ビルダー崩壊演説




主人公♀×シドー、またはシドー×主人公♀っぽい。
二人はベストフレンド。















 かつて、少年シドーは尋ねた。
「えっちな本って何だ?」
 相棒は答えた。
「シドーにはまだ早い」
 いつものニコニコ顔なのに、口ぶりがなんだか違った。
 慮るような、嗜めるようなそれが気にかかったものの、その後色々なことが起きたために、シドーは一度このことを忘れた。
 彼が再びその言葉を思い出すのは、世界を創造し直した後になる。








***



 あかの開拓地にいるビルダーが、シドーを呼んでいる。
 みどりの開拓地を駆け足で去っていくシドーの背中を、食堂の影からジバコとリズが眺める。
「やば。シドー、めっちゃ嬉しそうじゃん」
「しばらくクリエが来なかったものね。これで安心だわ」
「でも、四日前に会ってたよね?」
 チャポチャポ島から開拓地へ来たばかりの男の子、カムランが問う。
 リズが肩をすくめた。
「そうだけど、あの二人が三日も会ってないのはイジョージタイなのよ」
「ビックリだよねー? 三日も会わないの、シドーが攫われてから初めてだし」
 二人は同じ開拓地にいることが多い。
 なぜなら、クリエが自分の移動に合わせてシドーを呼んでいるからだ。
 だから今回のようなことは、極めて珍しいことなのである。
 リズとジバコは、新人にそう説明した。
「シドー、ちょっと気にしてたよね。邪魔はしたくないけど、クリエのものづくりは気になるって」
「キャハハ。悩んでるシドー、マジ可愛かった!」
「可愛いなんて言ったら、きっと怒るわよ。シドーはクリエのお兄さんとして、真面目に気にしてたんだから」
「それ、ルルが言ってたねえ。シドーはお兄さんぶるって。たしかに、戦ってるシドーは超頼りになるけど!」
 朝食を済ませた農民たちが、一斉に食堂から出てきた。
 ジバコは手を振る。
「巡回行ってくる!」
「頑張ってねー」
 丘を駆け上がる傭兵を、リズとカムランは見送る。
 カムランは首を傾げている。
「ねえ。シドーさんって、強くてカッコいいよね?」
「もちろんよ。でも、頼もしいヒトの抜けてるところって、ちょっとステキに見えるのよ」
 リズはカムランの袖を引っ張った。
「あなたにもそのうち分かる時が来るわ。さ、ご飯作りに行きましょ」












 あかの開拓地、役場にたどり着いたシドーの前に、クリエはいなかった。
 首を捻っていると、扉を開けてペロが顔を見せた。
「あら、シドー。ちょうどよかったわ」
「アイツは?」
「クリエに呼ばれてきたの? ならあの子、きっと地下で住民名簿を作ってあなたを呼んだのね」
 ペロは柳眉を持ち上げる。
「クリエなら、ずっと地下よ。もう三日三晩、不眠不休でビルドしてる」
「何だと?」
 シドーは驚いた。
「本当に寝てないのか?」
「あおの開拓地から来た兵士さんが交代で見てそう言ってたから間違いないわ。私たちがいくら寝てって言っても聞かないのよ」
 あの寝坊助が珍しい。
 相棒は、どんな環境でも熟睡できる女だった。
 周囲に毒沼が広がっていようが、戦闘中だろうが、寝床さえあれば即座に眠ることができるのである。
「あなたが行って声をかければ、さすがに聞いてくれるかなって思ってたの。クリエのこと、よろしくね」
 私もご飯を作り終わったら行くわ、と言ってペロは急ぎ足でキッチンに向かった。
 シドーはすぐに地下へ行くことにした。
 ピラミッド一階の中央。以前はただの空白だったそこに、植物の生い茂る花園ができている。
 ──ピラミッドの二階に宿屋を作って、お客さんが生活できるスペースにする。一階には、キッチンとかゲーム酒場、ジャングル、植物園を作って、楽しくて癒される感じにするんだ!
 友人の声が蘇る。
 ふくふくとした頬を染め、まだ見ぬ建築物に思いを馳せている彼女の瞳は、いつも鉱石のように輝いていた。
 ──でも、それだけじゃないよ。もっと楽しいのを作るんだ。あのね、植物園の真ん中に隠し階段を作って……。
 シドーは花園に足を踏み入れる。
 橙や桃色の花を踏まないように気をつけながら、園の中心へ向かう。
 すぐに、オウギヤシの影の地面が窪んでいることに気づいた。
 覗き込めば、狭く深い穴がある。
 梯子が掛けられていて、地下深くまで降りられるようだった。
 足をかけ、下っていく。
 しばらくすると、賑やかしい音楽が聞こえてきた。
 梯子が終わった先は、岩の洞窟だった。
 魔法の扉がひとつだけあって、左右に桃色のライトがついている。
 扉をくぐったシドーは、おおと声を上げた。
 そこは、四面金ピカのブロックで築かれた常夏のプールだった。
 水着に着替えた住人たちが、泳ぎまわってはしゃいでいる。
「おお、シドーが来たぞ!」
「遅いじゃねえか! 待ちくたびれたぜ」
 赤褌一丁のあらくれが二人、プールから飛び出して駆け寄って来た。
 マッシモとミルズである。
「見ろ、このゴールデンミルズプールを! すげーだろ!」
「隣も見るんだぞ。更衣室もシャワーもすごいんだぞ」
 あらくれたちはシドーを引っ張り、あちらこちらへ案内する。
 どこもかしこも金ピカだった。
 更衣室には大きなタンスがあって、水着やバニースーツなどの衣装がかけてある。
 シャワールームは、壁と床がガラス張りになっており、その向こうに淡く紫の光を放つブロックライトや金の刺繍壁が透けて見える。
 ゲーム酒場は、先ほどまでの部屋と比べてどことなく落ち着いた陰りを帯びている。金の柱こそ使われているが、壁がいぶし銀でできているからかもしれない。桃色の灯りを頭上にいただき、ポーカーをする男たちも、様になっているよう感じられた。
 マッサージ部屋は同じようにところどころ銀が使ってあり、地面には赤い絨毯を敷いてある。角の生えた女や逞しい男たちが出入りしていて、なんだか強そうな部屋だと思った。 
「で、こっちはオレたちの居住スペースに繋がってるぞ」
「見に行くか?」
 マッシモとミルズが階段を指さしている。
 シドーは、マッサージ部屋の窓から筋肉を揉み合う男たちを眺めていた。
(しばらくクリエとハイタッチしてないな)
 そう思い、二人に訊ねてみる。
「クリエはどこにいる?」
「そうだ! シドーが来たならクリエに会わせないといけないぞ」
「ペロに頼まれてきたんだな? オレたち、そろそろアンタを呼びに行こうかと話してたところだったんだ」
 あらくれ二人は来た道を戻り始めた。
「ペロもそう言ってたな」
「今日の夜になってもクリエが寝なかったらシドーを呼びに行こうって、あかの開拓地のみんなで今朝話してたんだぞ」
「クリエの奴、やたらペロに心配されやがって。くそっ、羨ましいぜ」
 ミルズは逞しい肩を揺らして地団太を踏む。
「オレはムキムキの筋肉とペロを取り合うことになるだろうと思って、ずっと鍛えてきたのに。まさか、あんなひょろっとした乳臭い女と取り合うことになるなんて、全く予想外だぜ」
 あらくれ仲間とは言え、ペロのことを思うと未だに複雑な気持ちになる。
 ミルズはそう言って、シドーを窺う。
「なあ、シドー。アイツ、ペロに限らずモテすぎじゃないか?」
「モテる?」
 シドーは首を傾げた。
 マッシモが大きく頷く。
「クリエはモテるぞ。みんなからビルダーとして一目置かれてるのは当たり前だけど、モンゾーラから来た農民連中はみんなクリエのことが好きだし、あおの将軍もクリエのことを話すときは可愛い顔するって噂だし、あのキツいルルもクリエクリエって言ってばっかりだぞ」
「ああ。なつかれてるってことか」
 モテるという言葉を理解できたシドーは頷いた。
「それはクリエだからしょうがねえだろ。アイツは誰とでも仲良くなるからな」
 魔物とも人間とも仲良くなれる。
 あの福々しい笑顔を前にすれば、警戒心が薄れるのも仕方ない。
 シドーがそう言うと、あらくれ二人は顔を見合わせた。
「そう、だな? うん、そういう気がしてきたぞ」
「言われてみればそんな気が……いや、なんか違うような」
 そもそもオレたち、何の話してたんだっけ?
 あらくれたちは腕組みをし、首を捻る。
 シドーは腕を腰に当てた。
「クリエのところに行くんだろ。しっかりしろよ」
「しっかりしろ? いや、そもそもお前が──」
「あ、今声がしたぞ」
 ミルズが言いかけたところに、マッシモが声をかぶせる。
 シドーは耳をそばだてた。楽園の音楽の中に、幽かに聞き覚えのある声が混じっていた。
「……かし……わたしは……気は、ない……」
 クリエで間違いない。
「ダンスホールにいるみたいだぞ」
「シドー。言い忘れていたが、今のクリエはな──あ、おい! 最後まで聞けよっ」
 ミルズの制止を聞かず、シドーは走り出した。
 金の廊下の向こうから、次第にクリエの声が近づいてくる。
「いや……言おう。これまでのような……として、飾り……気はない……」
 誰と話しているのだろう? 随分饒舌になっているようだ。
 シドーは両開きの扉を開け放った。
 金色に輝く広いダンスホールには、様々な衣装を着た人々が入り乱れている。
 たくさん並んだ桃色のランプが、あたり一面を、人々の顔を、薄桃色に染めている。
 しかし、愉快な音楽に合わせて踊っている者は誰もいない。
 人々の視線は、一段高くなった舞台の上にあった。
 シドーは視線の先を見た。
 舞台上で、ネオンを浴びたバニースーツ姿の金髪ツインテールが叫んでいる。
「えっちな部屋とは何だ! ただえっちなライトを付けた。それだけの理由でえっちな部屋を作り放題、素材にムードを左右されるビルダーとは!?」
 シドーは目を瞬かせた。
 彼女こそクリエ──シドーの無二の親友であるビルダーだ。
 しかし、様子がおかしい。
 いつもならば丸く吊り上がっている口が、珍しく水平線を描いている。
 ビルダーは苦悩に満ちた表情で両腕を開く。
「ただの素材は、えっちなライトのように扱う事は許されぬ。たとえその素材がえっちの器をもっていようとも、生まれついたムードからは逃れられぬ……そう、わたしもだ。
「えっち以外のムードの素材として生まれ、寄せ集めてやっとムードを演出できる、ムードいやしき素材は、えっちなムードにふさわしくない。開拓地の誰もが、そう言った。赤い宝石から生まれたライトにしか、えっちなムードは与えられぬのだ、と」
「なあ。アイツ、どうしちまったんだと思う?」
 後ろから追い付いてきたミルズが問う。
「昨日からあんな感じなんだ。部屋を作りながら、えっちがどうだのムードがこうだの、ずっとニコニコしながらぶつぶつ言ってたんだが、ついに今日ああなった。アイツが作るって宣言してた黄金の地下娯楽帝国は完成したはずなのに、どうしちまったんだろう」
「いとムード高く、尊きえっちなライト。だが奴が、何をしてくれた?」
 ビルダーは滔々と語っている。
「壁に張り付き、ピンクでハートな明かりを放ち、照らす。それだけだ。えっちなライトも、えっちな本も、みな当然のように他の素材の上へ君臨し、わたしは何一つ、役に立たぬ」
 シドーは親友の足元を見た。住民名簿が置いてある。
 なるほどここからオレを呼んだのか、と考えた。
「……だが、シドーは違う!」
 急に呼ばれた。
 見れば、ホール中の視線が自分に向いていた。
 そして、親友も自分を見ていた。
 電飾の瞬きを宿した瞳、大きく笑みを形どる口。
 満面の笑顔になった親友が、自分を指さす。
「えっちなムードなど、シドーにはひとしずくたりとも流れてはいない。そんなものに意味なぞない。だがシドーはここにいる。自らの破壊でこのライトに勝つムードをつかみ取ったのだ!」
 小柄なバニースーツが、ステージから飛び降りた。
 波のように割れる人垣の間を走り、クリエはシドーの肩を両手で掴む。
 手が熱い。碧眼が灼熱の炎のように爛爛と輝いている。
「シドー、わたしに従え!」
 会場がどよめいた。
 どこかから、黄色い悲鳴も聞こえてきた。
「古い固定観念を素材からふり払い、今こそ新しいムードを作り出すべき時!!」
 ビルダーは高らかに笑いながらシドーの手を引いて走り出そうとした。
 しかし、シドーは踏ん張ってその場に止まった。
 力負けしたビルダーがよろける。
 大きく後ろへ傾いだ身体を、シドーが抱きとめる。
 そのままクリエは動かなくなった。
「あら、クリエちゃん! 大丈夫?」
「どうしたんですか?」
「何が起きた?」
「やだ。何かあったの?」
 オンバ、アーマン、カルロ、さらに食事を作り終わって来たらしいペロまで集まって、皆でシドーの腕の中にいるクリエを覗き込む。
 クリエは目を閉じて、すやすやと寝息を立てていた。
「寝てるぞ」
「こんな一瞬で寝ることあるか?」
「赤ちゃんみたい。可愛い」

 マッシモとカルロが驚き、ペロがうっとりとする。

「ビルダーズハイだ」

 シドーが言う。

「建築が楽しすぎてハイになるとこうなるって、前にしろじいが言っていた。みどりの開拓地でツリーハウスを作った時も、こういう状態になっていた。その時は、こんな意味わからねえことは言ってなかったけどな」

 なぜあんなことを言っていたのだろう。
 シドーはもう一度演説の内容を思い返してみる。
 さっぱり意味が分からなかった。

「とにかくこいつを寝かせる。どこかいい部屋はないか?」

 シドーが尋ねると、オンバが答えた。

「クリエちゃんが最後に作ったお部屋なら、ベッドがあったと思うわ」
「どこにある?」
「ここまで降りてきた長い梯子があるでしょう? その横よ」
「分かった」

 シドーは片腕でクリエを担ぎ、手を振って去っていく。
 ダンスホールには、いつの間にか雑踏が戻っていた。
 しかし、あかの古参の面々だけは、彼らが扉の向こうへ消えていくのを見届けた後もなお、沈黙に包まれていた。





 





 教えられた部屋には、確かにキングサイズのベッドがあった。
 ふかふかの布団の中へクリエを沈めて、寝顔を見つめる。
 先ほどは電飾の明かりで分かりづらかったが、よく見ると目の下が黒ずんでいる。
 それでも頬は丸々としていて、寝顔にはわずかな笑みさえ浮かべているように見える。
 ──笑ってるわけじゃないよ。もとからこういう顔なの。
 出会ったばかりの頃に、自身の顔を指さしてそう言っていた。
 事実、彼女は終始にこやかな雰囲気を湛えている。
 世界が崩壊するまでも、新しい世界になってからも、それはずっと変わらない。
 ずっと、ものを作って楽しそうに笑っていてほしい。
 だからこそ、彼女の不安そうな顔を見られて、シドーは安堵していた。
 なんでも笑ったような顔でこなそうとする彼女の、苦しみや怒りを知りたかったのだ。
(問題は、悩みの内容か)
 三日三晩徹夜で物作りに励んで、こうなったことを考えるに、建築の内容で悩んでいるのだろう。
 彼女自身の問題なのだろうが、力になれることがあるならばやりたかった。
 シドーは今いる空間を見回す。
 この部屋は黄金ではない。
 壁はおおよそくすんだ銀でできていて、四方にアイアンの素材が埋め込んである。
 床は城の石造り。ベッドまわりやソファの足元には緑の絨毯が敷かれている。
 壁にさりげなく添えてある赤のブロックライトも洒落ていていい。
 もうちょっと広ければ、自分の部屋にしたいくらいだ。
 眠る親友を見下ろして、シドーは呟く。
「悩むところなんて、見つからねえけどな」
 ドアを押し開けて、白猫が入って来た。
 ベッドから離れるシドーを、丸い琥珀の目が映している。
「コイツのこと、ちょっと頼むな」
 シドーはそう声をかけて、部屋を後にする。
 ミルズは、建築するクリエの独り言を聞いていたようだった。
 本人が起きる前に話を聞いてみてもいいだろう。
 そう考え、ゲーム酒場でダーツに興じていた彼を見つけて捕まえた。
「クリエの悩みの内容だと?」
 あらくれマスクが傾く。
「さっき言った通りだぜ。部屋作ってる時に──特に、えっちなライトを置く時に、独り言が激しくなってたな」
「アイツは具体的に何を言ってたんだ?」
「うーん。オレも全部は聞いてねえよ? オレが覚えてるのは、ライト一個でムードが変わるとか、そういうことだったと思うが」
 なあマッシモ、とミルズは隣でダーツをしていた弟分に声をかける。
 大柄なあらくれは頷いた。
「おう。オレが見てた時は、ライトを置いた後に『また部屋がえっちな雰囲気になった』って溜息吐いてたぞ」
 シドーは頭上で桃色に色づくライトを一瞥する。
 えっちなライトというのは、あれのことだったはずだ。
「えっちって何だ?」
「うおおい、マジかよッ」
 シドーが訊ねると、ミルズとマッシモはそろって大仰にのけぞった。
「お前、それ真面目に言ってるのか!?」
「別にふざけてはいないが。何か問題があるのか?」
「これは責任重大だぞ」
 あらくれコンビは顔を見合わせてから、シドーにちょっと待てと言い、二人して部屋の隅に突進していった。
 そのまま何やら相談している風だったが、やがて帰ってくる。
「で、何なんだ」
「それはな」
 ミルズとマッシモは、そろって大胸筋を波打たせた。
「すべては筋肉に詰まってるぞ」
「筋肉に聞け。お前も筋肉ついてる男なんだから分かるだろ。な?」
「分かんねえから聞いて──あ、おい」
 ミルズとマッシモは「飯だー!」と叫びながら走り去ってしまった。
 なお、周りの面子はまったく食堂に向かうそぶりがない。
「そんなに答えるのが難しいことなのか?」
 シドーは首を傾げた。
 どうしたものかと考えながら、手持ち無沙汰なのでダーツで遊んでみることにする。
 ボードにひたすら矢を投げていると、新たな人影が寄って来た。
「あら、シドーちゃん。上手ねえ。」
「クリエはどう?」
 オンバとペロである。
 ちょうどいいので、シドーは二人にもクリエの悩んでいそうなことについて聞いてみた。
「そうね。確かに、ビルドに悩んでいるようだったわ」
 ペロはここ数日の様子を思い返す。
「プールと更衣室、シャワールーム、廊下を作ったあたりまでは快調だったけど、酒場を作り始めた頃からよく腕組みして唸ってたわね。ダンスホールやミュージックホール、リゾートスパを作り上げるころには一周回ってた感じがあったわ」
「一周回ってた? どういうことだ?」
「よく分からないけど」
 ペロは当時の状況を説明する。
 クリエは最初、黄金ブロックをすさまじいスピードと精度で積み上げていた。
 だが、酒場を作る時は素材選びにひどく迷い、積んでは崩すのを繰り返していた。
 酒場を作り終えた後は、一変して速やかに黄金のブロックとそのほかのブロックを独自のバランスで組み合わせていっていた。
 彼女はずっと楽しそうだった。ただ、時折顔を曇らせる時もあった。
「それが、えっちなライトを置く時だったのよ」
 またか。
「なあ。えっちなライトの『えっち』って何なんだ」
 ペロとオンバは目を丸くした。
「あら」
「まあまあ」
 また二人のしぐさがシンクロしている。
 シドーは腕組みした。
「クリエもミルズもマッシモも、はっきり答えなかった。そんなに答えづらいものなのか?」
「どうしたらいいかしら」
「クリエちゃんは何て言ってたの?」
 オンバが妙なことを聞いてきた。
「オレには早い、だと」
「あー。なら、アタシたちが出る幕じゃないわ。ねえ、ペロちゃん?」
「そうね、オンバさん」
 女たちはそろって笑顔を浮かべた。
「パパに聞いてみてもいいかもね」
「それでも納得できなかったら、後でクリエちゃんにもう一度聞いてみればいいわよ」
 そうして、二人して和やかに笑いながらその場を後にした。
 引き留める暇すらなかった。
 また教えてもらえなかった。
(クリエだって、えっちとは何だって言ってたじゃねえか)
 引っかかるものを感じつつ、シドーはバーカウンターに向かう。
 すると、すでに客として座っていたカルロが手招きした。
「ちょっと、こっち来い」
 彼の正面では、アーマンがシェイカーを振っている。
 呼ばれるままに指定された席へ座る。
「話は聞いていたぞ。クリエの悩みだな」
 カルロの言葉に頷く。
「酒場作りをしている時、多少聞いた。部屋のムードについて考えていたようだぞ」
 クリエが言っていたことによると、部屋のムードには六種類あるそうだ。
 ノーマル、キュート、クール、ナチュラル、ビビット、そしてえっちである。
「素材や色ごとに、醸し出すムードはおおよそ決まっている。部屋を構成する素材の数とバランスで、部屋のムードも決まる。クリエは、そこを覆せないかと考えていたようだ」
「ほお」
 シドーは片眉を上げた。
 やっと収穫になりそうな話が出てきた。
「何でだ?」
「クリエは、デザインに凝るだろう。ゴルドン酒場はゴルドンをモチーフにしていたからよかったが、ここの酒場も同じようにしては芸がないと思ったらしい」
「それから、開拓レシピの課題であるえっちなライトの置き方についても、悩んでいたようでした」
 アーマンが言葉を継ぐ。
「シドーさん。えっちというのは、曝け出されているようで、秘められているものなのです」
「どっちなんだ?」
 シドーは首を捻る。
「どちらでもあり、どちらでもない。えっちとは筆舌に尽くしがたいもの。今はそうとしか言えません」
 それは酒場も同じ。
 アーマンはそう言い、シドーの前のグラスにルビーラを注ぐ。
「酒場の雰囲気は、明るすぎても暗すぎてもいけない。酒場はすべての人に開かれた場所。束の間の夢であり、欲望であり、希望なのです」
「はあ」
「クリエさんは、考えに考えた結果、素材のムードから一度解き放たれたいと考えたようなのです。特に、それ一つだけで強力なムードを作り上げてしまう、えっちなライトにしばられぬえっちなムードの表現方法を作り出したいようでした」
 アーマンはシェイカーを洗い終え、グラスを磨き始める。
「そうしてたどり着いたのが、今クリエさんが休んでいらっしゃるあの部屋のデザインです」
 ふーん、とシドーは頬杖を突く。
「えっちはいまいち分からないが、いい部屋だったぞ。オレは、アイツの作った部屋はどれも好きだ」
 アーマンは微笑んだ。
 カルロがシドーの肩を叩く。
「それを伝えてやってくれ」
「おう、そうする。じゃあな」
 ルビーラを一息で干して、シドーは酒場を後にした。








***



 眼の裏が金とピンクに瞬き、頭がくらくらしていた。
 クリエは夢うつつに、自分の状況を思い返す。
(ああ。楽しくて、ちょっとハイになりすぎちゃった)
 あかの開拓地地下に作りたかった黄金郷のイメージは、ゴージャスで健康で、ちょっと思わせぶりなところのある空間だった。
 ただ、あまりに露骨だと安っぽくなる。
 それに気づいた時から、黄金の壁やえっちなライトとの付き合い方に迷いが生じた。
 えっちなライトを使わず、似たような雰囲気の品で代替しても、思わせぶりな雰囲気は醸し出せるのではないだろうか。
 むしろそちらの方が、よりえっちになるのではないか。
 クリエはえっちの何たるかを詳しく知らない。
 ほどほどの知識はあると思っている。
 だがそれも、ここに来る前に他人から聞きかじり、ビルダー見習いの頃にそういう思わせぶりな建物を見て、模倣して作るとしたらどうやるかを想像したことがある程度である。
(基本は、素材のムードに従えばいいだけなんだけどなー。つい、凝りたくなっちゃう)
 あの桃色の灯火は、点けた途端に部屋のムードを変える。
 少し昏い桃色が、陰影を鮮やかにする。
 また、肌色の多い冊子は、きっと見た者をそのムードに染めやすいのだろう。
 しかし、えっちなライトや本だけが、えっちなムードの全てだろうか。
 他のムードの素材は、たくさん集めてやっとムードを作れるものばかりだと言うのに、えっちなムードだけなぜこうなのだろう。
 えっちなムードも、細かな素材の組み合わせで演出してみたかった。
 そしてそこに、えっちの欠片もないシドーを置いてみて、彼がえっちに見えたら自分の部屋作りのセンスは間違っていなかったということになるのではないか。
 そう思って、一つ部屋を作った。
 えっちなライトを置かず、黒と銀、緑でそろえたシックな空間に、赤いブロックライトを一つだけ添える。
 部屋の中央にはシングルベッド一つ。
 これだけでも、昏い赤の煌めきや部屋の暗がりが、十分思わせぶりなのではないだろうか。
 クリエは苦笑した。
 えっちや恋バナそのものにこだわりはないのに、物作りが関わった途端ひどくこだわり始める。
「変なの」
「オレは好きだぜ」
 独り言ちたはずなのに、返事が聞こえた。
 目を開き、がばりと上体を起こそうとしてふらついた。まだ目がちかちかするのだ。
 ベッドに体を戻そうと、寝台を探るクリエの手を覚えのある手の感触が包んだ。
 さらに、背に腕が回る。
「また、食事も風呂もさぼったな」
 低い呆れた声。
 ああ、間違いなくシドーだ。そういえば、呼んだのだった。
 認識した途端、口元に笑みがこぼれ、体の力が抜けた。
「ご、めん」
「お前の行く開拓地に、これからは必ずオレも引っ越しさせろ。お前は監視してないとダメだ」
「でも本当に、物作るの楽しいんだよ?」
「分かってる」
 シドーの腕に身を委ねると、手を握っていた手が離れて、額に移る。
 かさついて温かい。心地よくて、クリエは息を吐く。
「この部屋、いい部屋だな。もう少し広ければ、オレの部屋にもらいたいくらいだ」
 額にあった手が去ったので、瞼を開けた。
 瞬きをして、すぐ目を見開いた。
「オレは、お前の作った部屋が好きだ。これじゃあいけないのか?」
 ベッドに横たわる自分のすぐそばに、シドーがいる。
 昏い背景の中、あの淡い赤の灯りが、灼眼を際立たせ、褐色の肌の滑らかさを暴き、露になった胸の筋の影を濃くする。
 血の色が。肉の質感が、くっきりと浮き上がる。
 ビルダーは手で目を覆った。
「いけなくない……」
「そうか」
「部屋広くする……?」
「お、くれるのか? やったぜ」
 シドーは無邪気に笑って、クリエにハイタッチを求める。
 立ち上がれないので、横たわったまま掌を重ねた。
 一瞬触れ合っただけだが、自分の掌が不自然に熱い気がして仕方がなかった。
(いやいや。相手はシドーだよ?)
 破壊に秀でているため、荒い印象が強いが、根は非常に邪気のない少年だ。
 部屋のムード作りに成功したということだろう。
 そういうことにしたい。
 ムードの演出に成功したらしい。
 嬉しいはずなのに、なんだか複雑だ。
「ムードのことはよくわからないが、オレはお前が作ったいろんな部屋を見るのが好きで、楽しい。それは伝えておきたかったんだ」
 ああ。
 この少年は本当に純粋で、きれいだ。
 クリエは複雑な心境も忘れて、にっこりする。
 すると、シドーもしっぺ返しのように笑う。
「あともう一つ。お前がすごく悩んでたらしいから気になったんだが、えっちってなんだ?」
 クリエは卒倒しそうになった。
 ビルダーの分際で、ムードを破壊しようとなんてするんじゃなかった。
 後悔しても、遅い。
「前、まだ早いって言ってたよな? あれもどういうことだ? まとめて教えろよ」
 興味津々といった顔つきのシドーにどう返すか、もしくは返さずに気絶したふりをするか。
 クリエは必死に考えるのだった。









20211128