観察適正距離以内
※大包平×鶯丸
「なあ、大包平」
鶯丸は言った。頭には麦藁帽子、首元には手拭い。両手に軍手まで装着する姿は、畑当番に臨む者として申し分ないものだ。しかしその姿があるのは畑ではなく、畑の外れにある東屋である。さらにその腕には、どら焼きを載せた菓子盆を抱えている。
「畑というのは休み休みやるもんだ。お前は力を入れすぎる」
「力を入れずしてどうする」
大包平は言った。こちらも麦藁帽子、手拭い、軍手の畑当番三種の神器を装備しているが、座る場所が大きく違う。麦の刈り入れが終わったばかりの畑の上、トラクターの運転席に座し、ハンドルに手をかけて何時でも動き出せる準備を整えていた。
「畑は、手入れの状況で働き手の性能が分かるのだぞ」
「性能か。作物が実ればそれでいいじゃないか」
「そうはいかん。次の当番のためにも、やれることはやっておかないと」
「まあ、そこまで言うなら好きにすればいい。お前のどら焼きは俺が責任を持つ」
「馬鹿言え。そこは茶を添えて待つところだろう」
二振は応酬の末、鶯丸は大包平がトラクターを掛け始めてから休憩し終えるまで茶の当番をしていて良く、大包平は畑を耕した後にどら焼き一個と茶一杯分を保証される、という内容で妥協した。
話がまとまるなり、鶯丸は嬉々として茶を淹れ始める。一方の大包平は、気合いの入った顔付きで畑へとトラクターを駆った。
「やってるな、古備前」
「やってましたね」
そんな二振を眺めるのは、鶴丸国永と平野藤四郎である。彼らは、畑に比較的近い縁側で将棋を嗜んでいた。
「鶯丸は大包平相手だと、内番を五割増しで休むなあ」
「要点を押さえて仕事をされるのがお上手な方ですから」
「いい言い方だ。三日月といい鶯丸といい、あの手の奴らはそういうところの駆け引きが上手い」
鶴丸が駒を動かして言う。
「それが大包平相手だとああなのは、さすがは良い仲ってところか」
「そうなのでしょうか」
「ああ、そうさ」
平野は呟く。
「でもお二振は、今日でもう交際から三ヶ月なのですよね」
「らしいな」
「やりとりが、お付き合い前から変わりませんね」
「ああ」
「昨日お二振が交際されていることを知った時は、本当に驚きました」
「俺は逆だった。ここへ来る前から──それこそ長年連れ添ってるもんだと、ずっと思っていたからな。まだ付き合っていなくてあの感じだったのか、と」
「僕から見れば、兄弟分として至極円満な印象でしたが」
「何にしても不思議なもんだ」
鶯丸と大包平は、あまり行動を共にしない。
もっとも、隣り合った互いの私室に出入りしている様子はある。食堂へ連れ立ってやって来たり、万屋へ一緒に買い物に行ったりするのを見かけることも、しばしばあった。
だが、いかにも恋刀らしい睦み合いや、四六時中張り付いている様を見かけたことはなかった。同じ任務でも任されなければ、基本的に思い思いに過ごしているようだった。
「あいつら二振とも、絶対他刃を入れない領域みたいなのを持ってるだろう。だから、あのくらいがちょうどいいんじゃないか」
「なるほど」
「ああいう奴らに限って、二振きりの時はあっまあまのべったべたかもしれんしな」
鶴丸が冗談めかして笑いかける。
しかし、平野は盤面から顔を上げない。小さな手が駒を取り、木に木の触れ合う澄んだ音が響く。
「王手です、鶴丸様」
「え」
黄金の双眸が満月になり、盤面を見下ろす。
「やられた。こいつぁ驚いた」
「お役に立てて嬉しいです」
「おいおい……君はたまに、ひどく兄貴に似てる時があるなあ」
「え?」
◆
鶯丸が大包平と行動を共にすることが少ないのには、理由がある。大包平を観察するのにちょうどいい距離が、十二尺程度だからだ。これは奇しくも、大包平の身丈の二倍相当にあたる。だから鶯丸は、大包平の観察にちょうどいい距離を「二大包平分」として覚えている。
ところで、何故観察にちょうどいい距離が二大包平分なのか。それは、大包平の動きや表情を細部まで見て取れつつも、大包平に接触しないでいられる、ギリギリの間合いだからだ。
何故、接触せずにいたいのか。理由は多岐にわたる。その範囲内にいると大包平に警戒されてしまい、観測できたはずの大包平が減るから。遠くにいることで見える大包平もあるから。鶯丸にも茶を飲む時間が必要だから。その他諸々、以下省略。
「何を妙な位置でじろじろ見てるんだ」
それでも、大包平の私室で二大包平分の距離を取ってしまうと、逆に怪しまれる。現に、距離があるはずなのにこうして絡まれてしまった。
「妙か?」
「他刃の部屋に来てずっと隅にいる客は妙だろう。もっと近付け」
「承知した」
鶯丸は座っていた部屋の角より腰を上げ、向き合っていた文机よりこちらへ身体をずらしている大包平の正面へ座る。
胡座をかいている脛へ触れるほどに膝を詰めて正座してやれば、凛々しい眉根の間に深い皺が寄った。
「待て。これはいくらなんでも──」
「それで、何故お前をじろじろ見ていたのかという話だが」
鶯丸は眼前にある顔を凝視する。
燻る焔に似た深紅の短髪。同じ色の吊り上がった眉。彫りの深い顔立ちに美しい鋼の瞳。男らしく骨ばっていながら、鋭く洗練された顔の輪郭。
今日も男前だ。
「今日もお前は不貞腐れた面をしているな、と思って見ていた」
「不貞腐れてなどいない」
「ほら。眉間に皺が寄っているぞ」
「やめろっ、触るな」
眉間を親指で揉んでやると、手を払い除けられた。大きな手だが雑ではない。こういう時も戯れ程度の力しか込めず、爪を立てることもしない。大包平らしい。
「憂いがあるのか? それとも、昼間に張り切って畑仕事をしたから疲れているのか。疲れた時はおっぱいを揉むといいらしいぞ。俺が付き合ってやろう」
「はあ!? いや待て、やめろッ」
狼狽えて本格的に抵抗される前にと、その片手を掴み、ジャージの裾を捲り上げて薄いTシャツに包まれた自らの胸筋へ導いた。
掴んだ掌に己の手を重ね、指同士を擦り合わせながら己の胸へと押し当てる。じわじわと胸筋の形全体をなぞるように滑らせつつ、上目で大包平を窺うと、精悍な顔は面白いほど赤に染まっていた。
「ふふ。やめろと言いながら、大人しいじゃないか」
「ッ、お前が触らせているんだろう」
「俺はシャツの上で手を重ねてるだけだが? 何を照れることがあるんだ」
「しらばっくれるのはよせ。重ねているだけでは──」
「う、んぅっ。全く、助平な触り方までして」
「違う。わざと喘ぐな!」
戯れてみせれば、口では咎めつつも鋼の眼差しに熱が籠り始める。
本当は、大包平の眉間の皺を生んだのが己であることも、疲労時の云々かんぬんが眉唾であることも知っている。けれど、大包平が近付けと言ったのだ。近付いたら、戯れて様子を見たくなってしまうのだから、仕方ないだろう。
どんな馬鹿げた戯れにもいちいち律儀に反応する男は、本当に面白い。だからやはり、大包平観察適正距離が二大包平分でないといけないのだ。下手に近付いてしまうと、刺激を与えるのに夢中になって、観察どころではなくなってしまう。
「ああ、そうだ。俺もお前の胸に触ってもいいか?」
己より遥かにある胸囲を確かめたくなった。
そう提案した途端、引き寄せられて頭を抱き込まれた。頬が厚みのある胸板に触れ、あまりの逞しさに思わず両腕を背中に回して堪能する。
見事な体付きに溜め息を吐くと、耳元に唇を落とされた。
「構わんが……覚悟はできているんだろうな」
こちらの官能を炙り出すような低い声の震えが擽ったく、くつくつと笑う。胸へ頬をつけたまま見上げ、揶揄いかけた。
「怖いから優しくしてくれ」
大包平はこちらの顎を掬い上げ、噛み付くような口付けを仕掛けてきた。鶯丸は目を閉じ、一度観察を中断する。
◆◆◆
「なあ、鶯丸」
大包平は言った。片手には馬用の硬いブラシを握っている。それだけで近くにいた馬の一頭が、鼻面を肩に押し付けてきた。鋼の瞳がそちらを向き、慈しむような笑みと共に顎や鼻筋を撫でてやると、馬は満足そうに目を細める。
「お前なりに歩み寄ろうとしているのは分かる。握り飯を口に突っ込んでいたのが、人参入り握り飯になった。これは進歩だ。ここから更に、もう少しだけ、馬という生き物の生態を慮ることはできないか」
「お前の発想は馬鹿真面目すぎる」
鶯丸は言った。その利き手には橙の棒を刺した握り飯を持ち、傍にいる馬の前へ突き出している。握り飯を鼻先に押し付けられた馬は、橙の棒だけを歯で摘み、ぽりぽりと食べていた。
「馬と言っても、俺達と共に時を駆ける馬だ。握り飯を食わせてやった方がいいに決まっている」
「……冗談で言っているのか? それとも」
「握り飯は美味いんだ。これだけは譲らん」
「お前の気持ちは分かる。だが、落ち着いてよく考えてみろ」
厩で会話する彼らを、外から見る者が二振。鶴丸国永と一期一振である。畑当番として堆肥を取りに来て、厩のやりとりが行われているのを発見したのだった。
「四年経っても変わらないな」
「三年目の浮気の気配もありませんでしたね」
堆肥が製造機からトラックの荷台へ移されるのを待つ間、彼らは馬当番達のやりとりを見物して暇を潰す。
「あいつらのやりとりは漫才のようだ」
「噛み合っていないのに息が合う。面白い方々です」
「ついでに言うと、趣味も違うらしいから不思議だよな。それでも一緒にいるのは、作風が似てるからかねえ」
「お互いに尊重し合っているのでしょう」
「そうか?」
「修行より戻られてから、話し方がお互いに少しだけ似たように感じられましたので」
弱い地鳴りのように製造機の動作音が鳴り続けている。そのせいか、厩にいる二振がこちらの会話に気付く様子はない。それをいいことに、鶴丸がにやりと笑って言う。
「案外、閨事の相性がいいだけかもしれんぞ?」
「下世話極まりないですな」
「冗談だ。二振とも全く色気付いたところを見せないからつい、な。ちなみに、動物の扱いが上手い奴は、閨事も上手いらしい」
「ははは」
「鶯丸については性欲自体あるとも思えんが、大包平は──」
「暴れ馬もお手の物、ということですか」
「暴れ馬が誰なのか、ナニなのか。それを確かめたら馬に蹴られるから構うまい、ってな」
「はははは。やかましい」
「おっ。出た」
◆
鶯丸は近頃、大包平の観察適正距離について考えている。具体的には、長さを二大包平分から変更しようかと思うのだ。
何故、二大包平分から変更したいのか。理由は多岐にわたる。何となくそういう気分だから。その他は省略したい。多岐にわたると言いながら理由を一つしか挙げないなど矛盾しているかもしれないが、細かいことはどうでもいい。とにかく、観察しやすい適正距離を見出したい。
「どうした? 急に訪ねて、邪魔だったか」
考え事をしながらも、目は癖で客を追っていたらしい。
客こと大包平は、開け放していた窓の障子を閉め、鶯丸の方を振り向いて問う。今の距離はおよそ二.五包平分くらいだ。
刀剣男士の私室は、男士に立派な体躯を持つ者が多く、かつ終の住処となるだろうことを配慮されてか、天井の高さも面積の広さも破格に設計されている。だから大包平一振が己の部屋にいたところで、大して幅を取られていないはずだ。
そのはずなのだが、近頃妙にその存在を大きく感じる。
まあ、今日も立派な体躯だということだろう。
「いや。お前が部屋にいると狭く感じるなあと思っていた」
「今更だろう」
大包平は笑みを溢し、卓袱台の前に座る鶯丸より、大包平坐像一体分──つまり二大包平の五分の一から四分の一程度──の距離を置いて隣へ座り込んだ。
「ほら。これでいいか」
「余計狭い」
「そんな目で見られたら、応えずにはいられないからな」
凛々しい双眸が甘やかに細まる。
鶯丸は笑った。
「何をどうしてそういう発想に至るんだ」
「俺がここに来てからずっと、目で追っていただろう。俺一振の存在で部屋を狭く感じるほど、俺がいることを意識してくれていたんじゃないのか」
満更間違っていないのが厄介だ。
本音は苦手だが、嘘を吐きたいわけではない。鶯丸が返答を考えていると、大包平は穏やかに言った。
「馬のことも、今くらいじっと見てやればいい」
「なら、お前の観察をやめて馬の観察でも始めてみるか」
茶化してみれば、大きな手が伸びてきた。長い指で己の頬を撫でながら、鋭い鋼の双眸で鶯丸の目を縫い止めて嘯く。
「その時は思う存分、俺が馬との触れ合い方を見せてやる」
頬を愛でる掌が熱い。いや、己の頬が熱いのだろうか。台詞だけなら、己を馬に見立てて戯れに触れているかのようだ。いやしかし、こいつは馬に、こんな触れ方をするのだろうか。
(近すぎるから、分からない)
手を伸ばした大包平は、当たり前のように距離を詰めてきた。現在の互いの距離は、およそ大包平の掌一つ分。
いや。己とて、この程度の距離ならこれまで当たり前のように迫っていた。
鶯丸は己に言い聞かせ、平静を保つ。
「何だ。俺とあいつらは同じか? 妬けるな」
「妬いてくれるのか」
笑みを保ちながら冗談めかして言ったのに、大包平は嬉しそうに相好を崩す。
「お前は俺の特別だ、鶯丸」
囁きと共に、掠めるような口付けが額へ落ちる。
「愛情深く、誰よりも俺を見てくれる。不器用で愛しい、俺の──」
大包平観察適正距離は、二大包平分がいいと思っていた。しかし近頃は、二大包平分より近かろうと遠かろうと、大包平がこちらを意識してしまう。仮にそれが外でのことだったとしても、自室に戻るなり日中の視線をあれこれ持ち出されて、迫られて、観察どころでなくされることも多い。
最初は笑って、これまで通りのやり方で可愛がってやろうとしていた。しかし、大包平も慣れたのか、以前のように狼狽えたり反論したりすることが大幅に減った。寧ろこちらの台詞に素直に応え、鶯丸を揺さぶってくるようになった。
大包平の口説き文句は、クサい。だが、そのクサさを笑って誤魔化しても、心の底に抱いている照れ臭さは消えない。惚れ込んだ刀に褒められ口説かれて、照れないわけがない。それが蓄積して心拍が上がり、熱い血で頭が茹だり、まともに思考が働かなくなる。おかげで最近は、大包平の観察結果を周りに告げることすらできない。それでも、与えられる熱情を快く感じてしまう。
だから鶯丸は、決して大包平本刃には言えないが──観察が成り立たないとしても、二振きりの時は観察適正距離よりずっと近くにいたいと思う心に、いつだって素直にならざるを得ないのだった。
20240717