その強さは慈愛より





 グレン城下町を目指し、エクスとグレース、トロロはカミハルムイの駅から大地の箱舟に乗った。
 箱舟は今日も、様々な種族の客でいっぱいだった。三人がボックス席に掛けると周辺の客がちらちらと彼らを見る。どうも鉄道にモーモンがいるのを珍しく思ったようだった。
 だが、グレースとトロロが何食わぬ顔で会話しているうちに、誰もこちらを窺わなくなった。害意がないと判断したのかもしれない。
「エクスはあんまり旅に慣れてないんだろう?」
 グレースは手で四角を作った。
「駅弁って知ってるかい。このくらいのサイズの弁当でね。アストルティア大陸鉄道でしか買えないんだ」
「へえ。食べたことないな」
「アストルティア大陸鉄道には、それぞれの駅に名物となる食べ物が売っているんでごじゃりますモン。それを集めるマニアもいるという話でごじゃりモンな」
 そうだ、とグレースが声を上げた。
「今日の昼飯用にどうだい? 車内でも少し売ってたはずだよ」
「食べてみたいな」
「決まりだね。じゃあ待ってな。トロロ、行くよ」
「すぐ戻ってくるでごじゃりますモン」
 二人は席を立ち、別の車両へと向かっていった。
 エックスは彼らを待つ間、車窓を眺める。すると、急に声を掛けられた。
「おぬし、どうやら生き返リストのようじゃな」
 顔をそちらへ向ければ、見知らぬ老爺がこちらを覗き込んでいた。トサカに似た特徴的なヘルメットをかぶり、知者のローブを纏う、つぶらな瞳の老人である。片手には両手杖を携え、もう片手には弁当を下げている。
(これが噂の駅弁かな)
 エックスはそんなことを考えた。
 眼前の若者が自分の言ったことをよく聞いていないことに気付いたのか、老爺は言い直す。
「生き返リストというのはすなわち、一度死んで生き返しを受けた者のことじゃ。エテーネの若者よ」
 エックスはやっと、目の前の老人が只者でないことを悟った。
 これまでに彼が外見通りのウェディでなく人間であると気付いたのは、ラーの鏡を持つ者かツスクルの俊英であるイムだけだった。しかしそのどちらも、彼の出身までは分からなかったのだ。
「あなたは」
「わしはホーロー。アストルティアに知らぬことなしと謳われる賢者の中の賢者、放浪の賢者じゃよ」
 ホーローは胸を張り、エクスの向かいの席に座った。
「して、おぬし名は何という?」
「エクスです」
「うーむ。エテーネの民らしいプリミティブかつエレガントな名前じゃな」
 老人は頷く。下を見もしないのに、その手は弁当を括りつける紐を器用にほどいている。
「もう知っておろうが、おぬしの故郷であるエテーネの村は、冥王の手で封印されし大地レンダーシアの真ん中に位置しておる。そして、勇者覚醒の光が放たれたのもレンダーシア。何にせよ、おぬしはかの地を目指さねばならん」
(そうなのか?)
 エックスは疑問に思った。
 前者は分かる。しかし、勇者覚醒の光と自分にどういう関係があるのだろう。
 ホーローは弁当の蓋を取り、箱の中の彩りを見ると満面の笑みを浮かべた。嬉しそうに箸を掲げ、目だけで総菜を吟味する。
「そのためには何をすべきか教えてもいいのじゃが。時におぬし、いくつ集めたんじゃ?」
(何を?)
 エックスは戸惑う。
 ホーローは弁当を掻きこんでいる。白米、卵焼き、シュウマイ。嬉しそうにそれらを摘まんで口に運んでいた老爺は、ふとエックスの困惑に気付き、タコウィンナーを摘まんだまま箸を止めた。
「む、すまんすまん。言葉足らずじゃったな。わしが聞きたいのはキーエンブレムの数じゃ」
 それを聞けば実力と活躍のほどが分かる。
 賢者はそう言った。
 ここでもキーエンブレムの数が問われるのか。エックスはその重要性も分からぬままにキーエンブレムを手にできていた幸運に感謝した。
「二つです」
「うむむ。悪くはないが先は長そうじゃのう」
 賢者は猛然と弁当を平らげた。
「今はとにかくキーエンブレムを集めるのじゃ」
「全部でいくつあるんですか」
「十。おぬしの実力が頼むに足りると判断した時、レンダーシアの封印を解くための方法を教えちゃろう」
 その時、車内アナウンスが鳴り響いた。次の停車場としてグレン城下町の名を告げている。
 ホーローは天井を仰いだ。
「おお、もう着くのか。この大地の箱舟という乗り物は実によい。まったく便利な世の中になったもんじゃ」
 満足げに頷き、弁当箱を丁寧に畳んで席を立つ。
「では、わしはグレン城下町駅で名物のげんこつアメを買わねばならんから、今日のところはお別れじゃ。運命の線路が交差する時、また会おう!」
 ホーローはにこやかに杖を掲げ、去っていった。
 丸っこい背中が別の車両へと移動するのを見届ける。体の同居人ことウェディのエークスが喋る。
「面白いおじいさんだね」
「ああ、何だったんだろうな」
 少しして、ホーローが去っていったのと反対の方向からグレースとトロロが帰って来た。
「ごめん。弁当、売り切れたらしくて買えなかったよ」
「販売員の話によると、一人のご老体が買い占めていったそうじゃモン。そんなに大食漢のご老体がおるもんでごじゃりモンか」
 エックスは目を瞬かせた。脳裏には、つい先刻までここにいた老人の猛烈な喰いっぷりが蘇っていた。







+++



 グレン城下町に着き、街の人から王が一人前の証を持つ旅人を集めているという話を聞いた。
 それが隣国ガートラントとの戦争のためであり、手柄をあげた者にはキーエンブレムを与えられるという話も聞いた。
 迷いながらも、グレンを治めるバグド王のもとへ行ってみた。
 投獄された。
「何で?」
 地下牢の中、エークスが呟いた。
 牢にはエクス達の他に、ちょうど同じ時で王を訪ねてきた賢者だという老人が囚われている。王によれば、エクス達も老人も等しく邪悪であるから投獄せよとのことだった。
 エクスは老人の様子を窺う。黙って煙管をふかしている。ローブに包まれた小柄な身体に両手杖を抱えており、表情は豊かに蓄えた白い髭と深くかぶった三角帽のつばに隠れてよく見えない。
 この老人はエイドスという高名な賢者で、バグド王とも旧知の間柄なのらしい。そのため、バグド王の投獄の命令を下された臣下達は大いに驚いていた。彼らは主君の翻意を願ったが、この老人を偽者だと糾弾するバグド王の鬼気迫る形相に、渋々命令に従うことにしたようだった。
「アタシらが邪悪?」
 グレースは憤懣やるかたない様子だった。
「そりゃあ、キーエンブレム目当てに仕官しにきたところがあるのは認めるよ。だが、何者も守れる強さが欲しいのも事実なんだ。頭ごなしに邪悪と決めつけられるのは納得いかないよ」
「トロロは清廉潔白なスノーモンですモン!」
 トロロもいつもより活発に跳ねている。
「申し訳ありません」
 連行してきたザンボアという兵士は、牢の前ですまなそうに言う。
「我々もあなた方が本当に邪悪だとは思っておりません。このところ、無実でありながら牢に入れられる方が多くて、自分も連日こんなことをしているのであります。ですが、すぐに釈放されることが多いので、あなた方もきっとそうなるかと」
「そうなのかい」
 素直に頭を下げられて、グレースは毒気を抜かれたようだった。トロロも目を丸くしている。
「出してもらえるなら何も文句なしでごじゃりモンが。主君の命令でごじゃりますろう? 大丈夫でモンか?」
「大臣と兵士長も承知しておりますので、お気遣い不要であります」
「何だか悪いねえ。大変なことになってるんだね」
 ザンボアとグレース、トロロは一転して穏やかに語らい始めた。その内容を要約すると、ここ最近温和であった王の様子がおかしくなっており、城の皆は王の調子に合わせつつ慎重に様子を窺っているということだった。
 エクスは束の間目にした王の姿を思い返す。
 赤い長髪に似た飾りのついた冠を被る、剃髪のオーガだった。黒のショートパンツだけを纏った筋骨隆々の肢体には数多の傷が刻まれ、見る者に彼が数々の武功により王位についた勇士であることをまざまざと知らしめていた。太い眉を吊り上げた険しい顔。手負いの虎のような眼光。玉座にもたれかからずにはいられないほどの痛みに襲われる様。
 オーガは強さを重んじる頑健な種族であるという。そのオーガの勇士が感情を乱されるほどの体調不良とは、尋常でないのではないだろうか。
「そこの」
 老爺がエクスに声をかけてきた。見つめ返すと、老爺は少し近づくよう身振りで示した。
 その通りにして近づく。彼は低く言った。
「お前。生き返しを受けたエテーネの民じゃな」
「え、そんなに分かりやすいですか」
 本日二人目である。賢者は皆自分の正体を見抜くのだろうか。
 エックスが箱舟で出会ったホーローの話をすると、エイドスは鼻を鳴らした。
「ホーローに会ったか。仕事とはいえ、奴め、相変わらず食い道楽を満喫しているようだな」
 エイドスの言うことによると、ホーローとエイドスはレンダーシアに本拠地を置く賢者集団『叡智の冠』の同志なのだという。叡智の冠の使命は民の平和を守り、生活の向上を計ることであるといい、ホーローはその一環として食の研究をしているのだと語った。
「ともかく。お前の正体を見抜く者は、同じく霊界の境目を踏んでしまった者の一部と、そして我ら叡智の冠くらいじゃろう。そう多くはおるまい」
 エイドスはなおも眉をひそめているエックスに首を振ってみせた。
「安心せい。そなたに生き返しを施したのは、グランゼニス神の手の者じゃ。ネルゲルもその守護に惑わされ、まだお前のことを嗅ぎつけておらんじゃろう」
 老人は煙を吐いた。
「わしも世界を旅して、お前達エテーネの民のことを知った。ひどい目に遭わされたようじゃな」
 言い方はややぶっきらぼうであったが、不思議とエックスの胸はじんわりと暖かくなった。
 思えば、旅立ってからあの村の悲劇を労わってくれる人に出会ったのは初めてだ。うっかり滲みそうになる視界を堪え、頷く。
「はい」
「ホーローは能天気一辺倒に見えるが、あれもエテーネの民。あのマイペースがお前さんを急かしたのじゃ。時が来たら、必ずお前の助けになるじゃろう」
 階段を下りてくる足音がした。牢の前に姿を現したのは、先程玉座の間に並んでいた白い顎髭の男だった。確か、兵士長だったか。
 彼は牢屋番に牢を開けさせ、独房へ入ってきた。エイドスの前へ着くなり、跪き頭を垂れる。
「大変申し訳ございません。どうかお許しください」
「顔を上げられよ、ジダン兵士長。今の王なら、わしにあのような態度を取るのも仕方あるまい」
 ジダン兵士長は顔を跳ね上げた。
「やはり、エイドス様には王が以前の王でないとお分かりなのですね」
 ジダンは状況を語った。
 先日まで、王は重い病に倒れていたらしい。一命を取り留めたものの、以来ひどい頭痛に苛まれ、いつもすべてを憎んでいるような様子であるのだという。
「ガートラントに戦争を仕掛けるなど、以前の王ならばどんなことがあっても仰らなかったはずなのに」
 どうしたら元の優しい王に戻ってくれるのかと、城の者は頭を悩ませている。
 話を聞いたエイドスは、煙をふかしながら言う。
「奴のことは赤ん坊の頃から知っておる。このまま見捨てようとは思わん。じゃが、知っての通りわしは忙しい。いつまでここに滞在できるかも分からん身じゃ」
「方法をご存じでしたら教えてください。王の為なら私、どんなことでもします」
 兵士長が身を乗り出す。エイドスはその顔を一瞥し、首を横に振った。
「教えるのなら、そなたではなくこの者の方が良さそうじゃ」
 エイドスはこちらを示した。エクスは賢者と兵士長、さらにはグレース達の視線を受け、棒立ちになる。
「エクスよ。王を元に戻すには、それなりの覚悟と勇気が必要になるじゃろう。この国を救う覚悟ができたなら、わしを訪ねて宿屋に来るがいい。待っておるぞ」
 賢者は重々しく告げ、開け放たれた格子戸より出ていった。
 ジダン兵士長はその背中を目礼して見送る。その後、エクスの前へ来て老賢者にしたように跪いた。
「このままでは、このオーグリード大陸にてひどい戦争が起こります。そうなれば多くの民が苦しむことになる。どうかお願いします。バグド王を元に戻すため、力を貸してください」
「お、オレでよければ」
 エックスは恐縮してしまい、そう言うのが精一杯だった。
 兵士長は破顔する。
「ありがとうございます。さすがエイドス様に見込まれた方!」
 それから兵士長は、エクスだけでなくグレース達にも今回のことについて詫び、城の出口まで送ってくれた。
「まこと、あっぱれな兵士長ですモン」
 トロロは感心していた。
「若い兵士といい、兵士長といい。あのような人々が集うならば、バグド王も本当は心優しき王なのでごじゃりましょうな」
「アタシ達が力になろうじゃないか。ねえエクス」
 グレースは乗り気だった。
「宿屋なら、階段の真ん中あたりの右手側だよ。あの爺さんも忙しいらしいし、急ごう」
 エクス達はそのまま宿へ赴いた。はたしてエイドスは、一番奥の部屋を取って待っていた。一行が部屋へ入ってくると、さっそく賢者は王の異変の正体と対処法を語った。
「王をあのようにさせたのは魔瘴じゃ。魔瘴は魔物に宿れば強大な力を与え、人間に宿れば命を奪うか心を悪に染めてしまう。魔瘴が宿るから、王はわしやお前達に宿る聖なる力を嫌悪してあのような有様になったのじゃろう。お前達には──」
 賢者はここで一度、口を噤んだ。
 どうしたのだろう。エックスが続きを待っていると、老爺はかぶりを振った。
「すまぬ、何でもない。お前達にはまず、ベコン渓谷の奥に眠るレムルの聖杯を手に入れてもらいたい。聖杯を入手したら、次はランドン山脈を上り、雲上湖へ行くのじゃ。そこにはグロリスの木という不可視の樹木がそびえておる。その雫で聖杯を満たし、王に飲ませるのじゃ」
 ただ、道中には危険が待っておる。くれぐれも気を付けるのじゃぞ。
 賢者は念押しをして持ち上げていた帽子を再び目深にかぶり、言葉少なに部屋から出て行った。











 オーグリード大陸は寒暖差が大きく、武骨な巨岩の剝き出しになった景観が目立つ土地である。グレン領近辺はオーガ達の肌に似た赤銅色の荒野であり、太陽が昇ると大地が焼け、旅人達を焦がそうとするかのように熱くなる。直角に切り立った大岩の群れに、背の低い草木。休める日陰のない大地は、原始から連綿と続くオーガの血が強さを求めざるをえなかった理由を納得させるような、強者でないと生き残れぬ現実を物語っていた。
 しかし、ベコン渓谷北西のその細長く入り組んだ洞だけは、昼でもうすら寒かった。日の差さない細い空洞を、チャームバットや死のドレイなど、骨ばかりの魔物が彷徨っている。洞の中ほどには看板があり、こう記してあった。
『この先、妖剣士の塚。死者の眠りを妨げるなかれ』
「聖杯があるのって、まさかこの妖剣士の塚ってところなんじゃあ」
 グレースの懸念は当たった。
 洞の奥は青い火の玉が数多燃える鍾乳洞で、道中で目にしたのとは異なる骸骨兵士が隊列を組んで練り歩いていた。
 骸骨兵士はこちらに気付くと、散開して大きな骨を持ち寄り、てきぱきと組み立て始めた。そうして出来上がったのは壮麗な鎧を纏う巨大な骸骨の剣士の身体で、ドジな兵士が躓いて宙へ放り出した髑髏を得るより早く、自ら腕を動かして飛来した首を天辺に据えた。
 途端、空洞のしゃれこうべに妖しい眼光が宿る。骨の口が開き、髑髏の中の闇より重苦しい声が響き渡った。
「我が名はオーレン。貴様ら、さてはガートラントの追手だな」
「いや、オレ達は──」
 エックスが応じかけた言葉をトロロが告ぐ。
「お初にお目にかかりますモン。トロロ達はしがない旅人でごじゃりモンして──」
「レムルの杯は渡さんぞ」
 オーレンの地底から響くような声が俄かに大きくなり、その掌中に黄金の杯が現れる。
「これは我が最後の希望。決して、誰にも渡しはせぬ」
 トロロはしばしじっと相手を見つめ、それからエクスらを振り返った。
「これはただの魔物じゃないでごじゃりますモンで、話は通じませんな」
「ただの魔物じゃないって」
「亡者ですモン。生前に強い執念を抱いたまま死んで、自分が死んだことに気付いてないでごじゃりますモン」
 オーレンは地面に突き刺さった二本の大剣を引き抜く。人の背丈ほどもある得物を軽々と携え、エクス達に威嚇した。
「聖杯は渡さぬ。お前達、行くぞ!」
 左右から骸骨兵士達が襲って来た。先に前へ出たエークスが棍で薙ぎ退ける。
 グレースは鞭をしならせ、オーレンの胴体を鋭く打つ。剣士がよろめいたのを見て、オーガは頷いた。
「物理攻撃は効くみたいだ。戦って杯を頂くしかないね。トロロ、回復を頼むよ」
「承知したモン」
 戦闘が始まった。オーレンは巨大な剣を振り回し、波動を使ってエクス達に掛かる良い魔法効果を消し、息の根を止めにかかってくる。骸骨兵士達はオーレンに比べれば弱いが、集団で一度に群がってくるのが厄介だった。
 しかし、エークスは棍を用いて地道に薙ぎ払い続け、配下の骸骨兵士の一団を倒しきった。
 オーレンは一人になってもしばらく戦い続けていたが、グレースの抉り込むような鞭の一打が決定打となり、やがて倒れた。
 鞭の一振りが骸骨剣士を弾き飛ばす。剣が剣士の手を離れ、聖杯が懐から零れた。
「我が、聖杯」
 骨の指を伸ばし、オーレンは蒼い煙を上げて消えた。澄んだ音を立てて地面を転がった杯を、エークスが拾い上げる。
「あとはこれに見えない木の雫を入れる。今日中に辿り着けるかな?」
「アタシ、ゲルト海峡までは行ったことがあるんだ。そこまでバシルーラで飛ばしてもらってドルボードを走らせれば、日暮れ前には着くだろう」
 エクスとグレースは、先を急ぐため踵を返す。
 しかし、トロロが動こうとしないことに気付いてすぐ立ち止まった。
「どうしたんだい?」
 グレースが洞の一方を見つめて動かない相方を窺う。
 トロロは言った。
「そこにいるのは何奴でごじゃりますモン」
 エックスは彼の視線を追った。
 燐に照らされて幽かに青い岩壁に、石筍が三角の影を投影している。動く者の姿はない。
「誰もいないじゃ──」
 ひゅ、とエックスの呼吸が止まった。
 石筍の影から、真っ黒な目とにたりとした口が覗いたのだ。
 エックスとグレースの悲鳴が反響する。低く、高く振動する洞窟の岩に、今度は新しい声の響きが加わった。
「うるせえな。よく見ろ。オレは透けてないし、中身もある」
 黒目と黒い口腔を持つ白い影は、石筍から全身を現した。
 背丈は人間の子供ほどだろうか。絵本に出てくるような布オバケが、王冠を被ってそこに佇んでいた。
 よく見れば、布の先から緑色をした手が覗いている。その手で白い体を摘まむと、白い靴を履いた緑の足首が見えた。
「何だよ」
 グレースは強張った身体をゆるめ、大きく膝を打った。
「ただの布を被ったドワーフかよ!」
「そうだよ。ただの布を被ったドワーフだっての」
 布オバケドワーフは頭を掻いた。
 ドワーフとは緑色をした小ぶりでふくよかな体に器用な手先を持つ、地と技の民である。オーグリードより南のドワチャッカ大陸に多く住むと聞いていた。
「モーモン族の血液センサーを舐めてたな。まさか見つかるとは思わなかったぜ」
「君、誰? ここで何してたんだ?」
 エックスは矢継ぎ早に尋ねる。
「オレ達が戦ってる間、ずっとそこに隠れてたのか? マジで何してたの?」
「分かった分かった。答えるから待て。その代わり、オレが答えたらお前らもオレの質問に答えろよな」
 ドワーフは仕方ないという風に肩をすくめる仕草をして──肩をすくめたいのはこっちだ──話し出した。
「オレは名乗るほどの者じゃねえ。旅の死霊使いだ。各地の死霊を見て回ってる。ここであの妖剣士を眺めてたらお前らが来ちまって、出るに出られなくなったって言う、それだけだ」
 死霊使い。デスマスターのことか。
 エックスも酒場で耳にしたことのある職業だった。死者の蘇生や生者の回復、幽鬼の召喚を得意とする、生と死の狭間を生きる呪術師──それがデスマスターである。
「今度はお前らが答える番だ。お前らは何のために、どこからどこへ行こうとしている?」
「オレ達はグレン王を魔瘴から解放するために、このレムルの聖杯を手に入れた。これからランドン山脈のグロリスの雫を探しに行くところだ」
 エックスが黄金の杯を掲げて答えた。
 布オバケは冠を傾けた。
「ふーん。なら、行き先は雲上湖だな」
「そうだ」
「じゃあ、ここでもう一つ取引の提案だ」
 布オバケは懐からルーラストーンを取り出した。
「ここに、雲上湖行きのルーラストーンがある。こいつでお前らを、目的地まで送ってやる」
「本当かい」
 グレースが目を剥いた。ドワーフは空いた方の手を翳した。
「送るだけだ。それ以外は助けない」
「何でそんなものがここにあるんでごじゃりますモン」
 トロロが胡散臭そうに問う。
「あんな雪と魔物の山に、何の用事があってルーラストーン登録をしたんでごじゃりますモン?」
「それも死霊観察のためだ。オレは死霊を見るのが何よりも好きだからな」
 スノーモンはなおも訝しげだったが、それ以上は聞かなかった。
 グレースが訊ねる。
「で、アタシらは何をすればいい?」
「新しい便箋をくれ」
 ネサルは答えた。
「一枚で良い。お前らが一番新しく手に入れた便箋があるだろう。それをくれ」
 エックスとグレースは顔を見合わせた。
 彼の言う通り、道具袋にはイムからもらったカミハルムイの便箋がある。しかし、友人から餞別にもらったのだ。渡すのは気が引けてしまう。
「人を探してるんだ。自分から危ない目に遭いに行くような奴でな。どうしてるか確認しねえと、気が休まらねえんだよ」
 ドワーフがそう言うのを聞いて、エックスは心を決めた。そういうことならば仕方ない。イムもきっと許してくれるだろう。
 エックスは自分の道具袋から一枚取り出し、渡した。ドワーフは礼を言う。
「悪いな。じゃあ、早いところ出ようぜ」
 三人と一匹は妖剣士の塚を後にする。
 ルーラストーンを使える場所まで向かう道すがら、エクス達はこの地に詳しいらしいオバケ男に問い続けた。
「雲上湖には幽霊やモンスターがいるのかい?」
「両方いるな。そこのスノーモンはランドン山脈の出身じゃねえのか」
「トロロはゴズ渓谷から来たでごじゃりますモン」
 スノーモンは天井を仰ぐ。
「ただ、雲上湖には竜がいると聞いたことがあるモン」
「そうさ。水竜ギルギッシュ」
 ドワーフは頷く。
「そいつがいるから、魔物は雲上湖には寄り付かない」
「強いんだね。なら、アンタが見てたのはそいつに倒された亡者かい?」
 グレースが訊ねると、こちらを向いていたオバケの笑顔が正面へ逸らされた。
「そう、だな」
 少し間を置いて、ところでと再び喋り始めた。
「この大陸の歴史をアンタらは知ってるか」
「オレは何も知らない」
 エックスは最近になってアストルティアのことを学び始めたばかりである。
「アタシも詳しくないよ」
 グレースが応じる。
「オーグリード大陸では戦争が繰り返されていたことくらいしか知らないね」
「そう。戦争だ」
 オバケの声が沈む。
「数えきれないほどの戦争。争いはアストルティアのどこでも起きたが、強さを求め、情に厚い者の多いオーガの争いは熾烈を極めた」
 白い布の頭が下を向く。
「だからここの幽鬼には、とびきり荒いのがいるんだ」
 前方に、再び赤銅の荒野が見えてきた。
 エックスは布オバケを見下ろす。黒丸で描かれた目がこちらを見つめ返し、細まったような気がした。
「アンタらもこの大陸を旅していけば知るだろうさ。流れた血も、そこに滾っていた思い。どちらも、土に還って大地の記憶として受け継がれているんだからな」
 地の民はルーラストーンを掲げた。











 一年中氷雪を纏うランドン山脈のある一角、旅の扉でしか辿り着けない秘密の場所に雲上湖はあった。凍結して鏡のようになった湖、その向こうは切り落とされたように地面がなく、眼下に雲海が見えた。ここは山頂に近いどこからしかった。
 凍り付いた湖以外何もない場所に見えた。しかし、エクスは足下を見て声を上げる。
 湖に、摩訶不思議な氷の樹木が映り込んでいたのだ。幹も枝も氷柱のように透き通り、淡い紅玉のような実をたわわに付けている。
 水竜ギルギッシュが現れたのはその時だった。白鳥に似た優美な体に剣呑な眼光のその竜は、エクス達を認識するなり襲い掛かってきた。二人と一匹で力を合わせてどうにか撃退すると、水竜が光となって倒れ、同時にグロリスの木が姿を現した。
 実が煌めきながら落ちてくるのを杯で受け止めると、雫が跳ねた。そこにはもう、魔法の聖水が満ちていた。
 聖杯を手に入れたエクス達は急ぎグレン城に戻った。玉座の間へ到った時、王は腰かけたままぐったりとうなだれ、目を瞑っていた。あまりの具合の悪さに気を失ってしまったらしかった。
 玉座の間には依頼人である兵士長とエクス達を牢へ連行した近衛兵ザンボア、同じく近衛兵のジャギロ、人間の大臣チグリが待っていた。
「かたじけない。あとは我々の仕事です」
 エクスから聖杯を受け取った兵士長は、声を潜めつつ大きく頷く。彼は聖杯の雫を王に飲ませるべく、ザンボアとジャギロと共に眠る王へ忍び寄っていった。
 途中目を覚ました王に強い拒絶を示されつつも、兵士達は巧みな連携と力業で王を抑え込み、無理矢理聖杯を飲ませることに成功した。王が断末魔の如き悲鳴を上げたのは一瞬で、身体から紫の煙が立ち上り消えた後には、それまでの傷みが消え去ったことへの戸惑いをありありと浮かべた王を途方に暮れていた。その双眸には、これまで見られなかった冷静な光が宿っていた。
「頭痛が消えた? この先永劫に続くかと思っていたアレが、消える日が来るとは」
「王よ。元に戻られたのですね」
 傍に控えていたチグリ大臣が安堵の笑みを浮かべた。
 王はなおも状況が分からないようだったが、おもむろに胸元を見下ろして驚愕した。
「我の首飾りがない。どこへ行ったのだ」
「恐れながらご報告させていただきます」
 大臣は兵士長と顔を見合わせ、王に向き直った。
「王はあのネックレスの呪いで、死の淵を彷徨われたのです」
「何だと」
 バグド王は声を上げた。
「馬鹿な。あれはガートラントから友好の証として贈られた品の一つだったのだぞ」
「それがどうも、魔瘴石のネックレスだったようなのです」
 大臣は説明する。
 ガートラントは定期的に、グレン城へ友好の品を贈っている。バグド王はその品の中にあった黒い宝石のネックレスを身に着けた直後に倒れた。神父にも僧侶にも治せないひどい高熱に魘され、王は日に日に弱っていった。
「そこへ、山のように巨大な人間の女──あの賢者マリーンが現れたのです」
 マリーンは稀代の癒し手と名高い賢者であるという。
 彼女は王の病の原因が身に着けた黒い宝石のネックレス──魔瘴石のネックレスにあることを見抜くと、誰も王から引き剥がすことのできなかったネックレスを取り去り、治癒の術を施した。
 しばらくそうしていて王の容体が安定したのを見届けると、マリーンは去っていった。ネックレスはその時に、危険を案じたマリーンによって持ち去られた。
 しかしその後遺症としてひどい頭痛に悩まされるようになったバグド王は人が変わったようになってしまい、ちょっとしたことで人を投獄するようになり、挙句の果てにはガートラントに宣戦布告までしたのだった。
 すべてを聞き終えても、バグド王は信じられない様子だった。
「我がガートラントに宣戦布告を? しかし、そなたがそんな嘘を吐くとは思えん」
 だが、と王は顎をさすった。
「あのネックレスを身に着けてからのことは思い出せん。だから、あれが邪悪な品であったのも、我の暴走も事実なのだろう。それにしても、どうも腑に落ちぬな。ガートラントが贈り物と見せかけて我を呪う、そのような姑息な真似をするはずがない」
「ええ。私もそう思います」
 大臣は首肯した。
「おそらくは何者か──ガートラント以外の何者かが王のお命を狙ったのでしょう」
「エイドス様のご助言でグロリスの雫を得られなかったら、とんでもないことでございました」
「エイドス様がいらしていたのか」
 兵士長の言葉に王はまた驚き、玉座に身を沈めた。
「本当に、我はどうかしていたようだな。エイドス様がいらしていたことさえ思い出せないとは。時に、エイドス様はどちらに」
「この旅人達にグロリスの雫についての知恵を教え、旅立たれました」
 兵士長が答え、エクス達を示した。
「彼らは王を魔瘴から解き放つため、グロリスの雫を手に入れてくれたのです」
「我は本当に、正気を失っている間に多くの人々に迷惑をかけたようだ」
 バグド王は大臣に何やら耳打ちをした。大臣は頷くと、小間使いを何処かへと走らせた。
 王が立ち上がる。
「旅人達よ。此度の尽力に心から感謝する。そなたらの活躍はグレン城の英雄と呼ばれるにふさわしいものであった。よって、黒のキーエンブレムを授与しよう!」







+++



 エクス達にキーエンブレムを授与したバグド王は、その場で大臣に宣戦布告の取り消しを命じた。グレンの民は「戦支度をやめて日々の暮らしに戻れ」という王の新たなおふれを喜んで受け入れた。ガートラントとグレンとは長らく友好関係にある。血縁者や友人やあちらにいる者が多く、実はバグド王の宣戦布告に不安を覚えていたのだと、道行く住人達は漏らしていた。
 宿で一泊することにしたエクス達は、その日の夜、エイドスのいた部屋に集まってくつろいでいた。エイドスは彼らに指針を示した後、早急に旅立ったらしかった。
「バグド王は民思いで穏やかな王様だったんだな」
 エックスはおふれを出すために大臣が立ち去った後、天を仰いでいたバグド王の表情が忘れられなかった。
 彼は目を閉じ、こう呟いていた。
 本当に危ないところだった。
 グレンの民に辛い思いをさせずに済んで、そして何より、再びオーガ同士に取り返しのつかない憎しみ合いをさせずに済んでよかった、と。
「町の人々がガートラントとの戦を受け入れていたのも、あの王だったからでごじゃりましょうなあ」
 トロロが言う。
 グレースは腕を組む。
「だけど、王様を狂わせたっていうネックレスを誰が用意したのかは謎のままだ。どうにも気になるね」
 彼女は膝を叩いた。
「よし! アタシは決めたよ。ガートラントに行って、黒幕の正体を確かめる」
「でも、ガートラントじゃないと思うってバグド王達は言ってたよな」
 エックスが言うと、グレースは眉根を下げた。
「それはそうだけど、他に手掛かりがないんだ」
「もしかしたらガートラントに行く途中に手掛かりを見つける可能性もごじゃりモンなあ」
 トロロが思案顔で言う。
「ガートラントとグレンの間の休息所は一つ、ザマ峠のザマ烽火台だけですモン。輸送部隊があそこで休息を取っている間に、ネックレスを入れられていた可能性も無きにしも非ず」
「そうだ! それだよ」
 グレースは手を広げた。
「アタシはこの大陸の者じゃないけどね、ここのオーガ達には世話になったんだ。そのオーガ達が、そのネックレスのせいで戦争することになってたかもしれない。アタシは仕込んだ奴を放っておけないよ」
「それはそうだけど、グレン城の方で調査するんじゃないか? オレ達の出る幕なんてない気がする」
 グレースは首を横に振る。
「バグド王はガートラントのグロスナー王を師匠のように慕ってるんだ。そんな人に、『呪いのネックレスを入れましたか?』なんてあの王が聞くと思うかい? あのネックレスがどこから来たのかは、今となってはガートラントの輸送部隊しか知らないんだ。グレンには調査のしようがないよ」
「トロロはオーグリード大陸在住歴の長いモーモン族でごじゃりますから、分かりますモン」
 トロロは大きく揺れた。
「調査をするとしたらグロスナー王の方でごじゃりましょう。宣戦布告を撤回したバグド王に何があったかを、グロスナー王は知りたがるはず。あの王は懐深き戦士でごじゃりモンから、バグド王に仇なした者を放っておきますまい」
「ガートラントは、戦士なら一度は行っておくべきだよ」
 グレースはエクスに指を折ってみせる。
「グロスナー王の剣となる最強の兵士達、盾となる王宮パラディン部隊。この二本柱がいる、強き者の集まる都市なんだ。今は厳しい修行を強いない平和な都市で、戦士の能力を調整することのできる闘神王ラダ・ガートを祀った炎の間もある。腕を磨く者がたくさん訪れる場所だよ」
 この説明に、エックスは興味を引かれた。
 冥王に追われているかもしれない身である。抵抗するため強くなりたいという思いは切実だった。
 エックスが頷くと、グレースはガッツポーズをした。
「じゃあ、この町で修行してから行こう」
「へ?」
「転職の試練、まだなんだろ? せっかくだから、いろんな戦い方を身につけようじゃないか」
 エックスはしばらく前にジュレットの転職神官から聞いたクエストの存在をやっと思い出した。
 強くなるには、かなりの時間が必要そうだった。








(了)