セクシーファイターやばいよ勇者さん




「三人、お願いできますか?」

 その声は何となく、酒に淀んだ頭の中にやけにクセなく入り込んできた。声のした方はどちらだろう、と周囲を見回してから気付く。何を言っているんだ。こんなことを尋ねる相手は一人に決まってるじゃないか。

 俺はカウンターを見る。オーナーの前に見慣れない少年が立っていた。紫のマントを羽織った背中はまだ若く幅がない。バーの方を向いているから顔が見えないものの、彼が新参者であることはここには足繁く通っている身だから分かる。

「何の職業の人がいい?」

「何でもいいです。ここで上から三指に入る強い人に会わせてください」

 アルトと言っても通るようなやや高めの声は、新参者にしては砕けている。だが冒険の方は初心者らしい。こんなことを言う奴は火力ばっかり重視する、パーティーバランスのパの字もロクに知らない駆け出しに決まっている。そして己の力を敵の前にパーティーメンバーに思い知らされて、酒場からお家まで泣きながら這って帰ることになるのだ。

 あーあ、どこの坊やか知らねえが馬鹿だなあ。グラスを煽ろうとして、だが次の台詞に思わず噴きだしそうになった。

「その三人と手合せして、彼らの方が強ければ仲間にします」

「おいおい、随分大口叩くじゃねえか」

 俺はグラスを手に立ち上がった。ルイーダがすぐこちらを向いた。新参の方は酒場の賑わいに紛れて聞こえなかったのか、こちらを向こうとしない。

「聞いてんのか、若ぇの」

「坊や、運が良かったわね。その男がこの酒場の三指に入る奴よ。ちょうど三本目」

「ルイーダ、俺ぁ一本目だろ」

「何言ってるの。あんなにビビアンに負けといて」

 オーナーと俺の会話を聞くと、新参はやっとこちらを向いた。初めてその全身を正面から見て、俺は大いに戸惑う。少年だと思っていたそいつは、柳のようなしなやかで細い体つきをしていたのだ。

「貴方がここで三番目に強い人?」

 やはり男にしては高く女にしては落ち着きのある声で言い、新参者は猫のような瞳で俺を上から下まで眺めてから目を合わせて来た。まっすぐで、いっそ清々しいほどに値踏みしている目だった。

「見たところ武闘家かな? ふーん、確かにそれなりに戦闘経験は積んでそうだ」

 だがさすがにこれにはムカッときた。こちとら成人してから十五年、ずっと武道一筋で仕事も修業もしている。それをこんな真新しい旅衣の若造に「それなり」なんて評されたら、苛立つのも当たり前ってもんだ。

「てめえ――」

 グラスの酒を引っかけてやろう引いた手が、勢いよく引っ張り出された。目を丸くする暇も手を引き戻す暇もなく、気付けば間近で透明なグラスに口付けて柔らかに形を変える紅唇を覗き込んでいた。

「うっ、確かに酒には強い」

 重なった指はひんやりとしていた。奴は俺の手の上からグラスを掴んだ手を離さないまま、眉を寄せてそう言った。前のめりになってマントの内側から覗く鎖骨から首にかけての線は華奢で喉仏が見つからないことに俺は動揺した。酒香を漂わせる唇はふっくらと瑞々しく、睫毛はあでやかに輝く赤とコントラストとなるほど漆黒に長い。

 まさに目と鼻の先まで近づいて、俺はやや癖のある黒髪から金のサークレットが覗いていることに気付いた。

「お前、勇者なのに女なのか?」

 狼狽は声には出てなかったはずだ。だが未知の新参者はころころと笑った。その笑い声は、まるでゆるやかな成熟に伴い己の性を知るようになった、女に身の丈を合せようとする少女のようだった。

「勇者に性別って関係あるの?」

 口調も細めた目の形も唇の弧も、ませた少女らしい。さらにちょっと小首を傾げて見せると、たちまちあどけなさと蠱惑の入り混じった不思議な雰囲気を纏う。

「なんならお兄さん、確かめてみる?」

 悪戯を提案するように口元を綻ばせて、やけに勿体付けた手つきでマントを払いのけ、短衣の襟元に手をかける。膨らんではいない。だが紐を解く指の動き、酒場の暗い照明のもとで仄かに輝く肌の白さ、上目遣いの瞳がやけに官能的で、俺は生唾を飲んだ。

「男」

 覚えのある声とヒールの音で我に返った。新参者はそちらを向いて唇を尖らせた。つまらないとでも言いたそうな顔だった。

「なーんだ。やっぱり女の人は鋭いですね」

「何さハン、いいように遊ばれちまって」

 やって来た女は勝気に顎を持ち上げた。遊び人風のレオタードと網タイツに豊かな肢体を押し込み、豪華に波打つ金の巻髪にうさみみバンドをはめたビビアンは、悔しいがこの酒場の常連一の賢者だ。その後ろに追随する猟師風の寡黙な男は、名をラゴスという。ビビアンに次ぐ二番手だが、スピードだけなら彼女にも勝る。

 ビビアンは新参者の前に進み出た。妖艶な彼女と比べると、新参者の方がやや青さが目立つ。だが彼は挑むように顔を上げた。

「話は聞いてたよ。オモテ出な」

 ビビアンはルイーダの方を一瞥して告げた。彼女の表情は確かに微笑んでいたが、淡いアイスブルーの瞳だけは燃えるようだった。

 それを見て、俺はこの若造は負けると思った。レイアムランドの炎の戦士のように瞳を冷たく燃え盛らせるビビアンに勝てた奴は、このアリアハンのどこにもいない。だから俺は、彼女の提案で俺達三人と奴が一人で戦うことになって、寧ろ奴に同情したくらいだった。

 なのに、そんな甘い感情はいざ外に出て手合せとなった途端吹き飛んだ。

 開始早々、俺は容赦なく唸りを上げる拳を少年の腹にぶち込んだ。俺は戦士より力が強い。だから奴は細いし、当たれば確実に落とせるだろうと思っていた。

 だが、拳に帰って来たのは岩を殴ったような硬い反動のみ。奴はびくともしない。それどころか、嬉しそうに双眸を三日月にしてくすりと笑った。

「……うん、いける」

 確信を含んだ含んだ囁き声に背筋が冷える。身を引こうとするが時すでに遅く、これまでに喰らったものとは桁違いの衝撃が米神を襲った。

 頭蓋が壊れたんじゃなかろうかという衝撃に倒れる視界の中で、ラゴスの矢が三本放射状に放たれるのを見た。彼の矢は魔術を練り込まれている。中ればただの矢傷じゃ済まない。

 少年は前へと駆けながら腰にはいた剣を抜き、時間差をつけて飛んできた矢を三本とも切り落とした。駆け抜ける彼の後方で火の手が上がる。ビビアンの唇が精霊言語を紡ぐ。途端、天から氷の槍が降り注ぐ。ヒャダインだ。街中で無理をする。けれど少年は身軽にそれを躱しながら、息を上げる風でもなく呟いた。

「バギクロス」

 ビビアンが目を瞠る。空に暗雲が立ち込め殺伐とした風が渦巻き、三本の刃の渦となって彼女らを襲う。ビビアンが慌てて何か唱えた。すると似ているが少々規模の小さい疾風の渦が巻きおこり、ぶつかり合う。市井の人々のざわめきと悲鳴を、聴覚の戻り始めた耳が捕えた。

 離れた場に倒れていて聖風の被害を免れた俺は、痛む頭を抑えて身を起こした。酒場の前の広間は土煙が立ち込めて何も見えない。洗濯物がぁという近所のおばさんの声が聞こえるだけだ。

「かつて世界帝国が誇る軍事力の源だと言われた国家公認の酒場も、零落したものですね」

 急に土煙がさっと晴れた。明瞭になった視界の中央に、先ほどいた場所から全く違わない場所で倒れ伏すラゴスと、立ち尽くすビビアンの姿が現れる。その首筋に、冴え冴えとした光を放つ大ぶりな業物が突きつけられていた。

「私の方がハンさんより力強く、ラゴスさんの放つ矢より速く、そして貴方の魔法よりも優れている」

 刃をビビアンに突きつけながら、少年は実に嬉しそうだった。それに、とさらに歌うように言う。

「私の方が、貴方達より格好良くて可愛いかも」

 俺もビビアンも、ただあんぐりと口を開ける以外できない。最高位真空呪文の蹂躙する中を駆け抜けたのだろうに、彼の衣服には裂け目どころか大した崩れさえない。

 少年は剣を下げると流れるような所作で鞘に収める。そして髪を掻き上げて一度背を向け歩き始めてから、ちらりと流し目を俺達にくれた。

「私の名はオルテガ。今にこの世界一――それこそ誰にも、男にも女にも負けない勇者になる」

 覚えておいてくださいね。彼は恋人と次の逢瀬を取りつける乙女のように微笑んで、今度こそ振り返らずに街を出ていった。俺にはもう、その背中が細くは視えなかった。




 それから三十年の月日が過ぎた。

 俺は酒場での一件以降アリアハンを離れ、諸国を修業のため漫遊した。だが再びオルテガと会いまみえることはなかった。オルテガは宣言通り世界各地で武勇を重ねその名を広めていたらしい。しかし 魔王バラモス討伐のため旅立ち、帰らぬ人となってしまった。

 いつかはまた手合せして、己の強さを確かめたい。あの強さを再び肌で感じたい。そう思っていた俺だったが、彼の訃報を聞いてからその夢を失い、漂泊の旅人として十六年を過ごした。その間にも、ふとした時オルテガの小生意気な笑顔が脳裏を過る癖は治らなかった。

 ところがつい先日、オルテガの息子が父と同じ任務で旅立つという噂を聞いた。俺は好奇心にいても立ってもいられなくなり、少ないアリアハンへの船便を探して久々に故郷へと舞い戻った。

 オルテガの息子はどんな奴なのだろう。奴に似て少女のような雰囲気があるのだろうか。生意気なのだろうか。そして、あのとてつもない強さを受け継いでいるのだろうか。

 そんな俺の期待は、思いもよらない形で裏切られることとなった。

「三人、お願いできますか?」

 かつてよりずっと人の減ったルイーダの酒場で待ち構えて三日、その声は頭の中にクセなく入り込んできた。以前聞いたのとよく似た声色だった。俺は迷わずカウンターを見る。そこに、あのオルテガに似通った息子がいるはずだった。

「……ん?」

 俺はただ瞬きを繰り返すことしかできなかった。オーナーの前に見慣れない少年が立っている。そこまでは同じだ。バーの方を向いているから顔が見えないのも同じだ。彼が新参者であることは三日もいれば分かる。

 だが、この服装は何だ。というか、服がない。

「ちょ、ちょっと待って」

 ルイーダが引き攣った笑みを浮かべた。不思議と俺がいた頃と姿かたちが変わらない、熟練のオーナーである彼女でさえその動揺が明らかだった。

「あんた、その格好で旅に出るの?」

「はい!」

 少年は元気よく頷いた。健康的に焼けた弾けんばかりの肌が、筋肉が、股間を覆うビキニ部分を覗いてあますことなく露わにされている。筋張った手には謎の袋状の布。頭には金のサークレットが輝いている。

 他にも今日旅立ちの勇者がいたのだろうか。そんな俺の疑問の形をした無意識の願いは、あっさりと裏切られた。

「この格好は僕の父、オルテガが長い長い旅の中で考え出した、『最も強くなれ、周囲から恐れられる装備』なんです」

「オルテガが!?」

 俺はつい大声を上げて立ち上がってしまった。少年が驚いた風にこちらを振り返った。

「父が何か?」

「だっておまっ、オルテガって、もっとこう……!」

 口に出そうにも難しい。認めるのは癪だが、アイツは同性の俺でも妙にどきりとするような色気があった。また後で伝え聞いた話だと戦闘技能だけでなく容姿や話術、知識など何事においても他者に負けることをよしとしない、向上心の異様に強い負けず嫌いだったらしい。

 そんな男が、最終的にこんな恰好をしていた? 俺は俄かには信じられなかった。眼前に現れたオルテガの息子らしい彼は、確かに肌を露出させている分色気はあるが、それより断然アブナイ。ステテコより面積の狭いビキニ一丁に、ベルトで剥き出しの背中に剣を固定するなんてどういうことだ。正気の沙汰じゃない。冗談じゃないのか。

「お前! 本当にあのオルテガの息子なのか!?」

 ビキニの男は不思議そうな顔をした。確かにこうして見ると瞳が猫のようで、オルテガに似ていないこともない。俺は嫌な事実を発見してしまった。

「これを見てもらえれば分かると思うんですけど」

 彼は腰に下げた道具袋――ビキニと肌で挟むのはやめろ――から丸まった書状を数枚出して見せた。それには確かにアリアハン現国王の印と、彼がオルテガの息子であり勇者であるということを雄弁に語っていた。

 気付いたら膝から崩れ落ちていた。ビキニの勇者が慌てて俺を支えようとしゃがみ込む。

「大丈夫ですか!?」

 見た目はアレだが根は良い奴らしい。だが大丈夫だからやめろ、しゃがむな。ナニとは言わないが足を開くとエグいだろう。

「そんなわけで、その子勇者なのよ」

 ルイーダが憐憫の目で俺を見下ろした。俺はなおさら情けない気分になってきた。

「悲しい話なんだけど、うちの酒場も随分登録者数が減っちゃってて、この子と旅に出てくれる人が全然いないのよねえ」

 そりゃこんな格好してるから暗にさけられてるんじゃないのか。俺はビキニのエグい角度から目を逸らしながら思った。意識を逸らすことに集中しすぎていて、だから次に続いた言葉も危うく聞き逃してしまった。

「それでさ、アンタ悪いんだけどついて行ってくれない?」

「ああ、うん」

 俺は上の空だった。だから静まり返った酒場を訝しく思い、視線を戻して奴の輝く両目と目を合わせても何も分からなかった。ただ、まずいことになったんじゃないかという予感はしていた。

 勿論それは、その時には既にばっちり当たってしまっていたのだった。






第40回ワンライ参加作品。お題「3勇者男、セクシーギャル」選択。


20150405