斧に姿を変える。
 振りかぶった斧を、着地先──一人佇んでいたアルスのもとへ振り下ろす。
「アレフ!」
 レックの叫びと同時に、アレフが斧の下に滑り込んだ。
 アレフが盾で重い一撃を防ぐ。火花が散る。
「庇いましたね?」
 ノインは満面に笑みを浮かべる。
「いつものアルスさんならば、私の魔神斬りを防ぐまでもないはず」
「物理魔法すべての攻撃の無効化、即死攻撃の回避。これすなわち」
 ナインが言葉を継ぎ、二人は声をそろえる。
「メタルモンスターの職業に転職してくださったのですね! 待っていました!」
「君たちを喜ばせるために転職したんじゃあないんだけどな」
 アルスは苦笑する。
「耐久実験はほどほどにしてよ」
「もちろんです」
「命と人権は守ります」
 ビルドはカウンターに腰かけるメンバーに顔を向ける。
 アベルが言う。
「すごい顔してるね」
「いや、こっちが言いたいわ。何でアンタら、目の前で仲間が仲間に一撃必殺の技を放ってるのに、平然としてんの」
「憩いの宿屋内で僕らが死ぬことはないからねえ」
「俺はハラハラしてるよ。死ぬことはなくても、痛そうじゃないか」
 エイトが眉根を寄せ、アレンも頷く。
「天使の野郎ども、案の定だ。俺らの中で、完全に攻撃を無効化できるのは、レックとアルスだけだから、レックに攻撃が効かないのを見て確かめにいきやがった」
「なんだったかな。レックがはぐれメタル職で、アルスがプラチナキング?」
 イレブンが問うと、アベルが肯定した。
「そうだよ。レックのあのスピードは、はぐれメタル職じゃないと出せないからねえ」
「おい。新人をよく見るんじゃなかったのかよ?」
 そこへ、ソロがやって来て言った。
 隣にサタルも並んでいるのを見たアレンが問う。
「審判はいいんですか?」
「君らと会話した方が、エックスとミーナのジャッジができるだろう? 戦いの制止役も、問題ないさ。サンドラがいるんだから、俺たちは十ターンの頃合いを見計らって止めるだけだよ」
 サタルは壁に寄せられていた椅子を一つ取り、戦いを見られるように向きを変え、腰かける。
 ソロはカウンターに寄りかかる。
「特技を色々持ってるみてーだな」
 戦況は絶えず変化している。
 エックスはレックの攻撃を防ぎ、ノインはアレフと、ナインはソフィアと斬り合いを結んでいた。
 ミーナとアルスは回復や補助をするのに忙しく、前に出てこない。
「ミーナがバイキルトを唱えられるのは分かった。アイツがブーメランを得物にしてて、その攻撃でダメージの上乗せをできるらしい」
「便利な技、持ってるねえ。あれもアストルティアの職業で獲得できるものなんだろうな」
 俺もなってみたいなあ、とサタルが言う。
「それ以外にも、ほら、あれを見て」
 レックが輝く吐息を喰らわせる。
 しかし、虹色に輝く雪片は、エックスたちに届く前に搔き消える。
 揺らがず戦い続ける前衛たちの姿に、ミーナが安堵の表情を浮かべた。
 それからすぐ、新たな詠唱を始める彼女を、サタルが指さす。
「ミーナが何か唱えて──パーティーメンバーの周りにちょっと霧が立ち込めたのが見える? あれが、吐息攻撃を粉砕するんだよ」
「まもりの霧という特技かな? 別の世界で見かけたことがあるよ」
 すごいなあ、とアベルが目を丸くする。
 サタルが華やいだ声をあげる。
「いいなあ、ミーナちゃん! あんなにいろんな技を使ってサポートしてくれるなら、俺も戦闘系クエストをもっとこなしてもいいかなって気持ちになれるよ」
「もっとこなすも何も、オメーはバトルクエストを全然受けたことねえだろ」
 ソロが笑う。
 サタルは、まあそれは置いといてと戦況に目を戻す。
 エックスは暗黒を纏う剣を振るい続けている。
 攻撃を受けるレックが楽しそうなのに対して、エックスの表情は険しい。
「闇属性の攻撃を続けているね。属性攻撃が通る相手ならば効いたんだろうけど、相手がレックじゃなあ」
「エックスさん」
 ナインが離れた位置から声をかける。
「少し早いですが、武器の持ち替えを」
「それは、嫌だッ」
 エックスは息を切らしながら返す。
 レックは眉を持ちあげる。
「どうした? まだ見せてない技があるなら、遠慮なくやってくれていいぜ。みんな、エックスの戦いをもっと見たくて待ってるぞ」
「嫌だ、やらない」
 エックスが激しく首を振る。
「アンタ、はぐれメタルなんだろ? アレをやったら、タダじゃすまねえ」
「ここじゃ死なないって」
「それでも嫌だ。オレが、嫌なんだ」
「何で?」
「誰も傷つけたくない」
 レックは口の端を釣り上げた。
「ふーん。じゃあ、別の奴ならいいか?」
 レックが退いて、甲冑の男が眼前に立つ。
 アレフは盾を構える。
「俺はただの人間だ。即死攻撃を喰らっても、死ぬとは限らん」
「いや、ただの人間は死ぬだろ」
 ビルドはツッコミを入れてしまう。
 アレンは腕を組んだ。
「いや、死なないかもしれない」
「何言ってんの?」
「だって、俺はあの人が一撃必殺で沈んだのを見たことねえんだよ」
「そんなことある?」
 エックスはぽかんとした後、いやいやと手を振った。
「人間も、普通即死攻撃を喰らったら死ぬから!」
「今のところ、大魔王の方が常識ありそうだな」
 ソロが言うと、一同が頷いた。
「いーじゃん!」
 戦いをやめて話し合いを始めた男性陣の中心を、何かが突風と共に通過していく。
 通過したものは壁に叩きつけられ、止まる。
 ミーナが小さく悲鳴を上げた。
「の、ノインさんっ」
 壁に叩きつけられたものは、ノインだった。
 身体を起こそうとするが、うまく立ち上がれずに崩れる。
 ミーナが彼女に駆け寄っていくのを眺めていた男性陣に、陽気なアルトの声がかかる。
「大義名分なんていいからさあ。血で血を洗うごっこ、しようよぉ!」
 振り返れば、首を異様に曲げ、色の青くなったソフィアが、ゆらゆらと不規則に揺れながら歩いてきていた。
 髪がざんばらに乱れた髪が、嵐に見舞われた木のようである。
「刺激的な戦いで、血沸き肉踊らせようよぉ。楽しいよ?」
「あれはバランス感覚がやられてるね」
 アベルが冷静に評する。
「血は出なくても、ダメージは喰らうからね。あの二人は仲いいから、お互い遠慮せず殴り合ったんだろうなあ」
「仲いいと殴り合うのかよ。この世界、おかしいだろ」
 ビルドがこぼすと、エイトが反論する。
「この世界を決めつけないでよ。殴り合って楽しむのは一部だけだって」
「そうそう。俺やエイト、アベルみたいな平和主義者もいるんだぞ」
「殴り合いが楽しいのは賛成だけど、節度がねえのはあの二人だけだ」
 サタルが乗り、アレンが訂正する。
 一方、近寄って来るソフィアを、男性陣はそれぞれの面持ちで見つめていた。
 アレフは真剣、ナインは無表情、レックは至極楽しげである。
 そしてエックスは、眉尻を下げて裏返った声をあげていた。
「そ、それ、折れてね? 上半身のどこかの骨、折れてない?」
「首、背骨が数か所折れているようです」
「嘘だろ。それで歩けるの?」
「ソフィア、一度止まって」
 アルスが言うと、ソフィアは立ち止まる。
 最高位回復呪文を唱えると、彼女の身体はまっすぐに、肌の色は明るく健康的になった。
「大丈夫。さあ、やろう!」
 ソフィアが襲い掛かってくる。
「うわあああっ!」
 エックスが絶叫し、盾でソフィアの攻撃を弾いた。
 ソフィアが何度も斬りかかってくるが、エックスは盾の裏に隠れるばかりで、攻撃するそぶりを見せない。
 その様を眺め、アレンが言う。
「大魔王っていうわりに、威厳がねえな。本当にいろんな奴と戦って来たのか?」
「喧嘩好きでもなさそうだけど、よくここまで生き延びられたね」
 サタルも首を捻っている。
 しばらく黙って見つめていたソロが、口を開く。
「いや。戦闘経験はそれなりにあるみてーだ。アイツの足元見てみろ」
 一同は、ソフィアの攻撃を受け続けるエックスを観察する。
 イレブンがああ、と声をあげた。
「あの場所から、押されてない。あれだけ激しい攻撃を受けていても、押し負けてないんだ」
「そう。最初ははぐれメタルみてーに軽くなったレックの攻撃を喰らってるだけだから、動かねえのかと思った」
 ソロが言う。
「だが、違う。アイツは、壁役に慣れてるんだ」
「へえ。ソフィアに押されないなんてすごい」
 エイトは感心している。
 ソフィアはエックスに猛攻を仕掛けている。
 彼女がもう一度振りかざした剣に、閃光がぶつかった。
 天空の剣が舞い、床に刺さる。
 紫水晶の双眸が、戻って来た光輝くブーメランを掴む茶髪の女を映す。
「エックス、腹括りなさいよ!」
 ミーナは眉を吊り上げ、一喝した。
「アンタも盟友で、大魔王でしょ? 傷つけるのが怖いなんて今更じゃない。今の有り様、アストルティアのみんなに見せられるわけ?」
 ミーナの掌中で、ブーメランが曙光の如く瞬く。
 彼女が握りしめた両拳を打ち鳴らすと、光が両手に絡みつき、鉤爪へと変形した。
「ここまでの戦いで十分わかったわ。あなたたちは、あたしたちが手加減して渡り合える相手じゃない。これがあたしたちの力を試すための──誰かを救える力があるかを問う試練だと言うなら、あたしは平和を愛するエテーネの血を引く者として、全力で戦いを終わらせる」
 鉤爪を構え、ミーナが突進する。
 ソフィアはにやりと笑う。
「そう来なくっちゃ」
 ひらりと跳躍し、床に突き刺さった剣を抜くと、迫りくるミーナを迎え撃つ。
 ソフィアが居合で放った刃を、ミーナは爪で受け止め、ハイキックを繰り出す。
 ブーツが緑髪を掠める。
 ソフィアは身を斜めに乗り出し、頭突きする。
 ミーナは仰け反り、頭突きを肩で受け止める。
 痛みに顔を顰めつつも、ソフィアの腹に拳を突き込んだ。
「はっ!」
 後方へよろめく彼女に衝撃波を放つ。
 ソフィアは目を見開いた。
 全身にみなぎっていた増強と守護の呪が、掻き消されたのだ。
「ふぅん。いい技、覚えてるじゃん」
 ソフィアは仲間のサポートを待ちきれず、腰袋からファイト一発を取り出して一気にあおる。
 空き瓶を投げ捨て、切っ先をミーナに向ける。
「私も混ぜてください」
「いいよ、どんどん来なよ!」
 ミーナの回復呪で元気になったノインが、両手に鋭利な扇を携えて参戦する。
 殴り合い始めた三人を、男性陣はじっと眺めていた。
「あの子、体術もいけるんだ」
 レックが言うと、エックスが頷いた。
「ミーナは、今就いてるレンジャーみたいな、呪文も使える中衛か後衛で立ち回るのが好きだから、打撃もいけるんだ。お互い中後衛職について戦ったら、オレはきっとアイツに勝てないと思う。重装備の前衛としてなら、負けねえけど」
 そして、レックとアレフ、少し離れているアルスを一瞥し、頭を掻く。
「まあ、アイツの言う通りだよな。異世界の誰かまで助けられるだけの力がオレたちにあるか──肝心なのはそこだ。アンタら、オレの一撃くらいどうってことなさそうだから、耐えてくれよ。もし痛かったら、後で殴ってくれていいからさ」
 エックスは大きく息を吸い、吐き出す。
 指先でくるりと柄を回せば、剣は巨大な鎌へと転ずる。
「おお」
「手品のようだな」
 喜ぶレックと感心するアレフに、アルスが低く言う。
「二人とも、離れて」
「え?」
 目を丸くするレックの前で、エックスの身体の輪郭がぶれはじめる。
 纏う黒葡萄の鎧が、俄かに艶めく。
 仄かに帯びるのは、黒炎である。
「他の世界に、アストルティアにはない職業があるって話は、聞いてたんだ。魔物職についてる人間を見るのは初めてで、驚いた。でもきっと、アンタらもこれは初めて見るんじゃないかな」
 黒炎がエックスの身体を舐め、伝っていく。
 レックとアレフが後退する。
 ビルドが目を眇める。
「なんだ、あれ。ファイアフォースか?」
「いや、違う」
 見学していたサタルが、眼差しを鋭くする。
「炎の色こそ違うけれど、似たものを見たことがある」
「どこで?」
「アレフガルド、魔王城の地下。ゾーマが纏っていた、全ての攻撃を遮る闇の衣」
 あの闇は月のように青く、極北の氷の如き冷気を漂わせていた。
 だが、エックスのまとう闇は暗紅の炎を形取っている。
「オレの職業は魔剣士。オレの内にあるものすべてが鎧となり、剣となる。恐れ、怒り、それに──誰かを守れなかった、痛み。全部、力になるんだ」
 黒炎が一際大きくなり、エックスの身体が中空に浮く。
 ナインの漆黒の瞳孔に、焔の揺らめきが映る。
「これが、闇のヴェール。術者を攻守ともに高めるという、魔剣士の秘技」
「ミーナ、下がれ!」
 エックスが片手を前に翳す。鎧に覆われた指先がレックを、アレフを、離れた位置にいるソフィアを、空中で撫でる。
 ミーナが飛びのくと同時に、その手を握りしめた。
「邪炎波」
 黒炎が三人の戦士を包み、燃え上がった。
 炎に包まれ、アレフとソフィアが呻き声を上げる。レックは自分に纏わりつく炎を弾き、仲間たちに回復呪をかける。
「次!」
 エックスが掌中に生み出した焔を地に叩きつけると、黒炎が同心円状に迸る。
 アレフとソフィアの炎が火勢を増し、二人が咳き込む。
「おい、しっかり──」
「よそ見してちゃ駄目ですよ!」
 ミーナがブーメランを投げ、アレフのもとへ駆け寄ろうとしたレックを遮る。
 そこへ、ナインがハヤブサのごとく斬りこみ、レックは大きく跳躍して躱す。
 ナインは笑みを浮かべ、剣を振りかざす。
「僕の守りを崩してから向かってくださいね」
 剣が赤い旗へと転じ、パラディンの防壁が発動する。
 レックは舌打ちをした。
「タイミング悪ぃ」
「僕らにとっては、いいタイミングでしょう?」
 ナインは背後の仲間を一瞥する。
 アルスのもとへノインが、アレフとソフィアのもとへエックスが駆ける。
 ミーナは武器をブーメランに持ち替え、刃を二つに分かち放つ。
 左回りの刃がアレフの急所を捕らえ、右回りの刃はソフィアの横っ面を叩く。
「状態異常耐性、下がりました」
「了解」
 ナインが告げると、エックスは駆けだした。
 蒼く閃く鎌を斜めに振りかぶり、二人の足元を薙ぐ。
 アレフとソフィアが転倒する。
「く、そ」
 起き上がろうとするアレフに、エックスは紫炎を纏わせた鎌をかざす。
「悪いな」
 エックスは、紫炎に包まれたアレフへ、袈裟懸けに鎌を振り下ろした。
 冥王の鎌を喰らったアレフは大きく跳ね、動かなくなる。
「立て! 何で立てないの?」
 次いで、エックスはもがいているソフィアに向き直る。
 ソフィアが立ち上がろうとする度に、ミーナのデュアルカッターが飛んでくる。
 そのせいで、彼女は転がり続けていた。
(二人も戦闘不能にすれば、そう保たないはずだ)
 鎌に再び暗黒が宿り、轟轟と黒炎を散らす大剣と化す。
 災いの斬撃。喰らった者に麻痺状態をもたらす呪炎の剣である。
 技を放とうとした時、声が聞こえた。
「神霊よ」
 朗々とした詠唱が響いた。
「我、いにしえの魔導士を継ぎ真なる盟約を誓いてし者。今ここに、一切の奇跡を禁ぜよ──ギガ・ジャスティス」
 寒気がするほどに澄んだ颶風が、身体を吹き抜けていった。
 エックスは自分の身体を見下ろす。呪炎が収まっている。
 そんな馬鹿な。
 エックスは顔を跳ね上げる。
 レックが迫っていた。
「うらぁ!」
 蹴りを喰らい、尻餅をつく。
「まさか。パラディンガードがまだ続いているはずなのに」
「パラディンガードは無敵だからね。どう対応するか、ずっと考えてたんだよ」
 エックスが呟くと、レックの向こうからアルスの声が聞こえてきた。
「とは言っても、この戦闘が始まった時からではないよ。異界を渡り始めて、ナインのパラディンガードを初めて見た時。ずっと前から、この技を使われたらまずいと思っていた」
 この技が発動すると、敵はガードが解けるまで術者に効きもしない攻撃を続けてしまう。
 ナインとノインが味方である分にはいいが、仮に敵として使われたら困ったことになる。
 どうにかして対策を練らないといけない。
「パラディンガードは、術者本人への干渉を一切遮るが、漏れもある。いてつく波動を使うと、術者には効かなくても、術者の仲間の加護を剥がすことができる。仁王立ちをしていても、だ。なら、同じことができるんじゃないかと考えた」
 アルスの足音だけが聞こえる。
 足どりは、なぜか重々しい。
「僕は、いてつく波動に効果の似ている、ギガジャティスという呪文を使えるんだ。これが、使い方の難しい呪文でね。その場にいる全員に施されている加護を掻き消す上に、その後、少しの間、呪文が使えなくなるんだ」
 この呪文が活かせるのではないかと、彼は考えた。
 呪文の開発者であるマーディラス大神官が最初に生み出したマジャスティスは、魔王と化した者の能力をすべて弱体化させた。
 さらにアルスは、マーディラスに遺された手記から、真言の盟約により、呪文を省略せざるを得ず、前身となったマジャスティスを呪文に完全に組み込めなかったことを知った。
 それらのことから、マジャスティスを完全に組み込んだ『ギガジャティス・改』を生めば、魔法だけでなく、神霊の法にのっとるすべての御業を打ち消せるのではないかと仮定した。
「この止まり木の世界は、不思議な場所なんだ。僕らの元々住んでいた世界より、ちょっとだけ自由に動くことができる」
 だからアルスは、試行錯誤を重ね、ギガジャティスの上位呪文『ギガ・ジャスティス』の開発に成功した。
「元の世界では、存在しない呪文っていう扱いになるから使えない。僕らにかかる良い効果を消す上に、魔力の消費もさらに激しくなったから、低コストないてつく波動に比べて、使う機会がない。だけど今、初めて苦労した実験の成果を発揮できた」
 レックの背後から、アルスが現れた。
 彼は左の肩に、気を失った天使二人を担いでいた。
「遊んでくれてありがとう。楽しかったよ」










「そこまで」
 サンドラが告げる。
「審判を終わります。サタルとソロは私と審議。他のメンバーは、負傷者の救護をお願いします」
 サンドラのもとへ男二人が集まり、話し合いを始める。
 レックが剣を収め、エックスとミーナの肩を叩いた。
「楽しかったぜ。ありがとうな!」
 目を細めた満面の笑顔が眩しい。
「こちらこそ、ありがとう、ございます……?」
 戦いの後にしては友好的すぎる笑みに、エックスたちは混乱する。
「あーあ、派手にやったね。さすがに、ベホマズンを使わないとダメかな」
 エイトがやって来て、倒れた仲間たちを眺める。
「え。ベホマズンだけでいいの? 蘇生は?」
 ミーナが問うと、エイトは首を横に振った。
「俺は、生きてるぞ」
 足元に転がっていたアレフが、上体を起こした。
 エックスは飛び上がり、素っ頓狂な声を上げる。
「ええ!? オレ、確かに魂狩りを使ったはずなのに」
「あの技にはそういう名前がついているのか。言われてみれば、魂まで持っていかれそうな骨のある斬撃だった」
 アレフは胡坐をかき、感じ入ったように唸る。
 それから、まだ目を見開いたままのエックスを仰ぎ、笑いかける。
「死にはしないと言っただろう。この場所は今、格闘場仕様なんだ。死に至る傷を負っても、魂を繋ぎとめる呪いがかかっている」
「そうは言うけど、アレフ。君、そもそも瀕死の傷負ってないよね?」
「負っていません」
 エイトの台詞に、突如起き上がったナインが付け足す。
「アレフさんの現在のHPは警戒度2。まだ三分の一ほど残っています」
「あ、おはよう。起きるの早かったね」
 エイトはベホマズンを詠唱する。自分たちの傷だけでなく、倒れている四人の傷も回復したのを見て、エックスとミーナはまた驚く。
「本当にみんな、蘇生が必要ないんだ」
「格闘場の呪いこそかけたけど、誰も死なせる気はなかったからね」
 アルスが肩を竦め、二人を指さした。
「君たちも、そう。正体が知れなくても、お客さんを殺すわけがないよ」
「エックスさんとミーナさんを殺す気はなくても、私たちのことは気絶させました」
 足元にうつ伏せで寝転がるノインが、頬を膨らませている。
「最後まで戦いをきちんと見たかったのに! アルスさんは意地悪です」
「魔神斬りを仕掛けてきた君が言う? 自業自得だよ」
「あーん、悔しい! もっと暴れたかったのに!」
 仰向けに転がっているソフィアが、足をばたつかせている。
 レックがその顔を覗き込む。
「お前が暴れたらやばいだろ。俺がエックスでも、お前を優先的に戦闘不能にしに行くだろうな」
「え? あたし、そんなに強かった?」
 ソフィアがすっくと立ち上がり、エックスを正面から見つめる。
 エックスはしどろもどろになる。
「え。その、ああ。モシャスを使われたらやばいって、ナインとノインから聞いてたから、なるべく早く止める作戦を立ててた」
「やだぁ、照れちゃう」
 勝ち気そうな白皙が赤らむ。
「それならダウンさせられちゃったのも仕方ないなー。でも、次は絶対勝つからな」
「あ、はい」
 エックスの答えを聞かないうちに、ソフィアは笑顔でミーナの手を握り込んでいる。
「ミーナちゃん、初めましてぇ。後衛から前衛に切り替えたガッツ、あたしすごい痺れちゃった! さっきあたしに使ったダメージが増える技、後で教えてね」
 ミーナも反射的に笑顔を浮かべるが、口の端が引き攣っている。
 ノインが彼女の袖を引いた。
「大丈夫です。ソフィアさんは強いと認めた相手には大変友好的ですから、もう模擬試合以外で殺されかけることはありませんよ」
「え?」
「ノイン、ややこしいこと言わないでよ。ミーナ、もしかしてあたしが怖かった? もう襲わないから安心して。友達になろ?」
「え? え?」
 ミーナが途方に暮れている。
 レックが助け舟を出す。
「ソフィアは故郷を滅ぼした魔族以外には寛容だから、信じて大丈夫だ。よければ仲良くしてやってくれよな」
「はあ」
「偉そうだなあ! 速さだけが売りのめちゃくちゃ軽い攻撃しかしなかったくせに」
「模擬試合だから、気を遣ったんだよ。はぐれメタル職の攻撃で死ぬことはまずないだろ」
 ソフィアとレックが応酬を始める。
 エックスの肩を、アレンが叩く。
「重心が安定していていいな。後で壁役について教えてくれ」
「あ、ありがとう」
「その会話、俺も参加させてほしい」
 アレフが声をかけてきた。
「結局あまり戦えなかったから、同じ剣と盾使いとして話がしたい」
「お、おう」
 アレフにも友好的に接されて、エックスは戸惑う。
(さっきまであんなにやり合ってたのに、切り替えが早すぎないか?)
「あなたたち、打ち解けるのが早いわよ」
 話し合いを終えた審判たちが寄って来る。
 呆れた声を上げるサンドラに、イレブンが首を傾げる。
「試合後の挨拶は、大事なんじゃないの?」
「そうだけど。まあ、いいわ」
 サンドラは居住まいを正した。
「審判の結果、エックスとミーナは止まり木の戦士としての資格ありとみなされました。止まり木の世界は、エックスとミーナを歓迎します」
「おめでとうございます!」
 天使たちが唱和する。
「めでたいですね」
「さあ、今度こそ歓迎会をしましょう」
「本当に、今度こそ普通に仲よくしようって意味でいい?」
 ビルドが尋ねる。
 天使たちは笑顔を返す。
「もちろんです」
「病める時も健やかなる時も」
「互いを信じ、これからも剣を交わしましょう」
「やっぱり戦闘はやるんだ」
 ビルドがげんなりする。天使たちはまた声をそろえた。
「それはもちろんです」
「腕を磨き、戦い続けるのです」
「だって僕たちは」
「だって私たちは」
「止まり木の戦士なのですから」










 新人二人を交えた宴会は、魔物たちがこっそりと丹念に支度しておいた食事のおかげもあって、大いに盛況で終わった。
 宴は終わり、夜も更けて、ビルドは寝ぼけ眼をこすりながら管理室へ赴く。
 暖かな橙色に煌めく動力源の明滅を頼りにして、部屋の中央に広げた大きな地図に触れる。
 地図の上に、憩いの宿のホログラムが浮き上がる。ビルドは手元の操作盤を駆使して、ホログラムを拡大する。
 本館二階、酒場に空いた穴に、ミニチュアのブロックを組み込んでいく。
 どこからか、楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
 酔いの回った面子がエックスとミーナを連れ、憩いの宿を紹介して回っているのだ。
(平和で良いなあ)
 昼間の乱闘が嘘のようだ。
「何してるの」
 不意に声をかけられて、目が覚めた。
 振り向くと、管理室の戸口にアルスが佇んでいた。
「なんだ、アンタか。驚かさないでくれよ」
「ごめんね。それで、何してるの?」
 アルスは悪びれた風もなく、ビルドの傍へ寄って来る。
「ちょっと、この宿の補修を、な」
 ビルドはミニチュアブロックを積む作業を再開する。
「君が来たおかげで、この部屋で宿のシステムを管理できるようになった。すごく便利だね」
「そうさな」
「昼間の戦闘の修理?」
「まあ、そんなところだ」
 メンバーが思いきり武器を振り回したため、本館そのものと、本館と呪いで連携していた二号棟こと格闘場の損傷が激しいのである。ビルドは、その修理を頼まれていた。
「ビルドは何でも作れるんだね」
「俺、呪文は作れねえよ」
「僕は作ったわけじゃないよ。在ったものを形にしただけ」
「あの呪文、破魔の呪文なんだってな」
「そうだよ」
「エックスもミーナも、なんともなかったな」
「うん」
 アルスは頷く。
「邪法は使ってない。純粋な人間だね」
 ビルドはホログラムをぐるぐる回す。
 アルスも旋回する館の幻像を仰ぐ。
「何してるの?」
「欠陥がないか確かめてる」
「ふーん」
 アルスは目を細める。
「ね、ビルド」
「何?」
「安息地って、本当にないの?」
 ビルドは隣の少年を見やる。
 少年の瞳孔に動力源の光が映りこみ、赤く煌めいている。
「何で俺に聞くわけ? 俺は、今日初めてあそこに迷い込んだんだぞ」
「でも君は、世界の構造や構成物に詳しい」
「分かんねえよ」
「そう。じゃあ、別のことを聞いてもいい?」
「アンタ、酔ってるのか」
「僕、お酒で酔えないんだよね」
 言われて初めて、彼から漂うアルコールの香りに気づいた。
 これだけ近くにいても、彼の肌からは酒精も、酩酊の熱も感じられなかった。彼に吸収されず、纏う服だけに染み込んだ酩酊が、今やっとビルドに届いたようだった。
「今日壊れた宿のパーツは、どこに行くの?」
 アルスの声は、夜の細波のように穏やかだった。
「壊したブロックを、ビルダーは回収できる。この宿もブロックで管理できるならば、壊れた部分はブロックになっていてもおかしくない」
「それを俺が回収してると?」
「違うの?」
「ねえよ。見ろ、ブロックなんて何も散らばってないだろ」
「本当だ」
「おい。聞いといて見ないのかよ」
「もう見たよ」
 アルスは卓上に広げられた地図を見ている。
 否。正確にはそこに置いてある、自分たちを模した、可愛らしい丸みを帯びた十六体のミニチュア人形を見ている。
「エックスとミーナの人形もあるんだね」
「それは、昼間サンドラに言われて作った」
「ふーん」
 アルスは自分の人形を取る。
「ビルド、知ってる?」
「なんだよ」
 アルスが人形を二本の指で摘まみ、動力源の前に翳す。
 人形に、橙の燈火が灯る。
「この人形を動力源に翳して」
 くるりと掌を返す。
「ひっくり返すと」
 ぱたり、と何かが滴る音が聞こえた。
 ビルドは床を見る。液体など、ない。
 視線を上げる。
 逆さ吊りになったアルス人形が、深紅のペンキを被ったように赤くなっていた。
「真っ赤になるんだ」
「…………」
「ちなみに、他の人形を使ってみると」
 アルスは自分の人形を戻し、イレブンの人形を動力源の前に翳して逆さにした。
「何ともない。どう、びっくりした?」
「なんだよ、手品かよぉ」
 ビルドは弱々しい拳で、笑うアルスを叩く。
「夜に驚かすなよ。寝られなくなるだろぉ?」
「そんなに怖がること? 手品じゃないよ。たまにこうなるんだ。面白いでしょ?」
 アルスは歯を見せて笑う。
 成人していて、背丈もそれなりにあるはずなのに、言動があまりにも無邪気である。
 だから、いつまでも少年のような雰囲気が抜けないのだ。
「今の、他の奴にもやってみせたのか?」
「ううん、ビルドが初めて。他に気づいてる人もいないんじゃないかな」
「よくわかんねーギミックだな」
「ビルドが作ったんじゃないの?」
「俺が作ったのは、イレブンと今日入った新入りと、俺のだけだよ」
「へえ」
「アルスさん」
 戸口から、天使コンビが顔を覗かせた。
「釣りの話を、エックスさんとミーナさんにしてあげてください」
「釣り掘の話もお願いします」
「分かった。じゃあね、ビルド。疲れてるみたいだから、もう寝た方がいいよ」
「おう。そうするわ」
 アルスはひらひらと手を振って、管理室を後にした。
 管理室は、また静かになった。
 機械が動作する鳴動が、腹の底に響く。
 ビルドはしばらくホログラムを見つめていたが、やがてそっと呟いた。
「ナンバー外、ビルド。管理者権限をもって【Room: No title】を展開」
 憩いの宿のホログラムが回転を始めた。
 円転する幻像から、ぽろぽろとブロックが零れ落ちていく。
 零れ落ちたブロックはやがて塊となり、一つの立方体を作り出す。
 立方体が、俄かに赤い輝きを放ち始める。
「…………」
 ビルドは憩いの宿屋のホログラムを拡大する。
 本館と九つの別棟をくまなく凝視する。完璧な形をしている。
 隙間など、空いていない。
 空いた穴は、新しいブロックで修復したはずだ。
 にも関わらず、赤いブロックは現れた。
「前見た時より、部屋が大きくなってる……?」
 ビルドは震える指で卓上の人形を摘まみ、順番にひっくり返していく。
 イレブン、変化なし。
 エックス、変化なし。
 ミーナ、変化なし。
 ナイン、赤い。
 ノイン、赤い。
 エイト、赤い。
 アルス、赤い。
 レック、赤い。
「なんだよ。これ」
 ビルドはへたり込んだ。
 ホログラムが輝きを失い、消える。
 管理室は、動力源の揺れる、とろ火のような灯りにだけに満たされる。
「聞いてねえよ」
 ビルドは一人、光の中にうずくまる。
 夜半過ぎ。管理室は煌々と明るい。