幼馴染エボリューション




※主マリ




ラブストーリーはもう既に



 アイツは、絶対日が昇ってすぐにはやって来ない。昔っからそうなのよ。村にいる時は、おばさんに起こされるまで起きない。
 それに対して、あたしはいつもきっちり起こされるより前に起きる。ベッドを整えて、今日着る服を選んで、ネグリジェから着替えて、髪に櫛を通してふわふわのつやつやにして、そうしているうちにメイドが朝食の時間を知らせに来る。その頃にはもうどこに出ても完璧な美少女が出来上がってるから、あたしは自信を持って食堂へ降りる。パパとママにおはようの挨拶をして、優雅に朝食を取る。今日のメニューはエッグベネディクトに白身魚のムニエル。あたしは一口齧ってみて、思わず唸ってしまう。別に、まあまあの味だったから感心しただけよ。悔しかったわけじゃないんだからね!
 朝食が終わったら歯を磨いて顔を洗う。部屋に戻り、もう一回鏡の前に立つ。髪に変なクセついてないかしら、よだれの跡なんて残ってないかしら。
 あたしの一日は、いつだってこう。決して、今日出掛ける予定があるからもう一度鏡を見に来たわけじゃないわ。あたしは身嗜みに気を遣うレディだもの、これくらい当たり前よ。寧ろ、今日なんてレディとしてはちょっと足りないくらいだわ。お化粧をしてないんだもの(勿論、化粧水と保湿のクリームはばっちりつけたわよ)。本当なら、いつも軽くお化粧をする。でも、今日はいいの。
 身嗜みチェックが終わったら、窓をそっと開け、近くに椅子を置いて外を眺めて待つ。この時も、あたしは抜かりない。外からはあたしの姿が見えない位置に座る。このきめ細かい真珠みたいな肌が焼けたら困るからよ。他意はないわ。
「マリベルー!」
 しばらく窓を開けっぱなしにしてると、窓の外から声が届く。勿論、空から聞こえたわけじゃない。下からよ。
 昔に比べて声が低くなったくせに、相変わらず子供みたいな調子で叫ぶんだから。口の端が勝手に持ち上がろうとするのを堪えて、窓に歩み寄り桟に手をかけて下を覗く。長閑なフィッシュベルの景色に、家の前でこちらを見上げるアイツの姿はあまりに馴染んでいる。この姿がなくなったらなんて、とてもじゃないけど思い描けない。
「遅いわよ」
「ごめんごめん。迎えに来たよ、行こう!」
 アイツは小さい頃から変わらない、お人好しの童顔でにっこりする。あたしはわざとらしく溜め息を吐く。
「ちょっと待ってなさい」
 アイツの笑顔に背を向けて、あたしは部屋を出る。絶対、走ったりなんてしないわ。だってあたしはレディだもの。でもさすがに人を待たせるのは悪いから、ちょっとくらい小走りにはなるわよ。優しいでしょ? これくらい当たり前よ。だけど、癪だから絶対息なんて上げないわ。
「マリベル、出かけるの?」
「うん、夕飯までには戻るわ」
「そう。気を付けてね」
 ママには今日どこに行くのか言ってある。というか、旅が終わってから定期的に同じような感じで出かけてるから、相手だけ言えば言わなくても察してくれる。あたしは玄関の前まで来たら、歩く速度を落として扉を開ける。今日初めて直に浴びる日光が眩しくて、目を細める。海を背に無邪気に笑うコイツにつられて笑っちゃったわけじゃないのよ。本当よ。
「行こう?」
「しょうがないわね。今日も付き合ってあげるわ」
 幼馴染はこくんと頷いて、踵を返して歩き出す。あたしはその隣に並んだ。
 仮初の平和を破る長い旅が終わってからも、あたし達は定期的に遺跡に足を運んでいた。長い旅の中であの神殿にある石版は大体揃えたんだけど、最後の鍵を使った先に、まだ揃ってない台座がいくつもあったのよね。だからあたし達は、漁師の仕事に本格的に取り組み始めたコイツの時間がある時を縫って石版を集め、台座を埋めて、その先の世界へ足を伸ばしていた。
 信じられないけど、神さまがいる世界や四精霊がいる世界も見つけたのよ。その時はガボもアイラも一緒で、滅茶苦茶に戦う羽目になって大変だったわ。
「今日はどこに行くの?」
「この前と一緒のところ」
「あそこなら何度も見てるじゃない」
「見忘れてる所があったんだ」
 あたし達は並んで話をしながら歩く。転移呪文は、村の人を驚かせると悪いから村はずれまで移動してから使うようにしていた。
「まったく、アンタって本当抜けてるわよねえ」
 ごめんね、なんてアンタは呑気に笑う。本当に悪いと思ってるのかしら。まあ、いいけど。あたしは暇つぶしになるなら、何だっていいわ。
 とは言っても、あたしも前みたいに自由気ままな身じゃないんだけどね。あたしも網元の娘として、少しはパパの手伝いをするようになったのよ。あとそれから、家事なんてものもやっちゃったりして。ママは花嫁修業って言ってるわ。まあ、レディとして仕方ないことよね。決して特定の相手がいるからその人のためにとか、そういうわけじゃなくて――
「マリベル、どうしたの?」
 気が付いたら、横の奴の顔をじっと見ていたらしい。不思議そうな顔で見つめ返されて、あたしは目を逸らした。
「……ぼーっとしてただけよ。悪い?」
 ああもう。分かってるのよ、全く。
 認めるのは癪だけど、あたしだって馬鹿じゃないから分かっている。
 あたしはこの間が抜けた幼馴染に、一人の異性として好意を抱いている。いつからコイツがちょっと足りない子分からそんなものに進化しちゃったのか分からないけど、あたしの心臓はこの間抜け面を見る度に勝手に跳ねる。気がそわそわして、いつもと調子が狂う。お澄まし顔が似合う、クールでちょっと高飛車なマリベルお嬢様じゃいられなくなるのよ。
 コイツのにへらって感じの、腑抜けた笑顔が好き。深海みたいな緑の目が好き。あたしの我が儘に付き合ってくれる、お人好しなところが好き。纏ってるのんびりした空気も、たまに苛々させられるけど嫌いじゃない。それに対して意外とよくものを見て考えてるところとか、真剣な時に見せる凛々しい表情とか、絶対言ってやらないけどカッコいいと思う。ええ、絶対言ってやりませんけどね。
「体調とか、悪くない? 大丈夫?」
 あたしがじとっと目を戻すと、眉を下げてこちらを覗き込んできた。本当に、何でアンタはそんなに平然とこっちをまっすぐ見られるのよ。あたしは今すぐ目を逸らしたくて堪らないのに。腹が立つわ。
「あたしのこの美貌を見て、不健康そうだと思うワケ?」
「だって、マリベルはすぐ強がるから」
 それを知ってるなら、今のあたしの強がりも見抜きなさいよ。
「あたしだって、命がかかわる戦いの時は不調くらいちゃんと言うわよ」
 違う、そうじゃなくて! あたしは内心歯噛みする。どうしてもこの、喧嘩腰みたいなものの言い方が直らない。
「うん、ちゃんと言ってね」
 そしてコイツは気付かない。ずっとそうよ。あたしが――このあたしが!――自分の気持ちを認めた時も、その前からも、ずっと変わらない。
 あたし達、いつまでこのままなのかしら。何となく、胸の底がじりじりと焦げる。これは焦燥だ。あたしは、この幼馴染が意外と一部から人気があることを知っている。しかも、そうやって彼に好意を抱く相手は、よりによって強敵揃いなのだ。
 このままでいいのかしら、あたし。いや、その前に、アンタはこのままでいいの?
 そう隣の男に問いかけたくて仕方がない。でもそういう種類の度胸は、あたしにはない。
「おっ、アルスにマリベルだぞ!」
 悶々としてたら、聞き覚えのある無邪気な声がした。見ると、村の入り口の階段に、狼に跨った野生児が立っていた。
「あら、ガボじゃない」
 ガボは、今日は遺跡に行かないと聞いている。何かこの村で用でもあるのかしら? あたしは隣を見た。何故か、アルスの顔が微妙に強張っていた。
「二人ともこれから遺跡か? オラも行きてえけど、今日は我慢だぞ。アルスの頼みじゃ仕方ねえもんな!」
「頼み?」
「わああああっ」
 聞き返したあたしのこえは、アルスの声で掻き消された。大声を上げるなんて珍しい。でも、あたしの近くでやられるとびっくりするじゃない! あたしがそのことを非難する前に、幼馴染は慌ててガボに話しかけた。
「あのっあのねガボ! ガボは今日、母さんに用があるんだよね!?」
「ああそうだ、忘れるところだったぞ。おっちゃんが採れた山菜を持って行ってくれって言ったんだ。ついでにメシももらうんだぞ!」
 ガボは歯を見せてにかっと笑った。食い意地は変わらないらしい。アルスが繰り返し、いつものまったりした風のものとは違う不自然なくらいの愛想の良い笑顔で頷く。
「そうだよね、ありがとう。おじさんによろしくね。じゃあ!」
 アルスが足早にガボの横をすり抜けようとする。いつもならもう少し話をしたり、一緒に行こうとか誘う癖に、変だわ。あたしは追求しようとする。だけど、それより先にガボが遠ざかろうとする幼馴染の方を振り返って言った。
「ああ、あとなアルス」
「なっ何?」
「アイラから、次アルスに会ったら伝えてくれって言われたんだけどな」
 アイツは振り返った。何だか、余裕のなさそうな顔つきだわ。戦闘の時とはまた違った感じの表情してる。
「いい加減、遺跡でえとじゃなくてお町でえとの方がいいらしいぞ。なあ、でえとって何だ? 美味いのか?」
 ガボが言った直後、アルスが地面に落ちた。というか、殴られたみたいに膝から崩れ落ちた。呆気に取られるあたしを余所に、アルスは両手で顔を覆ってうううと唸っている。
「あ、アルス?」
「ごめん待って、ちょっと待って」
 顔を覆ったまま、アルスは普段の呑気ものの字もない差し迫った勢いで首を横に振る。帽子から零れて見えた耳と前髪の隙間から覗く肌が、日焼けしたわけでもないのに真っ赤だ。
「違うんだよ! いや違わないけど、その――」
「どうしたんだアルス! 目がいてえのか!?」
「大丈夫、何でもない!」
 心配しているガボにもその調子で返す。でもガボは、心配して更に尋ねる。
「なあ、でえとって何だ? そんなアルスがびっくりするようなもんなのか! あっ、まさか怪物か!? もしかしてこれから、でえとと戦いに行くのか!」
「違うよっ! あれっ、いやでもちがっ……」
 アルスは顔から手を離してちらりとこちらを見た。それは思わずの行動だったようで、すぐにまた慌てて目を逸らした。顔中が、茹でたタコみたいに赤に染まりきっている。
 ちぐはぐな男達の会話にいつもならツッコミを入れるところだけど、あたしはただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。それどころじゃないのよ。
 だって、どういうこと? コイツはガボに何を頼んだの? アイラは、アルスに何を伝えようとしたの? でえとって、あのデート以外に何かあったかしら。
 自慢じゃないけどあたしの頭はとってもいいの。だから、すぐにある可能性が思いつく。いえ、でもだって、そんな都合のいいことあるわけないわ。今まで、そんな素振り全然なかったじゃない。
 混乱している頭を整理しようとしていたら、またアルスと目が合った。そしたらもう一回、今度は明らかに照れた様子で目を逸らされた。
 あたしはつい頬を押さえる。やだ、熱って目を合わせただけで移るものかしら。あたしの美しい純白の肌が、目も当てられない有様だったらどうしよう。
 まったく、なんてことしてくれるのよ。アルスの分際で、生意気だわ。








ロマンチックが足らない


 拝啓、親愛なるキーファ。君は今、どこの空の下にいますか。もちろん、現代の君は土の下にいるのだろうけど、冒険心の強い君のことだから、身体を無くして魂だけになったなら、生前よりもっと活発にあちらこちらを動き回っているんだろう。
 思えば、パワフルな君とぼんやりした僕の、唯一の共通点は、冒険心の強さだった。周りの人は、そうは思わなかったみたいだけどね。
 君は明るくて情熱的で、すぐ喜怒哀楽がオモテに出る。だから君の野心や好奇心は、すぐに周りの人に伝わったんだろう。一方の僕は黙っていることが多いから、そうはなりづらいみたいだ。
 僕は、ほら、細かいこととか気にしないっていうか、気にすることができない方でしょ。あまりこだわらないから、だいたいのことは「いいよ」「そうだね」って言っちゃう。それで、「気柄がいい」とか「良い奴だ」とか、そういう評判になる。遺跡の謎解きと一緒だ。これは何だろう、どうやったら先に進めるんだろう、って、何も言わないあの古い石の集まりに、いっぱい働きかけたね。あれこれして、得た反応で、なるほどこういう仕組みなんだって知る。目の前によく分からないものが現れた時って、そういうものじゃないかな。
 その点、四六時中一緒にいて、話して、笑って、時には怒って、ってしてきた君は、僕のことをきっと、僕以上によく分かってたんだろう。そうじゃなければ、どうして石版のユバールの時代に残る時に、僕にあとのことを託したりするだろう。分かってくれるよな、なんて台詞で別れようなんて、思わなかったはずだ。
 君とは様々な話をしてきた。島の外の話とか、知らなそうなものの話とか、たまに、理想の話なんていうのした。石版を見つけるよりずっと前に、エスタードの森の、誰も近寄りそうにないような奥で、好みの子の話もしたね。
「俺はなんと言っても、ロマンのある女がいい。ロマンが分からない、責任がどうだとか現実がどうだとか言う、やかましい奴はごめんだな」
「それ、キーファのお父さんみたいだね」
 僕がそう言うと、君は白目を剥いて悲鳴を上げたっけ。
「アルスお前、ひっでえこと言うなあ! 親父が女になったみたいなんて、ウェッ、ダメだ」
 吐きそうな声が演技でも茶化してる風でもなく、本気だった。笑うと、君は怒ったような顔して、僕の首を絞めにかかった。本気じゃないけど勢いのある腕が、くすぐったかった。
「お前はどうなんだよ」
「ええ?」
「俺だけが言うなんて、対等じゃないだろ。どうなんだ。こういう子がいいとか、気になる子がいるとか、ないのか」
 キーファの顔は愉しそうで、晴れた日の入り江みたいにきらきらしてた。僕はあの時、正直なことを言うと、ちょっと困ったんだ。
 好きになれる人について考えたのは、あの時が初めてではなかったよ。村のおじさんたちも、似たようなことを聞いてきてた。僕の村において、漁師には守るべき家と奥さんがいるっていうのは当たり前で、おじさん達が集まれば、ウチの嫁が、から始まる冗談を交わし合うのが普通だから、よくある社交トークなんだ。
 聞かれる度、笑ってはぐらかしていた。
 でもキーファには、そうしたくなかった。
「僕は」
 答えは多分、僕の中にある。でも、言いあらわし方が分からない。
「行ってらっしゃいって、言ってくれる人がいい」
「どういうことだ?」
 キーファは首を傾げた。
 僕は内心呟いた。そうだよね。僕だってよく分からないんだから。でもこれまで考えてきて、一番しっくりくるのがそれなんだ。
「僕には、やりたいことが色々あるんだ。漁に出て、広い海を見たい。魚をうまく捕れるようになりたい。嵐の中でも船を守りきりたい。この島の外を知りたい。僕の知らないものを、たくさんこの目で見たい。だから僕のやりたいことを認めて、『いってらっしゃい』って言ってくれる人がいいな」
 今思い返してみると、僕はキーファと話すことで、いろんな考えをはっきりさせることができてたんだと思う。自分一人で考えるだけだと、途中でどうでもよくなって、考えるのをやめちゃうことが多い。でもキーファは、あの熱さでまっすぐぶつかってくるから、僕は考えて答えを出さざるを得なくなる。
 口に出してみると、確かにそんなような気がしてきた。母さんは朝起きろとか、しっかりしろとか、そういうことは言うけど、僕のやりたいことは否定しない。父さんは自分で決めたならそうしろと、それだけだ。そういう接し方が、僕にはちょうどいい。
 村のおじさんたちにうまく答えられないのは、僕の答えがおじさん達の求める答えと少しずれるかもしれないからだろう。嫁さんが、から始まる冗談は、きっと僕には言えない。僕は誰のためでもなく、僕の望む生き方がしたい。
「アルスは結構、亭主関白なんだな」
 キーファはおかしそうに言った。僕は首を傾げた。亭主関白という言葉は、僕には馴染まない気がした。
「僕は、奥さんを言うとおりにさせたいわけじゃないよ」
「や、言い方が違った。アルスにも、ロマンがあるんだろ。お前は結構頑固だから、嫁さん相手にも譲れないんだろうなあ」
「ううん、僕は子供なんだ」
 守るべきものがあって、そのために頑張れるのが大人だと、おじさん達は言う。守るべきもののせいで冒険ができないならば、そういうものはほしくないと思ってしまう僕は、大人ではないのだろう。
「いーや。そんなのは小せえ大人のエゴだぜ。守るべき弱い者を作って、自分はそれより強いって、信じたいだけだ」
 キーファはたまに、こういうことを言った。そんな彼が、当時の僕には眩しかった。
「自分の代わりに他人を主語にして語る、そういう風に俺はなりたくないね。俺は、リーサが可愛いからリーサを可愛がる。リーサが小さくて弱いから守らなくちゃいけないってみんなが言うからじゃない。分かるだろ?」
 僕は頷いた。
「僕は、自分をしっかり持ってる人がいいなあ」
「自分のロマンを持ってる女な」
「うん、多分そう。そういう人なら、僕がどこに行っても気にしないよね」
「それでこそ俺の親友だぜ」
 いつかお互い気になる子ができたら、話そうな。
 キーファ、君は確かにそう言ってたね。
 それからずっと時が経って、忘れもしないあのユバールでの夜、君はライラさんについて話した。僕は、君の気になる子の話を聞いたわけだ。でも君は、僕の話を聞かないまま、自分の道を行ってしまった。まったく、君らしいよ。
 だからキーファ。僕は聞こうと聞くまいと構わず、いつでも勝手に心の中で君を呼ぼう。君が嫌だって仮に言ってたとしても、構うもんか。恨みに思うなら、夢枕に立ってくれていい。そうしたら、もっと聞かせてあげるから。
 早く君が恨み言を言いに来てくれることを願って、僕は今日も勝手に語りかけるよ。
 ねえ、キーファ。僕にも気になる子ができたよ。
 正確には気になる子っていうか、気になってるかもしれない子、気になってたらしい子なのかな。そのあたりの判断がつかないから、君の意見をもらいたい。大丈夫、君も知ってる子だよ。あの、マリベルだからね。
 君の「マジかよアルス!?」が聞こえてくるようだよ。マジかどうかは、僕が一番知りたいんだ。君だって僕の性格を知ってるだろ。僕は細かいことを考えるのが苦手だから、よく分からないんだ。
 昔からマリベルは、よく僕らの邪魔をしたね。行く先々で待ち伏せして、「あたしも連れていきなさいよ」って、つきまとってた。僕はそれが嫌だったな。僕は「行ってらっしゃい」って言って欲しかったから。
 でも君と別れて冒険を続けていたある時、僕は気付いた。
 マリベルは漁であれ石版の旅であれ、冒険がしたかった。実際に冒険の旅を通して、彼女は自分の願望を叶えられるだけの力をつけた。その力はマリベル自身だけでなく、僕のためにもなってくれた。
 そう。僕はちょっと、「そういうのもアリかな」って思うようになった。マリベルは僕のやりたいことの邪魔はしないし、仮に反対することがあっても、もっともな理由があって、まっすぐ言ってくれる。「行ってらっしゃい」以外の認め方も、あるんだね。マリベルのことをいいと思うかはさておいてね。
 話を先に進めるよ。君は知らないと思うけど、冒険を続けていたある時、アミットさんが倒れて、マリベルが戦線離脱したことがあったんだ。一度旅をやめて、両親のために家にいることを選んだ。旅を続ける僕に対しては、あたしがいなくて寂しいでしょうけど、なんて言いながらも、自分を連れて行けとはもう言わなかったよ。
 その時僕は、ちょっと寂しかった。
 ……君の「マジかよアルス!?」が聞こえてくるようだよ。
 僕もびっくりした。まさかねえ。マリベルは、送り出してくれたんだよ? でも僕は、何かが足りないような気がした。おかしいよねえ。
 思えば、「アリかな」が「アリだ」になってたのかもしれないなあ。
 あとね。マリベルとの会話がだんだん愉しくなってきたんだよ。マジかよにはまだ早いよ、キーファ。マリベルって口がキツいだろ? あれって、繊細さの裏返しなのかなって、思うようになって。
 マリベルって、こっちが追及するとうまく言い返せなくて感情的になることがあるんだよね。それからちょっと僕が雑に扱うと、拗ねるんだよね。そういうのがこう、可愛いなって。
 君の「マジかよアルス!?」が聞こえてくるようだよ。君、オルカのことを趣味悪いって言ってたもんね。ふふ。僕、もうあの頃の君の年齢を越したから、偉そうなことを言ってもいいかな。僕の器の大きさを、甘く見ないでもらおう。 
 僕のやりたいことを手助けしてくれたり、一緒にやってくれたりする、自分をしっかり持った人。ぴったりじゃない? マリベルって、良くも悪くも自分の価値観にとらわれがちだけど、その分わかりやすいし、付き合いやすいよ。最近はちょっと、なんて言うのかな、冷静さみたいなものも身につけてきて、ものを見る目の鋭さも磨かれてきた。マリベル、そもそも頭いいからね。見た目も可愛いから、文句ない。
 それでね、キーファ。君に意見をもらいたいのは、マリベルとのことなんだ。
 旅が終わった。神さまにさえ、僕らは勝てるようになった。今は神さま撃破タイムアタック中およびダンジョン探索継続中なんだ。
 もちろん、マリベルも一緒も挑んでるよ。二人きりで、ダンジョン探索に行くこともある。宝箱を探したいとか、もっともらしい理由をつけて、連れ出すんだ。実際はただ、色んな光景の中のマリベルを見たいだけ。特大の爆発で紅に染まる横顔とか、強い日射しの下で僅かに透けて見えるそばかすとか、怖がってつい僕の腕に伸びようとしちゃう細い指とか。仲間にはもう、遺跡デートとか冒険デートとか言われてるね。
 でもついこのあいだ、僕が適当に理由つけてるだけっていうのが、バレちゃったんだよね。しかも仲間からデートだと思われてることまで、バレたよね。
 君の「マジかよアルス!?」が聞こえてくるようだよ。マリベルと二人で出掛けようとしてるときに、ガボに会っちゃったのが悪かった。あの時は焦ったよ。マリベルのことだから、「このウルトラ美少女マリベル様が冴えないアルスとデートですって! きーっ!」って言うと思ったから。終わったなって、慌てたよ。
 だけどこれを聞いたらキーファ、きっともっと驚くよ。
 マリベル、僕とデートしてるって周りから言われてるって知っても、まだ僕が誘うと一緒に二人で冒険してくれるんだ。
 さんざん他人のことを、「アルスのくせに」とか「下僕」とか言ってるのに、何でだろうね。
「ねえ、アルス」
 実は君に話しかけている今も、マリベルと二人きりでダンジョン探検中なんだよね。海底世界の景色は、綺麗だなあ。周りは水で満ちてるみたいなのに、息ができるし会話ができる。さらには澄んだ瑠璃色の中でたゆたう炎みたいなマリベルの髪が非現実的で、綺麗で、夢みたいだ。
「なあに、マリベル」
 僕は足を止めて、じっとマリベルを見つめる。するとやっぱり、マリベルのきりりとした眦が薄く朱色に染まって、俯いた。
 キーファ。羞じらうマリベルって可愛いと思わない? 僕、マリベルの目の縁の薄い皮膚のところが赤くなるのを見るのが好きなんだ。怒ってる時も、泣くのを我慢する時もこうなるんだよね。あれも可愛くて、ちょっと困る。
 最近、マリベルは挙動がおかしい。僕が黙ってると、ずっと黙ってる。見つめてると、落ち着かなそうに身じろぎする。僕らの冒険がデートみたいだって気付く前は、こんなこと、なかったんだけどね。これまで見たことがないマリベルを見てるのも、愉しい。
「その。探したいものとか、あるんじゃないの?」
「なにか、あったらいいよねえ」
 盗賊の鼻は、宝箱なんてないって言ってる。でも、未知の領域までは分からない。行ってみないと、やってみないと、分からないよね。
 また僕らは歩く。でもさっきまでとは違って、マリベルが話すようになった。
「フフン。この輝く美貌のマリベル様を隣に並べて冒険できるなんて、あんた幸せ者ね」
「うん」
「ありがたみを噛み締めなさいよ」
「はいはい」
「絶対そう思ってないわね」
「思ってるよ」
「なんかあんたって、いやみったらしいのよね」
「はいって言ってるのに」
「こんな魔物の出るところについてきて平然としてられる女の子、あたししかいないわよ」
「それは本当に、ありがたい」
 横に並んでいたマリベルがいなくなった。
 振り返ると、後ろにいた。立ち止まって、僕のことをじっと見ている。しかめっ面になって、なんとなく、恨めしそうな感じ。
「あんた、ホントに何なのよ」 
「え?」
 首を傾げると、マリベルは非難がましい口調で言う。
「みんなに聞いたわ。あんた、ガボともアイラとも、二人で冒険してないそうね。なんであたしだけを連れ出すの。ガボだっていいじゃない。アイラに予定を空けてもらったっていいじゃない」
「ああ、うん。でもマリベルがいいんだけど、ダメかな」
 なんなのよぉ、とマリベルはうずくまった。僕は近づく。彼女が不覚を取るとは思えないけど、一応魔物が出るダンジョンだから。
「あんた、あたしのことを何だと思ってるのよ」
「おてんばすぎる幼馴染み。あ、待って待って。リレミトしないでよ」
 蹲ったまま天を指した右手が輝きそうだったので、僕は慌てて腕を掴んだ。マリベルはびくりと震えた。顔を跳ね上げた彼女と目が合う。僕は、息を飲んだ。
 ひそめた眉の下の、豊かな海みたいな、翠の眼。潤んでる。不思議な水の天井から射し込んだ透明な光が、彼女の白い肌の底に息づく血の色を透かす。僕は珊瑚の色を思い出した。薄ピンク色をしたそれはエンジェルスキンと呼ばれ、幻の一品としてもてはやされる。それから。
 キーファ。君は知らないだろうね。
 顔だけは可愛いって言われてたマリベルだけど、ここ二年くらいで、すごく綺麗になったよ。この表情、君に見せてあげたかったな。
「何か、気に障った?」
 マリベルは唇を噛み締めた。できた艶が立体感を訴えかけてくる。この様子、昔のマリベルに見せたら、なんて言うかな。フケツって言ったら、ちょっと嬉しいかもしれない。
「あんた、鈍すぎるでしょ。嫁入り前の女が、こんな人気のない所について来たら、普通察するわ」
「んー。マリベルは、僕が君の男でいいって思ってるってこと?」
「リレ──」
「だめだってば」
「離しなさいよッ。どこかに行かないと、あんたのこと殴りそうなのよ!」
 もう片方の腕も掴んだら、リレミト発動は阻止できた。でも暴れてる。まだ油断はできない。彼女の魔法発動のタイミングは、たまに読めない。
 殴られるのは困るなあ。喧嘩で手が出る関係って、よくないと思う。呪文を封じちゃえば逃げないと思うけど、それもフェアじゃないよね。良くない。
 でも、リレミトされるのはやだなあ。僕、どうでもいいことはどうでもいいけど、一度こだわると譲ってあげられなくなるから、きっとこの後マリベルにすごくつきまとうよ。昔された以上にね。
 だから僕は、なるべく乱暴にならないように、でも振り払う隙は与えず、マリベルの口を手で塞いだ。掌全体で覆っちゃうと、顔が鼻まで隠れちゃって苦しいだろうから、親指だけで上と下の唇を、残った指で喉元を押さえた。これなら詠唱できないよね。
「分かってるでしょ。僕はマリベルが好きだよ。だから君と冒険したい。それじゃあ、ダメ?」
 マリベルがむぐむぐ言っている。リレミトしない? と聞くと頷いたので、親指だけどかした。マリベルは頬に移った親指を瞳孔だけで見て、不服そうな顔をする。
「手、どけなさいよ」
「やだよ。そうしたら逃げるだろ」
「どうして」
「え?」
「だから、どうしてあたしのことが好きなのよ」
「理由まで言わないといけないの?」
「当たり前でしょ。あたしがこれまで、どんだけ気を揉んだと思ってるの」
 キーファ。今のだよ。この良さ、君に分かるかな。
 マリベルの言葉は背景を思う楽しさがあるんだよ。これ、マリベルは二人きりで僕と冒険するたびに、僕を意識してきたってことだよね。ねえキーファ。マリベルは何を考えてきたんだろうね。こう見えて下ネタには弱い彼女のことだから、多分、僕からすればなんてことないことで、動揺したり、悩んだりしてきたのかな。
 こう言ったらマリベルは絶対怒るだろうけど、ねえ、キーファ。
 可愛いと思わない?
「僕と冒険したいなんて言うのも、実際冒険できるのも君だけだから」
「ふーん。あんたの冒険ありきのあたしなのね」
「そういうの考えるの苦手なんだから、意地悪言わないでよ。それに君だって、冒険するの、好きだろ」
「まあね」
「網元のお嬢様を外に出していいって言えるの、きっと僕くらいだよ」
 マリベルの逸らされていた視線が、僕の上に戻ってきた。眉を引き締めて、少し考え込むような顔をして、頷く。
「意外と合理的なこと言うのね。もっともだわ。フィッシュベルの男であたしのわがままを叶えられるのって、あんたくらいよ」
「結婚する?」
「いや、まだ早いわ。お付き合いの期間に、できることをできるだけやって、自由を楽しまないと」
「うん、それは大事だ」
 僕も頷いた。
 マリベルが噴き出した。つられて僕も笑い出す。
「ほんっとにあんた、ロマンがないわね! こんなに軽いノリで結婚する? まで言うの、聞いたことないわよ!」
「だって僕、マリベルの気持ちをまだ聞いてないよ。相手の気持ちも聞かないで、真剣にプロポーズしちゃいけないかなって思ったんだけど、どう?」
 笑顔が固まった。
 来ましたよ、キーファさん。マリベルの百面相。これはきっと、考えてるな。
 プライドの高い、そして素直じゃないマリベルのことだから、僕への気持ちなんてまともに言えないだろうなって思ってたけど、予想通りですね。口がはくはくしてるよマリベル。指を入れてもいいかな。怒るかな。
「ねえマリベル」
「何よ」
「やっぱりリレミトしてもいい?」
「さっきからリレミトしようとしてるんだから、訊くまでもないじゃない」
「君との冒険は好きだけど、君の言うロマンを知るためには、魔物が出るここじゃあいけない気がするんだよね」
「あーっ、マリベルちゃんったら忘れてたわ! 今日はどうしても神さまをぶちのめしてご褒美もらわないといけない日なのよ! ってことで残念ねアルスまた今度!」
「はいリレミト」
「人の話を聞きなさいよ! 」
 ねえキーファ。僕はやっぱりどうにも、お人好しではないよ。人並みの優しさは持ってるって自負してるけど、でも自分の好奇心とか、やりたいことからどうしても目がそらせなくて、冒険が大好きな、ろくでなしみたいだ。君を悪い方向に引っ張ったっていう人の言葉も、合ってたんだと思う。
 一生、この子供みたいなところが抜けないかもしれない。けど、同じように子供みたいなところがあるマリベルとなら、大人みたいな顔ができるかな。たとえば僕が迷った時、やっちゃいけないことをした時、マリベルはこれまでみたいに、叱ったり、泣いたりしてくれると思うんだ。僕たちは君より年上になってもまだ、冒険とか、知らないことを知るのが大好きだから、お互いの知らない顔とか、他の知らないことにも、向き合っていける気がするんだよ。
 キーファ、どう思う? 君だけはきっと、ロマンだって言って笑ってくれるよね。













第39回ワンライ参加。お題「ガボ、マリベル」選択。


20150506 「ラブストーリーはもう既に」了
20200420 「ロマンチックが足らない」了