04 破魔の血統




 セントシュタインより西。二つの平原を乗り越えた先に、ウォルロ村がある。森に囲まれた大きな滝の傍に位置しており、村民達は皆、深い滝壺に満ちる水に似た気性の持ち主で、一見の旅人に対しても、長い友人のように接してくれる。
「じいさん、ありがとうな。また来るぜ!」
「では、ニード。頑張ってくださいね」
「お前が来なければ頑張れるんだよ! 二度と来んな!」
 時刻は正午。村の宿から、一つのパーティーが出てきたところだった。時空を超えて集った一行、レック、ナイン、サンドラ、エイトである。レックは見送りに出た老爺に手を振る。ナインは宿の主人ニードに言葉をかけたが、引きつった顔の彼に突っぱねられた。老爺が「ニード」とだけ名前を呼ぶと、青年はヒィと漏らして白目を剥いた。
 その後、手本のような笑顔で手を振るニードと老爺に見送られ、一行はウォルロ村からルーラでセントシュタインへと戻った。
「あの宿、小さいけどちょっとリッカの宿に似てたね」
「ええ。そもそもはあそこが最初のリッカの宿でしたから。あの場所が、リッカの基本を培ったといっても、過言ではないでしょう」
「あのじいさん、スパルタっぽかった」
「鬼と呼ばれた時期もあったそうよ。おじいさん自身が言ってたわ」
 巨大な城門をくぐり抜ければ、セントシュタインの街並みがいつもの賑わいを見せる。
 しばし四人は無言になる。雑踏に、四人の背負った武器が鳴る音が紛れる。
「ムドーも復活してたな」
「ドルマゲスもね」
 レック、エイトが言う。続けてサンドラも口を開く。
「今日倒したバラモスも、また甦るのかしら」
「手応えとしては、前回戦った時と変わらない印象でした」
 一行は、魔王の洞穴の様子を一通り窺った後、ウォルロ村の傍にあるバラモスの洞窟で、バラモスを倒してきたのだった。ウォルロの元リッカの宿に立ち寄ったのは、魔王の洞窟が影響を及ぼしていないかを確かめるためだったのだが、特に異常は見られなかった。
「本物じゃないけど、倒しても甦る。洞窟から出て何かをしている様子も、存在が世界に影響を及ぼしている様子もない。謎が深まるばっかりだ」
「あのバラモスって奴もそこそこ強かったから、外に出たら余裕で魔物のボスになって、一大勢力を作れそうなのに、何でそうしないんだろうな」
 考え込むが、答えは出ない。サンドラが溜め息を吐く。
「手詰まりね。新しい地図が欲しいわ。ナイン、ノインはどうかしら」
「あれから帰ってきていませんが、明日、報告に来るはずです」
「ノインって誰だ?」
「もう一人いる仲間よ」
 初耳である。驚くレックに、ナインが説明する。
「ノインは、サンドラさんと僕と共にバラモスを倒した後、ムドーの地図に挑むことにした僕達とは別ルートで、他の地図がないか捜索に出ました。成果の有無にかかわらず、明日、宿に帰ってきて報告するという約束になっています」
「どんな人?」
「僕と同じⅨ番の世界の住人で、元天使です」
「それから、ナインにそっくり」
 サンドラの一言に、レックはナインを凝視した。見れば、エイトも同じようにしている。視線を受ける天使は首を傾げている。
「そっくりって、どんな風に?」
 レックはおそるおそる、サンドラに尋ねた。
「顔ではないわね。雰囲気が似てる、言動が似てるって言えばいいのかしら」
「ナインに言動がそっくりな人間なんているの?」
 エイトが言った。失礼ともとれる一言だが、当の本人は気にする風もなく答える。
「います。ノインは僕の、魂の双子ですから」
「何それ」
「世界軸に合わせて、似たような世界が複数存在する話はしましたね。その中でも特に、ほぼぴったり重なり合うようにして存在する二つの世界を、双子世界と呼びます。双子世界は全てのものがそっくり同じように存在するか、もしくは正反対の様相を持っています。この全てのものにはもちろん、生物も含まれます。その中で、特に同調性の高い、同じ星の守護の下に生まれ、同じ運命を辿る存在を、運命の双子、もしくは魂の双子と呼びます」
 ナインは自分の胸に片手を当てた。
「僕とノインはほぼ同じ霊性を持ち、よく似た出来事を経験しました。お互い守護天使から人間になり、名前姿形共に同じ師匠を持ち、女神の果実を求める旅を経て、堕ちた天使と戦いました。これが、魂の双子の特徴です」
「うーん?」
 エイトはいまいち分かりづらそうだ。レックも、自分が分裂したことこそあるが、自分とそっくりな別人がいたことはないので、分かるような気も、分からないような気もする。
「まあ、魂の双子って滅多にいないし、よく分からなくても問題ないと思う。要は、もう一人ナインみたいなのがいるのよ。一度会ってみることね」
「ですがサンドラさん。僕とノインは霊性こそほぼ同じですが、思考と性格と身体機能は真逆で、似ていないと思います」
「中身はともかく、見た目はそっくりよ」
 ナインは首を捻っている。もっと分からない。
「明日を楽しみにしろってことだな!」
「そうよ」
 レックの思い切りのいい結論に、エイトが笑う。
 細まった目は正面に向いた途端、すぐに丸くなった。
「あれ。宿の前に、人だかりができてるよ」
「お、本当だな。祭りか?」
「そんなわけないでしょ。聞こえてくる声をよく聞きなさいよ」
 サンドラの言う通りで、リッカの宿の前にできた人垣の向こうから聞こえる声は、穏やかとは言いがたい気配である。罵声とはいかないまでも、憤りに溢れた声は、常ならばのどかな広場の雰囲気を、張り詰めたものに変えていた。
「お前がちゃんと敵を引きつけられなかったから、クエストが達成できなかったんだよッ!」
「てめえこそ、攻撃がまともに入ってなかったじゃねえか!」
 レック達は人垣の後ろにつき、前の様子を窺う。中心となっているのは、四人組のパーティーのようだった。戦士らしき鎧姿の男と、武道着の男が言い争っており、その傍で魔法使いと僧侶が立ち尽くしている。
「なんだ。ただの喧嘩か」
「あの程度なら好きにやらせてあげればいいのに、何でこんなに野次馬がいるんだろうね」
「手元を見れば分かるわ」
 拍子抜けした風のレックと、不思議そうなエイトに、サンドラが教える。言われて見てみると、戦士は抜き身の剣を手にしており、武闘家も爪を構えていた。レックは額を押さえる。
「あっちゃー、素面で流血沙汰かあ。熱くなってるなー」
「酷くなれば警吏が来ますけど、その前に従業員として僕が止めましょうか?」
 ナインは武器も構えぬまま、進み出ようとする。その前へ片手を出して、エイトが止めた。
「いや、案外大丈夫じゃないかな」
「本当?」
「俺の知ってる兄弟なんて、仲が悪すぎてお互いメラゾーマしたり、真剣で斬ったりしてたけど、死ななかったよ。好きなだけ喧嘩した後はほどほどに和解したから、喧嘩したいなら、やらせてあげてもいいんじゃないかな」
「そういえば俺の仲間の姉弟も、モンスターバトルでテッペンかけてガチの決闘したり、普通に斬ったり焼いたり凍らせたりしあったけど、仲良しだな」
「貴方達、意外と修羅場をくぐってきてるのね」
 うんうんと頷く青年達を、サンドラは若干引いた目で見る。
「でも、貴方達の仲間は高レベルの冒険者だろうから、簡単には死ななかったかもしれないけど、あの冒険者たちは見たところ一般人で──」
 悲鳴が上がった。
 話をしていた三人は前方を向く。戦士と武闘家は、ついに戦いを始めていた。振り抜いた戦士の剣先が、武闘家の首筋をとらえたようで、武道着の片側に血が大きく染み込み始めていた。
「あの傷の浅さでしたら、すぐに命にかかわることはありません。ですが、確実に太い動脈が傷ついています。あまり長期戦はオススメできませんね」
 ずっと見ていたらしいナインが解説する。
 それでも武闘家は、殴りに行くのをやめない。戦士が振り回した武器の重みによろめいた隙を見て、顎にアッパーを加える。戦士が仰向けにどうと倒れ込み、野次馬がどよめいた。
「ちょっと、やめてよ!」
 仲間らしき魔法使いの女が叫び、戦士の前に立ち塞がった。
「うまくいかなかったものはしかたないじゃない! お金がないのも、どこか酒場で雇ってもらって、しばらく稼げば良いでしょ。何も、そんなにイライラしなくたって」
「うるせえなあッ」
 僧侶が再び悲鳴を上げた。倒れていた戦士が起き上がり、魔法使いを剣の腹で殴ったのだ。
「いつも俺達の後ろに隠れてる奴が、偉そうに言うなよ。ちょっと魔法ができるからって、あれこれ指示出しやがる。いい気になるな」
 倒れた魔女に、戦士が吐き捨てる。
 引っ込んでろ、と言った武闘家が、再び爪を構える。
「これは、当事者だけに任せてたら駄目そうだね」
「いっちょやるか」
 エイトが腕まくりをし、レックがその場で軽く跳ねる。
 いざ乗り出そうとしたところ、人混みの向こうに、一本、手が挙がった。
「取り込み中、すまない。口を挟んでもいいだろうか」
 揺るぎなく芯の通った声は、もう一度剣と拳を交えようとしていた男達を止めた。
 振り返る人々の動きで垣根が割れ、手の持ち主が露わになった。橙のアンダースーツ、黒色のフルアーマーの男である。彼は赤いマントを靡かせて前へ出ると、血走った目で睨む武闘家達の間に立った。
「失礼だが、この戦いはどこを目指してなされているものなのだろうか」
「は?」
「戦いを生業とする者にとって、戦いというのは無為に行うものではないはず。兵士は主君の望みを叶えることを第一に戦い、雇われ戦士は雇い主の意向に従って戦うものだろう」
 レックは目を瞠った。彼は堂々たる体躯の持ち主だった。ぴたりとしたスーツに、鍛え抜かれた筋肉のすじが浮き上がっている。加えて、兜の左右に立った大きな二本の角が妙に威圧的で、その下の凜々しい太い金の眉を吊り上げて青い眼で睨まれると、戦士達は一歩引いた。
「まして、誰にも追従せず、戦いの道を究めんとする武人ならば、いたずらに剣を抜くことも、守るべき仲間を傷つけることもしないはずだ。貴殿らは、何を目指してこのようなことをしているのだろうか」
「もー、勘弁してくださいよ」
 角兜の男は振り返った。彼の通ってきた道を辿るようにして、別の青年がやって来ていた。黒のアンタースーツと肌を除いて、全身が青い。スーツの上のチュニックも、頭巾も、その上に装着したゴーグルも、目の覚めるような青だった。それだけに、色素の薄い白眉と、厚い氷を思わせる色の瞳が、浮き上がって見えた。
「すいませんね。この人、一人旅ばっかりしてきたから、パーティー事情に疎いんですよ」
 立ち尽くした二人と、倒れた魔女、彼女に寄り添う僧侶に手を振り、青年は鎧の男を見上げた。
「世間の戦う人間の全員が全員、はっきりとした目的を持ってるとは限らないじゃないですか。生きるために仕方なく戦闘業をやってる人だっているんですよ。この人達だって」
 ここで、ゴーグルが戦士達の方を向いた。
「嫌々チーム組んで、戦ってるんでしょう? そうでなければ、どうして仲間を傷つけたり、自分のことを棚に上げて、仲間のできなかったことを責めたりできるもんか。なあ?」
 青年が身体の向きを変え、こちらに背中を向ける。
 息を飲む音がした。隣を見ると、サンドラが驚いたような顔をしている。レックは彼女の視線の先を追ってみたが、何も大きな変化は見当たらない。精々、割り入った男達の身につけた揃いの剣が光を反射して、眩しいくらいだ。
「アンタらに何があったか、知りませんよ。でも、俺たちでよければ話くらいは聞けます」
 それとも。
 青年は言葉を切り、自身の両拳を打ち合わせた。革のぶつかり合う乾いた音が、空気を引き締める。
「八つ当たりする相手に、なってやろうか。仲間を傷つける奴なんて、パーティー組むならまっぴら御免だが、戦う相手としては大歓迎だぜ」
 彼の顔は見えない。しかし発した声が、かすかに笑いを含んでいる。
「どうだ。え? 武器を持たねえ人間に手を上げる卑怯者だもんな。武器持ってる相手じゃあ、自信がなくて戦えねえか」
 先程までの親切な調子から一転、明らかに挑発しにかかっている。
 ひるんでいた戦士達の顔が、再び紅潮する。
「上等だ」
「どうなっても知らねえぞ!」
 戦士も武闘家も、獲物を構える。割り込んだ男達は、横並びになったまま、周囲に目を向けた。
「みんな、下がってくれ」
「君たちも退くんだ。なんなら、逃げたっていい。私たちが彼らの目を覚まそう」
 ゴーグルが全体に向けて声を張り上げ、角兜が傍にいた魔法職の女達に声をかける。
 周りを囲んでいた人の円が、一回り大きく、遠くなる。その中心で、二組の二人組は、互いの距離を測り合う。
「面白そうな展開になってきましたね」
「もうちょっと前に行こうぜ!」
「すみません。何かあったら僕達が壁になりますので、通していただけますか」
 興味津々のナインとレックが身を乗り出す前に、エイトが周囲に声をかけて協力を願う。彼らの背に負う使用感のある獲物を見て、人々はすぐに位置を変わった。さっさと最前列に陣取るレックとナイン、人々に会釈しながらその横につくエイトの後、溜め息を吐きながらサンドラが最後に続く。
 一方、外野になど一瞥もくれず、謎の被り物コンビは獲物をかまえる戦士と武闘家を見据えたまま会話している。
「剣を使う者同士、拳を使う者同士で戦えばいいですかね」
「そうだな。だがそれよりまず、戦いを申し込んだなら、名乗るのが礼儀じゃないか?」
「それは決闘です。ただの喧嘩なんだから、礼儀より勢いが大事なんです。相手が全力出すまで、決着はつけないでくださいよ」
「む。そうか」
 角兜が一歩前に出て、剣の柄に手をかけた。ゴーグルが逆手で招いた。
「さあ、遠慮せずかかって来いよ」
 対峙する戦士達が動き出した。
 まず武闘家が駆けてくる。角兜の前に、ゴーグルが立ちはだかる。
「お前の相手は、俺だ」
 背中の剣を抜かぬまま、繰り出される拳を腕で払いのける。右の拳、左の拳、蹴り。繰り出しても軽い仕草でいなされてしまうので、武闘家の攻撃は加速する。
 次いで戦士も角兜に挑む。剣を頭めがけて振り下ろすが、すんなり躱されてしまう。どう斬り込んでも、傷をつけられない。振っても振っても一向に成果が出ず、息だけが上がる。
「どうした。もういいのか」
 荒く肩を上下させ、ついには立ち止まってしまった戦士に、表情を変えない角兜が問う。戦士は舌打ちするが、何も言い返さない。
「煽るなぁ」
「本人に煽ってる気がなさそうなところが、余計腹立たしいだろうね」
 レックとエイトは感想を交わす。
 戦士も武闘家も、まともな攻撃をできないまま、ただ時間だけが過ぎていく。
 武闘家のやたらと繰り出される拳を避けていたゴーグルが、動きを止めた。レックは身を乗り出す。
「うぉぉっ!」
 吠えた武闘家が、気合いの入った拳で、ゴーグルの腹を突いた。にやりとした彼はしかし、すぐに驚愕の色に染まる。
 青い戦士はびくとしなかった。二本の足をしっかと踏ん張り、自分の腹に当てられた拳を見下ろし、鼻を鳴らした。
「歯、食いしばっとけよ」
 一言の後、青い拳が武闘家の腹にめり込んだ。武闘家は吹き飛び、離れて見守っていた人垣の手前で石畳に落下した。大きく咳き込んだ後、武闘家は仰向けのまま動かなくなる。
 一部始終を唖然として見ていた戦士が、はっとして己の相手を見た。角兜の手が、腰に帯びた剣に向かっていた。
「そろそろ、いいか。次を最後にしよう」
 柄を握ったまま、動かない。相手の攻撃を待っているのだ。
 戦士は剣を正面で構える。しかし、向けた剣先は小刻みに震え、足も踏み出しては引っ込めてを繰り返している。角兜の男は、片眉を上げた。
「来ないのか? なら、俺からいくぞ」
 摺り足で一歩、距離を詰める。
 瞬間。滑るように肉薄しながら剣を鞘から放つ。一筋の光を描いた白銀。その軌跡の途中で、戦士は音もなく崩れ落ちていた。
 観衆がどよめいている。死んだのか、何が起きたんだなど。そういう声が聞こえるところをみると、彼の業を見て取れなかったらしい。
「血、出てないよな」
 レックは目の上に手を翳し、倒れた戦士の様子を窺う。エイトは頷く。
「斬ったように見えたけど、斬ってない。形だけだね」
「柄の尻で叩いて、転倒させただけです」
 剣を使って倒されたように見えるあたり、情けをかけられたのだろう。
「ほら、終わりだぜ。帰った帰った」
 武闘家をかついできたゴーグルが、野次馬たちを片手で払う。彼に笑いかけられると、人々は引き潮のように素早く退いていった。レックたちも邪魔になると悪いので、リッカの宿の脇にある植木で、男達の場所にほど近い場所の影に隠れ、様子を窺うことにした。
 喧嘩した男達は、横に並べられた。石畳の上に座り、気まずげに俯く彼らの前に、ゴーグルがしゃがみ込む。
「気は晴れたか」
「…………」
「言わないと、分かんねえよ」
 促すと、やっと武闘家が口を開いた。
「晴れねえ。だが、頭は冷えた」
「ならいい」
 ゴーグルはにかっと笑った。次いで、兜が問う。
「何でこんなことになったんだ?」
 戦士と武闘家は、かわるがわるぽつぽつと語った。冒険者として世界中を巡る夢を抱き、仲間達と旅立ったこと。しかし、戦闘も生活も思うようにいかないことが多く、嫌になってきていたこと。路銀も尽きてきて、金策のために気の進まない仕事も受けるようになったこと。鬱憤が溜まり、喧嘩になったこと。
 全てを聞き終えた被り物の男達は、顔を見合わせた。
「俺もそういうこと、あったなあ。仲間が戦闘で死んで、復活させるにも金が無くて、っていうの、何度も繰り返した。何か、ありました?」
「死ぬくらいならばなんてことないんだが、死ぬ度に王の面前で復活して、情けないとお叱りを受けるのが辛かったな。そうならないために、随分工夫した記憶がある」
「ってことだから、あんまりできないことがあってもさらっと流して、次の手を考えるくらいがいいんじゃないか」
 青いグローブを嵌めた手が、男達の肩を叩いた。
「それでも気になるんなら、今みたいに喧嘩したらどうだ? けど、人前じゃあだめだ。誰もいないところで、ひのきの棒でも使って殴り合うのがいい。そうしても気が晴れなくて、でも身体を動かす気がしなくなったなら、今度は考えるんだ。今自分に戦う必要はあるのか。別にそうする必要はないんじゃないか。必要がないならば、そんなのやめちまえばいい。力がある者、強い者はもてはやされるが、一時だ。時間が経てば衰える。そうなると勢いがある時にした無茶が、反動として一気にのしかかってくる。戦いなんて、しないで生きるのにこしたことはない。多少周りから弱く見られても、いいだろ。強い弱い、勝った負けただけが全てじゃねえんだから」
「諦めきれなかったら?」
 戦士が聞いた。ゴーグルは口元から笑みを消した。
「諦められないなら腹を括って、歯を食いしばって耐えるしかない。自分が望んだことだ。満足するまで、やれるだけやればいい」
「……アンタらは、そうやって強くなったのか」
「そうだな。強いかどうかはともかく、少しは強くなりたいと願ってきた」
 ゴーグルは立ち上がった。そして、道具袋から薬草を取り出し、二人分放ってよこす。
「早く飯食って、身体休ませろよ。アンタら、ガッツはあるみたいだが、不摂生してるだろ。身体の動きに精彩が欠けてるぜ。それと」
 顎で、あちらをしゃくってみせる。野次馬も失せ、がらんとした広場の片隅で、魔法使いと僧侶がこちらを窺っていた。
「またパーティーを組みたいと思うなら、もうどんな時でも仲間に手を上げるなよ。アンタらが巡りたい世界は、ヒトが一人きりで生き延びるには広すぎる。他の人間と手を組んで、やっとお互いに生き残れるんだから、大事にすることだ」
「悪かった」
 戦士が、武闘家にむかって頭を下げた。武闘家も頭を掻き、俺も悪かったよと告げる。
 頷く角兜とゴーグルの前に、戦士達は手を差し出した。
「ありがとう。もう一度、よく話し合ってみる」
「おう、そうしろ」
「俺たちでよければ、また会うことがあったら、力になろう」
 両者はかたく手を握り合い、別れた。戦士と武闘家は、仲間達のもとへ駆け寄っていった。
「大丈夫かしら」
「あの感じなら、大丈夫だろ」
 駆けていった二人の男達は、勢いよく頭を下げてすぐ、魔法使いに杖で殴られた。しかし、気遣わしげに二人の傷を癒やす僧侶にもう怯えはなかったし、魔法使いも微笑んでいた。その後、セントシュタイン城下町の中心に向かって去って行く四人の顔には、穏やかな笑みがあった。
「いやあ、いい話だった」
「あの人達、また良い旅ができるといいね」
 レックとエイトが話していると、サンドラが茂みから抜け出した。そのまま、まだ宿の前で佇んでいる二人の男の前に、進んでいく。
「サンドラ、どうしたの?」
 ついていこうとしたエイトを、ナインが制した。レックが尋ねる。
「どうしたんだよ」
「一度、水入らずのところを見てみたいと思いませんか」
「何が?」
 問いかけに、ナインは指さしで応えた。指した先には、先程の被り物コンビと、サンドラの姿がある。レックは首を傾げていたが、エイトは声を上げた。
「あ。三人とも、同じ剣を使ってるんだね」
 言う通りで、サンドラの背、角兜の男の左腰、ゴーグルの青年の背には、同じ意匠の剣が収まっていた。中心に紅玉を嵌めてある、鳥らしきレリーフが、柄に施されている。
「あれはロトの剣。オリハルコンを鍛えて造られた、この世界でも稀少な剣です」
「へえ! じゃあアイツらも、結構な冒険者なんだな」
「別名を不死鳥の剣と言い、神霊と不死鳥に認められた勇者しか扱えない伝説の剣だと伝えられています」
 レックは気付いた。
「じゃあ、アイツらって」
「貴方達。この世界の人間じゃないわね」
 サンドラの声が聞こえてきた。
 二人の冒険者は、突如現れた少年のような者を訝しげに見る。しかしその背に負った剣を認めた途端、彼らの表情が変わった。
「その剣、本物か?」
「誰だ、アンタ」
 兜の男は愕然としている。ゴーグルの方は、身構えた。
 サンドラは答える。
「私はアリアハンの勇者アレクサンドラ。魔王バラモスを討ち、竜の女王の請願を受け、アレフガルドの闇を絶ち、光をもたらした者。ラダトーム国王ラルス一世より賜った称号は、勇者ロト」
 確か、そんなような話もしていたな。
 うろ覚えの記憶を呼び覚ましていたレックは、眼前の光景の変化にはっとした。
 二人の戦士が剣を抜き、刃を地に向けて構えたのだ。
「私はアレフガルドのアレフレッド。ラダトーム国王ラルス十三世の御代において、闇の王竜王を絶ち、光を取り戻した褒美に、ロトの称号を賜りました」
 角兜の戦士、アレフレッドが言う。
「私はローレシアのアレン。竜殺しのロトの志を継ぐローレシア王国の王子として、サマルトリア、ムーンブルクのロトの子孫と共に、破壊神を倒しました」
 ゴーグルの戦士、アレンが言う。
 サンドラは剣を抜き、同じように剣を地に向けた。三人の剣が触れ合う。途端、鳥の嘶きに似た澄んだ音色が、空高く響き渡った。
 レックは我が身を抱いた。ぞくぞくする。悪寒ではない。どちらかというと熱く燃えたぎるようなこの感覚は、何だ。
「ナイン、何あれ」
 エイトも同じらしい。米神に手を当て、傍らで目を輝かせる天使に尋ねる。
「初めて見ましたが違いありません。あれは、ロトの共鳴です。同じ霊性を持つロトの人間とオリハルコンがそろった時、共鳴が生まれるのです」
「どういうことだよ」
「サンドラさん、アレフレッドさん、アレンさんは、同じ血を分け合う一族なのです。つまり千年以上もの歳月を超えて、本来出会うはずのない、三代の先祖と子孫が出会った、と」
「そうか。時空を超えれば、そういうことも起こるのか」
 レックが呟く。
 ロトの勇者達は剣を収めた。サンドラは目を眇め、微笑んだ。
「精霊ルビスの加護を受けた我が血脈が後の世まで続き、魔を払う使命を果たしてくれていること、嬉しく思います。あとはもう一人、私の魂の双子がそろえば完璧なのだけれど」
「他にも、俺たちの祖先が来るのですか」
 アレンが不思議そうに問うた。
「そのはずよ。複雑な話だけど、貴方達の世界は元々二つに別れていたの。双子世界と言ってね。それぞれに男と女のロトが一人ずついた。私の世界が陰、もう一人のロトの世界が陽の属性を持ち、同じ位相に、同じような形の、別のものとして存在していた。私達の死後、二つの世界は次第に一つに収束し、貴方達の世界になった。だから貴方達には、二つの先祖の起源があるのよ。恐らく貴方の時代には、私じゃないロトの伝説が、形として伝わっているでしょう」
「はい」
 アレフレッドが首肯する。
「俺の家にあったロトの伝記は、読む限り、男のもののようでした」
「その男ロトが、私の魂の双子で、貴方達の肉体の祖となった人物よ。時が来れば、彼がこの世界にやって来るでしょう」
「お二人とも-!」
 そこへ、全くの第三者の声が響いた。少女のもののようである。
 アレフレッドとアレンが、天を仰いで刮目した。
「まずい」
「ご先祖様、避けてください!」
 サンドラが上を見るのと同時に、レック達も空を仰いだ。
 燦然と輝く碧空を背に、堂々と聳え立つリッカの宿。その、十番目の最上階から、小柄な影が飛び出してきた。
 影は、綺麗な放物線を描いて着地した。同時に、地面が大きく震え、ズンと重たい振動が腹の底に響いた。小ささからは信じられない反動である。思わずよろけたレックを、ナインが支える。
「今度は何なんだ」
 膝をついたエイトが顔を上げて、絶句した。レックも彼と同じものを見て、何も言えなくなった。
 宿前の広場、ロトの戦士達の中央に、小柄な影の正体が立っていた。桃色のおかっぱ頭に、愛らしいふっくらとした頬、大ぶりな青い瞳の美少女である。
 その足下に、大きな亀裂が走っていた。
「石畳が割れてる……」
「あの軽そうな女の子が降りてきたのに? え、どういうこと?」
 エイトは放心し、レックは混乱している。しかし少女は足下を見て、またやっちゃったと言っただけで、すぐロトの男達の方へ顔を動かした。
「もう、こんなところにいたんですか。探しましたよ」
「探してたにしても、もう少し降り方があるだろ」
 アレンが言った。顔が、心なしかげんなりしている。
「あんな降り方されたら心臓に悪いだろうが! もう少し人間らしい降り方をしろよ」
「でも私、頑丈なので──」
「ノイン」
 最後の呼びかけは、アレンではない。
 少女が肩を跳ね上げ、上半身だけを捻って振り返る。ナインが茂みから出て、歩み寄っていくところだった。
「また、物を壊しましたね」
「ごめんなさい、ナイン」
「いくら直せるからと言っても」
「人間の皆さんを驚かせるのはよろしくない」
「そういうことです」
「上手くいくと思ったんですけど、力のコントロールが──」
「利かないのは分かっています」
「練習を──」
「するならば別の方法にしましょう」
 少年は少女を石畳から引っこ抜き、石畳をつま先でコツコツと叩いた。すると、粉塵となっていた足下が、みるみるうちにもとの幾何学的な模様を取り戻していく。
「レックさん、エイトさん、こちらへ」
 ナインの誘うまま、宿の前へと戻る。少年少女を中心として、五人がいびつな円をを描く。ナインが少女を指した。
「紹介します。僕の片割れ、ノインです」
「レックさん、エイトさん、初めまして。私がノインです」
 少女は頭を下げる。レックとエイトが応じると、彼女はくるりと回って、ナインをアレフレッドとアレンに指してみせる。
「紹介します。私の片割れ、ナインです」
「アレフさん、アレンさん、初めまして。僕がナインです」
 少年が頭を下げる。アレフレッドとアレフが応じると、彼はくるりと回って、ノインと向き合った。二人は両手を繋ぎ、俯く。
「星々の記憶を繋ぎましょう」
 コツリと額を合わせると、二人の頭上にそれぞれ光輪が浮かび、背中に半透明の翼が生えた。二つの光輪が一つになり、大きく広がって二人を包み込んだ。さながら光の繭のようである。
 レックは周囲を窺うが、通りすがる人間の誰も気にする素振りがない。
(そういえば、天使は普通人間に見えないって、ナインが言ってたな。これも天使の力だから、見えないのか?)
 考える間に、光は収まった。天使達は目と目を合わせて頷くと、自分たちを囲んでいた戦士らを見回した。
「行きましょう」
「今後の話をします」
 交互に話した。
 天使達は先立って歩き、リッカの宿に入っていく。その後にサンドラが、ロトの子孫達が続き、しんがりにレックとエイトがついた。
「急に色々起こって、よく分からないんだが」
 エイトは黙ってこちらを向いた。レックは言う。
「一個だけ、よく分かったわ。確かにあの、真面目なのにどこかぶっ飛んだ感じは、ナインにそっくりだな」
 エイトは大きく頷いた。






▶︎▶︎▶︎



 VIPルームに通された七人は、双子の天使を中心として机を囲んだ。
「私はナインとサンドラさんと別れた後、クエストをこなして三枚の地図を手に入れました」
 ノインは卓上に三枚の地図を置いた。それぞれ、「竜王の地図」「シドーの地図」「エスタークの地図」と記してある。
「三枚そろってから、ゆかりある勇者の皆さんをお呼びして、助力を仰ぎました。ご助言いただいて検証した結果、本物である可能性が高そうなものから、討伐に向かいました。うち、シドーとエスタークは討伐しました。ですがどちらも偽者で、新しい地図はドロップしませんでした。
「残るは竜王の地図だけです。グレイナル様からいただいた地図ですから、さらなる展開をもたらしてくれる可能性は高いものと思われます」
「竜王は俺の宿敵だ」
 アレフが口を開いた。
「だからこそソイツが偽者であると断言できる。これまで戦った敵は偽者だということだったが、それでも元の世界にいたものと比べてもかなり強力なようだった。対策は必須だろう」
「偽者といえど、大方は元となった世界とよく似た特技を使っていました」
「竜王の特徴を教えていただけますか」
 ナイン、ノインが言う。
 アレフは顎に手を当てる。
「まず、竜王には二つの姿がある。一つはヒトを模した竜人の姿。もう一つは、真の姿であるという巨大な竜の姿だ。どちらの姿の時も共通して言えることは、呪文が効きづらいということだ。補助呪文も、攻撃呪文もいまいち手応えが良くなかった」
「ならば打撃だけで攻めるしかないということですか」
「それも中途半端な攻撃力ではダメだ。奴は恐ろしく硬い。強い力で良い武器を使って攻めないと、まともに一撃を与えることすら難しい」
 その後、二人の天使は交互にアレフに質問を重ねていった。竜王の使用する特技、攻撃パターン、形態ごとの戦法の違い。
 その結果、竜王は攻撃パターンこそ少ないが打撃力と守備力が非常に高く、さらに呪文封じの術を持つボスであることが判明した。
「シンプルに嫌だな」
 レックは顔をしかめた。アレンが頭を軽く傾ける。
「でも、要はしぶとく生き残ってずっとダメージを与え続ければいいんだろ? 正々堂々で、戦い甲斐があっていいじゃねえか」
「マホトーンを使う相手だぞ? 正々堂々かよ」
「呪文を使えない俺には関係ねえな」
 アレンは片手を挙げた。
「パーティーメンバーに志願していいか。肉弾戦なら負けない自信があるぜ」
 次いでアレフも手を挙げた。
「俺も行こう。竜王と戦ったのは俺だ。それに、敵とは言え竜王は気高い戦士だった。彼を騙る者が他の世界でのさばっているのは、気にくわない」
「攻撃役として無難なんじゃないかしら。どう?」
 サンドラが天使達に問う。二人は顔を見合わせ、頷く。
「そうですね」
 ノインが言う。
「理に適っています」
 ナインが言う。
「あとは回復役と補助役ですね」
「盾役もいた方が無難では?」
「ならば適職は?」
「パラディンと魔法戦士」
「適合するのは私達です」
「いかがでしょう?」
 天使が全員を見回した。ナインが左回りに、ノインが右回りに、全く同じ速度で首を回し、最後に対面にいたレックに二対の瞳が辿り着く。思わず身じろぎした。
「何でそんなに動作を揃えるんだよ」
「揃えているわけではありません」
「自然と揃うのです」
「同じ霊性を持つ魂は」
「自然と同調するもの」
 天使達は全く同じタイミングで互いの目を合わし、頷き合う。熟達した旅芸人一座の芝居でも見ているようである。
「で、いかがでしょう?」
「私達にお任せくださいますか?」
「俺はもちろんいいよ」
 エイトが返事をする。レックも首肯した。
「魔王の様子を見れないのは残念だけど、仕方ないな。待ってるぜ」
「別パーティーでついて来て様子を見たらいかがですか?」
「え?」
 ノインの提案に、レックは目を剥いた。
「そんな、必死に戦ってるのに、呑気に見学なんかしてていいのかよ」
「構わないでしょう。ねえ、ナイン」
「ええ、ノイン。全滅しかけた際に助けてくだされば、結構です」
 残り二人を仰ぐ。アレフは問題ないと返し、アレンも親指を立てた。
「見られながら戦うのには慣れてるからな。代わりに、お前が戦ってるところもあとで見せてくれるなら全く構わないぜ」
「本当か!」
 レックは破顔した。魔王が気になると言ったが、実を言うとこの二人のステータスも気になっていたのだ。先程の街中での戦いぶりだけでこの二人の実力が測りきれたとは、とてもではないが思えなかった。
「じゃあ俺も行きたい」
 エイトも申し出てすぐに許可を得る。ノインが残る一人へ顔を向けた。
「サンドラさんはどうなさいますか?」
「行こうかな」
 そういう次第で、パーティーと見学者三人は竜王討伐に向かうことになった。



 戦いのために転職してくるという天使コンビを待つ間、一同は一度解散した。再集合の時間まですることのないレックは、腹ごしらえがしたいというアレフとアレンと共に酒場へ行くことにした。
 時間帯によって酒場の混雑具合と集まる人間の様子は変わる。午後は明日以降の仲間を探す者、今夜の仕事に備えている者、仕事を終えて一服つく者が多い。
 旅に出向く者、旅を終えた者が半々の場で、レック達は小さめの卓を取り、思い思いの注文をする。
 レックは既にウォルロの宿で食事を摂ってきたので、ローストビーフバーガーを頼んだ。ローストビーフをしっかりくわえ込むカエルの顔をしたパテが面白いので気に入っている。
 バーガーについてきたポテトを囓りつつ、卓上に次々運ばれてくる料理を眺める。
 七面鳥のもも肉のローストを棍棒状に仕立てた一品「ギガンテスの棍棒」、生ハムのやわくなめらかな質感と塊の巨大さがウリの「ドラゴンの右腕」がそれぞれ六本。
 爆弾岩の火の玉コロッケが山となって積まれたサラダの大皿。
 紅葉おろしをスライムベスの群れに成形し、彼らの闊歩する広い大地に見立てられた特大ハンバーグが二枚。
 ミミックが虐殺されたとしか思えない量の舌の燻製。
 これほどの注文だと卓上から料理が溢れてしまいそうなものだが、アレフとアレンの猛烈な食べっぷりを前にすれば杞憂に過ぎない。彼らは新しい一品が運ばれてくる頃には、その前に来た料理を既に平らげてしまうのである。
 最終的には、追加注文された唐揚げの山盛りが運ばれてくる頃になると、周囲の視線が六度目にやってきた肉の山と、それを平らげようとする二人の戦士を往復するようになった。
「ここの飯は旨いな」
「質、量、接客、コストパフォーマンス、どれにおいても素晴らしい」
 おまけに食べながら会話する余裕がある。
 レックは感心するしかない。仲間にも大食漢はいたが、それに負けず劣らずの食べっぷりである。
「酒も美味しいぞ。二人は飲めるのか?」
「それなりには。討伐を終えたらいただいてみるか」
「はい」
 アレフの提案にアレンが応じる。先祖と子孫だという二人は、言われてみれば似た雰囲気がある。太くきりりと引き締まった眉や目もとだけでなく、日に焼けた肌の質感にも同じ血の流れを感じられた。
「二人の間には、何代差があるんだ?」
「三代だ」
 即答したのはアレンだった。アレフは感心したような声を上げる。
「よく分かるな」
「当り前です。俺は、貴方ら始まった国の流れを知らなければおかしい立場ですから」
「アレンも王子だったよな」
「ああ。破壊神を倒した後すぐ王に即位したけど、実際は王子だった頃とあんまり変わりない」
「王様なの!?」
「そうだ」
 アレンは肯定した。
「国王、宰相、大臣のスリートップの判断には、誰も逆らえないだろ。こっちは死闘を繰り広げてきたばっかりだっていうのに、さっさと戴冠式をさせられたよ」
「俺の頃に作った規則に、不足があったんだろうか」
 眉根を寄せ、アレフは考え込むような風情を見せる。しかしアレンは笑って手を横に振った。
「いや、そういうわけじゃないんですよ。そうした方が良い理由が三つあったんです」
「何だ」
「一つ目はもちろん、俺の功績への褒賞。二つ目はロト三国の誓約。三つ目は他の王位継承候補者に比べて、トップに据える理由にふさわしい理由がやっとできたから」
 建国者は何かを心得た風の表情になった。門外漢のレックに、アレンが説明する。
「俺の世界は、邪教徒の影響で大変なことになってたんだ。一国が滅ぼされたり、魔物が勢力を増したり、人心が乱れたり。でもこういう時のために、ロトの先祖──アレフさんのことだ──は、自分の造った国を三つに分けて、自分の子ども達に治めさせ、誓約をさせた。再び魔の勢力が強まったときには、自分の志と血を継ぐ三国の者が協力して光を取り戻すこと。ついては、三国の王となる者は、互いに承認し合える者であること。
「俺はロト三国の一国、ローレシアの国王の一人息子。つまり、第一王子だった。でも正式な王位継承者として認められたのは、邪教の召喚した破壊神を討ってから──つまり、王位継承者として認められてすぐ、即位したことになる」
 レックはバーガーをかじりながら、自分の場合を思い起す。
 物心ついた頃に、剣と魔法の修業を始めた。次期王位継承者として認められたのは、七つの頃。天雷の呪文ライデインを習得した時分で、王宮が歓喜に沸いていたのを覚えている。
「レックも王族なら、生まれてから十五年、現国王の子が王位継承者として認められないっていうのがどういうことか、分かるだろ。俺には統治者として不足があった。君主制の宗教国家であるロト三国において、統治者はただの為政者じゃない。宗教的象徴でもある。つまり、神の加護を受けた勇者ロトの威光を示せる者でないと、民を治め、国をまとめるには不十分なわけだ。では勇者ロトとは? 剣と魔法を巧みに操る戦士だ」
 魔法という語を、アレンは強めて発した。
「名簿で俺のステータスを見たか」
「ああ」
 彼のページの魔法特技欄には、「無し」とだけ記されていた。
「俺は生まれつき、魔法が一切使えない。そのせいで継承者として認められなかった。だが、他のロトの子孫二人と破壊神を討伐したことで、俺は継承者にふさわしいと示せる条件を手に入れた。他国に継承権を認められること。そして、ロトの威光を示せる人間であること。魔法を使えないことを差し引いても十分だと世界で認められたあの瞬間でないと、俺は王になれなかった」
 唐揚げを一つ嚥下したアレンは、白い歯を見せて笑う。
「上皇になった親父はまだまだ元気だから、今は俺と親父の二人で政治を回してる状態だ。だから俺がしばらく不在でも、国は問題ない。ロト三国の二国、サマルトリア、ムーンブルクの王もフォローに回ってくれてるし、王宮のメンバーもよく協力してくれてる。だから何も心配することはないんですよ、アレフさん」
「そうか」
 先祖は呟いて、肩の力を抜いた。レックは伸びをする。
「俺はまだ王子だからこうやって旅に出てこられたけど、アレフもローレシアって国の王様なんだろ? 任せられる人がいるのか?」
「妻が俺の代わりをやると言ってくれた」
「奥さん、敏腕なんだな」
「平民出身の俺と違って、妻は王族だったんだ。恥ずかしがって、普段はなかなか前に出たからないが、俺よりよほど国というものに詳しい」
「ラダトームの姫君、ローラ姫ですよね?」
 アレンが尋ねると、アレフは認めた。
「そうだ。竜王を討って新天地に旅立とうとした俺に、ついてきてくれた。彼女がいなければ、いくら光の使命があったとしても、俺は建国なんてしなかっただろう」
「ローラ様は、ロトの国の民より非常に親しまれた方だったと言われている。ロト三国領には、ローラ様にあやかった地名がたくさんある」
「ローレシアの国名以外にもあるのか」
「ローラの門があるじゃないですか」
 よほど愛された女性だったのだろう。
 バーガーを食べきってしまったので、話に夢中な二人の分、唐揚げをもらうことにする。これは、メギス鶏というものだという。初めて聞いた品種だが、なかなかに美味い。
「アレフさーん。ペペさんがお呼びよー!」
 酒場の賑わいの遠くから、酒場の女主人の声が届いた。アレフが振り返り、アレンが訝しげに窺う。
「一般の名簿に登録しました?」
「してないはずだ。アレフというニックネームは多いから、人違いだろうが、一応ノインの手違いの可能性も考えて、確認してくるか」
 アレフは席を立ち、カウンターの方へ向かった。人混みに紛れて遠くなる姿を見送りつつ、レックは残されたアレンに尋ねる。
「唐揚げもらっていい?」
「気にせず食ってくれ」
「アレフ、生真面目だよな」
「思ってたよりずっと真面目で、俺も驚いてる」
 唐揚げを一つつまみながら、アレンが言った。せっかくなので、レックは気になっていたことを訊いてみようと思った。
「若い先祖と会話するってどんな気持ち?」
 子孫の眉間に皺が寄った。たっぷりの沈黙を置いてから、やっと口を開く。
「なんとも言いがたい。俺にとってアレフレッド様は建国神話の中の人物で、存命中に会ったこともなかったから、本当に先祖なんだろうかという疑いと、確かに先祖に違いないという実感とが同時に存在していて、不思議な気分だ」
「どのあたりが先祖っぽいと思うんだ?」
「第一に、剣技」
 アレンは掌中でフォークを回し、切っ先をメギス鶏に向けた。
「アレフさんは存命中、アレフガルド──俺たちの世界の名前だ──のどこにも並ぶ者のいないという、魔法戦士だったらしい。特に剣の腕前はすごかったそうだ。だからローレシアにはアレフさんが練り上げたというロトの剣術が伝わっていて、王宮で剣を習い始めた者は一度、必ず学ぶならわしになっている」
「一度ってことは、難しいんだな」
「ああ。剣術の習熟度は十段階設けられているんだが、十段に達する人間は滅多にいない」
 唐揚げを口に運び、咀嚼する。嚥下しきってから、続きを語る。
「俺は魔法が使えないから、せめて剣術はやっておかないとと思って、気合いを入れて特訓した。体得には、本当に苦労した。だからこそ、あの人の剣が偽物じゃないと分かる。あの剣は、ロト流剣術の最高型に通じている者じゃないとできない太刀筋だ」
「どんな剣なんだ」
「ローレシアには、『ロトの剣技ク書』という、決して表に出してはいけない伝書がある」
「なんだって?」
 レックはやや前のめりになった。本の名前がよく聞き取れなかった。
「『ロトの剣技ク書』だ。『ク書』は、本当ならば『クソ』にしたかったらしい。だがクソと名付けるとさすがにまずいだろうということで、伝書を作った人物がそう濁したそうだ」
 アレンはちらりと遠いカウンターを一瞥した。まだアレフは帰ってこない。
「伝書の作者は、アレフさんの第一子だ。父親に叩き込まれた剣術について仔細に書いている。剣技の特徴の考察、使役する際の注意事項、そしてその技術を体得するということの厳しさと、編み出した人間への恨みつらみ」
 アレンはまた、フォークを唐揚げに刺す。高温の炎に似た色の碧眼はじっと鶏を映したまま、ぶれない。瞳の中で、鶏が燃えているような錯覚さえ覚える。
「この伝書は、ロトの剣を極めた者が引き継いできた。十段まで至った者が隠し持ち、後続の十段を目指す者が風呂場で涙に濡れている間に、ベッドの上に置いておくしきたりだ。俺もそうやって引き継いだ。本の一番最後には、十段に至った人間の涙と、高祖アレフレッド王への尊敬の言葉が書いてある。俺も、『この剣を編み出した奴は変態だ』と書いた」
 レックはただ、無心に唐揚げを口に入れるアレンを眺めていた。アレンの口は夢の大地に空いた大穴のように、どんどん唐揚げを吸い込んでいく。
「剣の捌き方がありえないんだ。あんなの、日常の全てを剣で済ませてる奴じゃないとできない。朝起きてタンスの服を剣で取って着て、昼飯のチキンを剣で切って食い、夜に家の鍵を剣で閉めてベッドで剣を抱くような奴じゃないと、あんな剣術を十数年の人生で編み出せるものか」
「はあ」
「それと、アレフガルドに降りてきた勇者ロトについての知識量な。俺たちロトの王族は皆アレフレッド王の書いたロト史を頭に叩き込む。あの人は、自分のことより、アリアハンという国で生まれたという勇者ロトのことを書きまくっていた。その量、口にするだけでおぞましい。何でなのかずっと疑問に思ってたんだが、実際に会ってみて確信した。アレフさんは、アリアハンのロトが大好きだから、あんなに書いたんだ。宗教国家の王の権威付けにしてはどうでもいいことも含まれていて、おかしいと思ったんだ」
「アレフのこと、嫌いなの?」
 おそるおそる、訊いてみた。アレンは顔を上げ、首を横に振った。
「いや、尊敬してる」
「ボロクソに言ってるじゃん」
「絶対的なものにさえ反発する心情を持ち、さらには全てをひっくるめて愛せるようでないと、アレフガルドの土地では生き残れない」
 アレンは口の片側だけを吊り上げて笑う。レックが何を言ったものか迷っていると、ようやくアレフが帰ってきた。 
「やはり、人違いだったようだ。なかなか真偽がはっきりしなくて時間を取らされた」
 そう言って席に着き、向かいのレックの表情に気付く。
「どうかしたのか?」
「いえ、昔話をしてました」
 アレンが最後の唐揚げを口に運んで、言う。
「レックが、アレフさんの剣を楽しみにしてるそうです」
「有難いな。期待に沿えるものか分からないが、あとで意見をもらえると嬉しい。まだまだ磨き足りないんだ」
 それからアレフとアレンは、和気藹々と会話を続ける。見たところ、アレンの表情に含むところは見て取れない。眼差し、態度、言葉、どれをとっても純粋なリスペクトが感じられる。
(する予定ないけど、俺もしきたりを強制せざるを得ないような体制を作らないように、気を付けよう)
 レックはそのような感想を抱き、この後披露されるだろうロトの戦闘技術に思いを馳せる。見るのが楽しみなような、恐ろしいような、複雑な心情になっていた。






▶︎▶︎▶︎



「俺が事前にやったヒーローインタビューの話、聞く?」
「うん、何もツッコまないよ。聞くよ」
「これから宿敵竜王に挑むアレフ選手とアレン選手に聞きました。まずは、『意気込みを話してください』」
「無難だね」
「二人とも頑張るみたいなことを言ってた」
「うん。で、他は?」
「『作戦はありますか』」
「答えは?」
「勝つまで殴る」
「…………」
 エイトは黙った。その双眸に、洞窟の奥の景色がくっきりと映し出されている。
 巨大な洞の中心に、邪竜の巨躯が横たわっている。全身を覆う黒紫を帯びたミスリルのごとき鱗は、ところどころ欠けたり、凹んだり、断たれて生傷が覗いたりしている。魔法を使役された痕は一つもない。切り傷か殴打の痕のみが全身に刻まれている。横を向いた腹が激しく上下し、それに合わせて地面に血の黒い染みが広がっていく。
 小山のような竜を四つの小さな影が取り囲んでいる。うち正面の二点、黒い鎧の騎士と青い修練着の青年は揃いの剣を構え、敵から少しも目を離さない。
 その身体は、多少装備に傷こそついていても無傷だった。
「この戦いが始まる前なら、もうちょっと作戦練りなよって言ってたよ」
「俺もそう言った」
 レックとエイトは洞の外れの戦いに巻き込まれない隅で会話している。その横ではサンドラが観戦していた。手出しは一切していない。
 戦いはアレフとアレンを主砲とし、ノインが魔法戦士としてサポートを、ナインがパラディンとして守りと回復を行う形で行われた。最初こそ攻撃を食らったが、ナインが適度に回復と防御をこなし、ノインが時にはアイテムによる回復を行うことで、体力を大きく削り取られることはなかった。何より、攻撃役二人の身体が竜王の猛攻に勝る能力を備えていたらしかった。
「分かった?」
「分かんねえよ。何だあれ。竜王がもう倒れたぞ」
 剣を振ると、閃きに合わせて散る血が見えた。敵の一撃が直撃したかと思うと、そのすれすれの場所に立っていてなんともなかった。
 ただ、敵に向かってまっすぐ接近して、何気なく剣を振る。
 向けられた攻撃も、狙った地点から当人がが移動していたためにまともに喰らわない。
 それを繰り返していただけだった。サポートこそされていても、彼ら自身は何の特殊技能も道具も使っていない。
 シンプルに斬りつけるだけで、竜王を瀕死にまで追い込んだのだ。
「動きに無駄がない。普通、攻撃するにしても避けるにしても、予定と違う動きをしようとすれば不必要な力みが生まれるはずなのに」
 エイトの言う通りで、命を賭けた戦いでは予想外のことなどいくらでも起こる。平静を保てず、動きが狂うこともある。
 彼らにはそれが一切なかった。
「アレフはすげえ剣の使い手って評判だったってアレンが言ってた。それにしたって限度がある」
 レックはサンドラを見た。
「あいつらは何者なんだ」
「冒険者名簿のデータで見た通りよ」
 彼女は戦況に顔を向けたまま答える。
「二人は確かに冒険者名簿に書けるような大した特技なんて持ってないわ。でも、先祖の私にもないような身体能力があるのよ」
「何だ」
「装備品を全て使いこなすことができる」
 エイトは目を丸くした。
「全部? 鎧だけじゃなくて、ローブも?」
「そう。職業の縛りがないというのは自由だわ。でも裏を返せば、何の加護もない状態なのよ。それで重装備も軽装備も使いこなすのは、誰にでもできることじゃない。私の時代にもそんな人間はいなかった」
「身体の使い方が極めてうまいってことかな」
 彼女は頷いた。腕を軽く組み合わせたまま、微動だにせず戦いを凝視している。
 竜王が唸り声と共に地響きを轟かせて立ち上がる。
 ナインが身体の前に片手を翳し手首を回すと、光り輝く旗が現れた。華麗にはためく深紅の旗に、竜の眼が釘付けになる。
 竜は太い尾を少年に向けて叩きつける。しかし旗の前に輝く防壁が立ち塞がり、寄せ付けない。さらに鋭い爪で抉ろうとしても、炎を吐きかけても、届かない。
 パラディンの秘技、パラディンガードである。これで竜王の猛追を、ことごとく防いできた。
 ノインが加速呪を唱える。加護を受けた二人の男達が、敵に向けて大きく一歩を踏み出す。
「先、行きます」
「任せた」
 アレンが竜の足下に迫り、一閃する。下から繰り出された剣が、五倍近い身長のある竜王の足先から頭に一つの深い谷を刻む。
 竜王が大きく仰け反る。天井を仰ぐその縦の瞳孔に影が射し込む。
 跳躍したアレフが剣を掲げる姿だった。
「安らかに眠れ」
 剣が叩きつけられる寸前、瞳孔と剣とが十字に交わった。
 竜の頭蓋が割れる。身体が霧となって散り、胸に飾っていた紫の宝玉だけが地に落ちた。
「勝った……」
「十ターンも経ってない」
 エイト、レックが呟く。
 唖然としているのは見ていた三人だけで、戦闘していたパーティーは、ノインが両手を掲げるのにつられて、ハイタッチなどしている。
「やりましたね! アレンさん、アレフさん。今日も素敵な攻撃でした」
「初めて拝見しましたが、素晴らしい攻撃でした」
「この世界に来てから身体の調子がいい。そう思わないか、アレン」
「はい。随分身体が軽く感じます」
 ローレシアの戦士達は、戦いの感想を分かち合っている。消耗している様子もない。
 エイトがこめかみを押さえた。
「ロトの血って何が入ってるの?」
「他人の血筋を得体の知れない劇薬みたいに言わないでちょうだい。言っておくけど、ロトはそう特別な血筋じゃないわ。だいたい私とあの子達にはかなりの世代の差があるのよ。普通、血もかなり薄まってるでしょう」
「そうだよね。何か別の原因があるのかな」
「アレフガルドって世界がやばいんじゃねえの」
 先祖であるサンドラに分からないのに、レック達に分かるはずもない。
 三人があれこれ意見を交わしている間、ナインとノインは竜王がいた辺りを調べていた。しばらくするとノインが顔を輝かせ、一同を呼んだ。
「皆さん、見てください! ありましたよ!」
 全員がそちらを見る。彼女は一枚の地図をしっかと掴んでいた。
 地図にはこのように記されていた。
《デスピサロの地図。相対するはⅣ番の冒険者ソフィア》