08 マレビトたち
待ち合わせなら、きっとキサゴナの丘がちょうどいい。
そのナインの言葉により、レック、サンドラ、アベルの四人はセントシュタインを出て南、森を擁する小高い丘に登った。キサゴナの丘に通じる道は緩やかな勾配で登りやすいが、その先にある遺跡に魔物や悪漢が居ついた過去があるせいか、ほぼ人通りがなかった。道から外れてしまえばなおさらだ。しかし薄暗い木立を抜けて平原側の斜面の上へ出てしまえば、広大なセントシュタイン平野を見渡せる絶景が待っている。背後の樹々が密に並んでいるから、姿を隠さず樹幹に背を預け、気ままに景色を眺めていても、緑野を行きかう旅人達に注目されることがない。確かにちょうどいい場所だった。
「つまめるモノでも持ってくれば良かったな」
背伸びをするレックに、木の根元に座り込んだアベルが本当だねと同調する。暇を持て余して寛ぎ始めている仲間達に、サンドラが言う。
「そう待たないわ。もうじきのはずだから」
彼女は二人のように身体を木に預けることはせず、斜面の際に立ち、直立不動で天を仰いでいる。その向こう側に佇むナインもまた同じ姿勢をしていた。大きな瞳に映り込む碧空がきらきらと輝いている。
「今のところ変化なし。渡り鳥が北へ行く様が観察できるのみです」
レックは首をもたげ、目を凝らす。言われて見れば、鳥らしきものが上空を滑り遠ざかって行く様子が見える。しかしゴマ粒のような大きさで、詳細な姿は勿論羽の模様など視認できなかった。
「目がいいな」
「天使の特性です」
「そうやって地図も見つけたのかい」
アベルが訊ねると、ナインは顔をこちらへ向け口元を緩めた。
「いえ、それは天使の習性ですね。世界の巡視は僕らの魂にまで染み込んでいる癖ですから」
ソロの挑戦をきっかけとしてレックの提案した世界巡りの旅は、パーティーに召集をかけた天使達すら予測していなかったものを呼び込んでいた。そのものとはずばり、新しい大魔王の地図だった。
レック達も知らなかったのだが、彼らが世界巡りと称して各地の風物を楽しんでいた頃、ナインとノインはこっそりと付近一帯の調査を行っていたらしい。
大きな騒ぎが起こっていないか。目立つ人間や魔物はいないか。気候や地形に異常はないか。人の話を聞き魔物と戦い歩き回るうち、二人は三つの小さな変化を発見した。それぞれ地道に対処した結果、なんと大魔王の地図を三枚も手に入れることができたのだという。
「これまでに倒した大魔王達は、何度再戦しても新しい地図をもたらしませんでした。そして皆さんとの旅で見つけた変化は、どれもその前には起こっていなかったものでした。ですから、これらの大魔王の地図は異界からの旅人がこの地を歩いたことによって生まれたものとみていいでしょう」
少年天使の手元には件の三枚の地図がある。紙はもれなく黄ばみ、どうにも彼の言うような作りたての様子には見えない。
「俺らが歩いて生まれた? それよりずっと古そうだけど」
レックが疑問を漏らす。ナインは笑みを大きくした。
「そうですね……たとえば、つい最近僕達の手に取れる形になっただけで、実はずっと前からこの世にあったとしたら?」
「どういうことだ」
「微細な蝶のはばたきが眠れる花を揺さぶり種子を結実させるように。僕らの認識しづらい因子が、思わぬ変化によって顔を出すことがあるかもしれません」
少年の瞳はどこか遠いところを見据えている。その視線と独り言に似た声色が、口にした内容が彼の空想の域を出ないらしい様子を物語っていた。
「大魔王の地図は普通の宝の地図とは異なる、特に謎に包まれたものです。創造神無き今、これらの地図の成り立ちを知る者はこの世のどこにもいない」
「地図、ねえ」
レックは頭を掻く。
「そもそも、その宝の地図ってやつのことも詳しくないんだよな。確か、珍しいお宝とか強敵が隠れてる場所を示した地図だったっけ?」
「ええ、その認識で間違いありません」
一般的に冒険者の手にする宝の地図というものは、珍しい宝や強力な魔物を内包する変幻自在の洞窟へと通じる切符のようなものである。しかし中には最奥に分裂した創造神の欠片を封じたものや、異界より来た魔神の居座るものもあるという。
「大魔王の地図にいる魔王達は勝手に外から来て居座っちまったってことなのかな」
「だとしたら、何処から来たのかが気になるところだよね」
アベルが顎をさする。
「彼らは僕らの世界のものと中途半端に似ている。僕らの世界にいた魔王達が核となっていることは間違いない。なら何故完全に似せなかったんだろう」
仮にかつての大魔王達がしたような侵略や支配が目的ならば、初めから彼らに自由をもたらすだけの知性を与えた方が、事が上手く進むはずだ。
「それに、あの偽者達が何故この世界に現れたのかも分からない」
「あー、そうだな。俺らの世界に出るなら納得なんだけど」
「まさか逆なんてことはないよね?」
「逆?」
「ここにいるもの達は幼体──未熟な原型であって、この後僕らの世界へ巣立つっていう可能性はないだろうか」
レックは瞬きをして、アベルを見る。男は和やかな笑みを浮かべている。首を巡らせれば、ナインやサンドラも彼へ目を向けていた。
「それは──」
「興味深い考えね」
ナインとサンドラが同時に口を開いた。少年天使は軽く身振りして女勇者に先を促す。
「でも、この世界から私達の世界に適合する魔王を生み出す理由がないわ。創造神グランゼニスは自らの生み出した世界の調和に悩める神であって、人間の一掃こそ考えても異界滅亡に興味を示したことはない」
「はい。サンドラさんの仰る通りです」
ナインが首肯する。
「グランゼニス神は悩み多き神。伝え聞いた話によれば、彼の世界への葛藤こそが彼自身の精神と肉体を分かち、宝の地図より数多出現する複雑怪奇な迷宮、さらにはそこへ収められた秘宝や魔物達を生み出したと言われています。僕達の父なる神が理想家であることに間違いはありませんが、他の神々が生み出した世界まで滅ぼそうとするとは考えにくいです」
「ああ、僕もそう思うよ」
アベルは緩く首を横に振る。
「言葉が足りなかった。誤解をさせてしまってごめんね。僕も、グランゼニス神が大魔王の地図で異界の魔王を養ったり、異界へ攻め入ろうとするとは思わない。ただ、僕らの世界にいた本物の魔王達を思うと、どうしてもこんな中途半端な形でこの世界を侵略しようとするとは到底思えなくて。それで、僕らの知り得ない第三者がこのようなものを生み出したんじゃないかと考えてしまったんだ」
──この前、ソロと話した内容だ。
レックはピンと来る。
サンドラとナインは顔を見合わせた。
「第三者ね。どうなの?」
「グランゼニス神由来でない宝の地図も、ごく僅かではありますが存在します。あり得ない話ではありません」
「その地図はどんな?」
「とある大賢者が、魔空界よりやって来た破壊神を封じたものです」
「その賢者はこの世界の者かい?」
「はい。もとは普通の人間だったようでした」
「ならばこの世界の魔術による封印──つまり、創造神グランゼニスの奇跡の代行ってことかしら」
「この世界の住人でない者が宝の地図を生み出した例はなかったかな?」
「僕の把握している限りではありません」
アベルはふむと頬杖を突き、サンドラは目を伏せる。それぞれ考え込んでいるようだった。ナインはそんな二人を見つめ、やがて顔を空へと戻す。
会話が途切れ、しばらく経った頃。こんなのはどう、とサンドラが顔を上げた。
「Ⅸ番は時空を超えて人を集めることのできる世界。異界の客人を招く力を天使が持つ世界なら、その天使を生み出した神が同じことをできたとしてもおかしくない」
ただし、世界を思うあまり肉体精神双方千々に乱れてしまった創造神に召喚は不可能。それでも未だ神秘の魔窟を生み出し続ける様子から察せるように、創生の神の力はこの大地に息づいている。
その力が異界の大戦の記憶に触れ、鮮烈な光と闇のせめぎ合いに感化された。そして、新たな人類抹消の可能性として、夢に見た魔族を具現化した。
「つまり私達の戦ってきた偽大魔王達は、創造神が人類滅亡のシナリオを考える中で生まれた夢。だから元の世界と異なるこの世界の戦い方を覚えていて、他の宝の地図のダンジョンのような複雑な洞窟にいることもない。不完全な状態の神が夢うつつに生み出したものだから、中途半端に高い殲滅力を持つ紛い物になった」
「なるほど。筋が通ってる」
アベルが細かく頷き、天使を見やる。
「ナインはどう思う? 君の知る創造神と比べて違和感はあるかな」
「いえ。現状、最も説得力の高い仮説であると考えられます」
少年も同意した。
「グランゼニス神の御心は光と闇の両方を抱きます。神の闇が大魔王の幻影を生み出し、神の光が皆さんを導く。僕の知る創造神の均衡維持に近しいかと」
三人は納得したようだ。レックもまた大きく頷く。これまでの事象に基づく、かなり整合性の取れた仮説だ。仮説どころか真実に近いのではないかとまで思わされる。
(納得……できるよな?)
レックは己に問いかける。
理解はした。けれど、心の据わりが悪い。意識の向こうに、奇妙なざわめきをもたらす一筋の不吉な風を感じている。
レックは繰り広げられた会話を頭の中で反芻する。
大賢者と破壊神。
次元を超えて侵食する意思。
形になる悪夢。
(まさか。いや、まさかな)
視線が、自然とナインの手にした三枚の地図へ向く。鼓動が早くなる。
レックは唇を湿らせた。
「あの、さ」
切り出そうとした時だった。
視界に影が落ちる。陽光が遮られ、ナインやサンドラ、アベルの上まで薄暗がりが訪れる。
四人は天を仰ぐ。太陽と青空、彼らの狭間に、何かいる。巨大な鳥だ。白鳥に似た優美な輪郭。頭から足の付け根までを覆う、つややかな純白の羽。だが冠羽は炎のように赤くふさふさと繁り、尾羽は見たことのない七色に輝いている。この鳥こそが、レック達に大きな影を投げかける主だった。
巨鳥はゆっくりとはばたきながら下降する。一つ翼が波打つ度、レック達を風が見舞う。しかし不思議と足元が揺るがされることはない。圧倒的な風量が、柔らかく旅人達の上を通り過ぎる。
白い翼が触れられるほどの間近に迫る。その頃になってレックは、やっと背に人影があることに気付いた。
「やあ、待たせたね」
その人は鳥の首の付け根と翼の合間より、するりと降り立った。黒髪に宝玉入りのサークレット。空色の上衣より覗く山吹の肌着が手足にぴったりと寄り添っている。
レックは目を瞠り、横に並ぶ仲間の一人を窺う。当の本人ことサンドラは、突如空より舞い降りた瓜二つの男を、何の表情も示さず眺めていた。
男はにこやかに笑み崩し、胸に手を当て一礼する。
「我こそが伝説の勇者。時のアレフガルド国王ラルス一世より、ロトの称号を賜りし者──」
「それ、私も言った」
サンドラが呟く。
「あなたほど仰々しくはなかったけど」
男は目を丸くした。だがさして間を置かず、仄かな苦々しさを含む笑みが顔へ滲む。
「……だよなあ」
俺達にとってロトの伝説は大きすぎるからなあ。
そう零し、ゆるゆると息を吐いた。
▶︎
ナインの話によると、広大無辺なる時空間には勇者をロトと呼ぶ特殊な世界軸がいくつか存在するらしい。アレフ、アレン、サンドラ、そして今回呼ばれた青年はその中の複数の軸に跨りながら一つに連なる世界線──つまり同じ時と空間を共有する同一世界人であり血族なのだということだった。
青年はロトとしか名乗らなかった。レックが本名を尋ねても、首を横に振る。
「ロトを賜ったらそちらを名乗ることを優先すべきだからね。もしも先に来ていた彼女が同じ名で呼ばれていたなら話は別だけど」
そう言って、もう一人のロトを見やる。
「君がせっかく賜った名を名乗らないとは意外だった」
「尊称であろうと、名前である以上は記号だもの。異界に何百何千といる同位体の使う称号を、個人の識別に使う気にならなかっただけよ」
サンドラは肩をすくめる。
「それに私達はロトの名を賜る前から勇者だった。だから私達の本来の名だって何ら称号と遜色ない。違う?」
ロトは微笑み、君はさすがだねと返した。
新たなゲストを迎えてすぐ、一行は作戦会議のためいつものVIP棟にある空いた客室に集まることになった。ナインはノインと共に他の面々を呼びに行き、レック達は自室へ戻ることなくそのまま件の一室へ直行する。辿り着いたロトは綺麗な部屋だねと賛辞を述べた後、円卓へついて天使達より借り受けた冒険者名簿をめくり始める。サンドラがその隣へ腰掛け、レックとアベルは向かいへ座る。当然、ロト達と隣り合う残りの席には子孫達が座るものと思った。だが、予想に反して二人は長机を通り過ぎ、此方からは死角になっている部屋の奥まった方へ歩いていってしまった。
(何だ?)
レックは首を傾げる。この部屋はずっと彼ら大魔王の地図攻略メンバーで作戦会議室代わりに使わせてもらっている。今更会議のために調度品を動かしたり特別な道具を用意したりする必要はなかったはずだ。
「これだけ強い人達が揃ってるなら、俺まで来なくても良かったんじゃない? 君もいることだし」
子孫達の不審な様子をよそに、先祖二人は冒険者の名簿に集中している。ねえと話を振るロトに、サンドラが首を横に振る。
「それは駄目。ゾーマが本物だろうと偽者だろうと、あの厄介な力を持っていた場合、ここにいる人達を確実に元の世界へ帰すための手段が必要になる。そのためには、この世界に依存しない時空間移動手段を持つ私とあなたの両方がいた方がいい──そう説明したでしょ」
「ほんの軽口じゃないか。君は真面目だな」
男は苦笑した。
「あなたが忘れてそうだから改めて説明してあげたの。感謝して」
「分かったよ、面倒見のいい兄弟がいて助かった。ついでにこの後、ゾーマについて話した方がいいことの確認とパーティー編成案の相談も頼むよ」
「言われるまでもない」
二人は互いにしか分からない話を交わしている。レックはその会話を聞くともなしに聞きながら、ロトの先祖達を観察する。
(今まで見た魂の双子の中で一番似てる)
同じ世界軸にある双子世界において、同じ星の下に生まれ宿命を分かち合う存在。それが天使達より聞いた魂の双子の定義だ。
レックの知る運命の双子はナインとノイン、ソロとソフィアの二組だけである。どちらも似通う気質を見出せる一方で外見があまり似なかったから、霊性の双子というのはそういうものなのだと思っていた。
だが、この二人はどうだろう。ロトの方がやや大柄で筋骨にメリハリがあり、表情が明るくよく喋る。サンドラの方がやや小柄ですらりとしており、表情に乏しく寡黙だ。それ以外はほぼ変わりない。サークレットに押し上げられた黒髪はどちらも短く天を向きがちで、面差し凛々しく、目鼻立ちがはっきりとしている。眦のまろやかさ、飄々として物怖じしない佇まい。成人していると聞くが、まだ青少年と呼びたくなるような線の細さを残しているところまで一致していた。きっと幼い頃はどちらも生き写しと評して遜色のない姿形だったに違いない。
(何で旅装のデザインまで一致してるんだろう。時空間移動手段って、あのデカい鳥のことだよな。目立つからって早く帰しちまったみたいだったけど、もっと色々聞きたかった)
共にロトを迎えに行ったアベルが帰り道で言うことによれば、あの巨鳥は魔物ではなく、神聖な霊性を持つ生物らしい。だとしたらペガサスに似たものだということだろうか。
──でも、ペガサスは縁もゆかりもない異界へ渡ることはできない。俺もそうだ。
レックは『ロト』を知らない。迎えに行ったのも自発的な行動ではなく、新しい戦士を迎えに行くから念のため共に来て欲しいとナインに乞われたためだ。聞くところによると、アベルもそうして呼ばれたらしい。
(どういう人選なんだ。俺達じゃなくてアレフとアレンの方がいいだろうに)
サンドラが一緒だったのだから、彼女もあの人選に同意したのだろう。有事に備える場合、攻守回復のバランスのいい自分達がいれば万全であると見なすこと自体は分からなくもない。けれど、回復と補助にそつのないナインとサンドラがいるならば、大抵の荒事はロトの子孫達が誇る火力で解決できるように思うのだが。
「ねえ」
取り留めのない考え事に耽っていると、アベルが肘で脇腹を軽くつついてきた。視線を向ければ、顎で後方をしゃくる。
背後を探る。潜めたかと思うとすぐに膨れ上がりまた萎むのを繰り返す、波のある気配がある。レックは知らぬふりをし、見計らい、素早く振り返った。
予想通り視線がぶつかる。正体は壁の影より頭を半分覗かせるアレフだった。必死の形相をした男は、こちらと目がかち合うなり再び壁の裏へと引っ込んだ。
レックはアベルと顔を見合わせる。二人して立ち上がり、戦士の消えた方へと歩み寄った。
壁の裏側を覗き込む。そこにはひどく狼狽した風のアレフと、呆れたアレンがいた。
「何やってんの?」
「いや、何をしているというわけでは──」
「伝説と遭遇してる現実にテンションが上がりすぎて混乱してる」
「ア、アレンっ」
何を言うんだと声を潜める高祖父に、いいじゃないですか本人達相手に言ってるわけじゃないんだからと返す。アレンは至って冷静そうだった。
「お前も混乱してるのか?」
「いや、どうだろう。俺だって驚いてないわけじゃないんだが、建国神話の更にそのまた向こうの時代の人達だから、あんまり実感がねえ」
そもそも俺、何に対しても感動が薄いんだよ。
頭を掻く末裔に、アレフは小声で叱責する。
「何を言う。お前はまだ若いから事の有り難みを理解できていないんだ。しっかりと噛み締めろ。この奇跡を目、いや冒険の書に焼きつけろ」
「若いからって……今この瞬間の俺とあなたはそこまで歳離れてないじゃないですか。ああ、勿論今の状況については有難いと感じてますよ。けれど、気持ち有り余って距離を置いてどうするんですか。せっかく会ったからこそ、普通に接してあちらにも良い気分で過ごしてもらった方がいいんじゃないですか?」
アレフの喉がぐうと鳴る。自然でない行動をしている自覚はあったようだ。
視線を逸らす高祖父に、アレンは溜め息を吐く。
「サンドラさんとお会いして何週間も経つのに、アンタずっと礼儀が何だとか今はその時じゃないとかもっともらしいこと並べ立てて躊躇して、ロクに話しかけられてないじゃないですか」
「詭弁ではない、真剣に悩んでるんだ……」
「俺はいい加減当時のアレフガルドのことや旅の話を聞きたいんですけど。アレフさんは違うんですか」
「聞きたいに決まっている」
「なら行きましょう」
アレンが先祖の腕を引く。しかし鎧姿は置物のようにびくともしない。
「アレフさん」
窘める子孫に、アレフは言い募る。
「すまない。分かってはいるんだ。ただもう少しだけでいいから、心の準備をさせてくれ」
「何をそんなに躊躇ってるんだ?」
見かねてレックは訊ねる。重ねてアベルもまた首を傾げて問う。
「他に何か理由があるのかい? 例えば、伝説の存在に会うのが怖いとか」
「違う。恐れなどない」
アレフは背筋を伸ばした。
「俺にとってロトは特別なんだ。畏まりこそすれ、恐怖することなどない」
「ロトが特別じゃない人間なんていますか」
「一般的なロトの神聖視とは違う。俺個人に思い入れがありすぎるんだ」
(そんなようなこと、先祖も口にしていたなあ)
ロトは大きすぎる、だったか。
アレフは深く息を吐き、重々しく口を開いた。
「俺の両親は早くに亡くなってな。家に隠されていたロトの伝記が家族代わりだった」
秘匿されたロトの伝記──齢十六で魔王を討つ使命を負った少年の冒険記は、齢を重ねたかつての少年が己を振り返る形で記されていた。異国情緒溢れる都や町の景色、魔物との手に汗握る戦い、旅先で出会った友との交流。あの物語に触れて想像を膨らませることで、アレフは己と世界の繋がりに救いを見出すことができた。
「何度も繰り返し読んだから分かる。あの話の語り手であるロトに、サンドラさんの口ぶりと似通った部分はなかった。恐らく彼が自身の物語を回顧して書いたものなのだろう」
青の双眸が壁の向こう、語らうロトの片割れを窺う。男のロトは名簿と隣人とを交互に見やりつつ、何やら喋り続けている。サンドラはもっぱら相槌だ。あの喋り好きの様子ならば、書物の一つくらい認めていてもおかしくない。
「不死鳥を友に空を駆け、闇に包まれた世界へ光明をもたらした『神に近しき者』。彼は俺にとって家族であり友であり、アレフガルドへ光を取り戻す旅へ出るきっかけを与えた、人生の灯火だった……いや、灯火であると言った方がいいか。彼は俺の根底に関わりすぎていて、一生俺から切り離せないだろう存在なんだ」
アレフは頭を抱える。
「そんな人の前で、俺はどう振る舞ったらいい? 剣の腕は抜かりなく磨いてきたと自負しているが、サンドラさんの万能ぶりと比べてしまえば不足が目立つ。言動にしたって、ロトの子孫たるに相応しくないと失望されはしないだろうか」
「大丈夫だよ」
アベルが宥める。
「血の古い者は、新しい子を見るだけで嬉しくなるものさ。余程のことがなければ本人の細かい資質を気にしたり咎めたりなんてしないよ」
「本当にそうだろうか」
兜の重みに耐えかねるかの如く、アレフは頭を垂れる。表情も晴れない。纏う鎧の暗色に似てどんよりとしている。
何を言ってやれるだろう。レックが言葉を探す間に、アレンが口を開いた。
「アレフさん。あなたから見て俺はどうですか」
思わぬ問いかけだった。アレフは顔を上げ、怪訝そうな顔をする。
「急にどうした」
「いいから応えてみてくださいよ」
「そうだな。お前はロトの後継者として申し分ない、頼れる男だ」
「魔法が使えないのにそんな評価で良いんですか? 天雷を操ってこそのロトでしょう」
「何を言う。ロトへの理解が甘いぞ」
金の太い眉が吊り上がる。
「勇者ロトを名乗るのに天雷が不可欠であると誰が語った? ロトは闇を拓き光を守り、世を照らす真の勇者。世を蝕む悪しき者を祓うことこそ勇者の使命であって、剣や魔法はそのための手段に過ぎない。お前は他の子孫らと共に見事その使命を果たした。加えて、ここへやって来て見た戦いぶりからも自信を持って言える。お前もまたロトを名乗るに相応しい勇士だ」
「ならきっと、あの人にとってのあなたもそうです」
アレンは断言した。
「俺は自分の生きる時代であなたに会ったことがない。剣術と建国伝説から、あなたの名残りに触れただけだ。だからここに来たばかりの頃は、この人は本当に高祖アレフレッド公なんだろうかと疑った時期もありました……まあ、戦う姿を一目見てしまえば納得せざるを得なかったんですけどね」
青い修練着の肩をすくめ、続ける。
「それだけじゃない。あなたを見つめる時間が長くなるにつれて、俺の疑惑はどんどん小さくなっていきました。如何なる強敵を前にしても臆さず、悩める人々を見捨てられない。ここにやって来てから見たあなたの姿は、まさに俺の知っているアレフレッド公そのものでした」
色素の薄い空色の瞳が、深い紺碧の瞳を見据える。強く、澄んだ眼差しだった。
「俺が終末の世に打ちひしがれる民に思い出してもらいたかった有徳の君主──かつて闇に沈んだアレフガルドを巡り、たった一人で光を取り戻した不屈の男は、実際に生きていた。それを肌身に感じられて、実は俺、嬉しかったんですよ」
「アレン……」
「まあ、こうして一緒に過ごしてみたあなたは、予想していたよりかなり融通の利かない堅真面目で、ちょっと面食らいましたけど。それでも俺は、あなたこそが慣れ親しんだロトで違いないと感じてます。むしろ、建国伝説への信頼度が増しましたね。嘘を吐けるほど器用な人じゃないから、って」
微笑み片目を瞑るアレンを、先祖は凝視する。ややあって大きな吐息を漏らし、かぶりを振った。
「すまない。ロトへの理解が甘かったのは俺の方だったようだ」
「初代ローレシア王は妃や家臣、民の声を実直に聞き入れた──伝え聞く人柄の通りで安心しました」
アレフは笑みを浮かべ、片手を差し出す。アレンが利き手を差し出すと、強く握りしめた。その顔にもう惑う色はない。ロトの子孫達の力強い握手を前に、レックとアベルは小さく拍手をする。
「よっ、時を超えた男同士の絆」
「いいねえ」
「うるせー。茶化すな」
「何なに、友情の握手? 俺達も混ぜてよ」
壁の向こうから、ひょっこりと顔が二つ現れた。ロトとサンドラである。
突如近くへ現れた先祖達に、子孫達は驚いたようだった。アレンは片眉を持ち上げ、アレフは目を剥いている。
「あっ、いえ、はい」
「どっちだよ」
反射的に発してしまったのだろうアレフの回答をロトが笑う。屈託のない、心の底から愉快そうな笑みである。
「あっちで座って一緒に話そう? ずっと先のアレフガルドの人間の、しかも血の繋がる相手と話せるなんてまたとない機会だ。良ければ色々話を聞かせて欲しいんだけど、どう?」
「はい、是非」
今度はアレンが答える。アレフも大きく頷いた。
ロト達は卓へ付く。いざ始まった四人の語らいは、話題があちらへ飛びこちらへ戻りと予想のつかない形で展開された。しかしレック達の眺める間、他の戦士達が集まるまで、彼らの声が途切れることはなかった。
会議の中心となる長机にロトの血族と天使達、その周辺へ適当に置かれた椅子やらソファに他の面々が思い思いに腰掛ける。全員が集まった後、ロトが改めて全員の前で軽い自己紹介をし、サンドラが今回の討伐対象について語る。
「魔王ゾーマは凍てつく闇の支配者。踏み出した足先から大地を凍らせるほどの魔性を持つ強靭な魔王だった。攻略するために必要な耐性は氷、もしくは呪文と吐息攻撃対策でしょうね」
「ここにいる皆は強いから、それさえ心得ていれば何も問題ないと思うよ」
ロトが開きっぱなしだった冒険者名簿を閉じ、一同へ視線をやる。
「それより警戒すべきはアイツの世界への干渉の方だ。アイツは異界へ大規模な干渉をすることができる。最悪、君達全員がこの世界から出られなくなるようなこともあり得るかもしれない」
「まさか。一介の魔王がそんなことできるか?」
大袈裟なんじゃないかとソロが笑う。ロトは唇で弧を描き応える。
「本当の話だよ。実際、俺達はそのせいで生まれた世界に帰れなくなった」
ソロは笑みを引っ込めた。次いでサンドラが口を開く。
「奴に余計な時間を与えず仕留める。私達二人と、見届け人としてナインとノインのどちらか一人。パーティー編成と作戦はそれで十分だというのが私達の出した結論よ」
レックは目を丸くする。隣に並ぶアレンが身を乗り出して何か言おうとするが、アレフに抑えられて椅子へ背を戻す。他の面々はそれぞれ顔を見合わせている。
束の間の沈黙の後、ナインが挙手をする。
「お二人が大魔王ゾーマに詳しく、また強力な戦士であることに異論はありません。しかし世界を守るためクエストを受注した身としては、あと一押し確実な戦線で臨んでいただきたいところなのですが」
「うん。もっともだ」
ロトが首肯し、片割れを窺う。
「どうだろう。今候補に挙がっている面々を考えるに、前衛がもう一人いるといいんじゃないかな。俺は彼らをよく知らないから、君の方で推薦してくれないか」
「そうね」
サンドラは顔をこちらへ向けた。
「レック。あなた、一緒に戦う気はない?」
「俺か?」
予想外の提案に驚く。だが、異界の魔王など何体見ても飽きるわけがない。二つ返事で了承する。
ナインとノインは頷き合った。
「各地に異変が起こる可能性があるならば、ナインが世界の監視役として残った方がいいでしょう。ゾーマ討伐には私が同行します」
ノインが申し出る。
「他の皆さんには、対オルゴ・デミーラ戦線同様各地の巡視にご協力いただきたく──」
質疑の場も設けられたが特に異論はなかったため、全体での作戦会議は速やかに終了となった。続けて各地の巡視を行う面々は分担決めのためにその場に留まり、レック達討伐パーティーはロトを部屋へ送りがてら彼の部屋で簡単な戦略の打ち合わせを行うことにした。
ロト二人とノインが部屋を出る。レックも続こうとした時、肩を掴まれた。力強い手である。振り返ればアレフだった。
「後でお二人の戦いぶりを教えてくれ」
「それなんだけどな。俺よりお前かアレンがパーティーに加わった方がいいんじゃねえの?」
対ゾーマパーティーに前衛を一人入れる流れになった時、レックの頭に浮かんだのはロトの子孫達の顔だった。前衛としての堅さ、守りたいものへの情熱、どちらにつけても彼らの方が適任に思えてならない。自分がパーティーに入ることを了承はしたが、子孫達の方がいいのではないかという考えは今も変わらず持っていた。
「お前がアイツらに交渉しに行くって言うなら加勢するぜ。俺に悪いと思うなら、戦った後にでもゾーマがどんな魔王だったかを教えてくれればいいからさ」
だがアレフは首を縦に振ろうとしない。それどころか生真面目な顔をして言う。
「大魔王ゾーマをよく知るお二人がお前をお選びになったんだ。その選択を尊重しないわけにはいかない」
「そうかなあ」
レックは残るもう一人の子孫を盗み見る。アレンはこの世界の地図を囲む面々と何やら語り合っている。表情もいつも通りであり、未練の有無を読み取れなかった。
頼んだぞとアレフに背を押され、レックは腑に落ちぬものを感じながらも会議室を後にした。予め聞いていたロトの部屋へ向かう。部屋ではちょうどノイン達がテーブルと椅子を動かし、四人の座りやすいように整え終えたところだった。
「始めましょうか」
「その前に聞かせてくれないか」
レックはロト達を見つめ、直球で訊ねる。
「何で俺なんだ? アレフやアレンだって良かっただろ」
「そうね。身の守りで言うなら、あなたよりあの子達の方が適していたかもね」
サンドラは卓へ頬杖を突く。
「どちらか片方を連れて行ったら、先祖の威光を示す気満々みたいに受け取られそうじゃない。そんなのはごめんよ」
「残念ながら、俺達はそう特別な勇者じゃない」
まだ佇んだままのロトが苦笑して言う。
「名簿を見たよ。多岐にわたる戦闘特技に多彩な呪文。素晴らしい限りだ。俺達の習得したものより俺達の使えないものの方が多い、と自信を持って言えるほどだった。君だって、俺の名簿情報を見たんだから知ってるはずだ」
ロトは言いながら手にしていた分厚い本を開き、こちらへ向けて卓上を滑らせる。そこにあるのはロトの情報だ。
剣技を少々。それと光の領域に属する補助回復呪文に、レックもよく使う雷の呪文──デインを二つ。
紙面に並ぶ文字列はここへ来たばかりの頃に見たサンドラのページと変わりない。異なるのは冒険者の氏名だけだった。
「召喚された戦士達の戦闘技能を全て足して割れば俺達になる。Ⅲ番の勇者というのはそのくらい平々凡々な勇者なのさ。強いて他にない特徴を挙げるとしたら、どこにでもラーミアが迎えに来てくれることくらいかな。それでも時と場合によってはすぐというわけにはいかない」
「十分だろ。俺にはファルシオン──ペガサスがいるけど、さすがにここまでは来させられないぜ」
もちろん相棒には満足しているが。
そうレックが補足して言うと、ロトは目を細めた。
「天馬か。カッコいいな」
「だろ?」
「君の魂にある翼と共鳴して現れたのかもしれないね」
不思議なことを言い、男は目を伏せる。
「夢は顕在した途端夢でなくなる。そのままにしておいた方がもっと高く飛べるかもしれないよ」
「それは分かる。けど、ここで戦い続けるならいつかは察するだろ」
アレフとアレンが先祖達の戦いをまともに見ないまま帰還するとは思えない。加えて、戦闘に関しては一際優れた嗅覚を持つ彼らのことだ。仮に戦場へ共に出ることが一度もなかったとしても、日々の所作をつぶさに観察して腕のほどを見て取るだろう。
「サンドラはもうアイツらの前で戦った。アンタだって、ここへ来る前にサンドラと連絡を取って子孫がいることを知っていたはずだよな? それなのに今更、戦うところを見せたくない、は妙だろ」
「俺個人に自信がないのかもしれないじゃないか」
「そうか?」
レックは首を傾げた。
「自分のことはともかく、倒せる確証があるからここへ来たんじゃないのか? または、倒さないといけないと覚悟を決めて来たとか」
ロトはサンドラの方へ顔を向ける。彼女は目を合わせ、何も言わず肩を竦めた。
「なるほどね。何でサンドラが君を選んだのか、分かった気がするよ」
分かった。君には誤魔化さず打ち明けよう。
ロトの顔へ残っていた笑みの名残りが失せる。
「俺達はゾーマの前へ子孫を連れて行くことができない。何故なら、アイツが本物の場合俺達の血脈が続くことを知らせたくないからだ」
「これは私達がこれまでも誰にも伝えて来なかった話なのだけれど」
サンドラが後を継ぐ。
「いまわの際のゾーマは、私達が魔族のように長く生きられないことを嗤い、私達の死後、再びアレフガルドが闇に包まれることを予言して逝った。それが闇を祓うために生きてきた私達勇者の希望を挫く絶望となると確信していたのでしょう……いや、絶望どころか、呪詛をもたらすための言葉だったのかもしれないわね」
勇者がゾーマを倒した後、アレフガルドの上空にあった彼らの世界へ繋がる時空の大穴は閉じた。そのせいで、勇者一行は故郷へ凱旋することが叶わなくなった。
「アレフガルドと私達の出身世界はかなり昔から通じていた。私達の世界からアレフガルドへ人が移り住み、その移り住んだ人々の子孫が世界の由来を忘れてしまうくらいの太古の昔から、あの穴──ギアガの大穴はあったと言われている。それが何故急に、ゾーマの死と共に閉じることになったのか」
あの現象の理屈を解明した者は未だ現れない。アレフガルドを牛耳る大魔王の死は世界へそれほどの衝撃と変動をもたらしたのだとか、穴の閉じる頃合いが偶然やって来たのだとか、推測は様々に発生した。だが、どれも核心に迫る証拠を備えていない。
「だから、私達の危惧が取り越し苦労ということもあり得るのだけれど。その可能性を頭の片隅に置いていても、あれはゾーマから私達への呪詛だったのではないかと解釈してしまうような出来事を、私達は体験している」
ゾーマを討伐した直後のことだ。
城主の死と共に起きた大魔王城の崩落に巻き込まれたと思ったら、何故か城より北西の方角へ離れた別大陸の魔窟へ飛ばされていた。その魔窟は唱えた呪文の全てが掻き消えるという特殊な土地であり、自らの足で洞窟を脱出するしかなかった。
「Ⅲ番の勇者の冒険は、おおよそ次のような結末を辿る」
ロトが片手を翳す。
「勇者達は大魔王との戦いにより消耗した身体を叱咤し、アレフガルド北西の魔窟──魔王の爪痕と呼ばれるそこを抜け出す。その時、頭上より大穴の閉じる音が轟く。永らく闇に閉ざされていた空がぱあっと晴れ渡り、アレフガルドへ久方ぶりの朝が訪れる。アレフガルド宗主ラダトーム王国の王は世界の救われたことを喜び、勇者を招いて祝宴を開く。しかし宴の最中、勇者は忽然と姿を消してしまう」
彼は翳した手を軽やかに振り下ろす。まるで、演奏終わりの合図をする指揮者のような動きだった。
(それは──)
悲劇だとレックは思う。魔王を倒す使命を帯びて育ち、苦労と共に旅をして、果てに大魔王を倒すことこそ叶っても使命を終えたと郷里へ告げられぬまま異界へ封じられる。
彼らもまた、帰れなくなった者なのだ。
「当時、大魔王ゾーマの息はアレフガルド全土はもちろん、私達の故郷アリアハンにまで掛かりつつあった」
サンドラが言う。
「当然、大魔王の魔手は二つの世界の接点であるギアガの大穴にも及んでいた。実際、あの地は魔の者が行き来したような痕跡や、闇が穴の表層まで満ちるようなことも起きていたそうよ」
「ならば、俺達が大魔王を倒し魔王の爪痕から脱出したちょうどその時に大穴が閉じたのは、仕組まれたことなんじゃないか。そう考えるのも、荒唐無稽な妄想ではないよな」
ロトの唇が左右対称に吊り上がる。
「大魔王ゾーマは絶望と死をこよなく愛した。魔の討伐に青春を捧げた若き勇者が、郷里へ帰ること叶わず、自分の仕事が永遠に闇を打ち払うまでには至らなかったのだと知らされ、異郷の地で孤独に未来を憂いて死んでいく……そういう筋書きを大魔王が望んだという推測は、そう的外れでも悲観的でもないと思うんだよ」
「そんなゾーマが、もしアレフガルドの地を救う新たな勇者の存在を知ったら?」
サンドラが声を低める。
「私達のために大呪詛を放ったかもしれないゾーマが、私達の末裔に何かしないとは断言できない。だから彼らを連れて行かない」
「先祖なりに子孫のことを思いやって、ってことか」
レックが言うと、そんなところとロトが返した。
誰からともなく席に着く。それまでずっと黙って話を聞いていたノインが口を開いた。
「仮にこれから戦うゾーマが本物で、万が一呪詛を放つようなことがあったとしても、今のロトさんとサンドラさんなら立ち向かえるのではないでしょうか」
「へえ。どうしてそう思うの?」
ロトがおかしそうに訊ねる。
「だって、既にお二人はラーミアを呼び寄せて異界へ行くことが可能になっているじゃないですか」
「あっ、本当だ」
レックは手を打った。
「ここに来られてるってことは、家に帰ることもできたのか!」
「その通り」
ロトは得意げに胸を張る。
「ま、こういうところが俺達の伝説たる所以だな!」
「ラーミアの刷り込みと後追い行動のおかげよ」
サンドラが素早く訂正する。
「私達は七つのオーブを集めてラーミアを孵した。彼にとって私達は親みたいなもの。だから、竜の城より放たれアレフガルドへと下った光の玉の軌跡を辿って追ってきたのでしょう」
「おかげで実家で待ってた家族に生存報告ができて良かったよ」
「私は関係各所に報告だけ済ませた」
「なんだ。ちゃんと帰れたんだな」
レックはほっと胸を撫で下ろす。
ただし、とロトが付け足す。
「俺達は故郷で勇者として知られすぎてしまったから、あっちだと暮らしづらいんだよな。だから、どっちにしろアレフガルドの片隅でひっそり骨を埋めることになると思う」
「アレフガルドで血を残すことも定められているみたいだから、もう既に魂の拠点がアレフガルドに変わってしまったのでしょうね」
サンドラの言葉を聞いたロトが目を丸くする。
「え、そうなの? 何でそんなこと知ってるんだよ」
「大魔王討伐後かつラーミアで元の世界へ帰還した後に、何度か蘇生したことがあるの。何度甦っても上の世界じゃなくてアレフガルドに戻されたから、そういうことなんでしょ」
「へえ」
「アレフガルドでロトの名を継承したことも関係があるかもしれません」
ノインが言う。
「ロトはそもそも一つの世界の名より生まれ、その世界の均衡を取り戻した者に授けられた称号でした。そのような歴史を持つ称号をアレフガルドで継いだために、精神がアレフガルドと結びついてしまった可能性もあるかと」
勇者ロト達はほうと感心したような声を上げる。
「あー。そういえばあったね、そういう話。実家にあったよ、ロトなんとかっていう世界に生まれた勇者の本」
「あれはフィクションではなく、実在の世界ですから」
「命名神の加護は時空を越えても健在なのね」
レックは頭を抱えた。命名神マリナンは自分の世界でも知られた神だから分かるが、「ロト」とやらはややこしすぎやしないだろうか。
(えっと。ロトは勇者の称号で、世界の一部で、世界の均衡と結びついていて、この二人の住む世界の他にもロトがいて、でも二人の住む世界はアレフガルドで──)
いや、アレフガルドは一部の地域の名前だったか? 二人の生まれ育った世界の名前は何なのだろう。よくよく考えてみれば、レックは自分の世界の名前すら知らない。世界にはなべて名前があるのだろうか。
レックは情報の整理に努める。その間も三人の話題にはロトという単語が文脈を変え用途を変え繰り返し登場し、彼を混乱させる。
もうロトの理解を諦めようか。検討し始めた頃、不意に青年の声が耳へ飛び込んできた。
「──幻惑を打ち破った暁の勇者もついてきてくれるっていうから安心だ。命名神も微笑むいと尊き称号のご威光にあやかるとしよう」
「へ?」
「君の話だよ、レック」
我に返って周囲を窺えば、ロトがこちらを眺めて楽しげにしている。サンドラとノインもまた、レックに注目しているようだった。
「大分脱線してしまって悪かった。本題の対ゾーマ戦作戦会議をしよう」
「とはいえ、そこまで議題はないけれどね。何せ、ゾーマの戦い方は潔いもの」
大魔王ゾーマは氷と真空の高位呪文、強力な魔の吹雪や凍てつく死の吐息、こちらを惑わし呪文を跳ね返す術を用いる。己の美学に特化した戦い方を好むため、他の魔王に比べれば搦手は少ないはずだ、とサンドラは語った。
「レック、あなたにはゾーマがマホカンタや魔力覚醒をした時に、いてつく波動でそれを剥がすのを最優先で頼みたい。それから次点で、前衛での攻撃とターゲット取りもしてもらえると助かる」
「注意を引いてもらえれば、俺とサンドラで隙を突いて一気に畳み掛ける」
ロトが己と片割れを手で示した。次いで天使の少女を見やる。
「ノインには回復と補助をお願いしたい。この世界の僧侶は光の波動という特技で状態異常を何でも治せるらしいね。それをやってもらえると助かるんだけど、どうかな」
「分かりました」
「任せとけ」
ノインが首肯する。レックもどんと胸を叩いた。
ロトが大きく頷いて破顔する。
「頼もしいよ。よろしくね」
「当日は寒さの気になりづらい格好をおすすめするわ」
サンドラが変わらぬ無表情で席を立つ。
本当にたったそれだけで、作戦会議は終了となった。レックはノインらと共にロトの部屋を出、寄り道せず自室へ戻った。
速やかに入浴や明日の支度を整え、寝台へ転がる。大した遠出もなければ戦闘をこなしたわけでもないのに、身体に妙な重みを感じていた。
(俺よりずっと制限の多い勇者もいるんだな)
頭の中で、今日耳にした語彙が巡っている。
侵食する悪夢。
翼を持つ神聖生物。
そっくりな勇者。
大穴。
魂の拠点。
異界。
ロト。
室内灯を落とす。暗がりの中、レックはしばしまんじりともせず天井を見つめていた。
▶︎▶︎▶︎
ゾーマ討伐の日。有事に備えて巡視をすることになった面々は、大きく三組に分かれて動き出した。アレフとエイト、ソフィアとアベルはルーラを使い、それぞれ世界各地を逆回りに見て回る。アレン、ソロ、アルスはルイーダの酒場でいつでも動けるよう備えつつ待機。そしてナインは世界全体を見るため、単独神の国へ足を運んだ。
全ての班の連携は、彼を中継として行われる。各班に一つずつ託された移動呪と天使の力を宿す宝石の欠片──ナインはこれを「声だけルーラストーン」と呼んだ──を介して連絡を取り、万が一行方の分からなくなった者が出た場合には別の班の者が十分に警戒しつつ様子を見に行く。ナインとの連絡が取れなくなった場合は全員宿へ帰還。ノインの帰還を待つ。打ち合わせではそのように手筈が決まっていた。
リッカの宿屋待機組の三人は、バルコニーにてルーラストーンより時折聞こえる各班の報告に耳を澄ませていた。とは言え、三人して行儀よく石を囲んでいるわけではない。アレンは石を置いた卓に一番近い壁へ背を預け、目を瞑っている。ソロはバルコニーの手すりにもたれ、城下を眺める。アルスは二人より等しく距離のある椅子に座り、足を投げ出して空を眺めている。彼らは各々、マイペースに過ごしていた。
頭上には、厚い雲が立ち込めている。湿り気のある風に促され、最初にこぼれ落ちた言葉はソロのものだった。
「帰れなくなった、ねえ」
アルスが彼の方へ首を巡らす。ちょうどバルコニーの内側へ向き直ったソロと目が合った。そのさらに向こう、城門辺りの景色が視界に映り込む。似た背格好の勇者二人と少女天使、そして若者の四人組が転移魔法の光に包まれるところだった。
「何のこと?」
「Ⅲ番の勇者どもの話さ」
ソロは手すりへ前腕を絡め、指先でコツコツと叩く。
「ここに来てる連中は、俺も含めておおよそロクな目に遭っちゃいねえ。俺らを導くとかいう神サマや運命ってヤツは、どこの世界でも能書きを垂れるのばっかりご立派で、大した力なんざ持っちゃいねえんだなと思ってよ」
「おい。不敬だぞ」
アレンが瞼を上げ、ソロを睨んだ。
「神霊は大地や海、空など万物を構成する一部の事象を司る大きな意思であって、あまねく全てに干渉し支配する存在ではない。彼らの育んだ世界があり、彼らが俺達から離れているからこそ、俺達は意思を持って人生の自由を追うことができるんだ。不運や悲劇を嘆くのは止めんが、その性質を理解し、恩恵を受けているのだという自覚は持っているんだろうな?」
「へいへい、陛下の仰せの通り」
「ふざけてるだろ」
「半分くらいは真面目に同意してるぜ」
美しい顔立ちに皮肉気な笑みが閃く。
「いくら力をつけようが、どこへ行って何を見聞きしようが、結局のところ俺らはあまりに小せえ。世界はいろんなもんが絡み合ってできていて、その統治者でも制御しきれねえくらいに膨れ上がってる。その中のたったの一人だか一柱だかが働きかけたところで大して変わらねえ。張り切って働きかけりゃあ、余計に事が拗れる。動く方が馬鹿らしくなるってもんさ」
「そうかもしれないね」
アルスが同意する。
「僕らは振り子みたいな世界の命運に働きかける一つの力に過ぎない。僕らの働きが咎だと言う誰かがいて、その人達が僕らより強いなら正されることもあるのかもしれない。けれど、僕らだって世界の一部だ。戦う権利くらいはあるはずさ」
「世界の滅亡が掛かっている状況だぞ? 阻止しようとするのを責める奴がいるか?」
アレンは眉根を寄せる。ソロはああそうか、と思い至ったような声を上げた。
「お前の旅の目的は、最初から最後まで世界の滅亡を止めろのまま変わらなかったんだっけか」
「そんなところだ。邪神官による破壊神召喚を止めるため。俺達を守護する神ルビスより加護を賜っての旅だった」
ローレシアの氷雪に似た双眸が狭まる。
「俺達の世界でもっぱら信仰を集めている神──ルビス神はサンドラさん達の時代からアレフガルドにおわす古い神で、俺達ロトの一族を手助けしてきたと伝わっている。だが実のところ、俺達はあの方の正体をいまいち知らない。神と称されているが、御自ら精霊と名乗ることもある。俺達は精霊神ルビスとお呼びしているが、果たしてどのような素性の方なのか、把握できていないんだ」
「俺の世界では精霊なんて聞いたことねえな」
「僕のところはいるよ」
ソロが言う一方で、アルスが四本の指を立てる。
「炎、水、風、地を司る四精霊。世界を創ったという神と共に世界を守ろうとしていた」
「複数いらっしゃるのか」
アレンは己が顎に手を添えた。
「ならばルビス様は。いや、もしかしたら俺達の世界は──」
言葉が止まる。アレンの視線は、正面にあるルーラストーンへと移っていた。
宝石に一瞬、さざめきのような弱い光が揺らぐ。その後びかりと強烈な輝きを放ち、次いでナインの声が響いてきた。
【各班各位、聞こえますか】
三人は石の方へ歩み寄る。その間にも石からは聞いているよ、やどうしたの、などといったパーティー他の面子の声がする。アレンが石に応じる。
「ああ。聞こえている」
【たった今、ゾーマの反応が消滅したことを確認しました。世界の大規模な異変干渉は確認されていません。よって暫定、無事討伐完了と見做します。念のため、巡回班はまだ確認の終わっていない地を巡ってからの帰還をお願い致します】
「え?」
三人は顔を見合わせた。
城門前より転移するゾーマ討伐隊を見たのがつい先程。大魔王の潜む地まで徒歩で移動することも加味すれば、推定討伐時間はたったの一分にも満たない。
「いくら何でも早くねえか」
「ゾーマの偽者、そこまで手強くなかったのかな」
ソロとアルスがあれこれと想像を巡らせ、言葉を交わす。しかしアレンはそこへ加わらず、双眸を上へと転じた。立ち込める雲は依然として厚く、その向こうの蒼穹を透かし見ることは叶わなかった。
▶︎
いかにも魔神めいた青く堂々たる体躯、橙のローブをはためかせる大魔王ゾーマの姿を眺められた時間はそう長くなかった。何故もがき生きるのか──大魔王の問いにロトの勇者達は言葉を返さず、ただ火炎呪を差し向けた。ゾーマが輝ける暴風雪をもって応える。その時レックは、大気が不自然にさざめくのを感じていた。
(何だ)
肌がひりつく。大地を舐める炎と吹き荒れる吹雪、その狭間の至る所で微かな極光めいた光彩が立ち上り、弾けては消える。
何かが起こる。レックの直感は正しく、男ロトの低めた声が届いた。
「光あれ」
そちらを見る。彼が利き手を掲げ、振り下ろした。笑みの欠片もない顔を、間もなく訪れた強烈な白光が焼き尽くす。
幾万という雷鳴が轟く。大地が揺らぐ。踏ん張り目を瞑るレックの瞼の裏に、数多の雷に貫かれ悶絶する魔神の影が浮かんで消えた。
ややあって目を開ける。もう既にゾーマの姿は無かった。烈しい大雷の名残りに未だざわめく大気。洞の中心に揺蕩う魔瘴の僅かな塵。それだけが、大魔王のいた痕跡だった。
傍らではノインが目を瞬かせている。魔法発動の支度をしようとしたのだろう。手には杖を構えたままだった。
「ゾーマの反応が消滅しました。ロトさん達の勝利です」
「マジかよ」
レックは呟いた。
作戦会議で当初打ち出された予定通りだった。ゾーマはロトの手によって討たれた。レックとノインはその立会人という役割のみで終わった。
(今のはギガデインじゃない。ジゴデインか?)
詠唱者単独で扱える天雷呪のうち最も強力なものを思い浮かべる。しかし、今見たものはそれよりもなお強力ではなかっただろうか。仮にジゴデインだったしても、彼の名簿の習得呪文の欄にその名は載っていなかった。扱えるはずのない魔法なのだ。そう特別な勇者じゃない、どころの話ではない。
(酒場の名簿は冒険の書と連携する仕組み。ステータスを偽ることはできなかったはずだ。どういうことだ?)
ロトが中央へ進み出る。レック達の見つめる先、ゾーマのいた辺りの手前で立ち止まると、その場で俯くようにして頭を垂れた。
「俺達ロトの勇者は、勇者以外の生き方を許されない」
背を向けたまま、彼は語り始めた。
「戦士に武闘家、魔法使い、僧侶、盗賊……旅の仲間達は望めば何にでもなれた。肉弾戦をあまりして来なかった職業の人間でも戦士になれたし、逆に全く呪文を覚えていない者が特別なアイテムを使って呪文の専門家になることも許された。一度覚えた呪文や特技は、転職をしても使えるみたいだった」
笑った気配があった。しかしこちらを向かないため、表情を確認することは叶わない。
「彼らは勇者になることだけはできなかった。けど、そんなの些末なことだ。ダーマ神の恩恵を受けて転職を繰り返す君達なら分かるだろう? 様々な職をこなして多彩な技能を身につけた者は、掛けた手間の分だけ強力で柔軟な戦士になる。そんな歴戦の猛者ばかりになったパーティーを、高位の天雷呪と広範囲最大回復呪だけが取り柄の器用貧乏が率いて伝説と呼ばれるようになるなんて、ちゃんちゃら可笑しいと思わないか」
レックは他の仲間二人の様子を窺う。ノインはロトをじっと凝視している。一方サンドラはこちらの視線を受け止め、小さく息を吐いた。
「まあ、驚かない方が無理よね」
「あれ? 驚かせたかな」
ロトは大きく上体ごと首を傾ける。どこかわざらしさを感じる大袈裟な仕草だった。
「そりゃあそうだろ」
正直に答えた。
「名簿情報にない呪文だぞ。しかもすげー威力だし」
「ごめんなさいね。この人のこれ、遊び人の気まぐれ遊びより法則性がないから書けないのよ」
サンドラが、辺りに漂っている雷魔法の名残りらしき煌めきを示して言う。
「使用できる特技呪文として書けるのは確実に発動するものだけ。名簿登録者の体力魔力についても同様。仮に登録者の体力や魔力が人知を超えた域まで進化していても、計測がしきれなくて不安定である以上、現在分かる範囲で書くことしかできない」
それはレックにも覚えのあることだった。大魔王討伐の旅を終えてから、どんなに腕を磨いて力を伸ばしても計測する数値が変わらない。体感では確実に伸びているからと気にしなかったが、どうやらこれは自分一人に限った現象ではなかったようだ。
サンドラは片割れの隣へ立ち、肩を叩いて言う。
「私達のような世界の均衡の大きく崩れる時代に生きる戦士達は、いつ旅立ってどこを通って討つべきものを討つか、おおよその聖戦の流れが決まっている。けれど、聖戦の前と後については一切と言っていいほど縛りがない。だからここにやって来たあなた達のように、旅を終えてなお強くなる勇者も一定数いる。この人もその一人ってこと」
「何も、どこかを侵略しようとか強くなろうとか、そういうことを考えていたわけじゃないんだけどね」
ロトは困ったような顔で微笑む。
「旅も終わって暇だった。だからちょっと練習した。その成果ってところさ」
「呪文暴走率が上がったということでしょうか」
ノインが手を己の顎へ添え、首を傾げる。
「他の世界軸の例を考えればあり得ないことも無いです。が、Ⅲ番世界にて起こる呪文暴走の平均干渉と比べてかなり威力が強い。ジゴデインとして捉えても悠にその平均干渉を上回るような一撃でした」
「そうなの? おかしいな」
ロトは首を捻る。今度は先程のような大きな身振りでない、ごく自然な所作である。
「心当たりがない」
「ロトさん。体調に異変はありませんか?」
「無いよ。ばっちり元気!」
「それならばひとまず良かったです。原因の考察は帰ってから致しましょう」
ノインが先に出口へ向かい始める。その後をロトが追う。歩きながらもなお二人は話し続ける。
「ロトさん自身に心当たりがなくとも、ロトの意志と血の流れを汲めばもしかしたら──」
「ええ? それって──」
少女と青年の背中が洞窟の口へ吸い込まれていく。レックも倣って歩き始め、外へ出ようとしたところではたと足を止めた。
あと一つ続くはずの足音が全くしない。振り返れば、サンドラはまだ空洞の中心を見つめていた。
「どうした?」
「レック。あなたにとっての勇者はどんなものだった?」
唐突に問いかけられ、面食らう。
勇者とは。先程のロトの話の名残りだろうか。
「俺の世界では、勇者はダーマ神殿で就ける職業の一つだったよ。他の職よりなるための手間が多かったな」
「そう」
「サンドラはどうだったんだ」
返事は、やや間を置いてから来た。
「思い出」
囁くような声だった。
「思い出は遠ざかるほど美しく、あるいは強くなるでしょう。勇者はその仲間なの──残念ながらね」
二人を呼ぶノインの声がする。サンドラは向き直り、今度はまっすぐに出口へと歩いて行った。紫の外套が光へと吸い込まれていくのを見送ってから、レックは再度二人のロトが見つめていた場所を眺める。
大魔王のいた場所には何もない。黒ずんだ大地の上に、魔瘴すら失せた空白があるだけだった。