時が二人を分かつとも




 ルーラを覚えて駆けつけたラインハット城は、以前発った時とは全く違う明るさに満ちていた。

 王族の身分に戻った君は、相変わらずちょっと横柄で気さくな親分だったけれど、貴族らしい仕立ての良い服をすっかり着こなしていた。

 国の景気も良くなっているようだ。
 マリアさんと結婚して、浮かれてるな。
 故郷に馴染めたようで、幸せそうで良かった。

 そう思っていたのに、かつての君の部屋にある宝箱の底を見て、顔を覆った。

 宝箱には、メッセージが隠されていた。

 父のことは忘れない。
 ラインハットを守ることが、やがて僕の助けに繋がったらいい。
 そのようなことが書いてあった。

 最後に、僕のことをわざわざ子分と言いかけてから、友達と書き加えてあるあたりが、気が強いくせに繊細な君らしかった。

「君はいつだってそうだ」

 君との思い出が、溢れてくる。














「お前の目は不思議だな」

 まだ薄暗い、部屋代わりの洞窟で、平たい藁の寝床の上にあぐらをかいた君が、片手で僕の目を示す。

「ドレイの目じゃないって言われ続けて、もう十年か。反抗的な感じが抜けないよなあ」
「僕は何もしてないよ」

 そう。何もしてない。

 脱走計画を何度か立てて、二度気づかれて失敗した以外は、何もしてないと思う。

 普段は大人しく石を運んだり壁を削ったりしている、鞭で打たれるのも好きではない、ただの奴隷として生きている。

「いやいや。何も言わないにしても、ムチ野郎どもに何か言われる度に睨み返すのはお前くらいだよ」

 君は白い歯を見せる。

「オレなんて、模範的なドレイそのものだぜ? ムチ野郎どもが暑さで腐ったトマトみたいになってた日には、『へへ、旦那。お水お持ちしましたぜ』って、水持ってったりしてさ」
「そうやって君が奴隷監督の中で株を上げるから、食べ物のおこぼれを『誰か』からもらって元気になった僕が、脱走なんて実行したりするんだよね」
「なんだと? お前をそそのかす親玉がいるのか」
「親分っていうのが正しいね」

 声を忍ばせて笑い合った。

 未明は、奴隷が今日の仕事のことや空腹について考えるせいで一番憂鬱になる時間である。周りには、仕事の時間まで眠りに逃避している者もいる。
 そういった仲間たちに配慮して、僕たちは人が近寄りたがらないトイレツボの前を陣取り、声をひそめて会話するのが常だった。

 奴隷は自分の持ち物を所有することを許されない。
 ひたすらに神殿の建設のために労働し続けることを求められ、食事の量を増やすことも、好きなものを着ることも、余暇を楽しむことも許されない。
 そのようにして、肉体と精神の自由を奪われる時間が長くなればなるほど、奴隷の目は濁っていき、体は衰えていく。

 しかし、君の瞳は明け方の空のように煌めいている。
 小さい頃から変わらない、わんぱく坊主の目だ。

「次はどうやって脱出する?」
「あらくれになりすます」
「俺たちの優男っぷりだと無理だろ」
「君の場合、中身はあらくれだよ」
「お前もな」

 そう言えば、と君が身を乗り出す。

「真面目な話。オレたち、ムチ野郎ども相手ならば勝てるんじゃないか?」
「そう?」
「だって、この間の脱走の時。お前が暴れてるのを抑えようとしたアイツらが、ちょっとビビってた。ガタイが良くなってきたから、ケガさせられるんじゃないかって、怖がってるんだ」

 僕が暴れている間に、監督者たちの様子を観察していたのだ。
 よく見てるよなあと思う。

「オレたちは体が大きくなって、力もついてきた」
「戦うのかい? 君には監督者からもらったナイフがあるけど、僕は素手だよ。この装備で突破するのは難しいんじゃないかな」
「武力だけで脱走するのは無理だ。ここはどうも起伏の激しい島らしいから、仮に歩いて神殿を出られたとしても、その先は険しい山の中。いつまで逃げ切れるか分からない」
「あっちは人数も多いからねえ」
「可能性があるとしたら、水路かな」
「泳ぐの? ここ、結構水は豊かだけど、その分深そうだよ」
「そこなんだよなあ」

 溜息をついて、君は前髪をぐしゃりと丸める。

「絶望したかい?」
「いや。僕は諦めないよ」
「お前はすごいよな。ずっと、ここから出てやりたいことを考え続けられる奴なんて、そういないぜ」
「ヘンリーもできてるよ」
「オレはお前に引っ張られてるだけだ」
「親分、弱気だね」
「オレは思慮深いんだよ。無鉄砲な子分がいるからな」

 くすくす笑い合って、その後僕は楽しかった昔のことを語り出す。

 サンタローズ村の穏やかな暮らしのこと。
 従者の料理が美味しいこと。
 隣町の大きな宿屋に友達がいること。
 その友達とした冒険が怖かったこと。

「夜のお城って怖いよね」
「ああ、確かに怖かったな」

 君は相好を崩した。
 王子であった彼は、城の外を出歩いた経験があまりない。だから、城の話ならば共感しやすいらしかった。

「でも、今になってみると楽しかったと思うよ。味方してくれる幽霊はいたし、僕が気絶してもビアンカが引っ張って宿まで連れて帰ってくれたから」
「ビアンカちゃんって、すごく気丈な女の子だな。普通、いじめられてる子猫のために幽霊退治なんてしようとしないぜ」

 君は感心しているようだった。

「それに、お供に年下のお前を連れていくんだろ? 八歳なのに、姉御みたいだ。結構気も強かったんじゃないか?」
「ちょっと強引なところがあったくらいかな。でも、優しい子なんだ」
「美人か?」
「どうだろう。酒場のお姉さんに、可愛いって言われてたことはあったよ」
「かーっ! 同じくらいの歳の女の子と、酒場に古城に探検して! とんだ美味しい思い出だな!」

 いいなあと歯を食いしばる様子が面白くて、大笑いしたくなるのを堪えるのが大変だった。

「ヘンリーも、ここから出たら一緒に遊ぼうよ。三人でもいいし、他に友達を連れてきてもらってもきっと楽しいよ」
「まあ、ビアンカちゃんには会ってみたいな。じゃあ、当面の脱走の目的はビアンカちゃんに会うためにしよう」
「親分、チャラいなあ」

 そんなふざけた会話をするのが、憂鬱な奴隷生活の数少ない楽しみだった。
 労働の時間は、ビアンカやサンチョと再会する想像や、亡き父を思うことをすることで、苦しみを和らげた。
 夜と朝は、君と楽しかった思い出を語り、教団の奴隷監督をネタに笑って、話に花を咲かせた。
 そうすることで、やっと僕は僕を見失わずに済んだんだ。














「人は、見たものしか信じられないのです」

 旅先で出会った誰かが言っていた。
 誰だっただろうか。
 思い出そうとするけれど、輪郭はどう頑張ってもぼやけたままだ。

 代わりに、出会った人々の顔が次々と浮かんでくる。

 カボチ村の依頼人たち。
 騙したわけじゃないけれど、彼らからすればそういう風に見えたのだから仕方ない。
 村長の奥さんや、村のおばあさん。
 彼女らには、僕が人を騙す人間には見えなかったようだ。彼女らは僕に何を見たのだろう。

 オラクルベリーの住人達。
 みんな自分の生活に精を出していて、楽しそうだったな。

 ラインハットの国民。
 項垂れる人々の肩に、課された税が重くのしかかっているようだった。

 最後に、明るい緑髪を肩口で切りそろえた君の顔がこちらを向く。

「いよいよ旅に出るのか? お前には母親をさがすっていう目的があったもんな」

 君はうつむいて、少し黙る。
 さざ波が鼓膜をくすぐる。頭上で、修道院の鐘が鳴っている。

「なあ、どうだろうか? その旅にオレも、つき合わせてくれないか?」

 君、マリアさんに惚れたんだろう? ここで働いたら?

「お前は意外とつめたいヤツだな。よくは覚えてないけど、お前は確か、オレの子分になったんじゃなかったかなあ」

 君はわんぱく坊主の顔で笑って、僕の肩を掴む。

「親分のいうことは聞くもんだぜ。なっ、いいだろう?」








 かつての君のわがままさを、憎んだこともあった。
 殴ったこともあったし、殴られもした。

 だけど結局のところ、僕は君の我が道を行く姿に救われたんだと思う。
 
 教団の従順な奴隷の顔をしながら、裏では下働きの連中と交渉して、手に入れた食べ物を分けてくれた。
 思い出を失わず、親しい人たちへの気持ちを心の支えにしていけたのは、君が話を聞いてくれたから。
 マリアさんが鞭で打たれた時に、真っ先に飛び出した君。それがきっかけで、脱出できた。

 僕は君を恨んでいない。
 奴隷の頃からずっとそうだ。
 君を助けた回数、君に助けられた回数。
 どちらも数えきれない上に、一回助けられたから助け返してチャラにするというものでもない。

 君は僕の半身だった。
 君が助けてくれて、また助けさせてくれたから、生きていられた。








 君はいつか言った。

「お前さ。そんなに自分を責めるなよ」
「ならヘンリーも、自分を責めるのをやめなよ」

 返すと、君は虚を突かれたような顔をした。

「それは、難しいな」

 目を伏せて笑う君を見て、言うんじゃなかったと後悔した。
 やっぱり、半身なのだ。
 僕が僕を許せない限り、君も君を許せないのだと悟った。














 ルーラを覚えて駆けつけたラインハット城は、以前発った時とは全く違う明るさに満ちていた。

 王族の身分に戻った君は、相変わらずちょっと横柄で気さくな親分だったけれど、貴族らしい仕立ての良い服をすっかり着こなしていた。

 国の景気も良くなっているようだ。
 マリアさんと結婚して、浮かれてるな。
 故郷に馴染めたようで、幸せそうで良かった。

 そう思っていたのに、かつての君の部屋にある宝箱の底を見て、顔を覆った。

 宝箱には、メッセージが隠されていた。

 父のことは忘れない。
 ラインハットを守ることが、やがて僕の助けに繋がったらいい。
 そのようなことが書いてあった。

 最後に、僕のことをわざわざ子分と言いかけてから、友達と書き加えてあるあたりが、気が強いくせに繊細な君らしかった。

「君はいつだってそうだ」

 ずっと見てきた君の姿が、胸の奥から溢れてくる。

 奴隷の労働に疲れて、陰で泣いていた君。
 僕に謝り続けた君。
 殴り合ってボロボロになった君。
 鞭で打たれそうになったところを、うまく庇ってくれた君。
 ハムの切れ端をもらってきてくれた君。
 脱走について語れば、必ず笑顔で乗ってくれた君。
 鞭打たれるマリアさんを見ていられなかった君。
 カジノで遊んでいい実感が湧かず、呆然としていた君。
 故国のことが気になって眠れない君。
 別れ際までずっと笑顔で、さっぱりとしていた君。

「人は、見たものしか信じられないのです」

 ああ、思い出した。

 あの台詞は、光の教団を脱走して流れ着いた修道院のシスターの一人が言っていたのだ。

 海辺の修道院は、教団から逃げ出したばかりの僕たちにとって、天国のような場所だった。
 あの場所に身を寄せていた日々は、君と僕が一緒に過ごした中で、一番安らかな時だったのかもしれない。

 言葉で確認したことはなかったけれど、修道院の門に寄りかかって海辺を眺めていた君の、横顔の静けさは、僕の脳裏に深く刻まれている。














 宝箱を見にいった僕が戻って来ると、君は笑った。

「お前は相変わらず騙されやすい奴だな」

 しかたないよ。
 君と一緒に過ごした日々を信じたいんだから。

そう返してやろうかと思ったけど、君はいつものわんぱくな顔で笑っている。
 君の涙腺が意外と脆いことも、あえて悪ぶる癖がついてることも、僕は知っている。

 だから僕も笑った。
 君にはずっと、笑顔でいてほしいから。










20210411