森のハッサン




 昔々あるところに、ハッサンという男がおりました。
 ハッサンはサンマリーノという港町の大工の家に生まれましたが、家業を継ぐのが嫌で、ある日両親の反対を押し切りサンマリーノを飛び出しました。そして、旅の武闘家になったのです。

 旅と言うのは、ハッサンの予想していたのよりずっといいものでした。厳しい父の修業をやらなくていい。うるさい母の小言も聞かなくていい。面倒くさいご近所さんの目も気にしなくていい。ああ、なんてしがらみがないのでしょう。しかも、地図を広げて進む場所全てが、まだ見ぬ冒険の地なのです。素晴らしい自由、素晴らしく広い世界! ハッサンは旅立ってしばらく、何をしてもウキウキしっぱなしでした。
 外に出れば魔物が出ます。初めての街で厄介に巻き込まれることもあります。ですが彼には大工仕事で鍛え抜かれた肉体と、生まれ持った豪胆な魂があります。そのため、たいていのことは拳に任せておけば、向かうところ敵なしでした。

「全く、自由ってのはいいな。楽しいぜ!」

 そう言いながら気ままな一人旅を謳歌して、随分時が経った日のことです。
 ハッサンはどこぞの森に迷い込んでしまいました。その森はなかなか深い上に道がなく、五日彷徨っても外に出ることができません。食料は底をつき、薬草などのアイテムもあと残りわずか。ハッサンは困ってしまいました。

「どうしよう。キメラの翼でもあればなあ……」

 そう呟いた時です。視界をさっと何かの影が横切っていきました。見上げてみて、ハッサンはあっと叫びました。キメラです。今まさに、キメラが頭上を飛んでいったのです。

「あれを捕まえれば、キメラの翼が作れるかもしれないぞ! 待てーっ」

 ハッサンはすぐにキメラの後を追いかけ始めました。
 一般の人ならば、キメラの後を正確に、見失わずに追いかけることなんて不可能でしょう。
 ですが、彼はハッサンでした。即ち、普通の人ではなかったのです。彼はキメラを見失わず、かつ本人に気付かれることなく、その後をついていきました。

 鬱蒼と茂る木々を掻き分け掻き分け走ると、やがて急に視界が開けました。目の前に、岩肌のむき出しになった、険しく高い崖が立ちはだかったのです。ハッサンは上を見上げます。すると、いました。先ほど追って来たキメラが、ゴツゴツとした岩の中に身を埋めているのが見えました。

 何をしているんだろう。キメラを捕まえるためにも、ハッサンは近くにちょうどよく生えていた大木に登ります。幸い木はしっかりとしていましたので、彼の身体にも負けずにいてくれました。安定した足場となってくれる木の枝から、ハッサンはこっそりとキメラの様子を窺います。そして、はっと息を飲みました。キメラのうずくまっている場所には枝やら、柔らかそうな藁やらが敷いてあり、その上には小さなキメラが三、四匹いたのです。

「そうか、アイツは母親だったんだ!」

 子キメラ達は下を向いて、何かを必死で突いています。ご飯のようです。夢中で餌を食べる子供達を、母親はハッサンの思っていた魔物とはかけ離れた、優しい目で見つめます。それは、母親の眼差しでした。

「くっ……魔物でも、親っていうのは子供が大事なんだな」

 いつの間にか、ハッサンの目には涙が浮かんでいました。彼は目元を乱雑に、その大きな拳で拭います。

「駄目だ、俺には子供のいるキメラを殺すことなんてできねえ!」

 彼は少々強引なところもありますが、根はとてもお人好しな人情家なのです。だから、いくら自分の命が危うい可能性があっても、相手が魔物であっても、まだ幼い子から親を奪って自分のために使うなんてことはできませんでした。

 仕方ない、自力で森を出よう。緩んだ涙腺がもとに戻る頃、ハッサンはそうっと木を降りようとしました。

 しかしその刹那、ぎゃあぎゃあという鳴き声が耳に入りました。
 ハッサンはつられて顔を上げます。すると、なんということでしょう! キメラの巣に、魔物が襲い掛かっているではありませんか!

 襲っている魔物は、見たことがありません。蛇に羽が付いたような、異様な体です。それ二体と、いつの間にか現れたハッサンが追ってきたのとは違うキメラが戦っています。きっと、父親に違いありません。ぎゃあぎゃあというのは、彼の警戒する声でした。
 母親はさして大きくない体を巣の上に被せ、子供達を隠そうとしています。子供の小さな目がその下から不安そうに覗いています。父親は懸命に魔物達を威嚇しますが、なかなか追い払うことができません。

「見てらんねえぜ!」

 あのままでは危ない。そう思った時には、ハッサンは枝を蹴っていました。彼のいる木から崖までは、大の大人五人分ほどの距離があります。普通の人間では、とてもではありませんが助走なしに飛び移れません。
ですが、彼はハッサンでした。前述の通り、一般の人ではなかったのです。彼は宙を舞い、見事巣のある辺りに飛び移ったのです。
 突如森から飛び出してきた人間に、魔物達はかなり驚いたようでした。勿論キメラの一家も、相当驚いたようでした。
 ハッサンは魔物に向かって飛び上がります。

「喰らえ、正拳突きーィッ!」

 正直なところ、空中正拳突きはかなり厳しいものがありました。ですが、魔物達は急にピンクモヒカンの男が飛び出してきた上に、それが自分たちに向かって跳躍してきたのにかなり恐怖したようで、慌てて何処かへと飛び去っていきました。

「ふーっ、助かったぜ!」

 ハッサンは去っていく魔物を見て満足げに言いました。その様子を見て、警戒していた父キメラも彼が悪いものではないことを察したらしく、彼の前に降りてきて一声鳴きました。

「なに、何てことねえよ。赤ちゃんが無事で良かったな!」

 ハッサンは快活に笑うと、じゃあな! と言って険しい岩道をぴょんぴょんと跳んで去っていきました。その背中を、キメラの家族はきょとんとして見つめていました。



 その後、高い崖のおかげで目指していたレイドック城の位置を見て取れたハッサンは、それから無事森を脱出し、城に侵入して王子様に出会うことができたそうです。めでたしめでたし。












深夜のDQワンライお題「ハッサン」「キメラ」選択。

20140712