俺とお前のトンチキ劇場

※大包平×鶯丸(R-15)
※どちらも極。
※極、修行、手紙について独自解釈有。








「こうして大包平は、ハワイで親父に習った銛を活かし、マウイイワスナギンチャクの捕獲に成功した。パリトキシンで元の身体に戻った大包平は、組織を法と拳で壊滅させ、幼馴染の胡蝶蘭と結ばれたとさ。めでたしめでたし」
 縁側に座る鶯丸が語り終えると、集まっていた刀達が拍手をした。面子は、ほとんどが外遊びの延長で集まってきた短刀である。中には、非番で暇を持て余した短刀以外の刀も、ほんの少しだけ混ざっていた。
「今週も面白かったよ、鶯丸さん!」
 乱藤四郎は満面の笑みで称賛する。薬研藤四郎も大きく頷いた。
「旦那の語り物は大したもんだ。聞いたことがある話の欠片で出来ているはずなのに、語り口が巧みな上に構成と語が予想外すぎて、全く飽きん」
「はいっ」
 秋田藤四郎が手を挙げた。
「パリトキシンは、実在の毒ですか」
「実在だ」
 鶯丸は頷いた。
「琉球の近海にパリトキシンを持つ魚がいる。ブダイやハコフグの仲間などに気を付けろ」
「分かりました」
「ちなみに、人体が摂取すると、筋肉の融解による激しい筋肉痛、呼吸や歩行の困難などの症状が出て、酷い場合は死に至るぜ」
 薬研が補うと、秋田はくりくりとした目をさらに丸くした。
「そんなものを摂取して無事元の身体に戻れるなんて、今週のイマジナリー大包平さんは凄いですね!」
「ああ。イマジナリー大包平だからこそできることだな」
「へえー。勉強になったなあ」
 そう言って白い歯を見せるのは、本丸にやって来たばかりの八丁念仏だ。彼は短刀以外の刀剣の中でも珍しい、この催しの常連客だった。
 鶯丸の最前列では、前田藤四郎が平野藤四郎の持つ端末を覗き込んでいる。
「主君のお言葉は」
「まだです」
「既読はついてますね。何かあったのでしょうか」
「会合の休憩時間に見ると仰っていましたから、もしかしたらお言葉を打とうとなさっているところを他の方に話しかけられ、打てないでいるのかもしれません」
 ぽよん、と間の抜けた電子音がした。
 平野が端末を掲げ、声を上げる。
「主からのお言葉が届きました。主は【いいね】スタンプを押していらっしゃいます」
 鶯丸は自分に向けられた端末を見て、にこりとする。
「おお、主。俺をハワイに連れていってくれ」
 端末に表示されたメッセージアプリに、音声入力で鶯丸の台詞が送信された。それから間を置かずして、また電子音と共にスタンプが現れる。写実的なタッチで描かれた外国人が、【ヤツが来やがった】と怯えているものだ。それを見た平野が言った。
「主は、また会合に戻られたようです」
「随分タイミングがいいな。まあ、いいか」
 鶯丸は肩をすくめると、立ち上がった。
「以上で今週のイマジナリー大包平劇場は終わりだ。帰っていいぞ」
 刀達は、口々に礼を言った。そして、楽しかったやらまた来ますやら言いながら、その場を後にした。
 続々と男士が捌けていく。その景色を、少し離れた松の木陰から眺めている人影が二つあった。
 そのうちの片方、松に背を預ける白い襷袴の男──鶴丸国永が言う。
「この催しも、これで七回目か」
 まさかちゃんと続いているとは、驚きだ。
 いつもの軽妙な口調で言い、傍に座り込むもう一振を見下ろした。
「どうしてこうなった」
 問われた刀は、大きな手で自らの赤銅の髪を掻き混ぜた。
「まあ、色々あってな」
 濁すような言葉を口にしながら、彼──本物の大包平は、この二ヶ月程の出来事を思い起こしていた。



 その日。鶯丸は内番から帰ってくるなり、言った。
「俺は、お前の話をしすぎていたらしい」
「今更何を言っている」
 大包平は、本丸で定期購読している超時空新聞を眺めつつ返した。
「ここへやって来た時、名乗る前から会う者会う者にことごとく名を呼ばれ、困惑していた俺をあれだけ笑っておいて、忘れたとは言わせんぞ。だが、今思えばあれもあれで悪くなかった。自己紹介の手間が省けたからな」
「平野が、最近俺がお前の話をする頻度が減ったと、寂しがっているようでな」
 鶯丸は話を続ける。こちらが何と返そうが、己の中で予定していた話をさらさらと展開するのがこの剱の癖なのだ。
「だから、イマジナリー大包平劇場をやろうと思っている」
「何?」
 目を上げた。
「イマジナリー大包平劇場だと?」
「ああ」
 鶯丸は、いつもと変わらぬ笑みを浮かべている。
「手間だからな。週一で、俺の考えた架空の大包平物語を語ることにする」
「その方が手間ではないか?」
「いいな?」
「もう少し俺の言葉に相槌を打て。意思疎通をする気はあるのか」
 気のないような素振りをしつつ、大包平は考える。
 実のところ、鶯丸の提案には少々惹かれているところがあった。つまり、大包平もまた、鶯丸の口から自身の話を聞きたいと思っていたのである。
 鶯丸が修行より帰還してからというもの、その口に大包平の名が上る頻度が減っていた。かつては、三つ文を発すればそのうちの一つには必ず大包平の名があると言われていたのに、今では二十の文に一つあるかないか程度である。
 己を厭うたわけではない。修行による心境の変化だろう、とは思っている。旅先でのことを詮索する気もない。修行の旅を終えた鶯丸は、以前にも増して凛と美しくなり、心も体も強くなって帰って来た。それで十分だ。ちなみに、その様を見たから、大包平も旅装束を纏うことを決めたところがあるのだが、これは大包平だけの秘め事にしておきたいところである。
 しかし、それはそれとして、自分の話が減ったことを少し──本当に、ほんの少しだけ──物足りなく思っているのも事実だった。初めは錯覚だと思おうとしたものの、食堂で飯を食いながら、自分の噂をする鶯丸の噂が聞こえないか耳をそば立てている自分に気付いてしまっては、認めざるを得ない。どうやら自分は、鶯丸にあることないこと言われるのが好きらしい。我ながら変な剱のような気がしたが、これも愛する者に弱い性分の延長だと思い直した。何も悪いことなどない。
 けれども、自分から話をせびるのは、大包平の矜持が許さず。また、軽率に何故俺の話をしないのかと問い質してしまえば、あの繊細故に鷹揚な剱を傷つけそうで。
 そのような次第だったから、大包平にとって鶯丸の提案は、渡りに船なのだった。
 ──よくぞ言ってくれた、平野藤四郎。
 後で、何かにかこつけて褒美を渡す。そう決めた。
「……まあ、好きにしろ」
 新聞紙へ目を落とすふりをし、気紛れを装って言う。
 すると、涼やかな声に喜悦の色が乗った。
「よし来た」
 大包平は、少し視線を上げる。端整な細面に、控えめながら艶やかな笑みが咲いていた。
「初回は、大包平VS井戸シャークにしよう」
「待て。何だその、いどしゃーくというのは」
 そのような次第で、鶯丸によるイマジナリー大包平劇場が始まった。
 鶯丸は、任務や生活の合間を縫ってストーリーを練っているらしい。大包平に口を挟ませる気はないようで、いつも知らぬ間に物語が出来上がっていて、そのまま語る日に臨んでいる。
 鶯丸の語り物は、平野藤四郎の都合に合わせて開催される。場所は、鶯丸と己の部屋に面する縁側だ。ここは元々、鶯丸と平野の茶飲み場でもあった。
 最初の聞き手は、当然平野一人だった。鶯丸はいつも通り、茶をしながら物語りした。大包平も、障子を隔てた室内で、それを聞いていた。
 初回の語りの後。鶯丸が席を外した隙に、大包平は顔を覗かせて平野を呼んだ。
 短刀は、大包平の顔を見るなり、頭を下げた。
「僕の我が儘のために、申し訳ありません」
 本当に、すまなさそうな顔をしていた。
「先日、つい大包平様の様子をお訊ねしてしまったのです。鶯丸様が顕現されてから毎日、大包平様のお話を聞いていたものですから、気になって……口にしてしまいました」
 平野曰く、大包平様は最近如何ですか、とだけ問うたのだという。すると、一週間待てと言われた。
 平野は言われた通り、一週間待った。今日やってきて、大包平の作り物語をしてくれることになっていて驚いた。浅慮だった。
 そのようなことを言って、平野は再び頭を下げた。
「いや、詫びることはない。毎日聞いていれば、気になって当然だろう。むしろ、礼を言わねばならんのはこちらだ」
 大包平は、用意しておいた紙包を渡した。
「俺のいない時から、長い間アレの面倒を見てもらっている礼だ。受け取れ」
「面倒だなんて、とんでもありません。僕は、鶯丸様に色々と学ばせていただいているだけです」
 かなり遠慮されたが、無理矢理押し付けた。中身は俺のさほど食わぬものだから、もらってくれた方が助かると言えば、平野はおずおずと受け取った。
「それにしても、他刃の仲などを思いやるとは、お前もつくづく面倒見がいいな。あまり気を遣わずとも良いのだぞ」
 自分達はそんなに、気を遣い合うような間柄ではないのだから。
 言うと、平野は俯いた。
「そんな、買い被りです。お恥ずかしい話ですが……僕はただ、大包平様のお話をされている時の鶯丸様に、勝手な親しみを抱いてしまっただけで」
「親しみ?」
「勿論、普段の鶯丸様の、気品に満ちた佇まいにも憧れております。ですが、大包平様の話をされる鶯丸様は、どこか寛いでいるような、力の抜けた顔をなさるので……もう一人の兄のよう、だと」
 皆には秘密にしてくださいと言う、仄かに色づく頬が愛らしいので、毎週茶菓子を買ってやろうかと思った。だが、余計気を遣わせそうなのでやめた。なお、贈った羊羹は、後日鶯丸と飲む茶の供になっていた。律儀な短刀である。
 予想外だったのは、劇場二回目に他の短刀達が参加してきたことだった。
 きっかけは、鶯丸が平野に語っているところへ飛んできたバスケットボールだった。どうも、庭で遊んでいた藤四郎兄弟のうちの誰かが、勢い余ったのらしかった。
 それを取りに来た厚藤四郎が、鶯丸の発した「リンカァンの正体は大包平で、吸血鬼を狩るマタギ」という台詞を耳にして、こちらを二度見した。
 その後、球を他の短刀に託した厚が、聞き手に加わった。更にその後、厚の様子を訝しんだ後藤が仲間に加わった。また更にその後、秋田がやって来た。次いで包丁が、博多が、信濃が──と次々集まり、結局、球遊びをしていた藤四郎六振を、完全に引き寄せてしまったのだった。六振は最後まで真摯に語りを聞き、鶯丸がめでたしめでたしで結ぶと、全振拍手をした。大包平の中で、粟田口の株が上がった。
 加えて、これまた偶然にその様を目にしたのが、毛利藤四郎だったのが大きかった。毛利は鶯丸の語り物を「小さい子達が小さい子らしいことをしている姿を見られる好機」と捉えた。彼は、鶯丸に許可を得ると──大包平には「大包平さんのおかげで小さい子が集まります」とだけ言った──普段から目をかけている短刀達に誘いをかけた。声を掛けられた小さい者達の中でも、特に面白がった今剣と愛染の働きにより、イマジナリー大包平劇場の存在が本丸中に知れ渡るようになる。
 そしてついに第四週の折、審神者が平野に端末を託し、鶯丸の語りを執務の友のラジオ代わりに聞くようになった。
 このようにして、イマジナリー大包平劇場は広まったのだった。



 大包平が己の心情を省いて事の顛末を語ると、鶴丸は目をぱちくりさせた。それから、色の薄い唇の端を吊り上げた。
「君達は本当に面白いな」
「どこがだ。鶯丸はともかく、俺は許可を出しただけだ」
「そこも面白いんだ。想う相手に自分を語らせて喜ぶなんて、いい趣味をしている」
 ばれている。
 目を逸らした大包平を前に、鶴丸は軽やかに笑った。
「まあ、鶯丸の発想は驚きの玉手箱だからな。惚気があろうとなかろうと、面白いことに変わりはない。精々楽しませてもらうさ」
 鶴丸は顔を別の方へ向け、片手を振った。見れば、鶯丸がこちらへ歩いてくるところだった。
「よっ。君には常々驚かされるな。こんな才能があったとは」
「ただの道楽でも、そう言われて悪い気はしないな」
 鶯丸は薄い笑みと共に肩をすくめる。
「リクエストは受け付けないのか?」
「保証はできんが、聞くだけ聞こうか」
「両手が鋏になったイマジナリー大包平はどうだ」
「鶴丸……お前の口から出たとは思えない、純真すぎる発想だな。驚いたぞ」
「だろ?」
「おい」
 大包平は口を開いた。
「俺の注文は受け付けないのに、他の者の言うことは聞くのか」
「うるさいぞ、大包平。お前が絡んだらイマジナリーじゃなくなるだろう」
「おっと、妬かせちまったか。すまんすまん」
「そういうわけではない。おい!」
 鶴丸は笑い声を上げ、舞うようにくるりと身体を回して松より離れた。そして、おどけたようにお辞儀をする。
「後はお二振ふたり、水入らずでどうぞ。次も楽しみにしてるぜ!」
 鶴丸は、瞬く間に駆け去った。その様はまるで、名を冠する鳥の如しであった。
 大包平は溜め息を吐いた。一方の鶯丸は、変わらぬ飄々とした様子で自室を指さした。
「平野づてで、主より饅頭を頂戴した。食うぞ」
「ああ」
 二振は自室へ戻る。卓袱台の上には茶のための道具一式に、茶碗が二つ。それから、見慣れぬ小包があった。開けてみると、ふっくらとした白い円型が六つ並んでいる。鼻腔をくすぐる香りに微かな甘みと粘り気を感じ、大包平は呟いた。
「薯蕷饅頭か」
「そのようだな。俺も好きな菓子だ」
 鶯丸は棗へ茶杓を差し入れ、細やかな翠を椀へ移す。
「しかし、これは多すぎる。主が俺を大食いだと思うはずがないから、お前も食うものと考えて用意したんだろう。俺の話芸に感謝しろ、大包平」
「そのまま返す。空想とは言え、そもそも俺の名あっての語りだ」
「ふん。まあいいさ」
 話しながらも、鶯丸の手は茶のために淀みなく動いている。
 匙を懐紙で拭い、端へ並べる。湯冷ましを茶碗へ移す。茶筅で湯と抹茶を馴染ませる。
 大包平は、茶筅を操る手を見つめる。竹に添えられた、行儀のいい白い指。返す手首のしなやかさ、滑らかさ。視線は上がっていき、やがて伏せた顔容へと至る。
 茶を点てる鶯丸を見る度、つくづくい剱だと思う。
 造形は言わずもがな、纏う空気に得も言われぬ風情がある。戦に権能に美術に、剱の形は様々なれど、この兄弟分は特に、上位者の権能に通ずる品性に長じていた。軽さの目立つ大らかな言動をする男だが、その根幹には、悠久の時を経て培われた尊き思惟の重みがある。それが時折、言動の節々に現れ、珠玉の艶を放つ。その瞬間が堪らない。
 茶を点てる指先。大包平を諭す口調。屠った敵より刀を引き抜き、束の間伏せる目。
 そんな刹那を目にできると、誰の目にも触れぬよう、箪笥の奥の行李へ大事にしまっておいた宝を、ひっそり覗き見ているような気分になる。そして、同じ頃に生まれ、同じ古備前の流れに属する自分だけが、この剱の真価を理解し、最も味わうことができるのだろうと得意に思う。
 もっとも、そんなことを口にすれば、自惚れ屋だの何だのとやたらと茶化されるのが目に見えている。だから、面と向かって言ったことはない。
「ほらよ」
 程なく茶が仕上がる。差し出された椀を受け取った。
「戴こう」
 二振はしばらく、饅頭と茶を満喫した。それぞれ一口含み、美味いな、などと言い交わした後は、黙って目の前のものを味わった。
 やがて、茶碗と包みが空になると、鶯丸が口を開いた。
「お前はよく飽きずに、架空の自分の話を毎週聞きにくるなあ」
「俺の話を俺が聞いて、何が悪い」
「お前じゃない。イマジナリー大包平だ」
「はいはい。分かってるよ」
 大包平は鼻を鳴らした。
 どうしても、お前の語りが聞きたいから聞いているのだとは言えない大包平なのだった。
「ところで今日の話だが、一つ言わせろ」
「何だ。まだ何か言いたいことがあるのか」
「ああ」
「お前がそこまで粘るとは珍しい。言うだけ言ってみろ」
 やはり、採用するかどうかは別なのか。
 大包平は言った。
「架空の俺とは言え、知らん奴と結ばれる話は聞いていて好かん。そういうのは無しにできないのか」
「ほう」
 鶯丸は片眉を持ち上げた。
「聞かない、という選択肢はないのか」
「無い」
「事実の大包平は小説の大包平より奇なり、だな」
「何とでも言え」
 視線を脇へ逸らす。
「他の奴ならまだしも、お前の口から俺の連れ合いとして別の者の名前が出てくると、二心を疑われている気分になる。やめてくれ」
「つまらない奴だ。夢想の楽しみが分からないのか」
「言ってろ」
 大包平は言った。
「俺が心から惚れた剱は、お前だけだ。他の名は知らん」
 やや、間があった。
 その後に、鶯丸が言った。
「俺は、お前の情刃でいいのか?」
「え」
「え?」
 大包平は顔を戻した。



 後に鶯丸は、この時のことをこう語った。
「『何、だと』と言う顔が、なかなかサマになっていた。次回のイマジナリー大包平を、急遽死神代行にしようかと思ったぞ……何? そんなことを考えている場合じゃない? ははは。まあ、予期せぬことが起こった後だ。混乱している頭など、そんなものさ」











 大包平は頭を抱えた。
 とんでもないことが起こった。いや、とんでもないことに気付いていなかったと言った方が正しいか。
「散々好きだと言ってきただろう!」
「そうは言ってもなあ。閨でのその手の言葉は、もっとやらせろと同じ意味になるもんだ」
「この俺が、そんな汚い方便を使うかッ!」
「声がデカい。このところ修行を終えて少し落ち着いたかと思っていたのに、どうしたんだ」
「どうしたもこうしたも、お前がッ……いや、待て。深呼吸をさせろ」
 丹田を意識して呼吸する。
 その様を、真向かいから鶯丸が見つめてくる。こちらは動揺しているというのに、彼の表情は全くいつもと同じだ。いつもの、柔らかな笑み。
「お前の、俺との関係の認識を聞かせてくれ」
「大包平は大包平だ」
「もっと仔細に」
「……まあ、そうだな。古備前の兄弟分。同時に、肉体の持て余した昂りを慰め合う、そういう間柄だ」
 確かに、最初はそうだったかもしれない。
 行為に至ったきっかけは、初めて重傷を負い、いきり立ってしまった大包平のモノを、鶯丸が鎮めたことにあった。彼は人体を知らない大包平に、その知識を実地で教え込んだのである。
「そのうち、他の手段で精を吐くようになるかと思っていたんだが」
 鶯丸が首を傾けると、アシンメトリーの前髪が余計に顔へかかる。緩やかに波打つ柳葉の髪が、顔の片側を完全に隠し、弧を描く唇へ影を落とす。
 男の、慎ましい色の唇。
 それが低く、秘めやかに嘯く。
「花街の評判も、教えてやったよな。まさか、一度も行っていないのか」
 分かって言っているとしたら、性質たちが悪い。
 大包平は吐き捨てた。
「そんな趣味がありながら、お前との同室を願い出て関係を続けるほど、俺は好色でも暇でもない」
 これからは己一人でどうにかできるだろう。もしくは、花街にでも行くといい。
 確かに、教授を終えた鶯丸はそう言った。
 だが、大包平は情欲を発散するためだけのものに、さして惹かれなかった。ただ、好いた剱と情を交わし、熱を分かち合うという行為は気に入った。
 相手は、鶯丸がいいと思った。当然の帰結だった。
 夜ごとに通いつめ、思いを告げた。同室で過ごしてもいいかと訊ねて、構わないと言われた。
 だから、恋仲になれたと思っていたのだ。
 ──俺の失態だ。こいつの思いを汲んだつもりになっていた。
 大包平は胸中で己を詰る。
 思うところを表に出したがらない奴だからと、余計な気を回したのが仇になった。
「鶯丸。まさかお前、俺がお前を抱くのは、欲求解消のためだと思っていたのか」
「半分はそうだ」
 鶯丸は答えた。
「もう半分は?」
「刷り込みの悲劇を起こしてしまったなあ、と思っていたさ。ハジメテが性癖を作るというのは、人間だけでなく刀も同じなのか……と」
「お前なあ」
 色々言いたいことはあったが、それどころではない。思い違いを解消する方が優先だ。
 大包平は腕を組む。
「これまでを思い返せ。俺は、そこまで欲を持て余していなくとも、お前を求めたことが多かったはずだ」
「そうか? お前が誘ってくる時に、臨戦態勢じゃないことはなかった気がするが」
 ぐっ、と言葉に詰まる。
「それは」
「大包平は、性欲が強いからな」
「あー。まあ、それは多分そうだが」
 他人の性欲など見たことがないので正確には知らないが、恐らく己は欲が強い方なのだろう、とは思っている。周りから漏れ聞こえてくる秘め事の頻度と時間は、どれも自分達より少なかった。
「だが俺は、いつも欲を持て余していたわけじゃなくてだな」
 毎回、お前に欲情していたのだ。
 そう、はっきり言ってやれ。
 大包平は己を鼓舞する。しかし、どうにも言葉が出づらい。鶯丸の冷静な眼差しを意識すると、余計に口がぎこちなくなる。
「俺はお前を思って、その」
 言葉を探す。だが上手い言い回しが出て来ず、しまいには俯いてしまった。
 向かいから、くつくつ、と聞こえてきた。見れば、鶯丸が肩を震わせていた。
「お前は本当に面白い奴だな。何、青くなったり赤くなったりしてるんだ」
 鶯丸は手を伸ばし、大包平の肩を叩いた。
「気にするな。お前とのまぐわいは、初回からなかなかに楽しかったぞ」
 目を細め、満面の笑みで言う。
 楽しかったと聞いて、少々ほっとした。けれど、こちらの問題はまだ何も解決していない。これで気にしないのは無理だ。
 大包平は咳払いをし、居住まいを正した。
「なあ、鶯丸。やり直しをさせてくれないか」
 鶯丸は笑いを収めた。理知的な双眸が、ひたとこちらへ据えられる。
「やり直しか」
「ああ。お前は俺を好きか」
「そうだな」
 鶯丸はあっさりと返した。
 大包平は言う。
「俺は、お前を他にいない対だと思っている。だから、この身が果てるまで、お前と添い遂げたい」
 鶯丸を、正面から見つめる。
「好きだ。俺と契ってくれないか」
 少し下手に出たのは、これまできちんと気持ちを確認せず無体を働いてしまったという、負い目からだった。鶯丸はずっと負担の大きい受け手側をしてきたのだ。本刃は楽しかったと言っているが、きっと苦しませてしまっただろう。大包平は、真っ当に彼を愛したかった。
「契る、か」
 鶯丸は、ふ、と笑みを漏らした。
「急に大きく出たな」
「急でも大きくもない。お前に上手く伝えられていなかったのは本当に申し訳なかったが、俺はずっとお前のことをそのくらい大切に思っていた。その気持ちは、今も変わらない」
「そうか」
 鶯丸の眼差しが、つと脇へ滑った。
「少し、考えさせてくれ」







◇◇◇



 鶯丸は、その本丸が始まってより、決して早くはないが遅くもない、そこそこの頃合いにやって来た刀だった。
 彼に本丸生活の手解きをしたのは、平野藤四郎である。この短刀は、今世の主が初めて鍛えた刀なのだということだった。
「お待ちしておりました。このような形でお会いできて、光栄です」
 礼服の似合う利発な面差しをした少年は、はにかむように笑った。
 本丸を案内されながら、たくさんの刀と言葉を交わした。短刀と打刀が多く、脇差、太刀、大太刀も少しいた。見知った顔も初めて見る顔も、皆、鶯丸を歓迎した。
 初めての食事の時。鶯丸は、改めて食事のために食堂へ集まった者達を眺めた。刀は、部隊を五つ組んでも端数が出るほどいた。
「随分いるな」
 鶯丸の隣には、食事の介助のために平野がついていた。
「すみません。少し、賑やかすぎますか」
 平野は鶯丸の言葉を、案じるような顔つきで受け取った。
「顕現したての刀は、人酔いすることがあるそうです。人の身に慣れれば何ともなくなるそうですが。今日は、別室で召し上がりますか?」
「いや、構わん。嫌なわけではない」
 自分は静かな環境を好むらしい、と鶯丸は知っている。
 食事前に、自分の個室で一人過ごす時間があった。季節は夏。慣れない人の身に、開け放した障子の向こうから蝉しぐれが染み渡る。そのような夏の静寂は、ただの刀であった頃から、魂に刻まれていた。肌に残っていた声のざわめきが失せ、風物のささやかな音の揺らぎに浸る肉体の変化を、鶯丸はつぶさに観察した。
 刀身のみであった頃から、静寂は鶯丸と切って切り離せぬ関係にあった。そのために、静かな環境を好むのかもしれない。馴染みすぎて何とも思っていなかったが、そういうことらしい。
 だからと言って、男士の賑わいや、彼らと語らう時間が苦痛なわけでなかった。ただ、談笑する刀達が、何だか眩いだけだ。
「これだけ刀がいるなら、俺の仕事は少なくて済むのだろうな」
「残念ながら、そうは参りません」
 平野はかぶりを振った。
「歴史修正主義者の出没する座標の数は、僕らの部隊数を遥かに超えます。刀身も人の身も、手入れなしに酷使すれば、いずれ壊れます。だから、皆が代わる代わる、戦場へ出る必要があるのです」
「大包平が喜びそうだな」
 ふと口を突いたのは、同郷の刀の名だった。
 日本刀の美の結晶、大包平。
 それでいながら己と異なり、武の心にも秀で、まっすぐな気性の刀だった。刀剣としての在り方への理想が高いために、時折妙な空回り方をすることもあるが、根は慈しみ深い忠義者である。きっとこの本丸へやってくれば、面白がられて愛されるだろうと思った。
 平野は急な第三者の名に目を丸くしたものの、すぐに細めた。
「大包平様も、いずれいらしてくださるといいのですが。とにかく今現在、この本丸の太刀は、鶯丸様を含めて五振のみ。どうか、お力をお貸しください」
「あまり、そういうのは得意じゃないが……まあ、任されたことくらいはできるよう、努力しよう」
 平野の言葉通り、鶯丸はすぐに戦場へ出された。
 剣戟や鬨の声に包まれるのは、いつぶりだろう。鶯丸は長い間、家屋や往来より聞こえる語り物や、絵巻、書物に近しい生活を送っていた。だから、軍記物ではない、実際の合戦場に身を置くと、文字通り命を燃やすほどに濃い情念のぶつかり合いにあてられて、軽い眩暈を覚えた。
 それでも刀としての本能は、かつて浴びた血の熱さや、狩りの仕方を記憶していた。さらに、刀剣の付喪神のさがは人間に似て、武勇に惹かれるよう出来ているらしい。
 鶯丸は他の刀と共に、敵を屠った。出陣先が難度の低い戦場だったこともあって、戦闘には苦労しなかった。
 しかし、戦の後の返り血には辟易した。肌に纏わりつく温さが気に障る。次第に温度が消えていく感覚も気持ち悪い。乾いたら乾いたで、べたついて嫌だ。
 だが、共に出陣した刀剣達は、そういうことが気にならないのらしかった。
「やっぱり刀は、戦ってなんぼだな」
 兜割の剛刀、同田貫は満足そうにしている。それに頷く和泉守兼定は、幕末志士に振るわれた刀だ。
「おうよ。戦場で生きてこそ、刀の生き様を追い求められるってもんさ」
「拙僧の筋肉が呼吸している」
 彼らとは違った内容で笑みを浮かべているのは、山伏国広。修行の道を邁進する刀である。
 三振は自分同様、遡行軍の返り血を浴びている。しかし鶯丸は、彼らの姿を決して不快には感じなかった。とにかく眩くて、目を細めてしまう。
「大包平と気が合いそうだな」
 呟くと、三振はこちらを向いた。
「あ?」
「古備前の名刀であるな。お会いしたことはないが、高名はかねがね」
「何だぁ、爺さん。寂しいのか? 俺だって、格好良さならそのオーカネヒラといい勝負だろ」
 三者三様の反応が返ってくる。鶯丸は口元を緩めた。
 本丸でも戦場でも、そんな調子だったせいだろうか。鶯丸はすぐ、仲間達から「大包平を待ち望んでいる刀」として認識されるようになった。
 待ち望んでいるかどうかは分からないが、恐らく間違ってはいないのだろう。奴が来れば面白いだろうと思うのは本当だ。だから、そのままにしておいた。寧ろ、これ幸いと大包平の話をしまくった。
 大包平なら先程の戦で俺が留まったところを、一歩出て斬り込んだだろうな。多少の危険ならば、たとえ自分が傷つくことが分かっていても、怯まない。武勇や仲間のために命を張ろうとするような、いじらしい馬鹿だから。
 大包平なら、余り物総菜合戦に進んで参加するだろう。あいつはやたらとご立派な図体をしているんだ。並の飯の量では満足しない。だが、短刀には副菜を譲るだろうな。我が強いように見えて、そうとも限らない奴なんだ。意地汚いところは一切ない。
 大包平ならきっと、馬に懐かれる。あいつはいつでも自然体だから、動物や小さき者と接するのが上手いんだ。ヤツを永年馬当番に任命するよう、主に進言しよう。
 あの刀がここで生活する様を想像して口にするのは、楽しかった。本丸の刀剣達は鶯丸の話を聞き、まだやって来ない大包平のキャラクターを把握して親しんだ。そして鶯丸もまた、新たな居住地に溶け込んでいった。
 戦、遠征、演練、内番。本丸には仕事が山ほどあって、鶯丸を放っておいてはくれない。それらを鶯丸は、大包平の夢想と共にやり過ごした。日常に大包平を見出すのは、呼吸をすることと同じだった。
 唯一ゆったりと過ごせるのは、外出の無い日の八つ時である。特に、週に一度平野と過ごす茶の時間は、実に懐かしい静寂に満ちていた。
 ある時、茶を飲みながら鶯丸は言った。
「ここは忙しないな。もっと、ただただ過ぎ行く時を楽しむ余裕があってもいいと思わないか」
 平野は微笑んだ。
「そうですね。でも僕は、大変な時があるほど、ここで頂くお茶がかけがえのないものに感じられるので、嫌いではありません。勿論、鶯丸様の淹れてくださるお茶は、いつ飲んでも美味しいのですけれど」
 ソツのないことを言う。鶯丸の口元に、自然と笑みが零れた。
「真面目だな。平野は理想の弟のようだ」
「えっ。そんな、畏れ多いです」
 平野は慌てふためいた。その様子が面白くて、鶯丸はさらに重ねて言う。
「大包平にも見習ってほしいくらいだ。奴だったらきっと、『与えられた仕事より茶を欲しがるんじゃない、お前は何の付喪神だ』と文句を言っただろうさ」
「そうでしょうか」
 平野は首を傾げる。ああ、と鶯丸は頷いた。
 鶯丸の中の大包平は、いつも文句を言う。やれさっさと起きろ、そんなに戦に及び腰になるな、もっと鍛錬しろ、などとうるさい。だが鶯丸は鶯丸なので、脳内の大包平には、顕現もしていない奴が意見するなと言い放ち、無視している。
「僕は大包平様にお会いしたことがないので、もし今から言うことが、本当の大包平様と違ったら申し訳ないのですが」
 平野はそう前置いて、話を続ける。
「大包平様はきっと、鶯丸様の楽しみを損なうようなことは仰らないのではないかと思います」
「ふぅん。何故そう思う」
「鶯丸様からお聞きしている大包平様は、よく周りを見ることのできる、他刃思いの方のように感じられました」
 そう言いながら、短刀は大きな双眸を眇めた。
「だからこういう場合、鶯丸様の素敵なところを守りたい、と思われるのが自然なのではないでしょうか。鶯丸様のお茶を頂く権利と引き換えに、お仕事を代わってくださるような気さえします」
 鶯丸は、瞬きをした。
 ──何を言っているんだ。
 自分は、そんな大包平を話しただろうか。大体、今の話のどこに素敵なところがあったんだ。
 黙っているこちらを、怒っていると思ったのだろうか。平野はしゅんと項垂れた。
「出過ぎたこと言ってしまい、申し訳ありません」
「ああ、いや違う。平野は面白いことを言うなと思っていただけだ」
 鶯丸はすぐ顔へ笑みを浮かべた。
「そんなことより、今日の茶はどうだ」
「え? 甘みが強くて……先週のものより、後味が瑞々しいように思います」
「さすがだな。実は新しい茶葉なんだ。淹れ方も少し工夫していて──」
 鶯丸は茶箪笥から茶葉を引っ張り出してきて、平野に語る。素直な少年は、にこにこと相槌を打ってくれる。
 ──鶯丸お前、俺のことを言えたものか。
 頭の片隅で、尊大な顔面が文句を言う。
 だがその顔が、今は上手く像を結ばない。声も、風呂場の向こうから聞こえるように、ぼやけている。
 ──大包平。お前はどんな顔つきで、どんな声をしていただろう。
 鶯丸はこの日、初めて大包平に会いたいと思った。







◆◆◆



「大包平は言った。『フッハハハハ、馬鹿め! 貴様の脚力でこの大包平相手に勝機を見出すなど、思い上がり甚だしいわ!』──圧倒的暴力! 大包平の操る車椅子は、正面から突撃してきた口裂け女を轢き殺した。その余波でやはり穢土は受胎したが、まあ細かいことは気にするな。穢土が魑魅魍魎の跋扈する黄土の荒野となっても、大包平は生きている。大包平を創造主とし、世界はふっくらカステラに生まれ変わった。大包平はアダムとイヴの代わりに、仲の良い鼠の双子を始祖に据えた。そして、魑魅魍魎も交えて皆で大きなカステラを焼いて食べ、森で仲良く暮らしたとさ。めでたしめでたし」
 拍手が沸き起こった。
 今週もまた暇な剱が集まり、鶯丸の話を聞いていた。
 そのうちの一振、太鼓鐘貞宗は目を輝かせている。
「やっぱり、倶利と伽羅は世界を救うんだ。俺もいっちょ、そういう感じのあだ名でも作ろうかな。なあ、伽羅」
「今その名で呼ぶな」
 大俱利伽羅は背を向けた。すたすたと歩き出す打刀の背中を、太鼓鐘が追いかける。
「待てよぉ。倶利と伽羅の自己犠牲のくだりで泣きそうになるのはしょうがねえよ。気にするなって!」
「泣いていない」
 ありがとうな、と鶯丸に向けて叫びながら太鼓鐘が遠ざかる。
 短刀を中心とした剱達が鶯丸を囲んで喋っているのを、大包平は庭の松の傍で見ている。その隣には、偶然通りかかった流れで劇場を最後まで鑑賞してしまった同田貫と陸奥守が佇んでいた。
「捏造が凄ぇ」
「本刃の目の前で、ようこんな無茶苦茶言えるもんじゃの」
 どちらも呆気に取られているようだった。
 陸奥守が大包平を見上げる。
「おまさん、ええんか?」
「構わん」
 大包平は答えた。
「外で嘘八百を触れ回るわけでもないんだ。架空の俺の与太話で、この本丸の者が楽しく過ごせるなら、名を貸した甲斐があったというものだ」
「がははは! まっこと、でっかい男じゃのう。よっ、横綱ッ」
 陸奥守は大包平の腕をばしばしと叩く。
 一方、同田貫は鶯丸の方を眺めている。珍しいものを見るような目だ、と大包平は思った。
「爺さんも、前より随分生き物らしくなったな」
「生き物らしい?」
「何つったらいいんだ。いきいきしてるって言うの?」
 同田貫がこちらへ首を回した。
「話したことなかったか。俺は、鶯丸とほぼ同じ時期にここへ来たんだ。だから、練度上げの頃からよく同部隊で出陣した」
「その頃は、今と様子が違ったのか」
 大包平が訊ねると、同田貫は頭を掻いた。
「俺は、人形みたいだなって思ってたよ」
 愛想がないわけではない。話しかければ和やかに応じる。自我も当然ある。
 だが、ついぞ大きく表情を崩すことはなかった。本丸では勿論、戦の最中さえ柔らかな表情を崩さず、声を荒げることがない。いつも麗しい声で、歌うように話す。
「そのくせ、誉は容赦なくぶん獲っていきやがる。張り合いがあって良かったけど、普段の様子と比べて不思議な気がしたわ」
 だから、製作者に仕組まれた仕事を着実に成し遂げ、設定された態度しか表さぬ、人形のようだと感じていた。
「あー。ちっくと分かる」
 陸奥守が同意する。大包平は首を傾げた。
「今だって似たようなものだろう」
「いや。今の方が感情あるぜ」
「そうか」
「自分の話を一切せん刀じゃった。おまさんのことばっかり話しちょったぜよ」
「俺が来てからもそうだっただろう」
 最近は減ったが。
 大包平が言うと、陸奥守は笑顔でかぶりを振った。
「まあ、あんまりわしらと様子の違う器量良しやき。わしらが変に気後れしちょっただけかもしれんがの」
「顔は関係あるか?」
「わしらもげに美男子やきのう。がはは!」
「つーか、平安に生まれた刀って、生きてる時間が違う感じがあるよな。俺らより、ちょっと遠くを見てるような気がする」
 でも、と同田貫は大包平に詰め寄る。
「あんたは不思議と、そういう感じがあんまりしねえんだよな。何でだ?」
「そうやにゃあ。どういてじゃろう」
 打刀二振はまじまじと大包平を眺める。
「知らん」
 大包平はさせたいようにさせておく。
 少し待つと、陸奥守がはっと我に返ったような顔になった。
「いかん。厨で次郎太刀が待っちょる」
「ああ。そろそろいい頃だ」
 同田貫は地面に置いてあった莢豌豆の籠を掴む。
「じゃあな。また飲もうぜ」
「ああ」
 二振はそれぞれ籠を抱えて去っていった。
 いつの間にか、他の聴衆がいなくなっている。大包平は縁側へ向かう。そこには、座布団を敷いて鶯丸が腰かけていた。双眸は、歩み寄る大包平へ注がれているようだった。
「話はもう終わったのか」
「ああ。ただの世間話だ」
 そうか、と鶯丸は言った。
 口の端はゆるりと持ち上がっている。見慣れた形だ。
 ──本当に話を聞きたいのは、お前の方なんだが。
 そう言いたくなるのをぐっと堪え、隣に座る。
 先週、鶯丸に契りを交わして欲しいと言った。返事は、少し時間をくれというものだった。
 大包平は今、その意思を尊重して待っている。けれど、一向に続きを切り出す気配はない。
 ──本当は、自分に合わせているだけなのではないか。
 ──いや、鶯丸が俺を好いているのは確実なはずだ。
 大包平はこのところ、そんな疑念と確信の往復をずっと繰り返していた。鶯丸が大包平の観察をしているように、大包平もまた鶯丸を見つめて長い。周りから見て変化のない顔、些細な会話の流れでも、そこにある心を読み取る癖がついていた。
 その癖が、鶯丸は大包平を憎くは思っていないと告げている。しかし、こうも煮え切らない態度が続いていると、その判断を疑いたくもなる。
「ところで大包平。お前の下の刀身は、ちゃんと抜けているか」
 さらにそこへ、鶯丸のこのような言葉が加わるのだ。なおさら自信が揺らぐ。
 大包平は溜め息を吐いた。
「その言い方をやめろ」
「昨日のお前の注文を汲んでやったのに、まだ駄目なのか。我が儘な奴だな」
「分かった、言い直すぞ。シモの話ばかり振るな」
「つれないことを言うなよ」
 肩に、しなやかな重みが加わった。首筋に細い髪が触れ、左半身に温もりが添う。
 大包平は隣を見下ろす。もたれ掛かった鶯丸が、笑みと共に見つめ返してきた。
 驚いた。これまで、部屋の外でこのような真似をされたことはなかった。
「俺達の相性を忘れたか。一度結びついてしまえば、比翼の鳥や連理の枝が羞じらうほど一体となり、離れないようだっただろう?」
「それはそうだが」
「ここは否定しろ。馬鹿みたいじゃないか」
「事実を否定してどうする」
「あーあ。お前のせいで、俺達二振とも馬鹿確定だ」
「お前は一体、俺に何を言わせたいんだ──ッおい」
 するり、と、腕に腕が絡みつく。胴の脇より滑り込んだ手が、一瞬腿へ触れた。付け根の近くを柔く撫でるようにして過ぎ、指へ指を這わせながら握り込む。
 その感触に、ざわ、と躰の芯が燃える。
 大包平は鶯丸の腕を引き、立ち上がった。部屋へ連れ込み障子をぴしゃりと閉じて、男の両肩を掴む。
 白皙は、挑発的な笑みを浮かべていた。その強気に細まった眦に噛みついてやりたくなるのを、意思で抑え込む。
「昨日も言っただろう」
 絞り出した声は、意図せず獣の唸るようになった。
「俺は、お前が返事をくれるまで何もしない、と」
「お前はいつの時代の刀だ。最近の価値観に染まりすぎていやしないか」
 鶯丸は飄々と返した。
「社会通念は振り子のように振れるものだ。享楽と禁欲、一夫多妻と一夫一婦、同性愛の浪漫と異性愛の信仰、家の婚姻と自由恋愛。どの時代の者も立派な能書きを垂れるが、結局は孤独を癒し、何者かと連帯感さえ持てれば何でもいい、と腹の底で考えているところがあるのさ。時が流れれば、どうせ良しとする形は変わる。いくらヒトの社会で生きる付喪神とは言え、その時代の美徳に合わせることはない」
「俺がいつ、時代を気にした」
 大包平は眉根を寄せる。鶯丸は片眉を持ち上げた。
「違うのか。てっきり、多くの人に愛されそうな生き様でも模索しているものと思ったが」
「俺は俺を頼る者に報いたいとは思うが、媚びる気はさらさらない。俺は俺の在り方を貫く。それで離れる者がいるなら、好きにさせればいい」
「立派になったな、大包平」
 鶯丸は笑みを深める。顔つきと言葉は褒めているようだが、眉の形は吊り上がったまま。きっと、別の意図で言っているのだろう。
「する気がないなら、一時でも部屋を分けないか」
「嫌だ」
 大包平は即答した。
「何で」
「お前を一晩でも離したくない」
「生殺しだな」
 鶯丸は苦笑する。
 大包平の手に力が籠る。
「なら、返事をしろ」
「まあ待て。焦るな」
「言っていることが滅茶苦茶だぞ」
 ──こいつは本当に、何を考えているんだ。
 大包平は考える。







◇◇◇



 鶯丸が本丸へやってきて、二年の月日が経った。
 物であった頃は、漫然と過ぎていく時間を気に留めもしなかった。けれど、人の身を得、物思いを自覚した鶯丸は、時の厄介さを理解するようになっていた。
 人間が作った言葉に、一日千秋というものがある。昔は大袈裟な物言いをするものだと思ったが、実際人の身を得てみると、同じ一日にも長く感じる時と短く感じる時があると知った。そして、過ぎ去って欲しくない時ほどあっという間に去り、まんじりともしない時ほど、変化のない滞留が耐えがたく感じるということを実感した。
「お主は斬り合いの最中より、拾得した刀を見る時の方が熱い目をする」
 合戦場で、敵の取り落とした太刀を拾う鶯丸に、そう声を掛けたのは三日月宗近だった。
 鶯丸は肩をすくめる。
「そういう性分なんだ。気にするな」
「ふむ」
 三日月は袖で口元を覆う。完全に袖が顔半分を隠す直前、その唇が弧を描いているのを、鶯丸は見つけていた。
「不器用な鶯よな。春を乞うなら、もっと囀ればいいものを」
「俺の名乗り口上を、もう一度聞かせてやろうか」
「はっはっは」
 鶯丸は、取った陣形のまま離れた位置に立つ隊員らに向け、声を張り上げる。
「任務は完了した。帰還する」
 時空転移装置を起動させ、然るべき時へ帰る。
 時の流れから降り立ち、鶯丸は僅かに首を傾げた。まだ正門にいるのに、本丸からざわめきが聞こえてくる。興奮気味の声がするのは大抵夕飯時のはずだが、と思い、装置の時刻を確認する。まだ八つ時にもなっていない。
 鶯丸達は敷地へ足を踏み入れる。まずは近侍と審神者に帰還報告だ。
 玄関を開ける。すると、ちょうど草履に足を入れようとしている歌仙兼定の姿があった。
 打刀は部隊の姿を認めると、草履へ置いていた爪先を板間へと戻した。自分達を迎えようとしていたらしい、と察する。
「皆、お帰り。無事で何よりだ。大浴場の掃除が終わった頃合いだから、良かったら使ってくれ」
 束の間相好を崩したかと思うと、今度は真剣な顔で鶯丸に向き直った。
「鶯丸、待っていたよ。主のところへ行こう」
「何だ。今の出陣に問題があったか」
 今日の近侍は彼だ。それが玄関まで自分達を迎えに来たとなると、何か己の気付かない異変があったかと我が身を振り返ってしまう。
 歌仙は首を横に振った。
「違うんだ」
 ならいいか。
 鶯丸は靴を脱ぐ。膝をついて履き物の向きを揃える間に、頭上から歌仙の声が降ってくる。
「通達があった。大包平が実装される」
 息が止まる。靴へ添えていた手も、一瞬動きを忘れた。
 ──顔を俯けた時で良かった。
 鶯丸は思う。旋毛の辺りに、部隊の面々の視線を感じていた。
「主は更なる戦力拡充を望んでいる。縁のある刀剣の出陣は拡充に有効と看做し、貴殿を中心とした隊編成案を練りたいとのことだ」
 小さく息を吐く。
「拝命しよう」
 立ち上がる時には、いつもの顔を取り戻していた。



 審神者に小判を蓄える癖があって良かった。億劫でも出陣を続け、練度を上げておいて良かった。趣味に合わぬことでも、やってみるものだ。
 果たして、大包平はやって来た。
 いざ前にしてしまえば、大包平は忘れようがないほどに大包平だった。男なら誰しも一度はこうなりたいと夢見る、華麗にして屈強な、堂々たる美丈夫。何事にもよく取り組む、実直な努力家。天賦の武才を持ち、さらに物の情趣を解する審美眼まで備えている。尊大な態度を取ることもあるが、それは本刃の努力と、あまり功に恵まれず、良き刀剣としての方向性に迷う苦悩の裏返しだ。その難点さえ、こいつを親しみやすく感じさせるのに必要な要素だったのではないか。鶯丸はそんなことを考えた。
 予想通り大包平は歓迎され、早々に馴染んだ。鶯丸があらかじめ散々話していたから、というのも多少は関係があるだろうが、何より、本刃が素直な働き者で、かつ分かりやすい性格なのが大きかったのだろう。
 大包平は、瞬く間に本丸で語り継がれることになる数々のエピソードを作り上げた。
 顕現二日目。五虎退が大量の薪を抱えているのを見て、手伝おうと薪を奪ったが、その矢先に足下をうろついた虎を回避しようとして盛大にこける。この件の後、大包平は薪を運ぶ鍛錬を一週間ほど続けた。
 顕現三日目。初めて畑当番をする。堆肥を嫌がらず率先して撒き、植物、収穫物、どちらにも細心の注意を払って接する姿が、畑番長こと燭台切光忠の胸を打つ。後に燭台切は「畑のニューホープがやって来た」と語っている。
 顕現七日目。夕食時、三日月宗近に絡み、天下五剣なのに飯を食うのが遅いといちゃもんをつける。この日の夕飯は、三日月がフォークを用いて食べるのを苦手とする、スパゲッティパスタであった。三日月が「俺は大包平のように、スパゲッティを上手く巻くことができなくてな」と言ったために、大包平が三日月のスパゲッティをひたすらフォークで一口サイズに分けて巻いてみせるという光景が繰り広げられる。最終的に、三日月の皿は仏頭のようになった。三日月は嬉々として螺髪の如きスパゲッティを口に運び、大包平は満足そうに自分の席に戻った。この件により、向かいで見ていた鶴丸国永が腹筋に軽傷を負い、手入れ部屋送りとなった。
 顕現十日目。新参部隊に入って維新の戦場へ連続で出陣。一番練度が低かったにも関わらず、誉を総取りする。戦の好きな刀達が、成長した大包平と手合わせするのを楽しみにし始める。
 顕現十二日目。初めて厨当番をする。厨番長こと歌仙兼定より、新刃としては十振ぶりの「優」の評価を頂く。本刃は「当然だ」とコメントした。畑の燭台切、厨の歌仙の評価を得たことにより、骨喰藤四郎が大包平に「本丸の胃袋を掴みし者」の称号を与える。なお、堀川国広はこの日の前日までの間に、当番でもない大包平が幾度か台所の手伝いに来たと笑顔で語っている。
 これ以降も、大包平は本丸でエピソードを作っていった。その様を鶯丸は観察し、時には他の刀から情報を集め、記録した。たまに失敗することもあったが、大包平が本丸で真面目に、積極的に働いたことに変わりはなかった。
 鶯丸の思い描いた通り──いや、それ以上に、大包平は生き生きと過ごしていた。その様子を眺めていると、鶯丸の胸を、これまで感じたことのない温かな光が照らすのだった。
 天下の名立たる刀剣五振のうちの一つになれなかった。それが何だろう。
 天下五剣は天下五剣で、素晴らしい者達だ。その一方で、大包平はそのままで十分な価値がある。彼の能力が、意志が、これほどに周りの心を動かす。古い逸話を持たずとも、今から作り上げるだけの才覚があるのだ。不足などない。
「称号など、気にしなくてもいいだろう。お前には、戦う付喪神として十分な才があるのだから」
 一度、大包平にそう言ったことがある。
 この本丸には、新刃は特付になるまでゆかりのある刀剣のもとで寝起きすべしという決まりがあった。
 大包平は当初、鶯丸の部屋に仮住まいしていた。そのため、夜に床を並べて、二振きりでそんな話をする機会にも恵まれたのだった。
「才覚があるのは当然だ。俺は輝政公に見出されたのだからな」
 大包平は寝床の上に胡坐をかき、胸を張る。片腕を突いて横向きに寝そべる鶯丸は、そんな兄弟分を見上げて、こうして見ると余計に尊大に見えるなあ、などと考えた。
 鶯丸が仰ぐ目の前で、精悍な顔立ちが曇る。
「しかし、大衆は違う。俺はもっと知られて、評価されて当然の刀のはずなのに、分かってくれない。物事を語るのに、その物をしっかりと見て述べるのではなく、称号と逸話ばかり気にする。世の中はまひんがっ──」
 鶯丸は手を伸ばし、大包平の頬を引っ張った。声が間抜けに歪み、つい噴き出してしまう。
「こら、鶯!」
 大包平は鶯丸の手を掴み、眉を吊り上げた。
「急に何をする! 俺は、真剣に世の中を憂いているのだぞッ」
「お前は、本っ当に馬鹿だな」
「馬鹿と言う方が馬鹿だ。おいやめろ、つつくな」
 鶯丸は拘束されていた手を解き、その指で兄弟分の頬や肩、腹などをつつく。その度に大包平は、やめさせようと大袈裟に反応する。だが、まだ練度が低いせいなのか、鶯丸のちょっかいを全く防げない。一瞬遅れて指の残像を掴もうとする様が面白くて、鶯丸は声を上げて笑う。
「おい、いい加減にしろ!」
「真に名刀なら、市井の者がどう言ったって名刀だろう。お前の言う憂いは、歌会で張り切って作った歌がウケなくていじけている公家のようだぞ」
「いじけてなどいないっ」
「なら、何と言われようといいじゃないか」
 鶯丸は、大包平の頭に手を乗せた。大包平は一瞬振り払おうとしたが、乗せられた手が存外優しく頭を撫でるのに気付いて、ぴたりと動きを止めた。
 大包平の髪は己のものより硬く、芯が太い。まっすぐな髪質だからか、指通りが良くて心地良かった。
「お前はそのままでいい」
 こちらを見下ろしてくる驚いたような瞳を見つめて、鶯丸は言い聞かせた。
「単純なお前のことだから、とにかく多くの者に認められた方が嬉しいんだろう。けど、これよりどれほど時が流れ、世の価値観がどう変わろうと……ここにいる一振だけは、お前がずっとそのままであれば十分だと思っているのを忘れるな」
 腕が疲れてきた。撫でる箇所を顔へ移す。凛々しい眉。形の良い目元。通った鼻筋。
 引き締まった頬を撫でながら、ああ、本当に大包平がいる、としみじみ思う。
 ──まずいな。
 胸に、熱い塊が込み上げてきた。鶯丸は速やかに大包平の顎へ手を移し、こしょこしょとくすぐる。
「よしよし。大人しく撫でさせて、可愛い大包平だ」
「なっ……! 珍しく真面目に話したかと思ったら、何だその物言いはッ」
「うるさい。夜中に吼えるんじゃない。近所迷惑だ」
「俺は犬じゃないッ」
 大包平は、今度こそ鶯丸の手を掴んだ。掴まれた勢いで、鶯丸は仰向けに転がる。そこへ、手を掴んだままの大包平が覆い被さってきた。
 鶯丸は、ぼんやりと天井を見上げる。
 ──これはなかなかに、贅沢な景色だな。
 視界の中心。結構な面積を、壮麗な顔と厚い身体が占めている。頬や耳のあたりが仄かに赤い。くすぐったからか。怒ったからか。
 大包平は鶯丸に揶揄われる度、いちいちムキになる。そのうち、負荷に耐えかねた血管が千切れたらどうしよう。
 鶯丸は俄かに心配になった。今日はこのくらいにしておいてやろう、と心に決める。
「今にお前に追いついてやる。見ていろ」
 大包平が睨んでくる。鶯丸は双眸を眇めた。
「ふふ。楽しみだな」
 予想していたより、ほんの少しだけ声が弾んだ。
 大包平は上体を起こした。
「寝るぞ。明日も早い」
「ああ」
 明かりを消し、それぞれの布団で横になる。
 暗闇の中で眠りに落ちるのを待っていると、不意に隣から話しかけられた。
「鶯」
 低い声が囁く。
「ここでお前が待っていてくれて、良かった。ありがとう」
「ふん。多少は俺の有り難みが分かったか」
 鶯丸は、頭から掛け布団を被った。
 それ以上言葉を続けたら、喉元まで込み上げた塊が漏れてしまいそうだった。



 大包平はめきめきと成長していった。特付になってからは個室をもらい、そちらで暮らすようになったが、何故か毎日鶯丸のもとを訪ねてきて部屋に居座る。しかも、生活に慣れてきて脳の容量を持て余しているのか、掲示板の予定表を確認した時に、自分の予定だけでなく鶯丸のものも把握しているらしい。そのため、鶯丸が畑にいるべき時間に縁側にいたり、厩にいるべきなのに厨にいたりすると、何やかんやと声を掛けてくる。
「そろそろ出陣だったな。邪魔になるから帰るぞ」
「いつまで馬に握り飯を作っているんだ。当番を手伝ってやるから俺にも握れ」
「お前は午後に極短刀と手合わせだったな……別に、今日は見に行かないからな。畑があるんだ。もしかしたら、花の肥料をやりに周辺を通りかかるかもしれないが」
 このような感じである。
 便利なので、早朝の仕事がない時は朝食を大包平の周辺で取るようになった。うっかり忘れていた行事などを、会話の中で大包平が思い出させてくれるから、なかなか都合がいい。
「大包平殿は、鶯丸殿専属の付き人のようですな」
 とある朝食時。遠征に出る一期一振と偶然食事の時間が被ったので、相席した。最近の大包平をそう形容した一期に、鶯丸は頷いてみせる。
「そうだな。俺が大包平の知名度にどれだけ貢献したか、奴も分かっているんだろう。これからは孝行してもらうさ」
「大包平P殿……」
 ちなみに、「大包平P」は鶯丸が骨喰藤四郎より賜った二つ名である。
「本当に、大包平殿が来てくださって良かったですね」
「お前達が大包平の捕獲に協力してくれたおかげだ」
「捕獲って」
 鶯丸は味噌汁を啜る。
 そうしていて、思い出したことがあった。
「あいつ、また新しいあだ名をもらっていたな」
「ほう。そうなのですか」
「古備前リマインダーと言ったか」
「我が弟ながら、言い得て妙」
 粟田口の長兄は神妙な顔で言った。
 ふと、一期の視線が鶯丸の背後へ流れる。振り返ると、ちょうど朝食の盆を持った大包平がやって来たところだった。
「おはよう、リマインド機能」
「リマインダー殿。おはようございます」
「朝からカロリーの高い真似はよせ。おはよう」
 大包平は邪魔するぞと一言断り、鶯丸の隣へ腰かけた。
「鶯丸。お前は今日、畑当番だったな」
「ああ」
「下草を始末しておいた。だから、すぐに作物の世話を始められる」
「そうか。助かる」
 大包平が箸を持つのを眺めながら訊ねる。
「で。何の茶を所望だ」
「一昨日もらったものだ」
「玉露だな。八つ時に合わせて支度しておく」
 鶯丸は、空になった盆を手に立ち上がった。
「では、行ってくる」
「ああ。精々励め」
 台所に繋がるカウンターへ、食器を片付けに行く。後ろから、大包平と一期の会話が聞こえる。
「一期は遠征だったな。道中気を付けろ」
「ありがとうございます」
 鶯丸が食器を片付ける横で、一期も同様に動く。二振は、連れ立つようにして食堂を後にした。
 やや歩くと、一期一振が口を開いた。
「いやあ。お二振はツーカーの間柄ですな」
「そうか?」
 首を傾げる。
「そう分かっていることばかりでもないぞ」
「大包平P殿が何を仰います」
「Pと言えど全てを把握しているわけじゃない」
 たとえば。大包平は、以前予想していたのより大分鶯丸に甘い。鶯丸に内番が当たっており、自分の仕事が被らない時は、大抵いくばくかの手伝いをする。さすがに戦に関わることこそしないが、それ以外の任務はほぼ大包平が関わってくる。
 正直言って、楽なので有難い。だが、一体何が奴にそんな要らぬ苦労をさせるのだろう、と気になる。
「今日だって、何であいつが早起きして下草の始末をしてくれたのか、分からないんだ」
「それは、あなたの茶を戴くためでは?」
「俺の茶なら、あいつが来た時はいつだって飲ませている。そう特別なものでもない」
「鶯丸殿にとってはそうでも、大包平殿にとってはそうではないのかもしれません」
 一期一振は礼服の胸に手を当てた。
「私達は刀です。刀とは戦の道具だというのが一般的な見解でしょうが、実際はそれだけではありません。乱世においては持ち主の生きるよすがになり、太平の世においては心を潤す美術品になる。そして、武士をはじめとした名族にとっては、権能の象徴にも。我々付喪神の性格は人間の思念や情念に基づく部分を多分に含んでいるために、虚実関わらず天下に広く知れた逸話を含めての来歴に由来を持つと言われます。ですが実際はそれだけでなく、先程申したような──特筆することのない──数多の人間との関わりの中で培われたものが、無意識下の土台として働いているのではないでしょうか」
 鶯丸は隣の太刀を窺う。優しげな横顔は、少し俯きがちだった。
「あなたは私達刀剣の中でも、風物を愛で深める心の豊かな方だと、私は感じています。あなたと過ごしていると、時空を駆けて戦う兵としての自分から離れ、付喪としての自愛を見つめ直すことができる。鶯丸殿の茶にはそのような妙味がある」
 青年姿の付喪神はこちらを向き、微笑んだ。
「──と、弟が申しておりました」
「何だ。平野の言葉を借りたのか」
「よろしければ、今度私もご一緒させていただきたい。茶請けを持参しますから」
「なら、ソース味でないものを頼む」
「おや」
「お前は真面目そうな顔をして、案外突拍子のないものを持ってくる癖がある。いい加減俺も学んだんだ」
「ははは、失敬。前の主の影響ですな」
 一期一振は快活に笑う。
 一期とは、玄関を出た辺りで別れた。今日の遠征部隊は粟田口の刀剣を中心に組まれているようで、正門の辺りに鯰尾や前田などの藤四郎達の姿が見えた。
 畑へ向かいながら、鶯丸は天を仰ぐ。
 ──付喪としての自愛か。
 空は薄ぼんやりと曇っており、何も見えなかった。







◆◆◆



「川上から、どんぶらこどんぶらこと大包平がクロールで近づいてきた。大包平は言った。『この辺りに鬼が住んでいると聞いてやってきた』」
 穏やかな昼下がりに似合う声が、頭の中で木霊する。
 どこか遠くから、水の音がする。
「村人達は、ぜひ鬼を退治して欲しいとせがんだ。大包平は言った。『お前達の願いは分かった。だがそいつは本当に鬼なのか? マピングアリかもしれん。いや、お前達を疑っているわけではない。と言うのも、だ。この村の傍に樹海があるだろう。あの一角が、南米の大森林に秘められた霊域に繋がっているかもしれないという話があってな……』」
 何で突拍子もなく南米なんだ。そして、何故その未確認生物を選んだ。あの辺りなら、もっと有名なものがいるだろう。お前の選択は本当に分からない。
 無性に暑い。審神者が、鶯丸の語りに合わせて景趣を変えたのだろうか。
「……あっ、……ふ」
 おい。急にそんな声を出すな。お前のトンチキ劇場が、昼のメロドラマになるぞ。あれは性に合わないんだ。だから、すぐにチャンネルを変えてくれ。
「おい、リモコンを──」
 声を出した途端、急に意識が現実に引き戻された。
 大包平は自室にいた。辺りは真っ暗だった。縁側に面する障子から透けてくる光が、青い。昼の夢を見ていただけで、どうも今は夜らしい。そう言えば、寝具に入った記憶がある。自分は寝ていたようだ。
 躰が熱い。大包平は視線を下へ向け、瞠目した。
 己の上に鶯丸が跨っていた。寝間着がはだけ、前が露わになっている。月明かりにくっきりと浮き上がる、鎖骨の線。大包平ほどではないがしっかりとついた、滑らかな筋肉の陰影。肌理細やかな白い肌が月影を纏う様は、大理石の彫刻のように美しい。それなのに、跨った箇所で身を擡げる昏い熱塊を目にした途端、清らかな裸身の全てが淫靡に感じられるのだから、不思議だ。
「何、をして」
「何だ。起きてしまったのか」
 鶯丸は笑った。常に涼やかな声が、烟りを吸ったように乱れている。
「すまんな。悪いようにはしないから、寝ていてくれ。ちょっと、お前の如意棒を拝借するだけだから」
 よく見れば、自分の寝間着の前も開いていた。おまけに股間のものが屹立している。
 大包平は飛び起きた。熱が触れ合い、鶯丸の口から切なげな吐息が漏れる。
「そういうわけにいくか。何があった」
「ふふ、言わせるつもりか。悪い趣味だな」
 薄い唇が、嫣然と弧を描く。
「お前がこのところずっとつれないから、一人遊びをしようとしただけだ。だが、隣にこんなにいい玩具が転がってると……堪らなくて」
 熱に浮かされた躰が、しな垂れかかってきた。幾度重ねたか分からない肌は互いを覚えていて、勝手に隙間なく密着できる位置を探り、寄り添ってしまう。鶯丸の両腕が胴へ回り、寝間着の上から背中の筋肉の線をまさぐる。
「お前とこうなる前は、こんなことなかったのになあ」
 熱く湿った呼気。どろりと甘い恨み節が首筋を撫でる。
「どうしようもない躰になってしまった」
 大包平は唾を飲む。
 率直に言って、かなり来る。こんな時でなかったら誘いに乗っていた。
 ──こいつは本当に、腹が立つほど俺を煽るのが上手いな。
 しかも、それに乗って求めてやると、何とも嬉しそうな顔で微笑むのだからいけない。施してやるのが癖になってしまう。
 大包平は溜め息を吐き、耐える。
「……だから、責任を取りたいとずっと言ってるだろ」
「なら、今すぐ抱け」
「お前が俺と契ると約束するならば、すぐにでも抱いてやる」
 鶯丸は、くすくすと笑みを零した。
「結局、色事で落とすのか? 高潔な愛の求婚。二週間の禁欲。そのオチが、欲情を逆手に取っての強請り。お粗末な台本構成だな」
「俺が仕組んだわけじゃない。お前の答えが要領を得ないのが悪い」
 大包平は片手で鶯丸の頤を掴み、こちらを向かせる。眼差しがとろんと溶けてもなお品性を損なわない美貌が、まっすぐに見つめてくる。大包平はその黒い瞳孔の奥に、底知れぬ意思を見る。
「お前の言っていること、やっていることは無茶苦茶だ。お前は俺を好きだと言う。抱けとも乞う。なのに、契りだけは頑なに応じない」
「なあ、大包平。俺達の関係を明確な名前にする必要は、本当にあるのか?」
 鶯丸は言った。
「都合のいい形でいいじゃないか。俺達は道具なんだ。便利に、いいように使って何が悪い」
「なら、道具を使うように俺がお前に命令しても、文句はないな」
 鶯丸の耳に唇を寄せ、大包平は言う。
「いい加減、お前の本当に考えていることを教えろ」







◇◇◇



 大包平がやって来て一年が過ぎた、ある日のことだった。
 初めて大包平が重傷を負った。大包平は練度が最上限に近付こうとしており、他の最高練度に達した刀剣同様、そろそろ後進の教育のため一度前線を離れなければならなかった。その直前、後学にと、特に難度の高い戦場への出陣と交戦を希望した。その結果だった。ただ、重傷にまでなってしまったのは、いくつかの不運が重なった故の事故だったという。
 大包平がこの願いを口にした時、審神者も古参の刀らもやめておけと言った。だが、これまで最高練度に達した刀剣達の願いを必ず一つ叶えてきたという前例、今までの奉公への礼と労い、そして、これが武刃として万が一を覚悟した上での頼みであるということ。そういった諸々を考えてしまえば、強く引き留められる者はいなかった。
 本丸でいくら和やかな生活を送っていようと、彼らは根っからの戦に生きる武者である。現世に留まっているのは、戦のため。強くありたい、自らの限界を見定めたいという破滅と紙一重の願望は、誰しも身に覚えがあった。そして、時にはその願望が任務時に発揮されてしまい、自分どころか仲間の命まで危険にさらすこともあった。それを思えば、大包平の願いは自分一人に完結しているという点で、まだ安全な冒険に思われたのだった。
 大包平は非番に一人遠征を許され、予想される自身の修復資材を蓄えていた。資材は足りた。予測されていた事態だったため、刀剣達の動揺は少なかった。
 大包平が手入れを受けている間、鶯丸は自分の部屋で書物を前に座っていた。本当は読もうとしたのだが、目が文字の上を滑ってしまってどうにもならない。だが、障子を開けて外の景色を眺める気も起きず、部屋でただぼんやりと過ごすのもできなくて、形だけでもいつもの習慣を保つことにしたのだった。
 出掛ける前、大包平は必ず戻ると言っていた。ちゃんと戻ってきた。けれど、鶯丸はまだ落ち着かない。
 ──初の身だと、大包平でさえこれが限界なのか。
 鶯丸は考える。
 今日大包平の行った戦場は、鶯丸よりもっと古い刀達のみが行くことを許される座標だった。彼らは皆、修行に赴き極の力を得ている。
 鶯丸は戦が好きではない。だが、大包平の今回の行動の動機は、何となく理解できており──大包平を失うなんて考えたくもないが──共感もしているところがあった。
 この、終わりのない時空の合戦で、今の現身うつしみはどこまで保つだろう。
 初の練度を最高にしたというのも、十分な区切りだ。今の実力でも十分、ある程度の脅威には対抗できる。今後も任務を遂行できるのは間違いない。
 けれど、いつまでもこの状況に甘んじていていいのだろうか。
 思索の淵に沈んでいるうちに、遠くから慣れた重みの足音が近付いてきた。鶯丸は顔を上げ、障子戸を見つめる。やがてそこがすらりと開いて、大包平が現れた。出掛ける前と何一つ変わらぬ戦装束姿だった。
「初めての重傷はどうだった」
「人体というのは、この形が最も効率がいいのだと知った」
 大包平は顔を顰めていた。不服そうだ。
 仕方ないだろう、と鶯丸は考える。せっかく最高練度まで極めたのに、まだ力不足を突きつけられたのだから。
「それと、損壊した時の危険信号が多すぎる。危険だということは俺自身が重々理解しているのだから、戦闘時に無視しやすい程度にして欲しいものだな」
「痛みの意義を無くそうというのか。今日も馬鹿だな」
「お前も馬鹿だ」
「無事帰ってくれて、良かった」
 ぽつ、と心が零れた。
 大包平は暫時目を瞠る。それから、ばつの悪そうな顔で俯いた。
「我が儘を言って、すまなかった」
「全くだ」
 鶯丸は軽く返した。
「まあ、帰って来たなら良しとしよう」
 今のところは。
 胸に圧し掛かる重たい塊を飲み込む。
 これからも大包平は、自分の実力について悩み続けるだろう。そして、時にはまた、今回のような無茶もするかもしれない。
 時の戦争。歴史。審神者。政府。
 それぞれ比重は異なれど、大事として捉えていないでもない。だが、大包平に比べれば二の次だ。鶯丸は大包平との現世生活に満足している。大包平さえ無事でいるならば、それでいい。
 ──俺にもう少し力があれば、お前を止められるんだが。
 そんなことを考えて、首を振る。今考えたところでどうにもしようがない。それより、せっかく大包平が来たのだ。楽しまないと損である。
 鶯丸は顔を上げた。そして、大包平がまだ閉めた障子戸の傍で突っ立っていることに気付き、眉をひそめた。
「どうした。寛がないのか」
「ああ。まあ、そうさせてもらおうとは思うんだが」
 歯切れが悪い。おまけに目まで泳いでいる。
 何かあるな、と察する。
「何だ。無茶をした自分に罰でも科しているのか」
「本当に、迷惑をかけたと思っている。だが、そうじゃない」
「具合が悪いのか」
「いや。手入れのおかげで、多分問題はない」
「多分?」
 追究すれば、大包平はずかずかとこちらへ歩み寄ってきた。腕を伸ばせば余裕で届くほどの距離。その間合いで、改めて兄弟分を見上げる。
 そして、気付いた。
「大包平。お前、もしかしてこれが気になっているのか」
「ああ」
「自分が顕現してどのくらい経ったか、分かるか」
「一年あまりだな」
「正解は三八八日だ」
「お、おう。そうか」
「……改めて訊くぞ。本当に、こうなったのは初めてなのか」
「ああ」
 大包平は真剣な面持ちで、大きく頷いた。
 鶯丸は両手で顔を覆った。やがて、その肩が小刻みに震え出す。それに気付いたらしい大包平が、慌てた声を上げる。
「す、すまん! 俺は──」
「あっはっはっはっは!」
 鶯丸は我慢できず、卓袱台を叩いて笑った。本刃が深刻な顔をしているから、笑ったら悪い。そう思って堪えようとしたのだが、無理だった。
 案の定、大包平は憤慨した。
「何故笑う!」
「いやあ、すまんすまん。あり得ないことが起こると、こんなにも笑えるものなんだな。俺も初めて知ったよ」
 鶯丸は目尻を拭う。笑いすぎて涙が出ていた。ここまで笑ったことは、長い付喪としての生の中でも、そうそうない。
「触っていいか?」
「触れていいものなのか」
「全く問題ない」
 大包平の許可を得て、鶯丸は手を伸ばす。この男の足は長いから、問題の箇所は自分の顔よりも少し上の辺りにあった。
 指先で撫でる。刹那、大包平が息を詰めた。
「これは勃起だ」
「何」
 大包平は目を丸くして、自分の股座を見下ろした。
 鶯丸が触れるそこは、スラックスが押し上げられていた。ほぼ真上に向けて反り返っているらしい。指で辿って見るに、相当な質量だ。これだから、手入れ部屋からここまで来ても、誰にも見咎められなかったのかもしれない。もしくは、ただの奇跡が起こったか。
「これが、人が情を交わす時に起こるというアレか」
 大包平は、興味深そうに自分の隆起を眺めている。
「人体というものはよく出来ていてな。生命の危機を感じると、生殖機能や願望が活性化することがあるという。お前のこれも、その一例だろう」
「ふむ」
「しかし、やけにその手の話を聞かないと思っていたが……そうか。お前はまだ、人身に精が通っていなかったか」
「おかしいのか?」
「太刀だとあまり聞かないな。だが、個刃差もあると聞く。異常ではないから安心しろ」
 人体に馴染まない刀剣男士のことは、審神者の部屋にある書物を読んで知っていた。
 刀剣男士の中には、三大欲求のいずれか、もしくは全てを欠落した状態で顕現される者がいる。特に注目されがちなのは、人体の強度や命を損なう、食欲と睡眠欲の欠如した個体だ。鶯丸の読んだ書も、その二つの欲を持たない個体の治療について書かれたもののようだった。それによると、このタイプの刀剣は、往々にして刀としての意識や刀身への執着、もしくは神気が強すぎるらしい。
 この本丸の大包平も、その手の一振だろう。顕現して一年あまり、自分の力を磨き、戦果を上げることに注力していた。人の身体を持ちはしたが、意識は刀のみに向いていたわけだ。
 ──こんな立派なモノを持っているのに、この一年使えなかったわけか。
 勿体無いな、なんて思ってしまう自分が俗物くさくて、鶯丸は独り苦笑する。随分現世に慣れたものだ。
 しかし、この状況に気付いてやれなかったのは悪かった。こうして勃ち上がったのだからきっともう平気なのだろうが、そういうことにも目を向けておいてやれば良かったと後悔する。
「大丈夫なのか」
 まだこの現象を完全には理解できていないからか、大包平はどこか不安そうだ。
 本刃は深刻に悩んでいるのだ。そう分かっていても、子犬のような目でこちらを見つめてくるのを、愛しいと思ってしまう己がいる。
 ──落ち着け。駄目だ。
 自らを戒め、頷いてみせる。
「大丈夫だ。こういう時は、子種を吐くと収まる。人間の性交は習ったな」
「ああ」
「生物の例に漏れず、人間も種を残すための行動を進んで行うよう本能が組まれている。男の場合は、ここへ世継ぎを成すための精が定期的に溜まり、吐き出すことを促す。だから」
 鶯丸は掌でスラックスの盛り上がりを包み、緩く上下させる。大包平は顔を顰め、熱い息を吐く。
「生殖に関わる行為には、快さが伴う。これがそうだ。覚えておけ。稀に、その感覚に取り憑かれて、本業を忘れる奴もいる。刀の本分を見失うなよ」
 大包平は頷いた。
 鶯丸は、次いで上を向いた先端の方を指先で引っ掻く。
「もっとも俺達の場合、ここから出るのは子種であって子種にあらず。人体に上手く馴染まなかった霊力の残滓や、斬ったモノから取り込んだ生命力の余剰分。まず再利用のできないものだから、捨てるなり燃やすなり流すなりした方がいい。間違っても人間を含めた生物に渡すな。余計な災いが起きる」
 話しつつ、爪でそっと同じ箇所を擦り続ける。
 じっと、大包平を仰ぎ見る。寄せた眉根や食いしばる口元。稀に漏れる、色香に満ちた唸り声。それらを、一つたりとも逃すまいと観察する。
 ──これは、いけない。
 やめようと主張する意思とは反対に、手は貪欲に動く。どうしても、この男の熱を感じたい。
「ああ、そうだ。霊力が膨大すぎたり交合相手に強い執着を持っていたりする奴なら、自身の神気が多く含まれる精を吐き出すこともある。こっちは、マーキングみたいなものだ。これをうっかり生物に吐き出して、生物でも無機物でもないモノを創り出してしまう者もいると聞く。避妊はマナーだ。忘れるな」
「詳しいな」
 大包平は食いしばった歯の隙間から言う。
「あとお前、遊んでないか」
「バレたか」
「おい」
「嘘だよ。遊んでたわけじゃない。先達からの具体的アドバイスだ」
 我ながら白々しい、と思う。
 最初はちゃんと教授のつもりだった。これは本当だ。
 途中から、観察のための行動がやめられなくなった。
 他の、快楽に浮かされた個体のことを言えない。自分はどうも、大包平のこととなると良識や理性だけでなく、自分の信条さえ揺らぐようだ。
 ──悪い兄弟分ですまんな。
 心の中で詫びる。今後は一切しないから、と胸中で付け足した。
 鶯丸は立ち上がった。爪先を伸ばし、高い位置にある耳殻へ唇を寄せる。
「快かっただろ?」
 小声で言う。鶯丸の手の添えられた肩が、ぴくりと跳ねる。
「こうやって精を吐き出して、熱を鎮めるといい。一振でもできる、簡単な処理だ」
 鶯丸は踵を下ろした。
 改めて、正面に佇む男を見つめる。赤らんだ精悍な顔。まだ上下する、分厚い胸板。
 引き寄せられそうになるのを堪え、背を向けて言う。
「何、最初は皆手探りだ。俺はしばらく席を外すから、やってみるといい」
 鶯丸は障子戸へ向かおうとする。
 だが、出来なかった。背後から、逞しい腕に抱きすくめられたのだ。
「お前も、こうなったことがあるんだな」
 先程の仕返しと言わんばかりに、耳へ艶めいた声音が落ちる。
「その時はどうやって鎮めた」
「どうやって、って」
 鶯丸の身体が強張った。大包平が耳殻を噛んだのだ。それも、口付けを落とすような、優しい強さだった。
 反射的に逃れようとして、自分を包み込む身体がびくともしないのに驚く。
 そうだ。もう、練度が同じなのだった。
「お前には、情を交わす相手がいるのか。または、過去にいたのか?」
 大包平は耳に口を付けたまま喋る。ざらざらした震えが、耳から脳、脊椎から腰にまで至る。
「答えろ、鶯」
 こいつ、こんな器用な力加減ができたのか。
 鶯丸は間の抜けた感心をする。思わず、笑みが零れた。
「何でまた笑うんだ」
 怪訝な声が問う。
「いや、何。まさか、まだ知らない一面があるとは、と思ったんだ」
 こいつは、何を気にしているのだろう。自分へ回された腕を、宥めるように撫でた。
「相手などいないさ。俺の場合は、あらかじめ書や他の刀剣のする噂話から得た知識があった。だから、誰かに相談することも、お前のように見せに行くこともなく、一振ひとりでどうにかした」
 一振で、と大包平が反復する。これまでに聞いたことがないほど、静かな口調だった。
 鶯丸は利き手を掲げ、背後の頭を撫でた。
「どうした。一振でするのは怖いか? お前は変なところで不器用で、驚くほど慎重になるからなあ」
 いつもの揶揄うような調子で言う。馬鹿にするなそんなものどうにかできる、といつものように怒り出すのを、半ば期待していた。
 しかし、そうはならなかった。差し伸べた利き手は捕らえられ、柔らかな感触が手の甲へ落ちる。
「怖いと言ったら、お前はここにいるか」
 声を発するのに合わせて、利き手へ熱い吐息が触れる。
 優しい音に、温もり。だが、このままこれに浸っていたらいけない気がする。そう警鐘を鳴らす誰かがいる。一方、この腕の中にいたいと身を任せようとする誰かもいる。
 鶯丸は、目を落とす。御しやすい子犬が戻ってきてくれないかなあ、などと考える。
「どうだろうなあ」
 言葉は、それしか出てきてくれない。言語野は胸中のせめぎ合いの処理で忙しい。
 こんなはずじゃなかった。
 ──いや、こうなることを期待していた。
 そんな素振り、なかっただろう。
 ──いや、お前が見ないふりをしていただけだ。
 純粋でいじらしい、ちょっと揶揄うだけでムキになって怒る可愛い男を、ただ愛でて構っているのが楽しかったんだ。
 ──確かに、そういう気持ちはあったかもしれない。
 無様に揺れる心を嘲笑うように、でも、と別の誰かが言う。
 でもお前は、これまで散々観察したから分かっているはずだ。こいつは本来、自己不信にさえ苛まれなければ、お前の戯言くらいでは揺るがない男だ。だからお前も、こいつだけは気安く茶化したり揶揄ったりできるんだろう。
 いや。それだけじゃない。
 お前は犬を可愛がる体でこいつを煽りながら、決して自分を噛み殺すことのないその牙を、この身へ立てられるのを望んでいた。
「鶯」
 左手で肩を抱えられ、頬へ添えた右手で優しく横を向かされる。
 いくら見つめても飽きない、美しい男が囁く。
「ずっと好きだった。嫌なら殴れ」
 何かを言う暇も与えられず、唇を塞がれる。
 拒否を許されない強引さより、そうされて安堵する自分に辟易した。



 今思えば、勃起のこと以外は知っていたのだろう。大包平は生殖行為を「情を交わす」と言っていた。そこには、具体的に何をするのかという知識は勿論、生殖に精神的な繋がりを見出す文化が根付いているのが見えた。無駄に理想を追い求めがちなあいつらしい、と鶯丸は考えた。ああ見えて、浪漫主義なところのある奴なのだ。
 己に落とし込んでしまえれば、男士というのは人間の赤子より飲み込みが良い。
 鶯丸は、大包平に抱かれた。このこと自体は、全く構わなかった。決して本刃には打ち明けられないが、あの男振りを想い、その情欲をこの身に沈められることを切望して、己を慰めたことが何度かあったのだから。その負い目が──惚れてしまっているという頭があった故に、奴の色恋への淡白さに安心した。また、奴が誰かに心を傾けてしまうところを見るのが怖くて、その手の話題に踏み込めずにいたところがあった。そう、今の自分には分かっている。
 思い返せば、大包平より自分の方がよほど事態を把握できていなかった。
 ──否。本当の所は、何となく察しがついていた。
 あの男が、生半可な気持ちで「好きだ」と告げるわけがないこと。
 普段から自分より注がれる視線に気付いているだろうこと。
 逆に、彼もまた自分へ視線を注いでいたこと。
 けれど鶯丸は、それを事実だと見なすことができなかった。
 大包平はずっと、己の理想の男だった。
 対して自分には、何もなかった。



 大包平との関係は続いた。
 たとえ気まぐれでも、一時でもいいから、この身に愛する男を刻まれたい。そんな自分本位な欲から躰を繋げたつもりだった。大包平の告白を信じていないわけではなかったけれど、まともに受け取ってしまえば、その思いが誤解だと分かった時に心が生きていける自信がなかった。仮に思いが本当だとしても、過ぎた幸福に胸を塞がれ、息ができなくなる気がした。
 なのに大包平は、初めて繋がった翌日から、連夜通ってきた。一年精を知らなかった──いや知らなかったからこそなのかもしれない──とは思えぬほど盛んに求められ、果てのない情欲をぶつけ合った。遅咲きの春は、狂おしいほど甘美だった。
 日々を共にしたいからと誘われて同室になった。そうして二振で、長い間生活した。
 幸いにして、いつも思いを告げられるのは褥だった。公衆の場で恋刀らしい振る舞いをすることも、関係を明言されることもなかったから、躰だけの関係に注目して過ごした。それでも蜜月が過ぎて、あまりの多幸感と、何物も信じることの出来ない罪悪感で、胸が焼け爛れる気がした。
 だから、修行の話が出た時、受けることにしたのだった。
「どうした。そろそろ出陣なのではなかったか」
 鶯丸が部屋で一服し、さて装束を纏おうかと考えていた矢先。半刻ほど前に出て行った大包平が戻ってきた。
「出陣前に鍛錬しようと思って早めに出たのだが、時間が余ってしまった。それで戻った」
「そうか」
 鶯丸は壁の衣紋掛けのもとへ赴く。どの刀剣にも渡される、画一的な意匠の旅装束。
 行李は、この世ならざる場所を渡るための貢物。
 手紙は、幽と現の媒介たる審神者との縁。
 そして旅装束は、幽かな神気をより強く現世へ結びつけるための依り代。
 どれも、道具の神を更に強力な道具たらしめるための呪具だ。
「行くんだな」
 大包平が呟いた。静謐な口ぶりだった。
 鶯丸は微笑む。
「ああ。せっかくの機会だ。久々に旅を満喫してくるさ」
 男は鼻を鳴らした。鶯丸が修行に行くと言った時も、こんな調子だった。
「さては、部屋に一振が寂しいか」
「少し黙れ」
 背中に気配が近付くのを感じた。
 後ろから詰襟を開かれる。首筋が外気へ翳されたと思いきや、歯が肌へ喰い込んだ。
 鶯丸は呻いた。さすがの自分も、これは予想していなかった。
「何をする。おいたが過ぎるぞ」
「修行を終えたら、これも消えるんだろうか」
 大包平が呟くのを聞き、鶯丸は舌先に乗せようとしていた言葉を引っ込めた。代わりに、自ずと唇に笑みがのぼる。
「さあ。変わるのは俺達の内容でなく、主に神としての装束だと聞くから、残るかもしれない」
「服を変えるだけで実力が変わるものか」
「装束が力や階級となるのは、俺達の時代から変わらんだろう。宮廷は纏う服や色で身分を示し、市井の娘でさえ白無垢を着た後は家の女主人となることもある」
「象徴だな」
「そうだ。俺達はそういうものだ」
 噛まれた肩がじんじんと痛む。指を滑らせてみると、血がついた。
 このままだと衣服に付く。鶯丸は顔を顰め、血を舐めとった。
「思いきり噛みついたな。馬鹿力め」
「いいだろ」
「良くないだろ。俺だからいいが」
「どっちだ」
 大包平が唇を重ねてきた。今度は、そっと啄むような口付けだった。舌を出して応じてやると、角度が深くなる。それでも分厚い舌の触れ方はどこまでも柔らかく、丹念に口の中をなぞって出ていった。
「血の味がする」
「お前が噛んだせいだ」
 鶯丸は、男の顔を眺めてにやりとした。
「ほう。お前が、俺の不在に対してそんな顔をするとは」
「してない」
「安心しろ」
 笑みを深め、高い位置にある頭を抱き寄せてやる。
「人の手で鋼に降ろされ、人の世に生きてきた付喪神とは言え、俺達は元々幽界に属する霊性の物だ。魂まで捧げる気はないし、取られることもない。程々にやるさ」
「まさか、戦にそこまで積極的でないお前まで行くとは思わなかった」
 うなじの辺りへ顔を埋めて、大包平が言う。
 鶯丸は苦笑した。
「今更行くなとぐずる気か? 遅いぞ」
「何故行くんだ」
「軟弱者なのでな」
「鶯」
 背中に回された手の力が強くなる。
 ──これは、きちんと話さないと駄目か。
 鶯丸は深呼吸をした。
「この本丸の主は、あくまで俺達と対等な武人でいる。ここでなら、極めても俺の意のままに生きられると踏んだ。すでに極めて帰ってきた平野も、自分の在り方を深めてきただけだったからな」
 鶯丸は逞しい肩に額を押し付ける。完全に顔を伏せ、寄り添う男にしか聞こえない声で囁く。
「どのような姿になろうと、この鶯のお前への思いは変わらない。忘れてくれるなよ」
 鶯丸は両腕を伸ばして大包平を軽く押すと、さっと旅装束を身につけて部屋を横切った。出て行く直前、呆気に取られる大包平を振り返る。
「じゃあな。くれぐれも無茶な馬鹿は避けるように」
 大包平はきょとんとしていたが、はっと我に返り口を開いた。
「おい、俺の質問に答えていないぞ」
「今答えただろう」
 白銀の双眸が、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。
 あの様子は、考えているな。鶯丸はじっと大包平の表情を観察する。
 ややあって瞳を、瞳孔が全て露わになるほど大きく見開いた。かと思うと、壮麗な顔が急激に沸騰していった。
「お、まえッ……! 鶯、おいっ」
「帰って来たら、こっちも確かめさせてやろう」
 鶯丸はにんまりと笑って、未だに熱を持つ己の肩を指で辿ってみせる。そして縁側へ用意しておいた靴を履いて庭に降り立ち、正門へ向けて歩き始めた。
 背後から、そんな顔で余裕ぶるんじゃないッ、という叫び声が聞こえた。
 耳が熱かった。







◆◆◆



「俺の本当に思うところ、か」
 夜陰の中、鶯丸の顔から蕩けた色が薄らぐ。代わりに、その下から普段の不敵な笑みが覗いた。
「そんなものがあると思うか? 俺は怠惰な刀だからなあ」
「無いと思ったら聞かん」
 大包平は左手で、鶯丸の顔へ落ちた前髪を耳に掛けてやる。そうして、露わになった双眸を見据えた。
「何か考えているだろう」
「ん?」
「お前の癖だ。あれこれと考えて気を回して、そのうちの一割も表へ出さない。俺はお前の、そういう思慮深い、神秘的にも感じられるところも好きだ」
 大包平は頭を垂れ、鶯丸の額と自分のそれをくっつけた。
「でも、今だけは言って欲しい。俺は、お前を幸せにできないような剱でいたくない。お前の思いを知りたい」
「今で充分だと言っても、言わせるのか」
 鶯丸が呟いた。
「勘弁してくれ」
「お前が気持ちを言ってくれないと、そのうち俺は、無理矢理にでもお前に枷を付けようとしてしまうだろうから」
 額を離し、今度はまろいそこへ口付けを落とす。
「お前との関係に名前があって欲しい。俺とお前は二振で一つなのだと、はっきり示したい。ここで添い遂げたい。もし世の終焉が来たとしても……同じ時に死に、共に黄泉路を辿りたい」
 そのために、己と契って欲しい。
 付喪神の契りは、この仮初の身体を失っても解けることがないから。
「お前が俺に惚れてくれているなら、頷いてくれ」
 大包平は俯く男を覗き込む。そして、その表情を読み取ろうと、夜陰に目を凝らした。
 鶯丸は首を深く垂れ、唇を噛み締めていた。泣きそうにも見える。
 泣かせてしまうだろうか。大包平はふと、間近にある鶯丸の耳に目が留まった。
 ふちが赤く染まっている。
「鶯丸」
 その耳へ、そっと息を吹き込む。
「好きだ」
 ふる、と。脱げかけた寝間着を引っ掛けたままの上体が微かに震える。大包平は笑みを浮かべた。
 俯いた顔へ手を伸ばす。頬を掌で、唇を親指でなぞる。鶯丸は一瞬肩を跳ねさせたが、振りほどきはしなかった。
「悪いが、諦めてやれん。お前が俺を憎むことがあったとしても、俺はお前を好きでいるのをやめられそうにないからな」
「…………」
「返事をもらえるまで、何度でも言ってやる。お前が好きだ」
 瞳を瞳で捉えたまま、積年の思いを連ねる。
「お前の声が好きなんだ。使う言葉も好きだ。笑う顔が好きだ。戦い様が好きだ。瞳が好きだ」
 手を鶯色の髪へ差し入れ、指通りを確かめながら整える。
「お前の髪が汗ばんだ時の、しっとりした感触が好きだ。冬のふわふわと舞う様も悪くないな。俺を煽る時の楽しそうな姿が好きだ。散々俺を煽って焦らして優位に立っておきながら、俺に口付けられただけで思いの外感じてしまった時の、悔しそうな顔も愛い。茶を点てている時のお前も、勿論好きだ。堪らない色気がある。それと、戦の時にお前の──」
「待、て。ちょっと、待て」
 下から手が伸びてきて、大包平の口を覆った。やっと顔を上げた鶯丸は、耳のふちから顔、寝間着から零れた肩まで真っ赤だった。
 端麗な双眸が、キッとこちらを睨む。だが、大包平が口を抑えた掌を舌で舐めると、身体全体で跳ね上がって手を離してしまった。
 大包平はにやりと笑う。
「今のその、潤んでいる目も好きだな。お前の目は理知的な美しい形をしていて、勿論普段のそのままも好きなんだが、潤むと途端に艶がいや増してそそられる。ここまで余裕のなさそうなお前を見るのは初めてで、いい。好きだ」
「本当に待ってくれ」
 鶯丸は、利き手で顔の上半分を覆った。湯気が出そうなほど、薄赤く染まった肌。林檎のようなそれを眺め、舐めてやったらいい反応が見られそうだな、などと考える。
 大きく息を吐き、鶯丸は顔を覆っていた手を外した。
「こん……な馬鹿みたいに、好きだ好きだと言う奴があるか。矜持はどうした」
「お前の寵愛が得られるなら、いくらでも捨ててやる。俺の品格はそのくらいでは損なわれないからな」
 大包平は即座に答えた。
「契る気になったか?」
「勘弁してくれ……」
 鶯丸は息切れしたように言い、なまっ白い剥き出しの胸に手を当てる。
「胸が……戦場みたいなんだ」
「なに?」
「心臓が、壊れてしまう」
 大包平は鶯丸の首筋へ手を当て、脈を診る。確かに、いつもより格段に早く脈打っていた。
「何だそれは」
 大包平は小さく噴き出した。
「お前、やっぱり俺が好きなんじゃないか」
「当たり前だ。くそ。こんなはずじゃなかったのに」
 鶯丸は舌打ちをし、立ち上がった。そこで待っているよう大包平に言い、着衣を整えながら茶箪笥の方へ歩いていく。何やら抽斗を開けている後ろ姿を見ながら、大包平も乱れた寝間着を直す。
 鶯丸はすぐに戻ってきた。手には『観察記』と書かれた冊子がある。
「渡すつもりはなかった。でも、どうもうまく喋れそうにないから……まず、これを読んでくれないか」
 鶯丸は冊子を開き、そこから蛇腹に折りたたまれた長方形の紙を取り出す。それを、大包平へ差し出した。
「ちょっと待て。暗いから今、灯りを点ける」
「あんまり点けて欲しくないんだが」
「言ってる場合か」
 大包平は躊躇せず天井の灯りを点けた。部屋が白い光に照らし出されると、鶯丸の気まずそうな俯き顔が見えた。
 差し出された紙を受け取り、開いて見てみる。そこには、見慣れた流麗な筆致で、己への言葉が書かれていた。







◇◇◇



 大包平へ

 旅先でこれを書いている。普通は審神者に宛てて書くものだというのは承知しているが、一通くらいお前に宛てたっていいだろう。
 さて。さして時間があるわけでもないから本題に入る。
 お前も知っての通り、俺は本音を口に出すのが苦手だ。理由は知らない。俺の心の面積を大きく占めるもの。俺の情緒を根幹から大きく揺さぶるもの。そういうものを、素直に舌へ乗せられないんだ。乗せようとすると、喉が詰まって動けなくなる。こんな俺に鶯なんて名前がついているんだから、冗談みたいだろう。笑えるな。
 俺は冗談みたいなことしか言えない、不実な刀だ。だから、審神者へ送るという手紙にも、些末な内容しか書けなかった。あれも、決して嘘ではない。俺の本当の部分だ。だが、核心ではない。俺だけでなく、修行先で本当に書きたいと考えることを書けない刀は、他にたくさんいるだろう。けれど、その多くは、政府の検閲や他の者の目があるから書けないのだ。俺のように、心の底から書けないのではない。
 だがこんな俺も、お前の名だけはいつだって口に出せるんだ。馬鹿なようで鋭いお前は、俺の本当の心を、何も言わずともいつだって見抜いてくれる。そして、本音で向き合ってくれる。だからだろうか。お前には、少しだけ口が軽くなる。こういう文章も、お前に話しかけていると仮定して書こうとすると、不思議と筆が乗るんだ。今、俺自身もよく分かっていない本当のところを、書けている気がする。

 俺はいつもお前を揶揄うようなことを言ってしまうから、お前は知らないだろう。俺はお前に、かなり救われているんだ。
 俺には、語れる自己がない。お前なら、この俺の性分を、俺以上に分かっているのだろうな。
 逸話がない、というような、そういうことじゃない。仮に何かあったとしても、俺の根幹に関わることならば、口に出来ない。そうなると、徒らに降り積もる時間を眺め、他愛のない戯言を吐く思考体という、それが俺の全てになる。
 だから俺は、どうしても、自分が刀でいる必要はないんじゃないかと考えてしまう。だって、そうじゃないか。思考してそこに在る物なら、象牙の印でも、彫刻でも、それこそ茶碗だっていいだろう。俺が刀剣の付喪神でいる意義は、俺の中には無いに等しい。
 でも俺には、お前という兄弟分がいた。
 それが俺の刀としての生を、どれだけ明るく照らしてくれたか。
 近い時代に同じ古備前の流れに生まれ、名物としてその名を轟かせるお前。その存在があったから、俺は俺が古備前の刀であることを忘れずにいられた。
 お前は昔から、本当にいい刀だ。いつだって俺の理想の刀で、俺の夢だった。お前が理想として俺の中に染み込みすぎていて、嫉妬など抱く余地もなかった。
 俺はずっと、お前のことを考えて俺という存在を保っていた。茶の香りを楽しむ時も、物語を読む時も、あらゆる風物を眺める時も、お前の存在があった。俺について語ることなんて何もないが、お前を思って俺を語ることはできた。顕現した後も、その癖は続いた。
 そうだ。俺の振る舞いは、そういうことだ。
 お前がいないと、俺は世界に馴染むこともできなかった。お前の話ができたから、俺は刀剣の士でいられたんだ。
 今までまともに言えたことがなかったから、この辺りで伝えておきたい。
 いつも俺を自由にさせてくれて、ありがとう。大包平無くして、俺はない。

 でも、俺は







◆◆◆



 大包平は手紙から目を上げた。
「途中で終わっているぞ」
「ああ」
 鶯丸は呟いた。
「書こうとしたが、上手く書けなかった。最後の方は、書き損じが多いだろう」
 その通りで、手紙の最後の方は何カ所か墨で塗り潰してある。
 大包平は訊ねた。
「何を書こうとした」
「懺悔ってところかな」
 鶯丸は自嘲気味に笑った。
「俺は、お前のために強くなりたかった。そこにも書いたが、俺はお前に散々支えられ、救われてきたから」
 しかし。
 手紙を書き、修行をして。
 己を顧み、気付いた。
「俺は、あまりにもお前に頼りすぎていた」
 鶯丸は、大包平を頼りに生きてきた。本丸に行き着いてから、何度その名を口にし、喋ってきただろう。
 その中で、大包平という存在に干渉し過ぎてしまったのではないか。
「強くなりたいなんて烏滸がましい。俺は、お前を歪めていやしないだろうか。今更そんなことに気付いて……恐ろしく、なってしまった」
 鶯丸は正座し、俯きがちに話している。膝の上へ置いた拳が、僅かに震えている。
「お前の隣に。俺が、いていいのか。俺は、お前を甘やかす体で、その実甘えていて……頼ってばかりいる。お前はこんなにも俺を導き、包み込んでくれるのに。俺はただ、そこにいるだけ。お前に要らぬ苦労を掛けるばかりで、何をしてやれるのか」
 語りは途切れ途切れで、覚束なかった。いつもの饒舌ぶりが嘘のようなその様を見て、大包平は彼に、周囲を幻滅させるのではないかと怯える宝の姿を透かし見た。
 鶯丸が顔を上げた。柳眉を吊り下げ、切実に言う。
「だから俺は、ただお前のためになれる存在でありたいんだ。これまでのことは取り返せないとしても、これ以上お前を歪めるようなことは、避けたい」
 大包平は腕を組み、考える。
「つまり、だ」
 これまでのことを思い返し、整理できたところで、口を開く。
「お前は俺のことを好きすぎて、契るのが怖い。それで、色々と理屈やら色仕掛けやらを駆使して回避し、今までの関係を続けようとしていたわけか」
「そう……いうことになるな」
 柔らかな髪が、躊躇いがちに縦へ振られる。
「いくら、閨の外で惚れたと言われたのが初めてだったとは言え、後で、聞き返したのを悔いた。あそこでボロを出さなければ、こうはならなかったのに」
「いや、今となっては助かった。あのまますれ違い続けた方がまずいだろう」
 大包平は思案する。
 何を、どう話せばいいものか。
「色々言いたいことはあるが。まず、これだけは言わせろ」
 鶯の双眸が、じっとこちらへ注がれる。いつもなら笑みをたっぷりと含んでいるはずのそれは、今、影を宿して仄暗い。
 大包平は息を吸い、言う。
「お前は、お前が今ここにいることの価値を理解した方がいい」
 鶯丸はきょとんとした顔つきになった。目を瞬かせ、予想外に戸惑っているらしいその顔から、恐らくこれまでのことを詰られる覚悟をしていたのだと察する。
 ──そんなこと、するわけないだろう。
 鶯丸が分かりづらいのは、今に始まったことではない。本刃が自身を分かっていない、その弊害だと大包平は知っている。この刀は観察に秀で分析力が際立っているのに、それを自身に適用するのが苦手なのだ。殊に大包平に関わる自身については、いっとうに。
「お前は自分を、古いだけとか何もないとかいう。その、お前がこの世にある年月の長さが、どれだけ得難いものか……お前だって、分からないわけじゃないだろ」
 話しながら、かぶりを振る。
「俺達と同じ頃に打たれた同郷の剱の、どれほどが失せてしまったか。剱だけでない。長い時の中で、その身を失っただけでなく、名を忘れ去られた者が、如何程いることか。そういった者達も、激動の世の中で周囲に報いて生きたはずだ。忘れ去られるべき存在ではなかった。なのに、不遇にも思い出してやられない」
 鶯丸はまだ立ち尽くしている。表情は、きょとんとしたまま。いつもの余裕を、どこかへ置き去りにしてしまったようだった。
 大包平は腕を伸ばし、その手を引いた。鶯丸はされるまま、すとん、と大包平の前へ膝を落とす。
 その力の抜けた身体を、抱き寄せた。座りの悪い体勢のままでいるのを、自らの片膝へと座らせてやれば、大包平の懐へ大人しく収まった。
「お前が失われずにいてくれて、お前にこうして触れることができて……俺がどれだけ救われたか」
 あやすように背を撫でる。
「お前自身が、かつて俺に言っただろう」
 ──称号など、気にしなくてもいいだろう。お前には、戦う付喪神として十分な才があるのだから。
 ──これよりどれほど時が流れ、世の価値観がどう変わろうと……ここにいる一振だけは、お前がずっとそのままであれば十分だと思っているのを忘れるな。
「あれをそのままお前に言いたい。俺だって、お前がお前としてこの世に在るというだけで、充分なんだ」
 鶯丸は黙って撫でられるまま、間近にある大包平の顔を見つめていた。しかし、大包平の話が一区切りつくと、唇が動こうとした。
「なら」
「だがそれはそれとして、契りは交わしたい」
 予想していたので先制して言った。鶯丸が何か言おうとするのを遮り、話を続ける。
「あー、皆まで言うな。分かっている。歪むだとか何だとかだったな。それについても、俺の考えを言わせろ」
 大包平は、鶯丸の胸を軽く小突く。
「いいか。俺はいかなる出来事に出会おうと、俺の意思で選択する。お前の危惧する、お前の働きかけによって俺が俺の在り方を変えたというそれは、歪んだのではない。俺が在るべき方へ近付いたということだ」
「…………」
「大体お前の言うその『歪ませた』というのは、見ようによっては傲慢だぞ。お前に圧倒的な力があって、俺はそれに逆らえず享受するしかないということになるからな」
「………そう、か」
 どこかしおれたような風情で俯く顔を見ていると、大切な宝を傷つけたような気になって心が痛む。
 埋め合わせをしなければ気が済まない。そう、無意識に思ったのだろうか。大包平は、深く考えるより先に口を開いていた。
「……ここで再会したお前は、強く美しかった。その背中を追い、同じように古備前の名物たるに相応しくあろうとしてきた俺の努力を、歪んだものだとは言わせんぞ」
「え?」
「とにかく」
 鶯丸が目を丸くして顔を上げたが、それに反応はしてやるものか。
 ずっと秘めていた思いを告げる気恥ずかしさを、話を進めることで誤魔化す。
「互いに合意なら、何も問題はない。お前は俺に、俺はお前に添うべき宿命だったという、それだけだ」
 鶯丸はぽかんと口を開けていた。そのまま何やら考え込むように瞳を伏せていたが、ややあって、呆れたような声を漏らした。
「……そんな、お前。都合のいい……」
「俺は、親に教えてもらわないと何も分からない赤子ではない。俺にだって展望がある。俺の良いと思うものも、好く相手も、自分で決める」
 大包平は腕の中の男を見据え、断言する。
「お前無くしてこの大包平はない。俺だってそう考えているんだ。近頃の言葉で言うなら、運命共同体という奴か。いや、運命の相手だったか」
 鶯丸はまじまじと大包平を凝視した。
 そして、数拍後。急に、弾かれたように笑い始めた。
「……おい、何を笑っている」
「いや。お前の口からそんな、若年層向け恋愛映画のスローガンみたいな言葉が出てくるとは思わなくて」
「おい」
「いや、悪かった。馬鹿にしてるわけじゃないんだ。ただ、急に面白くなってしまって」
 鶯丸は、まだくつくつと笑っている。笑っているならいいか。大包平はそのまま、鶯丸を笑わせておくことにする。
 よく分からない笑いの発作が収まった頃。鶯丸は、やっと顔を上げた。そこにはもう、いつもの悠然とした笑みが戻っていた。
「本気で、俺と契る気か」
「ああ」
「いいだろう。お前にたらふく茶を飲ませてやる」
「それは楽しみだな」
 二振して笑みを浮かべる。そして、どちらともなく唇を寄せた。
 共に呼吸を分かち合っているのか、それとも相手の呼気を貪っているのか。次第に色濃く絡み合う口付けはその境を曖昧にさせたが、二振にとっては今更どうでもいいことだった。ただ互いの息と温もりに酔いしれて、口付けは長く続いた。
 鶯丸の腕が大包平の頸へと回り、引き寄せる。大包平の手が鶯丸の腰を抱き、押し倒す。そうして、揃って布団へと縺れ込んだ。
「寝ないのか」
 鶯丸が茶化した。大包平が笑う。
「いやいや」
 硬く大きな手が、組み敷いた身体から寝間着を剥がしていく。同じように、しなやかな手が圧し掛かる身体より寝間着を奪いながら、囁く。
「灯りは消してくれ」
「お前をよく見たい」
「そんな動機で、俺がいいと答えると思うのか」
「お前も俺をよく見られるだろ」
「……常夜灯で」
「よし」
 手近な所へ置いたままだったリモコンを取り、照明を落とす。
 暗転。







◆◆◆



「遥か遠い昔、銀河系の彼方で──均衡はついに保たれた。シュレーディンガーの大包平がある限り、銀河の全てのフォースと共にある者達は、すぐに自らの収まるべき領分を思い出すだろう。そして、ラ・フールメールの戦士達は宇宙の果てをロードバイクでひた走る。危険を承知の上で……めでたしめでたし」
 拍手。
 手を打ち合わせながら、大和守安定が呟く。
「鶯丸さん、今日はいつも以上にぶっ飛んでたなあ」
「そう? いつもあんな感じじゃん」
 同じく手を叩きながら、加州清光が返す。
「鶯丸のあれは愛だよ、愛。頭が柔らかいだけ」
「そう?」
「鶯丸には見る目がある。俺のこと可愛いって毎日言ってくれるし」
「何だ、私情か」
「本当の『トんでる』っていうのは、合戦場でのお前みたいなのを言うんだよ」
「あ?」
 沖田刀達は鍛錬場へ向かった。今日の私闘は帯刀以外の禁じ手なしだ、と掛け合いながら。
 その後から、喧嘩なら俺も見に行くぜと愛染国俊が飛び出し、俺も俺もと和泉守兼定や獅子王、同田貫、御手杵、その他の剱がわらわらと続く。兼さんが行くなら僕が立ち合いをやらないと、走り出すのは堀川国広。いざとなったら一肌脱ぎまショウ、と千子村正がスキップして彼を追い越し、待て脱がさせんぞと蜻蛉切が追う。マイペースに、刀剣男士の拳のデータを、と追随するのは南海太郎朝尊だ。最近、鶯丸の話を聞きに、短刀以外の剱がやって来ることが増えていた。
「今日も賑やかだった」
「ああ」
 客が捌けた後、大包平と鶯丸は部屋で茶を飲む。
 イマジナリー大包平劇場は、すっかり本丸の週一恒例行事となりつつあった。八つ時から少し後、二振の部屋の前へ剱達が集まる。彼らの手には、一様に数分前厨番より受け取ったおやつがある。鶯丸が語るのを聞きながら聴衆はおやつを食べ、語りが終わるとそれぞれの日常へ戻る。鶯丸と大包平の茶の時間はその後だ。
 本日の茶請けは、厨当番の短刀数振が二振のためだけに用意したきな粉餅である。ちなみに、本丸全体の本日のおやつはきな粉飴だった。集まった剱らが、鶯丸の話を聞きながら厨より持参したきな粉飴を齧る光景は、紙芝居屋のそれにしか見えなかった。
「お前は、紙芝居屋や講談師もできそうだな」
「もし備蓄が足りなくなったら、演練場で披露して小銭でも稼ぐか」
 鶯丸は冗談なのか本気なのか分からない調子で答える。その手は、黒文字できな粉餅を切ることに専念していた。
「その時は、お前の話はしないぞ」
「俺がしろと言うと思うか」
「これを始めるきっかけを作った平野に羊羹を渡しておいて、何を言う」
 湯呑みを傾けようとした手が止まった。
 大包平は向かいへ目を向ける。にんまりと細まった双眸と、視線が交わった。
「図星だな」
「何のことだ」
「俺が気付かないと思ったか。ああ、平野は何も言わなかったぞ。だが、ちょっと考えれば分かることだ」
 あの羊羹は、政府認可の売店の中でも二店舗でしか扱っていない。オンライン販売もされていないのだ。
 賞味期限を見るに、購入されたのは平野と食べた日の直近一週間以内。その期間で、その二店舗のどちらかが近くにあるところへ出かけたのは、大包平を含む部隊だけだった。
「あの部隊の中に、平野に羊羹を渡す理由がありそうな奴は、お前しかいなかった。俺は茶だけでなく、茶請けにも詳しいんだ。覚えておくといい」
 大包平は舌打ちしようとして、食事中なのを思い出してやめた。平野が鶯丸とあの羊羹を嗜むことは想定していたが、まさか羊羹の販売店舗と賞味期限で贈り主を特定してくるとは思わなかった。菓子にさして頓着しないのが仇になった。
「お前が、俺に噂されるのを嫌ってはいないことは知っていたが。まさか、噂されたいと思っていたとは、知らなかったなあ」
 鶯丸は心底愉しそうだ。大包平を話の玩具にする前触れだ。このままだとつつきまわされる。
 させるかと、大包平は水を向ける。
「そもそも、俺がこうなのはお前のせいだろう。今まで何かにつけて俺の話をしていたのが、修行から帰還したのを境に、ぱたりと止んだ。訝しまない方が不自然だろうが」
「俺なりに、俺のことは俺を主語にして話そうと思ったまでだ」
 そう言い、鶯丸はきな粉餅を口に含む。それが最後の一口らしかった。音もなく嚥下し、悠々と茶を飲む。
「俺とて、古備前の刀だからな。いつまでも他刃との話題として、お前に頼ってばかりもいられん」
「俺は別に、そのくらい構わないぞ」
「お前が良くても俺が良くない」
 大包平が言うと、鶯丸は目を上げた。
「もう充分お前の話をしたんだ。これ以上、周囲に知らせることもないだろう」
「それは、お前だけが知っている俺のことを、他刃に知らせたくないということか」
 茶化してみる。馬鹿を言うな、と軽くあしらわれるのを予想していた。
 だが、鶯丸は黙り込んだ。それどころか、先程飲み干したばかりの湯呑みを再度唇へ当てがった。何も出て来ないことに気付き、急須で次の茶を継ぎ足す。何食わぬ顔をしているが、動揺が駄々洩れだった。
 大包平は言った。
「図星なのか」
「ネタが切れただけだ」
「図星だな」
 鶯丸は能面のような無表情になっていた。対して大包平は、口元が緩むのを抑えられない。
「だから、わざわざ架空の俺という設定で話を作っているのか」
「うるさいぞ、大包平」
「俺は果報者だな」
「来週の話では、イマジナリーのお前を馬糞の山に突っ込ませてやる」
「何だと。肖像権侵害で出る所へ出るぞ」
「やってみろ。証拠がなければ司法は動かん」
「馬鹿め。誰がそんなことをするか。古備前たる者、裁判所でくだらない痴話喧嘩を繰り広げるわけにはいかない」
「それはそうだな。巻き添えを食う八丁が可哀想だ」
 沸き立ちかけた場が、急速に落ち着いた。
 軽口の応酬と、話のオチを回収する気のない会話。
 いつものやり取りだった。
「ああ、そうだ」
 大包平が声を上げる。
「長期旅行の許可が取れた」
「本当か」
 鶯丸は瞠目する。
「場所は? ハワイか」
「そんなわけがあるか。日本霊山巡りだ」
「当然だな」



 話をして、噛み合って、そうかと思えば食い違う。
 食い違ったかと思っても、いつの間にかまた噛み合っている。
 そんな、間の抜けていながら息の合ったやり取りを、二振はいつまでも続けていくのだった。





20240603