観客は去ったはずなのに





 戦闘において大切な心得は多々あるが、そのうち強敵と戦う際に特に意識すべき点は観察と時間管理である。
 種族関係なく、戦士は戦闘における行動にお決まりのルーティーンを設けた方が戦いやすい。敵も同様だ。それを逆手に取り、視線や動作を見て次に来る行動を読み、蓄積された情報から敵の攻撃が発動するまでの時間を計算し、効率よく立ち回るのである。
 独房に似た物々しい円形の戦場で、ミーナは中衛として前衛と後衛両方のサポートに回っていた。タービンの旋回に伴う低い振動が絶えず足場を震わせ、敵の技と味方の得物が衝突する鋭利な残響が不規則に鳴り響く。規則的なタービンの回転音がミーナの時間管理を助けてくれるから、この戦場は比較的戦いやすかった。
 回避、味方の増強、敵の弱体化、回避、回復、攻撃。
 敵のターゲットと動線を確認しつつ、焦らず、機械的に動く。
 やがて、味方の刺突を最後に敵がどうと倒れた。戦闘が終わったのだ。
 どこからともなく降ってきた宝箱から報酬を回収し、転移ゲートへ乗る。青い光より放たれた後、仲間の一人が声をかけてきた。
「いやー、助かった! 来てくれてありがとうな」
 今回のパーティーリーダーとなった冒険者だった。旅を始めた初期からの馴染みの相手なので、戦闘に参加する頭数が必要な時などには気軽に声をかけ合う仲だった。
「こちらこそ。ラクリマはいくらあってもいいから」
 ミーナが言うと、相手はだよなと何度も頷いた。
「いい耐性装備を揃えるにも、色々限界があるからな。せっかく指が十本──足を入れれば二十本あるんだから、全部に指輪を嵌めて出陣できればいいのに」
 彼は己の両手を広げ、まじまじと見つめる。ミーナは肩をすくめた。
「防具と同じで、アクセサリーの装備にも負荷がかかるのよ。つけすぎると身体がもたないって聞いたことがあるわ」
「うわ、マジか。じゃあラクリマ回収を頑張る以外ないな」
 また協力してくれよ、と言って彼と仲間達は去っていった。
 一人残ったミーナは、先程出てきた光の渦を一瞥する。
 咎人と呼ばれる彼は、光の河に封じられた堕天使のようだった。彼の様子を見ていると、魔祖のことを思い出す。
(咎人にもアストルティアの住人として過ごして、他の天使達のように仕事をしていた頃があったのかな)
 何が彼を今に至らせたのだろう。アストルティアの維持と、生き延びるための装備の充実のために戦っているが、自分はこの戦いを続けていいのだろうか。
(まだ分からないことだらけだわ)
 ミーナの旅は、目先の危機回避を大優先に動くことが多い。本当は他にも気に掛かる不穏の種があるけれど、そちらは後回しになりがちだ。
 このままでいいのかと迷うのだが、結局のところ自分は明確な雇い先のないフリーの冒険者である。一人でできることには限りがあるから、動けないでいた。
(残る悪神は二人。グランゼニスの勇者達が揃って行方知れずだなんて、嫌な予感がするわ)
 彼の恩恵を受けた勇者達はロクな目に遭っていない。現在名の伝わる勇者達全員に関わり、ナドラガンドや魔界の歴史を知った今、アストルティアの危機が何度訪れても未だ目覚めないかの神に不信感を覚えているところがあった。
(ナドラガンドであたしに命を与えてくれたのは覚えてる。でも、神にとってそれくらい些細なことでしょうし)
 自分の考えすぎであればいいと思う。
 ミーナとて、アストルティアの神よりもキュレクスに依存して発展したエテーネの末裔ではあるが、人間の生みの親をすすんで敵視したいとは思わない。
(結局のところ、確かなのは自分だけなのかも)
 だから、自分の選択を不安に思っても自分自身の育成をやめられないのだ。自己愛などではなく、不安を払拭するための育成。
「どうしたんだい、ミーナ」
 立ち尽くすだけの彼女を疑問に思ったのか、ミレリーが話しかけてきた。ミーナは顔を向け、微笑を返した。
「すみません。何でもないです」
 天使達はまだ悪神の行方を掴めていない。天界での仕事が途切れた今が、村に帰る絶好のタイミングだろう。
 ミーナは燭台を掲げた。











 新エテーネ村は、今日も賑わっていた。施設で働く村人の商売文句が行き交い、旅人達は活発に語らっている。やぐらのある中央広場は、冒険者にとって不可欠な施設が集まっているので、村に縁が無くともこの地を冒険拠点代わりにしている者もいるらしい。そう、シンイから聞いたことがある。
「おかえりなさい」
 思い浮かべた人物が、住宅東エリアの方から歩いてきた。
 彼がやぐらの辺りにいないなんて珍しい。ミーナは笑みで応える。
「ただいま戻りました」
 二人は旅人の立ち寄らない方へ向かいながら、村の情報を共有する。一通り報告をした後、シンイから運営に関する相談や提案があるのがいつもの流れだ。
「来週、防災避難訓練を行うんです」
 新エテーネ村は防災マニュアルが充実している。これは過去の出来事を教訓にしてシンイが作ったもので、住人にも周知徹底されていた。
「ミーナさんの今後の予定はどうですか? もし都合が良ければ、様子を見ていきませんか」
「ごめんなさい。参加できたら行きたいんだけど、ちょっとこの先の予定が読めなくて」
「分かりました」
 シンイはあっさりと了承した。
「ご相談したいのは、防災訓練に関連する物品購入のことです。発煙装置の素材や一部の備蓄の消費期限がそろそろ切れるから、古いものを今度の訓練で使ってしまうことにして、代わりに新しいものを買おうかと考えてます」
 シンイに手渡されたリストを見る。それなりに品数が多い。
「買いましょう。どこに買いに行きますか?」
「今日、キィンベルに行こうかと」
「それなら、私も一緒に行ってもいいですか」
 リストの品の多くは、ゼフの店で見たことがある。一、二店舗行けば全ての品を揃えることができるだろうが、荷物を持つのが大変そうだ。
「きっと結構な量の買い物になりますよね。荷物持ち、手伝います」
「お気遣いはありがたいのですが、あなたに持たせるわけには」
 シンイはすぐに首を横に振った。ミーナは思わず笑みを零した。
 クエストを頼まれることの多い日々だから、彼の返事が新鮮だった。
「あたし、結構力持ちですよ?」
「旅でお疲れなのではありませんか?」
「気遣ってくださって、ありがとうございます。でも、お買い物も好きだから行きたいんです。気分転換も兼ねて、連れていってくれると嬉しい」
 ミーナが言うと、シンイはそういうことならと微笑んだ。
「では、お願いします」











 王都キィンベルの街並みを、ミーナとシンイは並んで歩いていた。
 二人はそれぞれ、片腕に荷物を抱えていた。どちらもプリズニャン並みの大きさだったが、二人とも表情は晴れやかだった。
「まさか、あんなにお安くしていただけるとは思いませんでした」
「ラッキーでしたね」
「知り合いのあなたがいたおかげですよ」
 ゼフの店に行ったところ、ミーナとの再会を喜んだメンバーの厚意でかなり割引をしてもらえたのだった。ミーナはそこまでしてくれなくていいと言ったのだが、まだ店を利用してくれればいいからと押し切られてしまった。
「これで買い物はほぼ終わったも同然です。あとは、そこの道具屋で──」
 小道に入った所でふとシンイが言葉を切り、そばにある店のショーウィンドウを覗き込んだ。
「あ、ミーナさん。ちょっとこれを見てもらえませんか」
「何ですか?」
 彼の方へ身を寄せた時だった。
「おっと!」
 後ろで驚いた女性の声と、木の割れるばきりという大きな音がした。
 見れば、先程までミーナがいた辺りに壊れた花売りのワゴンが突っ込んでいた。車輪の片方が外れてしまったらしく、傾いだ状態になっているが、乗っている花はすべて無事だった。
「手伝います」
 シンイは買い物の荷物を道端に置き、ワゴンの修理に苦戦する女性のもとへ寄っていった。しゃがんで車輪とワゴン本体をやけに手際よく噛み合わせようとする背中を見ながら、ミーナは察した。
(予知してたんだろうな)
 生き返しを受けて予知の力が目覚めてから、シンイと過ごしていると稀にこういうことがあった。彼の何気ない呼びかけや行動に従った結果、降りかかるはずだった難を逃れるのである。彼はよほどの大きな危険が降りかからなければ予知した内容を公言しないため、ミーナは彼が何をどう視るのかまでは知らなかった。
 ミーナが、彼の道端に置いた買い物袋を空いた方の手に抱えて寄っていった頃には、シンイはワゴンを修理してしまったらしかった。花売りの女性は、ほっとした顔をしていた。
「ありがとう。お陰で助かったよ」
「いいえ、大したことは」
 女性はワゴンを指し示した。
「お礼に花はいかが? エテーネの豊かな水でのびのび育った花達だよ」
 ワゴンには、彼女の言葉通り雫を蓄えた美しい花々が咲き誇っている。シンイはかぶりを振った。
「本当に、大したことはしていませんから」
「そう言わず、受け取っておくれよ。お代はいいからさ」
 女性は、シンイの背後に控えていたミーナにも言った。
「そちらのお嬢さんにも。さっき、怖い思いをさせたからね」
「あ、お構いなく」
 そう言った頃には、彼女はワゴンからさっと花を二輪引き抜いて差し出していた。
「じゃあこれをあげるよ。あたしオススメの、世にも珍しい錬金術仕上げの青い薔薇さ」
 それは、以前ミーナがキィンベルを訪れた時にも気になっていた花だった。湧き水を織りなしたような、清廉な気を漂わせる薔薇である。
 シンイは受け取り、会釈した。
「ありがとうございます」
「お客さん達、外から来たんだろう? エテーネ王国は錬金術の国なんだ。せっかくだから、これをお土産に持っておいき。普通の花より持ちがいいし、ドライフラワーにしても発色がいいよ」
 ミーナとシンイが礼を言うと、花売りはその場を後にした。
 シンイはその場に佇み、じっと花を凝視している。花には、一羽の蝶が止まっていた。風が吹くと、蝶は羽ばたいた。そして、花屋の引くワゴンの花々の芳香を追いかけるように飛んで行ってしまった。
 ミーナは黙って、花を見つめるシンイを眺めていた。彼は花を見つめたまま、口を開いた。
「ワゴンの修理をしている時から、なんだか見覚えのある雰囲気の花だと思っていたのです。さっきの説明を聞いて、納得しました。これは錬金術によって生まれた花なのですね」
「テンスの花と一緒ですね」
 シンイは顔を上げた。二つの買い物袋を抱えたミーナを見るなり、はっとしたようだった。
「ごめんなさい。荷物を持たせてしまって──」
「懐かしい」
 ミーナが言うと、彼は首を軽く傾けた。
 青い二輪の薔薇を携える彼を眺めている間、ミーナは旧エテーネ村でのことを思い出していたのだった。村の周辺に生える鮮やかな橙や赤の花、やや地味な白い花を積んできて、シンイと妹と共に花冠を編んだものだった。テンスの花を大切に握りしめた彼の姿も、未だ記憶に新しい。
 シンイには、花や蝶のような柔らかなものの似合う雰囲気があった。
「青は、自然には生まれづらい色なんだそうです」
 だから、青い薔薇にはかつて『不可能』という意味があった。
 ミーナはそう言って、目を細めた。
「でも、錬金術によって青い薔薇が生まれたことによって、『不可能』から『奇跡』という意味に変わったんだとか。シンイさんにお似合いの花ですね」
 もちろん、どんな花でも彼に似合うと思う。
 だが、奇跡の御業である魔法の使い手として、今やアストルティアでも指折りの存在になった努力家の彼に、この花は特に似合いだと思った。
 シンイは少し黙った後、俯いてヘルメットに手をかけた。
 やや強い風が吹き、ミーナは咄嗟に瞬きをする。再び目を開けた時、そこには背の高いつば広帽の男が立っていた。
 男はミーナの片腕からひょいと荷物を持ち上げ、代わりに持っていた青い薔薇を一輪差し出した。
「ミーナさんにも似合いますよ」
 彫りの深い顔立ちがにこりと笑みを浮かべる。ミーナも笑みを返した。
「ありがとうございます」
 でも、と今度はミーナが首を傾げる。
「何で急にクロウズさんになったんですか?」
「懐かしいと言われたので」
 それにクロウズでこういう言動をすると、ウケるんです。
 彼は飄々とした、本気なのか冗談なのか分からない調子で言う。
「らしくない理由ですね」
 ミーナが笑うと、クロウズはかぶりを振った。
「すみません。本当は、ちょっと恥ずかしくてこちらの姿に逃げてしまいました」
「どっちにしても、言ってる内容は変わらないのに」
「ペルソナを変えた方が言いやすいこともあるんです」
 クロウズが先に歩き出した。ミーナは歩幅大きく彼を追い、その顔を再度覗きこんだ。
「次はシンイさんで言ってください」
「同じことを二度も言ったら野暮では?」
「そんなこと言って。本当は恥ずかしいだけでしょ」
 揶揄い混じりに返すと、クロウズは半ば呆れたように言った。
「あなたは、よくもそう恥ずかしいことを堂々と言えますね」
「あたしは思い浮かんだことをそのまま言ってるだけですよ。クロウズさんは考えすぎです」
 クロウズが溜め息を吐いた。変化の少ない顔が、少し物憂げになったような気がする。
(ちょっと、調子に乗りすぎたかな)
 ミーナは反省し、素直に謝った。
「ごめんなさい。ちょっとはしゃぎすぎたかも」
 楽しい外出が久しぶりで、浮かれてしまったのだ。
 そう白状すると、クロウズは横目でこちらを見下ろした。
「新エテーネ村には、あなたの家があります。あの村はいつでも平和です」
 ミーナが目をぱちくりとさせていると、クロウズは歩を止めて顔をこちらへ向けた。そこに、もう呆れの色はなかった。
「だから、疲れたらいつでも帰ってきてください。あまりに辛いようならば、旅をやめてもいいんですよ」
 ああ。
 ミーナはやっと合点がいった。
 近頃の旅で抱いた憂鬱を、彼に気付かれていたのだ。
(情けないな)
 自分の未熟さを噛み締めながら、ミーナはめいっぱいの笑顔を浮かべた。
「ありがとうございます。でも、今日一緒にお出かけしてもらったからいい気分転換になりました」
 まだ、旅を終えるわけにはいかない。
 ミーナは再び歩き始めた。少し遅れて、クロウズの足音が続いた。











20231028