触れた一瞬、後悔涯知らず




※主姫











 呪われしトロデーン王率いる一行の懐は決して豊かではない。
 本来ならば一国の王の旅路なのだから国の予算が充てられているはずなのだが、本人が魔物になっており、王城が実質壊滅状態の現状では口座を動かせるわけがない。
 そのため現在トロデーン王国で唯一の僕であるエイトの仕事の中でもっとも大切なものの一つは、どうにかして収入と物資を得ることであった。魔物を討伐して稼ぐことももちろんだが、忘れてはならないのがフィールド探索だ。食べられるものは集め、使えるものはもらい、売れるものは売る。基本的だが、侮ったら痛い目を見る。
 その日もエイトは主君の呪いを解く旅をしながら、路銀やら物資やらを工面しようとしていた。人の手が長く入っていない場所だから足場が良くなく、魔物が強敵揃いで苦戦していたが、彼は自分の役割を忘れない。何かありそうな場所を見つけたら、探ろうと思う前に手を伸ばしている。もはや彼の資金対策は、無意識の領域まで身体に染みついていた。
 だから痛みかけたタンスを見かけた瞬間、何の躊躇いもなく引き出しを開けて中身を入手した。所要時間一秒にも満たなかった。
「綺麗な部屋でがすなあ」
「茨がなくなったところを見てみたいわ」
 離れた位置でヤンガスとゼシカが会話している声がぼんやりと聞こえる。次の順路について考えを巡らせていたエイトはあまり関心を払っていなかったが、その後のゼシカの言葉は不思議と鼓膜に入ってきた。
「お姫様なのに派手じゃないのね。この部屋の感じ、あたしは好き。ミーティア姫とは仲良くなれる気がするわ」
 ここはミーティア姫の部屋。
 ここはトロデーン城。
 目的地に辿り着くことだけに集中していたエイトは、やっと自分がどこにいるのか思い出した。
 そういえば。
 エイトは持ち物袋の中を探った。先程目の前のタンスから手に入れたものは、一番上に重ねてあった。
 細い紐。上質なシルクの質感。うっかり力を込めたら破れてしまいそうな薄い生地。
 袋を覗いてみる。途端に背中には汗が、脳内には要領を得ない言葉が噴き出してきた。
 まさか。
 いや。
 まずい。
 そんなつもりでは。
 でも誰も見てないし。
 今こっそり戻せば。
「エ、イ、ト、く、ん」
 背後から声がした。
 振り返ると、笑顔のククールがいた。







「君の笑顔って腹が立つほど綺麗だね」
「前から思ってたけど、エイトって罵倒の才能があるよな」
 トロデーン城から月の世界へ行き、砂漠から魔法の船を手に入れた。
 操舵室にて、エイトは舵を切りながらククールと話をしていた。話題は、先日トロデーン城で起こった事故についてである。
「声かけた途端に口を鷲掴みにされたのには驚いたな。お前にあんな圧が出せるとは知らなかったし、うまいこと姫様の下着をかっぱらう要領の良さがあるとも知らなかった。モノ好きな腰巾着のお人好しだと思ってたけど、見直したぜ」
「何も嬉しくないから。それにあれはわざとじゃなくて、事故だよ」
 何度でも言うが、事故である。
 自分でも、大切な主君のプライベートを無意識で侵すとはとんでもないことをやらかしてしまったと思っている。気を引き締め直さないといけない。
 ククールはにやにやしながらエイトの脇を小突く。
「でも、あの下着はまだ持ってるんだろ?」
「仕方ないだろ。君が茶々を入れようとするからこうなったんだ」
 操舵室には自分達以外に誰もいないので気兼ねなく話をできる。いつもの自分に比べて口が悪くなってるなとエイトは思った。
 新顔のククールは、何か思うところでもあるのかエイトによくちょっかいをかけにくる。たいていククールがしょうもないことを言って、エイトが笑って流すような流れになるのだが、今回はそうはいかなそうだ。
 顔をしかめるエイトに、軟派僧侶はなおも言う。
「いやいや、格好付けなくていいんだぜ? ガーターベルト、欲しかったんだろ。あの時必死にお願いされて黙っててあげたオレの優しさに感謝して、正直に言えよ」
「僕に三発喰らわせられたら棺桶に入る体力のくせに何言ってるの? 君に黙ってる以外の選択肢はなかったんだよ」
「おおー。箱庭育ちの僕ちゃんのくせに怖ぇ怖ぇ」
 ククールが大げさに自分の身体を抱き締める。エイトは溜め息を吐いた。言葉遣いが可愛らしいと言われるのはどうでもいいが、あまりに侮られる言葉遣いだとトロデーンの格を落とすことになりかねない。
「俺が」
「僕で良いのに」
「どうでもいいよ。俺がガーターベルトを戻せなかったのは、君がヤンガスとゼシカに注目されかねないようなことをしかけたからで、そうじゃなかったらタンスに戻してたはずなんだよ」
「おお、少年よ。健全な若者として何も恥じることはないさ。幼馴染みの姫様なんだろう? トロデ王の言うことが本当なら、美人なんだろう? ならガーターベルトの一枚二枚、いや十枚くらい欲しいと思ったことくらいあるだろう。え?」
「本人の了承無しにそういうのは良くない」
「紳士だな。好きじゃねえの?」
「ククールが思うような気持ちはない。人として好きだなんておこがましい言い方もできないほど、姫は大切な方なんだ」
「ラブじゃん」
「はいはい」
「じゃあ」
 アホらしくてまともに相手をする気がなくなってきたのを察したのだろう。
 ククールはエイトの腰に手をやった。そこには、持ち物袋が下がっている。
「この海を越えたら、サザンビークって国に着くんだろ。そこの国の王子様なら、姫がこれを見せてもいいんだな」
 エイトは右手でククールの口を掴んだ。左手で舵を操りながら、やっとククールの方を向く。細い顎の輪郭が自分の手の力でさらに細く歪んでいる様を見つめて、微笑んだ。
「君の顔もそろそろ見飽きてきたね。しゃくれ顎とケツ顎ならどっちがいいかな」
「かんびぇんひてくらひゃい」
 ククールが言った。これ以上無駄口を利かないか聞くと頷いたので、離す。ククールは顎をさすりながらぼやく。
「エイトくんのすぐ脅しに走るところ、僕はよくないと思います」
「何言ってるの。そろそろ操縦も代わってくれるよね?」
 素直に従ってくれたので操縦を任せ、エイトは操舵室を後にした。甲板に出れば、追い風が爽やかで気持ちいい。しかし風の向かう方角を思うと、エイトの心は晴れない。
 サザンビーク。
 姫の呪いが解ければ、遠くない未来嫁ぐことになるだろう国である。
 懐の深い彼女のことだ。きっとどんな相手とでも打ち解けて親しくなれるだろう。ゆくゆくは良い夫婦になるに違いない。
 何せ、素性の知れない行き倒れの自分さえ受け入れて仲良くしてくれたのだから。
 エイトは海原を見つめた。どこまでも透明な青の世界に、このわだかまりも溶かして薄められればいいのにと思った。








20200830 DQ小説同盟に感謝を込めて