無限ギャラリーの冒険




 ティエがキャンバスに円を描いた。
 円の中心を見つめていると、キャンバスの色味が次第に変わっていく。
 ナインが視線を転じてみれば、既に知らない場所に着いていた。
 目の前に、長い、トンネル状の回廊が伸びている。
 左右には絵画や彫像、調度品といった美術品が等間隔で置いてある。
「神隠しにあった人たちの作品だな」
 ルアムが、近くに置いてある作品をいくつか観察して断言する。
 ローレは眉を八の字にしている。
「そうなのか? それより、壁の色が変で目がチカチカするぞ」
 彼の言う通りで、回廊の壁紙は不思議な配色をしていた。
 左右に展示された作品を中心として、緑、白、黄、青、といった具合に、次々に壁色が変えられているのだ。
「オルフェアサーカススイーツカンパニーのアクロバットレインボーケーキが腐っちまったみてーな色だ」
 ルアムは顔をしかめている。
「作品の置いてある場所ごとに壁の色を変えているようです。この空間の設計者は、ある程度美術への造詣を備えているのでしょう。作品の雰囲気にあった背景を作ろうという意図が感じられます」
「センスはあんまり感じられねーけどな」
 一つの展覧会の中で壁色を頻繁に変えることはあまりない。先ほどのローレのように、客が疲れてしまうからだ。
 そのような配慮がないところを考えると、この空間は一般人に見せることを前提に作られた空間ではないのかもしれない。
「あれ。ティエたちがいないぞ」
 ローレが声を上げた。
 振り向いてみれば、確かにティエとキラナの姿がない。背後はただの壁で、旅の扉も、普通の扉もなかった。
「元の場所に戻ることもかなわないようですね」
「うーん。心配だぞ」
「大丈夫だって! 先に進んで解決しちまえば、万事解決なんだからな」
 ルアムが歩き始めた。ローレはなおも心配そうだったが、すぐに小さな背中のあとを追う。ナインはしんがりにつくことにした。
「そういえば、自己紹介がまだでしたね。これから協力してこの場所を調べるのですから、名乗ってもよろしいですか?」
「名前を言っていいかなんて、わざわざ聞かなくていーって。教えてくれないとオイラ、呼び方に困っちまうよ」
 ルアムは苦笑する。
 ナインは頭を下げた。
「僕は中等科三年、普通科普通コースのナイン・キュロスです。よろしくお願いします」
「おれはローレンス。高等科一年、闘技科の武術コースだ。ローレって呼んでくれると嬉しいぞ」
「はいはい。ナインの兄ちゃんと、ローレの兄貴な」
「先ほどまで一緒にいたエルフの女性が、部長のティエさん。高等科二年の魔術科所属です。もう一人の人間の女性が、見学者のキラナさん。同じく高等科二年の普通科所属です。キラナさんを除く、僕達冒険部は、今三人で活動を始めようとしているところなのです」
「なるほどなー。二人とも高等科で、しかも部長ちゃんが魔術科なら、このくらいのダンジョンもなんとかなるかな。このダンジョンは、神隠しにあった技術科のみんなも、なんやかんやで帰ってこられたくらいだから、急に死んじまうみたいなことは起きなそーな気がする」
「僕もそう思います」
 ナインは近くに飾ってある麦畑の絵画を指した。
「僕が今探知できる半径九十メートル以内に、生物の気配は感じられません。美術品の周辺には、二つの術式が仕組まれています。たとえばその絵の額縁は、やわらかい枝と魔力の土で形成されていて、性質変換の術式が精霊文字で刻まれています。転移と性質変換──つまり、バシの魔力元素を、錬金工学的な技術で織り込んでいるのですから、旅の扉のようなはたらきをもたらすものと予想されます」
「眠くなってきたぞ」
「うへえ。オイラもだぞ」
 ローレの正直な反応に、ルアムも乗った。二人して重い瞼を持ちあげる仕草をしている。
「おれ、夜更かしはあんまり得意じゃないんだ」
「どーゆーことか、スパッとわかりやすくまとめてくれよー」
「失礼しました。各美術品を飾る額縁や台座などが、旅の扉になっているということです」
 ナインは言い直す。
「触れなければ害はありません。触れたところで、どこか別の空間に移動する程度でしょう」
「ほーん。じゃ、この部屋に普通の出口がないか確かめるまでは、触らねー方がいいな」
 ルアムはすたこらと進んでいく。
 足の長さの違いがあっても、先頭として移動速度が遅く感じられないのは、本人のもとから持つ足の速さと魔具ゆえだろう。
 バギの魔力元素が組み込まれた移動補助魔具は、小型で仕掛けが複雑であるため、高価である。所持している者はそう多くない。学生ならなおさらだ。
 学生の身分でそのような品を所持できているところに、彼のこれまでに勝ち得てきた信頼が窺える。
(急に何か現れても、ルアムさんが先頭ならば躱せる。その隙にローレさんが対処することも可能だ。配列はこれで問題ない)
 もっとも、回廊が直線に伸びるだけの、罠や生物の気配もない単調な道だから、問題など起きない可能性が高い。だが、万が一は考えておいた方がいい。
「ナインは普通科なのに、魔術言語が読めるのか」
 ローレが尋ねる。
「はい。魔術言語の講座を履修して、読み書きができるようになりました」
「すごいぞ。おれもティエに誘われてオリエンテーションだけ参加したことがあるけど、十分で飽きた」
「特待生として闘技科に入れることの方がすごいと思います」
「闘技科特待ってことは、もしかしてローレの兄ちゃんは『物品の破壊神』のローレか?」
 ルアムが振り向いた。
「建築とか道具職人の奴らから聞いたことがあるなー。うちに学園の施設課から備品の発注が連続した時期があって、発注の原因が闘技科の新入生だっていうんで、話題になってた」
「う、申し訳ないんだぞ」
 ローレがしょげる。ルアムは彼の顔を見上げながらぽんぽんと毬のように跳ねる。
「気にすんなって! 闘技科はそういうもんだからな。学園で事故を起こすことが多いのは、まず闘技科と技術科。次が魔術科って決まってるんだ」
「そうなのか?」
 横並びで会話するルアムとローレ。
 ナインはローレの後ろ姿を、さらにその腰に下げた魔武具を眺める。
(先端に赤い宝玉のついた青い棒。剣の柄だとするならば、魔武具【稲妻の剣】だ。特待生はさすがに、扱えるものが並みの学生と違う)
 ルティアナ総合学園の闘技科武術コースの学生は、派手な格闘や技の応酬で観客を楽しませるコロシアム競技ことバトルロードで戦う闘士の候補生だ。
 バトルロードは、各都市にある競技場で行われている。毎日試合が開催され、多くの観客が詰めかける。勇ましい戦いぶりだけでなく、時として人情も感じさせるような手に汗握る展開を見せるこのスポーツは、市民の心を奪ってやまず、今や国際競技として世界大会が開かれるほどに人気が高い。
 それだけ人気が高いのだから、もちろん闘士を志願する者も多い。
 闘士を目指すには、闘士養成学校に入って鍛える方法と、有名闘士の弟子としてマネージャーのようなことをしながら鍛えてもらう方法の二つがある。
 ルティアナ総合学園闘技科への入学は、前者にあたる。さらにこの学園の闘技科は、バトルロード初代世界チャンピオンをはじめとする、数々の名闘士を生み出してきた名門である。
 そこに特待生として入学して無事卒業できれば、Aランク闘士としてすぐ試合に出られることが約束されている。
 つまり、ローレは戦闘エリートなのだ。
(この得体の知れない状況で、確実な戦力がいるのは心強い)
 歩けば歩くほど、回廊は並べられた作品に従って、目まぐるしく色を変えていく。
 まさか、作品が並んでいるだけということはあるまい。
 そう考えた矢先に、気配を感じた。
「ルアムさん、ローレさん。九十メートル先に何かいます」
「そうなのか?」
 ローレは腰に帯びた魔武具を手にする。
「人間か?」
「おそらく、違います」
 ナインには、自分でもよくわからない知覚能力がある。
 ナインはもともと五感が鋭い。小さな音を聞いたり、遠くのものを見たりする時、己の認知可能な範囲がはなはだしいらしいことを授業の中で知った。中等科で人外と呼ばれている理由の一つも、この点にあるのだろう。
 その延長なのか否か分からないが、ナインは自分の周囲にいる生物や霊体などのステータスを知ることもできた。
 回廊の先を見据える。
 あと八十メートルも進めば、円形の空間に到着する。そこに、ここからは死角になっていて視認こそできないが、人型をした何かがいる。
「燕尾服とシルクハットを身に着けています。体の材質がちぐはぐで、平均して体温が三十度に届いていません。また、高い魔障を体内に含んでいることから、魔物ではないかと推測できます」
「本当か?」
「行ってみましょう」
 三人は先へ進む。
 回廊をじっと見据えていたルアムの表情が、にわかに険しくなる。
「このあたりの展示物……」
「神隠しにあった人たちのものか?」
「そうじゃない。盗品だ」
「どういうことだ?」
 ローレが驚く。ルアムは顎に手をあてる。
「技術科の先輩たちから聞いた話なんだけどな。二十年くらい前に、作品がちょくちょくなくなる事件があったらしいんだよ。技術科の先輩たちは、みんな作品にこだわりを持ってる。だから警察に頼む前に自分たちでとっちめてやろうってゆーんで、自作の監視カメラをつけてみたり、作品の写真を撮っておいて捜索手配ができるようにしてみたり、無くなったらすぐ手分けして探したりしたんだ。その時の捜査の資料が、今でも技術科に残ってて、オイラもそれを見せてもらったことがあるんだ」
 あのあたりは紛失リストに載ってた。
 ルアムはそう言って、左右のいくつかの作品を指した。
 ローレはすっかり神妙な表情になっている。
「それで、どうなったんだ?」
「犯人を特定するところまではいったんだけど、捕まえにいったら消えちまってたんだって。犯人は、技術科に出入りしてた画材屋でな。その件もあって、ガラクタ城には外のヤツを気安く入れないっていう暗黙のルールみたいなのができていったんだと、オイラは思ってる」
「その画材屋は、人間でしたか? 年齢と性別は分かりますか?」
「ああ。人間の、四十代くらいの男だったって聞いてるぞ」
 ルアムの返事を受けて、ナインはもう一度回廊の先にいる存在を探る。
「条件が一致しています。おそらくその男が魔物化したものが、この先にいます」
「人間なのか? 戦闘になったらどうしよう」
 ローレが自分の手にした武器と、回廊の先とを見比べる。
 ナインは首を横に振る。
「もと人間。現魔物です。二十年前の失踪時に四十代だったならば、今も四十代であるのはおかしいです。生物学上は言わずもがな、行政上でも人間としては死亡扱いになっているでしょう。魔物は自分よりも力の強い者の言うことしか聞かない傾向にあります。交渉の手段が話し合いではなく、戦闘になったとしても仕方ないことです」
「えーと、なんだって?」
「ピぺの嬢ちゃんが返してもらえねーなら、ケンカになってもしょうがねーってことさ!」
「おー、そういうことか!」
 ルアムがかみ砕くと、ローレは手を打った。
 三人はそのまま進んでいく。ホールが近づいてくる。
 回廊とホールの境目に、看板が立ててあった。
 ルアムが首を傾げ、声を潜める。
「なんだこれ。字が彫ってあるみたいだけど、形がめちゃくちゃで読みづれーぞ」
「本日はご来館ありがとうございます。当ギャラリーを見学なさる際の注意事項を申し上げます。だそうです」
 ナインはやや体をかがめて、書いてある内容を眺める。
「文字の形と文法が乱れていて、読みづらいです。今のも、想像で補って読んだものなので、正確かどうかは怪しいです」
 注意事項は、箇条書きでまとめてあるようだ。
【Ψ“ャさりーノ展示品ιδ モち出せまセヽノ】
【どフιてモ買い上ヶ“たいおΨャくらまιδ 館主ニ相談】
【おΨゃくらま以外〇 入室Ψヽノシ】
【`Λ‘Ψヶ“ヽノΨヽノ】
【ヶ“コΨ“コ ニιδ ヶ“コΨ“コ】
 このような文章が、あと五つ並んでいる。
 だがそちらには、知っている文字が一つもなかった。
「ひでーな」
「読めないぞ」
「言葉が次第に操れなくなっているのでしょうか。コミュニケーションが取れるといいのですが」
「立ち止まっててもしょーがないから、いくか」
 お邪魔します、と声をかけながら、三人はホールに入った。
 ホールにはやはり、どこを見ても絵や彫刻などが飾ってある。壁の高いところも絵で埋め尽くされており、空中には翼を生やした骨の模型が浮いていた。
(どの作品にも、旅の扉の仕掛けが施されている。盗品を実体化させているのか?)
 部屋の隅に、ソファに座っている男がいた。
 燕尾服を身にまとっている。シルクハットを目深にかぶっているので、表情は伺えない。
 三人は顔を見合わせた。
「本当にいた。あれが館主か」
「ナインは千里眼なんだぞ」
「話しかけてみますか」
「なんて言うんだ?」
「ピぺさんをください、でしょうか」
「嬢ちゃんを返せ、じゃねーのか?」
「しかし、看板には展示品は持ちだせない、買い上げの際には館主に相談するようにとありました」
「ピペは展示品じゃなくて、プクリポだぞ」
「看板に書いてあったルールに従って交渉する気か?」
「ここがルアムさんの仰る通り、かつて技術科の作品を盗んでいた画材屋の創った空間ならば、一連の誘拐事件の動機もきっとその延長です」
「ピペを作品だと思ってるってことか?」
「おそらくは。穏便に済ませるならば、彼女を返してもらうために取引を」
「盗人だぞ? 裁きは受けてもらわねーと」
「それはもちろんそうですが、ピペさんの安全を確かめて──」
 無声で相談していると、突如男が立ち上がった。
 その顔を見たローレが、うわと声を上げる。
 男の顔はくしゃくしゃに丸められた紙でできていた。目のある位置にはルーペが二つ埋めてある。
「あーと、の、かおり、が、しない」
 館主は彼らを見て言った。非常に低く、しわがれた声だった。
「しつれーな! 笑いは芸術だぞ!」
 ルアムが啖呵を切った。反射的に出たツッコミといった方が合っているのかもしれない。
「感性の違いでしょうか」
「言ってる場合なのか?」
 ナインが真剣に考察をはじめ、ローレが疑問を述べる。
 館主は自分の後ろにある額縁を指さした。中には、サイケデリックな色が複数渦巻いている。
「きゃく、で、ない。ざいりょ、なれ」
 サイケデリックな光が視界を焼いた。
 ルアムの叫ぶ声が聞こえる。
「おい、おっちゃん! 待てって! アンタ、お笑いが分かってねーよ! プクランド大陸までちょっとダッシュで──あれ?」
 光が失せると、ルアムが戸惑ったように周囲を見回していた。ナインも状況を把握する。
 彼らはホールではなく、ルティアナ学園の中庭にいた。太陽がてっぺんに輝き、三人の影を十字路の中心に落としている。
「どういうことだ? おれたちが絵の中に飛び込んだ時は、夜だったぞ?」
ローレが、困惑している。
 ナインは手で宙を撫でた。アストルティアの空気ではない。
「まだ、あの空間の延長にいます。館主の気配があたりに満ちています」
「ってことは、あいつが作った偽物の学園に飛ばされちまったんだな?」
「わっ。あれを見てくれ!」
 ローレが天を指さす。
 太陽から、巨大なペーパーナイフが雨のように降って来ていた。
 三人は三方に散る。ペーパーナイフは次々に地面に刺さっていき、あたりは針山のようなありさまになった。
 ルアムがつぶらな瞳をつり上げた。
「よし、交渉の余地なし。売られた喧嘩は買うぞ!」
「お、出番だな!」
 ローレが手にしたままだった魔武具を振ると、黄金の刃が現れた。刀身の周囲を舞う青い火花から、込められたエネルギーの激しさがうかがえる。
「いくぞ!」
 ローレが刃を振る。
 雷が迸り、辺りに生えていたペーパーナイフがすべて砕け散った。
 ルアムが口笛を吹き、ナインが頷く。
「素晴らしい威力です」
「おう。ティエの手作りだぞ!」
「今すげーこと聞いちゃったんだけど。ま、いいか。あのおっちゃんがどこにいるか、探さねーと」
「館主の捜索ですか」
 ナインの表情が曇った。
「どうかしたのか?」
「一つ、試してみたいことがあって」
 ローレの疑問にはこたえず、ナインは校舎へと近づいていく。
 中庭に面している扉の一つに触れた。
 途端、周囲の景色が学園の中庭から大地の箱舟の車両内に変わった。
 外には暗い山の景色が続いている。座席には種族の様々な乗客が座っていて、突然現れた三人組のことを気にする風はない。
「な、なんだ? また場所が変わったぞ!」
「そういうことですか」
 ローレが驚愕し、ナインは扉から手を離した。扉も、ルティアナ学園のものから箱舟のものに変わってしまっている。
「これは、芸術作品を触媒にした無限ダンジョンです」
「むげんダンジョン?」
「延々と同じところを回らされるってことか」
 ルアムの言葉を、ナインはおっしゃる通りですと認める。
「先ほどの学園の中庭の扉もそうでしたが、扉に転移の魔術が施されています。ですが、扉の向こうの空間は、触媒が異なる以外、今いるこの空間と何も変わりないのです」
 ナインは手近な座席のへりに触れる。
 指を離してみると、乾いた木材に触れたはずなのに、茶色の染料が付着していた。
「ここは、あの館主が集めた作品の中です。おそらくどの扉をくぐっても、どの空間に行っても、作品の群れの中から抜け出せないのではないかと」
「そうだよ」
 ナインの触った席に座っているウェディの女がこちらを向いた。
 紫の目の縁から、白い絵の具が一筋零れている。
「お前たちはここで干からびて、館主様の芸術を美しく保つための、補修材料になるんだ」
 女が言うと、乗客の全員が三人を見た。
 一斉に立ち上がり、こちらへと歩いてくる。
 女がナインの首を締める。ローレが振りかぶった手を止めた。
「ナイン!」
「しゃがんでください」
 ナインは女の両手首を掴み、ひとまとめにして捩じる。ルアムとローレがしゃがんだのを確かめてから、女を振り回して放り投げた。
 寄ってきていた乗客たちがなぎ倒される。
 そこへ、再びローレが一撃を放つ。
 乗客たちは悲鳴もあげずに蒸発した。
 あたりに染料の油じみた匂いが立ち込め、黄、紫、青といった乗客の色をした蒸気が漂う。
 次の扉に触れるとまた景色が変わり、和風の定食屋になった。
「カツ丼だぞ」
 卓上に一つカツ丼があって、白い湯気を上げている。
 ナインが湯気に触れてみると、やはり白い絵の具が付いた。
 勝手口がガラリと開き、包丁を持った板前が大勢突進してきた。
「どんな作品なんだよ!?」
「わーっ!」
 ルアムのツッコミと同時に、ローレが板前たちを一薙ぎする。前線の板前が倒れると、彼らを踏みつけて後ろの板前たちが押し寄せてくる。
「造り物だってわかってても、あんまり気分が良くないんだぞ」
 ローレは顔をしかめながら、板前をバッタバッタとなぎ倒していく。
「リセットするかー!」
 ルアムが高く舞い上がり、板前たちの肩を足場にポンポンと跳ねて、次の扉に触れる。
 定食屋と板前たちの幻想は消えた。





 それから三人は、たくさんの作品の中を駆け抜けた。
 行く先々で何かが現れ、彼らの命を狙ってきた。
 王族の部屋に行った時は、サテンのリボンを持った侍女たちが彼らを縛ろうとしてきたので、さっさと次の部屋に逃げた。
 工場の生産ラインに降りて、刃で切り刻まれそうになった時は、ルアムの魔道具の力で天井近くにあった次の扉を開けた。
 壊れた宇宙船に乗ってしまった時は、ローレがギガンテスのようなエイリアンに折れた宇宙船の柱を投げつけて退け、次の空間へ移動した。
 どんなに移動しても、館主も出口も見つからなかった。
 やがて黒いツボの中の世界にたどり着いた三人は、上から流し込まれてきた水を蒸発させた後、次の扉が現れたのを見て溜息を吐いた。
 やはりこれまでの扉と変わらず、外の世界に通じている気配はない。
「こんなのがずっと続くのか? オイラ、飽きちまうよ」
 ルアムがあきれた声を上げる。
「ティエもピペもいないし、いい加減帰りたいぞ」
 ローレは肩を落とす。
「扉をくぐり続けても変わらないなら、別の方法を取りましょう」
 ナインが提案する。ローレがすかさず尋ねる。
「別の方法ってなんだ?」
「館主が僕らを外へ出さずにはいられない状況を作るのです」
「敵さんの弱点を突くのかー。心当たりはあるのか?」
 腰に手をあてているルアムに、ナインは首肯する。
「ギャラリーに入った時に見た看板。あれに、【火きげんきん】とか書いてありました」
 注意書きの一つにあった【`Λ‘Ψヶ“ヽノΨヽノ】だ。
 ひどい癖字で読みづらかったが、他の文章と合わせて考えてみると、【Ψ】は「き」で【ヽノ】は「ん」だろう。【`Λ‘】も、「火」に見えないこともない。
「さらに、これまでの道のりでは赤い色が一切出てきませんでした。館主が火を恐れている可能性は高いと思います。火を使えば、彼は展示品が燃えることを恐れて、僕達をここから出すのではないでしょうか」
「あー。美術館みたいなナントカ館系は、あぶねーから火は使うなって、めっちゃ注意してくるもんな」
 ルアムは繰り返し頷く。
「で。誰が放火するんだ?」
 三人は互いを見る。
 ナインが手を上げる。
「僕はできません。お二人のような魔道具も持っていません」
 ローレは稲妻の剣を示す。
「おれはずっとこれを使って来たけど、何にも反応されなかったぞ」
 ルアムは腕を組む。
 唸りながら、首を横に振った。
「うーん。じゃあ、やっぱりオイラの出番か」
「ルアムさん、まだ魔道具を持ってらっしゃったんですか?」
「まあ、その。魔道具っつーか、なんつーか」
 やけに歯切れが悪い。そこに普通でない躊躇いを感じ取ったローレが身を乗り出す。
「ルアムは何を持ってるんだ? 風のヤツだけじゃなかったのか?」
「風雷の印籠な」
 プクリポはふかふかした懐から、拳大ほどの印籠を取り出した。オモテにプクランサフランの文様が描いてある。
「こいつは、風や雷の攻撃を柔らかくしてくれたり、中に別の素材を入れれば合体技みたいなのを使えたりする、優れものなんだ。でもこれは、オマケで、その……ああ! 迷うなんてオイラらしくねー! 言うぞ!」
 ルアムは躊躇を振り払い、決意に満ちた眼差しを二人に向けた。
「話したかったのはそっちじゃねーんだ。オイラ、実はただの赤い毛玉じゃねー。千年に一度だけ生まれる、焔のプクリポなんだ」
「ほのーのプクリポ? 何だそれ?」
 ローレが目を丸くしている。ナインも聞いたことがない。
 しかし、ルアムは頭を抱えてうつむく。
「本当は内緒にしておきたかったんだ。強すぎる炎は花を燃やしちゃうから、嫌がられる。オイラ、みんなに悲しー思いをさせるのは嫌だ。先輩たちの作品を燃やすのも、辛いんだ」
 具合でも悪いのだろうか。
 ナインは首を傾けて、低い位置にある顔を覗き込む。
 抱え込まれた小さな頭はめいっぱい下を向いていて、上からは見えない。
 ナインが上体を地につけるまで顔を下げると、ルアムと目が合った。
 苦悩するしぐさの割に、まったく苦しそうな表情ではない。
 それところか片目をつぶって、口の形だけでこう言って来た。
『テキトーに、つじつま合わせてくれ』
(なるほど)
 演芸の時間らしい。
 ナインはやや上体を起こして、プクリポの肩に手を置く。
「ルアムさん。無理はしないでください。他に手段があるかもしれません」
「でも、ぐずぐずしてたらこの絵に閉じ込められたピペが死んじまうかもしんねーじゃん。なら、オイラは。オイラは」
「ああ、ルアムさん。まさかあなたが、伝説の焔のプクリポだったなんて」
「ナイン、知ってるのか!」
 ローレが問う。
 彼には教えなくていいのだろうか。
 ナインは一瞬迷った。
 しかし、彼の純真な丸い瞳を見て、彼に演技は向いていないかもしれないと思い至る。むしろ、教えずに信じてもらった方が、真実味も出てよさそうだ。
(ローレさん、すみません)
 ナインは心の中だけで詫び、真剣な表情で頷く。
「花は太陽がないと生きられません。ですから花の民プクリポの中には、千年に一度、太陽神の力を身に宿した、真っ赤な体毛の焔のプクリポが生まれるのです。そのプクリポは、自分を燃やすことで強烈な炎と光を放ち、同族を照らし、あたため、生命を繁栄させる宿命を持っているのです」
「そうなのか!? ってことは、すげー炎の技とか使えるのか! すごいな!」
 はしゃぐローレ。ナインは眉根にやや力を入れつつ、首を横に振った。
「しかし、その強すぎる力は諸刃の剣です。加減を間違えば、焔のプクリポは同族を焼き殺して虐殺してしまう。だから太古のプクリポたちは、焔のプクリポが生まれるたび、キラキラ風車塔の顔の花びらに焔のプクリポをくくりつけて、風見鶏の刑に処したと言います。自分たちとの力関係を分からせ、暴走を防ぐためです」
「あ、あんなニコニコの塔に、そんな怖い話があったのか……」
 ローレは青ざめて身を引いている。
 見事な反応である。本当は気づいているかもしれないと思えるほどだ。
 ルアムは地に伏した。
「今でも覚えてる。オイラ、揺り籠でゆられるより先に、大風車塔でぐるぐるさせられたんだ。怖かった。でもオイラ、みんなを恨んでねーよ。だって、自分でもこの力が怖ぇーもん」
「ルアムさん……」
「オイラも燃えちゃうかもしれない。でも、いいんだ。この空間が全部燃えても、先輩たちの作品を燃やしちゃって責められても、オイラの命が燃え尽きちゃってもいい。ピペの嬢ちゃんと、兄ちゃんたちが解放されて、笑顔になれるなら!」
 小さな両こぶしが、地面を殴った。
 ルアムは立ち上がる。眉を引き締め、唇を一文字に結ぶ表情は、悲劇を覚悟したヒーローにしか見えない。
「オイラはみんなを笑顔にするために生まれてきた、焔のプクリポなんだ。生き様から散り際まで鮮やかな花の民プクリポとして、使命をまっとーしてやるぜっ!」
 ルアムは両腕をもったいつけてまわし、ゆっくりと印籠をかかげていく。
「いくぜっ。イアー! タアー! シ・ン・パッ・ケ──」
『出て行け!!』
 どこからともなく声がして、三人は吹き飛ばされた。








 同時刻。ガラクタ城の一角。
「ルアムさんは大丈夫だろうか」
「助けに行かなくていいのかなあ」
「ラチックさんに連絡した方がいいんじゃあ──」
 ピペがさらわれた教室で、技術科の面々は冒険部の帰りを待っていた。
 相談するのに夢中になっている彼らは、まだ気づいていない。
 教室の中央に放置されたキャンバスに、急激に迫りくる何かの影が映っていることを。