ファイナルガールの青春




※ver5.5までのネタバレ有。

































 エテーネ村のミーナはソツのない女だった。

 物分かりが良く、頼まれごとは率先して引き受ける。
 明るく、さっぱりとした気性で、剣を持てば男顔負けの腕前を発揮する。

 秀でた美貌でこそないが、誰に対しても裏表のない笑顔を向ける彼女は、カメ様の申し子である点を差し引いても、村の皆から愛されていた。

「ミーナちゃんはきっと、いい嫁さんになるね」
「誰のところに嫁ぐんだろう」

 村の女たちは口々に噂し合った。

「シンイさんしかいないんじゃないかい」
「うちの子で満足してくれないかねえ」
「でもあれだけ色々できる子だと、いつかこんな田舎の村に飽きて、外に出て行っちゃうんじゃないか」
「外に、ここより平和なところはないよ。出たとしても、いつかは帰ってくるよ」
「妹が、もうちょっと落ち着いてくれればねえ」
「まあまあ。あの子も、悪気があって失敗してるわけじゃないんだから。いつかお父さんとお母さんみたいに、立派な錬金術師になるわ」
「とんでもなく凄腕の錬金術師か、とんでもなく問題のある錬金術師のどちらかでしょうね」
「なんにしても、姉妹そろっていい子であることに変わりはないわ」
「両親が帰って来なくなって長いのにねえ」
「あたし、どっちがうちに嫁いでくれてもいいよ。だいたい、エテーネ村はみんな血がつながってなくても家族みたいなものじゃないか」

 口々に喋っていた女たちは、この一声にそうだそうだと頷き合う。
 両親がいなくなり、たった二人で仲睦まじく暮らす姉妹の姿は、妹の錬金術の問題があっても、彼女らにとって愛すべき微笑ましいものだったのである。

「そう、そう。両親が帰って来るまで、あの子たちを守ってあげないとね」
「守られてるのはあたしたちの方でもあるけどね。ミーナちゃんの腕の立つことと言ったら!」
「本当よね。人柄が良くて、器量よしで、頭が良くて、腕っぷしも強くて、愛想が良くて」
「あそこまで色々できると」

 繰り返される話は、たいてい次の一言で終わる。

「逆に、相手に困るかもしれないねえ」









+++



 グランゼドーラ王国、王城西の尖塔。

 その天辺、紅白を基調とした華やかながら品のある一室に、一人の少女が座っていた。

 髪も目も黒っぽく、やや日に焼けた、地味な女である。
 しかし、よく見るとなかなかに利発そうな面構えをしており、しゃんと背筋の伸びた佇まいには、実戦で鍛えられた戦士の趣がある。

 そして、さらに目の利く者は彼女の髪に驚くだろう。
 強い日差しや雨風に打たれることの多い生活にも関わらず、彼女の髪は驚くほどに瑞々しく、豊かだった。
 しなやかでまっすぐなそれが背中を伝う様は、まるで絵本などに出てくるおとぎの園のチョコレートの滝が流れ落ちるよう。
 よく櫛を入れ、手を入れているのだろう。
 マメな性分が窺える。

 彼女──知る人ぞ知る、時の勇者の盟友であるミーナは、侍女に用意してもらった椅子に腰かけて、物珍しげにあたりを見回していた。
 この部屋で一人きりになるのは初めてだった。いつもは部屋の主である勇者姫がいて、彼女と過ごすことが多いのである。

「お待たせ、ミーナ」

 やがて扉が開いて、アンルシアが入って来た。
 振り向いて彼女の姿をひと目見たミーナの顔に、たちまち笑みが広がっていく。

「可愛い! アンルシア、すっごく可愛い!」
「本当?」

 駆け寄って手を取るミーナに、アンルシアは戸惑いながらも笑みを浮かべる。

「こういう服は着たことがなくて……ねえ、本当に変じゃない?」
「変じゃないよ。着てくれてありがとう!」

 笑い合う二人は、動物を模したパーカーとショートパンツのセットアップを身にまとっている。
 ミーナは黄色いキツネのパーカー。
 アンルシアは桃色のウサギのパーカー。
 二人とも、耳付きフードはかぶっていない。

「せっかくなら、被ればいいのに」
「ミーナだって被ってないわ」
「だって、お風呂上りで暑いんだもの! 蒸れるからやめちゃた」
「私もそうよ」

 約束をしたわけでもなく、よく似た行動をしてしまっていたことに、二人はまた笑いあった。

 二人は対面して椅子に腰掛ける。
 彼女たちの間にある机には、ソーサーに乗った揃いのカップと、紅茶のポットが並んでいる。

「アンルシアがお風呂から出てくるのを待ってる間に、自分でお茶を入れようと思って、厨房に行ったの」
「止められたでしょ」
「そう! 『私達がお淹れしますから』って言われたんだけど、ちょっとだけでいいからって、押しきって淹れちゃった。カップは、厨房の人が選んでくれたものだけどね」

 こんなに立派なモノを用意してくれるなんて、と改めてカップをしげしげと見つめるミーナに、アンルシアは目を細める。

「ミーナは侍従泣かせね」
「だって、お茶は自分の好みで淹れたいのよ。せっかく、アンルシアとの二人だけのお泊り会で飲むお茶なんだから、こだわりたいじゃない」
「ふふ、ありがとう」

 ミーナはポットからカップへ茶を注いでいく。

「アンルシアって、本当に勇者ね」
「どうして?」
「どくけし茶を飲みたいって自分から言う若い人なんて、滅多にいないから」

 今ミーナが注いでいるどくけし茶は、故郷では身体にいいがまずい茶として知られていた。

 グランゼドーラの城下町にも、好んで飲んでいる人は多少いる。しかしミーナの見る限りでは、決して愛好者は多くないように思われる。

「どくけし茶はエテーネ村が原産でしょう?」
「そうらしいね」
「だから、せっかくならミーナの故郷の味を飲みたかったの」
「やだあ。アンルシアが可愛いくて勇者すぎる」

 ミーナが差し出したカップをアンルシアは受け取り、一口啜る。

「おいしいわ」
「ホント? 無理してない?」
「全然。確かに苦いけど、ちょっと甘みも感じられて、私は好き」
「舌が大人だ」
「なあに、それ」

 ミーナも自分のカップに注いだのを口にして、眉をわずかに寄せる。

「あー、この味。幼い頃に初めて呑んだ時は、『苦い、痺れる!』って叫んじゃった。甘みに気づいたのは、大きくなってから。懐かしいなあ」
「私だって、幼い頃に呑んでいたら苦いって言ってたかもしれない」
「そう?」

 ミーナは一気に茶を飲み干した。

「ああ、苦い! 甘いのを食べずにはいられない!」

 立ち上がり、部屋の隅に置いてあった道具袋から丁寧に包装された箱を取って戻ってきた。

「はい、お土産! マカイ・マカロン」
「まあ」

 卓上に出された桃色のプレゼントボックスを見て、アンルシアは口に手をあてた。

「知ってるわ。ゼクレスのお菓子でしょう?」
「アスバルから聞いたんでしょ」
「ええ。老舗ブランドだそうね。こんないいものを」
「もらったんだ。アンルシアも一緒に食べよ」

 恐縮するアンルシアをよそに、ミーナはさっさとリボンを解いて箱を開ける。

 女児のおままごとに使われそうな、丸くて小さなコンパクト型の菓子が、しきりの中に折り目正しく並んで、淡い虹のグラデーションを描いている。

 ベビーピンク、アプリコット、ミルクホワイト。
 シトラス、ライムグリーン、ミストグレー。

 ミーナはそのうちの一つ、ベビーピンクのマカロンを摘まんで、アンルシアに差し出す。

「はい」
「いいの?」
「食べさせてあげよっか?」

 ミーナは差し出したマカロンで、いたずらにアンルシアの唇をちょんとつつく。
 すでに湯上りで桃色に仕上がっていた彼女の頬は、マカロンより鮮やかに色づいた。

「じ、自分で食べます!」

 アンルシアは受け取って一口かじり、目を丸くする。
 しばらく無言で咀嚼して、音もなく嚥下する。

「美味しい」
 呟いた彼女に、ミーナは笑いかけた。
「でしょ」

 それから箱へ手を伸ばし、アプリコットのマカロンを摘まんで口に運んだ。
 舌の上でほろほろとくずれていく砂糖の感触と、爽やかな柑橘の芳香。
 気まぐれで頑固な魔界の巨匠さえ虜にするのも頷ける絶品である。

(お値段がもうちょっと可愛かったら、毎日食べちゃうんだけどなあ)

 何かと出入りの多い自分の財布のことを思いながら、ミーナはサクサクとマカロンを食べて、新しい一つに手を伸ばす。

 一方アンルシアは、まだ齧りかけの一つ目のマカロンを眺めていた。

「綺麗ね。ふっくらしてて、ピエも見事だわ」
「ピエって何?」
「この、マカロンの真ん中の、盛り上がってる部分のことよ」
「へえ。知らなかった」

 ミーナは改めて手元の砂糖菓子を観察した。
 丸い砂糖の結晶の合わせ目は、確かに絞りだしたクリームのような形でデコボコしている。
 これのお陰で、歯ざわりが豊かになっているような気もする。
 美味しく食べるために重要な箇所だから、名前がついているのだろうか。

「マカロンは、作るのがとっても難しいの。温度、湿気、材料の配分に気を配って、一つも工程を抜かさないように気を付けないといけない」

 アンルシアは指先でピエをなぞっている。

 剣を握ってもなお、白魚のような繊細さを失わない指。
 戦いに集中したいからと、常にカチューシャでまとめている金髪が、今は顔周りへゆったりと流れ落ちている。

 ミーナは俯いた友人の前髪から覗く上向きの睫毛や、息をのむほどに青い双眸、甘く血の色を透かすふっくらとした唇を見つめ、思う。

(ホンットに、可愛い。嫉妬する気すら起きないわ)

 カチューシャを好む彼女も好きだが、前髪を下ろした彼女も好きだ。
 前髪を下ろしたアンルシアは、いつにも増してあどけないような、口元のほくろとあいまって艶っぽいような、不思議な魅力を醸し出す。
 本人は、自分のやや幼く見える体型を気にしているところもあるらしいが、ミーナは彼女のそういうところも含めて、あまりに死角がないと思っている。

 大人とも子供ともつかない少女勇者は、刹那に煌めき失せる陽光のようで。

 外見性格共に最強の美少女勇者だ。

 親友の贔屓目抜きに、そう思う。
 しかしそんな美少女勇者には、絵と料理が苦手という弱みもあったはずだ。

「まさか、マカロン作ったことがあるの?」

 ミーナは目を瞬かせる。
 アンルシアは苦笑した。

「昔、お兄様にあげようと思ってチャレンジしてみたの。でも、ちゃんとレシピ通りに作ったはずなのに、クッキーになっちゃって」

 お兄様は、美味しいバターサンドだねって褒めてくれたけど。
 その時のことを思いだしたのか、アンルシアは眉根を寄せる。
 しかし、ミーナが笑いだしたのを見て、上げていた眉尻を下げた。

「もう、ミーナったら」
「ごめんごめん。トーマ様にそう言われた時のアンルシアを想像したら、つい」

 アンルシアはわざとらしく頬を膨らませたが、やがてミーナが笑うのにつられて吹き出してしまう。

「お兄様って、必ずいい方にフォローしてくれるのよ。でもマカロンをバターサンドって言われて、ちょっと複雑だったわ」
「美味しいって感想もらったんだから、よかったじゃない」
「そうなのよね。なんだか悔しい気もしたけど、褒められてるからいいかって思ったっけ。私、お兄様が関わるとすごく単純になっちゃうの」
「本当そうね」
「ちょっとは否定してよ!」
「いやいや、悪い意味じゃないって」

 アンルシアに、ミーナは手を振って応える。

「大好きな人に好きって言われて、嬉しくてなんだってよくなっちゃうこと、あたしにもあるから分かるよ」
「え?」

 今度はアンルシアが目を丸くする番だった。

「好き? ミーナ、もしかして」
「違う、違う! 妹」

 大事な身内って言った方がいいかな、とミーナは訂正した。

「あたしの妹、昔からハプニングを起こす天才だったの。錬金術で果物を消し炭にしたり、銅の剣をつまようじにしたり、木のフォークを鍬にしたり、それはもうすごかったわ」
「失敗と成功の差がすごいわね」
「そう。今思えば、ただの木箱なんてあいまいな触媒であれだけのことをしてたんだから、本当に才能ってすごいよね」
「才能の問題なの?」
「でも、百回錬金術で失敗して、迷惑をかけた相手に百回二人で頭を下げに行っても、あの笑顔で『お姉ちゃん大好き』って言われると──もちろん、相手には申し訳ないなとは思ってるけど──百回頭を下げたことくらい、なんてことないなって思っちゃうのよ」

 頬に手をあてて締まりのない笑顔を押さえているミーナに、アンルシアは言う。

「前から思ってたけど、あなたって相当なシスコンよね」
「アンルシアに言われたくないなー」

 どこ吹く風の彼女に、アンルシアは息を吐く。

「なぁんだ。妹さんのことだったのね。私、てっきりあなたから珍しい話が出てくるのかと思って、ちょっとびっくりしたわ」

 すると、ミーナの笑顔が強張った。

「め、めずらしいはなし」

 口の端をひくつかせる親友の様子に、アンルシアは驚く。

「な、なに? どうしたの? 何か、気に障ることを言ってしまったかしら」
「いや、気に障るってわけではないけれど」

 ミーナの視線がきょどきょどと左右に揺れる。

(急にどうしたのかしら)

 アンルシアは心配になったが、急いで問いたださずに親友の様子を見守ることにする。
 しばらくして、ミーナがおずおずと口を開いた。

「ねえ、アンルシア」
「なあに、ミーナ」
「デリケートな問題だから、答えたくなかったら答えなくてもいいんだけど」

 ミーナは一つ間をおいて、尋ねる。

「縁談って、来てるの?」
「来てるわよ。だいぶ年配のおじさまから、こんな小さな男の子まで。グランゼドーラの外戚を中心に、たくさん来てるわ」
「ええ!?」

 アンルシアが答えると、ミーナは目を剥いた。

「結婚するの?」
「ううん」

 アンルシアは首を振る。
「この血を遺すのはもちろん王族として大切な責務だと思ってるわ。でも今は勇者として、お兄様の守ってくれたこの世界を大事にしたいの」
「アンルシア……」

 ミーナは言葉を失った。
 自分とさして年の変わらない少女なのに、なんと献身的なのだろう。
 盟友としては素晴らしいと思うべきところなのだろうが、それ以前に彼女を親友だと思っているミーナは、どうしても心配になってしまう。

(王族として、勇者として……そう思えるのは立派だけど、それって、周りのことばっかりだわ)

 そこに、アンルシア自身の幸せはあるのだろうか。
 思いが顔に出ていたのだろう。アンルシアは大丈夫よ、と微笑する。

「戦いがつらくない、とは決して言えないわ。たまに、ミシュアみたいに生まれていたらと想像することもある。でも私には、勇者姫として生まれたおかげで得られて、もう手放したくないと思える大切なものが、たくさんできたから」

 お父様やお母様、トーマ兄様。
 そして、と彼女の大きな双眸に自分の姿が映りこむ。

「ミーナ。あなたがいてくれるから、私は自分一人じゃあ出会えなかった風景を見られたり、話すこともなかっただろう人たちに出会えたりしてるのよ。だから私、幸せなの。ずっと私の盟友で──」
「友達!」

 ミーナはまた、机の上に置かれたアンルシアの片手を両手で握りしめた。

「盟友だけど、あたしたちその前に友達になったでしょ? たまにケンカしちゃうこともあるかもしれないけど、あたし、ずっとアンルシアの一番の友達でいたいから」

 アンルシアはきょとんとした。
 ミーナがじっと見つめていると、ややあって彼女は眉を下げて笑う。

「あなたって、変わらないわね。私が勇者の三つの修業をした時からずっと時が流れて、あなたは未来や過去を旅して、ナドラガンドや魔界にまで行ったのに。まだ、私と友達でいたいって言ってくれる」
「当たり前よ。あたし、アンルシアのこと大好きだもの」

 ミーナは頬を膨らませた。

「アンルシアはすぐ、『盟友でいてね』って言う。勇者と盟友って関係じゃなくても、あたしはずっとアンルシアと仲良くしていたいのに」
「みんながみんな、あなたみたいにストレートに言えるわけじゃないのよ」

 アンルシアはなだめるように言う。

「友達でいてねって言うの、なんだか恥ずかしいじゃない」
「そう?」
「あなたには、友人がたくさんいる。でも『勇者』と『盟友』なら、唯一でしょう?」
「アンルシア~!」

 ミーナは立ち上がり、アンルシアの髪をかき混ぜ始めた。

「あなたって本当に! もう! 好き!」
「ちょっと。お茶が零れる!」

 豊かな黄金の髪が綿毛のようになるまでアンルシアを撫で繰り回したミーナは、やがて満足して席に戻る。

 アンルシアはまた頬を膨らませている。
 だが口元が緩んでいるので、本当に怒ったわけでないのは丸わかりだった。

「それで、どうして私に婚姻の話を聞いたの?」

 アンルシアが改めて聞き直す。

「あのね。笑わないで聞いてほしいんだけど」
「ええ」
「あたし、恋がしてみたいのよ」

 アンルシアは、しばらく対面に座る友人の瞳を見つめてみた。
 どこまでも真剣な表情だった。

(アドバイスを求める相手を、間違っているのでは?)

 アンルシアはそう思ったが、せっかく相手が己を信頼して話してくれているのだからと、まずは先を促してみることにした。

「恋がしてみたい?」
「うん」
「したことないの?」

 ミーナはうっ、と濁った声をあげて胸を押さえた。

「痛い所を突いてきたわね……」
「ご、ごめんなさい」
「いや、いいの。今のは当たり前の質問だわ。恋してみたいのに、恋したことないなんて、矛盾よね」

 上体を起こすミーナに、アンルシアは慎重に言い直す。

「そうじゃなくて。恋をしない、したことがないのは、何も悪いことでも特別なことでもないと思うわ。ヒトの意思は自由よ。気にすることはないと思う」
「そうね。あたしも、せっかく生まれたんだからみんな好きにすればいいと思う。でもごめんなさい、相談したいのはそういうことじゃないの」

 ミーナは咳ばらいをした。

「あたしは、誰かと楽しいお付き合いがしてみたいの」
「具体的に、何がしてみたいか言ってみてくれる?」
「うん。たとえば──」

 ふとした時に、気になる人と目が合って顔を赤らめる。
 手が触れあった時にドキッとして、手を引っ込めてしまう。
 何となくいい雰囲気になって、恋心を告白したい気持ちとこの関係を崩したくない気持ちの間で葛藤する。

「──っていうようなことをやってみたい」
「なるほど」

 アンルシアは頷いた。

「あなた、また恋愛小説にハマったんでしょ」
「うっそ。あたしの親友、容赦なさすぎ」
「だって、あなたが言ったことって全部具体的なようだけど、ふわっとした現実味のないシチュエーションばかりなんだもの」

 ミーナは黙り込んだ。
 傷ついたわけではない。恋愛小説にのめり込んだのが事実で、かつアンルシアの指摘に深く納得してしまったからである。

「私、恋愛小説も恋も詳しくないけど、あなたのやってみたいことは好きな人ができて初めて起こることだと思うの」
「あたしもそう思う」
「ミーナには、好きな人がいるの?」

 問われ、ミーナは眉間に皺を寄せて腕組みをする。

「好きな人って言われても……みんな大好きだから……」

 アンルシアは大きな溜息を吐いた。
 ミーナは顔を跳ね上げる。

「な、何よ」
「あなた、誰とでも体当たり式で仲良くなれるものね」
「だって、仲良くなりたいもん」

 そういうことは臆面もなく言えるのに、不思議だわ。
 アンルシアはそう思ったが、言わないでおいた。

「誰か、長くお付き合いしてみたい人はいないの?」

 ミーナは、えーと一声発したきり、黙り込んでしまう。
 アンルシアがマカロンを二個食べても答えが出ないので、そういえばと尋ねてみる。

「聞いたことなかったけど、ミーナ、好きな相手の性別は──」
「多分男性、だと思うけど」

 ミーナは唸る。

「すごくあたしのこと好きでいてくれて、一緒にいて楽しい人なら、女性もまったく問題ない気がしているわ」
「基準がどんどんふわふわになってるわね」
「熱く『付き合ってください』って言われたら、誰に対しても『わかった』って言っちゃいそうで、我ながら怖いのよ」
「私も?」
「うーん。アンルシアは、友達とか盟友とかそういうの超えて特別すぎるから、踏み出すの怖いなー。告白されたら一ヶ月くらいかけて悩むわ」
「あ、そうなの……」

 アンルシアは特別と言われて嬉しい反面、友人の優柔不断ぶりが心配になってきた。

 これまでの旅路で、彼女が誰とでも正直かつ誠実に接する人だと知った。
 だから意見の食い違いから板挟みになることはあっても、なんやかんやで人間関係をこじらせることはなさそうだと思っていたのだが、この恋愛への憧れを変な風に昇華させたら大変そうだ。

 アンルシアとて、恋をしたことはない。
 だが王族として、その厄介さはよく知っている。幼い頃、兄に恋とは何かを聞いてみたところ、「勇者の眼も眩むようなモノかな」と返されたのが思い出される。

 勇者の眼も眩むのだから、盟友の眼も眩むだろう。
 現に、偉大なるアルヴァンとカミルさえ、二人して正攻法で大魔王討伐を成し遂げることができなくなったのだから。

 にわかにアンルシアは緊張し始める。
 大事な親友の人生を、狂わせたくない。

「誰かに告白されたことは?」
「ない」

 ミーナはしゅんとした。

「桃源の間で、男の知り合いの幻に囲まれて、なんかそれっぽいことを言われたことはあったのよ。でも、なんだかどれも自分に向けられてるものって気がしなくて」
「そういえばそういうこともあったわね」
「最初にファルシオン様から幻が惑わそうとしてくるって話は聞いてたから、『恋愛小説以外でこういう台詞聞いたの初めて! さ、アンルシアと合流しなくちゃ!』ってよく考えないで通りすぎちゃったのよね。そこから恋の錯覚を覚えることすらできなかったわ」

 その発想も、恋愛小説の読みすぎでは?

 アンルシアはそう思ったが、アンルシアとてすべてを知っているわけではないので言わないことにした。

「そうね。じゃあ誰か、付き合いが──お付き合いってことじゃないわよ、人付き合いね──長くて気を許している人に、恋をしてみたいって目的は伝えないで、さっき言ったようなことをしてもらってみたら?」
「さっき言ったことって、なんとなく目が合うとか、手を繋ぐとか?」
「そう」
「そんなのできないよ!」

 ミーナは大きく首を振った。

「そんな……あたしの娯楽のために、みんなを軽く扱うなんて」
「娯楽は過言じゃない?」
「ドキドキ感を楽しみたいとか、相手のちょっとした言葉や行動に惑わされるとか、そういうのを大事な友達の間に持ち込みたくないのよ。もう、大魔王城で十分足りてるから」
「そうなの?」

 アンルシアの眼光が、知らず鋭くなる。
 魔界とは友好な関係を築いていきたいと考えているが、盟友に何かあればそうも言っていられない。

 ミーナはアンルシアの様子には気づかず、頭を抱えている。

「三魔王たちが力と知恵と心理戦を駆使して──」

 アンルシアは固唾を呑んで、言葉の続きを待つ。

「あたしの誕生日に、とんでもないものをプレゼントしてきたのよ!」
「よかったじゃない」

 アンルシアは言った。
 どこか淡白な口調になった彼女に、ミーナは顔を上げて訴えかける。

「四ヶ月前くらいからおかしいと思ってたんだ。ヴァレリアにやけに大矛で詰め寄られるわ、アスバルにお茶に誘われてよく話し込むことになるわ、ユシュカに夕飯にあちこち連れ出されるわ──これまで、こんなことなかったのよ。イルーシャに相談しても全然相手にされなくて、ペペロ君は急にあたしの顔をスケッチしに来るし」
「あなたの大魔王城って、本当に愉快だわ」
「久しぶりに大魔王城でカーロウとこの先のスケジュール確認をして、納得したわ! いつの間にかあたしの誕生日の一週間前くらいに七泊八日の魔界・アストルティア旅行が組み込まれてたのよ! 旅行のしおりもできてた! カーロウに聞いたら、三魔王の指示であたしの誕生日祝いに組んだって言うのよ!」
「普通に面白いわね。私も一緒に行きたいわ」
「あれ? 旅行の途中で、アンルシアに会うことになってたけど」
「え?」

 ミーナは自分の道具袋から手製の冊子を二冊取り出した。
 表紙には、ケミカルな色合いをしたミーナの似顔絵と、「大魔王生誕祝い─アストルティア・魔界ツアー─」という達筆な文字が記されている。

「これ、アンルシアの分のしおり」
「え?」
「ほら、しおりの三ページ目を見て」

 二人して、冊子を覗き込んだ。

「本当だ。旅行の三日目がまるまるグランゼドーラの予定で埋まってる。しかも、そのうちの半日が私との座談会になってる」
「え、聞いてなかったの? アスバルが本人の了承を得たって言ってたんだけど」
「そんな記憶は」

 あ、とアンルシアは声を漏らした。

 そういえば、滅星の邪園を探索している時に、アスバルが「平和になったら語り合おう」と言っていたような。
 さらに祝賀会で、ちょうどこのしおりに書いてある頃の日程を聞かれたような。

 アンルシアは額を押さえた。

「明日の朝になったら、お父様とルシェンダ様に、何が何でもこの旅行に参加したいとお伝えしてこないと」
「なんか、アスバルがごめんね。無理しないでね」
「いいえ。彼は私にきちんと予定を聞いていたわ。たとえ無理をしても、同行します。勇者として退くわけにはいきません」

 勇者に二言はない。
 実際、アンルシアの勇者である兄も二言はなかった。アンルシアとの約束は、あの最期を迎えたこと以外守ってくれた。

「それに、盟友の生誕祭に勇者が参加しないなんてありえないわ」
「やだ照れる」

 話が逸れた、とミーナはしおりを閉じる。

「サプライズのドキドキは嬉しいし、楽しいわよ。でも、やっぱり大事な友達の間に恋のドキドキは持ち込めないというか、持ち込むのが怖いというか」
「そう」

 アンルシアはしおりを閉じて彼女の話に相槌を打ちつつ、頭の半分は先ほど見た「大魔王生誕祝い─アストルティア・魔界ツアー─」の内容について考えている。

 パンフレットには魔界とアストルティアの名所や、美味しい食事とスイーツが所狭しとびっしりと書き込まれていた。
 三魔王の知見の広さに負けていられない。己も魔界のことを把握しなくては。

「でも、アンルシアに話したら、すっきりしたわ」
「そう……え?」

 だからミーナがそう言った時、言われた内容をすぐに理解できなかった。

 はっと我に返ると、ミーナはいつの間にかすがすがしい笑顔を浮かべていた。

「恋って、恋に憧れてるくらいが一番楽しいのかもしれないわ。今は、アンルシアやみんなとこうしているのが楽しいもの」
「いいの?」
「うん。恋愛小説を読んで、いつか恋出来たらいいなって夢見るくらいがちょうどいいよね」
「そうかもしれないわね」

 彼女がロマンチストなのかリアリストなのか、よくわからなくなってきた。

 ともかく、本人が納得したならよしとしよう。あとは、様子を見て友人として支えられればいい。
 アンルシアは目を細める。

「あなたもいつか恋をして、結婚して──」
「え? 結婚しないよ」

 ミーナはきょとんとして、言った。

「恋する人と一緒に住み続けるの、大変そうだもの。結婚するなら、恋できる人じゃなくて、一緒にいても空気みたいに感じられる人がいいって、村のおばさんたちが言ってたわ」
「なるほどね」

 アンルシアは、神殺しの修業の中で指パッチンができるユシュカに対抗して身につけた指パッチンを披露した。

「あなたみたいなのをなんて言うか、分かったわ」
「え、なあに?」
「耳年増」
「ひっどい!」

 それからまたひとしきり喋りたおした。
 どくけし茶はすっかり冷えた。
 冷めたどくけし茶を魔法で温めようとバルコニーへ出たところを、賢者ルシェンダに見つかった。
 そして、夜更かしが美容に与える影響について滔々と説かれた。

「どくけし茶、結局冷えちゃったね」
「ミーナが召喚したバルバルーのメラ調整、完璧だったのにね」

 あまり長く捕まえても美容によくないからと、ルシェンダに釈放された後。
 アンルシアの部屋に帰るまでの道すがら、最低限の灯りだけがともった城内を歩きつつ、二人してこそこそと話し合う。

「ふふふ」

 ミーナが何の前触れもなく、笑い始めた。
 アンルシアが目を瞬かせる。

「なあに、急に笑い出して」
「ううん。何でもないの」
「変なミーナ」

 アンルシアも笑う。
 ミーナはより大きく笑み崩す。

 目を思いきり細め、大きく口角を上げたその顔は、やや間が抜けているために、周囲も釣られて笑ってしまうのだということを、本人だけが知らない。

 








20210905