夢見る学生たち
memo1 ナイン
「聞いたか? さっきの」
終業の鐘が鳴り響いている。
閑散としていた中庭に、授業を終えた学生たちが次々と飛び出してくる。
わらわらと人が行きかう中で、ある学生の一グループが話をしている。
「何、どれ?」
「コイツに言ってたやつじゃないか?」
男女の学生が会話する傍らで、最初に口を開いた別の男子学生がしゃんと背を伸ばす。
「『そのレシピに必要なのはさとり草ではなく、あやかし草ではないかと思います。なぜならば、さとり草は光属性で知啓へと導く触媒です。幻惑状態の予防薬を作るなら、抗体として闇属性幻惑の効能を持つあやかし草を入れて熟成するのがよいかと』」
「お前さ。そんだけ真似ができるなら、普通レシピも間違えないだろ」
「知らねーよ。幻惑状態なんて、今どき誰がどこでなるんだよ」
「今日もド正論パンチが冴えわたってたわ」
「ホント、普通科の人外だよな。あんな知識があるのに、なんでまだ中三なんだろ」
「そりゃ決まってるだろ。すぐ正論かますヤツだぜ? 大学部の教授の助手に向いてると思うか?」
言い出しの男子学生が笑う。
「あいつ、あんなのだから友達もいねえんだろうぜ」
「ごもっともです」
少年の声がして、三人は振り返った。
赤いブレザーにグレーのズボンという、染色も何もしていないテンプレートの制服をまとった少年が背後に佇んでいた。
少年は学生たちを見上げる。
「世界の理を学ぶルティアナ総合学園生相手とは言え、むやみやたら理について意見を述べることはよろしくないようです。失礼しました」
「あ、いや」
学生たちはたじろいだ。
少年は小柄で、遠目には何の変哲もない子供にしか見えない。
しかし近づいて覗きこむ大きな瞳はのっぺりとしていて、子供らしい感情の揺らぎが一切ない。さらに中性的な顔立ちもまったく崩れないため、妙な圧迫感を覚えさせられた。
「他に、僕に関する要望はありますか?」
「い、いや」
「では、今後何かありましたら教えてください。僕は中等科三年、普通学科普通コースのナインといいます。現在分かっている範囲で、『普通科の人外』『正論カウンターマン』『論理撲殺天使』などと呼ばれているようです。そのような人物に関する意見を周囲で聞いたら、お手数ですが僕に教えていただけますか。今後に生かしたいので」
「はあ」
「では、これにて失礼します」
少年は一礼して去った。
学生たちは、呆気に取られて彼の後ろ姿を眺めていた。
少年ナインは、自分の生い立ちについての記憶を失っている。
気づいた時には、鍵のついた書物を握りしめてこのルティアナ学園の前に立っていた。
持っていたのは書物一冊と、自分がナインという名である情報と、世界への好奇心のみ。
特に彼の世界に対する知的欲求はすさまじく、自分の存在が分からないことなどどうでもいいと思えるほどに、このアストルティアの世界に焦がれた。
表情豊かな空と大地も、世界を満たす色とりどりの動植物も、文明を携えて行きかう個性豊かな種族たちも、目にするだけですべてが愛しく感じられた。
この感覚が何かを調べてみたが、よくわからない。強いて言うならば、ナインの知的欲求は、赤子が母親に愛着を抱くような、無意識の領域に染みついたものに近い。本能と呼ぶのがいいのかもしれないと、今は思っている。
学園に入学して、書物という書物をむさぼるように読み、自分の身をもってして経験できるものはすべて経験しようとしてきた。
座学も実技も、何でもやりこんだ。
おかげで彼の成績は学年のトップで安定している。
だが、人付き合いだけは安定しなかった。
(僕に友人がいないこと自体はいいけれど、角が立つのは周りのためにも良くない)
ナインは人気のない植物園の片隅で、花壇の植物の葉を撫でながら考え込む。次は授業がないので、ここでのんびりしていても問題なかった。
(友人がいることや、人間関係を円満にすることのメリットは、僕自身の生活の充足感だけではない。社会がよく回ることと、周囲の人間の生活の充足感にも繋がる。自意識が自意識によってなる以上、独善性からは逃れられないから仕方ない。多少の摩擦も生じるのが個性だ。しかし度が過ぎれば集団がもろとも損なわれる。僕はそれを望んでいない)
ナインはつらつらと考え続ける。
普段は接する相手が使う言葉を真似たりして、分かりやすい言葉を使うよう気を付けているものの、一人で考え込む時や我を失うほどに興奮している時には、普段接しなれている抽象的な言葉の方が自然と出てくる。
(世界は、もしくは周囲の学生たちは僕程度の摩擦で滅びることはないだろう。しかし、もう少し摩擦を避ける努力をしないと)
(でも、もっと世界のことを、アストルティアやみんなのことを知りたい)
ジレンマ。
まるで人間のようだ。
全てが並みの学生が集まる普通科の、人外のくせに。
ナインは微笑んだ。人間だと自分では思っているが、記憶がない以上、それさえ確かめられない。
(ともかく。まずは、知識が刺激された時に反射的に喋ってしまう癖をおさえるところからはじめようか)
ナインは植物園の空を見上げた。
「なあ、絶対謝った方がいいって」
「うるせえな」
植物園の入り口。アーチの陰からさきほどの学生たちがナインの様子を窺っていた。
「だって見ろよ。触ってるあれ、マンドラゴラの成体だぜ。下手に声かけたら俺ら死ぬって」
「分かってるけど、このまま待ち続けるつもりかよ」
「誰か耳当て持ってきてよ」
「どこからだよ。魔法植物学の教室か?」
「それはまずいだろ」
「見て。笑ってる」
「マンドラゴラって癒し系の植物なのか?」
「んなわけあるかバカ。アレ引っこ抜いて、俺らが失神するところを想像して笑ってんだろ」
「考えすぎだって」
女学生がナインの横顔を見つめて、溜息を吐く。
「黙ってれば、ただの天使なんだけどなあ」
男子学生二人も頷いた。
memo2 キラナ
ルティアナ総合学園高等科に、ある一人の女学生がいた。
名はキラナ。高等科二学年普通学科普通コース所属。
背がもともと小さいうえに、ピンク髪をひっつめた形にしている彼女は、高等科二学年より幼く見られることが多い。
力は平均より強く、魔法の素養は多少あるが、使えるというほどではない。
月末は学友とメギストリスに行く約束を楽しみにしていて、虫がちょっとだけ苦手な、ごく普通の少女である。
そんないたって平凡な少女の特技は、目利きであった。
道具屋で扱っている商品の平均的な買値と売値はもちろん、旅人バザーの市場から美術骨董品の価値にまで精通していた。
「人魚の涙の買値? 先月人魚の涙を使う最新型浄水機が発売されたばっかりだから、きっと高く買ってもらえるよ。今なら二万Gはくだらないんじゃない? 早く売りに行った方がいいよ!」
「北塔四階のザンクローネの肖像画ね。画家ラペットの描いたものによく似てるけど、絵の具の発色が良すぎる。ラペットの時代にない画材を使ってるね。描かれてまだ三十年も経ってないかな。でも上手だから四千八百Gくらいはすると思うよ」
「魔法倫理学の教室前にある、勇者アルヴァンを想う盟友カミル像。贋作が多いモチーフね。でも、カミル像の表情の切なさ、凛々しさ、精巧さから判断して、彫刻家エルノーラの習作で間違いないわ。このやるせなさそうな口元は、エルノーラにしかできない独特の表現なんだよ。推定六千万G」
その目利きの腕を買われ、中等科や初等科の授業準備のための買い出しや、ゼミの手伝いなどを、アルバイトとしてこなしていた。
なぜそんなに商品に詳しいのか。
訊かれると、彼女はこう返した。
「いろんな商品の価値を調べるのが好きなんだ。いつかは、自分で会社を起業したいの。
「でも企業には元手が必要なんだよね。うちにはそんなお金ないから、貯められる時にいっぱい貯めておかなくちゃ。ああ、そういえばこのあいだ、ランプ錬金の教室で星三のお菓子の食器棚ができたって……おっと、先生。なんでもないです。いや、売ろうとしてません。しません。授業で作ったものを売って自分の金にしたりなんて、絶対しませんよ。商売は信頼が命でしょう。ね?」
彼女には、高等科に編入して一年目の時に、学園祭の売り物であった星三の薬草を個人的に売ることから始まって、学園内生徒と様々な商品トレードを行い、トレード相手の全員が利益を得ながら、キラナ自身も十万Gの黒字を得たという前科があった。この件は「一晩薬草長者事件」として、一部の生徒の間で知られているとかいないとか。
「そんな、学園のものを自分の利益にしたりなんてしませんよー」
と言って、売り上げはきちんと学園に収めたためにお咎めはなかったが、今でも学園の予算を管理する経理部は、彼女を少し警戒しているという。
「いや、別に本当に学園のものを自分の利益にしたいわけじゃなくて。私のサガなんです。どうやったらみんなにwin-winの取引ができるか、すぐ考えちゃうんです。だから、シュミレーションしてるだけで自分のものにしようとしてるわけじゃないですよ! 許可をくれたらすぐ、経理部の方にも納得してもらえるような取引をご提案しますんで、ご用命の際はよろしくお願いします!」
このような風にあっけらかんとしているので、教授学生ともに人望は厚い。
ところで、キラナの商売癖には、あまり語らない背景がある。
キラナは早くして両親を亡くしており、双子の妹と共に孤児院で育ってきた。
孤児院暮らしは決してひどすぎはしない生活であったが、金の重さや肩身の狭さだけは身に染みた。
そのため、親のいない子供や病人のような者でも働けたり、収入を得られたりするような雇用形態の商売をして、みんなが金を得られるになることが、彼女の夢になっていた。
高等科からルティアナ総合学園に編入したのも、企業と社会の知識を得るためと、給金のいい職に就き、企業に必要な資金を得るためである。
だからなるべく資金を貯めるようと、キラナはいい成績をおさめて授業料を免除してもらう、学園でアルバイトする代わりに無償で提供される寮に入って生活するなどの節約生活を送っていた。
友人と行く月末のメギストリス遠征が、唯一の贅沢と言ってもいいくらいである。
キラナには秘密の趣味がある。
夜更け、キラナは学園の敷地の外に出て、地面を掘る。
すると、高確率で金やアイテムが出てくるのである。
(仕組みはよくわかんないけど、すごいよね。アストルティアの地面って、どこ掘ってもこうなんだもの)
孤児院でも、メギストリスでも、キラナが掘れば何かが出てきた。
たった一Gだけしか出てこないこともあるが、それでも嬉しい。
なんというか、わくわくするのである。
いつか未知のアイテムやレアイテムなどが出てきたら、という想像をすると、夢のためとはいえ忙しい生活の憂さも忘れられるというものだ。
「小さい頃から、穴を掘るのだけはやめらんないよね!」
キラナは鼻歌を歌いながら、今日も大地を掘る。
それが稀有な特技であるとは、まったく知らずに。