空葬して永眠れ




※Ⅹver6.5までのネタバレ有。


































神は はじめに人間界を創り
そのあとに 天使を創った。
天使の長い寿命や 空を飛ぶつばさ
頭の光輪は 人間たちよりも
すぐれた存在である あかし。
かよわく おろかな人間たちを
守り みちびくため
神より 与えられたものなのだ。
  ──「世界創造」(Ⅸ番/天使界所蔵)











「英雄になりたいなんて、思ったことなかった」
 女は言った。
「大魔王もそうだし、盟友だってそう。自分の意思だけで動くわけにいかない立場につくのは、気が進まなかった」
「そうだな」
 男は答えた。
「でも今だけは、色々あったおかげでここに来れて助かったなって、少し思っちゃった」
「オレもそう思う。ここへ来るまでにもう少し犠牲が少なかったら、さらに良かったんだけどな」
「まったくね」
 二人は揃って、大きく息を吐いた。







 止まり木の世界、憩いの宿屋。
 そのテラスで、二人は向き合っていた。
「今アストルティアにいると、最高に心許ない気分に襲われる時がある」
 男──エックスは額に当てた手で、己が前髪をくしゃりとかき混ぜた。
「故郷なのに、おかしいよな」
「仕方ないわよ。あんなことがあった後だもの」
 女──ミーナが頭を振る。
「アストルティアの母体だった、永久の揺り籠を滅ぼした異界生命体を壊滅させられたとは言え、頼みの綱だった新生神達はフォステイルを除いて全滅。アストルティアのことを創世の頃から知っていそうな天使達は、自分達のルーツすら見失っている。しかもジア・レド・ゲノスの言うことが本当ならば、あたし達の世界には、まだ隠された脅威がある可能性がある。不安要素が多すぎるでしょ」
「不安要素のズッシリゾットって感じだな」
「しかも、あたし達にほぼ打つ手なしってところがもどかしいよね。レンダーシアに行った頃から、何か嫌な予感はしてるんだけど、いまいち核心に迫るものを見つけられてないし」
 ミーナは人差し指で、テーブルをコツコツと叩く。
「いつだってそう。こっちの想定を絶妙に超える脅威がやってくる。あたし達に時間はたっぷりあったはずなのに、それに対して何も備えができてなくて。だから、大切なものを失ってしまう」
「学習できてる気がしないんだよなあ」
 エックスは頭の後ろで手を組み、空を見上げる。
「今回は特に、オレって何してたんだろうなって感じが強いわ」
 敵の本拠地に乗り込んだ仲間達が、率先して力を奮ってくれた。そうして、エックスが気付いた時には、皆力を使い果たし、消えてしまっていた。
「神っていうモノが、創生の力の貯蔵タンクみたいなものだなんて、知らなかったよ。不死なんだと思ってた」
「あたし達は、迅速に蘇生術を施されれば息を吹き返せるものね」
 ミーナが頷く。
「五種族神も、ナドラガ神との戦いで力を使い果たして肉体を失っていた。それも含めて考えるに、アストルティアの神はそういうものなんでしょう」
 ただし、冒険者のように世界へ繋ぎ止めるための楔──冒険の書を持たないから、蘇生は敵わない。力を使い果たせば、神としての仮初の肉体を失う。
「ここにいる天使は、不死かってくらいなんだけどなあ」
「そうだね」
 二人は辺りを見回した。今、あたりに人気はない。
 実のところ、二人は彼らがやって来るのを待っていた。
「天星郷に行く前にここの天使達に会ってたから、アストルティアの天使が元人間だったっていうのも、割と早く納得できたな」
「うん。だって天星郷の天使って、翼が生えてることと血の繋がりを持たないこと以外、普通に人間臭いんだもの」
「そうそう」
 エックスは大きく頷いた。
「ルティアナ神も、天使じゃなくて翼人って名前にしてあげれば良かったのに」
「神話時代の天使達は、自分が人間じゃなくなったことを悲しんでたみたいだものね」
「すすんで人間だった自分達を捨てようとしたから、転生の園から帰ってくる天使達が、ああいう中途半端な天使になっちゃったのかもな」
「それとはまた別に、古フォーリオンがいにしえの大災害に見舞われて、かなりの記録が失われたことも関係ありそうだけど」
「いにしえの大災害って、ジャゴヌバが関わってる事件なのかな」
「天星郷できちんと話を聞いていないから、まだ分からないわね」
「あそこの資料を自由に見られたらなあ」
 エックスは伸びをし、頭の後ろで手を組んだ。
「地上にも言えた話だけど、今の俺達に関係のない本が一切読めないこのシステム、何なんだろう。自由に本を読めたら便利なのにな」
「認識阻害の魔法が掛かってるんだと思う」
 ミーナは顎に手を当て、俯く。
「ほら。冒険者としてレベルを上げていくと、それまで行けなかった場所が行けるようになるでしょ」
「最近で言うと、ヴェリナード領西にクエド丘陵への道が出てきたみたいなヤツか?」
「そう。あの手の幻術が、あたし達の思う以上に、世界の至る所に発現してるんじゃないかしら」
「そうなのか? 一体誰が、何のために?」
 ミーナは肩をすくめる。
「さあ。あたしは知恵の社で、『いずれ時が来れば読めるようになる本もある』って聞いただけだから」
「厄介だな」
 エックスは顔を顰める。
「全部、すぐ読めればいいのに」
「本当にそうか?」
 面白がるような、第三者の声がした。
 二人は階段の方へ振り向いた。
 翡翠の髪を靡かせて、男女が歩み寄って来ていた。
「ソロ、ソフィア。聞いてたのか」
「最後の方だけね」
 ソフィアは了承も得ず、さっさとミーナの隣へ腰かけた。どこか人離れした美しい顔の中で、一対のアメジストが輝いている。
「ここへ来てから、ずーっとテラスにいるね。だから、気になって来ちゃった。楽しそうな話してるじゃん」
「楽しそうな話。またの名を、話しがいのある、やるせねえ話とも言う」
 ソロは、だろ、とエックスとミーナの顔を覗き込む。
「俺らはお前らの世界の聖戦に手を出しちゃいけねえ決まりだ。だが、お前らの話を聞くことくらいはできる」
 何があった。
 そう訊ねる彼は、もう既にエックスの隣を陣取っている。話を聞く気満々らしい。
 エックスとミーナは顔を見合わせた。ややあって、ミーナが天星郷での旅路について語り始めた。
 長かったような、短かったような──未だに終わった気のしない、何とも腑に落ちない旅は、さして時間をかけず言葉にされた。全て聞き終えたソフィアが、開口一番言った。
「ポンコツじゃん」
「何が?」
「アストルティア」
「そんなことは──」
 エックスは反射的に口を開いた。
 しかし、ない、とは言えなかった。否定できるだけの根拠が、思い浮かばなかったのである。
 それでも、エックスは言葉を絞り出した。
「……アストルティアの前身だった永久の揺り籠を襲ったジア・クトの侵略は、物凄いものだったらしい。そのドタバタの中で、ルティアナ神は父親の創生神から創生の力を与えられ、新しい創生神となって、ゆりかごの生物を連れて逃げ出した。追手にも追われていた。アストルティアの土台を造った後、のんびり世界を確立させることもできないまま、すぐ追手との戦いが始まってしまって……やがて、アストルティアの神は肉体を失った」
「末神のグランゼニスを除いてね」
 ミーナが付け足し、かぶりを振る。
「ソフィアの言うことは、正しいかもね。アストルティアは、世界のシステムをまともに確立しないまま、ここまで来てしまった。ルティアナ神の願い通り、様々な生物が豊かに繁栄することこそできたけれど、世界として不完全なのかもしれない」
「そのルティアナって神サマは、本当に創生神なのか?」
 ソロが問う。
「俺達は、創生神ってモンがどうやって生まれるか知らねえ。だが、お前らの話を聞いてると、随分急に神格を上げられたみたいじゃねえか。力を譲られただけで、すぐに全き創生神が出来上がるものなのかね」
「どうなんだろうな」
「世界を創るセオリーなんて、人間風情が知るわけないよね」
 ソフィアが言う。
「けど、あたし達の見聞きしたモノから言わせてもらうと、何事にも完全な生命体はいないんじゃないかなって思うよ。もしいるなら、進化の秘法なんて発想、生まれなくない?」
「悪意や野心のある完全生命体がいるなら、ありえるんじゃないか?」
 現に、アストルティアを侵略しにきたジア・クトはそういう生物だった。
 エックスが言うと、ソロが鼻を鳴らした。
「おめーらの言うその侵略者は、自称するほど完全じゃねえよ」
「何で? そこそこに強かったよ」
「武力や知力ってモンは、性質上完全にはできねえもんだ。完全っていうのは、欠けるところの何一つない充足だ」
 誰の手が無くとも生きられて、自分一人に生命活動の全てが完結している。
 それでこそ完全な生命体なのではないか、とソロは言った。
「そういうもんが、何で他の生物を侵略する必要がある?」
「そうね」
 ミーナが首肯する。
「あたしもソロに同感。ジア・クトは何事にも長けている種族だったようだけれど、ゆりかごの侵略によって変わってしまったと言っていた。それが本当ならば、真の意味で完全な生物ではなかったということになる」
「その理屈で言うなら、眷属や生物を生み出す神様も万能ではないってことになるな」
 エックスが言い、ミーナが話を継ぐ。
「ルティアナ神は経験の浅い創生神──もしくは、不完全な創生神だった。だから、アストルティアも不完全ってことね」
「うん。けど、それだけがアストルティアの仕組みのまずさの原因じゃないよね」
 ソフィアが双眸を眇める。
「そのルティアナ神と一緒に、永久の揺り籠──Ⅸ番の世界からやって来た天使と人間。その関係も、あたしは気になる」
「どうに?」
「お互いがいないとまともに生きられない、脆い関係って感じがして」
「ああ」
 ミーナが大きく頷く。
「そう。そうなの。旧世界の天使と人間のそういうところが、あたしも妙だなって思ってた」
「おやおや。そうなのですか」
 階下から、声がした。
 四人はテラスの端へ顔を向けた。
 テラスの柵の向こう。何もない中空から、ひょこりと二つの顔が覗く。
 あどけなさの残る少年と少女。その頭部には、光で出来た輪がある。
 やっと来た。
 エックスとミーナは俄かに緊張する。
 彼らこそが待ち人──永久の揺り籠で天使だったという、ナインとノインだった。
「盗み聞きか? 行儀が悪ィぞ」
 ソロが茶化すと、少女ノインが申し訳なさそうに眉を下げた。
「結果的にそのような形になってしまったことは、心苦しく思います」
「僕達はここへ来てすぐ、エックスさんとミーナさんが私達を探していたと聞いて、降り立った世界樹から急いで飛んできたのです」
 少年ナインがかぶりを振る。
「盗み聞きするつもりはなかったのです。どうかご理解ください」
 少年少女は、背に負う光の翼を羽ばたかせ、テラスに降り立った。彼らの足が地に着いた途端、光輪と翼は消えた。
 人の姿になった二人のヒト型は、一度を見回した。
「それより、教えていただけますか」
「Ⅸ番の天使と人間のどの辺りが、妙だと感じたのかを」
 四人は目を合わせた。
 躊躇いながら、ミーナが答えた。
「神話時代。ルティアナ神と一緒にアストルティアへ辿り着いた天使レクタリスが、あたしにこう言った」
 永久の揺り籠には、天使と人間が感謝のエネルギーを循環させ合って生きているという、美しい相互関係があった。
 その台詞に、ミーナは引っかかるものを覚えた。 
「美しい生態だというのは、そうね。理解できる。食うか食われるかの相互作用でできている生態系の中で、天使と人間は感謝のエネルギーという精神的な糧を与え合い、共に生きている。でも、代わりとなる存在のいない、かけがえのない相互関係は、そのうちのどちらかだけでも欠ければもう一つも崩壊するという、見目麗しい歪でもある」
 たとえば、植物は虫によって受粉を行い、種を増やして生きていく。虫がいなくなれば、花は他の手段で種を増やそうと変化するだろうが、総数は減るだろう。逆に、花が減れば、食事を失った虫も餓死してしまう。他の何かを食事とすることもできるだろうが、別のものを食べ続けた虫は、きっとそれまでの虫ではない何かに変質する。
「揺り籠の天使と人間の場合、どちらがかがいなくなっても死に絶えはしない。でも、精神的に与え合うものの多い二つの種族は、重度の共依存の状態にある。どちらかを失えば、遺された方は変質せざるを得ない……そこまでは、まあいいわ。問題はここからよ」
 ミーナは元天使達へ、まっすぐな視線を向ける。
「あたしが妙だと感じたのは、天使と人間は、挺身と感謝という心を交わし合っていたにも関わらず、それが生態系的な相互関係から脱さないまま終わったらしいってことよ」
「ちょっと待った」
 ソフィアが片手を挙げた。
「もっと噛み砕いて。熟語がいっぱいだと飲み込めない」
「つまり、こういうことか」
 ソロが腕組みをする。
「アストルティアに最初やってきた揺り籠の世界の天使と人間は、お互いにイイ気持ちで過ごしていた。天使は人間を助けて満足し、人間は助けてくれる天使に感謝して満たされていた。だが、それだけだ。相手に向けられる一部の気持ちをメシにするだけで、それ以外の心の交流が起きなかった」
 ミーナが頷く。ソロは唇の片方を吊り上げた。
「なるほどな。そりゃあ、人間の感覚だと引っかかるわ」
「いや、どういうことだよ」
 エックスが声を上げる。
「レクタリスと人間達は、お互いを思い合ってただろ」
「そうね。でも、しっかり向き合って思いやり合えていたならば、人間達はレクタリスの仕事をもっと支えたでしょうし、レクタリスも遺される人間達に、その後の生き方を伝えても良かったんじゃない?」
「それは……混沌を収めるのに精いっぱいで、お互いに余裕がなかったから」
「うん。お互いに、種の垣根を超えて歩み寄れなかった」
 天使は、人間を死なせてしまう己への失望に囚われていた。
 人間は、ただ慎ましやかに慕っていた。
「謙虚で美しい関係なのは確かね。けれど、生き残るという生物の目的から見ると──身も蓋もない言い方をしてしまうと、世界の生態系の中でも、生産性や進化の乏しい、異様な関係性じゃない?」
 あたしは天使になったことがないから、今から言うことは理想論になってしまうけれど、承知で聴いて。
 ミーナはそう前置いて、続ける。
「もしあたしが人間を導くという使命を与えられた天使ならば、彼らが天使の助けをさして得られない状況になっても、ある程度自力で生きていけるよう、サポートする。かつての世界で旧き天使がどうやって生きていたかや、先人から受け継いだ技術や知識を、彼らに伝える。そして、新しい人間社会の叩き台を作ってから、儀式に望むわ。急に天使にさせられてしまった人間を助けるために、そのくらいしてあげてもいいと思わない?」
 ソロとソフィアは、彼女の話を聞きながら頷いている。
 一方、エックスは彼女の台詞を聞き終えた後、だけどさ、と口を開いた。
「ルティアナ神は、創生の力のぶつかり合いを見守るのが神だって言ってたよな。旧い天使もそういう方針で、自分達がいなくなった後のことは人間達に任せるつもりだったんじゃないのか?」
「その可能性もある」
 ミーナは肩をすくめた。
「だとすると旧天使は、創生神の意向に合わない、矛盾した生物よね。人間達の好きなように生きさせるなら、彼らをわざわざ助けるのは余計な仕事じゃない?」
「それは……」
 エックスは目を丸くした。
「そうかも」
「だから、二人に聞きたかった」
 ミーナは、黙って聞いていた天使達へ目を向けた。
「旧き世界の天使は、一体どんな生き物だったの? 世界に数多いる生き物達の中で、どうして人間だけに固執するの?」
 ナインとノインは、降り立った時から変わらない、ぴんと背筋の伸びた直立不動の姿勢で、彼女の問いを受け止めた。顔にいつもの穏やかな笑みを湛え、見つめ返す。
「まず、お断りしておきます。今の僕達は、永久の揺り籠から遊離した存在です」
「霊視や時空転移といった、天使としての能力は持っているものの。あの世界において、私達は天使界から追放された存在です」
「ですから、僕達が話せるのは、僕達が天使界に籍を置いていた頃の情報だけです」
「それでも構いませんか?」
「教えてください」
 ミーナが言うと、双子の天使は頷いた。
「では、旧き天使の成り立ちから」







「マジかよ」
 エックスは呟いた。
「じゃあ、旧い世界の天使は、人間が善い存在だってことを証明するために創られたのか?」
「抽象的な言い方をすると、そうなります」
 ナインが答える。
「具体的に言うならば、女神セレシアを世界樹から神に戻すためでもありました」
「それなら、何でレクタリスがあんなに良い天使像にこだわっていたのか分かるかも」
 ミーナは顎に手を当て、考え込みながら言う。
「レクタリスは、揺り籠の天使の中で、他の天使に生き延びさせられてきた新人だった。それなのに、やっと辿り着いた新天地では、守るべき人間に守られてばかりで、彼らを死なせてしまう。そんな自分を天使失格だと捉え、人間に積極的に働きかけることができなかった……そうね」
 純粋なあの人らしい、とミーナは少し溜め息を吐いた。
「色々納得した。そういうことなら、天星郷の天使が今みたいになったのは必然かな」
「ああ」
 エックスは頭を抱えた。
 ルティアナの手で新しく作り変えられた天使こと人間達は、人間に戻ることを諦め、天使になろうとした。
 そのため、漠然と、自分達を優しく静かに見守っていたレクタリス──実際には、神器を造るために危険のない行動しかできず、己への失望から人間へ干渉する勇気や気力を失い、天使としての責務を果たせなくなった天使──を真似たのだとしたら。
「地道に生きて、天使に助けられて感謝するのが美徳の種族だったなら、世界を深掘りしたり変えようとしたりしないで、地上に不干渉のまま、何千年も変わらない生活を続けてもおかしくないな」
「揺り籠の人間は、私がいた頃には世界の天使の存在すら知らなかったのです」
 ノインが言う。
「彼らは、天使を知覚できませんでしたから」
「しかし、僕達が遠ざかる間に、人間は随分天使に似たようですね」
 ナインが片割れに振る。
「揺り籠の天使の仕事内容こそ伝わらなかったようですが、上位者意識などはそっくりではありませんか」
「ええ、全くです」
 ノインが頷く。
「天空に住んで世界を見下ろすという物質的な条件が、己を上位だと思わせるのでしょうか」
「他に繋がりのある種族がいないことも、関係しているのかもしれません」
「あり得るな」
 エックスが同意した。
「うちの世界にいる竜族も、昔は空に住んでいた。その種族神だったナドラガは、やっぱり上位者意識が強かったな」
 もっとも彼の場合、そんな立場の自分だからこそ、小さき民を自分の手で守るのだと心に決めているところがあった。その過剰な支配にも繋がる癖が、自分の種族を苦しめることも多かったが、同時に、アストルティアの現在に至るまででもトップクラスのノブリスオブリージュをもたらしている側面もあった。
「うちの天空人も、上位者って感じだったよ」
 ソフィアが言う。
「あと、自称万能クソトカゲもね」
「それ、アンタらの神だろ? だいぶ当たりが強いな」
「加えて、揺り籠の天界は序列の強い世界でした」
 ナインが利き手を横向きにし、話しながら、順に指を立てたり折ったりする。
「創造神こそが絶対の頂点であり、天使の中にも上級、中級、といった階級がありました。下位の天使は、上位の天使に決して逆らえないよう作られていました。その意識が、下界の人間や生物を下位とみなす考えを生み出した可能性があります」
「でも、人間はそれを知らない」
 ミーナが呟く。
「密接な関係にあった旧天使や神がいなくなり、真面目で純朴な元人間達は、従順に元の世界の形を踏襲した。そして、ルティアナ神に遺された、新しい神を選ぶ仕事を黙々とこなすだけの、閉じこもった生物になった──ジャゴヌバが現れてからの天星郷のことを詳しくは知らないから、憶測にすぎないけれど。もしそうだとしたら、可哀想ね」
「怒らねえんだな」
 ソロが片眉を持ち上げた。
「お前らの話だと、そいつらの見通しの詰めが甘かったのもあって、アストルティアの未来ある新しい神サマ達がいなくなっちまったように聞こえたが」
「怒れないわよ」
 ミーナは首を横に振った。
「あたしだって、新生神達に庇ってもらってばかりだった。あたし達を庇ったから、彼らが命を余計に削っちゃったのよ」
 そう褒められた行動をできていない自分に、彼らを糾弾する権利はない。
 彼女の言葉に、エックスも首を縦に振る。
「怒る権利のある存在がいるとしたら、彼らを命懸けで生き延びさせてきた、旧世界の天使くらいじゃないか?」
「私はそうは思いません」
 ノインが口を開いた。
「揺り籠の人間達をそのようにしてしまったのは、他ならぬ旧世界の天使ですから」
「え?」
「私も、ミーナさんの考えに賛同です。揺り籠の天使は、あくまで神の国へ帰るという悲願を叶えるため──人間の感謝のエネルギーを集める目的で、彼らを助けていたのですから。彼らを本当に知ろうとし、その未来を守ろうとしたものが、果たしてどれだけいたのでしょうか」
 それだけではない。
 ノインはそう言って、その場にいる者達を見回した。
「この宿の図書室の、世界参考資料の棚にある、『世界創造』という本を読んだことはありますか?」
 皆、顔を見合わせた。誰もいないのを確認したナインが言う。
「それは何よりです。僕達としても……あの本は、天使界の研究を目的としない方に、あまりお勧めできない本ですから」
「君達が置いた本じゃないのか」
「あの図書館は、かつて僕達が目を通したことのある本が勝手に収蔵されるという、ちょっと特殊な場所なのです」
「便利ね! 後で行ってみようかな」
 身を乗り出したミーナに、ソロが言う。
「あそこの本は、所属する世界の戦いが終わらねーヤツには、閲覧制限がかかるぞ」
「またそれ?」
 ミーナが目を剥いた。
 そんな彼女に、ソフィアが笑いかける。
「いいじゃん。発狂防止措置かもしれないよ?」
「え?」
「その本の書き出しは、こうでした」
 ノインが天を仰ぐ。そして、周囲の会話も構わず、遠い場所を見ようするかのように目を細め、諳んじる。
「『神ははじめに人間界を創り、そのあとに天使を創った。天使の長い寿命や空を飛ぶ翼、頭の光輪は、人間達よりも優れた存在である証。か弱く愚かな人間達を守り、導くため、神より与えられたものなのだ』」
「え、やばくない?」
 ソフィアが口に手を当てた。
「何となく、Ⅸの世界の天使がそういう価値観だったらしいことは知ってたけど。実際に聞くと、『俺らは選ばれし民だぞー』って意識が強すぎて笑えるね」
 ノインが黙って首肯すると、代わってナインが話し始めた。
「そうです。かつての揺り籠の天使の多くに、選民思想がありました」
 勿論、そういう思想を持たない天使もいましたが。
 ナインがかぶりを振る。
「選民思想がなくとも、人間に優越感を持って接していた天使は多かったです。そして、人間を守るのは、人間を大切に思うからではなく、神より仰せつかった天使としての務めであり、選ばれし民のさだめだから、と考えるのが一般的でした」
「そのような思想であっても、人間を良き方向へ導ければよかったのですが」
 元天使達は、沈黙した。エックス達も、黙っていた。
 ややあって、ナインが再び口を開いた。
「……僕達の今話したことは、僕達がいた頃の天使の有りようが、揺り籠の終末まで変わらなかったという前提のもとでのみ成り立つ、仮説です」
「私達が話せるのはここまでです。あくまで特定の条件でのみ成り立つ仮説ですから、誤解の無きよう」
「分かりました。本当に助かりました。ありがとうございます」
 ミーナは礼を言った。
「あたしの、現代の天使の生態についての推測も、まだ仮設の域を出られない。真相を確かめるためには、アストルティアで頑張るしかないわね」
「怖ぇなあ」
 エックスが顔を顰める。
「アストルティア、思ってたよりガタガタだから」
「仕方ないよ。ガタガタでも、あそこはあたし達の世界なんだもの」
 ミーナが肩をすくめた。
「あたしは、この命が終わるまで旅を続けるつもりだけど。あなたはどうする?」
「オレは」
 エックスが答える前に、ソフィアが弾んだ声を上げた。
「いいね~! その調子で命燃やすなら、骨拾って持って来ちゃおっかな」
「持って来るのかよ」 
 ソロが非対称な笑みを浮かべる。ソフィアは上機嫌に頭を軽く振っている。
「そうそう! 終わらない旅が終わったら、この世界を本籍にしちゃえばいいじゃん」
「おめーが決めることじゃねえだろ」
 ソロは天使達を一瞥すると、エックスとミーナへ顔を向けた。
「まあ、俺らが口出しすることじゃねえからな。ただ、分かってると思うが、仮におめーらが一人で自己犠牲しても、世界のシステムは変わんねえ」
 仲間の死に後悔してるなら、そこは忘れねえ方がいいかもな。
 ソロの言葉に、アストルティアの旅人達は頷いた。
「話を聞いてくれて、ありがとう」
「そろそろあっちに戻るよ」
「ええ? もう行くの?」
 残念そうなソフィアに、エックスが詫びる。
「ごめん。やることがあるんだよ」
「また来るから」
 ミーナがそう言うと、ソフィアは手を振った。
「待ってるからね」
「あんまり気張るなよ」
 ソロも、背もたれに上体を預けながら言う。
 二人は、テラスを去っていく。
 その後ろ姿に向かい、天使達が声を掛ける。
「お気をつけて。時空の歪みに、飲み込まれませんよう」
「あなた方の無事を、お祈りしております」
 そして、揃って頭を下げた。







20240323