王の思い出




※トロデ夫妻の捏造があるため、ご注意下さい。










 三角谷は、呪われし王にとって楽園である。この地は人と魔物が共存する地上唯一の地であるため、魔物の姿をした彼が町の中で姿を晒しても、白い目で見られることがない。だからかの地に来ると、トロデはいつも一行の先頭に立って、満面に喜色を湛えて駆けまわる。そのはしゃぎっぷりは、連日僕扱いされ彼の我が儘につき合わされる一行も、我が子を見守る親のような温かな感情を覚えてしまうほどだった。

しかし、ある日のことである。谷で自由行動をしていたゼシカは、谷の防具屋の品ぞろえを眺めていたトロデを見かけて、足を止めた。尊大な殿様蛙に似た彼の表情が、心なしか寂しげに見えたのである。



「どうしたの、トロデ王?」



 親しい人の悲しげな顔を見かけたら、黙っていられないのが彼女の性分である。ゼシカは後ろから遥か下にある顔を覗き込んで、そう声をかけた。

 トロデは近づいて来る気配に気づいていなかったらしく少々驚いたようだった。しかし、すぐに照れくさそうに微笑む。



「いや……ちょっと懐かしくなってのう」



 ふーん、とゼシカは彼の視線が注がれていたものを仰ぐ。それは清水で織られた魔法の衣、水の羽衣だった。



「ミーティアが生まれるより前のことだったかな? ミーティアの母、つまりわしの妻に、これを取り寄せてやったことがあったんじゃ」



 その台詞を聞いて、ゼシカは自分がどうして彼の表情に引っかかったのか理解した。村を出る前によく見た、父の墓標を見つめる母の顔と似ていたのだ。



「妻は、それはそれは美しい人じゃった。若い頃はミーティアに瓜二つで……いや、ミーティアが母に似たんじゃな」



 外見にそぐわず、心の綺麗な女性じゃった。そう語るトロデに平素の尊大さはなく、そのあまりの穏やかさにゼシカは戸惑いを覚える。



「わしのこの、その……ちょっと個性的な見た目にも、眉根を寄せたことは一度もなかった。初めて会った時に、わしのことを『可愛い』と言ってくれてな。最初は余計な世辞を言いおってと思ったもんじゃったが、次第にそれが本心からだと分かっての……」



 自分が個性的だと言う自覚があったのか。ゼシカは重ねて衝撃を受けた。自信過剰な言動の多いこの王も、コンプレックスがあったのだ。

 トロデはまるで恋を知ったばかりの初心な少年のように、喋り続ける。



「何でこんな外見のわしを、と聞いたこともあった。すると彼女は……今でもよく覚えておる。あの白磁の頬をぽっと赤らめての、こう言ってくれたんじゃ」



 ――私は、あなたのおっしゃる「こんな外見」が好きなのです。あなたの広い見聞や、王としての度量、民草を愛する御心と同じように、そのお姿もまた、あなたをお慕いしている理由の一つなのです。



「それからますます彼女に惚れ込んでのう。結婚してからも、彼女のためとなることなら、国を傾けない程度に何でもした。彼女が山の紅葉が見たいと言えば御幸に行った。体調が優れない時は医者にすぐ相談して手を打った。ミーティアを身籠った時は身体にいい物を取り寄せたり、妊婦用のドレスを職人に織らせたり……あまり我が儘を言わない控えめな人じゃったから、わしが何かする度に、申し訳なさそうに笑いながらも礼を言ってくれたもんじゃ」



 懐かしむ円らな目が、また羽衣の方を見上げる。きっと、この羽衣を彼の妻に贈った時のことを思い出しているに違いない、とゼシカは察した。



「これと同じものを取り寄せたのは、夏に暑くてよく眠れないようだったからじゃ。彼女はあまり身体が丈夫じゃなかったから、睡眠を取れないとなおさら良くないじゃろ? それでこれを……」



 トロデは嘆息した。

 彼の妻が、身体が弱くて病死したことはゼシカも聞いていた。



「まこと、よく似合っておった。何でも似合う人じゃったが、このような優美で清楚なものは特に、身に纏うとお伽話に出てくる天空の民のようでな……」

「それは、見てみたかったわ」



 ゼシカはお世辞でもなんでもなく、素直にそう言った。そして続ける。



「じゃあきっと、ミーティア姫にも似合うのでしょうね」

「無論じゃ! ミーティアに合わぬ衣服など衣服ではない!」



 自分のことのように威張って言う王に、ゼシカは噴き出してしまう。じとりと睨まれたが、違う違うと誤解を解いてから明るい声色で言った。



「じゃあ、早く呪いを解けるように頑張りましょ? 私、ミーティアが水の羽衣を着るのを見てみたい」



 トロデは丸い瞳を更に丸くして、彼女を見上げた。それから泣き出しそうなほどに顔を歪め、笑った。



「ありがとう、ゼシカ」













お題「トロデ、水の羽衣、お嬢様」選択。



20140906