私は壁になりたい




※現代パロディ。
※ver6.0までのネタバレあり。
※レオアシュ。
※捏造祭り。













 世界の中心、レンダーシア大陸。
 今日までの歴史家達の研究によれば、アストルティアで初めて文明の築かれた地であり、現存する中で最も古い史跡を有すると称される、歴史ある大陸である。
 その内海に、独自の文化と景観を持つ島が二つあった。
 名を小エテーネ島、大エテーネ島という。
 エテーネ人と呼ばれる人々が多く暮らし、独特の雄大な自然を有するその島々は、現在アストルティア自然保護地域に指定されていると同時に、観光リゾートとしても知られていた。
 特に大エテーネ島の方は、近年地元の名士の発案で造られたテーマパークが大好評であり、世界中から多くの観光客が訪れている。
 その名は「エテーネル・キューブ・ランド」──通称ECL。
 空想の時間旅行をテーマにしたこのテーマパークは、園内を古エテーネ王国領、グランゼドーラ王国領、ウルベア帝国領、オルセコ王国領、宇宙船アルウェーン領という架空の五つの区域に分けて作られており、実際のアストルティア各地方の歴史的な建造物や地形を参考に設計された景観とアトラクションを楽しむことができる。
 そのクオリティーの高さは、必ず入園者を心弾むタイムトラベルの旅路へと誘ってくれるとの評判で語られるほどであった。
 そんな夢想の国には、創設者の姉が実際に夢で見た内容をもとにして作られたという噂があった。
「それって本当なの、お姉ちゃん」
 チョコレート色をしたロングヘアの少女が、連れ合いに小声で訊ねる。
 話しかけられた彼女は、透き通る青い瞳で彼女を見下ろした。橙のワンピースからすらりと手足の伸びる、長身の美女である。
 彼女こそがメレアーデ──エテーネル・キューブ・ランドを開園したエテーネ財閥の長クオードの姉であった。
「あら、ミナ。物知りね」
 メレアーデは破顔する。
 ミナとメレアーデは従姉妹の間柄である。メレアーデは幼い頃からミナ達兄妹とよく遊んでくれた、実姉同然の存在だった。従容とした朗らかな性格と七不思議とをその身に宿す、真の意味での「不思議」系美女でもある。
 その不思議のうち特に目立つのが、二十年前から外見が変わらないことだった。クオードの背が伸び、ミナや兄のエクスが成人しても、メレアーデはずっと少女と大人の狭間を保っているのである。
 何か美容の魔法でも使っているのではないか。そんな疑念を持ってクオードと兄妹の三人で観察した時期もあったが、証拠となるものは見つけられなかった。
 そのような不可思議の化身の如き従姉なので、彼女の夢がこのテーマパークを生んだという噂は、ミナの中で妙な信憑性を持っていた。
「そうねえ。半分はその通りってところかしら」
 メレアーデは間延びした調子で答える。
 少女は首を傾げた。
「半分?」
「ほとんど、クオードのおかげでできあがった場所だもの」
 そう言って、従姉は辺りを見回した。
 今二人は、人気アトラクション『幻灯邸イル・ラビリンス』の行列に並んでいるところだった。
 イル・ラビリンスはやや高いところに作られているので、園内の景色がよく見渡せる。
 大エテーネ島の中核都市キィンベルをモデルに作られたエテーネ王国エリアは、洒脱な景観が好評である。そのため、今日もアトラクションそっちのけで写真を撮る客達で盛況だった。
 隣のグランゼドーラ王国領では、ドラクロン山地の飛竜のジェットコースターに乗る人々が歓声と悲鳴を上げている。
 反対隣のオルセコ王国領鬼岩城前には、長蛇の列が切れない。並ぶ客達は、鬼岩城から出てきた者達が興奮や愉悦、恐怖で震えたり笑ったりしているのを、興味津々で見つめている。
 どこもかしこも、今この瞬間を満喫する客で溢れていた。
「父の経営で傾きかけていた島がここまでになったのは、クオードの努力と情熱あってこそ。あの子は自慢の弟よ」
 にこりとする従姉。
 クオード兄さんがこれを聞いたら、物凄く喜ぶだろうな。
 ミナは従兄の仏頂面を思い浮かべた。
 彼は姉であると同時に母親代わりでもあったメレアーデをよく慕い、尊敬していた。
「じゃあ、夢の話は本当なんだ」
「もうエレベーターが近づいてきたわ」
 メレアーデは前へ向き直り、感心したように言った。
 アトラクション『幻灯邸イル・ラビリンス』は、青い扉のエレベーターから始まる。
 エレベーターの中はシアターになっており、そこで導入ムービーを見たら館内を移動してコースターに乗るのだ。
 少し不気味な物語の演出に加え、風になる感覚や上下運動まで楽しめるという、絶叫マシンとお化け屋敷を掛け合わせた、スリルを求める客向けの室内アトラクションなのだった。
 ちなみに、この施設のメインキャラクターは子供の頃のクオードやメレアーデをモデルに作られている。何故そうなったのかは分からないが、美術・技術スタッフ共に気合を入れて取り組んだようで、再現度が高い。
「もう、って。ここまで二時間待ったじゃない」
「私の中では短い方よ。もっとあってもいいくらい。待ち時間が長ければ、ミナとお話をする時間が増えるもの」
「なんか照れるなあ」
 今日もメレアーデは機嫌が良さそうだ。
 ミナは彼女の根気の良さに、感心半分呆れ半分で笑った。
「エクスもいれば、話題も増えて良かったんだろうけど」
「いいのよ。エクスとはまた今度来ましょ」
 今日はミナの兄であるエクスはおらず、従姉妹とミナの二人きりだった。
 兄は今頃、クオードに連れられてカジノにいるはずだ。得意先と接待すごろくをする、その頭数に加えられたらしい。
「エクスは物怖じしないから、どこでもボウフラのように湧いてくれて助かるって、クオードが言ってたわ」
「クオード兄さんの語彙のセンス、相変わらず独特だなあ」
「頼りにしてるのよ」
 話しているうちに、エレベーターの扉が少しずつ近づいてくる。
 あとどのくらいで中に入れるだろう。自分たちが乗るのは、コースターの何列目だろうか。
 ミナはそれが気になり始めた。
 彼女はECLの常連である。イル・ラビリンスにもかれこれ二十回は乗っているので、一回あたりに何人がエレベーターへ通されるのかも見当がつくようになっていた。
 ミナは自分の前にいる人数を数える。
(あと二回くらいかな。一組目として通されそう)
 同じコースターに乗る人々を確かめようと、後ろを振り返る。
 そして、気付いた。
 自分より五組後ろに、見覚えのある人影。
 繊細な光を帯びて肩へ落ちる髪。
 手元へ向かう理知的な眼差しと、凛々しい顔つき。
 フライトジャケットの似合う引き締まった体躯。
 間違いない。
 兄の先輩にして友人の、レオーネだ。
 行列に並びながら読書している。まだ、こちらには気付いていないらしい。
「え」
 ミナは、つい声を漏らした。
 先輩の隣に、服装こそ違うものの、全く同じ外見の男がいるのだ。
「レオーネさんが、二人?」
「あら、本当。双子だわ」
 ミナの困惑を察し、視線を辿ったメレアーデが呟く。
「しかもあれって、ゼドラの勇者のアシュレイさんじゃない」
 さらに、ミナの知らない名前を口にする。
「知ってるの?」
「俳優さんよ。アクションスターなの」
(なるほど)
 ミナは一瞬で先輩の事情を悟る。
 そして、咄嗟に気付かれないよう声を落とした自分の機転を自画自賛した。
 加えて、同行していたのが思慮深い従姉で良かったと感謝した。兄だったらすぐ声をかけていただろう。
「アシュレイさんのご兄弟と、知り合い?」
「大学の先輩なの。兄弟がいるって知らなかった」
 ミナは背負っていたリュックを体の前へ持ってくる。
 ポシェットから髪ゴムを取り出し、ロングヘアを一つに括る。それからキュルル──ECLのマスコットキャラクター──の被り物とスライムメガネを装着して、端末のインカメラで自分の姿を確認した。
「よし」
 ミナは満足する。これで、大学の後輩だと見抜けなくなっただろう。
「急に変装みたいなことして、どうしたの? 気付かれたら困る事情でもあるの?」
 メレアーデが小首を傾げる。
 ミナは、声を低くして答えた。
「あのね。レオーネさんは高嶺の花なんだよ」
 文武両道、温厚篤実。
 誰にでも分け隔てなく手を差し伸べる優しさがありながら、誰にも触れさせぬさやかな影も纏っている。
 そんなレオーネは、男子学生の中でも格段に大人びてミステリアスな存在であるとして、女学生達の間で憧れの的になっているのだ。
「女子の多くがレオーネさんに近付きたいと願いながら、誰も近付けない。でもみんな注目してるから、レオーネさんの伝説とファンの持て余したパッションだけが蓄積されていく」
 たとえば、建築学部の教授陣に研究職になることを熱望されているとか。
 たとえば、専門外の学問にも優れており、とある人文学系の講義の担当教授が「うちのゼミに来ないか」と勧誘したとか。
 たとえば、一年生で参加した対抗戦にて鬼神の如く活躍し、優勝を勝ち取ったとか。
 たとえば、大学祭にて泣く子供と困りきった母親に神のような対応を見せ、その場にいた全員のハートを射抜いたとか。
 たとえば、ある学生が大学祭の裏で開催した「独断と偏見で投票する脱いだら凄そうなミスターコンテスト」にて堂々の一位を勝ち取ったとか。
 そのような伝え聞いた話を言い交わし、ファン達はうっとりと陶酔に浸るのである。
「そんなレオーネさんとうっかり二人で話そうものなら、彼に近付きたい人達がいっぱい話しかけてくるんだよ」
 レオーネは兄と仲が良く、その延長でミナにも話しかけてくる。いつも何事もないような顔をして会話をしているが、ミナは内心ではひやひやしていた。
 何故なら、彼と話していると必ず、憧れの存在と話すミナをチェックする視線を感じるからである。レオーネと別れた後に数人の女子に囲まれるまでが、お決まりの展開になっていた。
「『間を取り持ってくれ』って、言われるの。でも、あたしにそんな重大な役割をこなす力はない。だから毎回断ってるんだ」
 兄さんが仲が良いから、ごく稀に話すだけ。
 一緒に遊びに行ったこともないし、連絡先も知らない。
 そう言って、どうにか難を逃れている。
「大変なのね」
 メレアーデは同情の眼差しを注いだ。
「でもここは大学じゃないんだから、普通に話しかけたっていいんじゃないかしら」
「ううん。やめとく」
「どうして?」
「理由は二つある」
 ミナは人差し指を立てた。
「一つ目。レオーネさんって、よく気を遣ってくれる優しい人なの。そんな人が秘密にしてることだから、秘密のままにしておきたい。有名人のお兄さんとお忍びで遊びに来てる、せっかくの日を大切にしたい。そう思うから」
 次いで、中指を立てる。
「二つ目。あたしは壁になりたいから」
「壁?」
「応援する対象に極力接触せず、その幸せを守りたい」
 ミナは語る。
 ひそやかな調子を保ちつつも、声にはいつしか力が篭っていた。
「いや、守るなんて傲慢なのは分かってる。推しにあたしの力なんて必要ない。あたしは推しの母親でも恋人でも何でもないし、そういうものにもなりたくない。ただただ人畜無害な存在でありたい」
 話しかけられれば、いつも笑顔で接する。
 彼に何かあった時には、さりげなくできる支援をして、見返りを求めずクールに去る。
 そのような者でありたい。
「推しは心の世界樹の雫。一ターン眺めるだけで明日を生きる力をもらえる。あたしは推しを見てる間、自我を持つ存在でなくなる。推しを取り囲む空間の一部になって、褒められもせず、苦にもされず、そういう存在にあたしはなりたい」
「んー。なかなかにいろんな意味で難解なことを言ってるみたいだけど」
 メレアーデは顎に当てていた利き手を、顔の横で立てる。
「要するに、レオーネさんの非接触型強火オタクってことね」
「理解が早くて助かる」
 そう。ミナも他の女子大生の例に漏れず、レオーネのファンなのである。
 ただ、間を取り持ってほしいと頼んでくる層とはまた違い、レオーネに極力働きかけたくないという志向の持ち主なのだった。
「オタクの道に王道はない。接触型には接触型の、非接触型には非接触型の道がある。たとえ他のファンの目がなくとも、あたしはあたしの道を貫いて推しの背景になるわ」
 ミナの瞳には、スライム型のメガネ越しにも明らかな確固たる意志が宿っていた。
「人の幸せを祈れるのはいいことね」
 メレアーデは頷いた。
(これだけ自論を展開しても動じずに受け入れてくれるお姉ちゃんって、本当にすごい)
 高ぶる気持ちを聞いてもらえたせいだろうか。
 落ち着いてきたミナはそもそもの話の流れを思い返し、メレアーデがレオーネの兄弟を知っていたことを思い出した。
「お姉ちゃんは、アシュレイさんのファンなの?」
 メレアーデはちらりと後方へ視線をやる。
 アシュレイは園内の風景を眺めている。
「お友達がファンでね。話を聞いてるうちに、私も興味が湧いて詳しくなっちゃった。今では、彼の出演する作品が上演されたら観に行く程度のファンよ」
 メレアーデはアクションの表現に詳しくない。ただ、彼の誠実な演技と、舞台外で見せる屈託のなさそうな顔が良いと思って注目し始めたのだ。
 近頃は、弟とアクション映画を見て勉強している。武術の心得のある弟曰く、アシュレイが舞台の上で見せているのは、実戦のプロも舌を巻くほどのものであるらしかった。
「でも、兄弟のことは全然知らなかったわ。彼、プライベートの話を全然しないから」
 開けっ広けに見える言動に反し、アシュレイは自分個人の年齢、誕生日、生誕地以外の情報を公表していない。誰かにさりげなく過去について探りを入れられても、朗らかに答えながらもきっちり線を引いて、秘すべきものは秘したままにする。
 そういう引いた線を越えないところも、メレアーデの中で評価が高かった。
「へえ」
 ミナは相槌を打ち、改めてアシュレイを観察する。
 羽織るものこそミリタリージャケットでレオーネと異なるが、その下のシャツとズボンは色違いのお揃いだ。姿形は、二人を前後に重ね合わせたら全く一致するだろうというくらいに似ている。
 それでも別人だと分かるのは、纏う雰囲気が大きく違うからだ。常に冷静な物腰のレオーネに対し、アシュレイの仕草は鷹揚で軽妙だった。両手を身体の前で組み伸ばして伸びの運動をしたり、足を気ままにぶらつかせたりしている。
 不意に、天井を仰いでいたアシュレイが行列の外へ顔を向けた。ミナもその先を目で追う。
 イル・ラビリンスの下に、黄緑の頭巾を被ったキャラクターがやって来ていた。キュルルの着ぐるみである。丸っこい体の妖精に、子供たちが縋りついて写真撮影をねだっている。
 その景色を映したアシュレイの眼差しが、ふと柔らかくなった。凛々しい眉根から力が抜け、口元に小さな笑みを湛える。どこか甘やかさを感じさせる笑顔に、ミナは口を押さえて奇声を発しそうになるのを堪えた。
(わあ)
 動悸がする。
 先輩と同じ端正な顔立ちが、こんな風に変化するとは。
 レオーネのほぼ変わらないクールさも良いが、アシュレイの表現の豊かさも良いと思わされた。人気が出るのも納得だ。
「何で、誰も騒がないんだろう」
 ミナは改めて、有名人──しかも双子で、どちらも良い男である──に注目しない周囲を訝しむ。
「こんなたくさん人がいるんだから、誰かしら知ってそうなのに。何で騒がれてないんだろうね」
 レオーネの学内ファンから考えるに、アシュレイにも相当熱心なファンがいるはずだ。なのに、誰も彼に群がる様子がない。
 不思議がるミナに、メレアーデは含み笑いをする。
「それはね。きっと、オーラスキルの隠し技『オーラ消し』を習得してるからよ」
「お姉ちゃん達が覚えてるっていうやつ?」
「そう」
 『オーラ消し』は、簡潔に言い表すとステルス技である。
 術者の持つ並はずれたオーラを一定期間霧散させ、自分の存在を薄らぼけたものにすることで、注目を浴びなくなる。さらに、自分の姿を見た相手の心を波風一つ立たぬ平穏の境地へ誘うため、万一自分の存在を気付かれても騒ぎになる心配がない。
 若き財閥の長とし、業界では知られた存在のメレアーデ・クオード姉弟も習得している技であり、ミナ達と街中へ出掛ける時は大抵これを使っていると聞いていた。
「普通は気付けないのよ。でも今はアシュレイさんの側にレオーネさんがいて、そのレオーネさんを知ってるミナがいたから、私も偶然気付けたのでしょうね。それにしても見事だわ。全然気付かなかった」
 ミナとメレアーデは再び、こっそりと双子を見つめる。
 双子は特に話をするでもなく、思い思いに過ごしている。
 レオーネは依然として本を読み続け、アシュレイは景色を眺めたり端末を見たりしている。
 行列が動き、ミナ達と彼らの間に並ぶ人々が位置を変える。レオーネの手にする書の背表紙が見えた。『パンセ』と印字してある。どうして遊園地で読む一冊にそれを選んだのだろう。
 ミナが「レオーネさんの読む本って会話の糸口には使えないけど、俯く顔が最高だから結論最高」というファン達の声を思い出していると、アシュレイに動きがあった。
 行列の外から、レオーネへ目を転じたのだ。
 レオーネは本に集中しているのか、片割れの視線に全く気付かない。
 アシュレイはしばらくその横顔を眺める。そして、そっと肩を叩いた。
 ──ぽんぽん。
 レオーネが彼を見る。
 顔がこちらへ向くまでの僅かな間に、アシュレイは人差し指を立てる。
 指先が、レオーネの頰に埋まった。
「やーい。引っかかった」
 片割れの頬をふにふにとつつきながら、アシュレイは笑う。
 レオーネは渋面を作り、嘆息した。
「兄貴。並んでる間は手持ち無沙汰になるんだから、暇を潰す道具を用意した方がいいって言っただろう」
「ちゃんと持ってきたよ。でも、それはそれとして妙にやりたくなっちまって」
「こんなに人のいるところで?」
「ごめん! 悪かったよ」
 小言を言うレオーネに、詫びるアシュレイ。
 先程まで黙っていたのが嘘のように、軽い言葉の応酬が続く。
 ミナは胸を押さえた。
 メレアーデがその顔を覗き込む。
「ミナ?」
「苦しい」
 嗄れた声で呻く。
「ときめきで心臓にピオリムが山彦して苦しい。何あれ。嘘でしょ。やばい」
 アシュレイの無邪気な、悪童めいた笑顔。
 他人に嫌な顔をしないレオーネの、あからさまな不満顔。
 そして、アシュレイが兄でレオーネが弟だという情報の破壊力。
「あたしの体温の上昇で、村が一つ焼けそう」
「面白いこと言うわね」
 メレアーデは笑っている。
 ミナはしばらく肺が焼けたような呻きを上げていたが、深呼吸を繰り返して正常な呼吸を思い出す。
 そうしてやっと、従姉を見上げた。
「アシュレイさんって、いつもああいう感じなの?」
「そうね。あのイメージよ」
 陽気で人懐こい。そんな印象がある。
 そうメレアーデが語ると、ミナは両頬を押さえた。
「うっそ。仕事でもプライベートでもあんなカッコいい顔してお茶目なことするの? 可愛くてカッコいいとか最強じゃない。今度お芝居見に行こうかな」
「一緒に行く? 詳しい友達、紹介するわよ」
「お願い。色々聞きたい」
「やった、決まりね!」
 メレアーデは嬉々として端末に何やら打ち込み始める。
 ミナも端末を取り出した。
「興奮して動けなくなるかもしれないから、薬草と気つけ草を持っていこう」
 ミナは通販サイト『密林ブーナー』にて薬草セットを三ダース発注した。
 そうこうしているうちに、ミナ達の順番が回ってくる。
 はたしてミナの読み通り、彼女達と双子は同じ回のアトラクションに参加することになった。
 群青の壁に金細工の美しいエレベーター室へ入るミナの脳内は、レオーネにバレないよう気をつけることと、双子の様子を観察したい思いでいっぱいだった。
 どうにか二人からそこまで遠くない位置に落ち着いた時、エレベーターが上昇し始めた。
 クオードに似た少年の幻像が現れる。
 行き先を観客に確認し、「足を引っ張るなよ」と言いかけたところを、突如けたたましい警報に遮られた。
 点滅する赤光。
 倒れる少年。
 暗転する室内。
 そして、エレベーターの扉が開く。
 妖しげな屋敷が、大きく玄関口を開けて乗客を出迎えた。
(何回見ても良いなー)
 臨場感のある演出に、人々が興奮の中に怯えを滲ませた小声を交わし合っている。
 その声をBGMに、ミナはすっと館内へ足を踏み入れた。
 ミナはこの手のアトラクションに滅法強い。しかも何度も乗っているため、他の観客の反応まで含めてこの施設を楽しむ余裕があった。
 よく手入れの行き届いたシックな洋館は、煌々と灯りがついているはずなのに烟るように暗い。
 窓の外が鮮やかに明るいため、ぼやけた室内の闇が深く感じる。
 すれ違いに声をかけてくる屋敷の住人達は、平和な笑顔こそ浮かべているものの、服装や態度がちぐはぐでおかしい。
 やがて、共に歩くクオードの言動までおかしくなってくる。
 平和で美しく、どこか調和の歯車の狂った世界が、じわじわと観客の緊迫感を煽る。
(楽しい〜)
 何度目か分からない感慨を抱きながら、ミナはちらちらと背後を窺った。
 双子は並列して歩いていた。
 アシュレイは、やや緊張した面持ちであちこちへ視線を飛ばしている。住人に声を掛けられる度に首を巡らせて反応し、不意に景色が変わると笑って感心し、伝声機をへし折るクオードには驚きと不安をあらわにした。
 内心が挙動へ率直に表れる人のようだ。人目を憚らずに様子を見たい気持ちを、ミナはぐっと堪えた。
 一方レオーネはあまり変化がなかった。何か起きれば注目するので、演出の認識はしているようだが、それより内装を観察している。
 途中、ミナは窓の縁へ顔を寄せたレオーネが「古エテーネル王族様式にマデッサンスが混ざってるかな」と呟くのを聞き取った。ブレない先輩である。
 いくつか部屋を通り抜け、順路はまっすぐな回廊へ変わる。
 窓のない一本道。光源は頭上の灯明のみ。
 その灯りが明滅し、弱々しく絶えていく。
 そこで観客は、館内をぼんやりと漂っていた暗がりが、いつの間にか傍らへ忍び寄っていたことに気付く。
 暗闇。静寂。
 知らず、息を詰める。
 怖い。
 誰かがそう呟いた時、俄かに暗闇を一筋の光が貫く。
 光の照らした先には、行先にぽつねんと佇む女の姿がある。
 メレアーデの幻像である。
 愛らしいドレス姿の少女は、顔を両手に埋めている。白くくっきりと切り抜かれた彼女の背景には、光と壁しかない。
 姉さんに影がない、と少年の幻像が叫ぶ。
 すると少女は顔を上げる。
 表情のない、大きな目。
 綺麗な顔に何の意思も感情も浮かべず、じっと観客を見据える。
 意図の見えぬ眼差しに、射竦められる。
 誰も身動きできない。
 そう思ったが、ミナは人一人挟んで横へ並んでいたレオーネが、眉尻を下げて少女を注視するアシュレイの背中へ指先を滑らせるのを目撃した。
「っ!?」
 跳ね上がったアシュレイの吐息は、女の哄笑に被った。
 幻像の少女に、深紅の眼球を剥き出した女が被って高笑いする。
 この館を支配する妖女、レイミリアである。
 漆黒の影に似た妖女はこちらへ大きく身を乗り出し、迫って来るかと思いきや、壁に掛けられた絵画へ吸い込まれて消えた。
 絵画が向こう側へ倒れる。
 そこには、一行を乗せるコースターが待っていた。
「怖かったぁ」
「ここからが本番だよな」
「えー、やだよぉ」
 客達がわいわいと騒ぎ出す。声が華やいで楽しそうだ。
 スタッフが順番に客をコースターへ乗せていく。
 ミナとメレアーデは最前列へ座った。
 その後ろへ、アシュレイとレオーネが誘われてきた。声も出せぬほどに笑いこけるレオーネを、アシュレイがしきりに小突いている。
「レオ、お前! お前マジで」
「本当に悪かったよ。もうしないって」
 二人揃って顔が赤い。
 アシュレイは羞恥で、レオーネは笑いすぎで、沸き立った血が肌に透けているのだった。
「お前がそんなに怖がってるとは思わなかったんだよ」
「心臓止まったかと思った」
「この構成で客に触れてくる仕掛けなんて、まずないだろ」
「理屈じゃ分かってても、咄嗟に分かんねえよ」
 スタッフにベルトの安全性を確認されながら、二人はやり取りを続ける。
「あー。まだ心臓がバクバクいってる」
「あんまり笑わせないでくれよ」
「よし。もっと笑わせてやろうじゃねえか」
「やめろ。こら!」
 アシュレイがレオーネをくすぐり、レオーネが笑いながらその手を止めようと腕を掴む。
 振り解いてくすぐり、くすぐるのをまた捕まえて、とそっくりな二対の手が戯れる。
 コースターが動き始めた。
 また辺りが暗くなり、不気味な蛍光の絵の具が入り混じったような空間へと導かれる。
「兄貴」
 暗がりの中で、レオーネがそっと人差し指を自らの唇に当てる。
 細めた蒼穹の瞳が愉悦に煌めいている。
「始まったから静かに。な?」
「これが終わったら仕返しするからな」
 弟の囁きに、兄も囁きを返す。
 こちらも愉しげに目を細めていた。
 コースターがゆっくりと登っていく。
 お互いから進行方向へと視線を移す双子の正面、最前列に座るミナは、安全バーに頭がめり込んで外れなくなったのかと見紛うほどに、頭を伏せていた。
(これ、すごく下を向けば後ろがよく見えるじゃん)
 そう気づいて、コースターが動き出すと同時に怖がるふりをして顔を沈めていたのである。
 坂を昇りきった滑車が突風と化す。
 ミナは頭を下げ続けた。
 そうして、アシュレイが両手を上げて重力を楽しむタイプで、レオーネが安全バーから絶対手を離さないタイプなのだと知った。








「どこか行っちゃうわね」
「追いかけないよ。二人で過ごす時間を大事にしてほしいもの」
 イル・ラビリンスから出たメレアーデとミナは物陰に潜み、どこかへ歩いていく双子の兄弟を見送っていた。
「ごめんね、お姉ちゃん。あたし、ずっと変で気持ち悪かったよね」
「いいのよ。ミナが楽しそうで、私も楽しかったわ」
 メレアーデはまったりと笑う。
「猫を見てる時の私も、同じような感じになるでしょ。お互い様よ」
「ありがとう」
 寛大かつ猫に弱い従姉で良かった。
 ミナはそう思った。
「素晴らしかった」
「そうね。私もほっこりしたわ」
「レオーネさんってね。いつもスマートでクールで、本当に二十歳かってくらい紳士なの」
 落ち着いてるがノリが悪いわけでもない、空気の読める優しい人。
 憂愁の溜め息すら魅力として取られてしまう、皆の憧れの人。
「でも。あんな悪ガキみたいなことして遊んで、悪ガキみたいな顔をすることも、できたんだなぁ」
 何故か、ひどくほっとした。
 ミナがそう感じるのはおかしいのかもしれない。
 だが無性に胸が暖かいのは本当だった。脳がパルプンテ状態に陥っているのかもしれない。
「楽しそうだったわね」
 半ば呆けたようなミナに、メレアーデが相槌を打つ。
「アシュレイさんも力の抜けた顔をしてて、良かったわ」
「お兄さんやばい。眩しい。あんな笑顔。初めて見た。カッコいい。可愛い。世界樹の雫の泉。強い」
「ミナちゃん。言語中枢が麻痺してるわよ」
「やばい」
「甘い物、飲む?」
「飲む」
 二人は立ち上がった。
 従姉に案内されながら、ミナはぼんやりと空を見上げる。
 晴れ渡る光に悪戯めいた二対の瞳を思い出し、深く息を吸って吐く。
「生きてるって、楽しい……」
「ふふ。それは何より」
 広場の中央では、空白を宿す地球儀の如きオブジェ──永久時環がくるくると回っている。
 その横を通り過ぎて、二人は喫茶へ足を向けるのだった。