幸福の声がする
「ただいま戻りましたぁ」
「あらお帰り。よく見つかったわねぇ」
「もー参りましたよ! 粉屋ったらどこもしまってるんですもの」
「そりゃそうでしょうよ、だって聖誕祭だもの」
ラインハット城の厨房は今日も、料理女達の会話で賑わっています。本当は彼女達も家で家族と過ごしたいだろうに、とマリアは少し申し訳なく思います。
「ごめんなさいね、皆さん。せっかくの聖誕祭なのに」
「嫌ですわマリア様ったら! お城の皆はもう家族みたいなものですから! ねえ?」
「ええ! しかも、陛下のご厚意で家族も一緒にお城でお食事できるなんて」
「宰相様のお計らいで今日は早上がりですし。有り難いですわ」
そうです、今日は聖誕祭。天の子、マスタードラゴンの誕生日なのです。この日だけは、世界中の人々は家に帰り彼の者のこの世に生まれたまいしことを感謝して祝います。
それはここラインハットも例外ではなく、一部の宿を除いて商売人はなべて店じまい。百姓だって家畜や畑の様子を時々見る時以外、家に籠って外へ出ません。ですがお城だけはそういうわけにも参りません。国の根幹は、神の赦した祭日も動かないわけにはいかないのです。
しかし十数年前にそれでは皆も辛かろうと考えた王と、代わったばかりの宰相が仕事や諸々を調整して、聖誕祭の日に城の王侯貴族も下々も関係なく参加できるパーティーを開くことにしたのです。聖誕祭の日は片付けも警備も皆で交代しながら、皆で楽しんで、終わったら最低限の者を残して帰るということになったのでした。
「ありがとう」
マリアは目を細めました。この気のいいラインハット城の皆ために、皆が喜ぶものをちゃんと作れるようにしなくては。マリアは気合いを入れて今日のために作ったお菓子お料理メモを、にらみつけました。
マリアは宰相妃ではありますが、今日だけではなく普段から自らすすんで厨房に立ちます。それだけでなく掃除に洗濯に、修道女として日課にしていたようなことには積極的に取り組んでいました。
そんな宰相妃は、城の女達の憧れでした。
「シュトーレンはもう切り分けましたわね? クッキーはそろそろもう焼き始めましょうか?」
「はい、マリア様」
「お料理の方も皆さん、折りを見て温めたり調理を始めたりしてください」
「いいんですかマリア様。あたしみたいないい加減がやっちゃって」
「お料理上手な皆さんのいい加減が良い加減です。よろしくお願いしますね」
女達の明るい笑い声が弾けます。少女から年配まで、女性達はそれぞれ動き出しました。
「母上」
厨房を縫うように歩き回って様子を見ていたマリアを呼ぶ声がします。いつの間に現れたのか、一人息子が後ろに来ていました。
「あら、コリンズ。どうしたの?」
「今からでも料理って間に合う?」
「ものによるわね。何が食べたいのかしら?」
「ファッジってどう?」
ファッジはバターたっぷりの焼き菓子です。マリアは必要な材料と手順を思い浮かべ、頷きました。
「ええ、できるわよ。作りましょうか?」
「母上の手作り?」
「そうよ」
まだそばかすの散る、生意気盛りの頬が色づきました。
「うん」
何でまたファッジを? そう尋ねようとした時、廊下から大きな声が聞こえました。
「コリンズさまー! いずこへー!?」
「やべっ」
コリンズは王子とは思えないイタズラ坊主丸出しの口調で毒づいて、勢いよく頭を下げました。
「じゃあ母上っ、よろしくね!」
青緑の衣装を翻し、少年は疾風よろしく駆けていきました。
「何でファッジなのかしら?」
マリアは首を傾げて、そう言えば今朝息子宛に届いた小包を思い出しました。グランバニアから届いたその贈り物は三枚のカードとともに、見るからに貴重と分かる古く分厚い本が一冊、かの国名産である美しいクリスタルのモンスターチェスが一式、そして可愛らしいオフピンクの美味しそうな包装のものがあったのです。
マリアは思わず微笑みました。そして、息子の成長を喜ばしく思いました。
「さて、じゃあ張り切らなくっちゃ」
マリアはルンルンとドレスの袖を捲りあげます。バターと砂糖と牛乳に練乳、あとドライフルーツも入れようかしら。それからそれから、と料理好きの血が騒ぐままにレシピを組み立て手早く鍋を火にかけ始めました。
「マーリアっ」
「きゃっ!」
両肩に何かが置かれて、彼女は無意識に跳ね上がりました。くつくつと笑う声には聞き覚えがあります。と言うか、こんなことをするのは一人しか思い浮かびません。
「まあ、あなた!」
「悪い、びっくりした?」
それは王国宰相ヘンリーその人でした。彼は明るいエバーグリーンの髪を揺らして、肩に置いた手はそのままに妻の顔を覗き込みます。いくつになっても悪童みたいなかっこよくて可愛い人は、今日もいつも通りです。
「もうっ。あなたもあの子も、どうしてこんなに気配を消すのが上手なのかしら」
「なに、コリンズ? アイツが何か?」
察しのいい夫に先程あったことを話すと、父親と言うよりは年の離れた兄か悪友のように表情を輝かせました。
「アイツめ、生意気に女の子から手作りのプレゼントなんてもらったのか。あとでからかってやろう」
「あなたったら。何か用事があってきたんじゃないの?」
「勿論君の顔を見に来るため――ってのもあるけど、アイツと似たようなことでちょっと」
そう言って夫は、よく変わる表情を今度は真面目な仕様に変えました。
「グリューワインってやつ、作ってくれないか? アイツがこの間言ってたんだ」
レシピはこれ、とヘンリーはメモをマリアに差し出しました。鍋をかき混ぜる手を休めないまま、内容を把握します。
「グランバニアの飲み方なのね」
「これが結構温まるらしいんだ。デールがここんとこ冷えるって言ってるから、アイツにいいかもしれない」
「お医者様には?」
「相談したよ。飲み過ぎなければ大丈夫だそうだ」
「分かったわ。作ってみます」
彼は嬉しそうに頷きました。そこへ、まるで図ったかのように廊下から大きな声が。
「ヘンリーさまー! いずこへー!?」
「やべっ」
ヘンリーは先程も聞いた台詞をまるっきり同じ口調で毒づいて、マリアの頬に軽くキスをしました。
「じゃっ、頼むよマリア。愛してる」
エバーグリーンの男も、疾風よろしく駆けていきました。
「やだ、ヘンリー様ったら本当コリンズ王子そっくり!」
「逆よアンタ、コリンズ様がヘンリー様にそっくりなのよ!」
「分かってるわよそんなこと! ああおかしい」
先程からの一部始終を見ていた料理女達が笑っています。マリアも声が転がるのを抑えられませんでした。
なんて幸せな日でしょう。なんて幸せな日々でしょう。かつての自分に、こんな暖かい時間と空間が想像できたでしょうか?
マスタードラゴン様、ありがとうございます。感謝致します。
マリアは今一度、天の神に祈りを捧げました。
第26回ワンライ参加作品。お題「マリア」選択。
20141225