比翼




※現代パロディ。
※ver6.3までのネタバレあり。
※レオアシュ。
※捏造祭り。
















 夏季休暇を利用して、五大陸へ旅行に出掛けることにした。
 大陸鉄道で行ける十二の都市を巡る計画で、長旅になる。そのため、アシュレイは家にある傷みそうな食材を全て使い切ってしまうことにした。
 出立を翌々日に控えた午後。日課のトレーニングを終えてから、十五時の仕上がりを目指してフルーツパウンドを作り始める。使い切ってしまいたい卵とバター、牛乳などを入れて作った生地へ、酒のつまみに購入して余らせていた干し果物を全て投入し、型へ流してオーブンへかける。
 焼き上がるまでの間に風呂へ入り、髪を乾かしてリビングへ戻れば、ちょうど家の中へ砂糖と小麦のこんがりと仕上がったいい香りが満ちていた。夏の昼すぎ、トレーニングを終えた風呂上がり、ドライヤーの温風。今すぐ服を着ればまた汗をかきそうだから、もう少し着ないままでいたい。だが、このまま何も身に着けずに高熱を発するパウンド型を取り出しに行ったら、火傷しそうだ。だから、下着一丁に胸当てエプロンを身に付けてオーブンへ向かった。
 パウンドケーキは、キツネ色に焼き上がっていた。型から取り出してケーキ台の上で冷ましていると、玄関から解錠音がした。
「ただいま」
 レオーネが帰ってきた。旅行のために必要なものを買いに行っていたのだった。
「おかえり」
 リビングへ入って来た彼を振り返り、声を掛ける。
「焼けたから、食うの協力してくれないか?」
「ああ」
 レオーネは目を細めた。
 つかつかと歩み寄ってきて、酔い止めの薬やら飲料やらの入った買い物袋を卓上へ置く。そしておもむろにアシュレイの方へ向き直ったかと思うと、エプロンの肩紐を軽く引っ張った。肩紐がX状にかかったデザインのせいで、背中の紐ごと弟の方へ引き寄せられそうになる。
「何だよ」
「いや」
 レオーネは兄の顔よりやや下の辺りを一瞥する。
「随分サービスがいいなと思って」
 アシュレイは怪訝な顔をした。
「まだ茶も淹れてないけど?」
 レオーネは笑って、肩紐から指を外した。そのまま同じ指を、エプロンの裾、前面に入ったスリットへ差し入れて持ち上げる。
「なんだ、穿いてるのか」
 どこか残念そうだった。
「なくていいのに」
 アシュレイは、ようやく弟の言うことを理解した。
 顔をケーキ台の方へ戻すふりをして、朱を帯びる頬を逸らす。
「言っとくけど、そういうつもりで着たわけじゃないからな」
「そうか」
 パウンドケーキを切り分ける兄の素足を、レオーネの指が辿る。下着の線を確かめるようになぞりながら背後へ向かおうとするのを、アシュレイは弟の唇にケーキを押し付けることで阻止した。
「まだ」
 弟は存外素直に指を離し、ケーキへ食いついた。無言で咀嚼する間に、言い聞かせる。
「旅行の準備が終わってないだろ」
 レオーネは頷いた。嚥下して、綺麗になった口を軽く開いて見せる。もっと食べさせろということらしい。
 アシュレイは小さめに切り分けた破片を、弟の口へ運んだ。
 俺は何をしているんだろう。そう思ったものの、一心に菓子を味わっている弟を眺めるうち、愛しさに頬が緩んでしまっていることに気付いた。
「終わればいいの?」
 ただし、口が空になってしまえば、これである。
 兄の台詞へ抱いた疑問を素直にぶつけているだけなのか、それとも揚げ足を取ろうとしているのか。判別できないが、毎度こちらが望んでいるかのように誘導するのはやめてほしい。
(流される俺も俺なんだけど)
 揶揄っているのかと受け流そうとしても、本当に弟に望まれてしまえばその気になってしまう。
 弟に甘えられると応えたくなる癖と、片割れへの尽きることない愛しさは、アシュレイ自身の首を絞めることになってもレオーネを優先させるのだった。
「お前次第かな」
 ひとまず弟の問いをはぐらかして、残ったケーキを切り分ける。
 作業を終えても、まだ弟の視線は自分へ注がれていた。アシュレイはパン切りナイフを卓上へ置き、肩にかかったエプロンの紐を軽く指で摘まんで見せながら彼を窺う。
「こういう格好、好きなのか?」
「さあ。どうだろうね」
 レオーネはうっすらと笑みを浮かべた。
 眼差しが、鋭さを増している気がする。アシュレイは卓上の洗い物を集めて、視線を振り解くように流しへ向かった。
「とにかく、旅行の支度は終わらせようぜ。まだ明日があるから大丈夫だって呑気にしてると、思わぬ落とし穴があって出かけられなくなるかもしれないからな」
 いつもなら弟が言うだろうことを、自分が口にしている。
 我ながら妙な心地がした。こういった時に呑気に構えがちなのが自分で、きちんとこなさせようとするのが弟だったはずだ。
 弟に、ペースを乱されている。流しへ向かい、洗い物を片付けながらアシュレイは考える。
(面倒臭がらないで服を着ておけばよかった)
 これが終わったらまず服を着よう。
 そう決意する彼の背後に、気配が立った。
 振り返るより早く、レオーネが背後から抱きついてきた。
「何もしないからこのまま聞いて」
 腹の前に回された腕を反射的に解こうとした兄へ、レオーネが乞う。
「準備は勿論ちゃんとする。家の片付けもする。兄貴が出掛ける前にしておきたいことも手伝うよ」
「そりゃあ助かるな」
 アシュレイは強いて平静を保とうとする。
 剥き出しの肩や背は、触れ合う弟の温もりを明確に感じ取ってしまってよろしくない。服を着なかったことが本当に悔やまれる。
「でもそのために、兄貴にして欲しいことがあるんだ」
 レオーネは、耳元で願い事を囁いた。
 言葉にされたその願望に、アシュレイは絶句する。自分の両腕に手を添えたまま動かなくなってしまった兄に、レオーネは笑みを零した。
「ね、兄貴」
 弟は、後ろから兄の顔を覗き込む。
「ダメかな? 兄貴がそうしてくれるなら、もっと頑張ってもいいよ。台本読みの練習とか、板の投稿も手伝う。お得な取引だと思うけど」
 だってお前がすることは、一つだけなんだから。
 その囁きに、アシュレイは弟を見た。だが目を合わせられたのはほんの一瞬で、すぐ顔ごと余所へ向けてしまう。
「この」
 それでも、最後の抵抗として小さく悪態を吐いた。
「むっつりすけべ」
「お前、罵るの下手だな」
 レオーネは噴き出した。
「それじゃあ、余計俺を喜ばせるだけだよ」








+++



 旅支度を終わらせておいて良かった。
 レオーネは心の底からそう思った。
 旅支度としばらく空ける家の手入れを終えたのが夕方。そのまま以下略で、気づけば翌日の正午になっていた。
 レオーネは自室のベッドに横たわっていた。隣には、まだ眠っている兄がいる。
 その安らかな顔を眺めながら、やるべきことを考えた。
 まずは昨日はしゃいだ跡を片付けよう。ブランチはそれからだ。
 レオーネは兄を起こさないよう、慎重に起き上がった。洗濯場へ行くと、昨日のうちに下洗いを済ませて洗剤につけておいた洗濯物──シーツとエプロン、タオルなど──がある。
 それを洗濯機に放り込んで、キッチンへ向かった。冷蔵庫に昨日兄が下拵えしておいたクロックムッシュの材料があったので、それをフライパンで焼く。さらに、昨日の夕飯の余ったスープを加熱してよそる。
 仕上がったものをトレイに載せ、自室へ戻った。匂いに誘われたのか、ちょうど兄がベッドの上で身を起こしたところだった。伸びをすると、纏うゆったりとしたTシャツに肢体の線が浮き上がった。
「兄貴。食べるよな」
「おう」
 兄が立ち上がろうとするのを片手で制し、ベッド脇へサイドテーブルを持ってきて朝食を乗せる。それから、向かいに自分の椅子を引っ張ってきて座った。
「食べさせてあげようか?」
「いい。それくらいできる」
 アシュレイは苦笑した。
「お前は今、俺をどんな状態だと思ってるんだよ」
「介助が必要かなって」
「そこまで消耗してねえよ」
 お前ほど元気ではないのは確かだけど。
 そうどこか恨めしげに言うのに、唇の片側だけを吊り上げて返す。
「俺だって、兄貴が元気で驚いたよ。昨日の──」
「それ以上言うな」
 いただきます、と兄は手を合わせた。自分もそれに倣い、食事を開始する。
 弱く空調をつけておいたため、部屋はそこまで暑くない。そのおかげか、カーテンから射しこむ夏の日差しも爽やかに感じられた。
「のんびり寝て、昼に食う朝飯って最高」
「人気俳優の発言とは思えないな」
「いいだろ。俺は俳優以前に、自由を愛する人間なんだから」
 そう言って、アシュレイは破顔する。
「お前もいてくれて、本当に文句のない休日だよ」
 レオーネはクロックムッシュにフォークを突き刺した。
「はいはい」
「そんな、適当に流しとくかみたいな顔するなよな。寂しいだろ」
「この休暇が終わったら、また会えなくなる」
 そうなったら、寂しいのは俺の方だ。
 目を上げると、アシュレイは複雑そうな顔をしていた。
 何故、自分よりも悲しそうな顔をするのだろう。
 レオーネは微笑する。自分の思いを己のことのように汲む、兄のそういうところが愛しかった。
「仕方ないよ」
 優しく声を掛ける。
「仕事なんだから」
「今後はもうちょっと、落ち着いたペースで働くようにするよ」
 毎晩帰って来られるようにする。
 無理しないと回せないような仕事の受け方は控える。
 先日した約束に二言はない、とアシュレイは神妙な面持ちで語った。
「でも、本当に大丈夫なのか? それで仕事が来なくなったり、劇団に居づらくなったりしないのか」
「平気だよ。うちはそういうの理解あるし、むしろもうちょっとゆとりを持てって言われてたからな」
 俺がはりきり過ぎてたんだ。アシュレイは目を伏せて笑う。
「出張での撮影も終わった。しばらく本分の舞台役者に専念するさ」
「俺もラッカランに就職するかな」
 レオーネが何気なく呟くと、アシュレイは目を見開いた。
「おっ。レオも俳優やるか?」
「それは嫌だ」
 思わぬ提案に、顔を顰める。
「他人の望む役を演じ続けるだけじゃなくて、プライベートでもそういう目で見られるかもしれないんだろ。絶対嫌だ。疲れる」
 自分は、どうしても人目を気にしてしまう方だ。注目を集める演者より、他人を支えるような仕事の方が向いている。
「そう言うと思った」
 アシュレイは手にしたフォークを軽く振る。
「お前がそう思うなら無理強いはしないよ。けど、レオは役者として十分やっていけると思うな」
「まさか」
「アクションはともかく、演技全般なら俺よりお前の方がよっぽど良い俳優になれる」
「なら聞くけど」
 レオーネは片割れを窺う。
「お前は、俺が他の俳優や女優と抱き合ったりキスしたりするの、見たいか?」
「あー」
 アシュレイは眉根を寄せた。
「お前が受け入れるなら仕方ねえけど、見たくはないな」
「俺だって、そうしないと死ぬっていう状況でもなければ、赤の他人にそんな真似したくない」
 それを職業にしている他人については、どうとも思わない。ただ、自分はそれを仕事として割り切れる性分ではない。それだけのことだ。
「俺は、お前が恋愛表現の薄い脚本を採用することが多い劇団に所属してるアクション俳優で良かったと思ってるよ。そうじゃなかったら耐えられなかった」
 レオーネは大きめに切られたスープの野菜に、フォークを突き立てる。
「今でさえ、お前にガチ恋してるファンを見た時に脳内でマウントを取らないと苛つくんだからな」
 具材を一口で頬張る。
 兄は、目をぱちくりさせていた。
「お前、そんなこと思ってたのか」
「悪いか」
「いや! 悪くねえよ」
 アシュレイは慌てたように首を横に振った。
「そんなことって言ったのは、ああ、その」
 眉を下げ、口元を片手で覆う。
「まさかレオが、妬いてくれるなんて思わなくて」
「妬かれて嬉しいのか?」
 レオーネが訊ねると、兄は頷いた。
「うん。だいぶ嬉しい、かも」
「嬉しいなんて言えるのは今のうちかもしれないぞ」
 つい皮肉な口調になってしまう。
「お前が劇団の下宿に泊まってるのだって、本当はちょっと心配なんだ」
「一緒に寝泊まりしてる奴は心配ねえよ。絶対そういう関係にはならない、めっちゃくちゃ礼儀正しい相手だから」
 アシュレイは明るく言う。
「心配なら、泊まってる様子を端末からお前だけにライブ配信したっていいぜ。あいつも許してくれると思う」
 兄の生活の様子を、ライブ配信。
 レオーネは考え込んだ。
「それって、兄貴の生活の様子を監視カメラで見るみたいな感じ?」
「そうだろうけど、何で監視カメラ? 俺、囚人なのか?」
 アシュレイが首を傾げているのを余所に、想像してみる。
(二十四時間三百六十五日、兄貴の様子を見る)
 不可能ではない。大学で培ってきた知識と技術を使えば──レオーネは具体的な手順を考え始めている自分に気付いた。物事を突き詰めずにはいられない性分が、いけない方向へ刺激されつつある。それを自覚して、空想を中止した。
「……ちょっとヒトとして踏み外しそうだから、やめておくよ」
「何で? 俺、そんなにまずいこと言ったか?」
「それより、なるべく毎日帰ってきてくれた方が嬉しいかな」
 レオーネが言うと、兄は目を丸くした。
「お前、なんか素直になった?」
「ちょっとだけ、吹っ切れたところはある」
 喧嘩してから、少しだけ素直になりやすくなった気がする。吐き出したものを兄や周囲に受け止めてもらえて、気負っていた部分が和らいだのだろう。
 レオーネはそう捉えていた。
「俺はずっと、レオが好きだよ」
 アシュレイは躊躇いなく断言した。
 いつものまっすぐな眼差しへ、レオーネは微笑みで応える。
「兄貴のことは、信じてるよ」
 自分自身よりも、よほど兄を信じている。
 そう考えて、レオーネは不思議な気分になった。
 自分のことさえ分からないのに、何故完全に把握も制御もしきれないはずの、他人である兄を信じられるのだろう。
 何故その好意を、妄信的に信じていられるのだろう。
「何で兄貴は、俺を好きなんだ?」
「へ?」
 その不思議さを唇に乗せてみると、兄は意表を突かれたようだった。
 眉を跳ね上げ、問い返してくる。
「お前が好きなのに、理由が必要なのか?」
「え? 今まで何の理由もなく、あんなに好きだ好きだって言ってたの?」
「いや! ちゃんとお前のことは好きだぞ!?」
 アシュレイは何を思ったか、急にあたふたとし始めた。
「ただ、何て言ったらいいんだろう。説明しろって言われると難しいんだよ。俺の中で、レオが好きっていうのは当たり前のことだから。染みついちまってて、言葉にする癖もなくて」
 だから、お前に告白する前も散々迷ったんだ。
 兄はそう言って、頭を抱える。
「お前とずっといたい。一緒に暮らしたい。遊びたい。俺の楽しいことはお前に分けたいし、お前の苦しいことは俺も背負いたい。そう思うんだよ」
 考え考えの様子だった。
 レオーネは首を傾げる。
「兄貴は、誰に対してもそうじゃないか? 小さい頃から、みんなのムードメーカーだった」
「そうでもねえよ」
 なおも首を捻りながら、兄は語る。
「なんて言ったらいいんだろうな。お前といると、俺自身の人生を歩めてる気がするんだ」
「どういうこと?」
 問いながらも、レオーネは兄の言葉に共感している自分に気付いていた。
 アシュレイは考え込みながら、たとえばと切り出す。
「多分──あくまで仮の話だからな、そうしたいってわけじゃねえよ──お互い、他人と暮らすこともできなくはないだろ」
 性格こそ違えど、他人に尽くさずにはいられない性分なのは共通している。どこの誰とでも、そこそこ幸せに生きられるよう努力するだろう。それぞれ別の道を選んでも、生きてはいけるはずだ。
「でもその俺って他の誰かの中の俺であって、きっと俺自身じゃねえんだよ」
 アシュレイは眉を八の字にする。
「ごめん、分かりづらいな」
「いや。分かるよ」
 レオーネは静かに言う。
「お前は、他人のために生きるのが当たり前だから」
 きっと他人に気取られる前に、息をするように自分を無いもののように扱う。
 そして誰からも望まれる、明るくあっけらかんとした男として生きるだろう。
 レオーネも、自分を殺して相手に合わせる方だ。違うのはレオーネが己を殺すのを苦しく思うのに対し、兄は苦しみさえ知覚しないところか。
 だから、完全とは言えないまでも兄の心中で起きていることは察せているように思う。
「もちろん、それも俺なんだよ」
 アシュレイは困ったような顔のまま話す。
「だけど、俺はそれだけじゃない。レオはそれを、俺より分かってる」
 知ってるさ、とレオーネは思う。
 兄の明るさが、他人の希望を具現化して作り上げた一種の虚像でもあること。
 自分を無き者として扱う癖ゆえに、他人に寄り添えず苦しみを覚えることがあること。
 そんないたいけなまでに純粋な精神が、他人の幸せのために身を粉にする痛みを飲み込んでもそのままだったから、惹かれた。兄ほど強く危うげで、透き通るような心を持つ人間は、他にいなかった。
「そういう、レオのよく物を見て考えられるところを、俺は本当に尊敬してるんだ」
 アシュレイは真面目な面持ちで言った。
「お前の聡さも、思慮深さも、優しさも、俺にはない。俺はお前が羨ましくて──レオみたいになりたい。正直、すごく憧れてる」
 そこまで言って、アシュレイははにかむ。
「なんかこれ、照れるな」
 レオーネは唖然とした。
 兄が自分に憧れる。そんな話はこれまでに聞いたことも、想像したこともなかった。
(お世辞か?)
 そう疑うも、兄がこのような嘘を吐かないのはよく知っている。
「お前が理想なんだ。傍にいて欲しくて、堪らない」
 だから、とアシュレイはとろけるように笑う。
「お前と一緒に暮らせている今が、本当に幸せなんだよ。お前が傍にいてくれれば何だって乗り越えられる気がするし、多少失敗してもめげずにいられる」
 思いがけない兄の告白に、言葉を失った。衝撃で、何を話したらいいか分からなかった。
 そんなレオーネを不安に思ったのか、アシュレイは首を傾げる。
「今ので、俺がレオを好きだっていう理由の説明になったかな」
 不思議そうにこちらを見つめる瞳に、どんな言葉で思いを伝えたらいいのだろう。
 逡巡の末、レオーネは立ち上がった。空になった食器を載せたサイドテーブルを退かし、兄の乗るベッドへ腰かける。横向きのその身体を攫うようにして、抱き締めた。
「わっ」
 アシュレイは勢いのまま、ベッドへ転がされた。
 ぎゅうぎゅうと絞めつける弟の腕に戸惑いながら、背中を叩いてくる。
「待て、レオ! あんまり激しくされると、明日箱舟に乗る時辛いって」
「俺も、お前になりたかった」
 レオーネがそう告げると、抵抗はぴたりと止んだ。
 腕の中から兄の、心底疑問といった風の声が響いてくる。
「何で? レオの方がいい所いっぱいあるだろ」
 レオーネは大きく息を吐いた。
「それはこっちの台詞だ」
 上体を持ち上げた。真っ白な寝台へ沈む無垢な表情を見つめ、呟く。
「俺達って、案外似てたんだな」
「まあ、双子だし?」
 アシュレイは首を傾ける。
「似てないところもあるけどな。俺もレオみたいに賢くなりたかった」
「お前だって、仕事であれだけ柔軟に動き回れて台詞も覚えられてるんだから、十分頭の出来はいいだろ。瞬間的な情の方が勝りやすいだけだ」
「他人の気持ちをもっと察せるようになりたい」
「十分だよ。お前はそのままでいてくれ」
「レオ」
 アシュレイは笑った。何だか泣きそうな顔に見えると、レオーネは思った。
「気を遣うなよ。俺は──」
 お前だけじゃない、きっと散々人を傷つけた。
 寄せられる思慕が分からないのに、期待させるような真似をして傷つけた。
 兄はそう告白した。
「このままで良いわけない」
「いいよ」
 レオーネは、もう一度兄を抱き締めた。
「そういうお前に、俺は救われるから」
「お前のことを傷つけたくない」
「俺だってそうだよ」
 レオーネは、兄の頬へ手を添える。
「でも俺は、お前につけられる傷なら受け入れるよ」
 生まれた時から寄り添ってきた、この世に二人といない片割れ。
 その指先が愛しげに自分を辿ってくれたから、己の輪郭ができた。
 互いにつけ合った傷さえ、大切な己の一部だった。
「愛してる」
 レオーネは、そっと告げた。
「お前の何もかもを」
 その瞼へ、軽く接吻を落とす。
 唇が離れると、アシュレイは覆い被さる弟を見つめた。口元にこそ呆れた風の笑みを浮かべていたが、目元はうっすらと赤らんでいた。
「そんなこと言っちゃって、いいのか? 俺、お前が思ってるより結構重いから、本気にするぞ」
「いいに決まってるだろ」
 レオーネは、兄の顔にかかる乱れた髪をかき上げた。
「それより、まだ本気にしてなかったのか?」
「ずっと本気だったよ。でも、たまに不安になるのは仕方ないだろ」
「兄貴にも不安なんてあるんだな」
「おい」
 アシュレイは弟の胸をどついた。やや意地悪く笑う顔を両手で挟み、唇を尖らせる。
「俺だって、苦しんだり悩んだりするんだぞ」
「分かったよ」
「だから、レオが苦しい時はちゃんと言ってくれよ」
 俺も一緒に苦しみたいから。
 いじらしいことを言う口元へ、吸い寄せられた。
 どちらともなく頭を傾け、互いを求め合う。
 その間へ、呑気な電子の音色が流れ込んだ。洗濯機の仕事が完了した合図だった。
 間の抜けた音が、感傷的な空気を散らす。向かい合う瞳が、全く同じように丸くなっているのを見つけて、二人は同時に噴き出した。
「昨日のシーツを洗濯したの、忘れてた」
「洗ってくれたのか。ありがとな」
 レオーネは身体を起こした。その後同様に上体を起こした兄と目が合い、照れて視線を余所へやる。
「……何で、こんな話になったんだ」
「何でだっけ」
 二人は首を傾げた。
「ま、それはともかく」
 兄がレオーネを覗き込み、満面の笑みを浮かべる。
「俺は、レオの貴重な愛の告白がもらえて嬉しかったぜ! また頼むわ」
「あと十年は言わない」
「えっ」
 立ち上がるレオーネの袖を、アシュレイが掴んだ。首を大きく横に振り、せがんでくる。
「十年はダメだろ! せめて月一! 十日に一回!」
「やだ」
「レオぉ」
「そんな顔しても駄目だ」
 しがみついてくる兄を引っ張り、立たせる。勢い余った兄が抱きついてくるのを受け止め、耳殻へ囁いた。
「『激しくされると明日箱舟で辛い』って言ったの、忘れてないからな」
 瞬間、眼前の耳が鮮やかに染まり上がった。
 いい反応をする。茹蛸のようになった兄を、レオーネは面白く眺めた。
「いや、その。それは勘違いで」
 アシュレイはしどろもどろに言い訳をする。
「激しくなければ、今日もしてもいい?」
 揶揄ってきた意趣返しにさらに詰めてやると、アシュレイは顔を逸らした。
 それでも身体は離れようとしない。満更でもなさそうだ、とレオーネは察する。
「でも、本当に旅行は楽しみたいから」
 恥ずかしげに細く言う。
 レオーネは、兄の背中を撫でた。
「分かってるよ。ひとまず、洗濯物を干して来るから」
「じゃあ俺、食器片づける」
 二人はそれぞれ目的の場所へ向かい、作業をこなす。
 そうしながら、明日以降片割れと目にするだろうまだ見ぬ世界へ思いを馳せた。