カビと共に去りぬ




 とある世界にある洞窟、地下二階。苔むした黒い岩肌が延々と続くそこに、色鮮やかな四人の男達がいた。彼らは上を岩板で塞がれた上り階段の一番上で、ひそひそと話をしている。


「ちょっと……どういうこと?」


 赤いバンダナを頭に巻き、シャツの上に黄色の衣を羽織った青年が人の好さそうな顔立ちを困惑に染めて囁く。青い髪を逆立てた男が頭上の岩板を指さす。


「見間違いかもしれねーし、もう一回見てみようぜ」


 彼はそっと岩を押し上げた。僅かな隙間を四人が一列に並んで覗く。


 それぞれの瞳に、明らかに人間とは違う外見の生物がうじゃうじゃとひしめき合う様子が明瞭に映った。


 青髪の男が岩を下す。おぞましい光景は見えなくなったが、彼らの問題がなくなったわけじゃない。


「幻ではありませんね。はっきりとした生体反応を感じます。この上半径十メートル以内はおっさん呼び以上の集まり具合です。更にこちらに向かって多数の魔物が引き寄せられている気配がします」


 小柄な美少年の言葉は、三人のささやかな願望を無残に打ち砕いた。この少年の生体や魔力に関する分析能力はパーティー一である。その彼が言うのだから間違いないだろう。


「ナイン、何がいるか分かる?」


 赤バンダナの青年が美少年に尋ねる傍ら、青髪の男は再度岩板を持ち上げて魔物たちを見る。


「エビルフランケン大魔神サタンジェネラル……結構分かんねえのもいるなあ。おっ、ブルサベージもいるじゃん! 俺アイツ嫌いなんだよマホトーンしてくるから」
「僕が分かる範囲では、皆大魔王の身辺の警護を任されるような魔物ばかりです」


 緑髪の男が大きな溜め息を吐いて頭を掻く。その彫りの深い顔には「どうしてこうなっちまったんだ」という感情がありありと現れている。彼を見て、赤バンダナは申し訳なさそうに眉を下げた。


「ごめんソロ。面倒なことになっちゃって」
「別にエイトのせいじゃねえだろ。どっちかってーと、おめえにこの仕事を頼んだ竜神王って野郎のせいだ」


 ソロは端正な顔立ちに似合わぬ粗雑な口調で吐き捨てる。


「カビ取ってこい、しか言ってなかったんだよな? そいつ」
「うん。この世界のこの洞窟にしか生えない貴重なカビで、これでチーズを作ると凄く美味しいんだって。うちの一族はチーズが大好きだから……」
「竜なのになんでチーズなんだ?」
「うーん、何でなんだろう? 考えてみたことないなあ。食事にもよく出てくるけど」


 青髪の問いに、エイトは考え込む。ナインが手を打った。


「思い付きました。僕の知るドラゴンはお酒が好きでした。もしかしてエイトさんの世界の竜神族もお酒、特にワインが好きなのではありませんか?」
「あっ、言われてみればそうだ! 祖父がよく里で飲んでた気がする」
「へードラゴンって酒好きなもんなのか! おもしれー! 今度他の世界の奴らにも聞いてみようぜ!」
「ならその前に上の奴らをどうにかしねえとな、レック」


 ソロの一言で現実を思い出したレックは、突如頭に重い石を乗せられたように項垂れた。それでも何故かもう一度岩の上を覗こうとする。きっと、少し見ないうちに魔物がいなくなっていた、なんていう奇跡を期待しているのだろう。岩を上げて見て、こちらを振り向く。予想した通り、落胆の色濃い顔をしていた。


 一同は自分達の装備を見る。武器こそトップクラスの強さを誇るものを持ってきているが、服は普段着だ。鎧も盾もない。魔物は弱いものしか出ないと聞いていたので、置いてきてしまったのだ。
 油断大敵、後悔先に立たず。彼らは先人の言葉を痛感した。


「行きはこんなに魔物出なかっただろ。どういうこった?」
「おかしいよね。いきなりこんなに強い魔物がたくさん来るなんて」
「しかも僕達に吸い寄せられるように……あ」


 ナインがまた何か思いついたようである。三人の視線が低い位置にある海松茶色の頭に集まる。彼はエイトの腰に下がっている袋を指さした。


「もしや、みんなこのカビが好きなんじゃないでしょうか?」
「カビがぁ?」


 レックがエイトの袋を開く。中には毒々しさを増した七色のバブルスライムのような物体が入っている。レックはそれをまじまじと見て、袋に顔を近づけ匂いを嗅いで顔を思いっきり顰めた。


「全っ然旨そうじゃねーよ! これならまだ極上のカビの方がマシだぜ!」
「それはあくまで人間の五感に基づく仮定の話です。人ならざる身には美味しいと感じるものなのかもしれませんよ」


 現に僕も、サラダに振りかけたら美味しそうだと思います。
 美少年の口から放たれた言葉に、男達は唖然とした。彼の背後に翼は見えない。人間になったんじゃなかったのかと三人は疑問を感じて、それから思い出した。確かに物質的には人間だが、コイツの感覚は天使に近いんだった。
 仲間達が奇異の眼差しを向けるのをものともせず、ナインは階段を上って岩板を叩いた。


「それならこの人類未踏の地にこんなものがある理由も分かるんです。きっとここに来るのは僕達だけじゃない。もしかしたら竜神族のようにここにカビを取りに来る何者かがいて、その人がカビを魔物達に食い尽くされないためにこの仕掛けを作ったのではないでしょうか?」
「確かに……他は全然整備されてないのに、ここだけ隠し階段だから何かおかしいと思ってたんだよ」


 レックが感心して頷く。ナインが両腕を広げて言う。


「この階にだけ魔物が出ないのもそうです。誰かがカビを守るために結界を張ったのではないでしょうか?」
「それなら洞窟全体に結界かけてくれても良かったんだがな」
「そこまではできなかったんじゃない? 割と広い洞窟だし」


 ソロは舌打ちした。


「それが本当なら、俺達はこれからカビを寄越せって襲い掛かってくる魔物を蹴散らしながら洞窟から出なきゃなんねーんだな?」
「そういうことになります」


 ナインが肯定する。
 四人は知らず、己の得物に手をやっていた。ソロは天空の剣の柄に手を置き、毅然として階段を見上げる。エイトはやや心許なさそうに英雄の槍を撫でる。ナインは腰にあったグリンガムの鞭を手に持ち、しならせた。そして背中からラミアスの剣を引き抜くレックは、仲間の顔を見回してにっかり笑った。


「やっべ。俺なんか逆にテンション上がってきた!」
「ったく、おめーは相変わらず呑気だな」


 さっきまでザキ失敗したマッドロンみてーな面してた癖に、とソロが呆れたように言う。レックが唇を尖らせる。


「だって考えてたらさ、やべーなって思うだろ? 仕方ねえじゃん。でもだんだんやべえ通り越して逆にわくわくしてきてさ! そういう感覚ねえ?」
「分からなくもない、かな?」


 エイトが控えめに微笑む。レックはそれに太陽のような笑みを浴びせた。


「それで更にお前らの顔見てたらもっとわくわくしちゃって。なあ、この面子だぜ? 負けねえよ、負けるわけねえって!」


 屈託なく言い放つ。妙に確信を持った言い方に励まされたのか呆れたのか。定かではないが、三人は顔を見合わせてからそろって表情を崩した。


「そうだね、弱気になっても仕方ないよね」


 エイトの目が細まり、唇が緩やかな弧を描く。


「物事をいい方向に考えるのは大切なことです。ありがとうございます、レックさん」


 ナインは白い歯を見せる。


「簡単そうに言いやがって……」


 ソロのは苦笑に近いが、嫌なものは混じっていなかった。


「じゃ、うめーこと帰るために作戦立てようぜ」


 彼の提案に一同は頷いた。ソロは肩まで届く緑の髪を払って、腕を組む。


「まず今回の大事なポイントはそのクソなカビだ。ナインの考えが正しけりゃ、多分アイツらはそのカビ目がけて襲い掛かってくる。なるべく戦うのは避けてえ。だからいっぺんリレミトを試してみてえ。この階じゃ駄目だったけど、もしかしたら一個上に出たら使えるかもしんねえからな」
「その間に、誰かが魔物を引き付ける必要があるね」


 エイトが言う。ソロは首を縦に振る。


「じゃあ俺がやる」


 レックが剣を持っていない方の手を挙げ、弾んだ声で尋ねた。


「ギガデインでいいよな?」
「いいけどあんま乱用すんなよ。おめーはこん中で一番魔力ねえんだからな」


 レックは不貞腐れたようにはーいと返事した。


「レックがギガデインしてる間に俺らは飛び出る。俺がリレミトする。運が良けりゃそれで脱出だ。駄目なら合図として一発イオラをぶちかます。そしたらレックは先頭に立って道を作ってくれ。俺がサポートする。エイトとナインはその後に続く。そのまま奴らと仲良く鬼ごっこしながら出口まで突っ走る」
「おおーっ、掌汗かいてきた!」


 言葉とは裏腹に、レックに怖がる様子はない。それどころか楽しそうである。
 ソロの筋書きを黙って聞いていたエイトが口を開いた。


「レックとソロが攻めていってくれるなら、俺とナインは更にそのサポートをしながらカビを守ることになるのかな?」
「おう。本当ならそんなカビどうだっていいんだが仕事じゃ仕方ねえ。エイト、やってくれるか?」
「勿論だよ」


 魔物達はカビに寄って来る。一番危険な役割だが、エイトは二つ返事で引き受けた。


「ナインは殿でエイトを守りながら戦ってくれ。あとはやってみねーと分かんねえが、余裕があったら補助呪文を頼む。俺らはあんま覚えてねえから、お前に頼むしかねえんだ。手が空いたら頼む」
「承知しました」


 ナインの返事を受けて、二代目天空の勇者は仲間を見渡した。


「あと何かあるか?」


 ないと返ってくる。
 作戦は立った。それぞれが心中で自分の役割について考え、注意すべき点をまとめる。それが済むと各自武器を手にした。
 ナインが守備力増強呪文、加速呪文を重ねがけし、念には念を入れて攻撃力増強呪文と吐息軽減呪文もかけた。後で反動が来るのは間違いないが、死ぬよりはマシだ。


「全員が出口を通過したのを確認したら、すぐに止まり木の世界に飛びます」


 ナインが告げる。世界をかけられるのは、この面子では彼のみである。ソロが用心深く問う。


「もしできなかったら?」
「そんなことはないと信じたいですが、万が一の時は安全な場所を探してそこに身を隠しましょう。帰る方法はそれからです」


 もっともな答え。
 それを聞くと、レックが階段の一番上に立った。二段目にソロが、その後ろにエイトとナインが並ぶ。


「よっしゃ、いっちょ派手に行くか!」


 レックは岩を跳ね除けて飛び出した。己が着地するよりも魔物達が一歩踏み出すよりも早く、高らかに唱える。


「ギガデインっ!」


 聖なる雷が岩壁を照らし、人ならぬ声が幾つも重なり合う。階段から素早く三つの人影が踊り出る。


「リレミト」


 ソロが唱えるも、手ごたえがない。彼は舌打ちを堪えて爆発に変えた。一行を取り囲む最前列の魔物達が軽く煽られる。


 レックが合図を認識して、出口へ続く道を辿る。体勢を取り戻しかけたサタンジェネラルが行く手を阻む。その首にラミアスを突き立てた。懐に飛び込みながら剣を真下に捌く。首から下腹部にかけた大きな裂け目から血が噴き出し、彼の衣装を濡らす。力を失いつつある逞しい身体を、その後方に控えるゾンビメイルに押し付けた。思わぬ重さに倒れるゾンビメイルとサタンジェネラルの身体の上を、レックが踏みつけて通る。


「マヌーサ! ラリホー!」


 ナインが殿から先頭に向けて叫ぶ。レックに襲い掛からんとしていた数匹は動きを止め、また違う者は糸が切れたように崩れ落ちた。だが無事だった者が来る。レックは冷静に躱せるものを躱し、避けられぬ一撃だけを剣で受けて前進した。彼に躱された者達をソロが蹴散らす。エイトは切り開く勇者の前へ向けてベギラゴンを放ち、ナインは背後から襲おうとする一群をイオナズンと鞭でいなした。


 ソイツを置いていけえええ、という濁声。カビぃカビぃと金切声りも耳に届く。ナインの仮説は合っていたらしい。カビのためにたくさんの魔物の血を流すのもおかしいが、さりとて死ぬわけにもいかない。男達は本来の仕事内容を思い出すと虚しくなるので、とにかく仲間の背中を守ることに集中した。


 レックの掌から真空波が放たれる。地獄の番犬が倒れるも、臆さず突っ込んでくるのはデスストーカー、耐性のあるダークナイトも続く。デスストーカーの斧が天を仰ぐ。疾風の如き突きがその利き腕を捕らえ、生まれた一拍の隙に青い巨体の脇を潜って身体を反転。低い位置から繰り出された回し蹴りは、覆面を地面に叩きつけるのに十分だった。レックは視界を広げるべく、ひたすら魔力を消費しない全体攻撃を連発する。


 一方彼が取りこぼしたダークナイトは、横道から現れたダースドラゴンとヘルバトラーと共にエイトの方を目指す。その前に立ちはだかるのはソロ。面子を見て取ると、即座に左手を向けた。青い電撃が三体を焼く。その隙に剣を閃かせてダークナイトの剣を打ち砕き、駆け抜ける。


 追おうとする者らを、下から黒い光が照らした。地獄の雷が地に浮き上がった魔方陣から迸る。臭気と煙が漂う中を風のように行く二つの影。前を行く緑の衣の背にベリアルが忍び寄るのを見て赤バンダナが友の名を呼び、小さな方が鞭を地面に叩きつけた。岩が隆起して大蛇となりベリアルの足場を崩す。心臓を狙ったフォークはソロの肩を掠り、裂傷を負わせた。振り向いた端麗な男は鼻を鳴らす。悪魔の体勢が整うのを待たず、一刀のもとに斬り捨てた。遅れていた二人が追いつき、三人は共に先を行く逆髪の男を目指す。


 無我夢中で駆けるうちに一階へ繋がる階段が見えてきた。最初に比べればマシになったが、魔物達はまだまだどこからともなく湧いてくる。首を三六〇度回してみて、視界に魔物が三匹以上入らないことがない。まともに相手していたら魔力が切れてしまう。使用魔力の調節ができるエイトとナインがいるからまだ呪文や大技を多用しながら進めるが、それも無限大ではない。一刻も早く出口に辿り着く必要があった。


「大丈夫か!?」


 回転しつつ体当たりして魔物を散らしたレックが階段に着地して振り向く。ソロは答えず一跳びにレックを押しのけ剣を突き出した。白刃は繰り出されていた槍を跳ね上げその主を刺殺する。ゾンビソルジャーだった。


「気ぃ抜くんじゃねえ!」


 ソロはレックを見ずに叱咤する。腐った兵士を脇に放り、階段を駆け上がって次なる敵のもとへ。果敢な後ろ姿に、レックもすぐ続いた。剣を振るうソロの頭上を飛び、回転しつつ体当たりする。道を作りやすい技だが、武器を構えた魔物の前に己の肉体を晒すことになるので傷も負う。青い魔物の体液を浴び自身も血を流す彼は、衣装を所々黒紫に染めていた。


 レックが切り開いた道を、エイトの唱えた上級火炎呪文が焦がす。焼け爛れた魔物を飛び越えて進む。彼が賢者の石を振りかざすと一行の傷が癒え、代わりに疲労感が増した。


「この先道どういうんだっけ!?」


 レックが息を弾ませながら叫ぶ。今は何故か魔物がいない。嬉しいことのはずなのに、何故か彼らの緊迫感はこれまで以上に増していた。


「右右左右左左右です!」


 ナインが一息に返す。レックの青い眉が寄った。


「悪ぃ聞き取れなかったもう一回!」
「右右左右ひだりゃあッ!」


 彼らしからぬ台詞に前を行く者達は振り返る。ナインがいたはずの場所に、ローブを纏ったトカゲ頭の怪人がいた。


「ナイン!?」


 レックが壁にめり込んだ彼を見つけ引き返そうとする。しかし怪人から強烈な寒風が吹き寄せる。凍える吹雪だと気付いた一行は直撃を避けるため散った。


「バラモスエビルです!」


 ナインが壁から身を離して魔物の名を告げる。エイトが霜を振り払いながら首を傾げた。


「何か聞いたことあるような……」
「それは別個体です! このバラモスエビルは量産型です」
「無礼な口を利くでないッ!」


 バラモスエビルが喚いた。魔物の表情というものはよく分からないが、どうも怒っているらしい。彼は地団太を踏むと四本指の手を振りかざした。


「カビごとはらわたを食いちぎってくれるわ!」


 声の反響を腹の底を揺さぶるような重低音が掻き消した。地面がぐらぐらと揺れている。一行は辺りを見回してぎょっとした。黒い岩壁に、鮮血に似た一対の瞳が現れている。吊り上がったそれに白目はなく、一際赤の濃い筋が同心円状に脈打っている。


 その瞳の隣に、二つ切れ込みが入った。ぱかりと割れて赤が現れる。これも隣と同じ瞳だ。その上下に四つの切れ込みが入り、四つの瞳が開眼した。みるみるうちにもう一対、二対、四対十六対と増えていき赤眼が壁一面に広がっていく。


「……やばくね?」


 不規則に瞬きする真っ赤な壁を仰いでレックの口の端が引き攣る。ソロが叫んだ。


「逃げろ!!」


 全員一斉にメタルスライムの如く駆けだした。赤い目玉達は岩の中を滑るように追ってくる。夥しい目が群れる様は気色悪いの一言では表しきれない異様さを持っていた。


「何あれ!? こんなの聞いてないよ!」


 エイトは後ろをちらりと見て悲鳴を上げた。ナインも同様にして目を丸くする。


「見たことのないものですね。軽く探る限りバラモスエビルが創り出したものではなく、個々がれっきとした生命と意識を持つ魔物のようです。この洞窟独特の生物でしょうか?」
「クッソ野郎ぜってーしばいてやるッ!」


 殿を走るソロが吠える。皆似たようなことを思っていたので、クソ野郎が誰のことなのかなんて誰も尋ねなかった。


「でもこのまま逃げ切れれば――」


 突如レックの絶叫がナインの言葉を飲み込んだ。後ろに意識が向いていたソロ、エイト、ナインは前を見る。前方の黒壁が赤く染まりつつあった。


「ぎゃああああああ無理無理キモい!!!」


 レックは耐え切れぬとラミアスの剣を振りかざした。青い雷が剣先に集まる。数多の赤い目がそれを反射して白く光った。


「ギガデイン!!!」


 視界が青く眩くなり、一行は目を庇う。常の一,五倍で荒れ狂う光が収まる頃、いち早く瞼を上げたレックが鼓膜を裂かんばかりに叫んだ。


「増えてるーッ!?」


 彼の言う通りだった。前方から迫りくる目玉の面積が二倍ほどになっている。
 髪と顔が同色になるレック、嫌悪を隠し切れないソロとエイト。彼らの前にナインが踊り出た。


「ならば逆を試してみるまで!」


 幼さの残る掌に宿りしは暗黒。闇系高位呪文が行く手を漆黒に染めた。黒が薄れていく様子を四人は固唾を飲んで見守る。なんと、赤い目玉達は五分の一程度に減っていた。


「効いた!?」
「すっげーナイン!」


 エイトが驚き、レックがナインの背中を叩く。ナインは納得したように頷いた。


「これならば簡単に済みそうですね」
「ああ、楽に――」


 ソロが首を後ろに巡らせて、形のいい唇を凍らせた。他三人も、後ろを見て表情が固まる。
 地面の中にいたはずの目玉達が地上に姿を現していた。二つの目玉に黒い毛細血管の束が生え、それが腸のような形をしたピンク色の本体と思しきものに繋がっている。腸からは更にメーダのような足が生え、宙を滑っていた。


「うええええええ!!」


 無数の細かい触手がうねうねとのたくる様に、感じた思いを全て声に託したのは勿論レックだ。ソロがそのとげとげ頭を叩く。


「馬鹿野郎っ叫んでるヒマがあんなら足動かせ!」
「動かす動かす超動かす!!」


 加速呪文を更にかけたわけでもないのに、パーティーの速度が増した。ミミズと内臓を合体させたような一群は疲労の色も見せずついてくる。ナインが前方の生き残りを殲滅し、レックが再び先頭に立った。


「ねえ、あの魔物達本当は無害なんてことはない!?」
 エイトが息を切らせながら問う。ソロが顔を思い切り顰めて首を横に振った。


「んなわけねーだろ! あのグロさで何もしねえとかありえねー!」
「気になるなら止まって連中を受け止めてみたらどうだ!?」


 振り向かずにレックが提案する。エイトはぶるりと身を震わせた。


「冗談! 無害でも生理的に無理だ」
「ですが先ほどから何も攻撃をされませんね」


 その台詞を待っていたのだろうか。一行の横を何かがすり抜けていった。ウコン色をした球状のものである。粘着質な音を立てて壁にぶつかる。黒かったはずの岩が石灰色になり、まるでそこだけスプーンで抉り取ったかのように綺麗な凹みができていた。


 一行は背後を見る。群れの数匹が、先ほど飛んだものと同じ色をした膿に似た塊を腸の前にぶら下げていた。
 それが意味することは即ち。


「酸だァァァァァァァァッ」
「いちいちうっせーんだよテメーは!」


 レックの悲鳴と同時に、成人の頭蓋骨ほどの塊が三つこちらに放たれた。エイトが指さして火炎系高位呪文を詠唱する。膿は揚げ物を油に放り込んだ時に似た音を立てて飛び散った。大きな飛沫がかかった数匹の身体は白い煙を上げて溶け、仲間の足下にぐちょりと潰れて消えた。


「……気分の悪い魔物だなあ」


 呟いたエイトの顔を見て、ソロは気球に乗った時のクリフトを思い出した。
 ナインが今度は闇系最高位呪文を放つ。暗闇に魔物の前方が飲まれ、地に転がった。どう見ても暗黒から生まれたような外見をしているこの生物は、光の耐性はあるが闇に弱いらしい。ナインがいくら呪文を喰らわせても勢いが衰えないのは、どこかで増え続けているからなのだろうか。


 曲がり角を右に曲がると、逃走劇の終わりを告げる光が見えた。レックが歓声を上げる。しかしその声に、途中で疑問符がついた。
 光の前に、何かが立ちはだかっているのである。


「バラモスエビル三体ネクロバルサ三体です!」


 視力のいいナインが仲間に知らせる。ソロはやり過ごせそうにねえな、とつぶやいていい加減疲れの滲む顔を引き締める。


「俺とレックが先に行って殺る。おめえらは後ろのきめーのを頼む」


 エイトとナインが了と答えると、天空の勇者達は突撃しに行った。
 残された二人は改めて後ろに向き直った。気味の悪い一群は衰えを知らない。バラモスエビル二体を倒すまでの時間稼ぎではあるが、そろそろ魔力の残りが心配だった。


「ナイン、魔力あとどれくらい?」
「残り二割といったところです」


 少年は荒い息を整えようと努めながら、両手を胸の前で伸ばす。生み出された暗黒が空気を伝う。
 ナインには時空を渡るために力を蓄えておいてもらわないといけない。しかしあの魔物によく効くのは彼の操る闇の呪文だけだ。エイトのベギラゴンだけでは役不足である。
 もっと効率のいいやり方はないか? それこそ、あの魔物の発生を止められるような。
 エイトは呪文を駆使しながらグロテスクな一団を凝視する。発生してしまった個々を見ていても仕方ない。見て何か分かるとしたら、奴らの発生の瞬間だ。
 発生? 何気なく己が使った言葉に、エイトははっとした。
 出口を見る。バラモスエビル二体のマヒャドとレックのギガデインが拮抗する。もう一体が何やら詠唱しようとするより先に、いつの間にか忍び寄ったソロが斬りかかった。ネクロバルサは皆ソロに狙いをつけて飛び回っている。まだまだ戦いは終わりそうにない。


「ねえ、ちょっと考えたんだけど」


 ナインが汗の滴る顔をこちらに向けた。いつも涼しげな彼が珍しい。


「何です?」
「ナインはコイツらがどこからかやって来たのか、またはどこからともなく湧いてくるのかどっちなのか分かる?」


 もと天使は少し目を丸くしてから、ちょっとお願いしますと頭を下げてから地面にうつ伏せに横たわった。耳を岩に押し当て、目を瞑る。エイトはその間にベギラゴンで魔物と自分達の間に障壁を作る。


「……湧いていますね。何かがこの魔物を、この場で生み落しているようです」


 ナインはやがて起き上がるとそう告げた。思った通りだ。


「その生み落しているものがどこにいるのか、見つけられる?」


 エイトの問いかけに、少年は首を左右に振る。


「今は動きを潜めているようなのでできません」


 それから、少し躊躇して付け加えた。


「ですが、また生み出す活動を再開してくれれば特定は可能だと思います」
「じゃあ生ませよう」


 エイトは覚悟を決めて、そう言った。


「アイツらは光属性の魔力を浴びると増えるんだよね? なら俺が囮になって光のエネルギーを振りまく。すると増殖するはずだ。それをナインが察知してあいつらの親を仕留めるっていうのはどう?」
「ですが、エイトさんももう魔力が……」
「竜神の力を使う」


 ナインは息を飲み、エイトを見つめた。チャコールグレーの瞳が揺れて、引き結んでいた唇を開く。


「危険です。まだ不安定だと仰ってたじゃないですか」
「前に比べたら少しは制御できるようになったんだ。時間も余裕もないから、一か八かでやってみよう」


 ね? とエイトは微笑む。ナインは出口付近で戦う二人を見やる。逡巡して、彼は頷いた。


「承知しました。できるだけ急ぎます。ご無理はなさらないで下さい」


 エイトは飛び上がった。無数の視線が自身に集まるのを感じながら、集団の中心を目指す。目的の位置に着くと瞳を閉じた。


 神の力は肉体のみならず魂にも宿る。だから竜となり力を使いたい時は、二つの結び目に意識を向けなければならない。肉体と魂、両方から力を引き出し精神で制御するのが肝要である。
 祖父は彼にそう教えた。しかし、今回は身体の変化はなしに魂の力のみを纏いたい。肉体からエネルギーを少々もらいながら、魂の力を最大限に使わなければならない。


 エイトは結び目に集中する。それだけでも自身の周囲に光が集うのを感じた。足下の方で何かがざわめく。彼はそれを無視し、自身の深い場所で竜の姿を思い描く。
 竜の形態は取らなくていい。ただ自身の周りに、神鳥の魂のような光を作り出したい。そう願って力の源に意識を置いたまま、魂の力に手を伸ばす。


 その時、腹部に重い衝撃が走った。思わず目を開いてしまう。見下ろすと、シャツを突き破って腹の中央から赤黒く濡れた刃が飛び出していた。


「エイトさんッ!!」


 動揺する少年の高い声。急激に自身の周りから失せていく光。対照的に熱い腹。


 頭より先に身体が動いた。己に刺さった武器を素手で掴み引き抜いて軸とし、身体を捻って背後へ蹴りを放つ。何者かを認識する前に弾き飛ばした。
 応急処置として腹の傷を最小位回復呪文で塞ぎ、急襲した敵を確認する。知らない悪魔系だろう褐色の肌をした魔物だ。視線を離さないようにしながら失われようとする光の力を掻き集める。このまま失敗したら副作用が出て使い物にならなくなる。意地でもどうにかしなければ。


 飛んでくるナインの姿が視界の端に映った。エイトはそちらを見ぬまま叫ぶ。


「俺は大丈夫だ! 早く親を!」


 ナインが止まる気配がした。しかし、そこから動こうとしない。


「早く!!」


 語気を強める。天使の衣装が翻った。エイトはやっと安心して眼前の敵と対峙する。だが、意識は光を集める方に向いていた。
 自分の目的はナインが魔物の親を探し出す手助けとして竜神の力を纏うこと。襲ってくる魔物は二の次だ。ナインの邪魔でもしない限り、躱し続ければいい。


「カビ……クレ……」


 悪魔が人語を喋った。だがエイトは竜神の力に集中しているため聞いていない。悪魔は黄色く濁った歯を剥き出して飛びかかってきた。エイトは避ける。上の空のエイトを追って悪魔が飛ぶ。メラゾーマやドルマ系呪文を繰り出してみるも、彼はひょいひょいと避けるか喰らっても気にしない。いつしかグロテスクな魔物達も悪魔の後ろに続くようになり、竜神の力を纏って光るエイトはパレードの主役のようであった。


 その頃ナインは、エイトに大量の魔物が引き寄せられたお陰で分析しやすくなった地上の、ある一点に着目していた。そこだけ、彼の目には湯気が立ち上るように生命力が映ったのである。
 ナインは掌から愛用する銀河の剣を引き出した。刀身を撫でる。彼の手が触れたところから、剣は黒炎を帯びて怪しく揺らめいた。
 もと天使は剣を両手持ちし、生命力の立ち上る一点目がけて垂直に急降下した。闇系呪文を纏った刀身が柄まで深々と地に埋まる。途端、剣が震えだした。いや剣ではない。地が――地の下にいるものが震えているのだ。
 剣の根本から溢れ出す光に竜神の匂いを嗅ぎ取って、ナインは自分の狙いが当たったことを確信した。
 まだ世界を渡れるだけの魔力はある。とどめだ。


「ドルマドン」


 黒い岩をそれより暗い闇が抉り取る。足場を全て闇に持っていかれても、ナインは剣を逆手に宙を踏んでいた。その剣の先には、ピンクと黒のぶよぶよとした肉塊があった。親である。以前どこかの世界で見た南国の巨大花に似ているとナインは思った。
 剣に伝わる振動、生命の微弱な波動で彼はもう親の息絶えることを知る。剣を引き抜いて顔を天井へ向け、仲間の元へ飛びながら叫んだ。


「エイトさん、終わりました!」


 白光を放つエイトは酷い有様だった。腹部に空いた大きな穴がまた出血して、あちこち破けて黒ずんだ衣装を更に重く染めている。相手の武器を掴んだ掌には痛々しい傷があったが、痛みを感じないらしく心ここにあらずといった風である。しかし、ナインの言葉は届いたらしい。優しげな顔に表情が戻った。


「ありがとう。それならもういいね」


 英雄の槍がしばらくぶりの仕事を察して唸った。悪魔が滑空を止める。エイトはナインが辿り着くよりも先に敵のもとへ突っ込んだ。二振りで悪魔のサーベルが飛び、三手目でその鳩尾を一突きする。エイトの黒い瞳と、悪魔の乳白色の瞳がかち合った。悪魔は瞬きする。エイトは槍ごと敵の身体を引き寄せ、右手を水平に振り払う。首の断面からドブのような血が噴き出し、槍を引き抜くと支えを失って頭部と共に地上へと落ちていった。


 一瞬のうちに終わった戦いに恐れをなしたのか、はたまた親の死んだことを悟ったのか。分からないが目玉の魔物達はもうエイトに襲い掛かることはせず、黒き住処へと帰って行った。


「拍子抜けするほど呆気ないな」


 エイトの身体から白光が薄れていく。彼は軽く肩を回すと、寄って来たナインに首を傾げて見せた。


「大丈夫? もう魔物もそんなにいないし、これ以上来る前にこのまま洞窟の外に逃げちゃうべきだと思うんだけどどう?」
「賛成しますが、とりあえず貴方は手当をすべきです」


 ナインは有無を言わせぬ口調で言い放ち、エイトの腹の上に手を翳した。清らかな光が傷口を癒す。照らされた穴を見て、エイトは苦笑した。


「俺もまだまだだね。竜神の力をもっと楽に使えるようにならないと」
「志はご立派ですが、あまり無茶をされると貴方も貴方の大切な人も困ることになりますよ」


 勿論、僕も。ナインはそう言って曇りなき眼でエイトを見上げた。視線を受け止めた青年は苦笑する。


「ありがとう。でもナイン、そういうことは男にいうべきじゃないと思うよ?」
「何か問題がありましたか?」
「えー、問題ってほどじゃないんだけど……後で説明するよ」


 ナインは不思議そうな顔で応急処置を終えた。二人は出口付近で戦うレックとソロの方へ走る。バラモスエビルを二体、ネクロバルサを一体倒したようだった。


 エイトが声をかけると、二人は戦いながらも大量の魔物が消えたことに喜びを露わにし、逃走に同意した。当初の予定とは違い、エイトとナインが先に行きレックとソロが魔物達の相手をしながら外に出るべく動き始める。


「させんぞ!」


 バラモスエビルがエイトに飛びかかる。彼は疾風の如くその片目を突いて、バラモスエビルが痛みに仰け反る間に出口から外へ飛び出した。


 レックはネクロバルサの前で逃げ出す機会を窺うように反復横跳びして見せる。ネクロバルサもつられる。すると足が、その動きにしか動かなくなってしまった。ネクロバルサはやっと彼に誘う踊りをかけられたことに気付くが、今更遅い。


「やーい誘われてやんの!」


 レックは悪戯っぽく舌を見せて、ナインの後から出口に身を投じた。


「ったく、俺に後任せてくなよな」


 ソロはぶつぶつ言いながらも去り際に二発ギガデインを放ち、外の世界へと出る。




 久々の太陽が彼の瞳を焼く。思わず目の上に翳そうとした手を、何者かに捕らえられた。


「さ、ソロさん帰りましょう!」


 天使が無邪気に笑う。白い翼と光輪が太陽より眩しい。その向こうには、同様に手を繋いだレックとエイトがいる。


 身体が浮き上がった。ああ、やっと帰れるんだ。長かった戦いが終わったことが信じられない。白くなる視界、その中でエイトの腰に下がった薄汚い袋が目につく。気付けば、全員が言葉もなくその袋をじっと見つめていた。


 レックが顔を上げる。視線が合うと、奴はにやりと笑ってある一言を発した。






 止まり木の世界についてすぐ、洞窟で一度も放たれなかったソロのギガソードが炸裂したのは言うまでもない。











※「DQ主人公共同戦闘企画」参加作品



20140302