どこかで輝く双子の星




※現代パロディ。
※ver6.0までのネタバレあり。
※捏造祭り。













 大学の校門を出る寸前に、声をかけられた。
「レオさん! ちょうどいいところに」
 友人だ。背後には似た髪色の妹が佇んでいる。
「今からサークルの数人で飯を食いに行くことになってさ。今、待ち合わせ場所に向かってるところなんだ。よかったら一緒に行かないか?」
 レオーネの気持ちが揺らぐ。
 彼らは大学の中では一番仲がいい──と自分は思っている──友人達である。
 二人がせっかく誘ってくれたのだから、その好意に応えたい。
 だが、今日だけは都合が悪いのだ。
「ごめん、今日は」
「兄さん」
 黙っていた彼女が、兄に言う。
「レオーネさん、この間ゼミの発表の準備で忙しいって言ってたじゃない。レオーネさんは優しいから、誘ったら無理して来ちゃうでしょ」
「あ、そっか。今日は発表があった日か」
 彼は片手を立てて詫びる。
「ごめん。いいタイミングで姿が見えたから、何も考えずに声かけに来ちまった。また今度行こうぜ」
「気を遣ってくれてありがとう。また行こうね」
 じゃあ、と友人たちは快活に笑って駆けていった。
 校門を抜けた先、キャンパスのシンボルでもある爆弾岩で玉乗りする道化師の噴水前に、サークルのメンバーが五人待っていた。彼らと出掛けるのだろう。
 駆けていく友人たちの背中を見送り、レオーネは再び歩き始める。
 眼前には、夕陽に照らされた並木道がまっすぐ伸び、黄金に輝いている。
 風が吹くと少し寒い。舞い落ちる葉と空気の冷たさに、秋が終わることを知る。
 いつもならば天気予報を見て寒暖差に備えていたところだが、油断した。
 研究に夢中で、昨日も今日も天気予報を見るのを忘れていたのだ。
 コートの襟に首を埋め、漏れそうになるあくびを噛み殺す。今日のゼミの発表の準備のために睡眠時間を削ったので、少し眠い。
 友人の妹は、レオーネの調子を見抜いていたのかもしれない。レオーネ自身、最後の講義前に鏡で自分の顔を見て、目の下にうっすらクマが浮かんでいるのに気付いていた。
(それでも、今日でなかったら一緒に行ったんだけど)
 睡眠不足くらい、どうにかなる。
 しかし今日だけは、本当にずらせない用事が入っているのだ。
 それも、あまり他人には知られたくない用事が。
「レオさん、だってさ」
 校門を通り過ぎたところで声が聞こえて、ぎくりとする。
 辺りを見回すと、いた。
 校門の影に、自分と似た背格好の青年がいる。
 長い茶髪を一つに括り、大きな伊達メガネをかけ、自分と揃いの色違いのコートを羽織っている。
 メガネ越しにもよく似ていると分かる顔が、自分を見つめてやんちゃな笑みを浮かべていた。
「アシュっ」
 つい名前を呼びそうになって、堪えた。
 小走りに駆け寄ると相手も駆け寄ってきた。
 そのまま何か話し出そうとするのをとどめ、手を引いて足早にその場を立ち去る。
 並木道を通り過ぎ、学生たちが散って人気の少なくなったところで立ち止まった。
「アシュレイ、何でここに。大学までは迎えに来なくていいって言ったのに」
「ごめんごめん。前から大学生してるお前が見てみたかったんだよ」
 二人の青年は向かい合う。
 二人はおおよそ瓜二つと言っていいほどに似通っていた。
 精悍な顔立ちに、癖なく伸びた茶髪。
 均整の取れた体躯には、程よく筋肉がついている。
 強いて違いを上げるなら、瞳の形くらいだろう。晴天を宿したような双眸の輪郭はレオーネの方が凛々しく、アシュレイの方が柔らかい。だがそれも、じっと観察しないと気付けないくらいの違いである。
 二人は一卵性の双子であった。アシュレイが兄で、レオーネが弟である。
「バレたら大変なのはお前じゃないか」
「大丈夫。この辺じゃあ俺のこと知ってる奴、少ないし」
 レオーネが案じても、アシュレイは飄々としている。
 懸念の理由は、兄の仕事にあった。
 この双子の兄は、娯楽の聖地ラッカランのアクションスターなのである。
 娯楽島ラッカランにはコロシアムという演劇場がある。
 戦いが日常であった昔は、そこで腕利きの戦士たちが肉弾戦を繰り広げていたというが、戦いのない今は、アクション要素の多い芝居を専門に上演する娯楽施設になっていた。
 アシュレイは若くしてその世界に飛び込み、名声を博していた。先天的な武の才とストイックな芝居、旺盛なサービス精神、二枚目なルックスに反した人懐こい性格が関係者にもファンにも好評で、様々な舞台に引っ張りだこであるという。
 そんな有名人の兄がミーハーな大学生の目に触れたら、何が起こるか分からない。レオーネも、兄の存在を隠して大学に通っていてさえ、知らない学生に指さされることがあるくらいなのだ。
 もっと自衛してほしい。
 そう訴えると、兄は伊達メガネの奥の懐こい瞳を細めた。
「でも、早くレオに会いたくてよ。元気にしてたか?」
「会いたくて、って。一週間前にも会ってるだろ」
 二人は今、グランゼドーラのマンションの一室に同居している。
 両親は彼らが幼い頃に他界した。十八歳になるまでは、両親と親交のあった師匠の家に世話になっていたが、レオーネの大学進学が決まる頃に、兄が義務教育を終えてから邁進してきた芝居の道で得た莫大な資産を元手に、部屋を借りたのだった。
 通う大学はグランゼドーラの住まいから程よく近いので、今の住まいは大変便利である。
 だが兄の職場は海の向こうだ。
 多忙であるにも関わらず、大丈夫なのか。職場で何か言われないのか。
 部屋を借りる相談をされた時にそう尋ねると、兄はコロシアムのオーナーに与えられたルーラストーンを見せてきた。
 「お前が近所に住むとファンが押しかけてそっちが劇場になってしまうからやめろ」と言われたとのことで、むしろ遠方に住むのを歓迎されたらしかった。
  今も兄は、弟と住むグランゼドーラの部屋を拠点にしている。仕事が忙しい時は、ラッカランの演者達が雑魚寝する下宿屋に仮住まいして凌いでいた。
「でも、一瞬しか会えなかったじゃねえか。寂しいだろ」
 兄は頬を膨らませる。
 この一ヶ月、アシュレイは主演を務める芝居で忙しくしていた。
 それでも、どんなに忙しくとも週末に一度は部屋へ帰ってくるのが兄である。先週もレオーネの作った夕飯を食べて死んだように眠り、また劇場へ飛んで行った。
 大変だろうに、何故時間を作ってまで余計な苦労をするのだろう。常々レオーネは疑問に思っている。だが、そういう時の兄は必ず旨いものを一つは土産に持ってくるので、何も聞かずに歓迎している。
「寂しい、ね」
 レオーネは溜息を吐いた。
 立派な青年の兄が、同じ年の弟に会えなくて寂しいとは。
 だが幼くして両親を亡くし、互いの他に親戚のいない身だ。そういう気になってもおかしくないのかもしれない。
 それにしたって、兄はブラコンの気が強い気がするが。
(でも、やめろって言えない俺も俺なんだよな)
 兄に寂しがられて悪い気がしないのだから、自分も大概なのだろう。
 これが、大学で兄関連のことを極力話せない理由の秘密の二つ目である。
 様々な意味で、気恥ずかしいのだ。
「公演は済んだんだよな」
 話を変えて歩き出す。
 兄は横に並んで嬉しそうに笑う。
「ああ、昨日で終わりだ。これで当分のんびりできる」
 アシュレイの生活は波が激しい。公演で休みなく働いていたかと思うと、まったく仕事を入れずに家でだらだらしたり釣りへ出かけたりする。
 レオーネはそれは良かったと微笑む。
「次はいつ?」
「四週間後から稽古開始」
「随分お休みがもらえたね」
「頑張ったからサービスだとよ。もっとくれたっていいんだけど、さすがにもっと大御所にならないと厳しいんだろうな」
「兄貴がいないとファンが寂しがるからじゃないの?」
「どうだか。ファンってヤツは気ままだからな。一生俺の追っかけだって宣言してた奴が、もう別の奴の追っかけになってるような、そんなことばっかりだぜ」
 まあ強迫観念みたいに見に来られても困るし、気軽に芝居を楽しんでくれれば何でもいいんだけどな。
 アシュレイは肩をすくめようとして、ああと何かに気づいたような声を上げた。
「そうだ。お前、俺見ててなんか違和感ねえか?」
「え、何?」
 レオーネは目を眇め、兄を観察する。
 笑顔なのはいつものことだ。
 髪を一つに括るのも眼鏡をかけるのも、自分をあまり隠す気のない兄の一辺倒な変装手段である。
 コートもほつれていない。セーターと細身のズボン、スニーカーはいつぞやにメギストリスで一緒に買い物した時に買っていたものだ。
 リュックも愛用のもので、変化なし。
 左手には手提げのついた四角い箱を持っている。これはそもそもここで待ち合わせをする理由になったものだから、対象外として。
 あとは、首に巻いたマフラー。
「マフラーが、多い……?」
「正解!」
 アシュレイは白い歯を見せて、右手でマフラーを取った。
 その下から、また同じマフラーが出てきた。
「ほら、お前の」
「ちょっと待って」
 レオーネは噴き出してしまった。
 気付かない自分も自分だが、秋にマフラーを二本も巻く兄の意図が分からなかった。
「ありがとう。でも、何で二本とも巻いてくるんだよ。一本はリュックにしまっておいてもよかっただろうに」
「こうしておけば、俺が巻いてる間に温まって、お前が巻く時に冷たくないと思ってさ」
 レオーネは受け取ったマフラーを首に巻く。確かに温かい。
 しっかりと布を巻き付けて首周りの隙間をなくしている弟を、アシュレイは満足そうに眺める。
「今朝帰ってきたら、今日の夜は冷えるって予報なのにマフラーが置きっぱなしだったから。お前、寝不足で忘れて行ったんだろうなって思ったんだ」
「その通りだよ。少し後悔してたところだったんだ」
 寒くなくなって、レオーネはほっと一息吐く。
 昔から、冷えるのはどうも苦手だった。
「発表の方はどうだった?」
「ああ、古代神殿の比較のための貴重な資料を教授から教えてもらえた。よかったよ」
 レオーネは建築学を専門に学んでいる。
 学ぶことが多く忙しいが、建物を観察して構造や意匠を楽しむのが好きなレオーネには楽しい場所だった。
「さすがレオさんだな」
 にやつく兄が気にかかり、レオーネは半眼になる。
「その、レオさんって何だよ。馬鹿にしてるのか?」
「いや悪い。弟にあだ名で呼ぶ友達ができたのが嬉しくて、つい」
 アシュレイは素直に詫びる。
「さっきの友達だろ?」
「うん、そうだよ」
 一浪して入ってきた、レオーネと同じ学生自治会に所属する同い年の後輩である。
「どんな奴なんだ?」
「助っ人の達人かな」
「何だそりゃ」
 レオーネは、友のことを兄に語って聞かせる。
 自治会の仕事の一つに、他大学との対抗戦の運営という業務がある。
 その一環として、彼は何故か学内の様々なサークル及び部活の助っ人部員として試合に駆り出される羽目になったのだった。
 戦士、武闘家、魔法使いに盗賊。
 あらゆる試合に駆り出され、あらゆる役割をしっかりとこなし、しかもどれでもそこそこの勝率を上げた。
 その評判は関係者をして『いざという時はなんとかしてくれる学生連盟の友』、略して盟友と呼ばれたとか。
「一年前のお前みたいだな」
「他の学生にもそう言われたらしいよ」
 何を隠そう、レオーネも去年大学に入学して自治会に所属し、それからまもなく行われた対抗戦で大変な目に遭ったのだった。
 出場するはずの選手たちの一部でヌロウィルスが流行し、代わりにレオーネが全ての試合に駆り出されたのである。
 幸いにしてレオーネには、アシュレイと共に師匠に仕込まれた武の腕前があった。その腕を遺憾なく発揮したレオーネは、学内からは『常勝の学生連盟の友』と呼ばれ、一躍英雄扱いを受けた。
 それからしばらく部活動からの勧誘が殺到し、どう断るかで頭を悩ませたのは、今となってはいい思い出ということにしておきたい。
「あいつが当代盟友、俺が初代って呼ばれてる。だから何と言うか、親近感がね」
「助っ人仲間か。本人の性格はよく分からないけど、お人好しなのは伝わってきたな」
「いい人だよ。あいつにだけは、兄貴のことも話してる」
「そうか」
 アシュレイは頷いた。
「いつでも遊びに連れてきていいからな」
「家に連れてくるのは恥ずかしいよ」
「いいじゃねえか。大学生ならするだろ? 一人暮らしの友達の家に集まるやつ。それと一緒だよ」
 兄はレオーネの肩を抱いて笑いかける。
「俺がいない方がいい時は、連絡くれれば出掛けておくよ。あと、彼女を連れてくる時も言えよな。茶化さないからさ」
「それはこっちの台詞だよ」
 レオーネは嘆息して、兄の手を外した。
「可愛いファンがいっぱいいるからって、浮かれて変な真似してないだろうな? プライベートに踏み入る気はないけど、そういうスキャンダルに巻き込まれるのはごめんだよ」
「俺が変な真似すると思うか?」
「さあ。恋は盲目だから」
 実際モテるでしょ、兄貴。
 弟の問いかけに、アシュレイは両手を頭の後ろで組んだ。
「モテないと言ったら嘘になる」
「だろうな」
「でも、今のところはフリーだぜ。稽古が忙しくてそれどころじゃねえの」
 アシュレイは腕を解き、弟の顔を覗き込んで悪戯っぽく笑った。
「で、お前は? さっきの友達の妹っぽい子とか、どうなんだ?」
「彼女はただの友達だよ。付き合ったら、あいつに殺されそうだ」
 レオーネは顔を顰めた。
 アシュレイは目を瞬かせる。
「お前の友達、そんなに過激なの?」
「そこそこシスコン。学内では有名な仲良し兄妹だよ」
「まあ、可愛かったもんな。同じ兄として気持ちはわかる」
「手は出すなよ」
「出さねーよ。弟の友情の方が大事だ」
 ならいいけど、とレオーネは正面を向く。
 二人はしばらく黙々と歩いた。
 グランゼドーラの郊外は人気が少なく、兄と二人で歩くにはちょうどよかった。
 あと五分くらいだな。
 いつも目印にしている古い石碑を見てそんなことを考えていると、兄が話しかけてきた。
「レオ、本当に彼女いないのか?」
「いない」
「何でだよ」
「むしろ何でそんなに確認してくるんだよ」
「だって、レオだぞ」
 アシュレイは力を込めて語る。
「こんなに優しくて頭が良くて気配りができて俺に似てイケメンのレオに彼女がいないなんて、不思議に思う方が自然だろ」
「贔屓目が過ぎる」
 兄は昔からよくレオーネを褒める。
 身内の贔屓目だろう。何度そう言っても兄は否定する。
 今回もそうだった。
 アシュレイは眉間に皺を寄せた。
「贔屓目じゃねえって。お前はいい男だぞ」
「ありがとう。イケメンの兄貴に似たからね」
「嫌味に聞こえるな」
「兄貴は男女ファンの比率が五部五分で統計的に見ると男女共に認めるイケメンだって、この前読んだ評論家の記事に書いてあったよ」
「ふーん……え? お前、俺の記事読んだの?」
 兄の疑問にはそれには答えず、レオーネは話題をもとに戻す。
「俺は今に満足してるから、急いで恋人を作る予定はないよ」
 レオーネは色恋にさして関心がない。自分の血を後世に残したいという願望を抱く人間がいることも、ペアを組むメリットがあることも理解しているが、少なくとも今は必要だと思えなかった。
「満足してるならいいや。余計なこと言って悪かったな」
 アシュレイは意外とあっさり引き下がった。
 兄は熱血の気こそあるが、引き際は心得ているのである。
「レオは、俺の修行時代以外ずっと俺と一緒に住んでるだろ。だからたまに、こんなに一緒にいると息が詰まるんじゃないかとか、俺がいることでやりたいことができてないんじゃないかとか、考えちまってさ」
「そんなことないよ」
 レオーネは首を横に振った。
「ずっと一緒って言っても、仕事や大学で会えない時間も長いし、同じ家に住んでても部屋は別だろ。それに大学に通って好きなことができてるのは兄貴のおかげなんだから、兄貴のせいでやりたいことができてないなんて、あるわけがないよ」
 レオーネの学費は、アシュレイが出しているのだ。
 俺は好きなことをして生計を立てられてるだけで十分だから、余った分を使うのに協力して欲しいというのが兄の言い分だった。
 最初、レオーネは断った。奨学金を借り、親の遺産と自分のバイト代で学費を賄うつもりだったからだ。同い年の働く兄にサポートしてもらうのも、気が引けた。
 だが師に「学生のうちに将来への投資として学習しておいた方がいい」と後押しされて思い直し、ありがたくその提案に乗ったのだった。
「いつか必ず、借りは返すから」
「そんなのいいよ。家族なんだから」
 自分も兄を助けられるくらいの力をつけたい。
 その思いを胸に、レオーネは日々の勉学に励んでいる。








 マンションのエレベーターで階を上がり、部屋に着く。
 南向きの角部屋。2LDK。トイレと風呂はセパレート式。冷暖房完備で通信のいい回線もついている。
 良物件である。
 ダイニングのローテーブルの上には、すでに料理が並びはじめていた。
 中央では、ラッカラン名物コロシアムバーガーの紙袋が鎮座している。かなり大きいところを見るに、特大サイズを二つ買ってきたのだろう。
 バゲットはいつものパン屋で買ってきたものだが、鍋に入ったスープは手製だ。魚介をよく煮込んだブイヤベースは、兄の得意料理の一つだった。
「本当に作ってくれたのか」
「暇だったしな」
 アシュレイはコートをポールハンガーに掛け、そこにあったスウェット一式を外して身につける。
 手早くエプロンの紐を結ぶと、帰途ずっと手に提げていた箱を冷蔵庫へしまい、弟を振り返った。
「着替えてこいよ。その間に仕上げするから」
「すぐ戻ってきて手伝うよ」
 レオーネはコートを掛け、自室へと向かう。
 シャツとズボンを脱いで洗濯籠にまとめ、セーターは畳んでしまった。
 スウェットを身につけて髪を括り、キッチンで作業をする兄のもとへ戻る。
 アシュレイはオーブンでキッシュを温めながら、ローストビーフをバーナーで炙っていた。
 弟を一瞥するなり、口を開く。
「冷蔵庫にサラダとカプレーゼが冷やしてあるから出してくれるか。あと──」
「随分奮発したな」
 レオーネは冷蔵庫の中身を見る。
 今指示された料理の他に、知られた銘柄のシャンパンが入っていた。
「師匠おすすめのヤツ。飲んでみたかったんだよなー。あ、ワインもあるから良かったら飲もうぜ」
「どっちが多く飲めるか勝負、とか言うなよ」
「言わねえよ」
 レオーネは冷蔵庫の品を出し、並べていく。
 アシュレイは仕上げの済んだ品を並べていく。
 テーブルの上はたちまち料理で埋め尽くされた。
 賑やかしく、色合いが豊かでいい。
 食べきれるのかだけが少々不安だが、大の男二人なら問題ないだろう。
 どこから持ってきたのか、アシュレイがシャンパングラスを手にしてやってきた。
「はい、栓抜き」
「用意がいいな」
「今日一日で用意した」
 レオーネはシャンパンの栓を抜く。
 顔を上げると、向かいでそっくりな顔がシャンパングラスを傾けて待っていた。
 大ぶりな瓶を差し出す。
「ほら」
「うん」
 注いでやれば、嬉しそうに破顔する。
 考えていることの分かりやすい奴だと思う。
 アシュレイはシャンパングラスを一度置き、レオーネに手を差し出した。
「グラス持って」
 レオーネの杯に、アシュレイが酒を注ぐ。
 細かな泡と共に果実の甘い香りが立ち上る。
「コロシアムで飲まされなかったのか」
「十五であそこに入ったからかな。何故かずっとガキ扱いで、宴会でもジュースしか渡してもらえなかったんだよな」
「兄貴らしい」
「どういうことだよ」
 笑みを漏らすと、じとりと睨まれた。
 誤解される前に言葉を補う。
「そこで無理に自分から飲まないところが、兄貴だなと思ってさ」
「だって、俺は俺だけのもんじゃねえから」
 アシュレイはシャンパンボトルを置く。
「ファンは勿論だけど……お前もいるし。大事な奴らを思うと、無責任なことできねえよ」
 アシュレイはグラスを掲げる。
 レオーネも同じように掲げた。
 薄いガラスが触れ合い、澄んだ音を立てる。
「二十歳の誕生日おめでとう、レオ」
「お前もな、アシュレイ。誕生日おめでとう」
 二人同時に、杯へ口をつけた。
 アシュレイは一息に、レオーネは少しずつ傾ける。
 空になった杯を手に、アシュレイは表情を華やがせた。
「美味いな」
「ああ」
 レオーネも微笑した。
 口当たりが軽く、爽やかだった。
 二人は食事を始めた。
「美味い」
「良かった」
「食事、本当に全部用意させちゃってごめんな」
 何事も楽しむ兄は、何事も上達するのが早かった。釣りに慣れたと思ったら捌き方を覚え、料理の腕も上げた。旅先で美味い食べ物を見つけてくるのもうまかった。
 だから毎年、誕生日に食べるものを決めるのはアシュレイに任せていた。
 かかった費用の半分は持つから。
 そう言うと、アシュレイは首を振った。
「何言ってんだよ。俺がいない間、レオは家のこと全部やってくれただろ。そのお礼だ」
 レオーネは物の管理と整理が上手い、とは兄の弁である。
 レオーネ自身にその自覚はなく、ただ自分の過ごしやすいようにしているだけなのだが、いつの間にか家のものの管理はレオーネに一任されていた。
 最近ではアシュレイが物を買ってきた時、どこにしまったらいいかをレオーネに聞くのが習慣になっている。
 二人は食べながら最近のことや気の向いたことなどを気ままに話した。
 アシュレイは劇場の仲間たちのことを話した。種族を超えた仲間たちが集まるラッカランでの仕事は楽しく笑えるすったもんだばかりらしく、どれもいい刺激だとのことだった。
 レオーネは大学生活について話した。レオーネの大学にも大陸を越えて様々な者が集まる。話していると自分の知らない世界に出会って驚くことが多く、様々な発見がある。それぞれの出身地の建築や文化について聞くのがとても面白いと語った。
「俺達、レンダーシアから出たことがあんまりないもんな」
「俺はもっと五大陸のものを見てみたい」
「なら旅行行こうぜ。レオは何が見たい?」
「ドルワームの水晶宮を見てみたいな。あの辺りの砂漠には謎の物体があるというから、それも見たい」
「いいな! 俺もドルワームの砂漠に行ってみたかったんだよ。いつ行くか」
「お前の日程に合わせるよ」
 二人は会話をしながら、新鮮なワルドキャベツを使ったサラダを楽しみ、ブイヤベースに舌鼓を打ち、ローストビーフと赤ワインの可能性について考えた。
「コロシアムバーガーは何でこんなにでかいんだ」
「悪ぃ。いっぱい食べたかったからよぉ」
 コロシアムバーガーの処理には苦戦したが、どうにか全て食べ終えることができた。
「ケーキまで食べられそう?」
「別腹だからいける」
「じゃあ、お茶入れるよ」
「なら、俺が切り分ける」
 手分けして机の上を片付けた後、レオーネは湯を沸かし、アシュレイは冷蔵庫からケーキの箱を取り出して切り分けていく。
 電気ケトルの中から次第に湧いてくるふつふつという音を聞きながら、レオーネは自分の鼓動が常より大きく聞こえることに気づく。
 寒がりの自分なのに、肌に汗が浮いて湿り気を帯びている。
 酔っているかもしれない。酩酊しきってしまう前に、あれを渡しておかないといけない。そんなことを考えた。
 沸かした湯をティーポットに用意していた茶葉にかける。
 たっぷりの湯に浸かった茶葉が開き始めるのを見届けて、トレイにティーカップと共にポットを乗せた。
 卓に戻ると、アシュレイは既にケーキを切りって待っていた。
 四号のケーキを二等分。
 いつもの分け方である。
 兄が正座して待っている。火照った顔は、レオーネの姿を見ると膝の横に置いてある何かを握った。
 どうも同じことを考えていたようだ、とレオーネは察した。
「これ、プレゼント」
 アシュレイは細長い小箱を渡す。
「俺からも」
 レオーネはトレイを置き、真四角の小箱を渡す。
 二人はケーキより先にプレゼントを開けることにした。
 アシュレイからのプレゼントは万年筆だった。前にレンドアの道具鍛冶ギルドで興味深く見ていたのを覚えていたようだ。
 持ってみると程よい重みがあり、手にしっくりと収まる。
 小箱には、青みを帯びたインク壺も入っていた。今度書く練習をしてみよう、とレオーネは思った。
 一方、レオーネからアシュレイへのプレゼントはネクタイだった。
 アシュレイは、舞台挨拶をする時にいつも同じスーツとネクタイを身に着けていた。そのため、たまには別のものにしたらどうかと考えたのが、プレゼントを選んだきっかけだ。スーツは本人の趣味があるので勝手に買えない。それで、ネクタイならば自分が選んでもいいだろうだろうと考え、プレゼントすることにした。
 アシュレイは箱を開けて目を丸くしていた。舞台映えするように質の良いブランドのものを選んだから、驚いたのかもしれない。おかげでアルバイトで得た貯金はだいぶ減ったが、兄の驚く顔にはそれ以上の価値があった。
 兄は箱を握りしめ、こちらをまっすぐ見据えて破顔した。
「ありがとな。大事にする」
「こちらこそ。使わせてもらうよ」
 レオーネも万年筆の箱を軽く掲げた。
 それから、唇の片端を持ち上げる。
「さすがにもう泣かないな」
「当たり前だろ。いつまで昔のこと、引っ張ってるんだよ」
 アシュレイの酒精を帯びた頬がさらに赤くなる。
 高校二年生の頃、アルバイトで貯めた金を使い、離れた地で頑張る兄へ誕生日プレゼントを買ったことがあった。
 選んだのは、羽のチャームのついたぺアネックレスだった。知られた名工のものでもない、学生でも買える手頃な品であったが、二つで一対の翼を成すデザインに心惹かれたのだ。
 レオーネは右の羽がついた方を身につけ、アシュレイには左の羽がついた方を贈ることにした。
 離れていても応援してるから。
 稽古の合間に帰ってきた兄に渡してそう言うと、兄はぼろぼろ泣いた。
 レオーネはひどく慌てた。両親が亡くなった時さえ涙一つ見せなかった兄が、まさか大粒の涙を零してしゃくり上げるほど泣くとは思わなかったのだ。
 後にも先にも、兄が泣いたのはあの時だけだった。
 アシュレイはスウェットの首元に手を入れ、細い鎖を引き出した。そこには、未だに羽の片割れがついていた。
「あれからずっと付けてるよ」
 もうお守りみたいなもんだな、と兄は笑う。
「いつもありがとう、レオ」
「頑張ってるのはお前だろ」
 レオーネは自分の首の後ろに手をやる。
 指先に細い鎖の感覚を認めると、えも言われぬ安堵を覚える。
「身体は壊すなよ」
「お前もな」
 そろそろ茶葉がいい頃合いだろう。レオーネはカップに紅茶を注ぐ。
 カップをそれぞれの前へ置き、二人はケーキをつついた。
 昔から、一つの皿に乗っている、半分に切り分けたケーキをつつくのが恒例だった。別の皿によそり分けてもいいのだろうが、わずかではあるものの洗い物が増えて面倒臭いので、ずっとこの食べ方をしている。
 兄と同じ皿で一つのケーキを食べる。この毎年の行事の度、レオーネは何とも言い難い、くすぐったいようなむず痒い気持ちになる。
 もしも第三者にこれを見られるようなことがあったとして、すすんでそうしているのかと聞かれたなら、きっとそうではないと答えるだろう。面倒だからこうするのだと弁解するに違いない。
 だが逆に、本当は嫌々やっているのではないかと聞かれたら、それにもそうではないと答えてしまう気がする。こちらは、何故かと説明を求められても、おそらく答えられないだろう。
 兄はどう思っているのだろう。レオーネは向かいのよく似た顔を窺う。アシュレイは美味そうにケーキを食べている。
「明日、大学は休みだよな」
 呑気に話しかけてきた。
 葛藤はなさそうだ。もしくは、あっても表に出していないのか。
 レオーネは考え事はおくびにも出さず、頷く。
「ああ。何かあるのか?」
「よかったら、どこか出掛けねえ?」
「候補は」
「うーん。メルサンディかアラハギーロ」
「アラハギーロがいいな」
「よしきた」
 二人は、ケーキを食べ終えた後も旅程について語り続けた。
 そうしているうちに、消化の早い若い腹は次第に落ち着いてくる。
 アシュレイがシャンパンをすべて空けてしまいたいと言い、レオーネもそれに付き合うことにした。








+++



 自分とそっくりな頭が揺れ始めたと思ったら、頬杖をついて動かなくなってしまった。
 目を瞑る顔は朱を帯びており、いつもの落ち着いた印象とは異なる幼げな雰囲気を醸し出している。
「レオ、風邪引くぞ」
「大丈夫。寝てないから」
 そうふやけた調子で言うものだから、アシュレイの頬が緩む。
 大人びた弟のこういうところを見ると、未だに可愛いと思わされてしまうのだった。
 音を立てないようケーキの皿を下げ、他の空いた食器と共に食器洗い機へ入れてしまう。
 片付けを済ませても、弟は頬杖をついて眠っていた。
 よほど学業で疲れているのだろう。アシュレイはそっと声をかける。
「レオ。俺、もう寝たいかな」
 すると、レオーネの目が半分開いた。
「じゃあ寝るか」
 そう言って立ち上がる。
 足元がふらついている。アシュレイは弟が転ばないよう、手を伸ばした。
「酔っちゃったから、俺も連れてってくれよ」
 強がりな弟は、大丈夫かと聞いたら大丈夫だとしか答えないだろう。
 こう言えば、ベッドまで一緒に歩いていっても嫌がらないはずだ。
 そう考えての言葉だった。
「しょうがないな」
 果たして面倒見のいい弟は、兄の望み通りにしてくれた。
 寝ぼけ眼を擦りながら手を取り、アシュレイの自室へと向かう。
 繋いだ手が熱い。よほど眠いのだろう。
 そう考えながらも、アシュレイは一応尋ねる。
「風呂は?」
「明日」
 だって回ってるし、とレオーネは答える。
 それは分かっているのか。
「なあ。レオの部屋に連れてってよ」
 そう声をかけたが聞こえなかったようで、レオーネはアシュレイの部屋へ入った。
 出掛けていることの多いアシュレイの部屋には、物が少ない。殺風景で面白みがないと思っていたが、酔った弟が転ぶ心配がないところだけはいいなとアシュレイは考えた。
 レオーネはアシュレイをベッドまで連れてきて、兄にベッドへ横たわるよう身振りで指示した。
 その通りにすると、レオーネは糸の切れたように同じベッドに座り込み、そのまま倒れるようにして眠ってしまった。
「ええ……」
 アシュレイは身体を起こし、隣で眠りこける弟を覗き込んだ。
 規則正しく、深い寝息を立てている。
 これは起きそうにないなと思った。
「いや、俺はいいんだけどよ」
 レオーネは、明朝起きた時に怒らないだろうか。明日は一緒に出かけたいから、弟の機嫌を損なうのは避けたかった。
 アシュレイはあれこれ考えようとしたが、酒の入った頭はうまく回ってくれない。やがて思考を放棄した。
 明日は明日の風が吹くだろう。 そう開き直って弟の隣に横になり、寝顔をじっと見つめる。
 自分とよく似た顔。それでも寝ている時さえ、眉間にはやや皺が寄っているように思える。
「頑張りすぎんなよ」
 アシュレイは人差し指で、真面目な弟の眉間の皺を伸ばす。
 そうしてやると、少しだけ寝顔が和らいだ気がした。
(もう、二十か)
 そう思うと感慨深く、血も苦労も分けあってきた弟が愛しくなる。
 師匠の家でも、よくこうやって寝たっけ。
 まだ大人との節目だし、少しだけならいいよな。
 アシュレイは内心で言い訳をする。
 そして、弟の肩に顔をつけるようにして寄り添った。
 慣れ親しんだ、昔から変わらない弟の香りがする。
 眠るレオーネが擦りよってきた。縋るように腕で頭を包まれて、アシュレイから恥じらいが薄れていく。
 仕事で張り詰めた精神がほぐれるのを感じる。
 落ち着く温もりと香りに包まれ、アシュレイもまた深い眠りに落ちていった。








 睡眠不足の解消されたレオーネがすっきりと目を覚まし、自分と兄が兄の部屋で抱き合って眠っていたことに気づいて、酒を帯びていた時以上に全身を赤くするのは、それから八時間後の朝のことである。