霜降肉メガ盛薬草鍋に浮いた駄弁りを添えて




※「おとぎの園の灰の上で」の前日談。
※シンイ×主人公♀
※ver5.5までのネタバレ有。
















 ボクの名前はラジ。昔はイバンなんて呼ばれていたこともある、人間二回生だよ。
 前の人生では、エテーネの村というとても平和なところに住んでいたんだ。でもある日、村で一番えらい巫女様が「村は間もなく滅びる」って予言をして、村はその通りに滅んでしまった。メーオー・ネルネルとかいう奴に、ドカーンとやられたのが最期の記憶。気がついたら、知らない孤児院にいた。鏡を見ると、茶色だったはずの髪が若葉みたいな明るい色になっていてびっくりした。孤児院に来る前の夢の中で「生き返しの術」とかいうものについて誰かが説明してくれたのを聞いていなかったら、ボクは周りから呼ばれたラジという名前が自分だって受け入れられなかっただろうな。だって新しいボクの外見は、イバンだったボクに瓜二つだったからね。
 それでもしばらくは、別人になったことをなかなか受け入れられなかったよ。だって、ボクはエテーネの村が大好きだったから。
 エテーネの村は本当に平和なところだった。ご飯の取り合いも泥棒もなかった。魔物が襲ってくることだって、最後のあの日までずっとなかった。一番の事件と言ったら、村人の一人に錬金術師の女の子がいて、その子が毎日のように錬金失敗騒動を起こすことくらい。それも、村人達が目くじら立てて怒るようなものじゃない。ひよこがひよこ豆になったくらいの可愛いものだった。
 だからボクはラジとして生きながら、心の中ではずっとエテーネの村に帰りたいなあって思ってたんだ。孤児院も決して悪い所じゃなかったけれど、いつかは自立して出ていかないといけないからね。グランゼドーラやアラハギーロみたいな大都会へ行って生活したら楽しいのかも、って考えたこともあったよ。でも、気ままなエテーネの村の暮らしがどうしても頭から離れなかったのさ。あと、ボクの全財産二十四Gをあげたテンスの花捜索隊のメンバーはどうなったのかなとか、カメさまはどうなったのかなとか、他の村人のことも頭から離れなかったから。
 孤児院の大人達には、イバンとしての人生のことを話さなかった。でも大人達は、ボクの生き返しには気付かずとも、ボクが過去について考えているのを何となく察していたらしかった。「新しいあなたの人生を描いていいのよ」って、何度も言われた。けれど、ボクは村のことが忘れられなかった。生き返し先のラジの人生に従って生きることも考えたのだけれど、そもそもの彼の人生は、とても口にするのが憚られるような悲惨なものでね。彼の魂の安息のためにも、ボクはあの明るい村へ戻って、長閑な暮らしをさせてあげたいと考えていたんだ。
 来る日も来る日も、ボクはエテーネの村に帰れますようにと祈り続けた。住んでいた孤児院は教会が作ったものだったから、ボク達孤児は毎朝教会に行って礼拝をするのが日課だった。他の子達が誰なのかよく分からない彫刻に祈っていた横で、ボクはカメさまに思念を飛ばそうとしていた。思念の飛ばし方なんて知らないけど、気合でできるかなと思って、毎日頑張って挑んでいた。ボクはエテーネの村に帰りたいです、帰らせてくださいってね。
 そうしたら、なんとびっくり。ある時、旅の行商人からエテーネの村の噂が入って来たんだ。
 彼はこう言ったよ。
「エテーネ島の隅に、いつの間にかエテーネの村というものができていたよ。小さいが、居心地のいい村でね。村の取締役は随分若い男だったけれど、腕がいいんだろうな」
 ボクにはすぐ分かった。
 シンイ様が生きていたんだ。シンイ様はエテーネ村の巫女だったアバ様の孫で、成人する前からアバ様の右腕として働いていたような人だった。滅びた村を立て直して、前の村と同じ名前をつけるような人は、彼しかいない。
 この話を聞いてこれまで通りの暮らしを続けるなんて、ボクには無理だったね。
 ボクはその行商人に無理を言って、お手伝いとして雇ってもらいながらエテーネの村へ帰ることにした。孤児院とお別れして、長い旅をした。そうして、やっとエテーネの村へ帰って来たんだ。
 新しくなったエテーネの村は、前とそっくり同じだった。家の土台は古いものと新しいものが組み合わさってできていて、きっとシンイ様が燃えずに残った建材を活かして作り直したんだろうと思った。それでもあの日の悲惨さは見当たらなくて、ボクの胸には懐かしさだけが蘇ってきた。
 村の中央広場へ行くと、見覚えのある個性的なヘルメットをかぶった男の人が、エテーネの民族服を着た知らないおじさんと話をしていた。
 ボクが駆け寄って行くと、男の人が振り返った。人の良さそうな黒目がちの目が、ボクを映してこう言った。
「イバンくん?」
 久しぶりにその名前を呼ばれて、涙と一緒に鼻水が出ちゃったよね。だって、ボクみたいな何の取り柄もない村人を覚えてくれてるなんて、思ってなかったんだもん。
 ボク達は再会を喜び合って、お互いのこれまでの話をした。その中でボクは、お騒がせ錬金術師のジウさんと、その姉でカメさまの申し子と呼ばれていたミーナさんが紆余曲折あって生きていること、村を復興したのがシンイ様とミーナさんだということを知った。さらに、今はミーナさんが村長の立場にいること、ジウさんはしばらく前にシンイ様と一緒に行動していたけれど、わけあって村へ帰って来られなかったことを聞いた。
 ボクは戻ってきたその日から、新エテーネの村の入り口で旅人を迎える仕事を始めた。始めた理由は色々あるよ。村の入り口は意外と村全体の様子がよく見えるから、人の様子を把握しやすくて楽しいんだよね。新しい村人や外から来た旅の人ともやりとりができて楽しいし、万が一村に魔物が入ってきた時は、みんなに叫んで知らせてあげられる。もっとも、この最後の仕事は当分やらなくて良さそうなんだけどね。だって、カメさまもとい天馬ファルシオンが結界を張り直してくれたらしいし、シンイ様とミーナさんが昔と比べ物にならないほど強くなっていたから。魔物の方が、村を怖がって寄ってこないんだ。
 だからボクは、日々呑気に村を観察して暮らしていた。ボクが戻って来てから大分経って、ジウさんも帰ってきた。その日は村をあげて、おかえりなさいのパーティーをしたよ。ボクも久しぶりにジウさんに話しかけに行ったけれど、あの人、前に比べてすごく頭が良さそうになってたな。別人みたいだった。
 そんなこんなで、色々あったけれど新エテーネの村はハッピハッピー万々歳。亡くなってしまった村人達の魂も、村の片隅でにっこり寛いでるんじゃないかってくらいの、以前にもまして幸せな村になったんだ。もう、言うことなしだよね。
 ……なんて思ってたんだけど。
 ボク達新エテーネの村の村人達には、一つだけ、ある懸念事項があったんだ。







+++



 ジウさんおかえりなさいパーティーから、何日か経ったある日のことだった。
 村の入り口で地面に絵を描いていたボクのところへ、ジウさんがやって来た。物腰こそデキる錬金術師風になったジウさんだけれど、外見は全然変わっていない。ワンレングスのボブに整えた茶髪に、どんぐり眼の童顔と小柄な背丈は、村イチのお騒がせお転婆娘のままだった。
「ねえ、イバ──じゃなかった。ラジ」
 ジウさんはボクを昔の名前で呼ぼうとして、慌てて言い直した。
 ボクは言った。
「どっちで呼んでくれてもいいよ」
「ごめんね、つい」
 彼女はぺろりと舌を出した。愛嬌のある謝り方も、変わっていない。
「それで、どうしたの。ボクに何か用?」
「うん」
 ジウさんは真剣な面持ちになった。
 何だろう。凄腕錬金術師の彼女が、平凡な村人のボクにどんな用事があると言うのだろうか。
 ボクはじっと待った。やがてジウさんは、眉に力を入れた真剣な顔つきのまま口を開いた。
「あのね」
 声を潜めて、言う。
「お姉ちゃんとシンイさんって、付き合ってないの?」
「その質問をしたのは、君で十人目だよ」
「うっそぉ!」
 ジウさんは目を大きく見開いて、口に手を当てた。
「まだ付き合ってないの!?」
「ボクも疑ってるんだけどね。まったくデキてる風がないんだ」
「嘘だ! シンイさんが本当の家族になるっていう報告を楽しみに帰って来たのに」
 ジウさんは地団太を踏んでいる。この人、根っこのところは変わってないんだなあ。ボクは妙にほっこりした気持ちになった。
「ここで騒いだら、そのうちシンイ様に聞こえると思うけど。いいの?」
 ボクが言うと、ジウさんははっとしたようだった。
「そうだった。ちょっと、場所を移そう」
 ボク達は、入り口に近い村長の家の裏に移動した。ここならばあまり人が寄ってこないので、二人で気にせず話をすることができる。
 家の影に隠れるなり、ジウさんが言った。
「ラジも、あの二人がデキてるんじゃないかと思ってたんだ。いつから?」
「イバンだった頃からかなあ」
 ボクはかつてを思い返してみる。
 エテーネの村は人口が少なかったこともあり、みんなで協力して暮らしを支え合っていた。そうなると、日々の共同作業の中で駄弁るために話題が必要になるわけで、そこで盛り上がりやすい話題もいくつか発生することになる。
 そのうちの一つが、シンイ様とミーナさんがとてもいい関係だという話だった。
「みんなが、シンイ様とミーナさんはきっと夫婦になるって噂してた。それがきっかけだったと思う」
「ああ。やっぱり?」
 ジウさんは納得したように頷いた。
「私やお姉ちゃんに隠れてひそひそ言ってる時があるなあって思ってたんだよね。やっぱりお姉ちゃんとシンイさんの話だったんだ」
「本人達の耳に入って関係性を崩しちゃいけないからって、おばちゃん達がみんなにキツーく口止めしてたんだよ」
「なるほど。私が錬金に失敗してお姉ちゃんとシンイさんが駆け回ることになった時、たまにおばちゃん達が妙に優しかったのは、そういうことだったのかも」
 雨降って地固まる的なヤツかな。
 そう言って、ジウさんはニコニコし始めた。
「私がお姉ちゃんとシンイさんの関係を邪魔しちゃってるのかなって気にしてたんだけど、やっぱり私ってキューピッドだったのかも」
 なんだか嬉しそうだ。
 ボクは首を傾げた。
「どういうこと? ジウさんも、シンイ様のことが好きだったってこと?」
 イバンの記憶に間違いがなければ、姉妹のうちシンイ様に懐いていたのはジウさんの方だった。何事においても、シンイさんシンイさんと呼びかけて頼っていた覚えがある。
 ボクの言葉を聞いて、ジウさんは首を横に振った。
「シンイさんのことはもちろん好きだよ。でもときめき的なものとか、燃え上がるような気持ちを全く感じないんだよね。甘えられるお兄ちゃんっていうか……半分パパみたいに感じてるところまであるかな」
「大して年の差がないのに、そんなことある?」
「ある」
 ジウさんはきっぱりと言った。
「私の親、二人ともどこかに行っちゃったでしょ? 親に見捨てられたみたいな感じがして、昔はすっごく寂しかったんだ」
 ジウさんはその頃の話をボクに聞かせてくれた。
 ジウさんのお父さんとお母さん──アーヴさんとエウリヤさんがいなくなったのは、彼女が五歳の時だった。両親が具合悪そうにしているのを見た翌朝、二人は消えていた。アバさまには、流行り病で亡くなったので迅速に弔ってしまったと説明された。
 けれどジウさんは、両親は自分達を置いて出て行ったのだと悟った。そのきっかけが、何日か前に自分が見せ始めた錬金術にあったかもしれないとまで思い至った。
「だって父と母は、私が何かを上手にしてみせると、いつだって笑顔で褒めてくれたから。それが、初めて錬金術を見せた時だけは違ったの」
 あの時だけ、両親の顔から笑みが消えた。それは本当に一瞬のことで、すぐに笑顔になって褒めてくれたが、そのいつもと違う数秒の光景が脳裏にこびりついた。子供特有の勘が働いて、何となく、自分は何かしてしまったのではないかと考えた。
 自分が悪いことをしたから、両親がいなくなった。
 上手に錬金ができなかったからかもしれない。
 その思いに取り憑かれ、ジウさんは愛らしい素直な子供の言動と、手の付けられない利かん坊の言動を繰り返すようになった。世界が自分を嫌っている気がして、不安定になっていた。
「そんな私を、姉とシンイさんがずっとお世話してくれるわけ。そうなったら、新しい親みたいな目で見ちゃうよね」
「そうなの?」
 ボクは首を捻った。
 ボクも子供のはずなのだけれど、彼女の心理はいまいち分からなかった。個人差というヤツだろうか。
 ジウさんはそうだと頷いた。
「姉もシンイさんも、私を第一にしてくれた。私が何をしてもいなくならないで、傍にいてくれる。もちろん、村のみんなだって私に優しくしてくれてたけど──小さい子にとって、年の近いお兄さんとお姉さんって特別じゃない? だから、二人にくっついて回ってた」
 それは分かる。幼い子供にとって、大人達は別の世界の生き物という感じだった。年が近い子供の方が、特別に気持ちを寄せやすかった気がする。
 ジウさんは腕組みをする。
「そうやってずっと傍で見てきた私的には、お姉ちゃんとシンイさんはお互い好き同士で間違いないはずなの。でも、全然告白も婚約もしてくれなくて」
 うーん、とジウさんは唸り声をあげた。
「どうしたらいいんだろう。二人とも大人なんだから、余計な手出しをしちゃ駄目だよね。でもかつてキューピッドを務めた者として、またキューピッドに復職しようかな」
 ジウさんがキューピッド。
 ボクは以前の村の記憶を呼び起こす。
 誰か、彼女が姉と幼馴染の関係性を進展させたようなことを言っていただろうか。あまり記憶にない。
 ジウさんは、キューピッドとして一体何をしていたのだろう。
 ボクが聞こうとした時だった。
「面白そうな話をしてるじゃないの」
 第三者の声がした。
 ボク達は顔を上げて、辺りを窺った。すると、ボク達の傍にあった村長の家の窓が開いて、そこからふわふわとしたものが顔を現した。
 それは、ハイビスカスの飾りをつけたモーモンだった。ボクは声を上げた。
「フワーネさん。聞いていたの?」
 話題の主、村長ことミーナさんの家を管理するフワーネさんだ。
 もしかして、村長も帰って来ているのだろうか。
 ボクが俄かに不安になったのを察したのか、フワーネさんは指を振った。
「大丈夫よ。ミーナちゃんはまだ帰って来てないわ。何でもちょっと連泊する用事があるとかで、しばらく留守にするって言ってたわよ」
 ボクはほっと胸を撫でおろした。ジウさんがフワーネさんに言う。
「フワーネも、この話が気になるの?」
「それはもう。ミーナちゃんの一生をお世話するモーモンとして、アンタ達の話を聞き逃すわけにはいかないわ」
 フワーネさんは小さな手をサムズアップして、室内を示した。
「坊や達、陽が落ちたらこの家に来なさい。今夜はとびきりのエテーネ薬膳鍋をご馳走してあげるわ」







 ボクは夜になってから村長の家へお邪魔した。
 村長はやっぱりいなかった。囲炉裏では赤身の肉が薬草やら野菜やらと一緒に煮込まれている。脂と野菜の香味が湯気に溶け出し、辺りには食欲をそそる匂いが漂っていた。
 ジウさんはもう来ていて、囲炉裏を囲んでいた。その隣にはフワーネさんが、さらに他にも二人お客がいて、ボクは驚いた。
 紹介人のハラリさんと、神官のターブリさんだった。
「こんばんは、ラジ君」
「お邪魔してるよ」
「こんばんは」
 二人がボクを見て挨拶をしてくれたので、ボクも返事をした。
 ターブリさんは、ボクに村長と代理は付き合っていないのかって聞いたことがある人のうちの一人だ。ハラリさんからは、直接何かを聞いたことはないけれど、気にしているらしいことは知っていた。でも、忙しいだろうにわざわざここまで来るなんて、よっぽどだな。
「いいところに来たわね。そろそろ食べ頃よ」
 フワーネさんはボクの方へふよふよと寄ってきて、木のお椀を差し出してくれた。ボクはそれを受け取り、囲炉裏の手前の空いたスペースに座った。ジウさんとターブリさんに挟まれる形になった。
 フワーネさんは上座に戻り、囲炉裏を囲むボクらを見回した。
「新エテーネ村のキューピッドになり隊幹部諸君。今日は集まってくれてありがとう」
 何か言い出した。
 そんな名前になったんだ。安直だな。ボクは幹部になったのか。
 ボクの胸中にいろんな声が湧いた。でもみんなちゃんとフワーネさんの方を向いて話を聞いているし、畏まったフワーネさんの話を遮るのも空気が読めない行動のような気がして、ボクは黙って続きを待つことにした。
「今日が記念すべき一回目の集会よ。鍋の具材はまだまだあるから、たんと食べてね。そして食べた分だけ、ターゲットをハッピーにする話をするのよ」
 フワーネさんは一度床に降り、エテーネ産グァバの直搾りジュースがなみなみと注がれたグラスを持ち上げた。
「堅っ苦しいのはもう終わり。さあ、グラスを用意して──乾杯!」
「かんぱーい」
 全員グラスを掲げて、ジュースを飲んだ。フワーネさんとジウさんがすぐさま鍋を突き始め、ハラリさんは持参した酒瓶とグァバジュースとを組み合わせてカクテルを作っている。ターブリさんは、ジュースのおかわりをもらっていた。
 健康的な飲み会だな。
 ボクはそんなことを考えた。飲み会に参加したことなんてないけれど、元の身体の持ち主であるラジはそこそこオラついた所で生まれ育ったので、知識は持っていた。
「ねえ。これは、どういう」
「新エテーネ村のキューピッドになり隊のこと? さっき結成されたんだよ」
 隣がターブリさんで助かった。ボクの聞きたいことを察して、親切に教えてくれる。
「ついに私達の一大関心事について話し合う時が来たって、フワーネが言い出してね。つい数分前に命名されたところさ」
 ターブリさんは匙を差し出してきた。ボクが受け取ってなお動かずにいると、彼は言った。
「早く自分の分を取らないと。具がなくなるよ」
 彼の言う通りだった。山盛りだった鍋が平地になりつつある。
 ボクは急いで鍋に向き合った。肉と野菜をたっぷり取って、食べ始める。肉はふっくら、野菜はほっこりで美味しい。出汁の味が優しくも芳ばしく、とびきりの鍋という言葉は本当だったんだなと噛み締める。
「美味しい! 新しい村の名物にしたらいいのに」
 ジウさんはご機嫌で鍋をおかわりしている。小柄な割によく食べるのだ。彼女の匙が鍋から具材をどっさり持ち去ったそばから、フワーネさんが新しい具を足す。その口角は上がっている。
「食べさせ甲斐があって嬉しいわあ。お仕事だから仕方ないんだけど、ミーナちゃんは不定期にしか食べていってくれないから、あたい寂しくって」
「じゃあ、私に夕ご飯作ってよ」
「まあ、もちろんよ!」
 フワーネさんとジウさんはキャッキャしている。ここに来た目的を忘れてないかな。ボクはちょっとだけ心配になる。
 けれど、脱線するかと思われた話題は、ジウさんの質問のお陰で思いのほか早く帰ってきた。
「ていうか、何でフワーネはお姉ちゃんのお世話をしてるの? お姉ちゃん、全然帰ってこないのに」
「よくぞ聞いてくれたわね」
 モーモンのつぶらな瞳がキラリと光った。
「村長に惚れ込んだ世話焼きモーモンは仮の姿。その正体は──」
 もったいぶった溜めを作った後、フワーネさんは匙を剣っぽく構えて言い放った。
「シンイちゃんに一日二枚の霜降り肉を給料に雇われた、村長の家を守る自宅警備員ガーディアンなのよ!」
「えーっ、そうなの!?」
 ジウさんがお手本のような反応をした。ハラリさんとターブリさんは、落ち着いた様子で相槌を打っている。ボクは食べ続けていた。
 フワーネさんは聴衆の反応──主にジウさん──に満足したようで、ぽわぽわした胸毛を逸らして言う。
「シンイちゃんは言ったわ。ミーナちゃんの旅は危険なものだから、彼女に危害を与えたい者が住居を突き止めてやって来る可能性がある。誰があの家に忍び込んで彼女の害となるものを潜ませるか分からない。だからあたいに、住み込みであの家を見張って守って欲しいってね」
「そうだったんだ。てっきり、お姉ちゃんの仲間モンスターなんだと思ってた」
 ジウさんは感心している。それからボクらの方を見て、小首を傾げた。
「あれ。でも、みんなはあんまり驚いてないね」
 ボクとハラリさん、ターブリさんは顔を見合わせた。最初にターブリさんがジウさんたちの方へ向き直り、肩をすくめて言った。
「まあ、フワーネから聞いてたからな」
「聞かなくても、何となく察するわ。ここの村人は皆、村に来て数日で、シンイさんが村と同じくらい村長の安全に気を配ってることに気付くもの」
 続けてハラリさんが言うと、ジウさんは目を丸くした。
 そう。村長が初めて家に入る前から、フワーネさんは村長宅に居ついていた。あのシンイ様が勝手な魔物の侵入を許すはずがないから、彼が手配したと考えた方が自然だ。
 フワーネさんはうんうんと頷いている。
「察しの良い隊員ばかりで、隊長は嬉しいわ」
 フワーネさんが隊長なのらしい。感じ入っている様子の彼女の隣で、ジウさんは戸惑ったような顔をしている。ボクは、簡単に説明してあげることにした。
「あのね。この村の住人は全員、シンイ様とミーナさんがいつくっつくのかが気になって、毎日情報共有し合ってるんだよ」
「え!?」
 ジウさんは手で口を押さえた。ボクは他二人を見やる。
「そうだよね」
 ハラリさんが頷いた。
「ええ。仕事をしながら、こっそり見守ってるわ。情報を流す順番も決まってるのよ」
「情報を流す、順番?」
「そう。連絡網みたいなものでね」
 ターブリさんが説明してくれた。
 まずシンイ様が広場にいることが多いので、情報の発信元は大抵広場にいる面子になる。
 最初に、目撃した内容を広場周辺にいる面々で擦り合わせる。手間なようだが、擦り合わせはとても大事だ。何故なら、デマを流すわけにはいかないからである。
 その後、よろず屋のカエマンさんが酒場に情報を届ける。その次は、ターブリさんが教会の面子へ。そのさらに次は、シスター・ライラが西の住宅エリアの面々へ伝える。最後に吟遊詩人のガエリブさんがボクのところへ歌いに来たら、共有完了だ。なお、広場周辺以外の村人が情報を得た場合は、そのエリアの住人と情報共有して事実の整合性を確かめた上で、ボクの所へ話しに来ることになっている。
 ターブリさんの話を聞いたジウさんは、ぽかんとしていた。そりゃあ、びっくりするよね。まさか新しい村の住人が、お姉さんとシンイ様のことでこんなネットワークを作ってるなんて、普通予想しないもの。
「ほ、本当に全員気にしてるの?」
 ジウさんが訊ねてきたので、ボクは頷いた。
「そうだよ」
「何で?」
「もちろん、眼福だからさ」
 ターブリさんがさらりと言った。
「無論、あの二人によってこの村にスカウトされたおかげで幸せになれたっていう、感謝の気持ちはある。あるけど、それはそれとして妙齢の良さそうな二人がいたら見ちゃうものだろう?」
 恋愛大好きウェディ族特有の野次馬精神が丸出しだな。
 ボクは少し心配になった。ジウさんが悪い風に受け取るんじゃないかと思ったからだ。けれど、杞憂だった。ジウさんはうんうんと頷いている。彼女も野次馬精神の持ち主らしい。
「それでみんながあの二人に注目しているうちに、二人の気持ちに気付いちゃったのよ」
 話の続きを、ハラリさんが継いだ。
「余計なお節介だから、皆、手出しも口出しも不要と心得てはいるんだけどね。でも──色々あって、些細なことでもいいから背中を押せそうなら押そう、って話になって。それからみんなでひっそり、こうしてるってワケ」
「でも、情報を共有してるだけじゃあ何にもならないじゃない」
 フワーネさんが勢いこんで言った。
「あたい達はシンイちゃんとミーナちゃんをもっと理解した上で動き出す必要があるのよ。決してもっと二人がいちゃつくのを見たいからとか、そういう気持ちからなんかじゃないわ。あたいが家にいることで良い感じの雰囲気になるのを邪魔しちゃってるんじゃないかとか、そんなことを心配してるワケじゃないの。ええ、本当に違うのよ!」
「欲望が駄々洩れだなあ」
 ボクは呟いた。
 何で生きとし生ける者は、ある程度年を重ねると他人の色恋沙汰を気にしだすんだろう。ボクみたいな人間二回生には分からない癖だ。
 でも、ジウさんには通じたらしい。目をキラキラと輝かせている。
「分かる! もっと仲良くしてもらいたいよね」
「そうなの! もっと見たいの」
 フワーネさんは同意した。
「だからあたい達、キューピッドになり隊として動き出すことにしたのよ。あなたが来てくれた今なら、これまでの話も聞いた上で二人のことを考察できる。動きやすくなりそうでしょ?」
「今日この会が開かれてることは、他のみんなにも伝達済みよ」
 ハラリさんが言う。
「内容も共有することになってるわ。もちろん、みんなに伝えた結果、二人の尊厳と関係に支障が出ないかどうかを考えてからね」
「ここに集まったのは、今回のエピソード語りと考察に必要な精鋭達よ。改めて紹介するわね」
 フワーネさんが、ジウさんに向けてボク達を紹介する。
「人生の酸いも甘いも噛み締めた、出会いと別れの専門家ハラリ。身の上話と恋愛話を聞くのが趣味の転職神官ターブリ。そして、あなたが来る前まで唯一この村ができる前の話を知っていた、村の情報屋ラジよ」
 ジウさんは、みんなを順繰りに見た。
「わあ、すごーい。よろしくね」
 そしてその目は、最後にボクへ行き着いた。
「情報屋だったんだ」
「そのつもりはなかったんだけどね」
 ボクは肩をすくめた。
 エテーネ村入り口という常駐場所のせいか、ボクは村の情報を得やすいのらしかった。ボク個人は、他人の噂話にも色恋沙汰にも、さして興味がないんだけどね。
「じゃあ、始めるわよ」
 フワーネさんが言った。
「最初はあたいから、ホットなネタを話させてもらうわ」
 そう言って、彼女は語り始めた。











 あれは、少し前。久しぶりにミーナちゃんが村へ帰ってきた朝のことだったわ。
 朝って言っても、まだ太陽は昇ってなかったわ。山の稜線が白くなってきたくらいの、夜と朝の境くらいの頃のことよ。
 あたいって、超絶朝型なのよ。お日様を浴びるのが大好きだから、日の出も毎日拝んでるくらいなんだけれど、その日はなんだかちょっと眠かったの。だから、囲炉裏の火にあたってうとうとしてたわ。
 そうして、どのくらい経ったのかしら。ふと、人の声が聞こえてきていることに気付いたの。
 あたいの目はパチッと覚めたわ。だってその声は、ずっと待ってたミーナちゃんのものだったんだもの。シンイちゃんからミーナちゃんはすごく大きなお仕事のために出かけたって聞いてたから、あたい、もうずっとミーナちゃんのことを心配してたのよ。
 あたいは急いで飛んで行った。思いきりドアを開け放とうとして、一瞬見えた向こう側の景色に慌てて思いとどまった。
 ドアを開けた瞬間に見えたのは、広場の中央──モニュメントの前で、シンイちゃんがミーナちゃんをハグしてるところだった。
 こう、軽くきゅってやる感じじゃなかったのよ。抱きすくめるっていうの? ああいう感じだったわ。邪魔しちゃいけないなって咄嗟に思っちゃうくらい、しっかり抱き締めてたのよ。
 あたいはドアを一度閉めて、隙間からこっそりその様子を見ていたわ。ちょっと、罪悪感はあったわね。でも、仕方ないでしょ。あたいもここに来て長いけど、あの二人が抱き合っているところは一度も見たことがなかった。だから混乱して動くに動けなくなっちゃって、結果的に覗き見を続けちゃったのよ。
 ミーナちゃんは最初、ちょっと離れようとしたみたいだった。でもすぐシンイちゃんに優しく抱き寄せられて、素直に従ってた。
 二人は何か話してるみたいだった。あたいの耳でも、話してる内容を聞き取ることはできなかったわ。けどね、ミーナちゃんの髪を撫でながら話すシンイちゃんの顔が、これまで見たことがないほどに優しくて。それに、ミーナちゃんもあっさりシンイちゃんに身体を預けるもんだから、ドキドキしちゃった。
 ついに付き合ったのかって思ったわ。または、あたい達が気付いてなかっただけでとっくに付き合ってたのかなって、疑ったわよ。だって、シンイちゃんは紳士よ? 付き合ってもいない相手を急に抱き寄せたり、髪を触ったりしなさそうじゃない。
 しかもミーナちゃんがまた、抱き寄せられた腕の中でうつらうつらし始めるんだもの。シンイちゃんの肩に頭を預けて、こう、シンイちゃんに寄りかかるみたいにぴったりくっついてね。あたい、本当に驚いたわ。あの子、誰とでも仲良くなれるけど、そういうことはしないでしょ。程々に距離を保ってて、あんまりペタペタくっつくタイプじゃないっていうか。だから、余計に付き合ってるんじゃないかって期待しちゃったのよ。大きな仕事を乗り越えた後っぽかったし、タイミング的にありえるでしょ? ね?
 シンイちゃんも、あの子が寝てるのに気付いたんでしょうね。何か呼び掛けて、ミーナちゃんを起こしたみたいだった。
 二人はまた何か少し会話をして、身体を離した。
 あ、移動するのかしら。あたいは慌てたわ。思いが通じ合ったのなら、別のものも通じ合わせようとする可能性があるじゃない。
 あら、子供の前なのにごめんなさいね。え? 分かってるからいいって? ラジ、アンタって本当に早熟ね。
 何の話だったかしら。ああ、そうそう。二人が動き出して焦ったって話ね。
 二人がこのまま家に来たらどうしようって思ったのよ。あたい、いざって時は窓から飛び出す覚悟でいたわ。
 でも、そうはならなかった。ミーナちゃんがシンイちゃんにぎゅって抱きついて、それで解散。ミーナちゃんは家の方へ歩き出して、シンイちゃんは立ち尽くしていたわ。
 あたいはドアの前から離れた。すぐにミーナちゃんが入ってきた。見るからに眠そうな、とろんとした顔をしてたわ。
「ミーナちゃんったら、やるのねえ」
 あたいはそう声を掛けたけれど、ミーナちゃんは生返事をしただけでベッドに倒れちゃったわ。よっぽど眠かったのね。すぐに静かな寝息が聞こえてきた。
 さっすが紳士。あたいはそう思ったわ。だって、ターブリ君的にどうよ? 自分の腕の中で好きな子が眠りそうになった挙句、開ききらない潤んだ目でぎゅってして去ろうとしたら。
 え? 後ろから抱きしめて「寝かせたくないな」って言う? 答えが手慣れてるわね。
 シンイちゃんは、引き留めなかったのよ。ミーナちゃんが疲れてるのを気にしてたのかしら。それとも、シンイちゃん自身も昨夜は遅くまで出掛けてたから、疲れてたのかしら。何にしても、無理をしないしさせないっていいわねってあたいは思ったのよ。もちろんターブリ君、アンタの回答だって、一つの素敵なアプローチだけれどね。
 あたいは囲炉裏の傍に座って、ちょっとぼーっとしたわ。素敵なロマンスを見た後だもの。余韻に浸りたかったのよ。
 そうしたら、控えめにドアをノックする音が聞こえたの。あたいはミーナちゃんを起こさないように、そーっとドアまで寄っていった。
 開けた向こうにいたのは、シンイちゃんだった。シンイちゃんは指だけの身振りで、外に出るように言ったわ。
 あたいは従った。シンイちゃんはドアを閉めると、開口一番囁いた。
「見ましたね」
 解雇の二文字が脳裏を過ったわ。気付かれてたなんて思わなかった。だってシンイちゃんってば、ミーナちゃんを抱き締めてる間、こっちなんてちっとも見なかったのよ。ミーナちゃんのことだけ見ていたはずなのに。
 あたいはしゅんとして、頷くことしかできなかった。すると、シンイちゃんは苦笑して言った。
「人の通りかねない場で行動に出た私が良くありませんでしたから、仕方ないですね。でも、今後は控えてください」
 シンイちゃんはあたいの頭を撫でた。
 やっぱり、理性的な人だわ。いつもの彼の冷静さに、あたいは安堵した。
 でも、安心したらついね。ロマンスを求める気持ちがぶわって戻ってきちゃったのよ。
 それであたい、謝った後に聞いてみたの。
 ミーナちゃんと付き合ってるの? ってね。
 シンイちゃんは、一つ瞬きをした。それから少しだけ笑みを浮かべて、こう言ったの。
「残念ながら、まだ」











「残念ながら、って。まだ、って言ったのよ。ってことは、これから付き合いたいって気持ちはあるってことじゃない!」
 フワーネさんは空中でぽんぽんと飛び跳ねている。
「たまんないわ、シンイちゃん! プリティーフェイスなのにしたたかで! ジェントルマンだけどちょっと強気で! 優しくて思わせぶりな態度で! 何でまだ付き合ってないのよ! あんなに情熱的で愛情のこもったハグをしておきながら、付き合ってないってどういうことよ!」
 わあ。フワーネさんったら空気を抜かれた風船みたいだなあ。あちこちに飛び回って、元気だなあ。よく天井や壁にぶつからないなあ。
 ボクは肉を味わいながら、そんなことを考えた。
 暴れたら、落ち着いたのだろう。フワーネさんは地上に戻ってきた。でも今度は床に座り込んで、しょぼんとしている。
「あたいが覗き見してなかったら、もっと進展してたのかな」
「どうかな」
 ターブリさんは顎に手を当てた。
「種族こそ違えど、私も同じ男だ。けれど、分からないな」
 ターブリさんはアシンメトリーな前髪を掻き上げながら、考え込むような顔つきになる。
「彼は村長のことを好きなんだろうと思う。でも、その気持ちを伝えようとしない。気持ちを伝えないのに大胆な行動を取るあたりが、彼の堅実な性格と一致しなくてしっくりこない。彼の行動は、相手からの好意を確信していないとできない気がする」
「まあ、村長がシンイさんを想っているのは確かだけれど」
 ハラリさんが頭を傾けた。
「村長は自分の気持ちを抑えようとしているのかもね。でも、そう簡単に全部は隠し通せないわよ。ねえ」
 彼女はターブリさんに微笑みかけた。
「あの話をしてくれない?」
「ええ。母さんが話したらいいじゃないか」
「最初に気付いたのはあなたでしょ」
 養母と養子の関係らしい二人は、何かボク達には分からないやりとりしている。今まで何とも思ってなかったけど、親子で色恋の噂話をする場にやってくるなんてすごいなあ。種族の感性の違いかな。オーガやウェディだと当たり前のことなのかもしれない。
 そのうち、ターブリさんが観念したように片手を挙げた。
「分かった、分かった。じゃあ、次は私が話そう」











 あれは、魔界からお客が来てみんなでご飯を食べた時のことだった。
 お客の前に並んだ食器がそれなりにカラになっていたから、私はそれを下げようと思ったんだ。料理準備の中心だったシスター達は、みんなに混ざってご飯を食べている。彼女達に手間をかけさせるのも良くないだろう? 食器を下げることくらい、誰だってできる簡単なことだからね。
 それで私は、お客のところへ別の料理やら酒やらを運んでくれるようハラリ母さんに頼んで、空いた皿を重ねて運んだ。ああ、宴席の脇に置いておいて食後に一度に片付けることも考えた。でも、早めに水につけておくと、洗い物をする時に楽だろう? それに一度席を立つと、いろんな席を回っていろんな人と話すチャンスも生まれるからね。だから私は、宴では用事があろうとなかろうと離席したくなるタイプなんだ。
 橋を渡って階段を上り、教会へ入る。入ってすぐ右手側が厨房だから、ドアを開けたら自然と右側を向くわけだ。
 この時、私は当然ながら無人の厨房を想定していた。
 でも、そうじゃなかった。そう。お察しの通り、シンイさんと村長がいたんだ。しかもシンイさんが、小さな丸い揚げドーナツを手ずから村長に食べさせているところでね。うん。いわゆる「あーん」ってヤツだよ。あの瞬間が、私が扉を開けて右を向いた瞬間に、ちょうど見えたんだ。
 あっ、やべ。私は自分のタイミングの悪さを呪った。
 でもこっちに気付いた村長がこっちを向いた時、気まずい思いは一瞬吹き飛んだんだ。
 村長は目を瞠った後、さっと頬を染めて私から顔を逸らした。その様子が、いかにも「花も恥じらう」っていう感じで。
 何と言うか、癒された。
 村長ってしっかり者だろ? 隙のない人のああいう顔って、ギャップも相まってすごくいいものだよな。あんまり言うとシンイさんに目を付けられそうだから、この辺でやめておくけど。
「ご、ごめんなさい。行儀の悪いところを見せてしまって」
 村長は謝った。でも彼女が恥じらった理由は別にあると、私は察した。だって、村長は自分の口元を手で隠すだけじゃなくて、身体ごとシンイさんと真逆の方を向いたから。食べさせてもらってるところを私に見られて恥ずかしがってるんじゃなくて、シンイさんに気を許してる自分を自覚して恥ずかしがってるんだろうなと思った。
「いや。私こそすまない」
 私も咄嗟に頭を下げた。
 どっちも別に悪いことをしたわけじゃないんだから、謝る必要なんてないんだけど。でも、あの二人の邪魔をしてしまったと思って、無性に謝りたくなったんだ。
「おっと失礼」
 シンイさんは全然動揺してなかった。
「ターブリさん、いいところに来てくださいました。この皿を運んでもらえませんか」
 机の上にはデザートの盛り合わせがあった。新鮮な果物やコンポート、それからふっくらした厚みのあるパンケーキが大皿に乗っていた。そうそう、みんなも食べただろう? あれ、フルーツはシスター達が用意してくれたものらしいんだけど、パンケーキはシンイさんが作ってくれたんだよ。アストルティアで旅をしている時に、村の素材でも作れそうだと思って、レシピを覚えてきたんだって。器用だよね。
 私は喜んで引き受けた。デザートはとても一回じゃ運びきれなさそうだったから、まずはお客用の皿を持って行くことにした。
 皿を持って厨房を後にしようとした時。私はふと気付いた。
 揚げドーナツは、どの皿の上にもなかった。つまりさっき食べさせていたのは、シンイさんが村長のためだけに作ったものと言うことになる。
 私は二人の方を振り返った。
「あの……邪魔をしてしまって、本当にすまなかった」
 二人は顔を見合わせた。先に応えたのは村長だった。
「お邪魔だなんて、そんなことないですよ」
 彼女は、この時にはもう平静を取り戻していた。いつものようににっこりと笑って、私が食器を置いた流し台を示した。
「気を遣ってくれて、ありがとうございます。こっちは任せておいてくださいね」
「えっ? 私がこれを運んだら洗うから、置いておいてくれよ」
「いいから、いいから」
 村長は言いながら、さっさと皿を洗い始めていた。
 なんか、仕事を増やしてしまったようで申し訳ない。私がシンイさんを窺うと、彼も微笑んだ。
「本当に何も気にすることはありませんよ。おかげで、ミーナさんが珍しく恥ずかしがる可愛らしい顔も見られましたから」
 ──カラン。
 流し台から、木のボウルが滑り落ちた。
 私の立ち位置からは、村長の赤くなった耳しか見えなかった。けど、シンイさんはちゃんと村長と目を合わせてにっこりしていた。無敵か?
「シンイさん、面白がってるでしょ」
 村長の声色は、呆れているようだった。対してシンイさんは応えた。
「そう見えますか?」
「くーっ! あたしもナイフとフォークでも出して食べてやればよかった」
 村長の握りしめたフォークがU字に曲がっていた。
 そう言えば、村長って昔から村イチの力持ちって言われてたんだっけ。ラジ君が前に言ってたな。
 私はそんなことを考えながら厨房を出た。
 そして、私が開きっぱなしにしていった扉の影に、まるで最初から扉の一部だったみたいに張り付いているハラリ母さんと目が合って、叫びそうになった。











「あれで付き合ってないなんて、冗談だと思いたいよ」
 ターブリさんは大きく息を吐いた。
「他の誰かならば、まあ分かる。けれど、あの真面目な二人があの様子で付き合っていないなんてことがあるかい? 転職神官としていろんな人に会ってきたけど、あの二人の性格と交際の情報だけが噛み合わなくて未だに困惑する」
「それは分かるかも」
 ボクは同意した。
「子供のボクでもガン見して良さそうな、誠実なお付き合いをしていそうだもんね」
「あたいは初めて会った時、てっきり婚約してるのかと思ってたわ」
「結構距離が近いのよね」
「そうそう」
 ボクらは頷き合った。
「村長がシンイさんの肩についていた藁を払ってあげたことがあったよな」
「村長は服についたゴミを取る時さえ、相手の許可なしで触ったりしないで、口頭で教える人のはずなのに」
「メレアーデさんの服についた猫の毛を取る時もそうだったね」
「あたいだって、『ご飯にする? お風呂にする? それとも、あ・た・い?』って聞かないとモフモフしてもらえないのよ」
 なのに、シンイ様にだけはそれがない。
 ボクらは唸った。
 近い距離感。
 互いに自覚のありそうな様子。
 脈ありにしか見えない言動。
 それなのにまだ付き合っていない。そんなことが、本当に起こり得るのだろうか。
「実はどこぞの敵に、付き合えない呪いをかけられてる……なんて可能性はないだろうか」
 ターブリさんが言うと、フワーネさんが眉間に皺を寄せる。
「なんか嫌ねえ。絶妙にみみっちくてうじうじした呪いだわ」
「そんな呪いをかけられてたら誰かが気付くよ。あの二人の周りには各界の腕利きばっかり揃ってるんだから」
「でも、私は呪いを疑いたくなる気持ちは分かるわよ」
 ボクが反論し、ハラリさんがターブリさんに同意する。
「あのぉ」
 そこへ、そろそろと手が挙がった。
 ボクらはそちらを向いた。手の主はジウさんだった。静かに鍋を食べるばかりだったから、すっかり存在を忘れていた。
 ジウさんはなぜか、ひどく困ったような顔をしていた。その表情のまま、彼女はボクらを見回して言った。
「次は私が話すよ。私の話を聞けば、みんなきっと納得できると思うから」











 みんなに話したよね。私はお姉ちゃんに育てられたの。私達はたった二歳差だけれど、両親が急にいなくなって──それを何となく自分のせいだと思っていた私は、元々面倒見の良かった姉に全力で甘えるようになった。今思えば、ちょっとした幼児退行が起きていたのかもしれない。いや。当時私は幼児だったから、赤ちゃん返りって言った方がいいのかな。
 姉はすごく大変だったと思う。私は利かん坊で、姉が少しでも傍から離れると、絶対に後を追っていったり、泣き喚いたりするような子だったから。エテーネの住人達も面倒見が良い人ばかりで、何かにつけて私達の生活を助けてくれたけれど、私はよく「お姉ちゃんじゃないと嫌だ」って我が儘を言ってみんなを困らせてた。
 そんな私だったけれど、姉以外に唯一、シンイさんにだけは懐いた。理由はよく分からない。大きい声を出さないとか髪を掴んでも怒らないとか、子供騙しの嘘を吐かないとか、そういうちょっとしたことを気に入ったんじゃないかな。あと、年が近いからとか? 村には他に、年の近い子がいなかったんだよね。
 シンイさんは、小さい頃から優しくて落ち着いてる人だった。私のお願いを、よく聞いてくれたな。色々お願いしたよ。遊んでほしいとか、魔法を見せてほしいとか、帰らないでほしいとか。シンイさんの家に泊めてもらったこともあったよ。アバ様が許してくれて、お姉ちゃんと三人、一緒の布団で寝た。もちろん、本当に小さい頃の話ね。私が十歳になった頃には、一緒には寝なくなった。その頃には私も落ち着いてたから。
 ……本題に入ろうか。私がみんなに話しておきたいのは、そんな落ち着かなかった頃の私が姉とシンイさんにした「お願い」の話。
 私は姉とシンイさんにたくさんお願いをした。私の髪を結って欲しい。一緒におままごとをして欲しい。私をおんぶして欲しい。
 そういうお願いを、二人は快く聞いてすぐに叶えてくれた。勿論私は満足した。でも何度も同じ遊びを繰り返すうちに、私はとある欲求を持ち始めた。
 二人も、私にするようにお互い仲良くして欲しい。
 私は、姉とシンイさんの間にまだ微妙な距離があることに気付いていた。それは友達なら当たり前くらいの──特に村の長の孫と一村人なら当然の距離感だったと、今なら思う。けれど、幼い私にはそれが我慢ならなかった。
 ある日、私は姉とシンイさんとおままごとをしていた。姉が母の役、シンイさんが父の役。私が子供の役だった。たまに、姉とシンイさんの役割を逆にすることもあったな。あ、それは今どうでもいいか。
 料理をしてとか、藁を干してとか、いつものごっこ遊びのお願いの流れの中。私は姉に、初めてのお願いを言った。
「お母さんなんだから、お父さんにぎゅって仲良しして」
 あの時の姉の途方に暮れた顔。今でも思い出せるよ。
 姉はシンイさんの方をちらりと見た後、私に言った。
「あのね、ジウ。人と仲良くする時は、ぎゅってする以外にもやり方があるんだよ。友達は握手をしたり、ハイタッチをしたりするくらいがちょうどいいの」
「でも、お父さんとお母さんはぎゅってするよね?」
「まあ、そうだけど。それを友達にやると、嫌な気持ちにさせちゃうこともあるよ。ジウも、気が向かない時に村のみんなからぎゅってされたら嫌でしょ?」
 私はそれを聞いて、俄然燃え上がった。姉とシンイさんは仲良しでないといけないというのが、当時の私のこだわりだったから、何が何でも仲良しの印を見せてもらわないと満足できなかった。
 私は考えた。姉は、私が言ったらダメって返すお願いでも、シンイさんが言えば聞くことがある。だから私は、標的をシンイさんに変えた。
「シンイさんはお姉ちゃんと仲良しするの、嫌なの?」
「別に、嫌ではないですが」
 優しいシンイさんは、困ったように微笑みながら答えた。私はここぞとばかりに言った。
「じゃあいいじゃん。仲良ししてよ」
「駄目」
 姉が珍しく、ちょっと強い口調で言った。
「そこまで迷惑かけられないわ」
「……迷惑なの?」
 私はシンイさんに聞いた。ちょっと泣きそうになってた。
 そんな私に、シンイさんは言った。
「迷惑ではありませんよ」
「ジウ」
 姉は私をちょっと睨んだ。
「そう言われたら、シンイ様が断りづらいでしょう」
「だって、お姉ちゃんもシンイさんも私をぎゅってするけど、二人はぎゅってしないじゃん」
「それは」
「本当は仲良しじゃないの?」
 私はいよいよ半べそをかいていた。
 この時、多分姉は私を泣かせておくつもりだったんだと思う。きっとそれでよかったはずなんだ。いくら私が不安定でも、姉とシンイさんが嫌なことをする必要はないと、今なら思うから。
 でもシンイさんが姉に話しかけた後──私にとっては幸いなことに、流れが変わった。
「ミーナさん」
 シンイさんが姉の耳に何か囁いた。何て言ったのか、私には聞こえなかった。
 姉は目を丸くして、シンイさんの方へ顔を向けた。
「シンイ様。何も、そこまで付き合わなくても」
「これは、私の本当の気持ちです」
 シンイさんはにっこりして言った。
「いつかシンイと呼び捨てるのが普通の関係──家族になりたいくらいには、私にとってあなたは特別なヒトですよ」
 姉は、プチトマトみたいな顔になった。そんな姉の顔を覗き込んで、シンイさんは謝った。
「ごめんなさい。迷惑でしたね」
 姉は勢いよく首を横に振った。
「いえ。嬉しい、です。あたしも、シンイ様が特別だから」
 姉はシンイさんに抱きついた。私はそれを見て、自分が泣きかけていたのも忘れてきゃっきゃと喜んだ。
 それから、二人の距離が変わった。用がある時に肩を叩いたり、服についた汚れを取ってあげたり、そういうことが増えた。嬉しい時や寂しい時、気軽にハグをするようになった。姉が抱きつくことが多かったけれど、シンイさんの方からすることもあったよ。
 けど、私が大きくなって二人とおままごとをしなくなった頃からかな。だんだんやる回数が減っていった。それでも癖は残ってるみたいで、姉が大喜びした時にシンイさんに飛びついたり、シンイさんが思いつめた姉を慰める時につい抱き寄せちゃったり、そういうことは何度かあったなあ。
 あの時、シンイさんが姉に何て言ったのかは今も知らない。姉もシンイさんも、教えてくれなかったから。
 姉が十六歳になって、成人した後だったかな。私、家で二人きりで過ごしている時に、姉に言ってみたことがあるの。
「お姉ちゃん、シンイさんのことが好きでしょ」
 その時、姉は私と一緒に囲炉裏を囲んでいた。だから、声が聞こえなかったはずがない。でも姉は返事をしなかった。手にした棒で、鍋で煮込んでいる獣の皮を動かしただけだった。
「みんな言ってるよ。シンイさんとお姉ちゃんは絶対夫婦になるって」
 私がさらに言うと、やっと反応した。溜め息を吐いて、私の方へ視線をよこした。
「そういうのじゃないわ。畏れ多いもの」
「シンイさんはシンイさんだよ。立場だけで振ったら可哀想だよ」
「ちょっと。シンイ様があたしを想ってるとは限らないでしょ?」
「でも、小さい頃に家族になりたいって言ってたじゃん」
「あれは子供の時の話だし、ごっこ遊びの最中だったじゃない」
 姉はあくまで落ち着いていた。窘めるように、私に言って聞かせた。
「あたしは何も、立場だけで畏れ多いって言ってるんじゃないの。素敵なヒトすぎて、あたしにはもったいないと思って」
「何言ってんの? 好きならそれだけでいいじゃん」
「ジウにはまだ分からないよ」
「本当に分かってないのはお姉ちゃんだよ」
 私は身を乗り出して姉に聞いてみた。
「ねえ。あの時、シンイさんはお姉ちゃんに内緒話してたよね。あれ、何て言ってたの?」
「何だったかな」
 姉ははぐらかした。
 本当は、覚えてたんだと思う。だって、私がさっきちょっと昔の話題を振ったら、すぐにあの時のことだって分かったくらいだもん。忘れてるわけがない。
 何度か聞いてみたけれど、全然答えらしい答えをくれそうになかった。どうしても教えたくないみたいだった。
 ついに、私は根負けした。
「あーあ。シンイさんが本当にお兄ちゃんになってくれたら嬉しいのになあ」
 悔しまぎれに言ってみたけど、はいはいって適当に流された。もっと小さい頃に──お姉ちゃんがまだ揺さぶりやすい子供の時に聞きだしておけばよかったと思うけれど、今更どうしようもなかった。











「……以上が私の姉と幼馴染の、自慢の仲良しエピソード。またの名を、幼かった私の罪の懺悔です」
 ジウさんはいつしか正座していた。彼女の神妙な顔つきと話の内容に釣られて、ボクらもいつの間にか背筋を伸ばして話に聞き入っていた。
 誰も何も言わなかった。さすがに沈黙が続くと気まずいから、ボクは咳払いをして口を開いた。
「まとめると……ジウさんのごっこ遊びに付き合う中で、二人は疑似的に想いを通じ合わせた。それが大人になっていく過程でうやむやになり、親友のような恋人のような、何とも言えないグレーな関係性になったと」
「はい」
 ジウさんは頷いた。
 ボクはこれまでに村で聞いた、シンイさんとミーナさんの言動を思い出す。
 近い距離感。
 互いに自覚のありそうな様子。
 脈ありにしか見えない言動。
 けれど、付き合ってはいない。
 本来ならあの二人の性格的に離れ離れの関係にあっただろう点と点が、ジウさんという世紀の錬金術師の魔融合により、線で繋がった感覚があった。
「今の状況、完全にジウさんが作ったんじゃん」
「うん。ちょっと責任感じてる」
 ジウさんは項垂れた。思いの外真面目な様子で落ち込まれて、ボクはちょっと申し訳なくなった。言い過ぎたかもしれない。
「まあまあ。そんなに落ち込むこともないんじゃないか」
 ターブリさんがとりなすように言った。
「ジウさんのおかげで、二人がお互いを特別に思っていることを認め合ったのは確かなんだから。それがなかったら、二人は今頃意識すらしてなかったかもしれない」
「そうだね。そうかもしれない」
 ボクが同意すると、ジウさんは顔を上げた。まだ眉が下がっていたけれど、口元は微笑んでいた。
「そうかな」
「ええ。元気出しなさい!」
 フワーネさんが小さな手でジウさんの肩を叩いた。
「小さい子供だからこそ、本当に嫌だったらお互いを特別だなんて言ってハグまでしないわよ。しかも、何度もスキンシップしてたんでしょ? アンタが何かする前から、二人はちゃんと好き同士だったのよ」
 そしてあたいの見た様子や、みんなから寄せられたエピソードの通りなら、今もきっと。
 フワーネさんはそう言って、ジウさんの腕に頬ずりした。
「アンタは、キューピッドとして胸を張っていいわ」
「ありがとう」
 ジウさんはやっといつもの笑顔になった。
「ずっと不安だったんだ。お姉ちゃんとシンイさんには、この件以外にもいっぱい迷惑をかけてきた。でもそれだけじゃなくて、私の我が儘であの二人の関係をどうしようもなく歪めちゃってたんだとしたらどうしようって」
「馬鹿ね。子供なんてクソ垂れるのが仕事の生き物なんだから、あの二人もきっと気にしてないわよ」
「料理を前にしてシモの話をするのはやめてくれないか」
 フワーネさんの独特な慰めに、ターブリさんが顔を顰める。フワーネさんは、あらごめんなさいねと軽く謝った後、ジウさんを見上げた。
「アンタの目は正しいわ。あの二人はやっぱり、小さい時からの好き同士なのよ。人間の関係なんて定義のないものなんだから、周りも本人達も自分の在り方を見失って同然。多少時間はかかっても、しっかりお互いに見つめ合えればいつかくっつくわ」
「そうね。二人が自分の気持ちを秘めざるをえないくらいの何かが起きなければ」
 静かに杯をあおっていたハラリさんが口を開いた。
「次は、私に話をさせてもらえる? ジウさん以外は聞いたことがあるだろうけど、この会に欠かせない、大事な話だから」











 冒険者の酒場に来る客のほとんどが、自分を冒険者名簿に登録したいか、登録されている人を雇いたいかのどちらかでやって来るのは、みんな知ってるわよね。
 うちの場合、例外がいるの。それが、村長を名指しで雇いたいっていう客でね。
 村長って結構な腕利きらしいじゃない。だからその評判を聞いて、仕事を頼みたいって言ってくる人が結構いるのよ。
 でも私、思ったの。何で本人のところへ頼みに行かないのかしら。あの子、直接依頼されたクエストは大体受ける人なのに。何だか怪しいと思わない?
 だから調べてみたのよ。そしたら、そういう依頼主は身元が怪しいことが多くてね。で、シンイさんと相談して、うちの酒場に村長宛で声をかけてくる人は、一律でお断りすることにしたのよ。
 村長に話をまわしてみたらいいのに、って思う? でもね、本人の判断に任せるのが申し訳なくなるような、すごい雑な依頼ばっかり来るのよ。中には、身元は怪しくなくても「その仕事、何も村長じゃなくてもいいんじゃないかな」って思うようなどうでもいい仕事内容を、ものすごい長期間任せようとするような客も来ることがあって。終身雇用でとある家の金庫番をして欲しいとか、とある隊商の護衛として引き抜きたいとかね。
 シンイさんは言ってたわ。
「あの人はきっと、自分にできることだと判断したならば、何でもやってしまうでしょうから。こちらで捌いてしまった方がいいでしょう」
ってね。私も同感よ。
 そんなわけで、私は冒険者の酒場の仕事と一緒に村長宛のスカウトを捌く仕事もしてるの。もっとも、最終判断と返事はシンイさんがするんだけどね。この村にあの人以上に村長に詳しい人はいないし、村長代理でもあるから、適任でしょう?
 彼、平和そうな顔して結構遠慮なく断るのよ。相手が誰だろうと物怖じしないあの度胸と、角を立てない慇懃で抜け目のない振る舞い。年下ながら見習いたいわ。
 事件は、ある朝突然起こった。
 酒場の郵便受けに、なんと村長宛の結婚の申し込みが届いたのよ。驚いたわ。本人じゃなくて酒場に送ってどうするのって、相手には悪いんだけど、笑っちゃった。
 その人はエテーネよりずっと遠いある国に住む、そこそこの身分の、村長と面識のない人らしかった。知り合いじゃないのにどうして、と思っていたんだけど、後でシンイさんに聞いたら、村長って何だか色々肩書きやら立場やらがあるらしいじゃない。勇者の盟友とか、どこかの王族の血縁とか。それが目当てだったのかもね。
 もちろん、シンイさんに相談したわ。シンイさんは送られてきたものに一通り目を通してすぐ、断りましょうって言った。
 その時、私はつい口を出してしまった。
「村長さんに聞かなくていいの?」
 別に、お見合い相手を良いと思ったわけじゃないわ。本人に負担のかかる仕事はともかく、結婚については本人の意思を確認した方がいいんじゃないかと思ったのよ。もしかしたら、条件次第では本人が乗り気になることもあり得るでしょ? それに、いくら村長の生まれや役割だけに興味のある人間が送ってきたものだとしても、送られたものをこちらの一存で始末してしまったら、村長との信頼関係的に良くないんじゃないかと思って。
 すると、シンイさんは言った。
「彼女はきっと断ります。生きている世界が違いすぎるから、と言ってね」
 妙に確信めいた言い方だった。
 それから私に書類を返して、こう言ったわ。
「ならば、こちらはハラリさんから村長に確認してもらえませんか。村長が戻り次第、あなたのところへ行くよう、私から伝えておきますので」
 私は彼に訊ねたわ。どうしてあなたが渡さないのってね。
 すると、シンイさんは肩をすくめた。
「申し訳ないのですが、私はこれを彼女に渡したくないのです」
「どうして?」
「察してくれませんか」
 それ以上は聞けなかった。だって、野暮じゃない。
 だから代わりに言ったわ。
「うかうかしてられないわね」
 シンイさんは小さく笑った。
「焦りは禁物ですよ」
 それ以上は何も言わないで、さっさと酒場から出て行ってしまった。
 数日後、村長が帰ってきた。当時精を出してた猫鍋を抱えて、酒場をひょっこり覗いた彼女に、その場で話をするのも気が引けたから、隣の空き部屋でお見合いの書類を見せたわ。
 村長は書類に目を通して、溜め息を吐いた。
「生きている世界が違いすぎる。断ろう」
 シンイさんの言っていた通りの台詞なのと、判断が早すぎるのとで、つい笑顔になっちゃった。
 そんな私を、村長は訝しく思ったみたいだった。
「どうしたんですか?」
 聞かれたから、私は正直に答えた。シンイさんの予想も含めてね。彼がお見合いの書類を渡したくないと言っていたことは、伏せておいたわ。
 私の話を聞いた時、村長は驚いたみたいだった。けれど、ちょっとだけ笑ってた。少し力が抜けたような、安心したような顔でね。
 あれを見て、ビビッときたわ。この子、シンイさんのことが好きなんだって。
「さすがシンイさんですね。当てられちゃった」
 おどけたみたいに言ってたけど、本当はほっとしてたんじゃないかしら。だって、好きな人に別の相手とのお見合いを薦められるなんて、とんだ責苦でしょう。
「それ、貸してください。断ってきます」
「ああ。いいのよ」
 私はあらかじめシンイさんに言われていたことを伝えた。
「シンイさんが書面で断ってくれるって言ってたから」
「えっ」
 村長は目を丸くした。
「そんな大変なこと、してくれなくていいのに」
「大丈夫。村長代理としてのいつもの仕事だから、慣れてると思うわ」
「いつもの?」
 あ、って思った時には遅かった。
 私は村長に、シンイさんの判断で村長宛に届いた仕事やスカウトを断っていることを話した。別に秘密にしていたわけじゃなかったんだけど、なるべく負担をかけないためにも聞かせたくなったのよね。それで、依頼が来ていることすら話していなかったの。
「そうだったんですか」
 聞き終えた後、村長は何とも言えない顔をしてた。怒りや失望ではなかったと思う。申し訳なさそうな、それだけでもないような、複雑な表情だったわ。
「色々気を遣ってくれて、ありがとうございます。お手間をかけてすみませんでした」
 あの子はいつもの腰の低さで詫びた。
「こっちこそごめんなさいね。あなた宛の色々なものを勝手に断ってしまって」
「いいんです」
 村長は首を横に振った。
「シンイさんの言う通りです。あたしはきっと、引き受けられる仕事はどこまでも詰め込んでしまう。もっと依頼を丁寧にこなしてくれる人が世界のどこかにいるでしょうから、依頼主の方のためにも、断った方が良かったんだと思います」
 今後もよろしくお願いしますって、彼女は頭を下げた。
 物分かりが良くて助かったわ。いくら本人のためとは言え、無断で依頼を断るのに多少罪悪感があったのは事実だから。
 私の話は、それで終わりだったんだけどね。何故か村長は、なかなか立ち去ろうとしなかったのよ。何かそわそわしているみたいな感じだったわ。何か言いたいことがあるのかと思って待っていたら、あのぅって遠慮がちに話し始めた。
「こういうのって、他の皆さんにもよく来るんですか」
「どれのこと?」
「スカウトとか、結婚の申込みみたいなものです」
「来てないわよ」
 強いて言うなら、サンダーちゃんのお喋りに驚いた旅芸人が、彼女を身請けしたいってシンイさんに相談したことくらいかしら。でも酒場を通じて来たわけじゃないから、カウント対象外よね。懐かしいわね。サンダーちゃんが、この村から出る気はない、ソップさんのお世話じゃないと受け付けないって突っぱねて、ソップさんが感動してボロ泣きしてたっけ。
「そうですか」
 村長は何だかほっとしたみたいだった。
「気になることでもあるの?」
 私が聞くと村長はちょっと考えてから言った。
「その、シンイさんのことなんですけど」
 私はこの時、裏メニューの提供を考えていたわ。エテーネの村に来てからは一度も出していない裏メニュー──恋愛相談をね。
 けれど、残念ながらそうはならなかった。村長はこう言ったの。
「もしもの話なんですけど……いつかシンイさんに魅力的なお話が来て、本人が揺れているようだったら、背中を押してあげてくれませんか」
「どうして」
 私が聞くと村長は言った。
「幸せになってほしいから」
 私は首を捻ったわ。だって、シンイさんはもう十分幸せそうでしょ? 村で暮らす彼、活き活きしてるもの。
「あなたの帰る村を守れて、幸せそうだけど?」
 私がそう言うと、村長は微笑んだ。
「あたしは、いつまで村に無事帰れるか分からないから。シンイさんのそばにいて、シンイさんをずっと支えてくれる人が他にいてくれるなら、それに越したことはないんじゃないかと思うんです」
 そんなことはない。
 私はそう言おうとした。だってシンイさんは、支える人なんて必要ないくらいにしっかりしてるもの。もしそんなものが必要になる時が来るとしたら、待つべき彼女を失った時くらいで。
 そこまで考えて、私は気付いた。
 彼女は、いつか旅先から帰れなくなることを覚悟していて──彼を一人遺すことを恐れてるんだって。
「どんな人であれ、別れの時はつきものよ」
 私が言うと、彼女はこう応えた。
「それでも、彼には少しでも長く笑顔でいてほしいんです。エテーネの村の一員として、とても良くしてもらったから」
 私はあの子の目を見つめた。以前スナックで働いていた頃によく見た、孤独な人の眼差しだった。自分に絶望していて、それでいながら誰かを愛さずにはいられない人の、悲しい眼だったわ。
「あの人にどう思われようと、あたしはあたしなりのやり方で大事にしたいの。だから、お願いします」
 あの子は微笑んだまま、また頭を下げた。











「……これは、今まで人生と恋愛の相談をそれなりに受けてきた経験から来る勘なんだけど」
 ハラリさんはさらに語る。
「あの子はきっと、シンイさんが今も自分を特別に思ってることを、何となく分かってるんじゃないかしら。だけどそれが、どのくらいの強さの思いなのかは分かっていない。何故なら、シンイさんはどこまでも村に尽くしてくれる人だから。自分を滅びた村の生き残りとして大切にしてくれているのか、もっと個人的なところで好いてくれているのか。その区別が、彼女にはついていないのよ」
「そんなことがあるの?」
 フワーネさんが丸い目をさらに丸くして問う。
「あんなに仲良くしてるのに?」
「あり得るわよ。村長さん自身がいろんな人達の良いところを見ることができて、いろんな人達に優しくできる人なんだもの」
 ハラリさんは笑った。
「シンイさんは、私達みたいな過去に触れられなくないところのある人間にも理解があって、優しいわ。だからぱっと見、博愛主義者に見えてもおかしくないのよ」
「うーん。言えてるかも」
 ジウさんが腕組みをしながら同意した。
「シンイさんって、村を滅ぼした魔族以外には寛容でしょ。あの寛容さの正体、未だに私でも分からないんだよね。愛情深さから来るものなのか、それとも能力の高さゆえの余裕から来るものなのか」
「両方かもしれないな」
 ターブリさんが顎に手を当てる。
「いずれにせよ、私達第三者が見ても分からないのだから、彼に大きな気持ちを寄せている村長が察するのはなおさら難しいんだろう」
「恋は盲目っていうヤツ?」
 ボクが言うと、ハラリさんはこちらを向いて白い歯を見せた。
「あら、よく知ってるわね。でも、村長さんの気持ちはきっと、恋よりずっと深くて重いわね」
「じゃあ、愛?」
「かもしれない」
 ハラリさんの答えは要領を得なかった。ボクはもっと問いただそうと思ったんだけど、それより早くハラリさんはジウさんに話を振ってしまった。
「これで、私達があの二人の背中をさりげなく押せそうなら押そうって言う理由が分かってもらえたかしら」
「うん。めちゃくちゃよく分かったよ」
 ジウさんは額を押さえた。
「まったく、お姉ちゃんったらしょうがないなあ。今更身を引くなんて無理だよ。シンイさんがこのまま黙ってるわけないんだから」
 ボクもそう思う。ミーナさんが嫌いだとでも言わない限り、シンイさんが退くことはないんじゃないかな。もっとも、同じ村に暮らしていて、村長とその代理というコンビを組んでいるのだ。彼に「嫌い」なんて嘘を吐いても全く良いことがない。ミーナさんも無駄な嘘を吐くデメリットを分かっているんだろう。
 ボクがミーナさんの考えをシミュレーションしている横で、ジウさんはまだ何か言っている。
「大体、二人きりになって想いを伝えるタイミングなんていくらでもあったはずなのに、何でまだ何も起きてないの? ナドラガンドから帰ってきた後にチャンスがなかったとは言わせないんだから」
「村が復興する前よね? その時代のことは分からないわ」
 フワーネさんが言うと、酒場の親子もそう言えば知らないなと顔を見合わせた。
「この村を復興したのが村長さんとシンイさん。その後シスター・ライラ、フワーネ、パラシェ、カエマンが来たって聞いてるわ。私とターブリはその後よ」
「ボクはみんなより後だから、なおさら知らないよ」
 ボクが村へやって来た時には、今のメンバーが揃っていたのだ。ボクと同じ頃に来たのは、シスター・ライラのお手伝いとして新しく教会に入ったシスター・リンネだけ。それ以降、ジウさんが帰ってくるまで新しい村人は来なかった。
 ジウさんは何やら含み笑いをした。
「ところが、私は復興前の時代を知ってるんだよね」
「どういうことだい?」
 ターブリさんが訊ねると、ジウさんは人差し指を立てて振った。
「誰か一人……いや、一匹忘れてない? 最初からいたはずなんだけど」
「ああ」
 フワーネさんがポンと手を打った。
「ハナちゃんのこと?」
 ハナちゃんはトンブレロ型の魔法生物だ。いつもエテーネの村周辺をうろうろ嗅ぎまわったりシンイさんの傍でお昼寝していたりする、村のマスコット的存在である。
「そう言えば、ハナちゃんの生みの親ってジウさんだったっけ」
 彼──彼女なのかな? 未だによく知らない──を生み出したのがジウさんだって聞いた時は、びっくりしたな。随分腕を上げたもんだって感動したよ。
「そう! だから私、村に帰ってきた後にこっそりハナちゃんを連れ出して聞いてみたの。私が帰ってくるまでの間に、シンイさんとお姉ちゃんが村でどういう風に過ごしてきたか。復興前から今に至るまで、全部ね」
 ジウさんは、何を思ったのだろうか。急に立ち上がり、ゆったりとした歩調で、ボクらの周りをぐるぐると歩き始めた。
「すごく時間がかかったよ。ハナちゃんは記録に特化して作らなかったから。でも魔法生物は、物忘れすることはあっても、人間みたいに出来事を間違えて覚えることはないの。私がちゃんとした言葉で聞きさえすれば、見聞きしたものを正確に教えてくれるんだよ」
「それで、ハナちゃんは何を見たって言うのよ」
 フワーネさんが急かした。
「教えなさいよ」
「知らなければよかったって後悔しない?」
「そんなの分からないわ。知ってから考えるから教えてよ」
 フワーネさんの論理破綻した催促を受けて、ジウさんはもったいぶった感じで口を開いた。
「私は何かが起こっていそうな時期や場面を予測して、ハナちゃんに質問した。けれど、どれだけ頑張っても結果はゼロ。何度お姉ちゃんとシンイさんのほのぼの日常エピソードを聞いたか分からないくらいだった。そしてついに私は、二人の物理的な距離から探りを入れるという、禁じられた一手を打ったの」
「そこは禁じたままにしておいてほしかったな」
 ボクはついツッコミを入れてしまった。血が繋がっていないとはいえ、姉と幼馴染の物理的な事件を探りたがる妹なんて嫌でしょ。
 ジウさんはボクのツッコミを無視して話を続けた。
「そうして私は、二人の距離が一番近づいた瞬間を知った。それは、村の復興前──姉とシンイさんとハナちゃんの二人と一匹しかいない時だった」
 フワーネさん、ハラリさん、ターブリさんは固唾を呑んで聴き入っている。ボクは、「改めて考えると二人と一匹で村の建物を修復させたってやばいな」なんてことを考えた。
「廃村に二人きり。いくら周辺の魔物が獰猛でないとはいえ、守りの完成しきっていない環境で夜を越さないといけない。二人はやぐら下の、カメ様を非難させるためのスペースで一夜を明かすことにした」
 辺りは静まり返っている。夜も更けてきたからか、やけに外が静かだな。ボクはまたしてもどうでもいいことを考えた。
「男女二人。密室。深夜。何も起きないはずがない──さすがの私も緊張した。でも、今更聞かないわけにはいかない。だから、ハナちゃんに聞いた」
 二人はやぐらの地下で、どういう風に過ごしたのか。
 すると、ハナちゃんは言った。





 二人で手を繋いで仲良く寝てたプッケ。





「シンイさんの紳士! お姉ちゃんの淑女!」
 ジウさんは膝をつき、床を叩いた。
「そこはキッスの一回くらいしておいてよ! 押せば絶対いけたのに何でどっちも行かないかな!? シンイさんはまだしも、お姉ちゃんなら押し切れたでしょ! 村にいた時はあんなにシンイさんのこと好き好き大好きって感じだったのに! 意気地なし!」
 話を聞いていた大人達は、三者三様の反応をしていた。フワーネさんはしわしわの顔をしていて、ハラリさんは微笑ましげな笑みを浮かべ、ターブリさんは頭を抱えている。
「そりゃあそうでしょ」
 ボクは言った。
「人間二人とは言え、ハナちゃんもいるんだし。それにいくら体力のある冒険者の二人でも、村一個建て直すような重労働の最中に、そんな気疲れするようなことをする余力はないんじゃないの?」
「その村一個を立て直す重労働の前に、世界を救うって言うビッグイベントがあったのになあ」
 ジウさんは上体を起こし、溜め息を吐いた。
「一個の大きなシリアスがあった後は、それだけの大きさのロマンスがあっても良いと思わない?」
「あの二人、ロマンティストには程遠いと思うんだが」
「言えてるわね」
「え、そう?」
 ターブリさんが返事をし、ハラリさんが同意して、フワーネさんが疑問を述べる。
「シンイさんは実際家だし、村長は結構感覚がシビアで──」
 三人はシンイ様とミーナさんの性格について語り合い始めた。一方ジウさんは自分の席に戻ってきた。また自分の思索に籠っているようで、何か独り言を言っている。
「……しないと出られない部屋を作るしかないか? いやでも、あの二人はそういうのにかこつけて……しない気がする。きっとシンイさんが設定をすり抜けて回避してくるか、お姉ちゃんが物理で突破する。それ以前に、私の仕業だって絶対気付く。アストルティア広しと言えども、そんな部屋を作れるのは私か、レジャンナ三姉妹を擁するファラザードくらいしかいないもん。そうなったら絶対いちゃつかないだろうなあ」
 子供の横でするべき話じゃないんだろうなあ。
 ボクはそう思ったけど何も言わなかった。掘り下げたくなかったからだ。ただ黙って、元々常識から外れたところのある人だった彼女を余計ぶっ飛ばさせた旅の歳月に思いを馳せた。
「うーん、お手上げ」
 ジウさんは言葉通り両手を上げた。
「静かに見守るのが今は最善かも」
「そうだな」
 ターブリさんが賛同した。
「やはり、第三者が無理に介入すると拗れるもとになる」
「ええ。もどかしくても、これまで通り見守りましょ」
 ハラリさんがフワーネさんを窺う。フワーネさんは渋々頷く。
「悔しいけどそうね。理解は深まったけど、何か行動を起こすには足りないわ」
 フワーネさんの口調は、自分に言い聞かせるようだった。けれど、うーんと唸った後、彼女は一転して思いきり床に転がった。
「でもやっぱり、モンモンするわぁ~!」
 手足をバタバタさせるその姿は、ごねる赤ん坊みたいだった。
「せめて小さい頃のシンイちゃんが、ミーナちゃんになんて耳打ちしたかだけでも知りた~い!」
「それは私も知りたーい」
 ジウさんが無邪気に同調した。
「はいはい」
 ハラリさんがフワーネさんを拾い上げ、膝の上に乗せた。
「呑みに付き合ってあげるから、それで発散しましょ」
「ありがとう、ハラリちゃん」
 フワーネさんは差し出された杯を干した。美味しいって言うけれど、顔は苦汁を飲み込んだようだった。
 それからしばらく村長とシンイ様の話や、二人と関係のない話に花を咲かせ、会はお開きになった。大人達はもう少し飲むみたいだったけれど、ボクはもう眠かったので帰ることにした。
「今後とも二人のやりとりを観測したら、ホウレンソウするのよ!」
 フワーネさんはピンクモーモンみたいな顔色でそんなことを言っていた。
 こうして、第一回にして最後のキューピッドになり隊の会合は幕を下ろした。







+++



 会合の翌日、ボクはいつも通りに村の入り口に立っていた。朝方に通り雨があったけれど、ボクが家を出て、お客も立ち入りできるやぐらエリアに辿り着いた時には止んでいた。それどころか空は真っ青で、虹のかかっているような様子だった。
 綺麗だなあ。ボクがしゃがみこんでぼんやりと輝く景色を眺めていると、誰かが歩み寄ってきた気配があった。
「おはようございます」
「あ、おはようございます」
 シンイ様だった。挨拶してから昨日の会合を思い出して、ちょっと気まずいような気持ちになる。
 すると、シンイ様は言った。
「昨夜はお楽しみだったみたいですね」
「え?」
「遅くまで、村長の家の明かりがついていましたので」
 僕の気持ちを見透かしたわけじゃないだろう。それでもちょうど思い浮かべたものの話題を出されると、ちょっとドキリとする。
 シンイ様は、予知能力はあるけれど読心術はできないはず。そう自分に言い聞かせて冷静になる。
「フワーネさんの薬膳鍋を食べさせてもらったんです。ミーナさんは薬草をいっぱい食べさせられることが多いって言ってたけど、あの鍋は美味しかったですよ」
「そうでしたか」
 シンイ様は微笑んで、僕の隣に座り込んだ。ボクの心臓が一際大きく音を立てる。
 まさか、ボクらの話の内容を聞かれたのか? そこまで大きな声で話してはいなかったはずだから、それはないか。でも、会合の後半にフワーネさんが叫んだ声はちょっと大きかったような。
 ボク達は少しの間、横に並んで空を眺めていた。やがて、シンイさんが言った。
「ちょっとした取引をしたくて来ました」
 ボクらの他には聞こえないだろう声量。のんびりとした声色。
 それでもボクの心臓は跳ね上がった。
 何故ボクの所に? ボクは疑問に思った。中心人物はフワーネさんだし、他にもジウさんだっている。ボクのような雑兵のところへやって来た理由が分からない。
「ご、ごめんなさい」
 咄嗟に謝罪が口をついて出た。シンイさんは僕を見て笑った。
「どうして謝るんですか。取引をしに来ただけなのに」
「だって」
「それより、取引をしてくれますか?」
 シンイさんは笑みを浮かべたまま、言う。
「あなた達の欲しい情報を一つ差し上げます。代わりに、ミーナさんに何も働きかけないよう、皆さんに伝えてほしいのです」
 あ、ボクらの会の存在がバレている。
 ボクがこくこくと頷くと、シンイさんはありがとうございますと目を細めた。
「村の皆さんが温かく応援してくださるのは、私個人としてはとてもありがたいんです。本当ですよ? でもミーナさんは、大きなものを背負って日々戦っている。だから、慎重に接したいのです」
「はい」
「この手紙を、皆さんに回してもらえますか」
 シンイさんはそう言って、小さな封筒を渡してきた。全員が見終わったら封筒は燃えるようにできています、複製されても燃えます、とも言われた。
 連絡網の存在もバレている。ボクは謹んでそれを受け取った。
「さて。何が欲しいですか」
 ミーナさんのことはお話しできませんが、私のことでしたらお答えしますよ。
 シンイさんはそう言って、ボクの言葉を待つ。本当に穏やかないつもの様子で、怒っている様子は全く見受けられない。ボクはこの頃になって、やっと落ち着きを取り戻してきた。
 何を聞いたらいいだろう。考えていたら、自然と昨日の会でフワーネさんがわめいていた内容が思い返された。
「ミーナさんに、告白みたいな耳打ちをしたことはありますか」
 ボクが聞くと、シンイさんは少し考えるような素振りを見せた後、ああと頷いた。
「その話をしたのは、ジウさんですね。彼女とミーナさんと三人でままごとをしていた時の」
「多分、そうだと思います」
 ボクは正直に白状した。
「ジウさんとか他の人達が、その時にシンイ様が何て仰っていたかを知りたがっていて。良かったら、教えてもらえませんか」
「いいですよ。でも恥ずかしいので、耳を貸してくれますか」
 ボクはシンイ様の顔の近くへ耳を寄せた。シンイ様はボクの耳に手を添えて囁いた。
「今だけでもいいから、あなたの連れ合いにさせてくれませんか」
 シンイ様はボクから離れると、照れたように笑った。
「おばあ様が昔、会ったことのない祖父をそう呼んでいて。印象深くて、ちょっと憧れがあったんです。いやあ。背伸びをした台詞で、お恥ずかしい」
 シンイ様は立ち上がると、ボクの頭に手を添えた。
「では、よろしくお願いしますね。村の情報屋さん」
 そう言って、シンイ様は去っていった。いつものやぐらのもとへ向かったのだろう。ややあって、彼に話しかけているらしいハナちゃんのプッケ節が聞こえてきた。
 ボクは渡された手紙を見下ろした。ただの紙のはずなんだけど、触れている掌が妙にポカポカしている気がした。
「ちょっとだけ、気持ちが分かった気がする」
 ボクは伸びをして、すっくと立った。
 まずは、昨日役に付いたばかりの人達を集めよう。










20231128 後日談