正規部員と野次馬候補生




 ここ最近、キャンパス内でちょくちょく目にするようになったポスターがある。
 白無地に、立派な筆文字で「レッツゴー冒険部! 来たれ研究対象、研究家」とだけ書かれたものだ。
「冒険部だって」
「また新しい変な部活ができた」
「何をするところなのかな」
 学生たちが、移動の合間に噂しているのを聞いた。しかし誰一人として話題を深めることなく、すぐもとの話題や授業の話などに意識を戻してしまっていた。
 無理ないよなあ、とキラナは思う。
 だって、情報量が少なすぎる。部活名と募集対象、部室の場所くらいしか書いていない。
 さらに言うなら、ポスターのデザインが怖い。文字はきっと、墨をたっぷり吸った大筆によって描かれたのだろう。形自体は達筆だが、墨のにじみ具合が絶妙にホラーじみていて、おどろおどろしい。
 しかしキラナは、そのポスターのアピールする「冒険部」に──厳密には、このポスターを作った人物に興味を惹かれた。
 素っ気なく、本当に入部者を募集しているのだろうかと思わせられるデザインではある。だがそこに、何らかの強い思いを感じた気がした。
「ねえ。あの冒険部のポスター、誰が作ったのかな?」
 友人たちと昼食を摂りに向かう道の途中でポスターを目にしたので、さりげなく話題にしてみた。友人たちもそのモノクロのおどろおどろしいポスターへ視線を向ける。
「さあ。でも右下に学園の許可印が押してあるから、うちの学園の誰かでしょ」
「私、同じ学科にいる子だから知ってるよ」
 一人は知らなかったが、もう一人は知っていた。
「魔術科のティエちゃん。キラナと同じで、高二だよね?」
「そうなの?」
 キラナは目を丸くした。
 ルティアナ総合学園は広い。所属している学生の数は一万人に届くほどだ。ホームスクーリング生を加えれば、きっとさらにいるだろう。
 だから同じ学年でも名前さえ知らない人がたくさんいる。同じ学科で似た授業を取っていれば認識できるが、ほぼ授業がかぶらない他学科の学生ならば、分からなくて当然だ。
「どんな子?」
「うーん。私もあんまり詳しくないんだけど、クールっていうか、ミステリアスな子。魔術科ではちょっと知られてるオカルト好きなの」
 友人曰く。
 ティエはエルフの少女だという。真相の分からないものならば、有名な歴史からマイナーな噂話まで、何でも好んで熱心に調べているそうだ。そうして調査して謎の真相を知ると、途端にそれまでの熱意と興味を失ってしまうという。
「前、オカルトサークルがあったじゃない」
「そういえば、あったかも」
「ルティアナの部活って、部員がいっぱいいれば、やってることが適当でもどうにかなるでしょ? だから結構なあなあな部活が多いじゃない。オカルト部もそうだったらしいんだけど、その中で、やけに一生懸命オカルトについて調べようとしてた部員が、一人だけいた。それがティエちゃんだったって話よ」
「ふーん」
 一口にエルフの魔術科生と言われても、思い浮かばない。
 魔術科自体の規模が小さいから、よくわからないのだ。魔術科の学生は危険な物品を扱うことが多いために、敷地の西の端にある魔術科棟に籠っていることが多いという噂もある。その噂が真実として語られないのは、他学科の学生があのあたりに近づきたがらないので、真相を確かめようがないからだと聞く。
「あっ、やっと来た! Bランチ、あともう少しで終わっちゃうって!」
 食堂の前に合流する話になっていた知り合いがいて、キラナたちの姿をみとめた途端叫んだ。
 ちなみにBランチのBはBeautifulのBである。女子人気の高い日替わりメニューだ。
「えっホント? やっばい、急ごう!」
「うん!」
 キラナは連れ立っていた友人たちを急かして走り出した。歩を進めながら、ちらりともう一度あのポスターを振り返った。
(私と同じ学年なんだ)
 墨が濃くてにじんでこそいるものの、堂々とした美しい字だと思った。





 同日。
 全ての授業が終わった後、キラナはあのポスターに記されていた部室の場所へ向かっていた。
(入部しようって気にはあんまりならないけど、なんか気になるんだよね)
 ただ何となく、あのポスターにつられてくる学生がいるのかどうかと、あの筆文字の主の顔を確かめて見たくなったのだ。
 どうせ、今日はアルバイトのシフトも入っていない。夕飯の時間まで三時間もあって暇なのだからいいだろうと、一人きりで向かっていた。
 ルティアナ総合学園の学舎は、中心に聳え立つ古城じみた外観の中央棟と、東西南北に分かれた四つの学科棟、そして各所に点在する特別施設からなる。
 中央棟は授業を行うための場所であり、教室を兼ねた教授の部屋や、学園を経営する事務局の部屋などが並んでいる。
 その南には、エントランスの役割も兼ねる普通科・研究科棟が、東には広大なグラウンドと共に闘技科棟が、北にはカオスな様相を成す技術科棟が、西には独自の小さな研究棟の群れと共にひっそりと佇む魔術科棟がある。
 冒険部の部室は、魔術科棟の所有する部室棟の一角にあった。
 魔術科棟に近づくにつれ、次第に人通りが少なくなってくる。ついには、廊下を歩いているのがキラナ一人になってしまった。
「魔術科棟って、なんか不気味なんだよねー」
 一人で呟いたのは、夕焼けの気配に早くも反応した左右の彫像の群れが陰を帯び始めて、ちょっとその雰囲気に飲まれそうだったからだ。
 魔術科棟周辺の建物は古く、廊下の丸柱や天井、壁など、いたるところに魔物や太古の生物を形どった意味深な装飾が多く施されていて、この学園で一番不気味だと評判だった。
 古さでいえば中央棟も同程度なのだが、あちらは装飾が幾何学的で、かつ陽光がよく建物内にいきわたるよう、窓の配置が工夫されているから明るい印象がある。さらに空間が広々としているのも、不気味さをあまり感じない大きな要因だろう。夜になると不気味で仕方ないと騒ぐ学生もいるが、それはどの建物も同じだとキラナは思っている。
 魔術科の建物は、廊下が狭いのだ。左右の彫像の死角に誰かが隠れていたら、などと妄想すると、自分との距離の近さに身がすくむような心地がする。
「そんな誰かなんて、いるわけないんだけどね」
 気を紛らわせようと呟いたのと、廊下の曲がり角の向こうから声が聞こえてきたのが同時だった。
「あの。研究者の方か、研究対象の方ですか?」
 溌溂とした少年の声だった。
 キラナは眉根を寄せた。
 陰りを帯びたこの空間に場違いな明るい声も、その話す内容も、理解できなかった。
「そうね。研究者だと自負してるわ」
 次いで怪訝そうな少女の声がする。キラナが無意識に息をひそめていると、少年の声色が華やいだ。
「ああ、やっぱり! 冒険部に入部したくて来ました。部長の方に取り次いでいただけますか?」
「私が部長だけど」
(わっ、ホント!?)
 どんぴしゃりで、見たいものの現場に居合わせたようだ。
 キラナは足音を忍ばせて曲がり角から向こう側を窺った。部室の扉が並んでいる廊下の中央に、人間の少年とエルフの少女の姿があった。
 少年は背を向けているので顔が分からないが、少女の方は見えた。やや吊り目がちで愛らしい顔立ちの、知性を感じる涼やかな美人である。やや縦に巻いたパステルカラーのツインテールが、白衣をダボつかせる華奢な体躯によく似合う。
(可愛い! 想像してたのと全然違う)
 キラナは驚いた。オカルト好きで我が道をいくエルフという情報から、ビン底眼鏡に奇抜な服装のエルフを予想していたのだ。
「失礼しました」
 少年は頭を下げた。
「僕は中等科三年、普通科普通コースに所属しているナインという者です。ティエさん、あなたの冒険部の活動に参加したくてやって参りました。入部させてくださいませんか?」
「ありがたいけど、一つ確かめさせてもらっていい?」
「はい」
 ティエは指を自らの細い顎に添える。
「かつてこのアストルティアには二つの太陽があった。どう思う?」
(何を?)
 キラナは心中でツッコミを入れてしまった。
 二つの太陽だけでも意味が分からないが、どう思う、とは何を聞きたいのだろう。
 少年が答える。
「偽りの太陽レイダメテスのことでしょうか。レイダメテスをうち砕いた破邪舟師エルジュ曰く、レイダメテスは魔族の手によって生まれた、死者の魂を蓄える装置であったそうです。しかしこの情報はエルジュの自叙伝と、時の正史を記した歴史書に描いてあるのみで、客観的なソースが不十分であると思います。史書以外の史料がない以上、過去の世界に飛んでアストルティアの成り立ちを有史以前から確かめない限り、真相を確かめるのは不可能です」
「ありがとう。もう結構」
 ティエは微笑を浮かべていた。
「今日は冷やかしが多かったから、ちょっと疑心暗鬼だったの。あなたは本当に冒険部に興味があって来たのね。歓迎するわ。あなたは私も含めて、三人目の部員です」
「他の方は、今日はいらっしゃらないのですか?」
「彼はボディーガード兼研究対象要員なの。冒険部として外部に出かけるまで、部室には来ないと思う。ところで、これから学内の不思議の調査に出かけようと思ってるんだけど、一緒に来る?」
「いいんですか」
 ナインは嬉しそうだ。
 ティエが歩き始め、ナインがそれに続く。立ち聞きしていたキラナははっとした。
(まずい。こっちに来る!)
 距離を取る間もなく、曲がり角で立ち尽くしている目の前へティエとナインが現れた。ティエは人間の中でも小柄だと言われるキラナよりなお小さく、ナインは自分より少し背が高かった。
 二人分の視線が、キラナに注ぐ。
「あら、あなたは?」
 ティエが小首を傾げる。ナインが問う。
「あなたも冒険部の入部希望者ですか?」
 キラナはどう返そうか迷った。
 さすがに、「この部活に入るのがどんな人か気になった」とは言えない。
「わ、私は、その。ちょっとだけ、見学したいなと思って来たの! 迷ってて、入るかどうかも決めてないんだけど」
 正直な気持ちを、表現を変えて答えた。
 すると、ティエが頷いた。
「分かりました。では、一緒に行きましょうか。せっかくだから、活動してるところを見てもらった方が理解も早いはず」
(ええ~!?)
 どうしてこうなった。
 キラナは珍しく、プラスに働くことの多かったはずの自分の行動力を後悔した。だが、もう遅い。
 こうしてキラナは、冒険部員候補生として、彼らの記念すべき第一の調査に同行することになったのだった。