その強さは慈愛より






 グレン城下町を目指し、エクスとグレース、トロロはカミハルムイ駅から大地の箱舟に乗った。
 箱舟は今日も、様々な種族の客でいっぱいだった。三人がボックス席に掛けると、周辺の客がちらちらと彼らを見た。どうも鉄道にモーモンがいるのを珍しく思ったようだった。だが、グレースとトロロが何食わぬ顔で会話しているうちに、誰もこちらを窺わなくなった。害意がないと判断したのかもしれない。
「エクスは、あんまり旅に慣れてないんだろう?」
 グレースは手で四角を作った。
「駅弁って知ってるかい。このくらいのサイズの弁当でね。アストルティア大陸鉄道でしか買えないんだ」
「へえ。食べたことないな」
「鉄道には、それぞれの駅にご当地名物の食べ物が売っているんでごじゃりますモン。それを集めるマニアもいるという話でごじゃりモンな」
 そうだ、とグレースが声を上げた。
「今日の昼飯用にどうだい? 車内でも、少し売ってたはずだよ」
「そうなのか。食べてみたいな」
「決まりだね。じゃあ、待ってな。トロロ、行くよ」
「すぐ戻ってくるでごじゃりますモン」
 二人は席を立ち、別の車両へと向かっていった。
 エクスは彼らを待つ間、車窓を眺めていた。すると、急に声をかけられた。
「おぬし。どうやら、生き返リストのようじゃな」
 顔をそちらへ向ければ、見知らぬ老爺がこちらを覗き込んでいた。とさかに似た特徴的なヘルメットをかぶり、知者のローブを纏った、つぶらな瞳の老人である。片手には両手杖を携え、もう片手には弁当を下げていた。
(これが噂の駅弁かな)
 エクスはそんなことを考えた。
 自分の言ったことをよく聞いていないことに気づいたのか、老爺は言い直す。
「生き返リストというのはすなわち、一度死んで生き返しを受けた者のことじゃ。エテーネの若者よ」
 エクスはやっと、目の前の老人が只者でないことを悟った。
 これまでに彼が外見通りのウェディでなく人間であることに気づいたのは、イムだけだった。しかしそのイムも、彼の出身までは分からなかったのだ。
「あなたは」
「わしはホーロー。アストルティアに知らぬことなしと謳われる賢者の中の賢者、放浪の賢者じゃよ」
 ホーローは胸を張り、エクスの向かいの席に座った。
「して。おぬし、名は何という?」
「エクスです」
「うーむ。エテーネの民らしい、プリミティブかつエレガントな名前じゃな」
 老人は頷いた。その手は、膝の上に置いた弁当を括りつける紐を器用にほどいている。
 いまいち、シリアスなのかコメディなのか分からない人だな。エクスはそんなことを考えた。
「もう知っておろうが、おぬしの故郷であるエテーネの村は、冥王の手で封印されし大地レンダーシアの真ん中に位置しておる。そして、勇者覚醒の光が放たれたのもレンダーシア。何にせよ、おぬしはかの地を目指さねばならん」
 レンダーシアを目指す。
 それは、生き返しを受ける前から自分の目指してきたところだった。
 真剣に見つめるエクスの目の前で、ホーローは弁当の蓋を空けていた。箱の中の彩りを見て満面の笑みを浮かべ、目だけで総菜を吟味しながら言う。
「そのためには何をすべきか教えてもいいのじゃが。時におぬし、いくつ集めたんじゃ?」
(何を?)
 エクスは戸惑った。
 説明を待つ彼の眼前で、ホーローは弁当を掻き込み始めた。
 白米、卵焼き、シュウマイ。
 嬉しそうに箸を口に運んでいたホーローは、エクスの困惑にやっと気づき、タコウィンナーを摘まんだまま箸を止めた。
「む、すまんすまん。言葉足らずじゃったな。わしが聞きたいのはキーエンブレムの数じゃ」
 それを聞けば実力と活躍のほどが分かる。
 賢者はそう言った。
 ここでもキーエンブレムの数が問われるのか。エクスは、その重要性も分からぬままにキーエンブレムを手にできていた幸運に感謝した。
「二つです」
「うむむ。悪くはないが、先は長そうじゃのう」
 賢者は猛然と弁当を平らげた。
 瞬く間に空になった弁当箱を、天へ捧げる感謝の儀式のように掲げる。その後きりりとした顔でやっとこちらへ視線を向けた。
「今はとにかく、キーエンブレムを集めるのじゃ」
「全部でいくつあるんですか」
「十。おぬしの実力が頼むに足りると判断した時、レンダーシアの封印を解くための方法を教えちゃろう」
 その時、車内アナウンスが鳴り響いた。次の停車場として、グレン城下町の名を告げている。
 ホーローは天井を仰いだ。
「おお、もう着くのか。この大地の箱舟という乗り物は実によい。まったく、便利な世の中になったもんじゃ」
 満足げに頷き、弁当箱を丁寧に畳んで席を立つ。
「では、わしはグレン城下町駅で名物のげんこつアメを買わねばならんから、今日のところはお別れじゃ。運命の線路が交差する時、また会おう!」
 ホーローはにこやかに杖を掲げ、去っていった。
 エックスは、丸っこい背中が別の車両へと移動するのを見届けた。
「面白いおじいさんだね」
 ずっと黙って話を聞いていたらしい片割れ──ウェディのエクスが喋った。
 エクスは首を傾げる。
「ああ。本当に賢者なのかな」
 エクスの正体こそ見抜いたが、それ以外は駅弁とお喋りの好きな、ただの気さくな老人のようにも思えた。
 ややあって、ホーローが去っていったのとは反対の方向から、グレースとトロロが帰って来た。
「ごめん。弁当、売り切れたらしくて買えなかったよ」
「販売員の話によると、一人のご老体が買い占めていったそうじゃモン。そんなに大食漢のご老体が、いるもんでごじゃりモンか」
 エクスは目を瞬かせた。
 彼の脳裏には、つい先ほどまでここにいた老人の猛烈な喰いっぷりが蘇っていた。







+++



 グレン城下町に着いたエクスたちは、町人から王が一人前の証を持つ旅人を集めているという話を聞いた。
 それが隣国ガートラントとの戦争のためであり、手柄をあげた者にはキーエンブレムを与えられるという話も聞いた。
 迷いながらも、グレンを治めるバグド王のもとへ行ってみた。
 エクス達は、投獄された。
「何で?」
 地下牢の中、エクスは呟いた。
 牢にはエクス達の他に、ちょうど同じタイミングで王を訪ねてきた老人が囚われている。王によれば、エクス達も老人も邪悪であるから投獄せよとのことだった。
 エクス老人の様子を窺った。
 彼は、煙管をふかしていた。ローブに包まれた小柄な身体に、両手杖を一つ抱えている。豊かに蓄えた白い髭と深くかぶった帽子のつばのせいで、人相はよく窺えない。
 この老人はエイドスという高名な賢者だという。バグド王とも、旧知の間柄なのらしい。
 だから、バグド王の賢者投獄の命令に、臣下達は驚いていた。彼らは主君の翻意を願ったが、この老人を偽物だと糾弾するバグド王の鬼気迫る形相に、渋々命令に従わざるをえなかったようだった。
「アタシたちが邪悪?」
 グレースは憤懣やるかたない様子だった。
「そりゃあ、キーエンブレムを目当てに仕官しにきたところがあるのは認めるよ。だが、何者にも誇れる強さが欲しいのも事実なんだ。頭ごなしに邪悪と決めつけられるのは納得いかないよ」
「トロロは清廉潔白なスノーモンですモン!」
 トロロもいつもより活発に跳ねている。
「申し訳ありません」
 連行してきたザンボアという兵士は、牢の前ですまなそうに言う。
「我々も、あなた方が本当に邪悪だとは思っておりません。このところ、無実でありながら牢に入れられる方が多くて、自分も連日こんなことをしているのであります。ですが、すぐに釈放されることが多いので、あなたがたもきっとそうなるかと」
「そうなのかい」
 素直に頭を下げられて、グレースは拍子抜けしたようだった。トロロも目を丸くしている。
「出してもらえるなら、何も文句なしでごじゃりモンが。主君の命令でごじゃりますろう? 大丈夫でモンか?」
「それは、大臣と兵士長も承知しておりますので、お気遣い無用であります」
「なんだか悪いねえ。大変なことになってるんだね」
 ザンボアとグレース、トロロは一転して穏やかに語らい始めた。その話の内容を要約すると、ここ最近温和であった王の様子がおかしくなっており、城の皆は様子を窺っているということだった。
 エックスは王の様子を思い返す。
 バグド王は、優れた体躯の者の多いオーガたちの中でも、特に堂々たる筋骨を誇るオーガだった。黒のショートパンツのみを纏い、惜しみなく曝け出した肉体には、彼の戦の歴史を示すあまたの傷が刻まれ、見る者に彼が数々の武功により王位についた勇士であることを思い出させた。
 剃髪に高く聳える、赤い房飾りの目立つ王冠の似合う、厳めしい顔。吊り上がった眉の下の眼光は虎のようで、その顔で悪だと糾弾された時は、内心震え上がった。
 しかし改めて思い起こせば、確かに様子はおかしかった。尖った空気は、憤怒の王と言うより手負いの虎のようだった。途中、痛みに耐えかねてよろけ、玉座にもたれかかる姿も見た。
 オーガは強さを重んじる頑健な種族であるという。そのオーガの勇士が感情を乱されるほどの体調不良とは、尋常でないのではないだろうか。
(ここにも、アズランやカミハルムイみたいに、良くないものが入り込んでいるんだろうか)
 エックスが考え込んでいると、しゃがれた声が聞こえた。
「そこの」
 それは、牢の隅に腰かけていた老爺エイドスだった。
 エクスがそちらへ顔を向けると、彼は少し近づくよう身振りで示した。その通りにすると、エイドスは低く囁きかけてきた。
「お前。生き返しを受けたエテーネの民じゃな」
「え、そんなに分かりやすいですか」
 本日二人目である。賢者は皆自分の正体を見抜くのだろうか。
「なんじゃ。その分かりやすいというのは」
 エイドスが不審そうな顔をするので、エクスが箱舟で出会ったホーローの話をした。
 すると、エイドスは鼻を鳴らした。
「ホーローに会ったか。仕事とはいえ、奴め、相変わらず食い道楽を満喫しているようだな」
 エイドスの言うことによると、ホーローとエイドスは、アストルティアを陰から支えてきた賢者集団『叡智の冠』の同志なのだという。
 叡智の冠の使命は民の平和を守り、生活の向上を計ることであるといい、ホーローはその一環として食の研究をしているのだと語った。
(あの人、本当に賢者だったんだ)
 エクスは安心した。ならば、本当にレンダーシアへ行くための手掛かりを掴みつつあるのだ。
「ともかく。お前の正体を見抜く者は、同じく霊界の境目を踏んでしまった者の一部と、そして我ら叡智の冠くらいじゃろう。そう多くはおるまい」
 エイドスはエクスに、かぶりを振ってみせた。
「そなたに生き返しを施したのは、創生の神々に連なる者のようじゃ。ネルゲルもその加護に惑わされ、まだお前のことを嗅ぎつけておらんじゃろう。当分は、安心して旅を続けるがいい」
「ありがとうございます」
 エクスは頭を下げた。
 老人は煙を吐いた。紫煙がたゆたう様子を眺めていると、エイドスはそれまでより抑えた調子で言った。
「わしも世界を旅して、お前達エテーネの民のことを知った。ひどい目に遭わされたようじゃな」
 エイドスの言い方は、ややぶっきらぼうであった。それでも不思議と、エクスの胸はじんわりと暖かくなった。それは老爺の抑えた声に、配慮を感じたからかもしれなかった。
 エテーネ村。滅びてしまった、自分の故郷。
 アストルティアで過ごすのにこそ慣れてきたが、あの炎に呑まれた惨劇の日を忘れた日はない。
 涙が溢れそうになるのを堪えて、エクスは頷く。
「はい」
「ホーローは能天気な奴のように見えるが、あれもエテーネの民。あのマイペースがお前さんを急かしたのじゃ。時が来たら、必ずお前の助けになるじゃろう」
 どうやって。
 エクスが訊ねようとした時、階段を下りてくる足音がした。
 牢の前に姿を現したのは、先ほど玉座の間にも並んでいた兵士長だった。彼は牢屋番に牢を開けさせ、中へ入ってくると、真っ先にエイドスへ向かった。
 エクスやグレースたちの見つめる前で、兵士長はエイドスの前へ跪き、頭を垂れた。
「大変申し訳ございません。どうか、無礼をお許しください」
「顔を上げられよ、ジダン兵士長。今の王なら、わしにあのような態度を取るのも仕方あるまい」
 エイドスが言うと、ジダンは顔を跳ね上げた。
「やはり。エイドス様には、王が以前の王でないとお分かりなのですね」
「何があった」
 老賢者に乞われ、兵士長は状況を語った。
 先日まで王は、重い病に倒れていた。一命を取り留めたものの、以来ひどい頭痛に苛まれ、いつもすべてを憎んでいるような様子であるのだという。
「ガートラントに戦争を仕掛けるなど、以前の王ならば、どんなことがあっても仰らなかったはずなのに」
 どうしたら元の優しい王に戻ってくれるのかと、城の者は頭を悩ませている。
 それを聞いたエイドスは、煙をふかしながら言った。
「奴のことは赤ん坊の頃から知っておる。このまま見捨てようとは思わん。じゃが、知っての通りわしは忙しい。いつまでここに滞在できるかも分からん身じゃ」
「方法をご存じでしたら教えてください。王の為なら私、どんなことでもします」
 兵士長が身を乗り出す。
 エイドスはその顔を一瞥し、首を横に振った。
「教えるのなら、そなたではなくこの者の方が良さそうじゃ」
 エイドスはエクスを見た。
 エクスは賢者と兵士長、さらにはグレースたちの視線を受け止めて棒立ちになった。
「エクスよ。王を元に戻すには、それなりの覚悟と勇気が必要になるじゃろう。この国を救う覚悟ができたなら、わしを訪ねて宿屋に来るがいい。待っておるぞ」
 賢者は重々しく告げ、開け放たれた格子戸より牢を去った。
 ジダン兵士長は、その背中を敬礼で見送った。その後、エクスの前へやって来た。エイドスにしたのと同じように跪き、エクスにも頭を垂れた。
「今のままでは、このオーグリード大陸にて酷い戦争が起こります。そうなれば、多くの民が苦しむことになる。どうかお願いします。バグド王を元に戻すため、力を貸してください」
(何で、オレなんだ)
 エクスは問いたくなったが、言い出した張本人のエイドスはいない。それに、賢者が自分が適任だというならば、何かしらエクスの知らない根拠があるのだろう。
「お、オレでよければ」
 そう言うのが精一杯だった。
 兵士長は頭を上げ、破顔した。
「ありがとうございます。さすがエイドス様に見込まれた方!」
 それからジダン兵士長は、エクスだけでなくグレース達にも今回のことについて詫びた後、城の出口まで送ってくれた。
 城の者たちも特に白い目を向けてくることもなく、エクス達は無事城から脱出し、無罪放免となった。
「まこと、あっぱれな兵士長ですモン」
 トロロは感心していた。
「若い兵士といい、兵士長といい。あのような人々が集うならば、バグド王も本当は心優しき王なのでごじゃりましょうな」
「アタシたちが力になろうじゃないか。ねえエクス」
 グレースは乗り気だった。
「宿屋なら、階段の真ん中あたりの右手側だよ。あの爺さんも忙しいらしいし、急ごう」
 エクス達はそのまま宿へ赴いた。
 エイドスは、一番奥の部屋を取っていた。一行が部屋へ入ってくると、さっそく賢者は王の異変の正体と対処法を語った。
「王をあのようにさせたのは魔瘴じゃ。魔瘴は魔物に宿れば強大な力を与え、人間に宿れば命を奪うか心を悪に染めてしまう。魔瘴が宿るから、わしやお前たちに宿る聖なる力を強く嫌悪したのじゃろう。お前達には──」
 賢者はここで一度、口を噤んだ。
 どうしたのだろう。エクスたちが続きを待っていると、老爺はかぶりを振った。
「すまぬ、何でもない。お前達にはまず、ベコン渓谷の奥に眠るレムルの聖杯を手に入れてもらいたい。聖杯を入手したら、次はランドン山脈を上り、雲上湖へ行くのじゃ。そこにはグロリスの木という不可視の樹木がそびえておる。その雫で聖杯を満たし、王に飲ませるのじゃ」
 ただ、道中には危険が待っておる。くれぐれも気を付けるのじゃぞ。
 賢者は念押しをして、持ちあげていた帽子を目深にかぶり、部屋から出て行った。











 オーグリード大陸は、武骨な巨岩の剝き出しになった景観が目立つ土地である。特にグレン領は、オーガたちの肌に似た赤銅色の荒野が広がる一帯であった。
 太陽が昇ると大地が焼け、旅人たちを焦がそうとするかのように熱くなる。
 直角に切り立った大岩の群れに、背の低い草木。休める日陰のない大地は、原始から連綿と続くオーガの血が強さを求めざるをえなかった理由を納得させるような、強者でないと生き残れぬ現実を物語っていた。
 しかし、ベコン渓谷北西の、その細長く入り組んだ洞だけは、昼でもうすら寒かった。
 日の差さない細い空洞を、チャームバットや死のドレイなど、骨ばかりの魔物が彷徨っている。洞を奥へ進んでいくと、途中に看板があり、こう記してあった。
『この先、妖剣士の塚。死者の眠りを妨げるなかれ』
「聖杯があるのって、まさかこの妖剣士の塚ってところなんじゃあ」
 グレースの懸念は当たった。
 洞の最奥は、青い火の玉が数多燃える鍾乳洞だった。中では骸骨兵士が、秩序立った隊列を組んで練り歩いていた。
 隊列を組む魔物は、初めて見た。エクスたちが警戒しつつ観察していると、骸骨兵士の一体がこちらに気づいた。
 途端、他の兵士達もこちらに気付き、一斉に動き始めた。洞のあちこちへ散開し、大きな骨を持ち寄り、組み立てていく。
 そうして出来上がったのは、壮麗な鎧を纏う巨大な骸骨の剣士の身体だった。
 最後に髑髏が頸部に座ると、空洞の眼窩におどろおどろしい燐光が宿った。
「我が名はオーレン。貴様ら、さてはガートラントの追手だな?」
 地の底から響くような声。重低音から、敵意がひしひしと伝わってくる。
「いや、オレ達は」
 エックスが応じかけた言葉を、トロロが告ぐ。
「お初にお目にかかりますモン。トロロ達はしがない旅人でごじゃりモンして──」
「レムルの杯は渡さんぞ」
 オーレンの声が俄かに大きくなり、岩窟を震わせる。
 彼が片手を掲げると、掌中に黄金の杯が現れた。
「これは、我が最後の希望。決して、誰にも渡しはせぬ」
 トロロはしばし、じっと相手を見つめた。
 それから、エクス達を振り返った。
「これはただの魔物じゃないでごじゃりますモンで、話は通じませんな」
「ただの魔物じゃない、って」
「亡者ですモン。生前に強い執念を抱いたまま死んで、自分が死んだことに気付いてないでごじゃりますモン」
 オーレンは、地面に突き刺してあった二本の大剣を引き抜いた。
「聖杯は渡さぬ。お前達、行くぞ!」
 オーレンは人の背丈ほどもある大剣を軽々と掲げ、一行に迫る。
 左右から骸骨兵士たちが襲って来たのを、エクスの身体の主導権を受け取ったエークスが棍で薙ぎ退ける。
 グレースは鞭をしならせ、オーレンの胴体を鋭く打った。
 剣士がよろめいたのを見て、グレースは頷く。
「物理攻撃は効くみたいだ。戦って杯を頂くしかないね。トロロ、回復を頼むよ」
「承知したモン」
 エークス達と、オーレン部隊の戦闘が始まった。
 隊長のオーレンは、亡霊とは思えぬ力強い攻撃が持ち味の戦士だった。巨大な剣を振り回し、波動を使ってエクスたちにかかる良い魔法を消し、手を変え品を変え、息の根を止めにかかってくる。
 骸骨兵士達には、オーレンほどの力はないらしかった。しかし、徒党を組んで一度に群がってくるので、攻撃を連続して喰らってしまい、苦戦した。
 だが、エークス達もカミハルムイでの戦闘以来、腕を磨いてきている。
 エークスが配下の兵士達を、グレースが首領であるオーレンを相手取り、トロロが回復に専念する。
 まず先に決着をつけたのは、エークスだった。棍で地道に薙ぎ払い続け、配下の骸骨達を倒しきる。
 グレースはオーレンとしばらく一騎打ちを続けていたが、抉り込むような鞭の一打が決定打となり、ついに彼を下すに至った。
 鞭が骸骨剣士を弾き飛ばす。剣が剣士の手を離れ、聖杯が懐から零れた。
「我が、聖杯」
 骨の指を伸ばしたが最後。オーレンはガラガラとその場に崩れ落ち、骨の山となった。
 杯が、澄んだ音を立てて地面を転がる。それを、エークスは拾い上げた。
「あとは、これにグロリスの木の雫を入れる。今日中にたどり着けるかな?」
「アタシ、ゲルト海峡までは行ったことがあるんだ。そこまでバシルーラで飛ばしてもらって、ドルボードを走らせれば、日暮れ前には着くだろう」
 エクス達は先を急ぐため踵を返した。
 しかしトロロが動こうとしないのに気付き、すぐ立ち止まった。
「どうしたんだい?」
 グレースが洞の一方を見つめて動かない相方を窺う。
 トロロは言った。
「そこにいるのは、何奴でごじゃりますモン」
 エクスは彼の視線を追った。
 燐で幽かに青い岩壁に、石筍が黒い輪郭を落としている。
「誰もいないじゃ──」
 エックスの呼吸が止まった。
 石筍の影から、真っ黒な目と口の笑顔が覗いたのだ。
 エックスとグレースの悲鳴が反響する。
 低く、高く振動する洞窟の岩に、今度は新しい声の響きが加わった。
「うるせぇな。よく見ろ。オレは透けてないし、中身もある」
 黒目と黒い口腔の白い影は、石筍から全身を現した。
 それは、絵本に出てくるような布オバケだった。頭には王冠を被っている。背丈は、人間の子供ほどだろうか。よく見れば布の裾から緑色をした手が覗いており、その手で白い体を摘まむと、白い靴を履いた緑の足首が見えた。
「何だい」
 グレースは強張った身体をゆるめ、大きく膝を打った。
「ただの布を被ったドワーフかよ!」
「そうだよ。布を被ったドワーフだっての」
 布オバケドワーフは頭を掻いた。
 ドワーフとは、緑色をした小ぶりでふくよかな体を持つ、地と技の民である。ドワチャッカ大陸というところに多く住むと、エークスから聞いたことがあった。
「モーモン族の血液センサーを舐めてたな。まさか見つかるとは思わなかったぜ」
「君、誰? ここで何してたんだ?」
 エックスは矢継ぎ早に尋ねる。
「オレ達が戦ってる間、ずっとそこに隠れてたのか? ホントに何してたの?」
「分かった分かった。答えるから待て。その代わり、オレが答えたらお前らもオレの質問に答えろよな」
 ドワーフは仕方ないという風に肩をすくめる仕草をして──肩をすくめたいのはこっちなのだが──答えた。
「オレは名乗るほどの者じゃねえ。旅の死霊使いだ。各地の死霊を見て回ってる。ここであの妖剣士を眺めてたらお前らが来ちまって、出るに出られなくなったっていう、それだけだ」
 死霊使い。デスマスターのことか。
 エックスも酒場で耳にしたことのある職業だった。
 死者の蘇生や生者の回復、幽鬼の召喚を得意とする、生死の狭間を生きる呪術師──それがデスマスターである。
「今度はお前らが答える番だ。お前らは何のために、どこからどこへ行こうとしている?」
「オレ達はグレン王を魔瘴から解放するために、このレムルの聖杯を手に入れて、これからランドン山脈のグロリスの雫を探しに行くところだ」
 エクスが答えた。
 布オバケは冠を傾けた。
「ふーん。なら、行き先は雲上湖だな」
「そうだ」
「じゃあ、ここでもう一つ取引の提案だ」
 布オバケは懐からルーラストーンを取り出した。
「ここに、雲上湖行きのルーラストーンがある。こいつでお前らを、目的地まで送ってやる」
「本当かい」
 グレースが目を剥いた。
 ドワーフは空いた方の手を翳した。
「送るだけだ。それ以外は助けない」
「何で、そんなものがここにあるんでごじゃりますモン」
 トロロが胡散臭そうに問う。
「あんな雪と魔物の山に、何の用事があってルーラストーン登録をしたんでごじゃりますモン?」
「それも死霊観察のためだ。オレは死霊を見るのが何よりも好きだからな」
 スノーモンはなおも訝しげだったが、それ以上は聞かなかった。
 グレースが訊ねる。 
「で、アタシらは何をすればいい?」
「新しい便箋をくれ」
 ネサルは答えた。
「一枚で良い。お前らが一番新しく手に入れた便箋があるだろう。それをくれ」
 エクスとグレースは顔を見合わせた。
 道具袋には、イムからもらったカミハルムイの便箋がある。
 友人から餞別にもらったのだ。渡すのは気が引けてしまう。
「人を探してるんだ。自分から危ない目に遭いに行くような奴でな。どうしてるか確認しねえと、気が休まらねえんだよ」
 ドワーフがそう言うのを聞いて、エクスは心を決めた。
 そういうことならば仕方ない。イムもきっと許してくれるだろう。
 エクスは自分の道具袋から一枚取り出し、渡した。
 ドワーフは礼を言った。
「悪いな。じゃあ、早いところ出ようぜ」
 三人と一人は妖剣士の塚を後にする。
 ルーラストーンを使える場所まで向かう道すがら、エックス達はオバケ男に話しかけた。
「雲上湖には、幽霊やモンスターがいるのかい?」
「両方いるな。そこのスノーモンは、ランドン山脈の出身じゃねえのか」
「トロロはゴズ渓谷から来たでごじゃりますモン」
 スノーモンは天井を仰ぐ。
「ただ、雲上湖には竜がいると聞いたことがあるモン」
「そうさ。水竜ギルギッシュ」
 ドワーフは頷く。
「そいつがいるから、魔物は雲上湖には寄り付かない」
「強いんだね。なら、あんたが見てたのはそいつに倒された亡者かい?」
 グレースが訊ねると、こちらを向いていたオバケの笑顔が正面へ逸らされた。
「そう、だな」
 少し間を置いて、ところでと再び喋り出した。
「あんたらはこの大陸で、かつて何があったか知ってるか」
「オレは何も知らない」
 エックスは、最近アストルティアのことを学び始めたばかりである。
「アタシも詳しくないよ」
 グレースが答える。
「オーグリード大陸では、昔戦争が繰り返されていたことくらいしか知らないね」
「そう。戦争だ」
 オバケの声が沈む。
「数えきれないほどの戦争。争いはアストルティアのどこでも起きたが、強さを求め、情に厚い者の多いオーガの争いは熾烈を極めた」
 白い布の頭が下を向く。
「だからここの幽鬼には、とびきり荒いのがいるんだ」
 前方に、再び赤銅の荒野が見えてきた。
 エクスは布オバケを見下ろす。
 黒丸で描かれた目が細まったような気がした。
「あんたらも、この大陸を旅するうちにいつか知るだろうさ。流れた血も、そこに滾っていた思いも。土に還って、大地の記憶として受け継がれているんだからな」
 地の民はルーラストーンを掲げた。











 一年中氷雪を纏うランドン山脈のある一角、旅の扉でしか辿り着けない秘密の場所に雲上湖はあった。
 凍結して鏡のようになった湖、その向こうは切り落とされたように地面がなく、眼下に雲海が見えた。ここは山頂に近いどこからしかった。
 凍り付いた湖以外何もない場所のようだった。しかし、エクスは足下を見て声を上げた。
 湖に、摩訶不思議な氷の樹木が映りこんでいたのだ。幹も枝も氷柱のように透き通り、淡い紅玉のような実をたわわに付けている。
 水竜ギルギッシュが現れたのはその時だった。白鳥に似た優美な体に剣呑な眼光のその竜は、エクスたちに襲い掛かってきた。
 二人と一匹で力を合わせてどうにか撃退すると、水竜が光となって倒れると同時に、グロリスの木が姿を現した。
 実が煌めきながら落ちてくるのを杯で受け止めると、雫が跳ねた。
 そこにはもう、魔法の聖水が満ちていた。
 聖杯を手に入れたエクス達は、急ぎグレン城に戻った。玉座の間へ到った時、王は腰かけたままぐったりとうなだれ、目を瞑っていた。
 具合の悪さに眠ってしまったらしい。
 玉座の間には、依頼人である兵士長と一行を牢へ連行した近衛兵ザンボア、同じく近衛兵のジャギロ、人間の大臣チグリが待っていた。
「かたじけない。あとは我々の仕事です」
 エクスから聖杯を受け取った兵士長は、声を潜めつつ大きく頷いた。
 兵士長はザンボアともう一人の兵士と共に、眠る王へ忍び寄った。途中、忍び寄る気配を察して目を覚ました王に激しい抵抗を受けたが、兵士達は巧みな連携と力業で王を抑え込み、無理矢理聖杯を飲ませることに成功した。
 王は、断末魔の如き悲鳴をあげた。だがそれも束の間で、杯を飲み干した身体から紫の煙が立ち上って消えた後は、きょとんと立ち尽くしていた。見開いた王の目に苛立ちはなく、理性の光が宿っていた。
「頭痛が消えた? この先永劫に続くかと思っていたアレが、消える日が来るとは」
「王よ。元に戻られたのですね」
 傍に控えていたチグリ大臣、が安堵の笑みを浮かべた。
 王は状況が分からないようで辺りを見回していたが、おもむろに胸元を見下ろして驚いた。
「首飾りがない。どこへ行ったのだ」
「恐れながらご報告させていただきます」
 大臣は兵士長と顔を見合わせてから、王に向き直った。
「王はあのネックレスの呪いで、死のふちを彷徨われたのです」
「何だと」
 バグド王は驚愕した。
「馬鹿な。あれはガートラントから友好の証として贈られた品の一つだったのだぞ」
「それがどうも、魔瘴石のネックレスだったようなのです」
 大臣は説明した。
 ガートラントは定期的に、グレン城へ友好の品を贈っている。その品の中にあった黒い宝石のネックレスを身に着けた直後に、バグド王は倒れたのだ。
 神父にも僧侶にも治せないひどい高熱に魘され、バグド王は日に日に弱っていった。
「そこへ、山のように巨大な人間の女──あの賢者マリーンが現れたのです」
 マリーンは稀代の癒し手と名高い賢者である。
 彼女は王の病の原因が身に着けた黒い宝石のネックレス──魔瘴石のネックレスにあることを見抜くと、誰も王から引き剥がすことのできなかったネックレスを取り去り、治癒の術を施した。
 しばらくそうして、王の容体が安定したのを見届けると、マリーンは去っていった。ネックレスはその時に、危険を案じたマリーンによって持ち去られた。
 だが、その後遺症としてひどい頭痛に悩まされるようになったバグド王は、人が変わったようになってしまい、ちょっとしたことで人を投獄したり、ガートラントに宣戦布告をしたりするようになったのだ。
 すべてを聞き終えても、バグド王は信じられない様子だった。
「我がガートラントに宣戦布告を? しかし、そなたがそんな嘘を吐くとは思えん」
 王は何も覚えていないらしい。
 それでも、彼はよくよく考えるように顎をさすった。
「あのネックレスを身に着けてからのことは思い出せん。だから、あれが邪悪な品であったのも、我の暴走も事実なのだろう。それにしても、どうも腑に落ちぬな。ガートラントが贈り物と見せかけて我を呪う、そのような姑息な真似をするはずがない」
「ええ。私もそう思います」
 大臣は首肯した。
「おそらくは何者か──ガートラント以外の何者かが王のお命を狙ったのでしょう」
「エイドス様のご助言でグロリスの雫を得られなかったら、とんでもないことでございました」
「エイドス様がいらしていたのか」
 兵士長の言葉に王は三度驚いて、玉座に身を沈めた。
「本当に、我はどうかしていたようだな。エイドス様がいらしていたことさえ思い出せないとは。時に、エイドス様はどちらに」
「この旅人たちにグロリスの雫についての知恵を教え、旅立たれました」
 兵士長が答え、エクスたちを示した。
「彼らは王を魔瘴から解き放つため、グロリスの雫を手に入れてくれたのです」
「我は本当に、正気を失っている間に多くの人々に迷惑をかけたようだ」
 バグド王は大臣に何やら耳打ちをした。
 大臣は頷くと、小間使いを何処かへと走らせた。
 王が立ち上がる。
「旅人達よ。此度の尽力に心から感謝する。そなたらの活躍はグレン城の英雄と呼ばれるにふさわしいものであった。よって、黒のキーエンブレムを授与しよう!」







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 エクス達にキーエンブレムを授与したバグド王は、その場で大臣に宣戦布告の取り消しを命じた。
 グレンの民は「戦支度をやめて日々の暮らしに戻れ」という王の新たなおふれを、喜んで受け入れた。
 ガートラントとグレンとは長らく友好関係にある。血縁者や友人やあちらにいる者が多く、実はバグド王の宣戦布告に不安を覚えていたのだと、道行く住人たちは漏らしていた。
 宿で一泊することにしたエクスたちは、外で夕食を取った後、エイドスのいた部屋に集まってくつろいでいた。エイドスはエクス達に指針を示した後、早急に旅立ったらしかった。
「バグド王は、民思いで穏やかな王様だったんだな」
 エックスは、おふれを出すために大臣が立ち去った後、天を仰いでいたバグド王の言葉が忘れられなかった。
 彼は目を閉じ、こう呟いていた。
 本当に危ないところだった。
 グレンの民に辛い思いをさせずに済んで、そして何より、再びオーガ同士に取り返しのつかない憎しみ合いをさせずに済んでよかった、と。
「町の人々がガートラントとの戦を受け入れていたのも、あの王だったからでごじゃりましょうなあ」
 トロロが言う。
 グレースは腕を組んでいた。
「だけど、王様を狂わせたっていうネックレスを誰が用意したのかは謎のままだ。どうにも気になるね」
 彼女は膝を叩いた。
「よし、アタシは決めたよ。ガートラントに行って、黒幕の正体を確かめる」
「でも、ガートラントじゃないと思うってバグド王たちは言ってたよな」
 エクスが確かめると、グレースは眉根を下げた。
「それはそうだけど、他に手掛かりがないんだ」
「もしかしたらガートラントに行く途中に手掛かりを見つける可能性もごじゃりモンなあ」
 トロロが思案顔で言う。
「ガートラントとグレンの間の休息所は一つ、ザマ峠のザマ烽火台だけですモン。輸送部隊があそこで休息を取っている間に、ネックレスを入れられていた可能性も無きにしも非ず」
「そうだ! それだよ」
 グレースは手を広げた。
「アタシはこの大陸の者じゃない。けどね、ここのオーガ達には世話になったんだ。そのオーガ達が、そのネックレスのせいで戦争することになってたかもしれないんだ。アタシは、仕込んだ奴を放っておけないよ」
「それはそうだけど、グレン城の方で調査するんじゃないか? オレ達の出る幕なんてない気がする」
 グレースは首を横に振る。
「バグド王はガートラントのグロスナー王を師匠のように慕ってるんだ。そんな人に、『呪いのネックレスを入れましたか?』なんて、あの王が聞くと思うかい? あのネックレスがどこから来たのかは、今となってはガートラントの輸送部隊しか知らないんだ。グレンには調査のしようがないよ」
「トロロはオーグリード大陸在住歴の長いモーモン族でごじゃりますから、分かりますモン」
 トロロは大きく揺れた。
「調査をするとしたらグロスナー王の方でごじゃりましょう。宣戦布告を撤回したバグド王に何があったかを、グロスナー王は知りたがるはず。あの王は懐深き戦士でごじゃりモンから、バグド王に仇なした者を放っておきますまい」
「ガートラントは、戦士なら一度は行っておくべきだよ」
 グレースはエクスに指を折ってみせる。
「グロスナー王の剣となる最強の兵士達。盾となる王宮パラディン部隊。この二本柱がいる、強き者の集まる都市なんだ。今は厳しい修行を強いない平和な都市で、戦士の能力を調整させる闘神王ラダ・ガートを祀った炎の間もある。腕を磨く者がたくさん訪れる場所だよ」
 この説明に、エックスは興味を引かれた。
 冥王に追われているかもしれないのである。対抗するため、強くなりたいという思いは切実だった。
 エクスが頷くと、グレースはガッツポーズをした。
「じゃあ、この町で修業してから行こう」
「へ?」
「転職の試練、まだなんだろ? せっかくだから、いろんな戦い方を身につけようじゃないか」
 エックスは、しばらく前にジュレットの転職神官から聞いたクエストの存在をやっと思い出した。
 強くなるには、かなりの時間が必要そうだった。








(了)