戯れのサンクチュアリ




※レオーネ×アシュレイ(R15)
※物語の時間軸はver6.0。
※ver6.3までのネタバレあり。




















 四天の星巡りも禊も終わって、暇だった。
 本当ならば試練場にでも出掛けて自由に散策したいところだが、肝心の儀式をやる日取りが分からない。
 だから下手に遠出するわけにもいかず、一日のほとんどを回生堂のあてがわれた部屋か、フォーリオン内部で過ごしている。
 そのような次第で、今日も一日を無為に費やしてしまった。
 風呂から上がったアシュレイがベッドに横たわって考え事をしていると、部屋の戸が開いた。
 見なくても分かる。同室の弟レオーネだ。
「おかえり」
 起き上がる。
 退屈に飽いた目は、瓜二つの弟の手にある見慣れぬものに、すぐ気付いた。
「それ、何だ?」
「現代の食べ物だそうだ」
 レオーネが手にしたものを掲げる。
 それは平たい箱だった。
 アシュレイがベッドを離れて近付くと、レオーネは箱の開いた一面を見せてきた。
 中には、薄桃色の何かがついた木の棒のようなものが入っていた。
「ビスケットというものらしい」
「びすけっと?」
「麦を砕いて粉にし、焼いて作るものだそうだ」
「へえ」
 自分達の時代にはなかったものだ。
 箱にそっと顔を近づける。
 微かに果実の香りがした。
「果物も混ざってるのか?」
「それは、このソースの方に入ってるんだって」
「ほお。こんな小さいのに、手間がかかってるんだな」
 アシュレイは先程までの退屈を忘れた。
 やはり、時の流れと共に世界も変化しているのだろう。現代のアストルティアへ行ってみたいものだ。
 その思いが強まり、眼前の食べ物により興味が湧く。
「どこで手に入れたんだ?」
 訊ねて得た弟の答えは、次のようなものだった。
 入手元は、この天上の世界と下界とを唯一行き来できる人物こと、当代の盟友だった。
 曰く「他の冒険者と簡単なハロウィンイベントをしたのだが、菓子を買いすぎて余ってしまったのでもらってほしい」とのことで、英雄達に菓子を配ったのだという。
 そこでレオーネが譲り受けたのが、これだった。
「これは、他人と共有して食べる定番の食べ物なんだって。だから、お前と分けてほしいって言われた」
「ありがたいな。じゃあ、早速食べるか」
 そう言って手を伸ばそうとすると、レオーネは箱を引っ込めた。
 アシュレイは拍子抜けする。
「何だよ。まさか、自分一人で食べるって言うんじゃないだろうな?」
「違うよ。もらった時に、これを使った遊びも教えてもらったんだ」
「これで遊ぶのか」
 何だろう。
 これだけ細いのだ。耐久性で遊ぶのかもしれない。
 組み立てたり崩したり、または剣に見立てて折れるまで打ち合わせたりするとか。
 あれこれ想像を膨らませるアシュレイに、レオーネは箱から取り出した一本を差し出し、その口へ添える。
「そっちを咥えて」
「ん」
 アシュレイは即座に当てられた先端を口にした。
 甘い。苺のような味がするが、アシュレイの知っているものとは質が違う。
 舐めて味わって確かめたいが、行儀が悪いので我慢する。
 それにレオーネの説明の途中だ。
 アシュレイがそのまま待っていると、レオーネが言った。
「これを二人で両端から食べていって、先に折れた方が負け」
「ふーん」
「勝った方は負けた方に何か一つ、言うことを聞かせられる。それでどう?」
「ん」
 唇を閉ざしたまま返事をする。
 菓子の細さと長さを観察し、どうやったら勝てるだろうと作戦を練る。
 咥えた菓子の延長に、弟の顔が近付く。
「いい?」
「おう」
 レオーネが目を伏せる。
 下を向く睫毛。
 おもむろに開く口唇。
 そこから覗く濡れた赤い舌。
 行儀よく並ぶ白い歯が棒の先端を挟み、次いで柔らかな唇がそっと食む。
(……なんか)
 アシュレイは知らず、唾を呑む。
 勝負のため、眼前の景色に集中していたはずだった。
 なのに、それと全く関係ない光景がちらついてしまう。
(いや、関係なくはないか)
 細い棒が僅かに跳ねる。
 レオーネの歯が先端を砕いたのだ。
 微弱な振動を受け、アシュレイも歯を噛み合わせる。
 さく。
 端が割れる。
 その感触が伝わったのか、レオーネが睫毛を上げた。
 一瞬、瞳がかち合う。
 澄んだ空のような双眸に、陽炎に似た仄かな翳と熱。
 また、始まった。
 アシュレイは目を伏せた。








 物心つく前もついた後も、互いだけを相手に遊んできた。
 同じ日に生まれついた、この世に二人きりの勇者。
 その間に入り込むような子供はどちらの部族にもおらず、また大人達も決して邪魔しなかった。
 アシュレイとレオーネは、大人でも子供でもなかった。
 彼らは「勇者」だった。
 神の眠る終焉の世。戦乱と軋轢で不安定に揺らぐ二つの部族は、二人の子供へ信仰に近い希望を託した。
 自分達の意思に関わらず、人の情が絶えず寄せられた。
 期待。
 敬慕。
 畏怖。
 不安。
 依存。
 どれも、普通の人間の外に自分達が置かれていると認識させられる点では、変わりなかった。
 孤独だった。
 だから、同じ境遇にいる互いの存在だけが心の支えで、慰めだった。
 二人のする遊びは他愛もないものだったが、それでも大切な片割れと遊ぶというだけで、格別に楽しかった。
 二人きりの遊戯の記憶は、やがて悠久の時の流れと共に、湧水のように澄んで煌めく美しい思い出となり、心の聖域へ昇華された。
 だからここへ来て暇を持て余し始めたばかりの頃に、遊ぶかとレオーネに誘われて、アシュレイはすぐ頷いた。
 まさか弟の提案する「遊び」が、かつての澄んだ明るさからは程遠い、昏い熱を掻き立てるようなものだとは思いもせずに。
「かりそめの体として、生まれ変わっただろ?  関係ないさ」
 レオーネに流され、初めて「遊んで」しまった時。
 弟はそう言って飄々としていた。
「俺達が誰にも漏らさなければ、他に影響を及すこともない」
 俺達のこれに、意味はない。
 ただ、俺達だけが楽しく暇を潰すためのもの。
 昔から、そうやって遊んできただろ。
 そう言われると、それもそうかという気がしてきた。
 思うところがないわけではなかったが、戯れるレオーネの愉しげな様子に、どうしようもなく心が惹かれてしまっていた。
 それに、予想だにしない形で引き裂かれてからの空白を、どういう言葉で埋めたらいいか測りかねている今、求められて応えない選択肢はなかった。
 レオーネは、アシュレイがかつてのことを話そうとすると露骨に避けた。
 相当な苦難の人生を送っただろうことは、察して余りある。急いで語らせれば、きっと弟を傷つけてしまうだろう。そう考えると無理に話せなかった。
 気がかりな一点だけでも、先に自分の人生を明かして謝りたかった。だが、それもまだできていない。望まれもしないのに自分の粗末な過去をわざわざ語って聞かせるのは、変な自虐癖のようで気が引けた。
 思い返せば彼ら双子は、互いの間に流れるものを心地よさ以外に知らなかった。
 二人きりでいる時に、たくさん話をした。訓練の復習、生活のこと、巫女の愚痴。くだらない話も含めて、様々なことを語り合った。
 だが、小さな喧嘩こそしても、激しく意見を争わせることは、覚えている限りではついぞなかったように思う。
 二人きりの空間は、いつでも楽しさと安らぎと微かな諦観に満ちていた。
 勇者は大魔王に対抗する強き者であり、人間の存続と団結の象徴だった。
 そんな戦うべきものの多い自分達の、唯一心の安寧を脅かさない存在は互いでしかない。悠遠なる時の流れの向こうから伝わる、幼い頃からの安寧の記憶は美しく清らかで慕わしく、そうであったからこそ、その残影を蔑ろにできなかった。
 戯れに与えられる片割れの温もりは、あの頃の甘やかな安らぎを呼び覚ますのに向いていた。
 背徳の後ろめたさはあっても、応えずにはいられなかった。
 他の誰とも分かち合えぬ二人きりの秘め事に、どっぷりとはまり込んでしまうまで、そう時間はかからなかった。









 ゆっくり、ゆっくりと、二人を繋ぐものを食んでいく。
 口の中が甘さでいっぱいだった。
 棒は次第に短くなり、相手の顔が近づいてくる。
 鼻先が触れ、睫毛が擦れる。
 そして、唇が軽く合わさる。
 棒はいつの間にかなくなっていた。
「どっちだ?」
 唇を離し、咀嚼したものを飲み込んでから確認する。
 レオーネも同じように嚥下した後、
「引き分けじゃないか」
と言った。
「もう一本やるか」
「マジかよ」
「どっちかが折れるまでだからな」
 もっとも、とレオーネは笑う。
「お前がやめるって言うならそれで終わりだけど」
「まさか」
 アシュレイも真似をして口の端を吊り上げる。
「お前こそ、やめとくなら今だぜ?」
 箱からもう一本取り出し、咥える。
 咥えたそれを差し出すと、レオーネが齧り付く。
 少しずつ食んで、最後に唇が触れ合う。
 また、してしまった。
 アシュレイは動揺を悟られぬよう、さり気なく目を逸らす。
 先程もした行為ではある。だが一度目より二度目の方が、そうなることが分かっていた上で望んでしまった感覚が強く、いたたまれない。
(だって、そこまでやらないと負けるから)
 だから仕方ない。
 そう、自分に言い訳をする。
 何度「遊び」を繰り返そうと、血の繋がる弟と熱を分け合うことへの羞恥はおさまらなかった。
 視界の端で、レオーネの指が新しい一本を取る。
「意外だな」
「何が?」
「一回で勝てると思ってた」
 アシュレイは笑っている弟を睨む。
「お前なあ。そもそも分けて食べろって、こういう意味じゃなかったんじゃねえの?」
「ああ」
 レオーネは指で挟んだ菓子を見る。
「あいつもこの遊びの話をする時に、宴で余興としてやるか、恋人とやるものだと言っていた」
「完全に俺らの状況と違うな」
「でも、暇だろ」
「ああ」
「なら余興ってことでいいんじゃないか」
「暇潰しな」
 短く笑って、再び菓子を口に挟む。
 もう既に、折れないような食べ方のコツは掴んでいた。
 そうなると意識は、否応なしに遊び相手の方へ向かってしまう。
 レオーネは慎重に菓子を食べている。
 そのくせアシュレイをまっすぐ見据えて目を離さないので、こちらの方が落ち着かず、目を伏せることになる。
 はたから見たら、さぞシュールな光景だろうと思う。
 大の男が二人して、小さな菓子一本を分かち合い、互いの口がつくまで大事に食べている。そっくりな形の顔を真剣にし、延々とそれを繰り返しているのだから、おかしいったらない。
 いっそ途中で笑い出してしまおうかと思ったが、できなかった。
 俯瞰して自分たちを見つめ、冷静になろうとするほど、触れ合う感触と意味を噛み締めてしまう。
 唇を──少し乾いたやわな部分同士を、そっと触れ合わせては離している。
 間近に迫る度、微かな息が、開いた己の口唇のうちへ伝わる。
 口腔の湿ったところへ、相手の気配が触れてくる。
 互いの存在を意識しながら、唇を押し当てるようにして、壊さないよう気を配ったものを贈り合う。
 食べさせ、食べさせられている。
 そう考えると、触れ合うまでに配った自分の意識ごと相手に食べられているような──また、相手のものを今噛み締めて味わっているような、そういう錯覚に陥りそうになる。
 一度芽生えた錯覚はなかなか去らず、感覚をリセットしようとすればするほど、口唇が過敏になる。
 片割れのやわな肉の感触が、儚い体温が、懇ろに触れてくる。
 その感覚にばかり集中してしまう。
 ずっと会いたかった、多くを分かち合う片割れの──レオーネの生きた身体が、意思が、魂が、ここに確かにある。
 自分を求め、愉しんでくれている。
 喜びと愛しさが精神の酩酊を招き、あっけない一瞬の触れ合いの執拗な反復が、理性を鈍麻させ、情動を高まらせる。
 物足りない。
 もっと確かめたい。
 間に挟まる菓子が鬱陶しい。
(こんなものじゃなくて、もっと)
 そう願うようになる。
 その思いはついに、レオーネが差し出してきた菓子の前へ、反射的に掌を差し込んでしまうまでに至った。
「どうした?」
 レオーネが翳された片手を前に、首を傾げる。
 アシュレイははっとして、手を下げた。
「その」
 無意識の行動だった。
 何かを言う心算もしていなかったので、言葉に詰まって俯いてしまう。
 言えない。
 もっと深く口付けたくなってしまったなんて、どうして言葉にできるだろう。
「何だよ。やめるのか?」
「ち、違う」
 レオーネが離れようとするのを、手を掴んで引き止める。
「でも、今止めただろ」
「それはそうだけど」
 何も考えていなかったから、聞かれたことへ正直に答えてしまう。
 だが、肝心の思いだけは言葉にできない。
 アシュレイはレオーネを見つめる。
 そっくりな双眸が見つめ返してくる。
 勝手に遮ってしまったのだから、理由を言わなければいけない。
 しかし、何をどう言えば。
 弟は、こんな兄を厭いはしないだろうか。
 そもそもそんなこと、とてもではないがねだれない。
 頭の中で煩悶がぐるぐると巡る。
 とにかく何か言わなくてはと口を開いては、何も言えずに唸って閉じるのを繰り返す。
 普段は無駄によく回る舌が、肝心な時に限って役に立たない。
(言えないなら、いっそ)
 アシュレイは眼前の唇に焦点を絞る。
 引き結ばれたそれに同じものを重ねて、緩んだところに舌を入れて。
 それを、自分から。
 想像するだけで、顔が含羞に染まっていく。
「このままだと勝負は俺の勝ちってことになるけど。いい?」
 平生と変わらぬ調子でレオーネが言う。
 それを聞いて、我に返った。
 そもそもこれは、ただの遊び。
 相対するレオーネは冷静そのもので、最初の方に寸時見せた色は幻だったかのように失せている。
 興が冷めたのか、はたまた自分のような渇求がないのか。
 一人で意識して戯れに夢中になり、のめり込んでいた自分が馬鹿らしくなって、先程とは違った内容で顔が染まる。
 いったい、どんなみっともない表情を弟に見せていたのだろう。
(いつも、俺ばっかりレオに執着してる)
 昔からそうだった。
 じゃれついたり、くだらないことで話しかけたり、何を考えてるのかを察しようとしたり。
 そういった双子の関わりは、いつもアシュレイからだった。
 弟はそれを受け入れていたが、実際のところどう思っていたかは分からない。
 ここへ来てからは気まぐれのようにこうして遊びに誘ってくる──「遊び」はいつもレオーネからだった──が、それでも彼は常に表情を変えない。
 何を考えているのだろう。
 本当は疎んじているから、こうして不徳の関係で報復しようとしているのだろうか。
 弟のために何もできなかった自分なのだから、恨まれても、何をされても仕方がない。
 腹の底に横たわっていた自己嫌悪が身を起こす。
「あ、ああ。そうだな」
 事実、勝負に集中できなかった己の負けだ。
 アシュレイは何事もなかったかのように快活に笑う。
「ちょっと喉乾いたから、水もらってくる。レオの分も持ってくるから」
 そう言って、部屋を出ようとドアへ向かった。
「兄貴」
 声がかかる。
 アシュレイは背中を向けたまま立ち止まる。
「何?」
「その顔で外出るの?」
「は?」
 つい、振り返った。
 歩み寄ってきたレオーネが手を伸ばす。
「ついてる」
 そうして断りもなく、アシュレイの顔を押さえて唇を指で拭いはじめた。
 アシュレイは焦る。
「バカ。お前の手が汚れ、ん」
「いいから」
 言いかけた言葉は唇を摘まれ、遮られた。
 弟の指が己の唇をなぞる。
 まず、皮膚の下を流れる血を止めるかのように強く。
 次いで、形を確かめるように弱く。
 緩急をつけて触れてくる。
 それをまた執拗くされて、アシュレイは堪えきれず、は、と息を漏らした。
「なあ。もう、いいだろ」
「うん。まだ」
 レオーネは兄の唇に触れ続ける。
 上を。下を。
 さすったり、引っ掻いたり、摘んだり。
 丁重かつ丹念な指先の動きは、清めるというより愛でるようで、誤った認識をしてしまいそうになる。
「おい。これ、本当はついてないやつだろ」
「…………」
「からか、っ」
「湿り気が足りないな」
 止めるために声を上げたのに、無視された。
 レオーネは顔を寄せ、兄の唇に舌を這わせた。
 舌先で表皮を撫でられる。
 心許ない感覚に襲われたアシュレイは、弟の腕を掴んだ。
 また目を瞑ってしまう。
 瞼の暗がりで見えないが、唇に笑みの形をした吐息が触れたのが分かった。
 食んで舐め、吸って齧られる。
 唇の表面だけをねぶられて、息が上がる。
 食べられているみたいだ。
 そう思った時、弟の肘を掴んだ自分の手が、彼を引き寄せていたことに気付く。
(俺は、何を)
 顔が熱くなる。
 唇を離したレオーネが囁いた。
「外、出たいんだろ? いいの?」
 そう問う顔はやはり変わりない。
 呼吸が荒いのは自分一人だ。
 アシュレイは弟をねめつける。
「いくらなんでも、からかいすぎじゃねえの?」
「それは兄貴の方だろ」
「俺は何も」
「さっきの勝負のルール、忘れた? 負けた方は勝った方の言うことに従うって」
 レオーネの手が己の腕を捕らえ、顔を覗き込んでくる。
「なのに、勝手に出て行こうとした。そんな誘ってるみたいな顔して、わざわざ俺を放っておいて、さ」
 そのまま縋るように身体へ腕が回る。顔が頬へ近づき、息遣いが肌を嬲る。
「顔、なんて」
 アシュレイはさり気なく背後へ逃れようとするも、背中がドアへ触れてしまう。
 弟の指が目尻に触れてくる。
 指先が滑ると、その通った後に濡れた筋が残るのが分かった。
「目が溶けてる。今外に出たら、何かしてたってバレるだろうね」
 レオーネは己が身体で、兄を扉へ縫い止める。
 アシュレイは息を呑んだ。
 寄せられた中心に、弟の涼しげな声と反比例する熱量がある。
「え、は? お前、なんで」
「ねえ。勝った特権を使って、外で次の遊びをしてもいいんだよ?」
 予想外の感触への混乱と、望まれているらしい喜び。
 相反する感情の対処に困り、硬直するアシュレイの首元を、レオーネは器用に顔だけでくつろげる。
 露わにしたそこへ、吸い付く。
 刺すような痛みが走って、アシュレイの身体がわなないた。
「俺達の仲がいいところ、見てもらおうか」
「それは、駄目」
 アシュレイは首を横に振る。
 レオーネが再度顔を覗き込んでくる。
「じゃあ、もっと遊んでくれるよな? 兄貴」
 いつもの笑顔だ。
 けれど、どこか不穏だった。
「遊ぶって、何して」
「分かってるだろ」
 レオーネが唇に噛み付いた。
 怯んだ隙に、舌が入り込んでくる。
 口腔の浅いところと深いところを順に、繰り返し丁寧に撫でさすられれば、アシュレイの顔が熱くなる。
「先に離した方が負け。負けた方は何か一つ言うことを聞く」
 次は、一緒に風呂入ってもらうから。
 口を離してレオーネが言う。
 弟に、間違いなく求められている。
 これまでの日々で刻まれた、先に続く遊びの数々を身体がひとりでに思い出し、口腔が渇く。
 口を吸いたい。
 つい先程されたばかりのはずなのに、欲求が蘇り身体が火照る。
 アシュレイは息を吐いた。
「もう勝った気になってるな?」
「だって、いつも兄貴が負けるだろ」
 笑みを零すレオーネを、軽く小突いた。
「残念ながら、風呂はもう済ませた」
「そういうことじゃなくて」
「いや、本当に済んでるんだって。だから俺が勝ったら」
「待って」
 さらりと流せるように言ったつもりなのに、弟はそうさせてくれなかった。
 アシュレイの言葉を止め、真顔でこちらを見つめてくる。
「俺が言ってるのは、準備のことなんだけど。済んでるって、どういうこと?」
「どういうことも何も」
 アシュレイは顔を伏せて、呟いた。
「そのままだよ。その……して、あるんだ」
 場に一時の沈黙が落ちた。
 正面にある顔を見る勇気が出ない。
「ちょっと待て」
 レオーネが腰から下をまさぐろうとする。
 咄嗟に、伸ばされた両手を掴んだ。
「勝負は?」
「いや、これはノーカウント。確かめるだけだから」
「何を確かめる必要があるんだよ。俺がそんな嘘吐くわけねえだろ」
「何で、準備してあるの」
 かちあった視線が、危うげな底光りを孕む。
「誰かに何かされた? それとも、するつもりだったとか」
「そんなわけあるかよ」
 語気を強める。
「じゃあ、何」
「お前が遊ぼうとするのが、いつも夕方から夜だから」
「え」
 レオーネの開きかけた口を塞いだ。
 舌を絡めて吸う。角度を変えてもう一度しようとしたところを、肩を掴んで引き離された。
「待て。それって」
「離したな?」
 アシュレイはくつくつと笑った。
「俺の勝ちだ」
 レオーネが瞠目する。
「今のは無しだろ」
「いや。約束は約束だろ?」
「まさかさっきの話も、勝つための嘘じゃないだろうな?」
「何度も言わせるなよ」
 アシュレイは弟の肩口に額を寄せた。
「それは本当。お前が、したがるから」
「どうして。俺、今日は遊ぶって言ってなかったよな」
「まだ疑うのかよ」
「全部話して」
 レオーネが気にして譲らないので、渋々事の次第を話す。
 一週間前に、三日間連続で求められた。
 連日、気が昂った状態で外へ出て支度をした。遅い時間だったので誰ともすれ違わず、周りから何を言われたわけでもなかったが、何とも言い難い気まずさを覚えた。
 それからそんな状態で外へ出るのが嫌になって、万が一に備え、毎日風呂に入る時に念入りに清めている。
 そう語りながら、アシュレイは一度もレオーネの顔を見られなかった。
 最早食事の必要ない身体なので、清める必要などないのかもしれない。だが、そうしないと気が済まないのだ。何より、弟にいい思いをしてもらいたい。
 その一心でしていることはあるが、告白するには躊躇われる内容である。
 だからずっと、俯き加減に顔を逸らして話していた。
 レオーネは全て聞き終えた後、大きく息を吐いて顔を手に埋めた。
「あれから、ずっと準備万端だったってこと?」
 アシュレイは返事をしない。これ以上、語る言葉を持ちたくなかった。
「一週間ずっと、何されてもいいようにしてたんだ?」
「レオ。しつこい」
「ごめん」
 謝ってはいるが、声には笑みが混じっている。
 こうなるから話したくなかったのだ。
「あんまりにも、その。ああ、本当に」
 背中の方から、金属の噛み合う音がした。
 レオーネが手を伸ばし、ドアに錠をかけていた。
(ああ。しばらく出られないな)
 ぼんやりと思うアシュレイの肩に、弟の額が落ちる。
「部屋に風呂があったら、兄貴が毎日一人でしてるのが見られたのに」
「ば、バカ」
 顔から発火したかと思った。
 アシュレイはたまらずレオーネへ向き直り、肩を掴む。
「違う! ただ、綺麗にしてただけで」
「行動だけ見れば変わらないだろ。すごく見たい」
 弟は、こんな際どいことを言う奴だっただろうか。
 肩口に触れる呼気が熱い。
 服越しに吐き出されているのに、火傷しそうだと思わされる。
「兄貴」
 レオーネが顔を上げた。
 表情こそ変わらないが、瞳と声に切実な色が滲んでいる気がする。
「次に何するのか、言って」
 乞われるのは、いつもの遊びの手順。
 小さな遊びの約束を結び、次第に太い縄で縛り付けるように内容を大胆にしていく。
 二人はその中でしか、熱を曝け出せない。
 他に、曝け出してはいけない。
「もう一回、さっきのがしたい」
 今度は、ちゃんと。
 アシュレイは低く、弟の耳へ吹き込む。
 互いに口を寄せ、息を吸う。
 そうしてまた、行く末の分かりきった単純な遊びを始める。