兄のせいで恋ができない
※現代パロディ。
※ver6.0までのネタバレあり。
※レオアシュ。
※捏造祭り。
グランゼドーラの某大学。
その敷地内、学生棟。
サークル活動や部活動の部室が集まるその棟の二階に、学生自治会の活動拠点がある。
大学祭のパンフレットやら予算の折衝資料やら、そういうものが雑然と積まれた一室で、地味な青年が一人の学生に頼み込まれていた。
「頼む! 人間男二人、貸してくれ」
「うちは酒場じゃねえぞ」
青年は頬杖をついている。
学生は両手を合わせて拝む。
「そこを何とか。何でも屋だろ?」
「自治会を何でも屋って呼ぶのは止められねえし否定もできねえけど、合コンとカップル相談所は対象外だ」
そんな、と学生は肩を落とした。
彼は、合コンの欠員を補ってくれる人間を探しているのだった。
「せっかくあの子と距離を詰められると思ったのに。あと二人だけ、二人だけ揃ってくれれば、他のレベル高そうな子達とも仲良くなれて、あいつらも喜ぶのに」
「イタで募集したら? みんなやってるじゃん」
青年が代替案を出すと、学生は分かってないなと首を振った。
「そうしたら高確率であそクラが来る」
「助かるだろ。ノリがいいし、向いてる」
「助っ人マン。あんた、さては陽の者だな?」
「どっちでもない。普通だよ。て言うか、助っ人マンって何だよ」
「あんたの通称」
学生は泣きついてくる。
「頼むよ盟友ぅ! せめて、あんた一人だけでも参加してくれよ。あんたはすべての学生達の友だろ?」
「そういう意味じゃねえし、オレが言い出したんじゃねーから」
「可愛い女の子来るって!」
「求めてないんだよなあ」
平行線の会話をしていると、扉が開いた。
ノブを回して現れたのは、肩まで伸ばした栗毛の青年だった。自治会の先輩、レオーネである。
パーカーにジーンズというラフな出立ちの彼は、背負ったリュックサックを下ろす。机に座って向かい合う二人と目が合って、首を傾げた。
「どうした?」
「レオさん」
別にと答えかけた後輩に、客が声を被せた。
「おお、初代! いいところに。助けてくださいよ」
男子学生は再び状況を説明する。
他大学も含めた女子五人、男子五人で今夜合コンを開くのだが、急に男が二人足りなくなってしまった。
ついては、頭数を満たすために人間男二人を貸してほしい。
「なんなら、初代と当代の二人で来てくれたらありがたいんですけど」
「待て。それならオレはいいけど、レオさんはダメ!」
「こいつがいいなら、いいよ」
とんだタイミングで返事が被った。
青年が仰天してレオーネを窺う。
男子学生は大喜びした。
「マジで? ありがとう、助かります! じゃあ他の野郎連中にも伝えておきますね」
集合時間は十八時半、場所はあの店、急な連絡があったら──必要事項をぺらぺらと喋り、男子学生は感謝して去っていった。
あとには、唖然とする青年と平然としたレオーネが残された。
「レオさん、本当にいいの?」
「困ってるんだろう? 顔を出してご飯を食べるくらいなら、俺にもできるよ」
レオーネは後輩の顔を覗き込んだ。
「で。俺はどうしてダメなんだ?」
「だって、こういうの好きじゃないって、前に言ってたから」
「ああ。俺が言ったことを覚えていてくれたのか」
納得したように頷く。
「確かにあまり好きじゃないけど、君は行ったことがあるんだろう?」
「うん」
三回参加した。すべて、今回のような欠員補填要員として呼ばれてのことだったし、そこから何か発展したこともないけれど。
「なら、俺も行ってみるよ。いい経験になるかもしれない」
(経験て)
まあ、彼らしいと言えば彼らしい。
むしろ、この先輩が異性を目当てに動くところを想像できない。
「あー、そうそう!」
先ほど出ていった男子学生が駆け戻ってきた。
「ごめん! そういえばあんた、名前なんていうんだっけ? 連絡先交換してくれよ」
「知らないで頼んでたのかよ」
青年は呆れる。
「エクスだよ」
「そうか。よろしくな、助っ人マン!」
「今名前教えた意味あった?」
+
女の子たちが現れた。
長机正面、横一列に並んで座る女の子五人を前にして、エクスの脳内に踊ったのはそんなテロップだった。
向かって左から女の子A、女の子B、女の子C、女の子D、女の子E。
名前もしっかり聞いたはずなのだが、エクスの脳内テロップははっきりそう表示している。
女の子が憎いわけではない。
ただただ、緊張しているのだ。
気分は試合である。なんなら、戦闘BGMの幻聴さえ聴こえる。
「エクスです。よろしくお願いします」
自己紹介もそれしか言えなかった。
四度目の参加で、何故こんなに緊張しているのか。
答えは隣に座る男にあった。
「レオーネです。建築の二年です」
よろしくお願いします、と軽く会釈をして微笑むレオーネは、早くも女の子達の注目を集めている。彼へ注がれる視線の温度は、自分を含めた他の男へ向けられたものよりも明らかに高い。
他の男達はどこかしょんぼりしている気がするが、エクスは女の子達との交流にさして執着していないので、その点は気にならない。
それより、女の子たちの熱視線のせいだろうか。
改めて隣の先輩の存在を意識して、そのイケメン具合に緊張を覚えるようになってしまっていた。
(改めて見てみると、レオさんって本当にイケメンだな)
凛々しい眉と眼差し。
通った鼻筋。引き結んだ口元。
清潔感のあるまっすぐな栗毛。
肩周りがしっかりしており、胸板が厚い。
胴が引き締まっていて、姿勢がいい。
初めてのコンパのはずなのに、柔らかい声はいつもの調子のままである。
この同い年の冷静沈着な先輩が、今日異性の前で男の顔をする瞬間が来るのだろうか。
エクスはそれを見たいような見たくないような、複雑な心情でどぎまぎしていた。
「お待たせいたしました。サラダでーす」
店員が野菜の乗った大きなボウルを運んできた。
入り口に一番近いのはエクスだったので、サラダのボウルは彼の目の前に置かれた。
すると、すかさず横から手が伸びてきてトングを掴んだ。
「みんな、嫌いなものはある?」
レオーネである。
そうして小皿によそり分け始めるものだから、エクスは慌てた。
「レオさん、やります!」
「いいよ。楽しむ場なんだから、気楽にやろう」
男子の一人が手を挙げた。
「俺、トマトがちょっと」
「分かった」
結局レオーネがよそり、エクスが皿を配るという役割配分になった。
その後はとにかくエクスが持ってこられた料理をよそり分けるようにしたが、それでもレオーネの気配りは止まらなかった。
フリートークの時間になると、女の子たちがレオーネに話しかけてくる。
「レオーネさんが来てくれるなんて嬉しい!」
「去年の対抗戦の時からファンなんです」
「普段何してるんですか?」
「建築って忙しいですよね? なのに自治会までやるなんてすごーい」
「そっちの自治会って忙しいらしいよねー」
「レオーネ君、何かスポーツしてる?」
「趣味は?」
怒涛の勢いである。
忘れていたが、この先輩は学内の有名人なのだった。
レオーネはにこやかに答えていく。
そうしながら、誰かのグラスの残りが少なくなるのを見つけると、男女問わず必ず声をかける。
「次、何か飲む?」
気付いて程よいタイミングで声をかけるのが上手いので、結局レオーネが飲み物の注文を一手に引き受ける形になった。
グラスが届けば、届いた相手に話を振る。
好きなこと。得意なこと。苦手なこと。
そういう内容を不自然でなく、さりげなく聞き出す。
すると、そこから話題が膨らむ。
それを繰り返しているうちに、やがて女子たちの視線は他の男子たちの方にも向くようになり、萎縮していた男子たちも勢いを取り戻して、全員が活発に話すようになっていた。
(レオさんって、人を立てるのうめーな)
エクスはハイボールを傾けながら思う。
レオーネは今、聞き手側に回っている。
一人だけで盛り上がることがなく、立ち回りにソツがないので、見ていて安心できる。
「レオーネ君って、あの人に似てない? ほら、最近話題の俳優の」
途中、そんな話が出てきた。
事情を知っているエクスはひやりとしたが、本人はこともなげに、
「ああ。よく言われるよ」
と返した。
さらには、
「あんまりにもそう言われるから、モノマネもできるようになっちゃった」
と、簡単な一芸を披露する。
話題の俳優を知っている面子は「似てる」と盛り上がり、知らない面子はなんだかよく分からないまでも感心したように見ていた。
身の処し方としては最適解の気がする。エクスは感心した。
「エルトナ酒でーす」
そこへ、頼んでいたエルトナ酒が一杯来た。
飲み干すと酔いが回って、トイレへ行きたくなる。
エクスは立ち上がった。
同時に、胃の中のものもせり上がってきた。
(やばい)
もうそこまで回っていたのか。色々飲んだからなあ。
そんなことを考える暇もなく、一目散にトイレへ駆け込んだ。
席がトイレに近かったのが、不幸中の幸いだった。
一割程度トイレの床に撒けただけで、残りの九割は無事便器に収めることができた。
出すものを出してしまえば頭が少し冷えて、代わりに安心感と罪悪感、後悔が押し寄せてくる。
どうしてもう少し早く気付けなかったのだろう。しかし、もう出してしまったものは戻しようがないので仕方ない。
幸い、服は汚れていない。床を綺麗にして口を濯ぎ、同席している人達を不快にしないように戻らないと。
よろよろと便器の前から立ち、個室を出た。
目の前に、彼が吐いた辺りの床へペーパーを広げて消毒液を撒いている、バケツとゴム手袋装備のレオーネがいた。
「え、片付けてくれたの?」
「うん。それより大丈夫?」
「ごめん! そんなのやらないでよ!」
エクスは自分の吐瀉物が入っているだろうゴミ袋の入ったバケツを、レオーネから遠ざけた。
「自分の吐いたものでも、一応手袋した方がいいよ」
レオーネは落ち着いた様子でビニール手袋の入った箱を渡してくる。
それはそうだ。そうだけど、今問題なのはそこじゃない。
手を洗って口を濯ぎ、渡されたビニール手袋を装着しながら、エクスは膨らんだ罪悪感と申し訳なさで押しつぶされそうだった。
「オレが片付けるまで放っておくか、店員さんにお願いすればよかったのに」
「気にしないで。エクスが苦しそうにいなくなったから、気になって様子を見にきた。そのついでだよ」
「本当に、申し訳ないです」
エクスは深々と頭を下げた。
消毒液を撒いてから拭き取るまで、少し待っている必要があった。
後はやるから席に戻ってくれて大丈夫。
そうエクスが言うと、レオーネはかぶりを振った。
「俺、人見知りなんだ。今日は初めて会う人達と話せて楽しいけど、緊張して少しだけ疲れちゃったから、もう少し君と話しててもいいかな」
断れない。
何故この先輩は、その場にいる人間が心地よく過ごせるような言葉を返すのがこんなにも上手いんだろう。
「オレが女だったら惚れてる……」
「うん。女の子はまず男の便所で吐かないかな」
エクスは換気扇を回した。
レオーネは、頭を押さえて呻く後輩に訊ねる。
「だいぶ酔ってるな。本当に大丈夫?」
「胃は落ち着いた。もうこれ以上飲まない方が良さそう」
「君、あんまり飲めないんだね」
「うん。下戸みたいなんだ」
項垂れるエクスを、レオーネは励ます。
「飲めなくたって問題ないさ。それに、飲んでるうちに慣れて強くなることもあるらしいよ」
「レオさんは、何でそんなことにも詳しいんだよ」
「身近に酒呑みがいるんだ。それでかな」
レオーネは顔色が変わらない。
強いのだろうか。エクスは酒気に浸った頭でぼんやりと考える。
よく分からんが先輩は強い。
思考回路が飛んだ頭は、そう結論を出した。
「合コン、初めてだよな?」
「ああ」
「なのに馴染んでる」
「そんなことないよ」
レオーネは微苦笑する。
「他に参加してる人たちが喋るタイプで助かった。俺はこういう時、あまり喋れるネタがないから」
「十分喋れてただろ」
この友人は、周りの様子を見て合わせて喋るのがうまい。相槌のタイミングもいい。
「気になる子、いた? いたなら連絡先の交換を忘れるなよ」
「うーん。俺はいい」
レオーネは、柔らかくもしっかりした口調でそう返した。
「楽しかったけど、そういう関係になろうとは思わない。彼女達には、もっといい人がいるんじゃないかな」
あんた以上にいい男なんて、そうそういない。
そう思っただけのつもりだったが、酒で緩んだ口から言葉が漏れていたらしい。
レオーネは目を丸くして、それからまた影のある笑みを浮かべた。
「ありがとう。でも俺、そんなに」
その先の言葉は続かなかった。
レオーネは床に散布した消毒液を見下ろした。
「そろそろいいと思う」
エクスはペーパーで床を拭き、念入りに二重のゴミ袋で粗相を封じた。
店のスタッフに仕出かしてしまったことを伝え、勝手に備品を使った詫びを入れてから席に戻った。
レオーネとエクスが同時に戻ると、メンバーは一様に二人を見た。
「大丈夫?」
女の子Aが心配する。
「二人きりでこんな長い間、ナニしてたんだよ」
「盟友二人で密談か?」
「BL営業か?」
男子学生たちがにやにやと尋ねる。
気に入った女の子と抜け出す計画を立てていたとでも思われたのだろうか。
ただ吐いていただけだ。
そう正直に答えようとする前に、レオーネに肩を抱かれた。
「そうだよ。営業じゃないけどね」
エクスは目を剥いた。
隣の男は顔色一つ変えず笑っている。
「冗談だよ。話し込みすぎただけ。何も言わずに長いこと席を空けて、ごめんね」
「何だよ。本当にデキてるのかと思った」
「レオーネ君ったら」
全員、ケラケラと無邪気に笑っている。
酒もいい感じに回っているようだ。
二人は席に戻る。
また自然に会話に混ざるレオーネ。
一方、エクスの胸は先輩の対応でいっぱいになっていた。
できる男。女子力。
そういった概念を超え、全てにおいて好印象を叩き出す、圧倒的人間力。
「レオさんになら、ケツに何されてもいい……」
思わず口にしてしまった一言は、一同の爆笑をさらった。
コンパが終わった後、レオーネとエクスは速やかに会場を後にした。
他の男子学生達が交換を持ちかけている隙に、酔いの回ったエクスが再びトイレに行きたくなったため、その流れで出てきたのだった。
「じゃあまた」
そうさらりと別れを述べて出てきたので、失礼でもないはずだ。
しかし、女の子達はがっかりしているかもしれない。
涼しい夜風に吹かれながら、エクスはそんなことを考えた。
「君は、誰かに声をかけなくて良かったのかい」
レオーネが尋ねる。
エクスは首を横に振った。
「気の合いそうな子はいなかったから」
「そうか。君ならうまくやれると思うけどね」
いったいどのあたりを見てそう思ったのだろう。
エクスは疑問に思った。例の一言の後、エクスの立ち位置はネタ枠になっていた。
もっとも、いつものことなので何も気にしていない。他人の目をあまり気にしないのが彼の性分だった。
「オレは今が十分楽しいんだよ。今は、彼女がいてもいなくてもどっちでもいいかな」
「そういう人が俺の他にもいてくれて、安心するよ」
レオーネは微笑んだ。
また、どこか憂いを含んだ笑みだ。
エクスは整った先輩の横顔を眺め、そう考えた。
「ねえ、エクス。どうしてヒトは、他人と交わって生きることで幸せになれると信じられるんだろう」
影を蓄えた眼差しがこちらを映す。
エクスは思った。
(やべーな。オレの手に余る話題が来た)
「うーん、どうなんだろう」
そう答えるのが精一杯だった。
だがレオーネは気にならないらしく、なおも呟く。
「どうして他人との関わりに喜びを覚えられるんだろう。人の願望には果てがないのに。周りの願望に──期待に応えようとすればするほど、自分の首が締まっていく」
レオーネは息を吐き、前髪を利き手でくしゃりとかき混ぜた。
「俺には、誰かと幸せになれるという発想が分からないよ」
なるほど。
主語が「人間」だと分からないが、この先輩が主語だと思えば、話が分かる気がする。
エクスは口を開いた。
「レオさんはどうなりたいの?」
「俺?」
レオーネは問い返し、正面に向き直った。
しばしの沈黙。
二人分の足音と雑踏が周りを包んでいる。
「俺は……どうしたいんだろう」
やがて、レオーネはそう呟いた。
「大学で学ぶことは楽しい。今の生活にも満足している」
「それは良かった」
「だから、これ以上何かを叶えたいと思うことがなくて」
「無理に望まなくて良いんじゃね?」
エクスは言った。
「欲しくないなら、欲しがらなくていい」
「でも、俺に何かを望んでほしいと願う人もいる」
レオーネは指を折る。
「簡単なことならいい。人の手伝いをするのは嫌いじゃないから。でも、たとえば二人きりで出掛けてほしいとか、好きになってほしいとか、そういう願いを向けられる時、叶えてあげたいけど少し困るんだ」
「いいんだよ」
エクスは言う。
「レオさんだけが相手に合わせていて、それをレオさんが楽しいと思えないなら、それは対等な人間関係とは呼べないよ」
角が立たないように断ってしまえばいいのだ。
無理して付き合っても、遅かれ早かれどちらかが破綻する。
「誰かと付き合いたいって思う?」
「いや」
レオーネは目を伏せた。
「今は、誰とも」
「好みのタイプは?」
訊くと、レオーネは目をぱちくりさせた。
「好み……考えたことがなかった」
「そっかー」
それじゃあ辛いだろうな。
エクスは考える。
常に周りの人間の望むことを考えて、彼らが楽しく過ごせるように気を遣っている。
世の中にはひたすら人を助けることを生きがいにする人もいる。自分もどちらかといえばそのタイプだ。エクスには人助けで自己満足を得ているという自覚があった。
しかし、レオーネはそうではない。にも関わらず、エクスだったら程々にしか他人を助けないようなところでも、レオーネは細やかにフォローしてしまう。
楽しいわけでもないらしいのに、彼の何がそうも他人に奉仕させるのだろう。
加えて、他人に向けられる優れた分析力が、自分に対していまいち発揮されないのも気がかりだった。
「レオさんの場合、一緒にいたいと思う人ができたら付き合うっていう、それでいいんじゃね?」
「それは俺のエゴになるんじゃあ」
「自分の人生を生きるなら、どうしても自分本位な部分も必要になるよ」
レオーネは困ったような顔をする。
エクスは首を傾げた。
「付き合う人がいないと困ることでもあるの?」
「いや……」
口籠る。
(何かあるな)
エクスの第六感がそう告げる。
「誰かに付き合ってほしいって言われた?」
「それは、最近はないんだけど」
最近はないけど、あるにはあったのか。
やっぱりモテるんだなあ。エクスはつくづく感心する。
レオーネは何やら躊躇っている。
「誰にも言わないでくれる?」
「うん、言わない」
エクスは友人の答えを待つ。
レオーネはきっちりと巻いたマフラーに口元を埋めながら、低く言った。
「兄貴が、心配するんだ。俺に彼女ができたことがないって」
寒さのせいだろうか。
友人の耳がほんの少し、赤い気がする。
「だから、一度くらいはと思ってるんだけど……付き合いたいわけでもない相手と付き合っても、相手に悪いだろ。それで、ちょっと迷ってて」
(オレも兄でよかった)
エクスは巡り合わせに感謝した。
お陰で、一人の兄として友人の相談に乗ることができる。
推測の域を出ないことに変わりはないが、少なくとも今、このクールかつ器用そうな弟が可愛くて心配になる兄心は分かった気がした。
「レオさん」
エクスは居住まいを正した。
「多分だけど、お兄さんはレオさんにそこまで無理して彼女を作ってほしいとは思ってないと思う」
「どうして?」
「うーん。同居してるんだろ?」
「ああ」
「だからかな」
いくら仲のいい家族でも、知られたくないことや見られたくないことがある。
そういうものに気を取られて、好きに動けないことがあるのではないか。
そのような心配は、エクスもたまにする。恋人などは、その最たる例だ。
「だから、一緒に住んでいて息が詰まってるんじゃないかとか、同居してることでやりたいことができてないんじゃないかとか、そういうのが気になって確かめたくなるんだと思う」
好きにやれているか。
我慢していないか。
それは実際に聞いてみないと分からない。
相手の好きなように生きて欲しいという思いは、口にしないと伝わらない。
「レオさんは優しいから、オレもレオさんがたまに何か遠慮して我慢してるんじゃないかって思うことがあるし。お兄さんもそうなんじゃないかな」
レオーネは瞠目している。
かと思いきや、不意に笑みを零した。
「すごいな。兄貴とまったく同じこと言ってる」
「え、そうなの?」
「この前、彼女がいないのか確認された時にそう言ってた」
「なら」
レオーネの兄も、弟が好きに生活できているか確かめたかっただけなのでは。
そう問うと、レオーネはかぶりを振った。
「君もそう言うなら、本当にそうなのかもしれないな。俺はてっきり、兄貴が俺を彼女の作れない困った奴だと思っていて、催促してるのかと思ってたけど」
「いやいや、ないでしょ」
エクスは手を横に振る。
「お兄さんに直接会ったことないけど、レオさんの話を聞いてる感じだと、レオさんのことをどうしようもないと思ってるとは思えないって」
「だって、最近二週間に一度は聞いてくるから」
「それは聞きすぎ」
どれだけ心配しているのだろう。
そこまで聞いてくるとなると。
「案外、お兄さんはレオさんに嫌われるのを怖がってるのかもな」
「それはないな」
レオーネは即答した。
「俺は兄貴を嫌いになれない」
「おお」
そっちか。
エクスはそこまでレオーネが自虐的でなかったことに安堵しつつも、不思議な言い回しに内心首を傾げた。
レオーネは小さく笑みを浮かべる。
「ちょっと能天気すぎて呆れることはあるけど、それも兄貴のいいところなんだ。だからまあ、嫌いにはなれないかな」
「そうか」
「むしろ、兄貴を嫌う奴の人間性を疑う」
「おお」
おお。
それしか言えない。
冷静そうな顔をしているが、とんでもないことを言っていないか?
「兄貴はめちゃくちゃ良い奴なんだ。明るくて逞しくて素直で純粋で、この世の光を擬人化したら兄貴になるんじゃないかと思う。でもその分分かりやすいし騙されやすくて、割を食わされることもあるんだ。でも他の人間を責める前に自分が悪かったって、それを察せなかった自分を責めるんだ。人間は万能の存在じゃない。知識や経験で補おうとしても、本質的に何も知らない生き物だ。人の知ることや見聞きすること、できることには限界があるから仕方ないのに、兄貴は言い訳しない。できなくて悪かった、次に活かすからって、前向きに立ち直るんだ」
同い年の先輩はいつもの冷静な調子で、いつもの倍は喋っている。
もしかして、自制心が強いから変化がないように見えていただけで、酔ってるのか?
エクスはやっとその可能性に思い至った。
「兄貴は人類なら全員に好きって言えるんじゃないかってたまに思う。兄貴は他人に寛大で、人としての立場は外さないまでも、どんな奴にも寄り添おうとするんだ。何をされても、意見や文句は伝えるけど共生しようとする。兄貴の包容力はすごい。俺には真似できない」
端正な顔立ちに、ふと影が落ちる。
「兄貴こそ、俺を気にしすぎなんだ。俺のことなんて気にしなくていいのに。俺のために部屋を借りて学費まで払って……兄貴を縛ってるのは俺の方なんじゃないか」
「それはねえって!」
エクスは先輩の言葉を力強く否定した。
「直接は会ったことないけど、お兄さんはきっとレオさんのこと大好きだよ。だから」
「だから俺のために色々する? 兄貴が俺を好きなのは分かってる。兄貴は誰だって好きになれるんだから」
レオーネは虚ろに笑う。
「兄貴は俺のことを特別に思っちゃいない。俺が弟だから好きなんだ。甲斐性で面倒を見てくれるんだ。俺の気持ちを汲んでくれるのも好きなものを買ってきてくれるのも、兄貴が人に寄り添う人だからできることなんだ。または、兄貴と俺が本質的に同じだと信じているのか。何にしても、こんな俺のために兄貴が苦労しちゃいけない。
「もしかしたら普通の高校に行かずに芝居の道で働きながら定時制で学んでいたのも、俺達のこれからを思ってのことだったのかもしれない。兄貴のせいで俺が不自由? ありえないな。逆なんじゃないか。兄貴は俺に縛られてるんじゃないか」
「レオさん」
「俺は兄貴を縛りたくない。いや、縛っちゃいけない。兄貴はもっと明るい世界にいるべきだ。俺みたいな、生まれた時から不信感が身に染みてる奴のそばじゃなくて。それこそ恋人と二人で同居すれば良いだろうに、どうして俺と──」
「レオさん!」
エクスは先輩の前へまわり、足を止めて肩を揺さぶった。
「考えすぎだよ。お兄さんもレオさんと暮らしたいから暮らしてるのかもしれないじゃないか。聞いてみれば」
「言えないよ」
レオーネは呟いた。
「言ったら──これまでの俺達じゃいられなくなるかもしれない。俺は……俺は兄貴とずっと一緒の、兄貴の望んでくれる俺でいたくて」
「お兄さんは、ありのままのレオさんを受け入れてくれるよ」
エクスは慰める。
気休めかもしれないが、そう言いたかった。
「ダメだ」
レオーネは首を振った。
「兄貴は俺を受け入れちゃいけない。だって俺は……俺は、あいつを……」
片手で両目を覆う。
エクスは、何も言えずに立ち尽くした。
今は、言葉を口にできない友人の側でじっと佇むことしかできない。
そう悟ったからだ。
幸い、雑踏は彼らを気にせず通り過ぎてくれる。しばらくすると、レオーネは顔を上げた。珍しく、どこか気まずそうな顔をしていた。
「聞かなかったことにしてくれないか」
「レオさんがそうして欲しいならそうしたいけど」
エクスは、どう言ったものか迷う。
「オレは、レオさんに幸せになって欲しいよ。それは忘れないで」
「俺の幸せなんて」
「大事だよ。自分を殺していたら──いつか本当に死んでしまう」
レオーネの顔を真正面から見上げた。
どこか思い詰めた目をしている。そんな気がした。
「オレは嫌だよ。義理でも甲斐性でもなんでもなく、レオさんは大事な友達だから」
再び肩を掴んで、言い聞かせる。
「レオさんが信じてくれなくても、オレはずっとレオさんの幸せを願ってるから。だからこれからも友達でいて、気が向いたらと色々話してくれ。話すことがないなら、忘れるよ。でも、待ってるから」
+++
「おかえり、レオ」
帰宅するなり、アシュレイが玄関で靴を脱いだ彼に抱きついてきた。
「外の匂いがする。ひんやりしてて気持ちいい」
へへ、と笑う顔が赤い。酒を飲んでいるようだ。
レオーネは先日、兄が誕生日に飲みきらなかったワインを一人で飲んでもいいかと聞いていたことを思い出した。
「風呂沸いてるから、好きな時に入れよ。もっと酒飲むなら、つまみがあるからよかったらつまんでくれ。気が向いて作ってみたはいいんだが、ちょっと作りすぎちまって」
言いながら、自分とそっくりな顔に怪訝な色を浮かべる。
おおかた、いつものように弟が振り解かないことを訝しんでいるんだろう。
「どうした、レオ。何かあったのか?」
身体を離して見つめてくる。
不安そうだ。
──案外、お兄さんはレオさんに嫌われるのを怖がってるのかもな。
友人の言葉が蘇った。
友人は、このマンションの部屋の前まで彼を送り、部屋の鍵を開けて入ろうとするのを見届けてから帰っていった。
「何でもないよ」
「嫌なことがあったら言えよな。兄弟なんだから、遠慮は要らねえよ」
アシュレイは頼もしげに笑う。
そんな彼の首に、レオーネは手袋を外して手のひらをくっつけた。
「ひゃっ」
兄はすくみあがった。
見開いて丸くなった目や明らかに飛び上がった体が面白くて、くつくつと笑いが漏れる。
「あったかい」
「首はやめろ! びっくりするだろうが」
「遠慮するなって言ったのはお前だろ」
「そうだけどそうじゃねえっ」
アシュレイは文句を言いながらも、弟の冷たい手を両手で包む。よく似た形の手を撫でながら、息を吐きつける。
「お前、手袋しててこれか? 本当に体温が低くなりやすいんだな。双子なのに、こんなに体質が違うもんか」
「今日の夜は冷えるらしいから、そのせいじゃないかな」
レオーネはさりげなく兄の手を解いた。
「風呂入ってくる。飲んでもいいけど程々にな、兄貴」
「おう。友達との飯、楽しかったか?」
「ああ」
ダイニングに戻っていく兄と別れ、レオーネは一度自室に戻った。
店を出てからだいぶ時間が経っている。酔いもそろそろ冷めてきたから、入浴して問題ないだろう。
シャワーを浴びて、アルコールの香りも巡る思考も、コート越しに感じた兄の体温も、すべて流してしまいたかった。
指先に、熱くて柔らかい兄の肌がまだ残っている。
(俺はどうかしてる)
シャワーの温度を高めに設定しよう。
レオーネはそう決めて、部屋着を手に風呂場へ向かった。