ぴぐまりおん

※大包平×鶯丸(R-15)
※世界観捏造有。









 ──何ともベタな引き渡し現場だ。
 天井裏、換気口の隙間から室内を見下ろし、大包平はそんな感想を抱く。
 木の雨戸を透かして夜の滲む、八畳の和室。絵の絢爛な金地の襖。卓上には山と盛られた豪勢な食事。
 卓を囲むのは、壮年の男四人だ。大柄の模様が施され生地のてらてらと光る、仕立ては良さそうだが趣味の悪いジャケットを眺め、あれがこれから飛び散るだろう料理で汚れる様を思い描く。ジャケットが汚れるのは構わないが、料理の方が不憫だ。なるべく食卓への衝撃は避けたい。
 男達は景気の良さを語り合い、盛んに笑い声を弾けさせる。かと思えば急に黙り込み、互いを窺うような沈黙が場に落ちる。その後、顔を突き合わせひそひそと会話する。そんな居心地の悪そうな時間が、しばらく続いた。
 まだか。辛抱強く待つ。
 大包平が見ているとはつゆ知らず、男達は話しながら料理を平らげていく。そうして全ての皿が空になった頃、下座の男がこれまでにない動きを見せた。
 机の下へ手を差し入れ、黒革のボストンバッグを取り出す。卓上の皿を退け、そこへ鞄を置くと、おもむろに開いて見せる。
 向かいの男達が身を乗り出す。
 鞄の中には、似紫の玉手箱が収まっていた。
 恭しい手つきで蓋を取る。中身を前に、おお、とも、うう、ともつかない声が上がる。
 現れたのは、深紅のベルベットに身を沈める、くすんだ灰色の物質だった。分かりやすく一言で形容するならば、骨でできた王冠のような何かである。灰色の円盤の縁が、古代西洋の闘技場の如く天井へ向けてせり上がっている。表面は砂をまぶしたようなざらりとした表面をしており、煤け、黄ばんでいる。もともとは、白かったのだろうか。冠の先端はあちこち欠け、石英のような眩い純白を露出させていた。
「これが、例の」
「はい」
 ボストンバッグの隣の男が答える。
「【刀男子カタナオノコの頭蓋】です」
 ──あれだ。
 大包平は特殊警棒を握りしめる。
 対面の男二人は目配せし合うと、片方が机の下からジェラルミンケースを取り出した。もう片方が、玉手箱の所有者らしき二人に言う。
「では、話通りこれで取引を──」
 不意に、眼下より頬を張ったような鋭い音が響いた。
 男達はぎょっとして襖を見る。開け放たれたそこには、明るい長髪を後頭部でまとめた、漆黒の機動服に身を包む美少女がいた。
「特時隊だ、動くなッ」
 毅然とした声。美少女もとい乱藤四郎が四人へ銃口を向けるのと同時に、大包平は換気口を跳ね上げ、食卓へ降り立った。
 まず、食器を踏まず降り立てたことに、束の間にやりとする。
 それから、スタンガン機能をオンにしてあった特殊警棒で、こちらを向こうとした頭を、一振りで四つ弾き倒した。
 手際よく全ての手に錠を掛けながら言う。
「違法呪具の所持及び売買の疑いで逮捕する。大人しく寝ていろ」
 作業を終え、銃を下ろした乱に言う。
「俺は結界を張って、こいつらを運びやすくする。一〇二ヒトマルニに連絡を」
「了解」
 乱はインカムに耳を当てるのを尻目に、大包平は部屋の四隅に札を張る。
「一〇二へ、一〇三ヒトマルサンより。容疑者を確保したよ。手筈通り車をつけて。どうぞ」
 机を襖へ押しつける。多少のバリケードにはなるだろう。手錠を掛けた男達を二人ずつまとめ、担ぎやすいようワイヤーで縛る。
 次いで、ホルスターに装着した刀装を指で辿る。たちまち、盾を構えた小人──盾兵式神三小隊が現れる。小人は盾を掲げ、それぞれその身を防護の術式に転換させて消えた。
『一〇二、了解』
 大包平のインカムへ、乱に応える落ち着いた声が流れ込む。
『続けて連絡。先程その料亭の入り口にいた目標の護衛用鬼道兵が、目標の意識喪失を受信して動き始めた。一〇一ヒトマルヒト一〇四ヒトマルヨンが対応しているが、逃れた五体ほどがそちらに向かっている』
「わあ。勢力は?」
『苦無_丙型鬼道兵五体』
「了解。なるべく早く拾ってくれると嬉しいな」
『善処するよ』
 大包平は両肩に男四人を担ぎ上げた。
 乱は卓上にあった似紫の玉手箱を閉じ、ボストンバックへしまい込む。それを大包平に手渡して言う。
一〇五ヒトマルゴは輸送に専念して。ボクは追手を迎撃しながら行くよ」
「任せろ」
 乱は笑顔を返し、襖へ向き直る。薄い紙の壁が、ミシミシと軋み始めていた。
 繊手が腰に帯びたホルスターに収まる刀装を二つ撫でる。途端、乱の頭上へ金光が閃き、銃兵式神二小隊が現れた。
 式神達がくるりと身を翻すと、小銃へ変わる。反対に、乱はリボルバーをホルスターへ収め、自らの両拳を親指同士つけるようにして横に並べる。
 拳が横へ滑る。その隙間から、青く輝く短刀が姿を見せる。
「準備はいいか」
「OK」
 乱の返事を得ると、大包平は東の雨戸に向き直った。
 インカムの音声送信スイッチを入れ、語りかける。
「一〇五から各員へ告ぐ。これから俺が十数えた後、押収品と容疑者を連れて撤退する。場所は例の部屋の窓だ。援護頼む」
『一〇四、了解』
 抑えた低い声が応える。
『一〇一はまだ応戦中だ。俺が援護する。レーザーをよく見ろ。どうぞ』
「分かった、行くぞ」
 左腕にボストンバッグを掛け、利き手で雨戸の縁を握りしめる。
 ──九、八、七、六。
 乱が襖へ対峙する。襖は激しく軋み、バリケード代わりの机を揺らして食器を落とす。
 ──五、四、三。
 襖の一枚が外れかける。隙間から、鬼道兵の幽鬼じみた留紺の眼光が覗く。
 ──二、一。
 大包平は雨戸を開け放つ。
 欄干を飛び越え、瓦屋根へ着地。すぐさま走り出した。
 目指すは料亭の裏門。細い路地を抜けた先の大通りで、仲間の車で拾われる手筈だった。
 背後から銃声が聞こえる。乱か他の仲間か、はたまた敵か。どちらにしても、自分に振り返るゆとりはない。ここで抱えたものを取りこぼせば、これまでの苦労が全て水の泡だ。
 確かな月明かりが行く手を照らす。先に、瓦の終わりが見えた。ここで飛び降りれば裏門だ。
 しかし、まさにその屋根の終わりから、苦無型鬼道兵が飛び出してくる。
 これだけ派手に逃走しているのだ。飛んで追える者が、来ないわけがない。
「退けッ」
 大包平は肩の荷物のバランスを上手く取りつつ、右手に握っていたマグナムの照準を合わせて引き金を引く。苦無の片目を穿つ。それで充分だった。
 ふらつきながら飛んできたそれを、大きく足を開いて踏みつける。
 足蹴にした勢いのまま、地上へ跳躍する。着地した先には、何もいない。垣根に繋がる竹の勝手口が、彼を任務の終わりへと誘っている。
 ちらりと背後を窺うと、乱藤四郎が飛び降りるところだった。
 その背中を襲おうとした苦無を、彼方より飛来した光弾が貫く。一〇四の援護射撃。
 乱はくるりと前転し、着地した。
 束の間、二振は目を合わせる。
「今ので、追ってきた苦無は最後」
 乱の報告に頷き、同時に走り出した。
 先に乱が門を潜り、大包平が続く。昔ながらの漆喰塀でできた細い路地を駆けていく。
 やがて、塀が途切れるのが見えた。足を速めた乱が、舌打ちして手にした本体を握り直す。
 塀の上から、打刀_乙型鬼道兵が二体飛び降りてきたのだ。
「もうっ! そんなにボクと──」
 ぴたり。
 前を行く背中が、止まった。
 大包平はぶつかりそうになるのを、どうにか踏みとどまる。何だ、と口を開いたのと、眼前の鬼道兵に黒塗りのバンが突っ込んで来たのは同時だった。
 急ブレーキ。濡れた物の激しく打ち付けられる音。石が砕け、軋んだ金属の上げる高い悲鳴。
 鬼道兵は、壁の染みと化した。一方、バンはそろそろと後退し、ハザードランプを点灯している。バンパーにへこみはあるが、壊れてはいないようだ。
 助手席の窓が開く。茶髪を頬骨辺りで切り揃えた男の顔が現れ、立ち尽くす二振に微笑みかける。
 一〇二こと、石切丸だ。
「待たせたね。乗って」
 二振が乗り込むと、すぐにバンは発進した。大包平は、抱えてきた大量の荷物を座席の最後部へ投げ入れつつ、問う。
「他の者達は、回収していかないのか」
「予想していたより、鬼道兵の数が多かった。別ルートで撤退することにしたよ」
 バックミラー越しに、朱を差した瞳がこちらをうかがう。
「そろそろ片付け終えるから、事後処理係に後を引き継いで帰るという連絡が、ちょうどさっき入ったところだと思うけど。インカムが壊れているのかい?」
「一〇二の激突音がデカすぎて、ボクでさえ聞き取るのがやっとだったよ」
 乱が肩をすくめる。石切丸は目を軽く開く。
「おや。それはすまなかったね」
「猛スピードを出しておいて、急ブレーキを踏みつつ突っ込んで来たでしょ。ボクが気付かなかったら、一〇五は気付かずに目標ごと轢かれてたかもね」
「俺の偵察力はそこまでじゃない」
「どうだか」
 大包平の言葉を乱は軽く流して、手にしたジェラルミンケースを胸の前に掲げる。
「それより見て、これ! 持って来ちゃった」
 こてんと首を傾ける。その仕草は、男に貢がれたブランドバッグを自慢する女のようだった。
「よく持って来られたな」
「へへへ。これ、ちょっとはボクらに入って来ないかなあ。だって、ボクが持ち出さなかったら、戦闘で燃えカスになるかもしれなかったんだよ?」
「無理だろう」
 大包平は、車の後部スペースに転がっている男達をしゃくってみせる。
「こいつらの証言で、取引に持参した金額が上に伝わる。国庫行きだ」
「そんなあ」
「もしかしたら、一部くらいはさっきの壁の修理に使われるかもしれないがな」
「え? 公費で出るんじゃないの」
 石切丸が口を挟む。
 大包平と乱は応えない。
 石切丸の器物破損癖が発揮される度、毎度上は厄落としの定義を審議する。だが上位委員会が胃を痛めようが知ったことではない。







◆◆◆



 大包平という刀剣男士は、本丸に来たばかりの頃、おおよそ己の不遇を嘆くという。自分に称号や逸話のないこと、天下がそれらを持つ物ばかりを讃えること。そのようなことを口にし、いじけているとか何とか。
 だが、数多いる分霊の中でも、己ほど奇妙な境遇の大包平はいないだろう──政府とその傘下にある関連施設団体において「特時隊_〇五四/丁巳一〇五ひのとみヒトマルゴ葉隠はがくれ」と呼ばれるその大包平は、常々そう考えている。
 彼はそもそも、連隊戦で戦績の良かった本丸へ配布されるはずの大包平だった。しかし本丸へ搬出される直前、思わぬ事故に遭う。
 配布刀剣の搬出作業は、政府の刀剣研究所保管庫から時空転送ポートまで、専用の輸送ラインに乗せて運ばれる。その途中、搬出作業に雇われた臨時職員が、伸びをした拍子にうっかり袖をライン上の大包平に引っ掛けてしまった。その拍子に、彼は顕現した。
 研究所の者曰く、その臨時職員には審神者適性がなかった。彼に励起されたわけではないらしい。ただ、そいつの右手人差し指に切り傷があったことから、大包平の溢れんばかりの神気が人間の血の気配に刺激され、顕現という暴発に到ったのではないか、という説が有力だという。
 大包平の現世での記憶は、除菌の徹底された真っ白な部屋の中、こちらを見つめる怯えた顔の男から始まっている。大包平が口を開こうとすると、男は悲鳴を上げて壁に括りつけられた漆黒の筒を手に取った。
 後で知ったことだが、それは記憶処理灯と呼ばれる、筒から出る光を見た者の記憶を消し去る機械だった。本来ならばこういった事故が起きた場合、顕現した男士にこれを見せて一時的に失神させ、再度禊を行ってからまた輸送ラインに乗せる、という手筈になっている。
 しかしこの男は、よほど動揺したのか記憶処理灯を自身に向けた。そして、間髪入れず最大出力で光を放ってしまったのだ。
 付喪神なら失神と多少の記憶喪失で済むが、人間はそうはいかない。男はずるずると崩れ落ちると、喃語を発しながら失禁した。後には、困惑する大包平が残された。他に人はいなかった。
 自分の尿を不快がって愚図る男を見ていられなくて、仕方なく大包平は対処法を探した。壁面埋め込み収納を開き、非常事態マニュアルを読もうとしたところへ、モニターで異常を検知していた正規の職員が駆けつけた。大きな赤子と化した男は担架で運ばれ、大包平は顕現した身のまま、研究所へ連れていかれた。
 この時大包平は、再び禊をして刀に戻されるものと思っていた。だが、事は予想外の方向へ転がる。
 人間達は、大包平を本丸へ送ろうとはしなかった。研究所で仮に与えられた一室で、様々な委員会からやって来た職員らとの飽きるほどの面会と、仮想空間へ転移しての戦闘訓練、人体に慣れるための生活を経た後、研究所職員を通じて、政府お抱えの行政機関であり実力行使部隊でもある特別時空警備隊へ配属されることを告げられた。
「ここはいつも人手不足でね。色々と仕込みが必要で育成に手間のかかる人間を雇うより、ワケあって本丸へ行けない刀剣男士を雇った方が、遥かにコスパがいい」
 己の配属事情について恐らく最も正確な分析をしたのは、同じ班の先達である石切丸だった。彼は刀帳で見られるのとは異なる、現代の将校じみた装いをしていた。烏帽子の代わりに官帽を、狩衣の代わりにナポレオンジャケットを、袴の代わりにズアーブパンツを纏い、さらには編靴まで着用している。その全てが若草の色調に統一してあることと、上に引っ掛けた羽織だけが、大包平の知る石切丸の名残だった。
「『大包平』は実装されたばかり。まだはぐれた者のいない新しい刀で、何より働き者だ。だから人間達は、貴重な分霊の一振である君に禊をして本丸へ送り出すのを、勿体なく思ってしまったのかもしれないね」
「それなら、最初からここへ配属される俺を決めておけばいいだろう」
「刀剣男士の実装は、あくまで対歴史修正主義者抑制手段として認可されている。新実装の刀剣をそのままこの特時隊へあてがってしまえば、反政府勢力は勿論、審神者会からも刀剣を戦力とすることに異を唱えられかねない」
 石切丸は、切れ長の双眸を細めた。
「私達の所属する特時隊は、政府に逆らった人間や刀剣男士に刃を向ける。『予期せぬ都合』がないと、我々のような存在は成り立たないんだ」
 後になって大包平は、己をこのような境遇たらしめた事故のことを、繰り返し考えるようになる。事故を起こした臨時職員の姿は、あれ以降一度も見かけない。駆け付けた職員や、大包平と面談した少し立場の高い者達には、こんなことで命を奪うのも馬鹿らしいからやめてくれと伝えたのだから、死んではいないはずだ。
 あれは本当に事故だったのか、果たして──考えかけて、いつも途中でやめる。大包平はもう、政府中枢施設から遠く離れた、一兵卒に染まってしまった。時間の無駄である。最近は、この件について考える習慣もなくしていた。
 特別時空警備隊の主な任務は、時空間法に反した歴史遡行軍以外の勢力の制圧もしくは捕縛、政府関連施設の警備である。具体的には、時空の狭間を突いて闇取引をする者達の取り締まり、暴動を起こした審神者の居城の鎮圧、研究所重要区画の見張り──中に入ることは許されない──など。武力制圧が多く、次に警備、稀に潜入調査のような搦め手も行う。何にせよ、同胞に刃を向けるのが日常の仕事だ。
 とは言え、特時隊所属の刀剣には本体以外の武器の携帯と使用が許されているので、己の本体で同胞を害したことはない。大体は、贈与された対人兼対付喪用特殊警棒で殴る。なるべく殺しはしない。この後の裁きが待っているからだ。拳銃も渡されているが、大包平はあまり使わない。手応えの無い武器は加減をしづらい。
 自分達が『予期せぬ都合』が無い限りいるべきでない存在だということは、いくつか任務をこなしてすぐ理解した。本来なら肩を並べるべき刀剣達と、得物を挟んで正面から対峙する。ある時は敵対の目を向けられ、またある時は彼らを行動不能まで追い込むこともある。そのような極限の状態にいることを常に強いられる生活だ。一度でも本丸で生活したことのある個体なら、まず耐えられぬ労働環境である。現に、特時隊に本丸勤務経験のある個体はほぼいない。そういった者はまず他の機関へ行く。
 ──本丸に配属されていれば、あんなものを見ることもなかったんだろうか。
 任務が終わった後。大包平は割り当てられた寮の自室に籠り、しばし物思いに耽る。
 特時隊の基地は、政府の所有する山中の霊域に秘匿されている。審神者がおらず、施設こそいかにも官公庁らしい大規模な擬洋風であるが、立地自体は本丸とよく似ているらしい。部屋に一つ据えられたソファへ腰掛けながら、窓より庭を眺めるのが大包平の癖だった。美しい緑と向き合い、その日こなした任務のことを考える。
 目先の欲望や富に執着するあまり、あらゆる怨念が集って収拾の付かなくなった本丸。刀剣達と過ごすうち、己も彼らと同様の存在になりたくなり、永遠の命を求めて禁忌に手を染める審神者。審神者の心の弱みと金の匂いを見逃さず、悪魔の一品を売りつける呪い商人。こちらが手を差し伸べても、その手を取ることなく、主人と共に不幸でいることを望む刀剣。どのような顛末になろうとも、すべき対処をし、わだかまりを飲み下すしかない己。
 特時隊で目にするのは、歴史修正主義者対抗戦線の歪ばかりではない。日々様々な現場へ立ち会っていると、もっと根源的な、勝負の次元にない底の知れぬモノと向き合っている気分になる。
 もっとも、戦闘の腕を磨くには困っていない。むしろ、普通に本丸へ配属される者より己は強いと確信している。その証拠と言っていいのか何と言うべきか分からないが、自分は修行なしに極衣装の着用を許されていた。
 ある日突然、研究所の者から衣装を渡され「練度が十分上がったので、こちらを今日から着用していただいて構いません」と言われた。刀剣男士の現世における存在強度は、どの衣装に袖を通したかによって変わるところがあるから、特時隊の男士も一度は極衣装に袖を通す慣わしなのだという。
 だから、渡された衣装を更衣室で着た。それで終わりだ。特に感慨も落胆もない。他の大包平は、修行に行くことを己の至らなさを認めることのように捉えて葛藤するらしいが、自分には関係ない。それよりその日は刀剣男士不正入手疑惑のある某重鎮の邸宅へ押し入ることになっていたから、さっさと機動服に着替えて出動した。
 臨場する現場が増える度、自分の実力が増し世界が広がる。
 功績を上げれば称えられる。武功を上げる機会は、枚挙にいとまがない。
 だが、いかに称賛されようと勲章を得ようと、大包平は満たされなかった。この頃には、生来己を苛んでいたのが、称号や功績の有無ではないと気付いていた。
 一〇五の大包平は優秀だ。そう噂されるほど、かえって抱えた孤独と絶望が深まるのを感じる。
 ──包み込むにも限度がある。
 一つの箱庭にいることができたなら、そこを基盤として世界を包んでやるくらいのことは言えただろう。そして、その本丸が終わる時には綺麗に折れて、自分の生涯を美しく閉じることもできたはずだ。
 だが、自分の置かれた庭はあまりに広大だった。
 そして、そこに渦巻く混沌を、大包平はまだ、じっと見つめることしかできずにいる。







 特別時空警備隊の業務開始時刻は一般的な政府勤めの人間と同じらしいが、そんなものを守っている奴は誰一振としていない。勤務時間中は、班ごとに割り振られた詰所の執務室に詰めているか、訓練場や資料室にいるのが理想らしいということも、知ったことではない。どうせ皆この敷地で暮らしており、非番と外出許可の取得という二つの条件を満たしていなければ、外へも出られないのだ。だから各々好きな場所で過ごし、有事の際は司令室の住人こと長谷部の一斉放送で出動するというのが定着している。
 それでも大包平は、定刻通りに詰所へ行くのが習慣になっている。別に真面目ぶっているわけではない。単に、そういう生活習慣が性に合っているのだ。
 彼の所属する一班の基地は、詰所二階にある。情緒の無いオフィスルームで、中央には六つの机が向かい合わせに設置されている。南の壁には景趣を見下ろせる大きな窓。東の壁には班員の名札掛けと、簡単な調理ができる一口コンロと流し台。西には棚や資料ケースがぎっしり詰まっており、北には衣装掛けやちょっとした武具が置けるスペースが設けてある。普通の本丸には自分の本体を掛ける場所が各室にあるというが、ここにはない。特時隊の剱は、皆ここへ来て早々に、本体を霊子に変換して自らの仮初の器へ収める訓練を積んでいるためだ。いついかなる時も帯刀を忘れず、間髪入れず抜刀できるようにしているのである。
 料亭で違法物品を押収した翌日も、大包平は定刻通り詰所へ出た。班の部屋には一〇二こと石切丸と、一〇一こと大俱利伽羅がいた。石切丸は自分の卓でモニターに向かっており、大俱利伽羅は窓辺で外を眺めている。
「おはよう」
「おはよう」
 大包平が挨拶する時、間違いなく返してくれるのは石切丸だけだ。彼は顔を向け、穏やかに微笑んだ。大俱利伽羅はこちらを一瞥したきり、また外へ目を戻す。そういう主義の男だと知っているので、気にせず自分の卓につく。
 自分の席は石切丸の向かいだ。左の席は空席であり、右隣と向かって左奥の机にはそれぞれ持ち主がいる。どちらもまだ来ていないらしい。
「昨日の報告書のことだけど、突入係の報告をお願いできるかい。私は事の概要をまとめるから」
「分かった。引き受けよう」
 機器の電源を入れる。デスクワークの友が起きるのを待ちながら、コーヒーでも飲むかと簡易給湯コーナーへ向かおうとしたところで、部屋の扉が開いた。
「おっはようございまーす!」
「お疲れさん」
 元気よく扉を開けたのは、一〇三こと乱藤四郎。その後に続いて来たのは、一〇四こと御手杵だ。乱は極衣装のフリルを翻しながら、足取り軽く石切丸の隣へ座る。御手杵はジャージのポケットに手を突っ込みながら、大包平の右隣へ長い足を折り畳むようにして腰掛ける。
「この時間に全員揃うなんて、珍しいね」
 乱が一同を見渡して放った言葉に、大包平が返す。
「お前がこの時間にいるのが一番珍しいがな」
「えへへ。モテモテでごめんね」
「昨夜はさすがに何もなかったんだろう?」
 石切丸が訊ねる。
「うん。しかも、どの柳の下にもドジョウが来なかったみたい」
「それは珍しいね」
 特時隊は、機密性の高い任務を請け負うことが多い。万が一敵に会話を傍受された時に備え、任務中に互いを班員番号で呼ぶだけでなく、普段から暗号じみた言い回しで会話をする癖がついている。
 今の会話に出た柳というのは、時の政府直轄の色里を指す。ドジョウとは、そこに現れた度の過ぎる客や、特時隊でマークしている標的のことだ。そのような者が現れた場合、この乱のように、潜入任務を得意とする剱が出動して制圧する手筈になっていた。
 ちなみに特時隊に所属する剱には、それぞれ得意とする仕事に対応した役の名が個体識別名称に入っている。役は全部で六つあり、それぞれ、武力制圧の【葉隠はがくれ】、警備守護の【金剛こんごう】、潜入調査の【陽炎かげろう】、交渉知略の【花心はなごころ】、技術支援の【水分みくまり】、探知分析の【月影つきかげ】と呼ぶ。大包平の所属する一班には、【月影】を除く五つの役に付く刀剣が揃っている。
 乱は唇を尖らせる。
「ボクとしては、ドジョウがいてくれた方が、任務上がりでヘトヘトの身体が高まって良かったんだけど」
 乱藤四郎という剱は、往々にして思わせぶりな発言をし、相手のペースを乱して遊ぶ戦好きだという。だがこの目の前にいる個体については、思わせぶりでも何でもなく、直球そのままの言動をしていると班員の誰もが知っている。
 この男は快活な美少女然とした容姿に反し、色好みの戦闘狂なのだ。その趣味が高じて、隊の【陽炎】の中でも花街防衛の中核を任されている。さらにその功績により、かの里の顔役達からはVIP扱いを受けているのだとか。
「元気だよなあ」
 御手杵が平たい調子で相槌を打つと、乱は心外だと言いたげな顔になった。
「君らが枯れすぎなだけでしょ。うちの班にはこんなに立派な男士が四振も揃ってるのに、何で誰一振としてその贅沢な肉の器を享受しようとしたり、周りに還元したりしようと思わないんだろ。本当に謎だよ」
「こればっかりは、私達の個体差だから」
 石切丸が苦笑する。
「神社暮らしが長いから、そういう縁の拗れるものは馴染まないんだ」
「派手な遊び方には慣れてるくせに」
「そんなことはないよ」
「あるよ。ボクは、枯れ井戸群落掃討作戦の時に石切丸が単車に乗って火炎放射器を振り回しながらハラキヨ唱えてたの忘れないからね」
 石切丸は【花心】を担当する。交渉役は、いつも温和で精神的余裕を失わない彼にぴったりだ。実際、仕事ぶりも申し分ない。
 だがその一方で、こいつを戦場に出すと大変なことになるから【花心】に付かせているのではないか、という噂もまことしやかに囁かれている。特時隊にやってきたこの大太刀は、機動を文明で補うという手段を覚えていた。
「それは神事だから」
「そういう問題? ねえ、大俱利伽羅はどう思う?」
「俺を巻き込むな」
 外を見ていた大俱利伽羅が、窓枠に背を預けてこちらを向く。いつもの仏頂面だ。
「だって大俱利伽羅がここで一番長いでしょ。なら、石切丸との付き合いも一番長いじゃん」
「知るか」
 大俱利伽羅は、一班で最も古い剱だ。特時隊全体の中でも古参だと聞く。役は【金剛】。何があってここへやって来ることになったのかは知らないが、演練などで見かける一般的な大俱利伽羅とさして乖離していない個体に思える。
 特時隊には強烈な個性を持つ変わり者が多い。個性の内容は様々、この隊へ所属するまでの因果関係も様々。けれども皆、精神に堪える特異な現場に適応するため、生来の性質を活かしつつ変質したと思われる様子である点だけは共通している。生き残るのは強い者ではなく変化できる者だとは大昔の生物学者の言だが、これは付喪神にも当てはまるらしい。
「そもそも、俺らに戦以外のことを期待するなよ」
 先の見込めない会話に、御手杵が割って入る。
「色ボケ仲間が欲しいなら、他の班にいるだろ」
「色ボケって言い方はやめてよ! ボクは、資源が勿体ないって話をしてるのっ」
「持続可能な開発目標ってヤツかぁ?」
 御手杵はへらりと笑う。眇めた双眸が糸のようだ。
「なら、しっかり俺達資源の性質を理解しないと。石切丸は房事の縁を絶ったり繋いだりするのが仕事。大俱利伽羅は一匹狼。俺は、人語を話す物がタイプじゃない。な? 資源の活用方法が、お前の趣味と違うと思わないか」
「それは……うん。残念だけど、一理ある」
 乱は溜め息を吐いた。
「御手杵と話すなら、イケないおにーさんおねーさんの話より、玩具の話だね」
「そうそう。ところで、バグった蘇言機を改造して自白機の試作を作ったんだが、興味ないか?」
「ある」
 乱は目を輝かせて御手杵のもとへ向かう。槍は背後の棚へ赴き、そこへ置いてあったパックバックから禍々しい改造パーツの付与された蘇言機を取り出すと、乱に仕組みを説明し始める。
 御手杵の役は【水分】だ。取り扱い物品全般の管理や手入れ、改造に始まり、霊電子システムのハッキングまで手広く引き受ける。御手杵という槍は元々武功を上げることに意欲的だという話だが、この個体は武器へのこだわりが突出して強い。「道具の素質を最大限活かせるのは道具自身」と豪語し、出動がない時は大抵魔改造か訓練に勤しんでいる。その成果あって、銃火器の扱いはなかなかのものだ。
「霊子は量子の兄弟だから、同時に複数の状態を持つだろ。そのうち特定の波形を放つ配列だけを追跡して過去へ──」
 真空管らしきものを撫でながらつらつらと喋る槍に、短刀はうんうんと頷いている。分かっているのだろうか。
 大包平はモニターへ向き直る。すると、真向かいで細まった双眸と視線がかち合った。
「自分だけ掘り下げられなくて残念だ、って思ってる顔だね」
「気のせいだ」
 むしろ逆である。己にまでお鉢が回って来なくて良かったと安堵していた。
「嘘だな」
 そう言ったのは、石切丸ではなく大俱利伽羅だった。
 よりによって何故ここで加勢する、大俱利伽羅。
 大包平は心中で問いかける。俺だけ無傷で済ますかということか。それとも、しばらく会話に加わっていなかった俺を慮ってのことか。後者だとしたらそれは余計な気遣いだぞ、大俱利伽羅。
 背後の会話が途切れた。こちらの会話を聞きつけたらしく、すぐに間の抜けた声が投げかけられる。
「何だぁ? 俺の資源分析に、大包平だけ入ってなくて不満なのか」
「しょうがないなあ」
 振り向けば、御手杵と乱はやれやれと言いたげに肩をすくめている。そうしたいのはこちらだ。
「大包平はだって……ねえ?」
 乱の目は、語る前から笑みの形を描いている。
「永世童帝だろ」
 御手杵は何の感情もなく、淡々と告げる。
「永世童帝で何が悪い」
「その自信がすごいわ」
 この評を聞いたのは二度目だ。
 石切丸と大俱利伽羅は顔を見合わせている。その様を見た御手杵が、ぽんと手を打ち鳴らした。
「そうか。二振は大包平の【陽炎】適正診断に同席してなかったから、知らないのか」
「あれ、そうだったっけ」
「ああ」
 大包平は頷いた。
 着任して三年が経った頃だったか。自分のできることを確認したくて、大包平自ら班員に適性検査を頼んだことがあった。【金剛】と【花心】の診断を大俱利伽羅と石切丸に、【陽炎】と【水分】の診断を乱と御手杵に受け持ってもらったのを覚えている。
「大包平に【陽炎】適正が全くない、という結果を聞いたのは覚えてるよ」
 石切丸が言うと、乱がそうそうと首肯する。
「【陽炎】に必要な会話誘導、印象操作、危機管理。この辺りを測るために、ボクが良くしてもらってる柳に協力してもらったんだよ。三人の器物の化生にとある秘密を抱えてもらって、それを探り出し、かつ自分の印象を残さず一般客として帰ってくるように、って課題を出したの」
「秘密は聞き出せただろう」
 大包平の言葉に乱は頷いた。
「そうだったね。でも、印象操作が全ッ然ダメだった。神域転用で冴えない付喪の姿に化けてたはずなのに、言動に大包平が滲み出てるもんだから、おにーさんおねーさんがみーんな、よく覚えちゃってて」
「ああ」
 大俱利伽羅は至極納得した声を上げた。石切丸も頷いている。
「想像できるねえ」
「しかも、課題に協力してくれた三人のうちの二人が『あの人を忘れられない』なんて悩ましい溜め息を吐くんだもの」
 乱は両手を組み合わせてしなを作り、恋煩いのポーズを演じる。中身はともかく姿形は紛うことなき美少女なので、そういう仕草がよく似合っている。
「悪いけど、ちょっとだけ記憶処理させてもらっちゃった」
「君、一体何をしたんだい」
 石切丸が行状を疑うような顔をするので、大包平は眉根を寄せた。
「別に。潜入先に合わせて尋問を行っただけだ。特別なことなどしていない」
「嘘、嘘。『お前を包んでやろうか』っていう極オーラマシマシで、責めに責めてた」
 乱がすぐさま訂正する。
「へえ。君達は現場で見ていたのかな」
「そんなプレイみたいなことしないよ。【陽炎】の任務用モニターを使った」
「それはそうだね。失礼」
「だって考えてみろよ」
 御手杵が真顔で言う。
「目の前で大包平がセックスするんだぜ。俺、笑いすぎて姿眩ましが解ける自信がある」
「おい。俺のどこに笑うところがあると言うんだ。美の結晶の閨事だぞ」
「そういうところだろ」
 失礼な槍だ。大包平は鼻を鳴らした。
 一般的な境遇にいる剱ならこの診断の状況を聞いた時点で関わることすら嫌がるだろう。だが、特自隊に染まりきった剱は気にしない。性交の景色など、そこらで連結して飛ぶトンボと同じである。
「一応大包平の名誉のために言っておくけれど、テクは良かったよ」
 乱は輪を作った左手を右手で撫でながら言う。
「挿入なし射精なし。自分の体液を残さずに帰れたのも偉い。センスがある。慌てないでコトを慎重に進められるあたりは、とても童貞とは思えない」
「そうだろう」
「けど、愛がない。強いて言うなら、あれは施術」
「施術」
 石切丸が復唱する。
 乱は頷いた。
「観察眼と技術力で満足させる──プロとしてのプライドを感じたね」
「なるほど」
 石切丸は大包平を見た。生暖かい笑みが浮かんでいる。
「何だか、納得できてしまうな」
「その顔をやめろ」
「で。診断が終わった後に聞いてみたの。このビジュがあってテクがあるのに、何でお花を愛でに通わないのって」
「その答えがこうだ」
 御手杵は咳払いをし、眉をぎゅっと引き締めて声色を作る。
「愉しみが分からない。いいか、国宝は皆の文化財だ。金で一晩を与えずとも、一振こうして佇んでいるだけで十分だろう」
「童帝だな」
 大倶利伽羅がぼそりと呟く。
 石切丸は何も言わない。机に突っ伏して震えている。それを眺めていた大倶利伽羅が、こちらに背中を向けた。その肩が震え出した気がするのは気のせいだろうか。絶対気のせいではない。つられ笑いをするな。
「まあ。でも、永世童帝って選択は正しいよ」
 乱は大包平の肩を笑顔で叩く。
「横綱の突き落としに耐えられるおにーさんおねーさんが、どれだけいるか。痛い思いをさせちゃうのは可哀想だし、良かったんじゃないかな」
「お前、C端子だからな」
 もう反対側の肩を御手杵が叩き、労わるような口調で言う。
「【葉隠】適性がずば抜けて高いんだから、いいじゃねえか。極脇差並に小回りが利いて、極大太刀並の攻撃範囲も持ってる。十分だ」
「巨チンでも気にするコトないよ」
「そうそう」
「何故慰められる流れになっている。お前達、俺で遊んでいるだろう」
 大包平は背後に佇む先達二振を仰ぐ。乱はこちらを見下ろしているようで、微妙に視線が交わらない。御手杵に至っては完全に明後日を向いている。
「何にせよ、大包平は潜入には向かないね」
「だな。お前は偵騎を放ってるのが似合うぞ」
「話を誤魔化そうとしているな。しっかりこっちを見ろ。おい」
 大包平が二振と視線を合わせようとした時だった。
 ジリリと電子の鈴の音が響く。発信源は、大倶利伽羅と石切丸の席の間。据え置きの固定電話が着信を告げているのだ。
 大倶利伽羅が受話器を取る。
「一斑だ」
 耳を傾ける。電話口から微かに漏れる声に、覚えがあった。
 大倶利伽羅はいくつか相槌を打った後、受話器を置く。ここで彼は、今日になってから初めて皆を見回した。
「司令室の長谷部からだ。一斑全員に話がある、と」
 乱と御手杵が、大包平へ顔を向けた。
「大包平が巨チンの話するから」
「お前らが始めた話題だろう」







 司令室は詰所の一階にあり、客の対応や事務処理の取り纏めを行う事務室に隣接している。特時隊の出動にお決まりはない。酷い時には非番や事務係まで駆り出されることもある。一方で、司令室のメンバーは通信係として勤務地に最低一振は留まる義務がある。ゆえに、事務室が空の時は彼らが来客の対応も兼ねるからこの位置取りになったとかならないとか噂されている。
 司令室の中核を担うのはへし切長谷部だ。厳密には、へし切長谷部である。二振おり、それぞれ受け持つ時間帯の違いから朝番の長谷部、夜番の長谷部と呼ばれる。略称は朝部あさべ夕部ゆうべ。まるでインスタント味噌汁だとは御手杵の言である。
 この長谷部達は、特時隊が設立されたばかりの頃、とにかく手が足りなかったために特例で励起され配属に到ったらしい。以来、二振の長谷部は特に諍いを起こすこともなく、同一個体特有の息の合った連携で、政府関連機関から伝達される業務を容赦なく隊員にぶん投げ続けている。
 大包平達が司令室へ行くと、メインモニター前の卓には長谷部が一振座っていた。二つある机のうち、片方が空である。夕部は仮眠を取りに行っているようだ。
 本丸にいるへし切長谷部の多くは、審神者の命を少しでも多く叶えるべく歩き回っていると聞く。しかしここの長谷部は真逆で、司令室からまともに出ない。風呂、仮眠室、簡易キッチンといった衣食住に必要な設備が、全てこの一室に据え付けられているからだ。利便性は高いものの、刃員配置と刃道への配慮には疑問がある。
 今日も朝番の長谷部は熱心にモニターに浮き上がる幻像を睨んでいる。病的に白い顔へ目まぐるしく変わるホログラムの色が投影される様は、表情の険しさも相まって、現代の猟奇殺人をテーマにした前衛アートのようだ。
「来たか。早かったな」
 長谷部はこちらを一瞥し、手元のキーを一つ叩く。大包平達の前に、半透明の霊電子スクリーンが現れる。
「監査局からお前達の班を指名して、直々に依頼が来た。潜入調査だ」
 嫌な予感がする。潜入調査を任せるなら、他に探知と潜入のできる頭数の揃った班があるはずだ。
 大包平はスクリーンを覗き込んだ。そして、任務内容を確かめて眉を顰めた。
「何これ」
 乱の大きな碧眼が、一際丸くなる。
 そこにある文面は簡潔だった。
 任務内容。当該本丸へ潜入し、不審な物品の出入及び取引がないか調査すべし。不審な現場を抑え、物的証拠を確保し次第、然るべき者の身柄を拘束すべし。
 調査条件は一つ。必ず、大包平を潜入要員とすること。
「この手の任務は久しぶりだ」
 一通り目を通したらしい石切丸が長谷部に問う。
「問題の本丸は?」
「今資料を出す」
 新たなウィンドウが宙に複数出現する。本丸の基礎情報。審神者のデータ。刀帳や任務の取組状況。
「ひねもすひぐらし本丸。所属は美濃国。在籍刀剣数は六十六。不審な点は……なるほど」
 隊員の視線が、本丸基礎情報と任務のウィンドウを行き来する。
 この本丸は今年で設立八年目になる。それなのに、戦闘回数は一桁しかない。
「戦をしていないな。何があった」
 大俱利伽羅の問いに、長谷部は新たなキーを叩きつつ答える。
「審神者が着任して一日で昏睡状態に陥った」
 審神者のウィンドウが拡大され、顔写真と来歴、既病歴が大写しになる。
 映る顔は、若い男のものだ。年齢は三十歳。目元の辺りに少年のような線の丸みこそあるが、なかなかにすっきりとした顔立ちをしている。
「政府へ書類提出に出掛けた途で、交通事故にあったらしい。そのまま八年間目覚めなかった。意識が戻ったのは今年。半年前のことだ」
「それは気の毒に」
 石切丸が労しげに言う。
「本当に最初期に行ったきり、戦場へ出ていないということか」
「そうだ。以来、戦闘の任務は全く達成されていない」
 白手袋をした指が、既病歴を辿る。
 八年前、交通事故に遭い入院。時の政府系列の病院を転々とし、やがて一つの病院に落ち着く。その病院の名は、大包平も知っていた。政府傘下の病院の中でも、特に大きな終末医療病棟を抱えるところだ。
 そこから空白があり、日付が飛んで今年の春。
 意識回復。一ヶ月後、退院。しかし、一週間も経たないうちに再度来院し、心的外傷後ストレス障害の診断を下されている。
 長谷部の指は、その最後の診断を示す。
「事故で自身の肉体の激しい損壊を目にしたのがトラウマになっていて、血や傷を想像させられるだけで日常生活がままならなくなるそうだ。しかし、審神者の仕事は続けたいと希望している。そのため、今はオンラインで定期的にカウンセリングを受け、完全な復職を目指す途中だ、と」
「やけに鍛刀だけ熱心にやってるなと思ったら、そういうことか」
 御手杵は刀帳のウィンドウを指でスライドしている。
「言われてみれば、いる刀は全部鍛刀で降ろせる奴らだ。この審神者、よっぽど鍛刀したんだな。炉から出る刀剣は皆揃ってるぞ」
「本当か? そんなことがありえるのか」
 大包平は任務達成のログを見る。見事に、鍛刀の記録と勤続ボーナスしかない。
「この本丸は出陣だけでなく、遠征もろくに行っていないだろう。その状態で、六十六もの剱を降ろせる資源を、どうやって入手した。いくら事故の補償金があったとしても、長い間入院生活を送っていたならば、財にそうゆとりがあるわけでもあるまい」
「その通りだ。この本丸の不審な点は、そこにある」
 長谷部は新たなウィンドウを立ち上げる。今度は出納帳の記録らしい。購入品名と金額が並んでいる。
「資源の購入をした様子はない。データ上、全ての刀剣を一回で出したことになっている」
「あり得るのか?」
「さあな。人間というのは、後天的に神通力に目覚める者もいないことはないから断言できん。特に生死の境を彷徨った後、不思議な知見を得る者もそこそこいると聞く」
 長谷部がまた一つキーを叩くと、ウィンドウにある刀剣男士の並びが変わった。
「元々鍛刀の運もあったように思える。事故に遭う前、初期刀を選んだ後に二振鍛刀していた」
 刀剣の並びは顕現順に変わったようだ。一番上にあるのは山姥切国広。次に今剣。その後に鶯丸。どれも同日にやって来ており、それ以降の刀とは大きく顕現年月日が開いていた。
 石切丸が双眸を眇める。
「ゆかしいね」
「そして今、件の本丸は大包平をご所望らしい」
 椅子が回り、煤色の頭がこちらへと向く。大包平は問う。
「理由は」
「知るか。初めての連続褒章を用いての交換を希望していると、審神者のマネジメントを担当する職員より情報を得た。そこを活用して潜り込む」
 配布固体に偽装して一〇五を送り込む。既に育ち切っている能力は術式で抑制して隠す。期間は七日間。潜入の間、大包平は専用の通信機を用いて班の他の面子と連絡を取り、状況を知らせる。
「はーい!」
 司令係の説明の途中、乱藤四郎が手を挙げた。長谷部が発言を促すと、小首を傾げて言う。
「今聞いた感じだと、潜入調査するには事件性が薄くない? 資源の状況に不透明な部分があるかもしれなくて、物凄く鍛刀がうまくいってるだけでしょ? わざわざ僕らを動かす理由は?」
「担当の職員が、元監査局務めのGメンでな」
 長谷部は律義にその担当職員の姿をモニター上へ表示する。髪を短く刈り込んでいる、目のぱっちりとした小太りの男だ。
「今年、審神者の意識が回復してから担当についたらしいんだが、接している感じ、どうも匂うんだそうだ。そこで持ち前の監査局へのパイプを活用して、俺達に繋げたらしい。
「不安定な審神者だ。監査局も、犯罪の抑制や対処より巡視が主な任務になるだろうと読んでいる。せいぜい何かあったとしても提出データの不備。重くて不正呪具の所持か闇ルートからの資材入手くらいのものだろう、と」
「陽炎でなくとも十分務まるということだな」
「そうだ」
 長谷部は大包平に、片眉を持ち上げてみせた。
「ご自慢の完璧さを更に磨ける好機と捉えたらどうだ?」
「そうだな」
「そうだな、じゃないよ」
 乱が呆れ声を上げる。
「サポートするのは僕らなんだからね? 一人で納得しないでよ」
「とはいえ、断るのは不可能だからなあ」
 御手杵が首筋を掻きながら言う。
「特時隊に他の大包平はいない。同位体のいる他部署に任せたところで、人員技術共に十分な体制で取り組めるところはないだろう。俺らが対処する以外の選択はない」
「よく分かってるじゃないか」
 長谷部は満足げに頷いた。
「では、この件は一班に一任するものとする。怠慢は許さんぞ」





(続く)