09 終わりなき夢
赤々と燃える炎の塊の中で人々が踊っている。手を振り回し足を踏み鳴らし、石壁に身体を擦り付けたり近場の水を求めて駆け回ったりするも、火は消えない。悲鳴と苦悶の声が辺りに満ち、整然と統治されていた城は見るも無惨な混沌に支配されていく。
レックはそれを見ることしかできない。炎を消そうと外へ走り出すことはできても、伸ばした指先は何も掴めない。井戸の縁へ吊るされた木桶すらすり抜ける。
この城──滅亡のグレイス城は、今を生きる人々の夢より生まれた存在ではない。城にある全てが過去の亡霊なのだ。彼らは悪魔の力を求めたが故に神の怒りに触れ、終わらぬ悪夢の中を繰り返し彷徨っている。
レックの傍では、炙られて真っ黒に焦げた人影が倒れ込んでいる。水を求め、自力でここまで這ってきたのだろう。しかし肉の溶け落ちた腕に最早力は宿らず、手近な草を掴んで井戸の方へ進むことさえできないようだった。ただただ胸を上下させ、気道の焼ける苦痛に顔を歪めている。
その悪夢のような姿から、目を逸せない。
(あの大魔王は、魔法都市もダーマ神殿も滅ぼした)
果たして当時の世界に、大魔王に対抗しうる選択肢がどれほど残されていただろう。世界の希望の灯火を消すまいと、その一心でした努力なのに。
どうしてたった一度の過ちで──しかも未来と領民を守ろうという、人を思っての行いで──こんな終わらぬ地獄へと落とされなければならないのだ。
レックは何度も水桶へ手を伸ばす。すり抜けると分かっていても、足元の肉体が既に動かなくなっても、掴もうとせずにはいられない。
己に誰かを救ってやれる力などない。それでもせめて、一度だけでいい。渇ききった口元へ一筋の水を流し入れてやりたかった。
(この人と俺の安寧のために)
過去の幻影も夢も己一人でしか見られないから──そこで目が覚めた。あてがわれた宿の一室は仄暗く、窓の彼方に横たわる世界は未だ夜の名残りの中で眠っていた。
「冴えねえツラしてんな。クソのキレでも悪かったのか?」
目覚めの悪さに二度寝を決め込むこともできなかったその日、初めてまともに掛けられた言葉はこれだった。発言の主は言うまでもなく、パーティー随一の物言いで知られる勇者ソロである。しかしレックにはくたびれた顔をしている自覚があり、また誰かと話して気を紛らわしたいところがあった。そのため、彼に声を掛けられて救われたような気分になってしまった。
朝のリッカの宿屋エントランスは、食事を摂りに来た者や仕事を求める者で賑わっている。レックは朝食を乗せた盆を片手にソロのいる卓へ身を寄せた。四人掛けのテーブル。彼の向かいにはアベルがいる。
「夢見が悪くてさ」
「珍しいね。君は夢の勇者なのに」
アベルが不思議そうに言うので、肩をすくめてみせる。
「それ、俺の半分くらいなんだよ」
「残る半分は?」
「かっこよさ」
「はは。何か言ってやがらあ」
笑い声をあげておきながら、ソロの目は全く笑っていなかった。それどころかこちらすら見ていない。
レックは彼の眼差しの向かう先を窺う。自分達より一つ筋違いの卓に、男三人。先日揃ったばかりのロトの面々だ。対面のアレフとアレンを前に、先祖のロトが何やら話している。辺りが賑やかなため聞こえづらいが、席が割合近いこともあり、耳を澄ませばどうにか内容を聞き取れた。
「そのお嬢さんが話しかけてきたのさ。素敵な夜だからちょっと家に寄って行かないかって。ここで応えないのはダメだろう? だから俺は勿論と返したわけだ」
淀みなく流れる声に、身を乗り出すようにして相槌を打っているのはアレフだ。展開に合わせて小刻みに頷いたり固唾を飲んだりと、かなり前のめりに聞き入っているのが見て取れる。
一方、もう一人の子孫ことアレンはやや渋めの顔をしていた。彼は大先祖の話が一区切りつくのを待って口を開く。
「水を差すようで悪いんですけど、さっきの盗賊一味との戦いはどうなったんですか。オチまで話してないですよね?」
「決まってるさ。俺の雷で一発! それで終わりだよ」
「デインは単体呪文だと聞きましたが」
「おっ、よく話を聞いてるな! じゃあこれあげる」
ロトは腰に提げた道具袋より丸めた紙を取り出した。あれは知っている。巻物とかいう、記された技を資格のある他者に伝授することのできる魔法の書物だ。簡易な魔導書のようなものだと、以前ロト自身から聞いた。
「俺の相棒の使っていた、とっておきの技だ。君が使えば大ダメージ間違いなし。今ならなんと、オトモダチ価格でタダにしてあげよう」
「何で毎度価格の話をするんです?」
金を要求したことなんて一度もないのに。
不思議そうに言うアレンに、アレフがしたり顔で諭す。
「何を言う。アッサラームジョークに決まっているだろう」
「うんうん。じゃあ俺の小粋なジョークを汲んでくれたアレフにはこれをあげよう」
ロトは再び道具袋へ手を入れ、別の巻物を差し出す。
「これでダンジョンの落とし物探索はバッチリ! レミラーマと合わせて使えば完璧だよ」
「ありがとうございます。謹んで拝受いたします」
アレフは恭しく頭を下げ、両手で巻き物を受け取った。周りの客二、三人がちらりと彼を見るが、それぞれすぐ己の関心事へ顔を戻す。大方仲間内の戯れか、気さくなボンボンと奉公人のやり取りとでも捉えられたのだろう。いずれにせよ、この年頃の変わらない青年達が先祖と子孫の関係にあるなどとは夢にも思うまい。
子孫達はしげしげと渡された巻物を眺めている。どちらも嬉しそうではあるが、どことなく思案顔であるようにレックには思われた。
ややあって二人は視線を交わし、頷き合った。それから、アレフがロトへおずおずと語り掛ける。
「あの、こんなにも素敵な物を頂けるなんて光栄です。ですが、これでもう五本目です。いくら何でもいただき過ぎではないでしょうか」
「ん? いいのいいの。使うあてのないものを渡してるだけなんだから」
ロトは軽く笑って片手を振る。そんな彼にアレンが問う。
「お心遣いは無論有難いです。しかし、俺達は自然に生きていれば出会うはずのない間柄。それが出会ったのは事情が事情ですから構わないのでしょうけれど、このようなものを受け取ってしまって、果たして本当に良いのでしょうか」
抽象的な質問である。だがレックには、彼の言いたいことがよく分かった。
本来なら時に隔てられ出会うはずのなかった先祖と子孫。それが異界に集い、先の時代にあって後の世にない戦闘技能や呪文などを先祖が直接授けている。
このことを、自然の摂理に逆らう禁忌なのではないかと言いたいのだ。
「うーん。俺の子孫、予想してたより真面目だねえ」
ロトは腕を組み、米神へ利き手を当てた。
「サンドラの流れを多めに汲んでるのかなあ。ガワは結構俺に似てると思うんだけど」
「えっ、やはりそう思われますか」
「アレフさん食いつかないでくださいよ。話が逸れるでしょう」
そわそわと浮足立つアレフをアレンが窘める。
ロトは咳ばらいをし、居住まいを正した。
「そう言えば、巻物についてきちんと説明していなかったかもしれないね。改めて話そうか」
彼は語り始めた。
巻物とは、中へ記された呪文や特技を習得することのできるアイテムである。アレフ達に渡しているものは、ロトとその仲間達が旅を終えた後に手ずから作り出したものだ。ダーマの職業システムより得た技能を、必要とする人々のため形にしようと考えたのが製作のきっかけだった。
戦うための技術なんて必要とされない方がいいに決まってるけど、とロトはかぶりを振って言う。
「でも、うまくいかなかった」
巻物を読んだアレフガルドの人間達は、誰一人として読んだ内容を我がものにできなかった。いくら試行錯誤しても結果は変わらなかった。
「仲間内で試した時は、呪文も特技も習得できたんだよ。多分、前提に問題があるんだろうね」
「前提と言うのは」
「ダーマ神の加護の有無じゃないかな」
ロトは子孫達の手にある巻物を指さす。
「この巻物を使用して中に記された技能を身につけることができるのは、同じくダーマ神の加護を受けた世界の者じゃないといけないんだろう。植物が成長するのに光や水、土を必要とするように、ヒトの生には万物を司る神霊達の働きが欠かせない。ルビスは破壊とは真逆の性質を持つ神。その世界もそこへ訪れる者も、本来なら恒久に破壊の方面へ秀でることがない」
だから、と彼は対面の男達の顔を見据える。
「元々の出自がアレフガルドでない君達は、時代が下り元の世界から遠ざかるほど、魔力の出力がうまくいかなくなる」
「はあ」
「また植物に喩えようか。そうだね。日向を好む花を思い浮かべて欲しい」
その花は、日向にいる限り青々と葉を茂らせ鮮やかな花弁を豊かに蓄えていられる。やがて蜜を蓄え、誘われた虫に花粉を託し、種子を遠方へと旅立たせるだろう。
しかしその種子がうっかり半端な日陰に根付いてしまった場合、いくら親株が色鮮やかであろうとその姿同様に育つのは難しい。日光を求めて背伸びしても、浴びられる総量は限られている。結果、花も葉も色が薄くなる。
「あそこで生きる限り、君達は本来の持てる力の半分程度しか発揮することができない……それでもここまで力を磨き上げることのできた君達は、先祖の俺から見ても破格の存在だよ」
ロトは頭を下げた。
「不可抗力とは言え、あの世界で生きると決めてしまった俺の選択の影響だ。この巻物は、望まず異界で生きることになってしまった君達へ、もっと早くあげるべきだった謝礼。さっきの喩えの延長で言うなら、肥料のようなものだと思って欲しい」
「肥料、ですか?」
「本人に適正のない呪文や技を植え付けることはできないからね。君らの蓄えた知見を糧とし、眠っている素質を顕在化させる補助アイテム。それが巻物なんだ。君達のことだから、今みたいにダーマ神の加護のある世界で修練を続けていれば、いずれは巻物無しで自力で新しい技能を習得する機会も増えるだろう。でもこれから立ち向かう相手には、そんな悠長なことを言っていられないかもしれないから」
ナイン達から許可ももらってる。だから大丈夫。
そう言われ、子孫達は顔を見合わせた。どちらからともなく先祖へ向き直り、頭を下げる。
「出過ぎたことを申しました。無礼をお許しください」
「だからそういうのいいって。俺も説明不足だったし。近所の優しいお兄さんからのお小遣いだと思って、無邪気に使いなよ」
「ご近所さんも兄もいなかったもので」
「あ、そうなの?」
「ローレシアの王室予算には駄賃の項目もありません」
「ええ? じゃあ欲しいものを買いたい時はどうしたんだ?」
「兵役で得た給金を使います」
「おお……なんて逞しい子孫なんだ」
やがて、ロトの男達は旅の思い出話を再開した。
隣で小さく鼻を鳴らす音が聞こえた。ソロだった。
「まーた胡散臭い奴が来たな」
「お前もそうだったじゃん」
レックが言うと、紫の双眸を開き大袈裟に肩をすくめる。
「どこがだよ。俺はどこに出しても恥ずかしくねー正直者だって評判だぜ?」
「パーティー唯一の失踪者がよく言うわ」
なあ、とアベルへ語りかけると、彼はにこりと笑って言う。
「説明が足りないところは似てるね」
「ぐうの音も出ねえ」
「興味深い話だったよ。勇者の血を引いていても、努力や世界の環境で力の表れ方が変わることがあるんだね」
アベルは遠い目をする。
「僕は多分、基本のところは父と似た戦闘能力に育ったと思う。でも息子と娘は、僕と妻の覚えるのとは別の呪文や特技を覚えた。もしかしたら、彼が話したのと似た仕組みが働いたのかもしれない」
「やっぱりダーマ神の加護は相当でかいんだな。魔王が狙って潰しにかかったわけだ」
ロト達の語らいを聞く間に食事は終わっていた。仕上げのザメハーブティーを干すレックにソロが言う。
「ダーマ神殿ってヤツはえらく狙われやすいみてえだな。アルスの世界でも封じられたって話だった」
「ああ。こっちのダーマ神殿は、俺が旅立つ前に大魔王に滅ぼされた。それでも世界のみんなが失われた神殿を思い続けたから、かろうじて夢の世界で存続できた。俺がギリギリ恩恵を得られたのはそのおかげだ」
アベルがふと思い至ったような顔をする。
「その大魔王って、これから戦うって話の?」
「そうだ」
あれは生きとし生ける者の王であろうとし、全ての魂の夢を具現化して征服した。己のパーティーにいた者は、己も含めてあの魔王の陣営に人生を狂わされた者ばかりだった。
レックは空のグラスを置き、頬杖を突く。
「まさか、デスタムーアまで出てくるとはなあ」
▶︎▶︎▶︎
残る大魔王の地図は二枚。
天使達はレックにどう攻略すべきかと意見を求めた。ムーアを先に倒した方がいいだろうと答えたのが採用され、まず彼を討伐することになった。
食事の後、いつもの作戦会議部屋に集合する。大雑把に椅子を並べて座る一同の前で、天使達は本題へ入る前にと先日キサゴナの丘で話し合った大魔王の地図についての仮説を語った。
「──そのような次第で、大魔王達は創造神グランゼニスの生み出した夢の産物であるという説が濃厚だという結論に至りました」
「しかしステータスの違いが多々見受けられるところはありますが、地図の大魔王達を攻略するのにオリジナルの情報はかなり有益でした。現在に至るまで一度の全滅経験も無いのがその証です。ですから今回も、対象であるデスタムーアを討伐した経験をお持ちのレックさんにオリジナルの個体について説明していただきます」
ナイン、ノインの順で語った後、二人がレックへと目を向ける。
レックは喋り始めようと周囲の仲間達へ目を転じ、つい、発しようとした言葉を忘れた。感心の声が漏れる。
「増えたなあ」
こちらを見つめ返す顔の、なんと増えたことか。
数えてみる。場に集う戦士は十一人いた。レックの傍には天使が二人。朝食の席からそのまま塊でやってきたらしいロトの男達のところにはサンドラが合流し、彼らと対面するような形で半円の形に椅子を並べている。その隣にはソフィアが座っており、彼女の斜め後ろではソロとアベルがこちらを怪訝そうに見つめている。アルスは彼らの背後、全体で最も後方に座ってきょとんとした顔をしている。彼の横にはエイトが椅子を並べ、レックへやや呆れの混じった笑みを向ける。
「急にどうしたの」
エイトがおかしそうに尋ねた。レックはかぶりを振る。
「いや。こんなに大勢の前で改めて話すのは、ここに来てから初めてだなあって思ってさ」
「そうですね。レックさんをこちらへお招きしてから随分経ちましたから」
ナインが目を細める。
「レックさんが初めてこの世界へやって来てムドーを討伐するための作戦を練った時。ノインとは別行動でしたから、メンバーはサンドラさんと僕の三人しかいませんでした。場所もレックさんの客室で、はたから見ればまるで世間話の延長のような雰囲気で作戦会議をしていましたね」
懐かしい。
レックはこの世界へ来たばかりの頃を思い返す。因縁の魔王の復活を疑い、未知の脅威を警戒していた。面子が少ないため、高頻度で交代しながら見張りをしたこともあったか。
しかし回想が現在へ近づくにつれ、楽しかった記憶ばかり溢れてくることに気付く。初めての四人パーティーで行った茶と菓子を嗜みながらの会議。各々の世界やかつての旅を材としての語らい。不良勇者の我が儘で行われた三本勝負に、派生して許された各地への旅行。
決して魔の勢力から気を逸らしていたわけではない。危機は常に意識していた。それでも自ずと愉快な日々が思い出されてしまうのは、現れる魔王達を確実に討てていたからこそ。時空を超えてやって来た戦友達のおかげだった。
(もう、終わりが近いのか)
揃った面々を前に一抹の寂しさを覚えている己に苦笑する。破滅の予兆は討たれ、世界の均衡は元通りになるのだ。喜ばしい日常が戻るのに戦友との日々を名残惜しむのは愚かだと己に言い聞かせる。第一、これから対峙する敵を必ずしも討てるとは限らない。
レックは気を引き締め直す。ちょうどその時、サンドラが催促した。
「昔の話はまた後で。今はデスタムーアのことを教えてよ」
「ああ」
レックは改めてぐるりと首を巡らし、全員と目を合わせてから口を開いた。
「アイツもこれまで戦ってきた魔王達と同じように、姿を変えて戦う大魔王だった。形態は三つあった。仙人みたいな姿。ゴツい魔人の姿。最後にはでっけえ首と両手だけになるんだ」
この世界で戦った大魔王達はどれも戦闘中に姿を変えようとしなかった。だから今回も三形態のうちのどれか一つと戦うことになるのだろう。
「俺は、二番目と三番目のどっちかの姿で現れるって予想してる。二番目はそんなに怖くねえ。こっちの防御を削るか自己強化した後に突進してくる物理攻撃ばっかりの奴だから、守備を固めて着実に回復しながら削っていけば攻略は難しくないはずだ。手強いのは三番目だな」
レックは両腕を持ち上げ、手を顔の左右で開いてみせる。
「こういう感じの格好で、頭と両手が別の意思を持ってバラバラに襲い掛かってくる。本体の顔がメインだけど、顔だけ倒しても手は消えない。どっちも本体に負けねえ強さでぶっ叩いてくる。それだけじゃなくて、回復と蘇生までできる」
本体両手共に動きが素早く、自らの攻撃力を高めてこちらの守備力を下げてくる。
いてつく波動に強制睡眠、おぞましい雄叫びといった実力派魔族お得意の技を用いるのは勿論のこと、さらには最上位の攻撃魔法を複数操ることができる。
「面倒なのはマダンテだ」
知っているかと訊ねると大半が知らないと首を横に振った。レックは己の知ることを話す。
究極呪文マダンテ。詠唱者の全魔力を暴走させて放ち、敵全体へ凄まじい破壊をもたらす呪文である。習得者は限られており、己の世界では人間と魔族それぞれにごく僅かに存在した。ダーマ神殿ではぐれメタル職について修行しても身につけることができるが、転職に必要なはぐれの悟りが稀少でまず手に入らないため実質不可能に近い。
「つまり、全魔力を放出するってことだよね?」
ソフィアが首を傾げる。
「ならマダンテさえ凌げばこっちが攻めやすくなるんじゃないの?」
「それがそうはいかないんだ」
マダンテを放った後のデスタムーアは詠唱前より激しく攻撃するようになる。猛攻は彼が瞑想によって魔力を回復するまで続くため、究極呪文を喰らった後は素早く態勢を立て直して追撃に耐えねばならない。
そう語ると、ソフィアは腕を組んだ。
「マダンテが放たれる直前にアストロンを唱えて凌ぐか、マダンテを防御してその後も回復を優先して動く。そういう風に動くのが現実的かな?」
「ああ。俺もそう思う」
「手こずらされそうな相手だね。手早く削っていかないとこっちがジリ貧でやられる」
彼女の言葉に皆が頷く。
おおよそデスタムーアのことを分かってもらえただろう。レックは具体的な対抗策へと話を進める。
「アイツにかかった強化は俺が剥がせる。勿論、前衛として攻めるのも俺が中心になってやる。けどそれだけじゃ足りない。他の全員に火力が欲しい。なおかつ、そのうちの最低二人は高位の回復呪文と蘇生呪文を使えると有難い」
レックはあらかじめ考えておいたメンバーの構成と役割分担を語る。
第一に自分の他に一人、攻撃と壁役に専念できる前衛が欲しい。単体に素早く高火力の一撃を叩き込むことができ、強力な打撃に耐え得るほど身の守りが堅く、体力がある。呪文耐性のある装備を身につけられるなら心強い。
次に、確実に全体を治療し続けることのできる回復役。なるべく短期で勝負を決めたいところだが、持久戦になる可能性もある。その場合を想定して魔力が豊富であると有難い。余力がある時は攻撃にも参加してくれると助かる。
最後に、攻撃と回復の両方をこなせる中衛。戦況に応じて柔軟にパーティーの支援を行って欲しい。より手早くけケリをつけるために補助技を多く扱えると尚更良い。
「どうだ? 他にこういう構成の方が有効そうだとか、この技があるといいとか、そういう意見はないか」
一同は顔を見合わせ、隣り合った面々と何やら言い交わす。多少の議論がなされた後、割合早く皆がレックの案に賛同を示した。
ナインが手を挙げる。
「効率よくダメージを稼ぐならフォースの働きは欠かせないでしょう。僕が中衛に立候補します」
「助かる! 頼んだぜ」
正直なところ、この役は彼以外いないと思っていた。
続けてロトが皆を窺いながら身を乗り出す。
「回復はベホマズンがいいだろうね。幸いにしてここには習得者が多い」
彼は順繰りに視線を向ける。ノイン、エイト、アルス、サンドラ、ソフィアにソロ。
「皆火力も申し分ない。しかし持久戦を考えるなら、魔力量の調整ができるエイトは特に適役だ。どうかな?」
「うん。勿論協力させてもらうよ」
エイトは快諾した。
残るは前衛一人。それこそ皆攻撃に秀でているから、誰を選んでも期待以上の働きをしてくれるだろう。
しかしレックはもう既に、共に肩を並べたい一人を決めていた。
「アレン」
呼べば、青のフードがこちらを仰ぐ。
「来てくれるか」
「いいのか? 俺は物理攻撃専門だぞ」
アレンは片眉を持ち上げた。レックは破顔する。
「いいに決まってる。好きなだけぶった斬ってくれ」
「分かった。そういうことなら任せておけ」
討伐の時はいつもの如く翌日に決まった。最後に何か疑問などはあるかと天使達が尋ねる。アルスがおずおずと口を開いた。
「残る地図はあと一枚なんだよね? 二組に分かれて攻略していたことがあるなら、もう一つパーティーを組んで明日討伐するのはダメなのかな」
「ああ。それ、僕も思ってたんだ」
アベルが同意する。
「どうしてチームを分けないのかな? レックの世界にいた魔王だから、必ず彼のいるパーティーで挑みたいのかい?」
ナインとノインはちらりとこちらを一瞥する。レックが頷けば、ノインがアルス達の方へ向き直って答えた。
「一部はその通りです」
「一部?」
「最後の一枚の地図に記された大魔王もまた、デスタムーア同様レックさんの戦った相手です。僕達はレックさんに真贋を見極めていただきたいと考えています」
ナインの言葉の後、レックが答える。
「デスタムーアを先にやった方がいいって言い出したのは俺なんだ。ムーアの方がまだ戦いやすいだろうって思ってさ」
これを聞き、ソフィアがぎらりと双眸を光らせた。
「もう一体の方が大変なんだ?」
「そうだ」
脳裏に蘇るのは今朝の悪夢。
炎に包まれる亡国の城。
「何せあれは俺の世界にいたんじゃない。来ちまったんだ。そうなったら、下手に帰せないんだよ」
不思議な物言いに感じたのだろう。アルスが怪訝そうな顔をしている。
レックはかぶりを振った。
「デスタムーアは夢を具現化して支配した。その悪夢の欠片に誘われて奴はやって来た。あれは夢を渡り世界を侵蝕する、魔族より上位の存在──魔神なんだ」
最後の地図に刻まれた名はダークドレアム。レックの世界では、途轍もない力を持つ伝説の悪魔としてその名が残されている。自ら称するところによると破壊と殺戮の神らしいが、真偽の程は分からない。ただ、レックが在りし日のグレイス城で目にした破滅はその名に見合うものだった。
「俺個人の考えを言うよ。ダークドレアムだけは、グランゼニス神由来のものかそうじゃないかは大きな問題じゃない。あれは悪夢の化身。悪夢を見る者がいる限り、何度でもやって来る。創造神の見た悪夢が呼び水になるなら、尚更強力だろうさ」
「そっか」
アルスが顎に手を当てて言う。
「掛け持ちして相手できるようなものじゃない。今度こそ全滅させられる可能性のある強敵だってことだね」
場に沈黙の帷が落ちた。ある者は帯びた得物へ無意識に手をやり、またある者は顔を伏せて思索に耽る。
その中で、身じろぎもせず真っ直ぐレックを見据え続けたのはアレンだった。
「なら気を抜かず戦いに備える必要があるな。レック、この後空いているなら手合わせをしないか」
「おう! 願ったりだ」
「ダークドレアムも気になるところだが、優先は目先のデスタムーアだ。対複数の動きを想定して模擬試合をしたい」
誰か他に身体を動かしたい者はいないか。
アレンが呼び掛ければ、すぐさま三本の手が挙がった。ソフィア、アルス、エイトである。
「あたしも行く!」
「僕も」
「これだけの人数で人目を引かないかな」
案じるエイトにノインが応える。
「では箱舟をお出しましょう。ガナン帝国領なら気にしなくて済みます。ね、ナイン?」
「ええ。そうしましょう」
ナインが立ち上がる。会議の終了を告げ、部屋を出ていく。その後にノインとアレン、先程名乗り出た三人、さらにはソロとアベルが続く。
「面白そうじゃねえか」
「野次馬も兼ねて行ってみようかな」
「おっ。そうしようぜ」
男達はそのような言葉を交わしながら、さっと部屋に残る面子を見る。アレフは迷っているようだった。ロト達は立ち上がらない。
「あれだけいれば十分でしょう」
「俺もお留守番にしようかな」
「いいのかい?」
アベルが双眸を眇める。
「もうここでの時間も残り少ない。あんな、異界にまで通用する武術と度胸の現人神みたいな戦士の戦いぶりは、この先そうそう見られないと思うけどね」
「俺は行きます」
思い切ったようにアレフが言い、二人のロトに頭を下げて扉より出ていった。サンドラは座ったままアベルを仰ぐ。
「あなた、私達とそう変わらないのに父親みたいなことを言うのね」
「はは。これでも現役の父親だよ」
「そういうことなら俺も見に行っちゃおうかな」
不要な汗は流したくないから、戦いはしないけど。
そう言ってロトは背中を預けていた椅子から身体を離す。ソロが片方の口の端を吊り上げた。
「おうおう。子孫達は揃って勤勉だってのに、先祖は随分やる気がねえじゃねーか」
「使い所を弁えてるのさ。考えてみなよ。みんなが試合で消耗したところに思わぬ襲撃があったら──」
「詭弁だな」
「野次馬に言われたくないね」
勇者達はベラベラと応酬を続ける。行くと言いながらなかなか歩を進めようとしない。長々と喋って一歩、しばらく喋ってまた一歩、と亀も気の遠くなるような鈍足を見せつけている。
よく観察していると、喋る男達は時折サンドラへと目をやっているようだった。厳密にはロトがサンドラを窺い、その視線をソロが面白そうに追いかけている。
レックはサンドラのもとへ歩み寄った。
「俺は、無理にとは言わないぞ」
「子孫達のためを思うなら、私が行かずとも彼一人が行けば十分なのに」
彼女は溜め息を吐いた。
「でも、アベルの言うことにも一理あるわね」
「ロトもソロと無駄話してないで、一緒に行きたいって言えばいいじゃん」
レックがロトに言えば、彼は胸を張った。
「俺はサンドラの意思を尊重してるんだよ」
「状況で強要してるだろ」
「おいソロ! 遅ぇぞ!」
そこへ戻ってきたアレンが怒鳴り込んできた。
「アベルがお前も来るって言うから待ってるってのにいつまで経っても来やしねえ! 喧嘩してえなら買うぞッ」
言われて初めて、いつの間にかアベルが姿を消していたことに気付いた。
「おー怖ぇ怖ぇ」
ソロはけらけら笑いながらその場を後にした。ロトが片割れの顔を覗き込み、仕方ないとサンドラが立ち上がる。アレンもさっさと踵を返す。彼らの最後尾につけたレックは、独りうんうんと頷いた。
「賑やかだなあ」
「他人事みたいに言うな」
前を行くアレンにどつかれ、レックは笑った。
▶
試合は短期決戦を見据えたために短くも濃い展開となった。模擬戦ながら熾烈を極めた戦いは、右手役のノインと本体役のソフィア、アレンとナインの二組の打ち合いにより大砂嵐が発生したところで強制的な幕切れを迎えた。剣戟と魔法に影響され天へと昇ろうとする砂漠の中心にいる四人の様子を伺うことができず、これ以上の続行は危険と判断した立会人のサンドラがアストロンを詠唱したのである。観客を含めた全員が石になった甲斐あって、戦闘に夢中になっていた戦士達は落ち着きを取り戻した。互いを牽制し合っていたレックと左手役のアルスは視界の五割が砂嵐で損なわれた段階で手を止めていたため、宙に浮かび竜巻を起こしていく他四人に驚き呆れるうちに試合が終わってしまった。
午後はリッカの宿へ戻り、各々過ごした。レック達明日に戦いを控えた四人は、手短におおまかな作戦を確認し、空いた時間をそれぞれ調整と休息にあてた。その他のメンバーも遠くへ出向くことはしなかったらしく、装備品の点検を終えてあちこち散歩するレックの視界に彼らの姿が映り込むことがあった。
宿では昼食を終えてまっすぐエレベーターへ乗り込むサンドラ、酒場の片隅で飲み食いしながらカードゲームに興じる男達を見た。卓を囲んでいたのはソロ、アベル、アルス、ロト。使っているのはトランプでなく絵札のようだったが、遠目ではどのような図柄か分からなかった。
城下町へ出れば、宿の裏手にアレフとアレン、エイトの背中が見えた。皆剣を握っており、素振りをしたり語らったりしている。人の賑わう店舗の多いエリアへ向かえば、道具屋を覗いているソフィアとノインの姿があった。何やら品物を指差しながら会話し、武器屋の方へ歩いて行った。
誰にも声を掛けなかった。カードゲームに混ぜてもらうことや素振りに加わることも考えないでもなかったけれど、今は眺めるだけで十分だった。レックはすっかり踏み慣れたセントシュタインの石畳を足の裏に感じつつ、日の沈んでいく街の表情を見つめ、ゆったりと歩いて回った。
散策の足で夕食を済ませ、宿へ戻る。エレベーターへ向かおうとしたところ──カードゲームの男達はもういなかった──カウンターの内側にいたナインに呼び止められた。
「レックさん。もしかして部屋へ戻られるのですか」
「ああ。どうかしたか」
「申し訳ないのですが、届け物をお願いできませんか? アレフさんにお渡しするものがあったのに、僕が急ぎの仕事に対処している間にすれ違ってしまったようで渡せなかったのです」
ナインはまだその場から離れるわけにはいかないようだった。レックは二つ返事で引き受けると、渡された油紙の小包を携えてアレフの部屋へ向かった。
エレベーターを降り、扉を叩く。すぐにアレフの声が聞こえた。
「どなたでしょうか」
「俺だよ、レックだ。ナインに頼まれて荷物を届けに来た」
「おお。持ってきてくれたのか。今開けるから待っていてくれ」
少しして足音が近づき、扉が開いた。アレフが顔を出す。
「後で取りに行こうと思っていたのだが。手間を掛けさせて悪かった」
「大したことねえよ」
レックは現れた男をまじまじと見つめる。アレフは鎧兜を脱ぎ、簡素な赤布の服で身を包んでいた。胸元には大柄の白い紋様が一つ刻んである。
(鎧着てないところ、初めて見たかも)
彼とは泊まりがけの旅行にも行ったが、宴の最中も鎧を着ていたためにラフな格好を拝んだことがなかったのだ。
冒険者の装備は、特殊な技術を持つ職人の手により魔法の素材を組み合わせて作られている。装備する者には受ける加護に見合う資質と努力が求められるが、その分装備の持つ加護をオーブの形で抽出して身につけ軽装で旅をしたり、装備品の性能はそのままに見た目だけを別の物に変えて纏うことができたりと変幻自在の働きを得ることができる。
レックは軽装を好むためオーブを利用している。きちんと聞いたことはないものの、今のパーティーの面々も同様の趣味に思える。
しかしこの様子を見るに、アレフだけは実際に鎧を身につけることを好んでいたようだ。
「外を歩く時は適度な重みのある装備が落ち着くんだ」
こちらの眼差しから思うところを察したのだろうか。アレフは笑って言った。
「寄っていくか? 大したものはないが、届け物の礼に茶菓子くらいなら出せる」
「別にこのくらいいいよ」
「白状すると、妻への土産候補として買った菓子が余りすぎて困っている。消費を手伝ってもらえると助かるんだが」
「そういうことなら乗るぜ!」
レックは部屋へと上がり込んだ。やはり間取りは自分の部屋と変わらない。手前に広々としたリビングに似た空間があり、奥は寝室やシャワールームへ繋がっている。様相の大きく異なるのは机周りだった。成人が悠に足を延ばして座れるだろうそこは、大量の書物やらアイテムに占拠されている。
アレフは店開きよろしく置かれたそれらをサイドテーブルへと退かし、空いたところへレックを座らせた。そして据え付けの簡易な食品棚に置かれていたガラス瓶を持ってくると、盆の上にナプキンを敷いて瓶をひっくり返す。中から軽い音を立てて色とりどりのクッキーがどっさり転がり出てきた。
「世界宿屋協会という団体の手掛ける商品ならば世界線を越えても大丈夫だとノインに言われて買ったんだ。しかし、どうも俺はこの手の物の味わいの機微が分からん」
アレフは一枚つまんで口へ入れる。美味いと呟いたものの、表情は渋いままだった。
「お前は王宮育ちで女性の身内もいたんだろう? 意見を聞かせてくれ」
レックはボックスクッキーを摘まみ、頷いた。
「美味いよ。良い粉を使ってるな。子供から大人まで好きだと思う」
「そうか。なら安心だ」
「でも、エイトが焼いたヤツがマジで美味いんだよなあ」
バターの加減が絶妙。サクサクのほろほろなんだ。
レックは以前食べた味を思い出す。勝手に湧いてきた唾はクッキーと一緒に飲み込んで誤魔化した。
アレフが眉を上げる。
「そんなに美味いのか」
「できることならそっちを勧めてえよ」
「ならばレシピを聞いて帰るのもアリだな」
「アレフ、料理するのか」
「一人で暮らした年月が長かったから、生活に関わる一通りのことはできる」
首を縦に振る戦士を、レックは改めて観察する。
色の濃い金の髪を後ろへ撫で付け、引き締まった顔立ちを露わにしている。日に焼けた肌に凛々しい目許。上背があり体つきも逞しい。
「モテただろ」
「藪から棒に何だ」
アレフは心底訝しげな顔をした。
「成人するまでまともに人と関わらない生活をしてきたんだぞ。モテるわけがない。妻にも街行く女性にも揶揄われるばかりだった」
「あ、そう」
「黙って一人で動き回る癖が抜けなくてな。今でも何も言わず行動するのがあまりに続くと、妻に言われるんだ。もっと周りの人と話をしてほしい、たまには一緒に連れていってほしい、と」
「おおう。ご馳走様」
「何だ。もう食べないのか」
「いやいや、そうじゃなくて」
話しつつ、アレフはナインの小包を開ける。中から出てきたものを見て、レックの関心はそちらへ引き寄せられた。
それは草の束。否、薬草の束だった。普通の種だけでなく、より回復効果のある上薬草、特薬草もあるようだ。
「薬草をもらったのか?」
「ここへ来てから空いた時間に魔法の鍛錬をしていてな」
アレフは薬草を種類ごとに分けて卓上へ置く。少量ながら世界樹の葉も混じっていた。
「回復呪文が苦手なんだ。攻撃呪文については、ここに来てから見よう見まねでいくつか新しいものを覚えられた。しかし、回復呪文は一向に習得できない。蘇生もだ。だから目当ての呪文に近い効果を持つ回復アイテムを使い、治癒の感覚を掴もうと考えた」
今の習得目標の呪文は、特薬草を摂取した時と概ね同等の回復量を得られるらしい。
アレフはそう言って箱詰めにされた物を指で突く。
「聞くところによると、アレンの世代には俺の血を引く若者が他に二人いて、どちらも回復と蘇生の術に秀でているとか。それが先天的なものなのか後天的なものなのか俺には知りようもないが、彼らの時代に治癒の奇跡が絶えることのないよう、改めてやれることをやってみるかと決めたわけだ」
「真面目だな。誰かに任せたっていいのに」
「最も確実に作れる未来は自分だ。限界があっても、やれることはやってみたい」
毅然と告げる瞳。澄んだ輝き。
レックは目を細めた。
「アレフは竜王を討つまでずっと一人旅だったんだよな」
「ああ」
「凄いよ。俺が一人だったら途中で諦めちゃうかも」
「そうか? お前ならきっとできるように思うが」
真っ直ぐ返すアレフへ、首を横に振ってみせる。
「どうだかなあ。俺が最後まで旅を続けられたのは、一緒に歩いてくれる仲間がいてくれたおかげな気がするよ」
自由を夢見ることのできる世界を目指し、共に戦ってくれた面々を思い出す。彼らがいなければ、デスタムーアに制圧された世界を行く途中で挫折していただろう。魔物の手によってか、もしくは夢幻の狭間で心身を喪失してか。どちらにせよ、肉体と精神の分離した不安定な命が長らえるのは難しい。夢の自分は正体を失くして消え、現実の世界にいた肉体も虚ろに死ぬ。その想像は容易にできる。
「だが旅立ちは一人だったのだろう?」
「うん。城を出ると決めたのは俺の判断だった」
「お前の仲間達も、自身の判断でお前と旅路を共にした。お前が頼んだわけでも強要したわけでもない」
「ああ」
「ならば、お前も一人旅をしたんだ」
「うん?」
「そのように誰かの助けが無ければと卑下するほど、お前は打たれ弱くはあるまい。そう言いたかったんだ。己の不足から目を逸さぬところ、それを補ってくれる他人の力を素直に認められるところは美徳だがな」
「……ありがとな」
レックはクッキーを摘まみ、口へ運んだ。彼の眼差しを何もせず受け止めるのが照れ臭かった。
二人の間を静かな時が流れ行く。レックがクッキーの大半を平らげてもアレフは気にならないようで、向かいの席で薬草を弄り続けていた。瓶に草の束を詰め、蓋をする。ガラスの肌へ両手を添え魔力を込めれば、葉の緑が明るくなり蒼き光へと姿を転じる。それを他の薬草でも繰り返す。アレフの前に淡い緑の光を湛える瓶が並んでいく。
ふと、アレフが手を止めた。
「ああ。俺もお前と変わらないということか」
「何が?」
「俺は独りだった。だが、それは一人じゃなかった。その支えを初めて与えてくれたのがロトの伝説。そして今は」
今は。レックは先を待つものの、アレフは話そうとしなかった。瓶につけるラベルを書くのに集中しているらしく、ペン先が紙を削る細やかな音ばかりが耳に届く。
まあいいか。レックがクッキーへ関心を戻した頃、ラベルを書き終えた彼が喋りかけてきた。
「時にレック。お前は何かになりたいと願ったことはあるか」
吸った息を吐き出すのに、いつもより時間がかかった。
「俺は……何になりたかったんだろうな」
村の青年。
妹のいる兄。
隣人に頼られる働き者。
幻術に囚われて見たあれは、誰の夢だったのだろう。
答えに迷い、レックはアレフを窺う。彼はガラス瓶にラベルを張ろうとしていた。蓋が取れないようしっかりと固定し、横たえた透明な腹へ糊の付いた紙を優しく丁寧に添える。
アレフはこちらを見ないまま語り出した。
「俺はかつて、旅に出てロトの勇者になろうとした」
両親は生きる術を教えてくれたものの、自分達が何者であるかを語らぬまま逝ってしまった。数年後に夢枕へ立った者が、己をロトの子孫として扱った。信じられぬままに旅立ったが、どこかで信じたいと思っていたのかもしれない。旅をして見た光を失いつつある国で名乗ったのは、ロトの子孫の肩書きだった。
「魔に脅かされる者達を見ていられなかった。他に自分を言い表せるものがない。だから、真偽がどうであれロトの役目をこなしてみようと思ったのだ」
だが仮に本物の勇者の子孫であったとしても、あの頃のアレフ自身がロトでも勇者でもないのは明らかだった。そのため、とにかくそうあろうと選択し行動をした。その末に光を取り戻し、王からロトの称号を賜った。
「しかし、ここへ来てみればどうだ。俺より戦技の豊富な者、頭の切れる者、心優しい者がたくさんいる。俺は本当にロトの勇者なのか──いや、本当にロトの勇者になれたのだろうか」
「闇に染まった竜の神を倒して、光を取り戻したんだろ」
レックは笑った。
「そんな奴が勇者じゃなかったら誰が勇者って呼ばれるんだ?」
「英雄とは呼ばれるかもしれん」
「前にアレンが言ってたじゃねえか。お前はロトの勇者に相応しいって」
「ああ。アイツがそう呼んでくれた」
アレフは束の間微笑んだ。
「アイツはよくできた男だ。戦技、胆力、どちらにおいても秀でているが、何よりも心根が強く優しい」
また真摯な顔に戻って言う。
「誰かになろうとする、その過程にこそ俺がいる意義がある。足場の悪い泥沼のような、楽には終われないこれと向き合う者は、俺一人ではない。俺にとっては、これを実感できたことこそが、ここに来て得た何よりも大きな報酬だ」
レック。
アレフは瓶を卓上へ置いた。両手を膝へ置き、正面からこちらへ向き直る。
「どうか最後までよろしく頼む」
「アレフは本当に真面目だな」
レックは笑みを浮かべた。
こうも真剣に言われると、照れを引っ込めて向き合ってやりたくなる。
「言われるまでもねえよ。こっちこそ、よろしくな」
利き手を差し出した。アレフは反射的に手を取ろうとしたが、あ、と声を上げて引っ込めた。
「すまないが一度手を拭いてくれないか。今後俺がベホイムを習得して唱える時に、辺りへ小麦と砂糖を撒くのが発動条件になってしまうかもしれん」
「お前この流れでそれ──うーん、でも大事か」
レックは一度席を立ち流しで手を洗い、布巾で念入りに拭いてからテーブルへ戻る。今度は自ら伸ばしてきたアレフの手を握るふりをして、一度その手を掻い潜り素早くV字を描いた。
「何だそれは」
「必殺V字フェイント握手」
「最初から握手する気はなかったのか」
「もう、そんなわけねーだろ! 俺の人間性を信じろっての!」
しょげたアレフの手を握り、勢いで椅子から引っ張り上げてハグをする。悪かったよと詫びておきながら、一方でレックは、彼を揶揄うという女性達の気持ちが分かってしまった気がした。
▶▶▶
翌日。レック、アレン、エイト、ナインはデスタムーアと戦うため彼の籠もる洞窟のあるという雨の島へ降り立った。島には白雲に包まれたかと錯覚するような密度の濃く粒の細やかな霧雨が降り続けており、天の箱舟から降りて地図に記された場所へ辿り着くまでの短い間にレック達の全身はしっとりと水気を帯びていた。
ナインが地図を翳して大地へ向けて印を切れば、淡々しい草原の上に石窟がぽっかりと口を開ける。
「行くぞ」
「ああ」
「よろしくね」
「よろしくお願いします」
交わした会話はごく短く、洞に満ちる闇の奥へと踏み入っていく。行く先がやがてぼんやりと明るくなる。いつもの円型をした岩盤のドームの中心、そこに凶悪な山羊に似た巨大な顔が浮いている。
シュールな光景だが油断はできない。何せあれは、デスタムーアの変形の中で最も危険度の高い第三形態だ。
レックは剣の柄に手を掛ける。他の三人もそれぞれ得物を取りやすい姿勢を整える。
こちらの気配を察した大きな黄色の眼球が、ぎょろりと動いて彼らを映す。
「黙って遊ばせていればいい気になりおって。そろそろわしの方からお前達を潰しに行こうかと思っておったところじゃ」
(偽者だな)
レックはそう判断する。既に他の大魔王をほぼ打ち破った現状を言っているようにも聞こえるが、以前己の世界で初めて対峙した時、全く同じことを言っていた記憶がある。他の大魔王同様、グランゼニスの世界を超える力と想像が作り上げた似姿なのだろう。
デスタムーアの両側に、時空の歪が現れる。暗き澱みより映え出たのは禍々しい鉤爪のある両手。戦士達の眼前に、かつての大魔王の姿が完全に再現された。
「さあ来い、虫ケラども」
大魔王の威圧が場をビリビリと震わせる。
「お前達がどれほど非力で不完全なものなのかを、嫌と言うほど思い知らせてやろうぞ。このデスタムーアこそが、生きとし生ける者どもの王たる存在だということをな!」
言うが早いか左手が迫ってきた。間髪入れず地を蹴ったアレンとぶつかる。その光景に、レックは目を疑った。
アレンは己の背より大きい魔族の手と、素手で対峙している。
(嘘だろ)
武器はそのものを使っての攻撃に限らず、装備者の攻撃能力を底上げする。それは無論承知している。また、かつての力自慢の仲間はよく素手で戦っていた。己とて素手での攻撃も時折戦法として取り入れている。
それにしても、得体の知れない大魔王相手に、いきなり素手で取っ組み合いに行くとは。
後衛の二人は魔法の品を取り出した。ナインが戦いのドラムを、エイトが星形のタンバリンを叩けば全員に力が漲る。アレンはムーアの親指を左手、中指と薬指を右手でまとめて抑え込んでいる。レックもまた本体の牽制に向かう。
「大いなる夜嵐よ、命を刈れ。烈しき颶風を──」
口を動かし詠唱するのを斬りつけて邪魔する。すかさず空いた右手が人差し指を立ててレックのもとへ突撃してきた。間一髪でとんぼ返りして躱せば、魔槍の如き爪が己よりやや離れた岩盤へ深い穴を空ける。
レックは右手と本体の周囲を跳ね回る。本体の頭上を飛び越し、追いかけてきた手と斬りつけ合い、巨顔の干渉を後退して避ける。
(攻撃パターンは本物とそう変わらないか?)
右手はもっぱら物理で攻撃し、顔は目と口による搦め手を繰り出してくる。妖しい瞳と吐息攻撃、呪文攻撃。どれも本当のデスタムーアも操っていたものだ。
細かな違いは、操る呪文の種類。この偽者は先程最上位の真空呪文を唱えようとしていた。本物が唱えたのは上位の火球呪文と爆発呪文である。強者の余裕も矜持もない、なりふり構わぬ破壊の姿勢。これまで戦ってきた地図の大魔王達に共通して見られた差異と同傾向と見て良いだろう。
(ひとまず作戦通りで良さそうだな)
あらかじめ立てておいた作戦はこうだ。
最初に、アレンとナインが連携して左手を仕留める。左手から取り掛かる理由は、これが確実な蘇生をもたらす完全蘇生呪文を操るからだ。右手も蘇生呪文を用いるので早く仕留めたいが、こちらの使うのは蘇生率のやや劣るザオラルである。そのため左手の次で良いと決めていた。
しかし右手も早く倒せるに越したことはない。だから左手をアレン達が片付ける間にレックが右手を削る。またこの時後方で回復するエイトに本体が近づくことが無いよう、前衛のどちらかがいつでも誘導できるよう警戒しておく。
左手を仕留めた後はナインがレックと共に右手を仕留める。最後に皆で本体を叩く。本体は力尽きそうになるとマダンテを使用する。だから一斉攻撃を仕掛けて完封してしまうつもりだった。
「ドルマドン」
ナインの詠唱がアレンに抑えられた左手を襲う。暗黒に包まれた右手が目に見えて揺らぐ。
アレンが弛んだ指をぐいと押しこくり、離す。気迫の籠もった掛け声と共に、青い修練着より魔力に似た燐光が立ち昇る。闘気である。
「行くぞ」
青き衣が霞む。
神速の拳が連撃を放つ。瞬き一度の間に八回。最後に回し蹴りが五指を捉えた時、左手は地へ叩きつけられだらりと弛緩した。
アレンは己の胴より太い手首を掴み、跳躍する。迫り来る青き突風をデスタムーアが目にした、その瞬間にアレンはムーアの左手をぶん回して投げ、横っ面を張った。
肉に肉を叩きつける鞭の如き炸裂音が空間を裂く。間近でビンタを目撃したレックは、叩きつけられた左手が軟体動物のようなしなり方をしたことに気付き、戦慄する。
(骨がイカれちまってる)
その掌と指は、あり得ない柔らかさでしなっていた。即ち、先程のアレンの連撃で、刹那にして全ての骨が砕かれていたのだ。
自らの顔を張り倒した左手はそのまま投げ出され、霧散した。レックと対峙していた右手が彼へ殴りかかる。アレンは咄嗟にその下へ滑り込み、無防備な手首を掴んだタイミングで足を振り上げる。ぐるりと身体を縦軸に回転させ、突撃した右手の甲へと乗り上げた。
デスタムーアの巨顔がアレンの方へ向き、大きく息を吸い込む。吐息攻撃が来る。そう読んだレックは片腕を掲げて叫んだ。
「そっちでいいのか?」
ムーアの目がこちらを映す。機を逃さず、掲げた右手で殴りかかる動作と共に閃光を放った。
何の干渉もない、ただの目くらましだ。それでも光の強度はギガデインに匹敵する。
あまりの眩さに顔が硬直する。できた隙は、残る三人の仲間が活かしてくれた。
エイトが最上位の火炎呪を、ナインがドルマの最も重い一撃を放つ。二つの呪文が右手を焼き、蝕み、ぐらついたところへ破壊の拳が襲いかかる。
右手は紫の残影を残し消え失せた。残るは本体、顔のみである。
デスタムーアはどす黒い血管を浮き上がらせ、咆哮した。ナインが印を切る。
「闇の加護を」
ダークフォースが四人を包む。レックは先に踏み出した。
「一気に攻めるぞ!」
レックは舞いの要領で何度も斬りかかる。アレンは拳の雨を降らす。ナインは山彦の術をエイトへ施し、エイトは天雷を幾度も落とす。ムーアは雄叫びをあげ、輝く息を吐くが、前衛達は崩れない。それはエイトかナインのどちらかがすかさず回復してしまうからだった。
みるみるうちに巨大な顔が崩れていく。反対に、尋常でない気配が周辺を満たしていくのをレックは肌で感じていた。
──発動するのか。
レックは斬りつけながら、いつでも下がれるよう心構えをする。もしかしたら石化して攻撃を弾く必要もあるかもしれない。念の為、頭に守護のイメージを固めておく。
だが、硬化呪文を唱えるまでもなかった。
「あとは僕が」
背後を窺えば、精霊言語の施されたガラス瓶を携えたナインがいた。いつもより高い位置にいるのを訝しく思い、足元を見れば緩く浮いている。ゆっくりと宙へ舞い上がる彼に頷き、アレンと目配せをする。
(詠唱が聞こえたら下がる)
それまでデスタムーアをその場に押し留め、魔力の昂りを邪魔するつもりだった。
ナインは周囲へ魔法の聖水を振り撒く。きらきらと輝く雫が辺りへ漂い、神秘の霧を纏うようになる。黒真珠のオーブを嵌めた両手杖を水平に掲げ、大ぶりな瞳に毒々しい巨顔を映してから瞼を下ろす。
「万象に眠る我らが父よ。貴方の子にどうか奇跡を」
聖なる霧が少年の身体へ吸い込まれていく。引き換えに彼の周囲が暗くなり、胸部よりぼんやりと光る球体が現れた。
それは小さく、果実に似た形をしていた。中心は神々しい黄金に輝いているが、放つ光彩の裾は昏く、翳りゆく黄昏の不気味を宿している。
ナインは掌を差し伸べ、そっと光球を送り出した。夢幻の果実は頼りなく宙を漂い、デスタムーアのもとへ落ちていく。ムーアもまた、己の元へ降りてくる果実を凝視している。
果実の纏う不穏の気が、じりじりと焦げつく音を立てた。ムーアの眉間の皺が深くなる。果実が止まりがちになり、小刻みに震え出す。まるで、目に見えぬ力と押し合っているかのような。
レックとアレンは後退する。大魔王と天使が見つめ合う。黒い血管の浮き上がる肌に汗が一筋伝う。少年の手にある杖で、黒宝玉が一際輝く。
果実がつと、にじり寄った。ナインは微笑む。
「マダンテ」
たったの四つの音が、極限の神秘の暴走を引き起こす。瞬く間に膨れ上がった果実が辺りを飲み込み、形あるものの輪郭を消し飛ばした。中心近くにいたデスタムーアも例外でなく、レックは大魔王が消え去っていくのを目視した。最後に見た彼の影は歪み、大口を開けているかのようだった。
彼もまた、詠唱しようとしたのだろうか。レックに確かめる術はない。魔力の暴走が収まった後、ただただ表面の不自然に滑らかになった大地を眺める。
「討伐完了です」
ナインがふわりと地へ降り立った。
「今回もご協力ありがとうございました。帰還しましょう」
「ああ。こちらこそ、適切な支援を受けて戦いやすかった。感謝する」
アレンが掌を叩いて塵を落とし、礼を言う。
二人は先立って洞を出て行った。こちらを窺っていたエイトと目が合う。彼は溜め息を吐くような調子で言った。
「今回も凄い戦いだったね」
「本当にな。帰る前に手合わせしてもらいてえよ」
「え? どっちと」
「二人とも」
「冗談でしょ」
二人は洞窟を出る。空を仰ぎ、まだ雨が降り続いていることを確認する。
振り仰いだ視界がぐにゃりと歪んだ。
「何、これ」
エイトの慌てた声。そちらを窺おうにも、首や足に力が入らず身体が言うことを聞かない。
レックは倒れ伏した。懸命に頭を持ち上げて得た視界で、先に外へ出たナインとアレンの意識を失って倒れる姿を見る。エイトもまた己の隣で地へ伏していた。
(まずい。こんな人気のない島で全滅したら──)
どうにか意識を保とうとするもなす術はなく、レックの世界は暗転した。
同刻、リッカの宿屋。
ルーラストーンでデスタムーア撃破の報せを受け取ったノインは、集めていた戦士達のもとへ走っていた。デスタムーア討伐パーティーの面々が戻り次第、次の敵攻略のための作戦会議を開くことになっていたのである。待機していた者達は、神の国にて日課の祈りを捧げていたノイン以外、メンバーの帰着を見越して会議部屋にいるはずだった。
エレベーターで秘密の階へ降り、少し奥まったところにあるその部屋を目指す。扉を開けると、背後ですぐに鍵の掛かる音がした。万が一に備えて一般の客が入らないようにと、自動で施錠する術が掛かっているのだった。
「皆さん、討伐が」
ノインは言葉を失った。
戦士達は倒れていた。皆、卓に伏したり椅子に深く寄りかかったりしているため、一見眠っているかくつろいでいるかのようにも見えないこともない。だが、ノインが声を掛けても誰一人として動かないのはおかしい。不穏な静寂が場を支配していた。
少女は駆け寄ろうとする。
瞬間、強烈な視線を感じた。
ノインは目を閉じる。内なる天使の眼が視線の主を辿り、薄皮一枚を隔てた次元を感知する。真紅に輝く双眸。光の届かぬ闇の中で、爛々とした一対がこちらを睥睨している。
ノインは悟った。
(これは、魔神の眼)
次元の狭間より、この目の主は虎視眈々と自分達を狙っていた──そう認識するも遅く、精神が魔眼に絡め取られる。
ノインは神の国へ逃れようと、特別に力を込めて転移の術式を練る。しかし詠唱は適わない。頭を抑え、その場に崩れ落ちる。
再び部屋は意思のある者を失った。秘匿された空間は街の喧騒より遠く、深い静寂に沈んでいく。
▶▶▶
サンドラは石造の城砦の中にいるらしい。らしいというのは、ここへやってきた記憶がないためである。
(思い出せ)
目を閉じ、己の額へ指先を当てて魔力を込める。
リッカの宿屋。集まる戦士達。デスタムーアを倒しに行く者達。帰りを待つ者達。
全てを思い出したサンドラは目を開けた。
「ただのダンジョンじゃない」
敵の掌中か、もしくはそれに近い位置にいると見て間違いないだろう。
改めて周囲を観察する。煉瓦壁の建物、その回廊にいるようだ。もとは白かったのだろう煉瓦は黒に近い灰色に染まり、辺りに満ちる重々しく陰鬱な空気を助長している。煉瓦と煉瓦の境には元々丁寧にモルタルが塗られていたようだが、僅かな隙間より棲み着いた木の根や蔦がその上を自在に這っている。
少し行った先、左手側に扉があった。金細工の施された意匠から判断するに、ここは城砦のように思える。堅牢でありながら装飾の美しさを追求する精神は、力のある主人のいる城の特徴だ。何が原因かは知らないが主を失い、廃墟になって久しいといったところか。
他に行くあてもないので、サンドラは扉を開けてみた。装飾の少ない大広間。中心より奥まったところに祭壇がある。その前に、誰かいる。
「アルス?」
呼べば、振り返った。素朴な童顔、細っこく小柄な印象の強い男。紛れもなく、ここへ来る前一緒に卓を囲んでいた戦士のうちの一人だった。
「サンドラ! 良かった。他にも人がいたんだ」
アルスは屈託なく笑って駆け寄る。
「他に誰か見なかった?」
「全く。気が付いたらこの部屋の前に立ってたの」
「僕も似たような感じ。遺跡みたいな、洞窟みたいなところを歩いていたらここに着いた」
彼はしげしげと景色を眺める。
「ここは何だろうね。どこかの建物の中みたいだけど」
「嫌な気配がある。感じる?」
「うん、あの祭壇からだと思う。何か、相当飢えてないと食べる気にならないお供えみたいなものが置いてあって──」
二人揃って祭壇を見上げた時だった。
祭壇より、赤い靄が溢れ出した。硫黄の香りが立ち込める。朧な紅は祭壇の下へ降りることなく巻き上がり、異様に背の高い人間の姿を形作る。
いや、人間ではない。サンドラは思い直す。
現れたのは、暗褐色の肌をした悪魔だった。人間に似た形をしているが、側頭部には長大な角が二本聳え立つ。筋肉の無駄なくついた身体を、装飾と呼んでも差し支えないようなパーツの少ない鎧で惜しみなく曝け出し、深紅のマントを靡かせている。
漆黒の兜の下、双眸がこちらを見下ろす。その目には瞳孔と思わしき部分などない。それでも不思議と視線を感じた。
──我は破壊と殺戮の神なり。
悪魔は口を開かない。しかし、確かにそう名乗る声が聞こえた。
──我が現れた。それ即ち、全てが無に帰すことと同義。
アルスとサンドラは顔を見合わせた。
「これって、レックの言ってた悪夢みたいな奴かな」
「みたいね」
「呼んでないのに勝手に来るなんてアリ?」
「普通は無し。でも、供え物はあったんでしょ?」
「ええ? こんな所で誰が呼ぶんだよぉ」
ダークドレアムは彼らへ向けて得物を構えた。剣呑な輝きを放つ、巨大なブーメランに似た諸刃である。
二人は装備を確認し、身構える。幸いにして武具防具は顕在だった。
「僕ら二人でどうにかなるかな」
「分からない」
アルスが低く問い、サンドラが首を振る。
「でも私達が時間差を付けながらここへ来たということは、他の誰かももう少ししたら駆けつけるかもしれない」
「せめて四人揃うまで待ってほしかったなあ」
アルスのぼやきは、魔神の放つ凶刃が空を切る音に掻き消された。
ナインは箱舟に乗っている。彼がいるのは滅多に乗ることのない乗客用の車両だった。運転手もアルバイトもおらず、がらんとしている。車両の中は夕暮れの仄かな明るさに満ちており、外からは微かに風の音がする。
「デスタムーアを倒したばかりだというのに、まさかこんなことになるとは」
ここへ来る前のことははっきりと覚えていた。洞窟を出たところで魔神の眼に囚われた。そしてここに来た。ここはダークドレアムの領域か、次元の狭間と見ていいだろう。
窓を見る。本来なら連続して世界を映し出すはずの透明な板には、一枚一枚別の景色が映り込んでいる。華やかな城へ帰還し、再会したかつての仲間達と語らう青年の景色。荒野にて外法に支配された怪物と戦う女の景色。勇者の名など存在しない常春の国で家族と暮らす、ごく平凡な少年の景色。
「これがデスコッド……いや。もしくはその亜種か、原風景か」
ナインは道具袋より取り出したエルフの飲み薬を撒く。極限呪文によって消耗していた己の魔力が回復していくのが分かる。やはりただの夢まぼろしではない。実体を伴って連れて来られたと考えた方が良さそうだ。
デスコッド村のことはレックの旅路から知っていた。人の見たい景色を映す場所。その名前すら本当ではないのかもしれない。訪れたレックの──厳密には彼の分かたれた肉体の──見た夢が投影されていたからその名になったという可能性はある。
ナインは車両を歩き、窓を観察する。全部で十二枚あって、それぞれに己の集めた戦士達の姿が投影されていた。自分の窓には箱舟を模した空間を歩く自分自身がそのまま映っている。ほとんどの戦士達は夢の中におり、差し迫った危険に晒されている様子はなかった。
気にかかるのはサンドラとアルスだ。ナインは二人の窓を交互に見る。どちらも同じ空間を示している。滅びた城。邪悪な祭壇の部屋にて、二人は異様な存在と戦っている。これは夢ではない。
「どうにかしてここから出なければ」
何故か先頭の操舵室には行けなかった。扉を引いてもびくともしない。持っている鍵も通用しないところを見るに、そもそも扉としての機能が無いのかもしれなかった。
代わりに、最後尾の車両の扉は開いた。中を見れば、ウミウシに似た巨体を持つ魔神がいる。
破壊の魔神フォロボシータ。本物の魔神はとっくに討ったはずであるから、恐らくナインの記憶を借りた別の存在だろう。
「こんにちは」
「あらこんにちは」
フォロボシータの姿をした何者かはにこやかに応じた。
「ここから出る方法を教えてもらえませんか」
「もうどうなってもいい?」
他の子達も。
そう問われて頷けるわけがない。
「彼らは自力で出られるのでしょうか」
「さあね。出たいなら出るでしょ。出たくないなら出ないわ」
ここは嘘を吐かない。私も、あなた達も。
フォロボシータの長い舌がちろちろと揺れる。
「合体しちゃう? 雫を垂らす? せめて回す? どうする? ねえ、どうする?」
「どれも軽率には選べません」
「いくぢなし」
「意気地がなくて結構」
ナインはフォロボシータとの会話をやめ、十二人の窓のもとへ戻る。幸いにして、彼らの様子に変化はない。サンドラとアルスも主に硬化呪文を操ってどうにか凌いでいるようだ。
「どうにかして皆さんをここから解き放たないと。いったいどうすれば」
道具袋を探る。何か、脱出の糸口になるものはないだろうか。しかし、めぼしいものは見つからなかった。
ナインは道具袋をしまい、再び窓に向き直った。
「ノイン。エイトさん。アルスさん」
それぞれの窓に呼びかける。
「誰か。誰かに僕の声を届けることさえできれば……」
レックは唖然としていた。懐かしい村の景色と入り口のスライム。最初はデスコッド村に辿り着いてしまったと思ったのだ。しかしレックが村を歩こうとした途端、家々が震え出した。何事かともう一歩踏み出したら、家が飛んだ。一個、二個、三個と跳躍し、ターニアの家へ積み上がる。皆で重なりぶるぶると震える家達が、一斉に飛び上がって合体する。それはまるきりスライムの群れによるキングスライム合体だった。異なるのは、家の外装が山間の村のオレンジ屋根と白壁から少々変化していること、見たことのない意匠の家も混ざっていることだった。
デスコッドの家々が合体してからしばらくの間、レックはその場で動かず警戒していた。だが一向に変化が起きないので、痺れを切らして家に入ってみた。出迎えたのは見知った顔だった。
「あれ、レックじゃん。よっ!」
ソフィアだ。白壁に良く馴染んだ木目の床、絨毯にはソファ。ふかふかとした座椅子に座っている。向かいにはソロもいた。
「何してたんだよ。てっきり帰ったのかと思ったぜ」
「へ?」
「俺のギガソードを喰らっただろ? あれで吹っ飛んでなかなか帰って来ねえから、そのままお前の世界に帰ったんじゃねえかって話してたんだよ」
「あたしはそんなわけないって言ってたんだけどね。どうせレックのことだから、他に気を引かれる何かを見つけたか、忘れた頃にあたし達を驚かすつもりなんじゃないかって思ってた」
ソフィアはソロに掌を見せる。
「あたしの勝ち。ほれ」
「しょーがねえなあ」
ソロがポケットからコインを取り出し握らせる。ソフィアはきゃっきゃと喜んでいる。
レックはまた呆気に取られてしまった。
(おいおい。俺ってば、今度はどんな景色を作ってるんだよ)
とにかくこの先のことを考えるためにもその場を離れる。アイツ変じゃねと訝しむソロの声と、今日エイトのおやつ有りだってと呼び掛けるソフィアの声に背中を押され、手近な階段から二階へと上がる。
上の階は十時型の廊下になっていて、それぞれの角に部屋が一つずつあった。階段正面に重い金属の扉があり、その前でアベルが壁掛けの皮袋に手を突っこんでいる。彼はレックがやって来たのを見ると破顔した。
「やあレック。久しぶりだね」
「あのさ、これはどういうことかな」
「見て分かるだろう? この宿の鍵を仕込んでいるだけさ」
アベルは答えた。
「そんなことより君はどこへ行くんだい」
「俺? あー、そうだな」
行き先など知るわけがない。
レックは迷う。咄嗟に頭に浮かんだのは、これまで妙な場所へ迷い込む度にあてにしていたものだった。
「井戸。井戸に行こうと思って」
「二階の井戸? そんなもの、天使達が作っていたかな」
アベルは怪訝そうな表情を浮かべた。
「まあ彼らは実験が好きだからね。僕の知らないうちに作っていたかもしれない。僕は、外に一つあるあれで十分だと思うけど」
「おう、外な。ありがとう」
思わぬ手がかりをもらえた。
レックは引き返す。宿の外へ出て、奇怪な建物の周りを探る。はたして井戸はあった。東側に物干しのような場所があり、その北にひっそりと佇んでいた。
(とりあえず入ってみるか)
コイツを使って行き来に困ったことはない。何とかなるだろう。
レックは井戸端に足を掛けた。
「物語は隠れる者、滅び去る者に宿る。勝者の語りは歴史であり、これに適合しない」
背後から急に声がして、振り向く。
そこにはサンドラがいた。彼女の眼はレックを見据えているようで遠く、どこか虚ろである。
レックは以前デスコッドで刹那会った女を思い出す。ターニアの家で彼女の居場所に座り、デスコッドの真実を教えた者だ。目の前の姿には、どこかそれと似た超然とした気配が漂っていた。
女は話し続ける。
「誰もがあなたに夢を見る。夢と言えば聞こえのいい欲を。救われたいというエゴを。あなたの内側に関係なく。そうされてやる必要はあるの? 遅かれ早かれいつか人は死ぬ。国も滅びる。滅びなかったとしても時と人に揉まれ、擦り減り、緩やかにあなたの国は死んでいく。あなたが守ってやる義理なんてあるの?」
「なあ」
レックは言う。
「俺はこの先に行くんだ」
「もうどうなってもいい?」
「ああ、それでもいいよ。どうとでもするさ」
女はそれ以上話さなかった。
レックは今度こそ井戸へ飛び込んだ。
アレフは新たな大地を耕している。ラダトームより発ち、長い船旅をし、ようやく辿り着いた新天地だ。この地に暮らす人々と交流をするのも慣れてきた。元々森で暮らし、農作と狩りで自分の暮らしを賄っていた彼に、開拓の地は馴染みやすかった。
「あなた。そろそろ終わりにしましょう」
家から出てきたローラが声を掛ける。栗色の髪を緩やかに一つに編み、ゆったりとしたスカートに身を包む姿は、華美なドレスや宝石に飾られるかつての姿と同等に可憐だ。慣れない生活にも果敢に取り組む姿は愛おしく、励まされた。
外にテーブルと椅子を並べ、食事をする。採れたばかりの野菜や燻製肉を口にし、小さな石壁の囲いで守られた家々を眺める。
「人が増えましたね」
「ああ。やがては大きな集団になっていくかもしれないな」
この辺りには、まだ手強い魔物が残っている。襲撃に耐えやすいよう大きな城砦を立て、その中で皆が共同生活をしたらいい。
そうアレフが発案し、妻が広めた。アレフの腕を頼ってやって来た近隣の者達も賛同してくれた。
アレフは微笑する。
「もし城砦が完成したら友を呼ぼう」
「まあ、お友達ができたのね。嬉しいですわ」
ローラにも教えてくださる?
妻がせがむのに、首を縦に振って応じる。
「あなたもよく知る者達です。何せ彼らは俺の──」
俺の。
アレフは硬直した。溢れてきた記憶が、彼の今いる場所の正体を伝えていた。
「アレフ様」
風が強く吹き、妻が被った布巾を手で押さえる。ふっくらとした唇が笑みを形取る。
「思い出したかしら」
「……あなたは」
「あなたの今見る私が本物か偽者か。好きに捉えてくださって構いませんわ。あなたがローラのところへ帰ってきてくださるなら、私、どうなってもいいの」
ローラは指を伸ばし、アレフの胸元へ触れた。そこにはペンダントが掛かっている。まだ一人で旅をしていた頃、目の前の女にもらったものだ。人はこれを王女の愛と呼んだ。
「行ってください、アレフ様。あなたの助けを求める者の所へ」
ペンダントが輝き始める。思わず伸ばされた指先を握り締めれば、ローラはくすぐったそうに笑った。
「私には精霊ルビスの加護とあなたへの愛がある。だから大丈夫」
信じて。
囁く声に、頷く。
「必ず帰ります」
ペンダントより閃光が迸る。アレフは瞼を下ろし、耳を澄ませる。
「問題は、何故デスタムーアを倒したちょうどその時に付け込まれたかだな」
アレンは頬杖を突いた。肘を乗せた椅子のクッションは幻のくせに自分の城の応接間にあるものの感触にそっくりで、やはり己の記憶に依存した幻なのだと実感する。
彼はローレシア城に似た景色にいた。建物の風合いから調度の使い込み具合、城の者達の言動までそっくり同じであるから、まずこれが幻影だと気付くことはないはずだ。誰が仕込んだのかは知らないが相手が悪かったなとアレンは思う。
アレンにこの手の幻術は実質無効である。理由は二つ。一つは既に掛かった経験があるから。もう一つは己の精神につられて来てしまう者がいるから。
「そうだね。如何せんタイミングが良すぎる」
前方斜め四十五度右の椅子に座る青年が同意する。甘い顔立ち、すらりとした体躯。外見は決して悪くない男だが、色の濃い金髪がてんでんばらばらに突っ立っているため色男とは言い難い。
「本当に破壊を目的とする者がいるなら、もっと前、メンバーの数が少ない頃の方が良かったよねえ。悪手じゃない?」
「どうかしら。あえて待っていた可能性もある」
さらに彼と逆の方向、アレンの前方斜め四十五度左の椅子に座る乙女が答える。紫の柔らかな髪、意思の強そうなぱっちりとした赤の瞳。純白の法衣の袖をゆるく振り、彼女は言う。
「より多くの世界を、修復不可能なまでに破壊したかったのかもしれない。あなたの今いる世界には、時代が違うだけで同じ世界の人間もいるんでしょ? いざという時、光の修復力は時を超えるわ。万全を期すならそこまで見越しておくべきよ」
「やはり、俺達を集団として狙った可能性は高そうだな」
デスタムーア討伐直後だったのは、次の討伐が始まる前までの、最も気の抜ける時期だったから。
アレンはそう己の考えを語る。
「俺達は基本的に、四人一組のパーティーで大魔王を討ちに行っていた。それを待っていては、酒場で待つ者達まで仕留めることができない……そういうことか?」
「パーティーの意識が薄れ、関心がチームの方へ向かうのを待ってたってことかな? 酒場の契約を逆手に取られたね」
青年は感心したように腕を組む。
「さすが悪魔と呼ばれるだけのことはある。契約のこと、僕ら人間よりずっと分かってるって感じ」
「正面から攻めに来ればいいものを」
「いいわけないでしょ。民に犠牲が出る」
乙女が柳眉を吊り上げる。アレンもまた眉に力を込めた。
「そうじゃない。俺達に真っ向から戦いを挑めということだ」
「戦闘狂いの誰かさんじゃあるまいし、魔神がそんなことするわけないよ」
朗らかに言う青年をアレンが睨む。
乙女は白魚の指を己の頬へ添え、思案する。
「どうしてあなた達の契約に魔神が噛むことができたのか。誰か、その魔神と面識のある人間はいるの?」
「一人いる。昔戦いを挑んで倒したことがあるという話だった」
「ひえーっ。そんな人、君以外にいるんだねえ!」
「ならその縁を辿って、ということかしら。けれどしきたりに則って召喚し、その人が戦って勝ったなら、魔神側が仇をなすのは変だわ」
乙女は独り言のように呟き続ける。
「契約の逆転。否、契約の反故? しかし何故、その戦いが終わってからかなり経っているだろう今になって?」
「細かいことは後だ」
アレンは椅子より立ち上がった。
「俺は行く。ダークドレアムを倒す」
「ええ、ちょっと。世界がどうなってもいいの?」
青年が唇を尖らせる。アレンはかぶりを振った。
「今の条件から考えるに、奴の契約に縛られているのは俺達のチームだけだ。他の者とも力を合わせれば問題ない」
それに、とアレンは二人と目を合わせる。
「お前達に現状を伝えることもできた。もしもの時は任せられる」
「そんな他人事みたいに言うなよ」
青年は眉を下げ、笑った。
「もしも、なんて時が来たら、君を引きずり出して一緒に背負わせてあげる」
「異界にいようと草葉の陰にいようと関係ないわ」
乙女は挑発するような笑みを浮かべる。
「私達は三人でロト。酸いも甘いも、全部一緒よ」
「面倒だな。精々一度の戦いで倒せるよう、気張るとするか」
アレンは口の端を吊り上げ、利き腕を回した。
「行ってくる」
「ご先祖様達によろしく!」
「魔神の情報、ちゃんと集めてきてよね」
戦友達に見送られ、アレンは精霊の御印を手に目を閉じた。
▶
井戸に飛び込んだ先で見たのは、荒廃したグレイス城によく似た光景だった。
儀式の間へ飛び込む。石化したサンドラとアルスに、ダークドレアムが鎌鼬を放っている。
「悪い! 待たせた」
レックは石化の解けた二人の頭上を飛び越え、ラミアスの剣でドレアムの放つ刃を弾き返した。
床へ降り立ち、牽制しながら背後を窺う。アルスは泣き笑いのような顔をしていた。
「良かった。誰も来ないかと思ったよ」
「状況は分かる?」
サンドラが問う。レックは首を振る。
「細かいことはさっぱりだ。コイツを倒すのが最優先」
「あなたと私で前に出ましょう。アルス、援護をお願い」
レックが頷けば、サンドラはただちに剣を抜き放った。
同時にダークドレアムへ疾駆する。ドレアムが刃の中心を両手で持ち、二枚の刃に分かつ。両腕を垂直に重ね屈み、刹那姿が掻き消える。サンドラの上へ影が落ち、十字の極光が斬り裂く。
大いなる極刑。ひやりとしたレックの見つめる先、光の失せた焼け跡に大盾が姿を見せる。
燦然と輝き立つブルーメタル。ドレアムが指先より輝く吹雪を放つ。盾が倒れた。その向こうには誰もいない。魔神の白目が僅かに見開いた時、巨躯が揺れた。
ドレアムが身を翻す。背後に、剣を振り抜いた勇者の姿。魔神を見据え床に片手を突き腰を落とす、その姿勢から再び疾風の如く斬りかかる。
三つの刃がぶつかり弾ける。そこへレックも加わり、四本になる。刺突を躱し、サンドラと立ち位置を変え、敵の召喚した天雷に貫かれながら同じものを返す。後方よりアルスの唱える呪文耐性呪や物理耐性呪が苛烈な干渉を和らげる。それでも次々と浴びせられる強烈な斬撃と呪文、多様な戦技に、レックは内心舌打ちをする。
(さすがの手数だ)
以前レック達一行が挑んだ時、あれはこちらが一回行動する間に三回動いた。今はどうにか、手数だけは追いつけている。しかし手応えはいまいち良くない。これからドレアムがさらに進化した力を発揮するようなことがあれば押し負ける可能性もある。
レックは振り下ろされた刃を足蹴に頭上へ飛び上がる。煉獄の呼気を練り上げ炎として吐き出せば、ドレアムが吹雪で応じる。サンドラが盾を回収しに走る。前衛が離れた隙にアルスが火の玉を投げ込む。ドレアムの胸元へ小さな火が点く、それを確かめて叫ぶ。
「爆ぜろッ」
凝縮されていた劫火が解き放たれる。恒星を砕いたが如き超高温の白炎が広がり、あっという間に場を焼き尽くす。離れていたレック達前衛の前髪まで煽られる。火球を放った手を伸ばしたまま、アルスは劫火の海を見つめる。つと、瞳が丸くなる。
炎の海を二度巻き起こった風が凪ぐ。ダークドレアムが飛び出してきた。目指す先にはアルスの姿がある。
禍々しい刃が少年の残像を捕らえる。後方へ跳躍する緑のシルエット、しかし一度の追撃で止まる魔神ではなく、二三度と斬りかかる。アルスは手にした剣で攻撃を弾く。ただの防衛の一撃ではないようで、弾く度にドレアムの刃を持つ腕が方々へ跳ね返される。
サンドラがドレアムへ向けてギガデインを唱える。雷に撃たれた魔神の腕を、アルスの剣がまともに捉える。褐色の手にある刃が一つ、地へ落された──かと思いきや、ドレアムは手首を効かせて股下より刃を投げ放った。
刃は縦に回転して持ち主の頭上で弧を描き、下界を目指す。放物線の先には今も打ち合いを続ける緑の頭巾がある。
(まずい!)
ラミアスを投げる。投擲は的確にドレアムの片刃を弾き落とす。しかし魔神が空いた片手を伸ばすと、離れた地へ刺さっていた件の刃は一目散に飛び主人の手へと戻る。
「代わって!」
サンドラの叫びに応え、アルスが斜め後方へ大跳躍を見せる。追おうとしたドレアムの目先に紫のマントが飛び込む。諸刃の一本が盾にぶつかり、もう一本がサンドラの肩口を浅く捉える。しかし勇者は怯まず、大盾を構え魔神へと体当たりする。
押し合う前線の後ろを駆け、レックは愛剣を取り戻す。それからサンドラの背中へ目掛けて走り跳躍、二つの頭の上を通り越して漆黒の兜へと剣を振り下ろす。
確かな手応え。頭部を強かに打ち、隆々とした背中をざっくりと切り裂く。
(入った!)
ドレアムが仰け反る。しかし敵から目を逸らさずにいたレックは、逆さにこちらを向く顔が大口を開け胸を膨らませるのに気付いた。
おぞましい雄叫びが来る。
避けきれないと察し、防御の構えを取る。
絶叫の迸ると思われた口へ、青い拳が吸い込まれていった。
「これでも喰らっとけッ!」
飛び上がったアレンが拳を落とす。鉄拳はドレアムの口へ嵌まるに飽き足らず、後頭部を大地へめり込ませた。
レックは唖然とする。色の薄い碧眼がこちらを見、にやりと笑った。
「来たぞ。こいつがお前の言っていた魔神だな?」
なかなか戦い甲斐がありそうじゃないか。
アレンは楽しげに言い、拳を引き抜く。手の甲へ張り付いていた歯片をもう一方の手で払う。その間も足は魔神の喉仏を踏みつけている。
「アレン、危ないぞ」
「大丈夫だ」
俺の上を見ろ、と顎でしゃくる。レックは天を仰いだ。
等しい距離で浮く三点の青き光がある。光はレック達へ降り注ぎ、ダークドレアムを中心とする形で三角柱の結界を作り上げていた。
レックは一際煌めく三つの点を注視する。点は全て同じ形でできていた。拳大の円形。中央には鳥を模したものと思われる紋章が描かれている。
「精霊ルビスの結界だ。ご本人の力を借りたわけではない即席の封印だが、多少は保つ」
そう語りかけてきたのはアレフだった。座り込んだレックに手を差し伸べ、引き起こす。
「お前達が先に戦っていてくれて助かった。おかげで俺達は様子を見て、隙を突いて結界を張ることができた」
「けれど、これで動きを止める程度にしかならないなんて。破壊と殺戮の神を名乗るのも納得ね」
顔を顰めたサンドラがやって来て言う。彼女の肩口に開いていた傷は消えていた。
五人はダークドレアムを囲む形で立つ。アレフが語り始める。
「どうやら、ここは天使達に呼ばれた世界とは別物のようだ」
「よく分からない幻に巻き込まれました。何が起きているんでしょう」
アレンが言う。アルスが考え考えの様子で口を開く。
「何となく、神様みたいなものが隠れ住む領域に似てる気がするんだよね。僕の知っている景色に似た形で世界を顕現する辺りがそれっぽいような」
「魔神とて神。その棲息する領域が似た構造をしていたとしてもおかしくない」
サンドラが足元のドレアムを一瞥する。
「気になるのは他のメンバーね。いったいどこへ行ったのか」
「それなら俺に心当たりがある」
レックは挙手した。
「多分、皆まだデスコッド──自分の見たい景色を見せてくるダンジョンに囚われているんじゃないかな」
己のいた世界での経験を話す。
聞き終えたアレフが眉根を寄せる。
「自分がもういいと言うまで正体を現さない、幻影の村か。まだここにいない面々がここへ来る直前の記憶を失くしたままだとしたら、自力での脱出は厳しいかもしれない」
「助けに行く?」
アルスが問えば、アレンが肩をすくめる。
「そうしたいところだが、どうやってアイツらの囚われているところへ行けばいいのかが分からない。俺達全員が共通して見た景色はここだけだろ? 見る者に合わせて景色を変えるダンジョンなら、仮に同じ場所にいられたとしてもお互いを知覚できないんじゃ──」
「待った」
レックは制止した。アルスが首を傾げる。
「どうかした?」
「何か聞こえないか」
五人は耳を澄ませる。依然として人の気配は皆無、動物や魔物の影も見えない。足元のドレアムは幸いまだ動けないらしく、微動だにしていなかった。
しばらく耳をそばだてていたアレフが疑わしげに言う。
「何も聞こえないが」
「聞こえるような気もしなくもない」
「よく分からないよ」
「私は聞こえた」
隣に佇むサンドラがレックを指差す。
「あなた自身のいる辺りから、あなたじゃない声がする」
「えっ、マジ?」
レックは身の回りを探す。生物の姿も不審な様子もない。
おもむろに己の服を叩いてみた。何か布と違う音がした気がする。道具袋の口を開けると、正体の分からなかった音が急に明確な声の輪郭を成した。
『レックさん、ここです!』
「えっ。まさか」
袋を探り、音の源を引っ張り出す。それは淡いコバルトブルーに煌めく水──夢見の雫を湛えた瓶だった。雫の内側に見知った少年の顔が見える。
『ああ、やっと届いた』
「ナイン! 無事なのか」
『ええ。レックさんの言うデスコッドらしきものに囚われてはいますが無事です』
少年は小瓶の中、半透明な上半身だけの姿で浮かんでいた。他の四人が寄ってくると、それぞれの名を呼び無事で良かったと語り掛ける。
アルスが首を捻る。
「ナインはちゃんと僕らが見えてるんだね」
『僕のデスコッドは箱舟の景色をしているのです』
箱舟は各地を繋ぎますから、それで皆さんのいる景色が見えるのではないかと。
ナインは冷静に言う。切に目にしたいと願うものを見る魔境にいる者とは思えない落ち着きぶりである。
『しかし、他の皆さんはまだ幻だと気付けていないようです。どうか僕に協力して彼らを助けてくださいませんか』
「どうやって?」
『今彼らの夢を渡ることができるのはレックさん、あなただけです』
ナインはガラスの表面をコツコツと叩くような仕草をする。
『レックさんはかつて日常的に夢幻の世界と実世界を行き来していた影響か、僕らの中でも突出して精神体としての強度が高い。さらにこの夢見の雫は、見えぬものに形を与えるだけでなく、夢幻の世界への通行口を開くこともできる代物です。これを使えば、この不安定な世界でも安全に移動できるはず』
「いいよ。俺にできるなら行く」
レックは頷く。
「けど、そんなことをしなくてもドレアムを倒せば皆を解放できるんじゃないか? 今回の異変の原因はコイツだろ?」
『そうとも言い切れません』
ナインは眉をひそめた。
『本来デスコッドとダークドレアムに強い結びつきはない。ドレアムの悪夢を知るレックさんがあの地へ訪れたから偶然出会ったのであって、他の人間すべてに開かれた道ではなかったのではないかと僕は考えています』
「じゃあ、俺達はレックが他の奴らを解放して戻って来るまでの間、ダークドレアムの相手をしていればいいのか」
アレンが利き手の親指で魔神を示す。その通りですとナインが答える。
『容易でないお願いをしているのは承知しております。報酬も上乗せさせていただきます。ですから、どうか』
「そんなものは要らん」
アレフが一蹴した。
「彼らには恩がある。頼まれずとも、俺は彼らを助けるためにやれることをやるつもりだ」
「俺もです」
「僕も」
「改めて作戦を立てましょう」
サンドラがナインへ問う。
「どれだけの時間を稼ぐ必要があるか、分からないのね」
『ええ。申し訳ありませんが、明言はできません』
「ならば、アストロンばかりじゃあ凌ぎ切れない。なるべく魔力と体力を温存し、持ち堪えやすい行動パターンを探る。どう?」
彼女の言葉に男達が頷く。レックは皆に言う。
「悪いな。ドレアムは簡単じゃないだろうけど、粘ってくれ。俺もなるべく早く帰れるように頑張る」
「安全第一だよ、レック」
アルスが親指を立てて破顔した。
「異界巡りは何が起こるか分からないからね」
『レックさんの旅は、微力ながら僕がお助けします。行き先の指定くらいは、クエスト受注者の権限でやりやすいはずです』
そう言ってナインが両手を掲げる。彼が気合を入れると、小瓶が淡く輝き始めた。ゆっくり掌に乗せて欲しいと言うのでそうすると、自力で宙に浮き上がる。ナインの力によって飛ぶようになったらしい。
レック、とアレフが呼んだ。片手を胸の高さへ上げ、握り締めた拳をレックの方へ突き出す。
「ここは必ず持ち堪えてみせる。だからお前も、必ず帰って来い」
「ああ。約束する」
レックも拳を握り、彼のものへぶつけた。
『行きましょう、レックさん。猶予はあまりないかもしれません』
ナインの力で夢見の小瓶が飛んでいく。レックは皆に手を振り、天使の力を追って走り出した。
▶
ノインは大樹の根元に立ち、未明の空を眺めている。頭上に星の姿はなく、ヘリオトロープの天蓋が緑豊かな城塞島を包んでいる。階下より響くは仲間達の天への祈り。朗々と響く聖者の歌が、空を清浄なる気で満たしていく。
眼下の雲海に太陽の姿は無い。それでも、先程まで色を失くしていた綿雲がうっすらと彩られつつある。暁が近いのだろう。
彼女は大樹を見上げた。その天辺は首を限界まで逸らしても視界に収めきれず、幹は己を何人も束ねてやっとその太さに届くだろうほどにずっしりとしている。雄大かつ優艶な立ち姿。星のオーラに似た微かな光を纏う樹は、地上で見たどんな樹々よりも美しかった。
「女神の木はどうしてこんなにも綺麗なのでしょうか」
ノインは正面へ向き直る。そこには一人の男がいた。歪なところのない坊主頭。厚みのある身体。背を向けているため、表情はノインの位置から見て取れない。
彼は低い声で、それが信心というものだと答えた。
お師匠様と呼ぶ。何だと返ってくる。
「どうして私を信じてくださらなかったのですか」
返事はない。振り向くこともなかった。
「あなたが手を汚さずとも、私はきっと女神の果実を渡すことなくガナサダイを討ったでしょう。エルギオス様の──天使界の誰もが敵わない最上位の天使の力に対抗するには、天使の力を捨てる他ない。それでも私は構いませんでした。あなたを信じていたから」
少女は広い背中を一心に見つめる。
「私がもっと早くあなたの弟子になっていれば、あなたは帝国に手を出すなどという危険を冒さなかったのでしょうか。私がもっと強ければ、あなたは私を頼ってくださったでしょうか。私があなたより上位の天使だったら、私があなたを守れたでしょうか」
「私のしたことは間違っていなかった。今でもそう思っている」
師は背を向けたまま話す。
「しかし、お前を裏切り傷つけたことだけが心残りだった」
思い出の言葉だった。
ノインは眉を下げて微笑み、かぶりを振る。
「あの頃のあなたの行いを辛く思えても、思い出すあなたの姿は最後の最後まで綺麗なんです。それが悔しくて」
だから誰よりも強く在ると決めたのだ。
「私は天使として、あなたの先を生きていきます」
灰色がかっていた雲海が黄金に輝き始めた。ノインは草を踏み分け庭園を横切り、階段を降りていく。途中、師の横をすり抜けた。どちらも何も言わなかった。
石段を最後まで下りきった時、突如正面扉の前へ見慣れぬ幻影が現れた。青白く透ける井戸である。ノインの凝視する前で、積み上げられた煉瓦の内側より手が現れる。レックだった。井戸より上体を引き上げ、彼女と目を合わせるなりほっとしたように笑う。
「無事か?」
「ええ。状況を教えていただけますか」
レックは説明した。集った戦士達が全員眠りに落ちてしまったこと。デスコッド村らしきところで足止めを喰らっている面々とダークドレアムと戦っている面々がいること。前者を現実へ引き戻すためにレックが移動しようとしていること。
彼の肩辺りへ小瓶がふわりと浮かび上がる。それからナインの声がした。
『今の僕だけでは皆さんの手助けを十分にできるか分かりません。力を貸してください。あなたと僕なら井戸を使って再会できるはず』
「分かりました。すぐに向かいます」
ノインは首肯した。そして躊躇うことなく井戸へと身を踊らせた。
▶
戦いは永遠に等しく感じられた。ロトの子孫達が攻撃の主軸を担い、サンドラとアルスが交互に支援しながら隙を突いて攻める。ダークドレアムの猛攻は凄まじく、後衛の二人の頭には常に全滅の可能性がちらついた。ほんの少しでも気を緩めれば、すぐ間近に死の吐息を感じかねなかった。
しかし最前線でダークドレアムと斬り結ぶアレフとアレンは、そんな惧れなど全く感じていないようだった。ダークドレアムの一挙一動、互いの動き、後衛の位置。そういったものに適宜目を配り、時折短く言葉を交わす。同朋の働きを信じ、己の全てをダークドレアムへ向ける。同じ剣法を使う者同士だからこそできる連携は僅かな綻びも見せず、まるで同じ思考を分かち合う人間が二人に分裂して動いているかの如き錯覚をもたらすほどの調和を保っていた。
禍々しい諸刃が雷電を帯び、辺りを薙ぐ。アレンは一瞬先に後方へ跳ね避け、アレフは盾を構えていなした。そのままアレフがドレアムに迫る。剣で諸刃を強かに打てば、刃より迸っていた破壊の気が砕かれる。だがドレアムは、背後より迫るアレンの対処も忘れない。片手で超級の火球を練り上げ、投げつける。アレンは両腕を交差させて真っ向から受ける。勢いを緩めず剣を引き抜き、渾身の力で上段から振り下ろす。
会心の一撃。おぞましい雄叫び。隼斬り二連撃。
普通の相手なら一発でトドメとなるだろう重量級の技が飛び交う。アルスは削る手を弱らせまいと戦いの歌を歌い、サンドラは回復呪を唱える。ドレアムが後衛へ向けてギガデインを放つ。少年が防御して干渉を減らすのを確認し、サンドラは賢者の石を掲げる。そうする間もダークドレアムから目を離さずにいたため、異変に気付くのは早かった。
(ダークドレアムの姿が妙に黒い)
元から黒ずんだ容姿をしているため己の目が眩んでいる可能性を考えたが、どうもそういう風でもない。観察するうちに、巨神の肢体はみるみる黒一色に染まり、薄らいでいく。
「あれ、何だろう」
アルスが補助呪文を重ね掛けした後、油断なく身構えながら呟く。アレフとアレンもただならぬ気配を感じたらしく、後退して様子を窺っている。
やがてドレアムは完全な影と化す。双眸がビカリと灼光を放ち、影の中で何かが蠢く。
アレンの表情が険しくなる。
「馬鹿な」
魔神の影より三体の魔族が歩み出た。巨大な赤い角を持つ紫竜。蒼褪めた鱗に覆われる邪神。蜥蜴頭の怪人。
「竜王、シドー、バラモス」
アレフが信じ難いと言いたげな調子でそれぞれの名を口にする。
「俺は夢でも見ているのか」
「精霊の御印よ、まやかしを暴け」
サンドラはロトの聖印を掲げた。だが金の御印が聖なる光を放っただけで、景色に変化はない。アルスが目を丸くする。
「幻じゃない?」
「どういうことだ」
「既視感のある流れだこと」
訝しむ男達の傍ら、サンドラは独り言ちる。片手で印を懐へと滑り込ませ、もう一方で背に負う剣を握る。ぐっと力を込めれば、柄に刻まれた不死鳥は光と共に神速の鳥へと転じた。
「アルス。悪いけど後ろを頼めるかな」
分かった、と少年が引き受ける。それに首肯で応じ、サンドラは剣を抜き放った。
前衛達の中心へ身を滑らせる。銀の刃でこちらへ迫る三体の上をひと撫でし、彼女は告げた。
「一人一体、確実に仕留める。いいね?」
ロトの戦士達は頷き合い、一斉にその場を蹴った。
▶
アベルは素朴な村の片隅、大きな木組の家の前にいる。窓から中を覗けば、人が見える。小太りの男。若い女。幼子二人。年配の女。壮年の男。幼児達は壮年の足元にじゃれつき、その逞しい腕に抱え上げられる。きゃあきゃあという歓声。微笑ましく見守る大人達。壮年自身の口髭を蓄えた口元にも、隠しきれない大きな笑みが浮かぶ。
背後に気配を感じた。アベルは正面へ目を注ぎながら、その気配に話しかける。
「少し前に気付いたんだ。ここは僕の本当の世界じゃないってね」
「俺のことが分かるか」
「勿論だよ、レック」
身を翻して来訪者と向き合った。明朗な青年の顔に慮るような色が浮かんでいる。
「あれが僕の家族。僕が巡り会いたかった家族の景色だよ」
アベルは横へ退き、窓を示す。
「まさかこんなところで叶うとはね」
「亡くなったのか」
「うん。先に父が、次に母が。どっちも、もっと長く生きられたんじゃないかと思わずにはいられない死に方だった」
特に父だ。父は、敵に捕らえられた己を守るために嬲り殺された。
「僕は何度も何度もあの時を後悔した。できることなら、自分の一生を捧げてでもやり直したいと思っている。けど、あれもまた父から与えられたものなんだ。手放すわけにはいかない」
あの日の父の挺身が、今でも己を幻影から引き戻す。
アベルは青年に向き直った。
「僕はどこへ行けば助けになれる? 教えてくれ」
終わったとソフィアは思った。無限に蘇り続ける邪法の化け物を、ついにうち滅ぼしたのだ。何度も粉微塵になるまで斬り刻んで焼き尽くした甲斐があった。生命力を失った怪物は回復できず、闇の玉座より忌々しい巨体を消した。
エンドールより遥か北東、山間に隠れた村へと戻る。育った地には誰の姿もなかった。家々は侵略の日そのままの崩れた姿でソフィアを出迎えた。
村の中心へ辿り着く。そこはかつて、小さく愛らしい花の集う野生の花壇だった。今は目の粗く乾ききった土くれしかない。
座り込み、剣を逆手に握って己へ向ける。力を込めようとした刹那、第三者の叫び声が邪魔をした。
「何してるんだよ!」
見れば背後に井戸が現れ、そこから男が飛び出してきていた。こんな所に井戸があったはずがない。
ソフィアは斬りかかる。だが男は見事な身のこなしで躱し、再び向けようとした剣の鍔を掴んだ。
「待った! 俺は魔物じゃないし敵でもない。俺だ、レックだ。思い出せるか?」
彼の背負う得物を見る。自分の持つのとよく似た形をしている。加えて、己の剣を──天空の剣を素手で掴んで無事でいられるのだ。魔物でもただの人間でもない。
そこまで考えた時、不意に異界の様々な光景がフラッシュバックした。それから記憶に不自然な繋ぎ目があることに気付く。
「ああ。これ、まやかしなんだね」
「そういうこと」
「くそ」
ソフィアは毒付いた。
「レック。アンタ、ここに来られたなら脱出方法も元凶も分かるんでしょ。教えて」
「いいけど、大丈夫なのか」
「平気。もう自分を取り戻したから」
レックは井戸を指差した。
▶
アルスはダーマ神の加護を受け様々な職の修練をこなしてきた。職業無しに戦った時期もあったがごく短い期間に過ぎず、周囲も似たようなものだった。よって、生まれながらに定められた生き方を突き詰めてきた戦士達を見るのはこれが初めてかもしれなかった。
パーティーの回復と補助を一手に任された瞬間は分身の欲しくなる忙しさを覚悟したが、意外にもしばらくの間戦いの波は穏やかだった。というのも彼の支援するロトの戦士達は、アレンを除き、己の生命力を高めつつ戦う呪を会得していたのである。加えて三人とも敵の干渉を緩和する上質の防具を身につけているため、予想していたより生命を削られない。だからアルスには、回復と補助をしつつ彼等の戦法を分析できるだけの余裕があった。
彼らの剣はよく似ており、一方で戦法は異なっていた。
アレフは攻め時守り時を判じ、根気強く戦うのを得手としていた。竜王の繰り出す爪や尾の一撃は巌を容易く砕き、吐く火炎はミスリルの輪郭をも歪ませる。にも関わらず、アレフはそうした強力な干渉を剣と盾を巧みに操ってほぼ完封してみせた。鷲掴もうとする手の勢いを利用して深く突き刺し、盾で火炎より身を守りつつ力を温存する。無論出るべき局面では果敢に攻める。彼らしい、常人ならざる堅実さのあらわれた戦い方だった。
アレンは優れた身体能力を活かした攻守一体の活躍を見せた。彼の宿敵である破壊神シドーは翼竜に似ていながらそれより遥かに強大で凶暴な生命体であり、嵐の如き暴れぶりで敵味方問わず何者も近づけまいという有様だったが、アレンは臆さず何度も懐へ飛び込んだ。拳を叩き入れ巨体が揺らげば、隙を逃さず剣で鱗ごと肉を断つ。執拗に迫る四本の魔手を幾度となく掻い潜り、太い尾に薙ぎ払われてもびくともしない。そんな彼の背中は、見る者に荒波を物ともせず船を繋ぎ止める頑健な碇を想起させた。
サンドラは鉄壁の身の守りで如何なる妨害も軽く流し、易々と敵を削っていった。魔王バラモスは他二体の魔王に比べてやや小柄であったが、繰り出す手刀の威力は凄まじく、彼女を狙った手刀は背後にあった飾り柱二本をまとめて粉砕した。築城の際に掛けられたはずの守護をいとも容易く破る一刀は、初めて見る人間にとっては臓腑の浮く錯覚を覚えるほどに恐ろしいものだったが、彼女はさして留意していないようだった。手刀をいなし──後衛に近づくのを警戒してか一度喰らったが流血はおろか傷一つつかなかった──太刀を浴びせる。彼女の隼の剣が触れる度、魔王の身体は熟れすぎた果実よろしく弾けた。彼の吐き出す岩漿さえ、剣を一振りして払われる。その所作はまるきり溶けたバターをナイフですくうそれだった。
真っ先に相手を仕留めたのはサンドラだった。剣先が過たず喉笛を裂き、蜥蜴の怪人が絶命する。その肉体が塵となって消えたのを確かめ、アレンの助太刀に向かおうとする。しかし彼女は突如足を止め、祭壇の上を見やった。祭壇にはぼんやりとしたドレアムの影が揺らめいている。
「まだ来るか」
朧な魔神の影より、ぞろぞろと魔物の群れが現れた。地獄の騎士、エビルマージ、ドラゴンゾンビ、トロルキング、ダースドラゴン、悪魔神官、大魔人。魔王らの居城の警護を任されることもある、骨のある魔物ばかりである。
その一群の後方より、ぬっと背の高い異形が二つ現れる。顔の青い氷の魔王と棘にまみれた緑の魔王。ゾーマとオルゴ・デミーラだった。
「もしかして、ここに来たメンバーの世界にいた魔王が順番に現れるのかな」
アルスが言うと、サンドラが剣を持ち直して答える。
「そうだね。レックが他へ行ってくれて逆に助かったかも」
彼女の声は末尾に向けて小さくなっていった。オルゴ・デミーラの背後より蛙に似た顔のずんぐりした魔王が現れたのだ。彼女はむすりとして言う。
「それは無しでしょ」
魔物達が迫り来る。サンドラが広間中央へ躍り出る。
「雷よ」
唱え指し示した先へ黄金の槍が数多落ちる。断末魔と共に魔物らの姿が掻き消える。しかし魔神の影より出る後続は途絶えず、繰り返し天雷を落とす。魔物の群れは焼き尽くせても、進撃するゾーマ、オルゴ・デミーラ、ムドーは止まらない。
サンドラは振り返ってアルスに言う。
「先に謝らせて。何度か倒れると思うから、悪いけどなるべく早く起こしてくれる?」
アルスは眉根を寄せた。
「魔王三体相手に一人は無茶だよ」
「分かってる。けどこのままだとさらに魔王が増え、どんどん戦線を維持するのが厳しくなる。最低でも竜王か破壊神のどちらか片方、今確実に討たないと。だからそれまで私が彼らの気を逸らす」
サンドラは別の場所で戦い続ける子孫達を一瞥し、不安げなアルスの顔を見て微笑む。
「大丈夫。私はほどほどにしか戦わないから」
他に取れる手もない。この戦況で己まで前衛に加わるのはまずい。
そう考えたアルスは渋々了承する。サンドラはありがとうと一言述べ、マントを翻し最前線へと疾駆する。目指すは新たに出現した魔王三体。彼らはちょうど二手に別れようとしている。
サンドラは剣を持ちながらもう一方の手で袋より新たな得物を出す。持ち手の先端に鎖、その先に棘のついた凶悪な鉄球。破壊の鉄球である。
勇者は鎖を振り回し、鉄塊を投擲する。鉄球は直線状に飛んで三魔王の中央、ゾーマの肩を打ち据える。さらには持ち主のもとへ帰りながらデミーラの尾、ムドーの背中へ棘を引っ掛ける。
魔王らがこちらを向く。サンドラは得物を持つ拳を突き出し、声を張った。
「我こそはロトの祖が一人、アレクサンドラ。魔神の影とて恐れるに足らず。何体いようと私が散らしてくれよう。来るがいい!」
はたして魔王達は挑発に応じた。彼らはサンドラへ向き直り、各々動き出す。ゾーマはいち早く詠唱して針の如き氷塊の一群を飛ばし、オルゴ・デミーラとムドーは接近する。サンドラは降り注ぐ氷の雨を鉄球を振り回して弾き応戦する。そこへ後から来た有象無象も押し寄せる。
アルスは戦士達への加護を願って歌い、彼らを蝕む魔の瘴気を祓い清めるべく全体回復呪を唱え続ける。その合間にサンドラの周囲へ加勢の真空波を巻き起こす。だが魔王達を倒すには足らず、雑兵の一掃こそできてもまた新手が来る。
オルゴ・デミーラのおぞましい雄叫びが空気を震わせる。サンドラは魔物達を盾として衝撃を躱す。バタバタと倒れるもの達を押しのけて新たな魔物の波が迫る。鉄球で全てを薙ぎ倒し、肉薄するムドーを隼の剣であしらう。頭を狙うゾーマの拳より首を逸らし、左足で蹴り上げる。
アルスは背後の扉を窺う。鉄扉は開け放たれたまま、誰の姿もない。
(まだ来ないのか)
戦況へ目を戻し、回復呪を口にする。魔族に囲まれるサンドラ、シドーの片翼へ穴を空けるアレン、竜王を横へ払う剣で斬りつけるアレフ。それぞれが治癒の光を帯びる。
視界の端で場面が大きく動くのを捉えた。剣を振り抜いたアレフの脇腹へ、矢の如く飛んだ竜王の爪がもろに刺さったのだ。漆黒の爪より甲冑の破片と共に血が迸る。兜の下で戦士が歯を食い縛り、竜の手がもう一度迫る。
(まずい!)
アルスは詠唱の手間を切り捨て、頭で二つの術式を練る。蘇生と回復、どちらでも即座に対応できるようにという判断だった。
だが、アレフは斃れなかった。
竜の手が触れるかと思われた刹那、男は吼えた。肉体を損傷した人間とは思えぬ咆哮と共に、甲冑より青い火花が迸る。流れ落ちる血がたちまち蒸発する。オリハルコンの剣が赫赫と燃え上がり、持ち主の一薙ぎに合わせて竜王に稲妻の奔流を放った。
ギガブレイク。
アルスは記憶にある冒険者名簿を手繰り寄せる。彼のページにその技の記載はなかったはずだ。
(新しく覚えた? でも、いつ?)
己が冒険者名簿を見たのはごく最近のことだ。一行は魔王以外の敵とさして戦っていない。にも関わらず、いつこれほどの奥義を習得する時間があったのだろう。それに冒険者名簿への記載があってもいいはず。
アルスが疑問に思う間に、アレフは危機を脱した。竜王が倒れ失せるのをろくに見ず前方へ駆ける。その行く先には濃紫のマント。新たな魔物の迫るそちらへ手を差し出す。
「我が炎、天意を纏い落ちよ!」
ギガデインが大地ごと魔物達を焼く。空いた焦土を駆け、サンドラの隣へ並ぶ。互いに魔物を散らした後、視線がかち合う。アルスが唱えた回復呪の光に包まれるアレフにサンドラが言う。
「シドーもあと少しで倒れるみたい。だからまずアレンの補助に行って」
「嫌です」
アレフはきっぱりと答えた。
マントゴーラが飛来し、大口を開けて突撃する。サンドラはアレフの方へ顔を向けたまま魔物を一刀のもとに斬り捨てる。
「どうして?」
「アレンはアルスのサポートを受けながらあそこまで削りました。あのまま任せて大丈夫でしょう」
「一緒に削った方が早いでしょ。それから二人でこっちに来てもさして変わらないことだと思うけど」
稲光、散滅する魔物、入れ代わり立ち代わり攻め寄る魔王達。
二人は眼前の戦況をしかと見据え、確実に対処しながら会話する。
「この最前線が崩れることがあればシドーを仕留めきれません」
「私が魔物を捌ききれないとでも?」
サンドラは微かに口の端を持ち上げた。
「私が少し死んだくらいじゃあ、あなた達は消滅しないよ」
「あなたの腕は疑ってません。俺が消えることがあったとしても怖くはない」
アレフは石礫を拾い、目を妖しく光らせようとするムドーへ投げつける。魔王が怯んだ瞬間、二人の周囲を真空の刃が吹き荒れた。アルスの技である。魔族の侵攻が途切れる間に、アレフは失礼と一言断ってから彼女のベルトを指差す。
「祭壇までの距離は俺達と大して変わらないのに、あなたにばかり敵が寄っていく。おかしいと思いましたよ」
皮のベルトには、道具袋の他にもう一つ小さな袋が吊るされている。サンドラは片眉を持ち上げた。
「そんなに匂う?」
「ここまで来なければ分かりません」
独特の甘い香りは、彼女へ近づいてやっと気付けるほどに弱いものである。しかし人の鼻がそうでも魔物は違う。彼女の腰にある袋、匂い袋の香りは魔物が非常によく好むもので、街の外で一度袋の口を開ければたちまち戦闘に困らなくなることで知られていた。
「あなたのベルトに括りつけられている道具袋は、今まで一つだけだった。それを覚えていただけです」
「大した記憶力ね」
「俺達を信じてください」
アレフはサンドラを見据えて言った。
真空の防壁が弱まっていく。機を逃さず、ゾーマが中空へいてつく波動を放つ。三体の魔王、魔物の群れがにじり寄る。そこへ青い旋風が飛び込んできた。伸びた破壊神の尾を持ち振り回すアレンだった。魔物と人との境界へ叩きつければ、押し潰された魔物達ごと肉体が散滅する。潰えたものの分だけ濃い魔瘴が立ちのぼり、残る魔の者らの視界を阻む。
アレンは先祖達に顔を向けた。
「あのわらわら湧いてくる奴ら、群れるばっかりでうっとおしいですね。いつまで続くんでしょうか」
「さあな。やれるだけやってみるしかない」
「どの魔王を優先して倒します?」
「いてつく波動を使うゾーマとオルゴ・デミーラ。特に厄介な状態異常をもたらす技を多く使うデミーラからでどうでしょうか?」
アレフがサンドラへ問いかける。彼女は首肯した。
「その判断でいいと思う」
後衛のアルスが小走りでやって来た。三人に一つずつエルフの飲み薬を差し出す。
「一応渡しておくよ。足りなくなったら使って」
「ありがとう」
サンドラが礼を言い、仕舞い込む。他の二人も同様に袋へと忍ばせた。
紫の霧が晴れていく。アレンが肩を回した。
「よし。じゃあもうちょっとやりますか」
一番に飛び出した。次いでアレフが剣を振り血糊を飛ばし、後に続く。サンドラは呟いた。
「信じてないわけじゃない、と思うけど」
「ん?」
「何でもない。後ろをお願いね」
小首を傾げるアルスに軽く会釈をし、サンドラもまた前線へ身を投じた。
▶
ソロは山間の村を見下ろしている。星々の瞬きの下、ささやかな松明を手にした村人達が談笑を終えそれぞれの家へ帰っていく。広場より人気が失せる。地図にないこの村が余所者に宿を貸さないことは知っている。だからこの辺りで野営をしようと荷を下ろす。
「俺のことを覚えてるか?」
不意打ちの声に顔を巡らせれば、すぐ傍に男がいた。手を伸ばせば届くだろう距離だ。接近に気付けなかったことに違和感を覚える。
警戒して観察するうち、ソロは男に見覚えがあることに気付く。熟考し、苦笑した。
「なんだ。騙されたってことか」
「騙されたのとはちょっと違うな。俺達は変わった場所に迷い込んだんだ」
ここではその人の望みを見ることができる。そう男──レックは語った。ソロの視線の先にある村へ目をやって言う。
「また一人旅か? 好きなんだな」
ソロは鼻を鳴らす。
「嫌いではねえな」
二人はしばらく並んで村を眺めた。そうしながら隣の男の様子を窺うに、どうやら彼もまた真摯にその景色を鑑賞しているらしかった。ただの田舎の村だ。珍しいものなどさしてないだろうに、暇を持て余すような素振りを一切見せない。
ついに、ソロの方から口を開いた。
「俺を連れ戻しに来たんじゃねえのか」
漫然と村を眺めていて、徐々にここへ来る前の記憶が蘇りつつあるのを感じていた。どうも己は妙な失神のしかたをしたようだ。何が起きたかはっきりとは思い出せないが、そう悠長に過ごしていられる状況ではないという気がする。
だがレックはこちらへ首を巡らせて微笑む。
「しばらくはみんなが上手いことやってくれるさ。ソロが戻ろうと思わないなら急かさねえよ」
「俺がここに一生いるって言ったら?」
「どうだかなー。ソロが耐えられるか疑問だな。俺と二人だぞ? いいのか?」
「オメーもいるつもりなのかよ。てめえの心配をしろ」
(変な奴)
普段の彼は戦闘に少々熱血気味の、明るいお気楽者という振る舞いをしていたように思う。しかしこうして二人きりで見る横顔には、冗談を口にしていても隠しきれない思慮深さが現れている。異郷でそれなりの時を彼と過ごしてきた。いい加減、背に負う剣を信用できずとも、彼個人については認めざるを得なくなってきてしまった己がいる。
けれど、どうも頭がぼんやりとしている。歩き出す気になれない。どうしたものかと思案するうち、知らず口から言葉が滑り出ていた。
「俺が存在しなければ、と考えることがある」
レックは片眉を持ち上げた。それだけで、特に止められなかったので話を続ける。
「俺の旅の内容は、ソフィアから聞いてるんだろ」
「ああ」
「アイツと俺の旅は大して変わらねえ。決定的に違うのは、俺らの育った村を滅ぼした奴をどうしたか。それだけだ」
自分は何を話したいのか。彼に何を聞かせようとしているのか。よく吟味せず、頭に浮かぶことをつらつらと話す。
「アイツはピサロを許さず殺した。俺はピサロを許さず生かした。なに、生きて償えだなんて高尚なことを要求しようとしたんじゃねえ。アイツが生きようが死のうが、無ぇもんはもう無ぇままだろ」
ソロはくつくつと笑う。
「単純な話だ。馬鹿らしくなったんだよ。何もかもが」
魔族の男は、いたずらに他種を苦しめる人間を滅ぼそうと魔王になる。
そんな魔王に対抗するため、人間は何も知らぬ孤児を勇者に育て上げる。
その孤児はかつて天空を支配する神が存在すべきでないとみなした異類の子で、しかしやがて邪法の怪物を討つ英雄となる。
「やったやられた、正しい正しくねえ、傷つけた傷つけられた。そういうすったもんだはいつまで続くんだ。俺らはずっとそういうもんと付き合っていかねーとならねえのか?」
「さあな」
レックは一度口を噤んだが、ややあってまた考え考えの様子で話し出した。
「俺達はものを見聞きして、考えて、話をすることができるだろ。面倒だけど、それをみんなが地道に続けられる環境を保ちたいよな。一方的な暴力は、受け取った側にショックを与えるだけで、根本的な解決にはならない。たとえそれで邪魔だと思うものを取り除けたとしても、時間と共に瓦解する。そうする前より物事が拗れることもある」
そこまで言い、彼はソロと目線を合わせた。
「俺は、たとえ住む世界が違っていても、お前みたいな感性の奴が一人いるって知れて嬉しいよ。だから、お前がいない世界はちょっと寒いだろうなって思う」
「俺がいたせいで他の人間の命が危険に晒されたり、実際亡くなったりした。それでもそう言えるか?」
「お前だって被害者だろ。お前の村の人が亡くなっちまったのは、勿論悲しいことだ。でもお前が望んだわけじゃない。その人達自身が、何も知らないお前を勇者として育てようって決めたんだ。危険は承知してたはず。全部自分の所為だなんて気に病むことはねえよ」
「そうだよな」
ソロは村を見つめたまま呟く。
「あの人達のしたことは、俺の意思なんざ汲もうとしない、勝手なものだったのかもしれねえ。でも……それでも、どうにも無碍にできねえんだよ。あの人達が俺が生きていけるようにって掛けてくれた手間も、このクソみてえな世界も」
レックの手が己の肩に乗る。目を瞑れば、まとまりのなかった思考が少しずつ落ち着いてくるのを感じる。記憶が在るべき場所へと帰着する。
ソロは目を開ける。そして、待たせて悪かった、と言う。
エイトはトロデーンの城門前、バルコニーに佇んでいる。左右に半円を描きながら緩やかに下る階段の先、左右対称の庭園の中央では噴水が陽光を散りばめて流れ落ち、水飛沫が舞っている。その端には三人の男女──小太りの男、豊満な美女、洒脱な優男──が座り込んで談笑している。
「みんなに喜んでもらえてよかった」
呟きを聞いた隣の女が微笑む。
「本当に、トロデーンの近衛隊長さんは働き者すぎるわね。ヤンガスさん達だけじゃなくて、私やお父様、城のみんなにまでお土産を買ってきて。選ぶのが大変だったでしょうに」
「そんなことないよ。プレゼントが好きだから、選ぶのも楽しかった」
エイトは微笑み返す。
「俺が留守にしてる間、特に異常はなかったそうだね」
「ええ、大きな魔物の動きはなかったわ」
日々の平和に感謝致します。彼女はそう言って手を組み、目を瞑り祈りを捧げる。水簾の如く流れ落ちる黒髪、なめらかに丸みを帯びる額や頬の清らかな白さ。青のマントに包まれた華奢な肩を、エイトはとくとくと眺める。ややあって彼女は顔を上げ、こちらと目が合うとはにかんだ。
「なぁに?」
「いえ。姫がいらっしゃるなと」
「変なエイト」
彼女は鈴を転がすように笑う。それから目を細め、しげしげとエイトを見つめた。
「私、今でもたまに夢のような気持ちになるの。こうやってあなたの隣にいて、あなたを見上げられる。その度に、こんなに幸せでいいのかしらって思うのよ」
彼女は背を向けて歩き始めた。どこへ向かう必要もない、敷き詰められた白煉瓦を確かめるだけの、ゆったりとした歩みだった。
「城が元に戻ってくれた。呪いが解けた。呪いにかかっている間でさえ、お馬さんとしてエイトやお父様の旅の役に立てた。この大好きなトロデーンで、ずっと暮らすことまで許されて……チャゴス王子に応えられないことだけは、今でも少し申し訳なく思っているけれど」
「当然の報いです」
「あなたは王子に厳しすぎるわ」
すまし顔のエイトを、ミーティアは困ったような表情で嗜める。
「彼だってきっと悪気はないのよ。いつか自覚をお持ちになるはず」
「ミーティアはおおらかすぎるよ」
「そうかしら。だとしたらそれは、城のみんなやお父様にお母様、それにエイトお兄様がたくさんミーティアに向き合ってくれたおかげね」
ミーティアは茶目っ気のある笑みを浮かべてくるりとスカートを翻し、エイトに向き直る。
「エイト。あなたは私達とよく向き合って、話をして、とっても良くしてくれる。でも、あなたはあなたに良くしてあげている?」
「え?」
エイトは目を丸くした。
「どういうこと? 俺は今、十分幸せだよ」
「無茶はしてない? 自分にお土産は買った?」
「俺は旅をしてきた本人だからいらないよ。それに、旅先で楽しい出会いもあったから」
エイトは旅先で出会った戦士達の話をしようとして、はたと訝しむ。
(そういえば、俺はいつあの宿を出たんだろう)
彼らとの愉快な日々は思い出せても、別れの光景が思い出せない。そもそも何の任務で出掛けたのだったか。
考え込んでいるうち、知らず単語が脳裏に浮かんできた。
「デスタムーア」
「え?」
「そうだ。倒したんだ。でも、急に立っていられなくなって」
額を押さえる。
「やっと思い出したか」
この世界で聞くはずのない声がした。
声のする方向を見る。城を守る大きな鉄扉の前、絶対に部外者のいるわけがないそこに、空の映り込む髪を遊ばせた男が立っていた。
「レック? いつの間に」
「ちょっと前かな。なんかいい雰囲気っぽかったから、声掛けられなくて」
頭を掻くレックを、ミーティアが不思議そうに眺めている。
エイトは彼に状況を訊ねた。彼の答えた内容は信じがたいものだったが、急に記憶が飛んだことと辻褄が合っていた──よくよく見れば城の兵士達がレックに反応しないこと、庭にいる仲間達がこの騒ぎを聞いても駆けつけないことを含め、この光景には本物のトロデーンと食い違う部分があった。加えてこのレックを偽者とも思い難い──ため、信じることにした。
「恥ずかしい……! これ全部、俺の願望だったってこと?」
熱くなる頬を両手で押さえる。レックは笑って、そうとも限らないと否定した。
「デスコッドは通常、やって来た奴の見たい夢の光景を見せる。でも稀に、時空を隔てた何処かにいる他の奴の夢が映り込むこともあるんだ。実際に俺も魔物達の見る夢を見たことがあるよ」
レックはミーティアへと目をやる。彼女は他の世界の住人と異なり、彼を視認しているようだった。しかし会話に加わろうとする気配はなく、どこかぼんやりとした面持ちでレックを眺めている。
「だからここには、本物のミーティアちゃんの夢が映り込んでるのかもな。エイト、前に不思議な泉の力でミーティアちゃんと夢で会ったことがあるって言ってただろ?」
「うん」
「多分、その影響で実際のミーティアちゃんの意識がつられて紛れ込んだ。大丈夫。そこまで夢での結びつきが強いなら、エイトがここから脱出すればミーティアちゃんの意識も元の世界に戻る。ミーティアちゃんだけ置いていくなんてことにはならないよ」
話しながら、エイトの顔色を見て考えていることを読んだのだろう。レックの言葉を聞き、エイトは大きく息を吐いた。正直、かなりほっとしていた。
「良かった」
『僕もレックさんと同様に考えます』
「うわ、ナイン?」
レックの腰袋から空飛ぶ小瓶が飛び出してきた。ガラスを満たすコバルトブルーの水に、ナインの首が浮いている。そんな首だけになって何があったのと訊ねると、これは念写した僕であって本当の僕の生首ではありませんと真顔で返された。
『レックさん、お待たせしました。ノインと力を合わせ、出口のない夢で彷徨っていた皆さんをドレアムのいる亜空間へお連れする準備が整いました。エイトさんをこちらへ送り次第、残る一人のもとへ向かい、彼と共に直接亜空間へ戻ってください』
「あとはロトだけだよな」
『はい』
「よし、分かった。待っててくれ」
小瓶に浮かぶナインの顔が消える。レックは小瓶を手に取り、蓋を開けて円を描くように水を撒く。雫は虹色に煌めきながら煉瓦畳へ落ち、半透明の井戸の姿を露わにした。
レックは井戸へ手をやり、エイトに言う。
「こっちの準備はできた。行く気になったら、ミーティアちゃんに挨拶してからこれに飛び込んでくれ」
「ありがとう」
彼の気遣いに感謝し、エイトはミーティアに向き直る。彼女の唇がやんわりと弧を描く。
「お仕事なのね。気を付けて」
エイトは手を伸ばし、彼女の形の良い頭を撫でる。
「いつも俺の背中を押してくれてありがとう」
呟き、ほっそりとした指を取って手の甲へ唇を落とす。そして透き通る井戸へ手を掛け、思いきり良く中へ飛び込んだ。
▶
魔神の影からは際限なく新手が現れ、ロト三人とアルスを襲った。大魔王を減らそうにも、押し寄せる魔物の大群の中に回復呪の使い手がおり、しかもそれが心得たもので現れて早々に大魔王達を回復してしまう。加えて、大魔王を一体も倒さないうちにデスタムーアまで現れた。戦況は芳しくなかった。
どれほどの時間戦い続けただろう。気の遠くなるほどの膠着の果てに、じわりじわりと戦士達は押され始めた。あらかじめ状態異常耐性のある装備を身につけていても、その耐性すら下げることのできる魔族は少ないながらも存在する。さらに、状態異常をもたらす技、一撃で人体を身動きできないまでに壊す力を持つ魔物は山ほどもいる。四人全員が何らかの状態異常、もしくは即死の状態に一度は追い込まれた。最も被害を受けたのは最前線を守るアレフとアレンだった。とは言え力尽きて蘇生させられた回数は並みの冒険者より遥かに少なく、四人の中で最も敵を屠っているのもまたこの二人だったが、本来限界知らずの戦士である彼らが数回でも倒れ始めたのは紛れもなく行き詰まりの兆しだった。
アルスはいよいよ攻撃の暇を無くした。補助に回復にと忙しなく活躍する彼をパーティーの要として狙う者は多く、大魔王などは執拗に彼を殺そうとした。それを抜け目なく守り、倒れても必ず蘇生したのがサンドラだった。彼女は四人の中で最も守りに秀でていた。その堅さを活かしてアルスを守り、また子孫達を損なおうとする者らへも雷を落とし、パーティーの安定に貢献していた。
しかし状態異常技以外喰らわず、倒れることのなかった彼女にもついに粗が出始める。キングヒドラの火焔を防ぐ最中、オルゴ・デミーラがアルスを狙って凶悪な針の生えた尾を飛ばすのを見た。針は青年の死角より放たれており、今まさに最前線の戦士達へ回復呪を唱えている彼には躱しようがない。咄嗟に庇うべく飛び出し、右肩を貫かれ地に叩きつけられた。詠唱を終えたアルスが異音に気付いて振り返り、血相を変えて尾へ斬りつけようとする。
「待って」
サンドラは無事な方の手を挙げて制し、傷口に触れる。その手を頭の飾り環へ移すと中央の宝珠へ血を擦り付けた。
「光よ」
呟けば、彼女の全身より眩い閃光が放たれる。光は周囲の魔物を焼き、彼女の上体を貫く大魔王の尾すら溶かす。半球状に広がり、黄金に輝く防壁を作り上げたところで静止した。光の壁の内側に魔物の姿はない。透ける金色の向こうにはまだ異形の双眸が数多見えるものの、踏み入ろうとする素振りは見られなかった。
サンドラは大きく息を吐いて座り込む。アルスが駆け寄り、傷の治療を始める。肩の付け根に開いた風穴は大きく、右腕が機能しなくなっていた。
「気付けなくてごめん」
「お互い様でしょ」
二人のもとへアレフとアレンが戻ってくる。さしもの戦士達も自身の流した血と返り血に濡れ、凄惨な姿になっている。それでも目には確かな光が宿っており、重い足取りながらもふらつくことなく仲間の元へ歩み寄った。
四人揃ったところで傷を癒し合い、アイテムを使って魔力を補う。サンドラが皆を見回して言う。
「精霊の守りと光の防具を活用して簡単な結界を張った。しばらくは保つと思う」
「せめて転職ができたらなあ」
アルスがぼやく。
「魔力の多い職業につけたら、聖水の消費を減らせて助かるんだけど。そろそろレックとナインに他の皆を連れて来てもらいたいよ」
「だが、半端な増援じゃあ押し負ける」
アレンが結界の向こう、祭壇前で待ち構える三体の魔王を見やる。
「これでレックのような複数の大魔王と因縁のある奴が一人でも来てみろ。戦線崩壊までの時間が短縮されかねないぞ」
「そうだよね」
「そう悲観するな。俺達なら粘れる」
アレフが励ます。
「まだアイテムは尽きていない。魔力もある程度なら自力で回復できる。全員で大魔王に狙いを定めて一体減らせば、レック達が来るまでもう少し粘りやすくなるんじゃないか?」
「魔神の影から回復蘇生技を持つ魔物が出て来なければ、確実にやり遂げられるでしょうね」
サンドラは動かせるようになった右腕を水平に巡らせ、周囲の光景を示す。部屋いっぱいの魔物の大群。倒しても倒しても湧いてくる彼らは、儀式の間を黒い海の如く覆い尽くしていた。
「ともかく、私達が優先すべきは他のメンバーが来るまで生き延びること。今は結界で耐えましょう。それでも彼らが来なかったら──」
サンドラが扉の方へ顔を向け、目を瞠った。
「どうしました?」
「今、扉が開いたような」
「本当に?」
三人も入口を見る。しかし大量の魔物の背後に隠れ、黒い扉は影に溶け込んでしまっている。よく見ようと目を凝らしたところ、扉周辺の魔物達が派手に噴き上がった。体の大きい者に小さい者、形ある者無い者。関係なく吹き飛ばされ、紫の粉塵となって消えていく。次々上がる粉塵の方向から察するに、侵入者はこちらに向かっているようだ。
「やっと来たかな?」
「いや、新手の可能性もある」
アルスとアレンが言葉を交わし、用心して得物を握る。
侵入者の経路を示す紫の霧はまっすぐこちらへ近づいてくる。魔物達がそちらへ向かい、あちらへ向かいと慌ただしく動き回る。
遂に結界の手前が暗く曇った。四人は飛び退る。
濃霧を纏い光を貫通して現れたのは、縦に長い金の車体だった。
「箱舟だと?」
アレフが目を剥く。
天の箱舟の先頭車両、運転席の扉が開く。そこよりひらりと飛び降りる小柄な人影。ナインだった。
「お待たせして申し訳ありません」
彼の後から見知った顔が次々と現れる。アベル、ソフィア、ソロ、エイト。最後にノインが降り立ち、箱舟の戸は閉じた。アレンが問う。
「レックとあの人は?」
「今レックさんが呼びに行っています。これから来るはずです」
「こちらの戦況が危ういとみて、取り急ぎ十分な戦力を揃えて助太刀に来ました」
ノインが言い、幻想郷より戻ってきた仲間達を示す。ソフィアが不敵に唇で弧を描く。
「英雄は遅れてやって来るってね。まあ、ここからは会心の活躍をしてみせるから任せてよ」
「ありがたい。でも、気を付けて」
サンドラは祭壇の上を指差し、警告する。
「あの魔神の影からは、ここへ足を踏み入れたものにゆかりのある魔王が現れる。それだけじゃなくて、魔物が無限に湧き出てくる。下手に力を使いすぎたら、レック達が来るまで持たないかもしれない」
「大魔王を優先して倒す。場合によっては、厄介な技を持つ魔物達を排除。作戦はそんなところかな?」
エイトの台詞にサンドラが首肯する。一方、ソロは結界の外をしげしげと眺めて呆れ声を上げた。
「しっかし、よくもここまで吐き出せるもんだな。俺らが戦う空間を確保するだけでキツそうだ」
「その通り」
アレフが同意する。
「俺達もエイトの言うように考えて戦ってきたんだ。しかし魔王と魔物の湧き出す速度は速く、多すぎた。お前達が来てくれたのは助かるが、ごく短時間にここに詰まった魔物を全て倒し、かつ魔王達と戦いながら新たに湧き出す魔物の対処もできるほどの人員がないと、戦況は厳しいままだぞ」
「そういうことなら、やっと僕が力になれるかな」
アベルは腰に提げた袋へ手を入れる。ちゃらちゃらと微かな金属の触れ合う音を立て取り出したのは、複数枚のコインだった。中央には様々な魔物の姿が描かれている。
「これは僕の仲間達を召喚するためのコインなんだ。貴重なものなんだけど、幸いなことにある筋から仕入れることができてね。一度使ってみたら便利だったから、いつも持ち歩いている」
一時的な召喚なら構わないだろうと天使達に訊ねると、勿論と返ってきた。アベルはコインを一枚ずつ拳に乗せ、親指で弾き上げる。丸く小さな金属は宙を舞い、輝き、魔物の姿へと転ずる。スライムナイト。グレイトドラゴン。キラーマシン。ゴーレム。スライムベホマズン。ヘルカイザー。キラーパンサー。皆、体の一部に彼のマントと揃いの生地でできたリボンを巻きつけている。どの個体も登場するなりアベルの傍に控え、毅然とした理性の宿る眼差しで勇者達を見つめ返した。
「一緒にエスタークを倒したこともある仲間達だ。腕は保証するよ」
最後にアベルは人間達へ向き直り、いつもの温和な顔で微笑んだ。
「武器のことは武器屋、防具なら防具屋。魔物に困ったら魔物使い、ってね」
▶
常春の国アリアハンの麗らかな暖かさに眠気を催しつつ、彼は食卓越しに床を眺めていた。白壁に嵌め込まれた窓より射し込んだ陽射しが木目の床を温めている。全く同じ形をした板がぴったりとくっついて並び伸びている様は、まるで皆で気持ちよく昼寝をしているようだ。彼はそんな連想をした。
「──ちゃんと聞いてる?」
女の声。対面に座った長い黒髪の女が己に話しかけているのだった。彼は答えた。
「勿論だよ母さん」
「ならいいわ」
「大丈夫だよ母さん。私もいるもの」
隣にいる幼女が言う。短く整えた黒髪。白くてふっくらした頬。自分と瓜二つだ。違うのは目の色だけ。彼女の目は黒に近い青。己の目は白に近い青。
母はそうね、とにっこり笑った。
「じゃあ、父さんと母さんはお出かけしてくるからね。お外で遊んでもいいけれど、あまり遠くに行っちゃ駄目よ」
「はあい」
「皆で楽しく遊ぶんだぞ」
大きな手が頭の上に乗った感覚があった。己の頭蓋を包み込むほどに大きく、節くれだっている。父だと思う。
両親は出掛けていった。扉が閉まる音、錠の掛かる音。聞き遂げてから隣の兄弟に問う。
「帰りは何時頃だと思う?」
「きっと夜になる頃だよ」
彼女は言った。
「お夕飯が準備してあるのを見たから。今日はお父さんとお楽しみ」
「そうだね。じゃあ僕らもお楽しみ!」
きゃらきゃらと笑い、揃って階段を駆け上る。上ってすぐの彼らの部屋へ入れば、もっと小さな子供達が絨毯に転がっていた。座るのもやっとこさの、首の座ったばかりの赤子が四人。そのうちの二人は互いのおしゃぶりをぶつけ合っている。もう一人はぼんやりと天井の飾りを眺め、残る一人は黙々と絵本をめくっていた。
「わあ、初めて見た。こんな感じなんだ」
彼は四人の赤子の前にしゃがむ。彼らはきょとんとしてこちらを見つめ返した。
「ほら、手伝ってよ」
片割れが呼び掛けてくる。彼女はカーテンを閉めているところだった。
「影遊びをしよう」
明かりを落とし、室内を暗くする。持ち込んだ洗濯紐を部屋の端から端へ渡してシーツを吊るし、赤子達と自分達を隔てる。そして彼女が両手を掲げて光を発し、自分がシーツ前でおもちゃを動かして話をする。これだけで立派な影絵芝居ができてしまうのだった。
時折、彼女と己で照明係と芝居役を交代しながら、他愛もない話をしてみせた。赤子達は笑い声を上げて喜んだ。だが、暗い中に長くいるせいか、次第に船を漕ぎ始める。そっと芝居をやめ、足音を忍ばせてタオルケットで包みながら抱き上げる。ベビーベッドに四人横たえてやる頃には、全員すやすやと寝入っていた。
彼と片割れは目を合わせた。
「寝ちゃったね」
「ね」
息を潜めて囁き合う。
「どうする?」
「外で遊ぶ?」
「たまに様子を見にきてあげれば大丈夫かな」
「隣の部屋におじいちゃんもいるから大丈夫」
片割れは遊具を用意すると言って部屋を出ていった。彼は残り、ぐっすりと眠る赤子達を眺める。
背後で蝶番の軋む音がした。彼は足元へ差し込む光、その中に浮き上がる人影を見て言う。
「君の髪、もとから癖が強いんだね」
「何でこんなに小さくなってるんだよ」
「この年頃のこの子達を、俺が知らないから」
彼は振り向いた。部屋の入り口に、同じ年頃と思われる新たな幼児が立っていた。青みを帯びた髪こそツンツンと逆立っているが、中に着込んだ詰襟のシャツ、その上に纏う緋色の長衣、どちらも仕立てが良い。良いところの子供だとすぐに分かる容姿だった。
彼は来訪者に微笑みかけ、言葉を続ける。
「それなら頓珍漢なことが起こっても、夢から醒めずにいられるだろ」
「自分が何を見ているか、自覚しているんだな」
「ああ。これは外から齎された夢だね」
彼は認めた。
「俺達ロトは外部から夢に干渉されることが多いんだ。そのせいなのか、自分が夢を見ていることをすぐ自覚したり、夢の中で自由に動き回ったりできるようになってしまった。一度くらい、自分を自分とも思えない脈絡のない非日常を主観で体験したいんだけどね! うまくできた試しがないんだよ」
ふうんと来訪者は気のない返事をする。その瞳は部屋の奥、彼の傍にあるベビーベッドへ向いていた。青い眉根を寄せ、小声で囁く。
「じゃあ、今まで望んで子供のふりを?」
「いいじゃないか! たまには童心に返って内なる子供の俺と向き合ってみるのも悪くないものだよ」
「声がデカい」
「もう声を潜めなくて大丈夫だよ。何せ俺の夢なんだ。俺が望む限り誰も起きない」
ほらこんなにしても平気。そう言って彼はベッドの端で眠る赤子の頬を指でつつきまくる。暗めの銀髪をしたその赤子は眉根を寄せるだけで目を開けない。本物だったら今頃滅多打ちだなと来訪者が言う。
「ここってお前の家なんだよな」
「そう。俺の実家」
彼は目を眇めた。
「精神分析する? それとも性格診断かな」
「そのつもりはないし、できねえよ。俺はお前を呼びにきただけだ」
「そっか。でも、好きなだけ見て感想を言ってくれていいよ。俺は自分が何を望んでいるのか、どんな性格なのか、ちゃんと把握できているか知らないんだ。寧ろ君から見た俺を教えて欲しいくらいだよ」
彼は幼児らしからぬ笑みを浮かべ、ベビーベッドに肘を突き寄り掛かる。
「世の人はあれが欲しいこうなって欲しいって言う。でも、本当に全員が全員、自分の願望を正確に把握できているのかな」
話しながら短い指を折る。
「たとえば父に帰ってきて欲しい。母に安心してもらいたい。一緒にいてくれる人が欲しい。手を引いてくれる男が欲しい。柔らかな女の肌が欲しい。自身の周りが平穏であって欲しい。
「本当にそれが欲しいのかな。俺はずっと目隠しをしていて、そんな俺に誰かが声を掛けるんだ。ここにあるのはあなたの望みでございってね。それで目隠しをしたままその人の差し出したものに触れてみて、ああこれが俺の望みなんだやっと触れられたなんて思う。でも実は、俺が触れたのはただの箱なんだ。その角とか面を触って知った気になってるんだ。本当はその中に俺の望みが入っている。もしくは入っていないかもしれない。
「そういうことではないのかな。いや、目隠しをしていた方が幸せなのか? レック、君はどう思う?」
レックは首を傾げる。
「それはものの喩えか? それとも実際のことか」
「少なくとも前半は俺の望みだったよ」
だったことがある、と言うのが正しいのかも。
彼は言葉を補った。
「何でそれを俺に聞く? 俺は分析だの診断だのできないって言ったのに」
「普段の生活で聞く相手がいないからさ。正解なんて求めてない。納得してみたいだけ。こういうのは、同じ世界に暮らす相手には聞きづらいものなんだよ」
レックは考え込むような顔をして腕を組む。真剣な面差し。唸りながら真剣に考えるその姿を見つめ、彼はぽつりと呟く。
「どうして俺は一人なんだろう」
レックが顔を上げた。目が合う。
「せめて世界に勇者が二人だったら良かったのに。歳の近い、まだ完成しない勇者がもう一人だけでもいてくれたら」
彼は両手に顔を埋める。辺りが暗くなっていく。そばにあるはずのベビーベッドさえ暗闇に飲まれ、場には彼とレックだけが残る。
「求められる勇者の姿が多過ぎて、俺一人じゃ捌けない。結局父はまともに接することがないまま逝ってしまった。俺はどんな顔をして生きていったらいいんだ。俺は。俺には──」
頭を上げる。レックが息を飲む。彼は己の顔に触れ、何も指に引っかからないことに気付く。夢特有の全能で、彼は今の己を第三視点から見ることができた。幼児よりずっと背丈の伸びた成人の己は、蹲り、何もないまっさらな顔面を曝け出している。つるつるとした表面は白く艶めき、向かい合うレックの、成人に戻った姿を映していた。
「君には何が見える?」
レックは一歩後ずさった。だが踏み止まり、口を開く。
「あのさ。悪いんだけど、会ったばっかりなんだから俺にも分からないよ。お前の親父さんのことも全然知らないし」
「…………」
沈黙の中、レックは話し続ける。
「でも、お前が戦いの中で見せた技は凄かった。アレフやアレンを気遣っていて、優しい先祖だとも思った」
「…………」
「お前やサンドラから少しだけ聞いたから、その分はⅢ番の世界のことを知ってるよ。俺の世界では勇者は俺以外にもいたし、俺も勇者以外の職に自由につけた。もしもそうじゃない世界に俺が行ったら、寂しい思いをするかもしれないって思う……想像に過ぎないけどな」
「…………」
「俺は王位継承者でもある。生まれついて持つ、そう簡単には投げ出せない立場だ。それに同じ境遇の奴もいない。他国の継承者はいるが、そう簡単に打ち解けることはできない。俺の肩には民の生活が掛かっている。俺がどれだけ努力しても、憎まれたり妬まれたりする。心は自由だ。社会に大きな害を与えないなら、そのままでいられる。そのことの良し悪しは別として」
「…………」
「お前は一人だって言う。俺も一人だ。同じ世界に存在していたらあったかもしれない面倒なしがらみがないまま、俺達はこうして会えている。それがお前の助けにはならないかな?」
「…………」
「俺達は遠く離れた世界にいる一人だ。だから勇者っていう役目から離れたお前がどうあろうがどうでもいい。無関心ってことじゃないぞ? 勇者としての良し悪しで判断しないし気にしないってことだ。お前だって人間だろ。大魔王を倒したなら、お前は十分にやった。これからは人として生きていいはずだ」
彼はレックの言うことを吟味する。そのうち、己の顔面に見慣れた目鼻の輪郭が戻ってくるのを感じた。口まで形になるのを待って話し出す。
「そうだ。君の言う通りだ」
暗闇が薄れていく。ぼんやりと部屋の輪郭が浮かび上がってくるが、まだ暗幕を垂らしたように見通しが良くない。
「俺は魔王の実在も何も信じられないまま、父の後を追って旅に出た。そうしたら実際、各地には魔王の手のものがいて、さらには魔王の上に大魔王もいた。戦うことだけはできたから、皆倒したよ。それでやっとお役御免かと思ったんだけど……何てことだろう! 今度は後の世に勇者を根付かせるため、俺の血を残せって!」
彼は腕を開く。背後が舞台照明をつけたようにくっきりと照らされた。ベビーベッドは無く、代わりに四つの棺が並んでいる。その中にはレックも知るアレフとアレン、そして見知らぬ青年と乙女が横たわっている。棺に満たされたたくさんの花々に囲まれ、眠っている。
彼は己が胸を包む空色の短衣を、掻き毟るように掴む。
「何で俺と同じ思いをする人間を作らなくちゃいけない? 可愛い可愛い、純粋な子達にあんな目を? 冗談じゃない。こんな生きづらい世界で、生まれついて苦労と孤独を強いると分かっていながら──こんなの、呪いじゃないか。下手をすると孤独より恐ろしい。どうしてこんなことを俺にさせるんだ」
彼は頭を抱える。だがややあって上げた顔には、苦しげながらも笑みが浮かんでいた。
「けれど君の言う通り俺も人、勇者も人だ。俺が苦しむことを彼らが苦しむとは限らない。現に、ここに来て出会った彼らは素晴らしい人達だった。血を残そうと思っていなかった俺でさえ、彼らが生まれないのは惜しいと思ってしまうほどにね」
彼は大きく嘆息した。息が吐き出されると共に闇が失せ、世界は平凡な小部屋に戻る。窓の外は明るく晴れ渡り、鳥の囀りと人々の雑踏を届ける。ベビーベッドも棺桶もない。あるのは人一人寝るのにちょうどいい寝台一つだけだった。
レックもまた、知らず詰めていた息を吐き出す。
「お前に何があったか知らないけど」
彼が顔を上げる。その目の前へ進み、肩に手を置いた。
「今の気迫だけで、お前は十分ロトだって分かるよ。デスコッド──ああ、俺はこの場所をそう呼んでるんだ──をこんな風に変える奴、初めてだ」
「言っただろ。夢の干渉には慣れてるって」
彼は苦笑いをする。
「人じゃないものと長く接していると、そっちに引き寄せられるのかもしれない。昔はここまでじゃなかった。今ではご覧の通りさ」
驚かせて、一方的に話し続けてごめん、と彼は詫びた。気にするなとレックは破顔した。
「完全に同じだとは言えねえけど、お前の気持ち、分かる気がするよ」
「レックは懐が深いね」
「だろ?」
胸を張ってみせると彼は笑った。
戸口に気配を感じた。そちらを見れば、彼よりやや小柄な、よく似た姿の人影が立っている。色が薄く全体に背後の廊下の景色が透けているが、短衣の右肩に開いた穴、血の滴る額の飾り環は見て取れた。
彼もレックも笑みを消した。先に彼が駆け寄り、その人の差し伸べる左手を取る。
「サンドラ! 君がこんなになるなんて」
「サタル、あなたの力が要る」
サンドラは光のない目で彼を見つめ返し、言った。
「魔神の影は大きすぎる。あなたの光で照らして。そうすれば裂け目の闇が失せる。私達も帰ることができる」
「分かった。待ってて」
彼女は頷き、ふっと掻き消えた。厳しい顔付きになった彼にレックが言う。
「今のがお前の名前なのか」
「短縮形だけどね。珍しいだろ」
彼はレックに肩をすくめてみせた。
「悪魔と間違われやすい形の名前だから、口にするのを避けてるんだ。隠し事ばかりでごめんな」
「俺は別に気にしないよ」
レックは片眉を上げた。
「お前の子孫達も拘らないと思うけどな」
「どうだろうね。でも出会ってしまった以上、名前を一部だけでも明かさないのはおかしいか」
彼は目を閉じた。
「今、俺の兄弟の血が流れた。俺の血を継ぐ者達も、また。怖気付いている場合じゃない。行って助けないと」
深く息を吸い、吐く。手を前へ突き出して拳を開けば光が零れる。木漏れ日に似た温かな煌めきが二人を包む。
彼は目を開いた。
「ロトの祖が一人、アレイスタル・ジャスティスの名において──光あれ。悪しき者を祓い、清めたまえ」
▶
増援を乗せてきた幻想の箱舟は泡のように消えた。しかし勢いを取り戻した戦士達は獅子奮迅の活躍を見せた。特にアベルの仲間達の働きは目を瞠るほどのもので、彼らは先陣を切って有象無象に立ち向かい、見事な連携であっという間に全てを一掃した。ゴーレムが盾となり、グレイトドラゴン、キラーマシン、ヘルバトラーがそれぞれの技で仕留める。キラーパンサーが疾風の如く状態異常技持ちを仕留め、スライムナイトが光る剣を翳し回復役を一掃する。スライムベホマズンは豊かな魔力を活かし、その名にも刻まれた高位回復呪を存分に駆使する。彼らの背後にはいつもアベルがいた。
「ゴレムス、バトラーの壁を頼むよ」
「シーザーとロビンは僕と一緒にあっちを抑え込もう」
「ピエール! ボロンゴの回復を」
魔物使いは己も戦いながらも仲間達の様子を窺い、適切な指示を飛ばしていた。彼らは儀式の間を埋め尽くしていた魔物達を仕留めた後は魔神の影を見張り、出てくる魔物を逐一仕留めて人間達の支援に務めた。おかげで残る九人の戦士達は大魔王退治に専念できた。
サンドラ、アレフ、アレンが最前線で大魔王達の動きを押し留め、ソロ、ソフィア、エイト、ノインが一体ずつ集中砲火を浴びせて倒し切る。ナインと、彼の会得する《ダーマの悟り》を利用して職を賢者に変えたアルスが回復補助役として後衛で皆を支え、まずゾーマとオルゴ・デミーラを倒すことに成功した。次にムドー、デスタムーアを討つ。後から現れたデスピサロ、ミルドラース、エスタークも難なく屠り、さらに現れたドルマゲスの息の根も止める。そしてついに、残る大魔王を暗黒神ラプソーン一体にまで減らした。
「レック達はまだなのか」
アレフが後方を窺う。アレンがラプソーンを斬り付け、付着した黒い血を刃先より振り払い答える。
「分かりません。どちらにせよ、コイツを倒したところでまだダークドレアムが残っています」
彼らの頭上を一つの影が通過した。見上げれば数多の岩石が炎を纏い落ちてくる。暗黒神の技《神々の怒り》だ。
彼らが躱そうとしたところで激しい雷鳴が轟いた。稲妻が走り、頭上の一際巨大な物ごとラプソーンを貫く。巨体が睥睨する先、アレフとアレンの目先に紫電を纏う剣を持つ戦士が降りてくる。ソロだ。彼はラプソーンを見据えたまま話す。
「魔神の影からはまだ魔物が出て来てやがる。ラプソーンを倒したところで消えるとは思えねえ。それなら残った力をダークドレアムに注いでやった方がいい」
もうカタがつく。
彼の言葉が発せられた時、隕石の降りしきる中を素早い影が通った。暗黒神へ疾駆するそれは三つ。ソフィア、ノイン、エイトである。
最初に辿り着いたソフィアへ、ラプソーンが太陽の如き火球を放つ。ソフィアは迫り来る灼熱の塊へ自ら飛び込む。しなやかに跳躍した肢体が火球を突き抜け、無傷で現れる。時を同じくして火球が消滅したのを見るに、マホステが掛かっていたのだろう。ソフィアは渾身の力を込めて剣を縦に振り下ろす。刃より光が迸り、暗黒神を大きくぐらつかせる。
間を置かず次の一撃を叩き込んだのはノインだ。光のフォースの宿る剣で二度斬りつける。大木の如き腕が叩き潰しにかかるが、盾を巧みに操り弾き返す。
最後にエイト。ノインに気を取られたところへ、頭上から剣を叩き込む。強烈な一撃。暗黒神はたたらを踏んだが最後、濃い魔瘴を噴き上げて消滅した。
最後の大魔王を倒した。全員、魔神の影へと目を向ける。影は依然としてそこにあった。薄暗がりより魔物が現れる。飛び掛かろうと前脚に力を込めたキラーパンサーがひくりと鼻を動かしただけで止まる。彼が唸った途端、アベルがはっとして叫んだ。
「走れッ! とにかく遠くへ行くんだ!」
男はいち早く駆け出し、口笛を吹く。仲間モンスター達の姿が消え、コインとなって彼の巾着へと戻る。ちょうどその時だった。魔神の影がぐっと濃くなり、漆黒の刃が四方八方へ飛び出した。刃は傍にいた魔物の群れに襲い掛かり、過たず全ての急所を穿つ。断末魔の重奏を背に受けつつ、戦士達は一目散に部屋の後方へ駆ける。しかし、扉の向こうより滲み出た闇が鉄扉を飲み、壁ごと溶かして己の一部としてしまう。先頭で足を止めたナインが唇を噛む。
「まずいですね。どうしたものか」
「全員私の周りへ」
集団の中心にいたサンドラが両手を掲げる。グローブの中心へ強烈な光が集まり、燦然と輝く半球の防壁で全員を包んだ。刻印が押し寄せたのはその直後だった。彼女の作り出した光球に触れようとした途端、風に散らされたように退いた。
儀式の間はすっかり死の呪毒に覆われてしまった。突破口を探して皆で目を凝らすが、防壁の外は煮詰めたような粘っこい黒ばかりで何も見当たらない。ソロがうんざりした顔をする。
「一体何だってんだよ。気色悪ィな」
「斬れないかな? ニフラムで対処できない?」
ソフィアが双子の天使達を窺う。彼らは顔を見合わせ、左右対称に首を外側へ傾けた。
「これは死の刻印です。触れれば即座に命を刈り取られてしまう」
「解呪の呪いシャナクでしたら、もしかすれば効くかもしれません」
「しかし、噴き出す量が多すぎます」
「しかも、どうやら絶え間なく噴き出しているようです」
「出火元を絶たなければ火事は消えない」
「それと同様に、呪いの出元まで近づいて唱える必要があります」
「構わない。私は進める」
サンドラが防壁を維持したまま言う。
「問題は習得者がこの場にいないってことね」
「僕の仲間に三体、使える子がいるよ」
アベルが言う。
「ただし、あまりタフな子達じゃない。この呪いの中を歩き続けたら、当てられて取り乱してしまうかもしれない」
「なら、呪いの根源まで近付いてからシャナクを打ってもらうとか?」
エイトが言い、思わしげにサンドラを見やる。
「そこまで行けるならだけど」
「他に手もない。やりましょう」
サンドラが頷く。
「ナイン。根源の位置は分かる?」
「はい。案内できます」
「じゃあお願い。他のみんなは他の脱出方法を探しながら一緒に来て」
「俺達も防壁を維持するのを手伝います」
アレフが黄金の紋章を手に進み出る。アレンもまた、同じものを掲げて言う。
「さっきはダークドレアムの動きを止めるのに使えました。ならば、この呪いを遠ざけることもできるはずです」
紋章に近い部分の防壁の煌めきが増し、黒霧が遠ざかったように思われた。それを見たサンドラが頷く。
「じゃあ、頼んだ」
ソフィアが挙手をする。
「近付けたらあたしがアベルの仲間にモシャスしてみる。そうすれば、シャナクを使える人が一人増えるよね?」
「魔物にモシャスして大丈夫なの?」
アルスが訊ねる。彼女はふわりとした髪を大きく弾ませて頷いた。
「平気平気! 魔女っ子ソフィアさんに任せなさい」
「もしもの時は昏倒させるから任せろ」
そう言ったソロをソフィアがどついた。
一行はゆっくりと前に進み始める。先頭を行くのはサンドラとナイン。その左右に精霊の御印を掲げたアレフとアレン。後ろにアベル、ソフィア、ソロ、アルス、エイト、ノインが続く。黒霧は進むにつれ濃くなり、彼らの防壁の間近へ立ち込めるようになる。次第に風が吹き始めた。見れば、防壁の外を黒い霧が凄まじい速度で渦巻いている。その様はまるで、囲んだ獲物を逃すまいとする肉食魚の凶暴な群れのようだった。
「あと少しです」
サンドラの歩幅がだんだん小さくなる。額に汗が滲む。かなりの圧が掛かっていると彼女は零した。
「僕が支えます」
「私も」
ナインが背へ、ノインが腰へ手を添える。両脇のアレフとアレンもふらつき始めたため、アルスとエイトが助太刀する。アベル、ソフィア、ソロは息苦しさから険しくなる顔で周囲を警戒する。ソロが前方を指差した。
「祭壇が見えてきた。目標はあそこか?」
「ええ、あの祭壇の上です」
ナインがサンドラに掛かる圧を受けつつ、苦しそうに声を絞り出す。アレンがアベルを振り返る。
「シャナクは打てるか」
「階段を二、三段は登らないと届かないかも」
「これ以上は厳しいぞ」
アレフが歯を食い縛る。
彼らを取り巻く呪いの渦は、祭壇に近づくにつれ、俄然威力を増し迫ってくる。光の円蓋が小さくなる。轟々と鳴る暴風に、誰もが耳鳴りを覚え始める。そうして祭壇の下へ辿り着く頃には、円蓋は彼らの頭上をぎりぎり覆う程度の大きさにまで萎んでしまっていた。ソフィアが行く手に吹き荒れる死の旋風と祭壇を振り仰ぎ、疑問を口にする。
「耐えられるかな」
「俺が外に出れば、みんなで何とかシャナクの射程範囲まで近付けるかもしれない」
エイトが決死の表情で言う。
「俺は元々重度の呪い持ちだから、他の呪いに掛からないんだ。もしかしたら今回も行けるかもしれない」
「馬鹿野郎。確実じゃねえならアホなこと言うな」
ソロが眉を吊り上げる。アベルも同意する。
「そうだよ。相手は破壊に特化した魔神だ。君のその呪いすら打ち砕き、死の呪いで上書きしてくるかもしれない」
「けど、このままじゃ全滅しちゃうよ」
「心配するな。まだ耐えられる」
アレフが声を張り上げた。額や米神からはぼたぼたと汗が落ち、掲げた腕の筋肉は盛り上がっている。
「ここから最新の注意を払い、死力を尽くす。全員での生還を目指すんだ」
「エイト、絶ッ対に早まるんじゃねえぞ」
アレンも声を荒げる。
「一人くらい抜けようが抜けなかろうが一緒だ。血迷って飛び出してみろ。俺も飛び出してやるからな」
「そんな無茶苦茶な」
「やっぱりニフラムが多少効かないかな? ギガデインは?」
「ライトフォースを活用して色々試してみてもいいかもしれません」
ソフィアとノインが打開策を探る。サンドラが言う。
「大丈夫」
烈風の吹き荒ぶ中、さして大きくないはずの声を、どういうわけか全員が聞きつけて視線を向けた。彼女は利き手を高く翳し、人差し指で天を差し示す。
「もう、助けは来た」
全員が空を見上げる。
黒い渦の狭間。切れ間などなく思えたそこより、すっと一筋の光が差し込んだ。
世界が眩くなる。驚いて皆、目を閉ざす。彼らの瞼の裏が白に染まり、体に掛かっていた重圧が嘘のように消え失せる。アレフは薄目を開けた。そして、現れた光景に思わず声を漏らした。
「ロト、様……」
呪毒の嵐を二つに分かち、天より光と共に一つの人影が舞い降りようとしていた。深い紫色の外套。青空の衣。黒髪が天に向けて波打ち、束ねる飾り環が白銀に輝く。
青年は祭壇へ続く階段の中ほどへ降り立つ。土色をしたグローブを嵌めた指を壇上へ向ける。白光に照らされてもなお、うっすらと浮かぶ魔神の影。未だ巨大なそれを指し、朗々と詠う。
「闇は控えよ、死こそ眠れ。破壊の悪夢は幕を下ろし──」
「──今、暁が訪れる!」
魔神の影を、一際速く鋭き閃光が切り裂いた。光の矢の如きそれは、魔神の頭の先から体の中央を通り、暗色の外套の裾まで綺麗に二分する。魔神の影が左右に離れ、霧散した。その向こうにいたのは、剣を地へ振り抜いた男だった。蒼天の髪は風の遊ぶままに、己を見上げる面々と目を合わせ、にかっと笑う。
舞い上がった塵が、中空で再び魔神の姿を形取る。だがその大きさは人の半身程度でしかなく、また身体も胸より上の彫像の幻影を作るのが精々だった
魔神の幻影は口を動かさずに言う。
──どんなに足掻こうと、お前達が生きる限り悪夢は消えぬ。
──貴様らの足元には破滅の大穴が口を開けている。貴様らが恐怖に囚われ落ちていくのを、今か今かと待ち構えているぞ。
「それでも俺達は面白おかしくやるさ」
レックは見下ろす顔を仰ぎ、返した。
「穴の淵でタップダンスを踊ってやるよ。そう簡単には、お前らに手綱を渡さない」
魔神の哄笑が響く。
黒き面影は完全に塵に戻り、ばらけて虚空で燃え尽きる。儀式の間に立ち込めていた呪毒の霧は既に無く、今、魔神の間は差し込む陽光の中に解け失せようとしていた。
▶
レックは目を覚ました。湿った土を頬に、霧雨を全身に感じる。身を起こせば、周りにはここへくる前に行動を共にしていた四人の仲間達。アレン、エイト、ナインが身を起こし、不思議そうに互いの顔を見合っていた。長い長い夢を見ていたはずなのに体はさして冷えておらず、服は軽く、たった今浴びたばかりの雨粒が染み込もうとしているところだった。
四人でリッカの宿へ戻る。宿の前には残る八人の仲間達が待っていた。どちらからともなく走るようにして寄って行き、話し始める。
「ドレアムと戦ったよな?」
「戦ったな」
「魔物がいっぱい、魔王もいっぱいだった」
「みんな覚えてる?」
サンドラが訊ねると、全員が頷いた。それから、天使達がはっとして顔を見合わせた。
「ドレアムの地図は?」
二人同時に声を上げ、互いの共有する道具袋を漁る。
袋をどんなにひっくり返しても、その中にあったはずのダークドレアムの地図が出てくることはなかった。
▶▶▶
ナインとノインは大魔王の地図に記された各魔王の居場所へ出向き、それぞれの洞窟に大人しく大魔王達の幻影が封じられていることを確認した。不思議なことに、持っていたはずのダークドレアムの地図はいつの間にか消えていた。もう一度地図を手に入れた場所へ行けば再度入手できたものの、地図に記された場所にあったのはいつもの丸い石窟。中には、かつてレックが聞いたのと同じことしか言わないダークドレアムがいた。
一応、このドレアムとも戦った。念のためレックもその戦いに参加したが、十中八九グランゼニス神の幻想と見て間違いない様子だった。あの日、デスタムーア戦の後に出会わした悪夢の如き魔神の現れた形跡は、どこにも見当たらなかった。
それから二日後、天使達は一同を集めて言った。
「僕達全員が戦って倒したダークドレアムは、一向に見つかりません」
「ですから私達は、あれを偶発的に異界へ誘われ、ダークドレアムのオリジナルに近い者と対峙したものと仮定し、再現性のない事故として扱うことにしました」
「ついては、大魔王の地図にいた大魔王達が全てこの世界より生まれ出た幻影であると突き止めたため、クエストを完遂とさせていただきます」
「皆様。本当に長い間ご尽力いただきまして、誠にありがとうございました」
二人の天使は深々と頭を下げた。
「クエストを完遂できましたので」
「まずはお約束の報酬を──」
「待った!」
レックは手を挙げた。
「報酬即解散か?」
天使達はレックの言葉を聞き、すぐに表情を緩めた。
「ふふ。言う順番は逆の方が良かったでしょうか」
「無論、そんなことはございません」
二人はぐるりと一同を見回した。
「これでこの世界での仕事も終わりです」
「最後に、よろしければまた、皆でお食事会をやりませんか?」
答えは歓声で返ってきた。
宴の地は満場一致でセントシュタイン、リッカの宿屋に決まった。今回は厨房から料理を提供してもらうばかりでなく、自分達でも調理を行う。広いプライベートキッチンを貸し切り、調達した食材を持ち寄って支度をする。献立はあらかじめ決めてあったのだが、如何せん面子は調理と言ったら旅先での野外飯が基本の旅人達だ。厨房は混沌を極めた。何の障りもなく順調にできたのは肉を捌いて焼くことくらいで、ピンチョスはバーベキュー串と大差ない大きさに成長しそうになり、スープでは見たことのない食材同士による事故的な混浴が発生しかけ、ピザに至ってはカラフルなお鍋の蓋を数枚錬成する羽目になった。それでもどうにか一人前の晩餐が仕上がったのは、王城小間使いの職歴を持ち、現在も料理を趣味とするエイトの手腕に他ならなかった。
「ちょっと待って。あっ、そっちも待って!」
彼のこの一言を何度も聞くうちに日が暮れた。キッチンと繋がる木のテラスに机と椅子をいくつも並べ、立つも座るも席替えも自由の半立食形式で宴を始める。料理の比率は肉類が高かった。牛のステーキに豚の蜂蜜焼き、鳥の燻製肉の大皿だけで十枚以上ある。どれも焼き目と火加減が絶妙なのは、一行の並々ならぬ肉への情熱によるものだろう。体力の不可欠な長旅に大きな活力を与える肉類は、調理法を誤れば腹を下しかねない。その経験が導き出した成果だった。
肉皿の周りを多様な皿が囲む。カルパッチョ、タコス、魚と野菜のピンチョス、ニシンのパイ、根菜と香辛料たっぷりのスープ、メンバーの選んだやんちゃな具材をエイトの持参した各種チーズが包み込む自由と奇跡のピザ。そこへ宿の厨房から差し入れられた新鮮な野菜のサラダ、評判のパン屋の焼いたバゲット、果物の盛り合わせが加わって、戦士達は申し分のない充足感を味わっていた。彼らは平均して一般よりよく食べる。そのため、溢れんばかりの食卓がちょうどいいのだった。
彼らは料理に舌鼓を打ち、思い思いの話に花を咲かせる。レックは全員と話して回った。ソフィア、アベル、アレフの武器談議に混ざり、アレン、ソロ、エイトとこれまでの日々を振り返る。アルスとサンドラの語る各世界の文化に耳を傾け、天使二人とサタルに乞われれば仲間モンスターの生態について話す。宴には最後の戦いの功労者であるアベルの魔物達もいて、こちらもまたメンバーが大量に準備した良質の肉の数々──物質系の魔物達は黒いラベルのついた緑の瓶に入った液体──に舌鼓を打っていた。人語のほぼ話せない彼らとも交流したく寄っていってみたが、まともに接することができたのはスライムナイトとゴーレムくらいで、他はしらっとしていた。異界の、しかも既に主人のいる魔物なのだ。仕方ないと気を取り直す。
「悪いね。そんなに人馴れしていない子もいるんだ」
アベルがレックに近寄ってきて詫びる。彼が歩いてきた途端、魔物達は嬉々として主人を取り囲んだ。中でもキラーパンサーの変わりようは激しく、レック相手には牙こそ剥かないまでも唸っていたのに、アベルの足元に頭を擦り寄せ、撫でさせている。レックは感心した。
「魔物使いの修行をしてなくてこれか? 信頼されてるんだな」
「ありがとう」
アベルは微笑んだ。
「レックも魔物の仲間達がいるって聞いたけど、本当かい?」
「ああ」
「僕の世界では魔物と暮らす人はほとんどいないんだ。魔物使い仲間ができて嬉しいよ」
「でも、最近は公務に掛かりきりであんまり会えてないんだよな。昔の人間の仲間に魔物使いの歴が長い人がいて、皆その人と暮らしているから元気にしてるだろうとは思うんだが」
言葉も交わさず分かり合っている様子のアベル達を眺めていると、己も旧知の魔物達に会いたくなってくる。
(帰ったら会いに行こうかな)
しかしその頃にはもう、ここにいる戦士達とは別れているのだろう。
心の底をさらう寂寥の風を感じていると、急に肩を組まれた。ソロだった。ハイボールを片手に機嫌良く笑っている。
「おいレック! おめー最後に美味しいとこ持って行きやがって」
「え、何が?」
「ドレアムの話だよ。忘れたわけねえよなあ?」
「ああ、奇跡的なタイミングだったね」
アベルが頷く。ソロはいつぞやの真似をしてグラスを振り下ろす。
「今、暁が訪れる! ──ってな。よくあんな台詞言えたもんだぜ」
「何だよ。かっこいいだろ?」
レックは笑いながら返す。
「ソロにも何か、ここぞって時に言えそうな良い台詞でも考えてやろうか?」
「馬鹿ぬかせ。俺ァこう見えて奥ゆかしいんだよ」
不良勇者は身震いのふりをする。
「他の連中がクソ真面目に見てる前で決め台詞! 勘弁してくれよ。おめーが言うのは好きにすりゃあいいが、てめえが言うなんてケツが痒くならあ」
「真面目な話、あの戦いの鍵は俺達の内的なものなんじゃないかと思っていたんだ」
レックは件の戦いに思いを馳せる。
始めからレック達の干渉を許し、観念的な結びつき方をする、どこか不安定な世界だった。だから全員の導かれる空間にいるダークドレアムを絶ち、自分達自身が終わりだと強く思い込むことができれば脱出できるのではないかと考えたのだ。
「サタルも何か、良い感じのこと言ってたし。魔法は想像が大事だろ? だからアイツに乗っかろうって」
「アイツな」
ソロは男ロトを見やる。少し離れた先にいる彼は、神妙な顔をして取り分けたニシンのパイを咀嚼しているところだった。
「結局、舌が回ること以外よく分からねえ奴だったな。俺達が守りで手いっぱいだった死の刻印を、ぴかっと一発で吹き飛ばして……アイツは何者なんだ?」
「少なくとも、僕の知る勇者とは性質が違うみたいだね」
アベルは話に参加しつつも、一心にキラーパンサーやらグレイトドラゴンやらを撫でている。
「精霊の守りなんて見たことがないし、そもそも精霊ルビスって名前も聞いたことがない。勇者ロトというのは、僕の世界の勇者と違う、特殊な境遇のものなのかもしれない」
「融通が利きそうでいいよなあ」
「俺もあの光る壁とか祓えとかやってみてえよ。変わった血筋も魔王を倒す宿命もいいから、そういうのが欲しいぜ」
レックとソロは羨む。そんな彼らをアベルがじっと凝視する。不思議な色をした虹彩は、二人の戦士の持つ剣の柄──翼を広げた竜の横顔を模した意匠に焦点を定めていた。
「君達の剣って似てるよね」
「だな」
アベルの言葉を受け、レックはソロの腰に下げた剣を一瞥する。
「世界にも色々あるから、そういうこともあるんじゃないか」
「……ああ」
黙ってレックの顔を窺っていたソロがひっそりと呟く。
そうかとアベルは首肯する。
「僕の息子もよく似た剣を使っているんだ。あの子が君達のように逞しく育ってくれたらいいなって思うよ」
「俺達みたいに、かあ」
「ぜってーやめといた方がいいだろ」
レックを指差し、ソロが唇の片端を吊り上げる。
「コイツみたいなバトル好きになったらどうする? 困るだろうが」
「うーん。ソロみたいな反抗期は迎えて欲しくないかなあ」
「おっ、言ったな?」
「アベルの息子なら王子だろ? 王子ソロ、ちょっと面白そうだよな。城に一人いたら退屈しねえかも」
「勇者どころか道化師扱いかよ」
三人はあれこれと言葉を交わし、話題を膨らませ、転がし合って笑い合う。のけぞり笑った拍子に、己の背に負う剣が目に入った。その刹那、レックはふと、今後この剣を磨く度に今日の思い出に耽るのだろうという確信めいた予感を覚えた。
「何だと? この焼き菓子は至高じゃないか」
アレフがそう言いながら摘むのはエイトの作ったクッキーだった。マメで料理好きのエイトは宴の傍ら時折調理場に戻り、余った食材でデザートやらドリンクやらを作っては提供していた。その一つとしてクッキーが運ばれてきたのを見たアレフは、レックが以前薦めていたことを思い出したらしい。早速食べてみたところ手が止まらず、皿と口元の往復をやめられなくなってしまったのだった。
彼の隣には、取り憑かれたように同じ仕草を繰り返すソフィアとノインがいる。彼女らもまた真剣な面持ちでクッキーを次々と吸い込んでいた。
「こんなに美味しいのにもう食べられなくなるってホント? そんなはずない。あたし信じない」
「何ということでしょう。愛したばかりなのに離れなければならない。このような悲劇が天使の身にも起こるとは」
「もう一回クッキー焼くよ。手伝ってくれる人いる?」
エイトが厨房から顔を現した。言うや否や、クッキーモンスター達がありったけのクッキーを手に殺到する。
「手伝う! レシピを教えてくれ」
「あたしに毎日クッキー焼いて!」
「世界宿屋協会と提携しましょう」
「助かるよ。ついでにプリンでも作っちゃおうか」
エイトに胃袋を掴まれた一団が厨房へと消える。そんな彼らを見送るアレンとアルスは、一つの卓を囲んでどっしりと腰掛け、肉をあてに麦酒を嗜んでいた。
「大人気だな」
「僕の故郷の名物、アンチョビサンドを披露してみたらどうなるだろう」
「どういうものなんだ。美味いのか?」
「コツを掴まないと激マズになる博打料理だよ。コツを掴まなくても好みが分かれるからやっぱり博打だよ」
「身体には良さそうだがな。軍ならば携帯食として人気が出るかもしれん」
「ニシンのパイと言い、あなたの薦めようとする料理は個性的よね」
話を聞きつけたサンドラが卓に加わる。
「魚が好きなの?」
「それもあるけど、何よりみんなに魚を食べる習慣を身に付けてもらいたいんだよね」
「何で?」
「仕事が増えるから」
「異界の住人に魚趣味を植え付けてどうするんだよ」
「新鮮で良い魚はシンプルな食べ方をするのが一番美味い」
「これ、肉食べながらする話?」
「ニシンのパイも美味しかったよ」
そこへサタルも参入する。手には件のパイが入っていた空の鍋を抱えている。
「終わっちゃった。まだどこかにある?」
「探せばあるんじゃないですか」
「空のお皿が多いから片付けましょう」
「よし。じゃあ、サタルには僕特製アンチョビサンドをプレゼントしよう」
四人は食卓を巡る。彼らの横を、宿から供給される飲み物を管理する係を担うナインがせっせと行き来する。小さなビール樽を抱えてテラスを後にする姿を眺めていたレックは、おもむろに立ち上がってソロとアベルに言う。
「ちょっと飲み物をもらってくる」
「じゃあ俺には炭酸くれ」
「僕も」
「はいよ」
空いたボトルを二、三携え、ナインの後を追う。賑やかしい厨房を通り抜けて廊下へ出る。壁に灯る魔法の火が、人気のない回廊を白々と照らしている。早足で後を追えば、さして接近しないうちに少年はこちらを振り向いた。
「レックさん。どうされました?」
「うん。ちょっと手伝おうと思ってな」
「ありがとうございます。しかし、ゲストにそこまでしていただかなくとも」
「ごめん、ちょっと誤魔化した。本当は、話したいことがあって着いてきたんだ」
「話したいこと?」
ナインは小首を傾げる。
レックは彼の隣に並んだ。こちらを見上げる瞳を見つめ返し、温めていた言葉を口にする。
「短い間だったけどありがとうな、ナイン」
少年は目を丸くした。すぐに眦が緩み、小さな唇が弧を描く。
「お礼を言うべきは、クエストを受注した僕の方です」
「分かってる。でも俺はこの仕事を受けて、俺自身の超個人的なところで救われた気がするんだよ」
初めて彼と出会い、この仕事の内容を聞いた時から惹かれていたが、その気持ちは正しかったと今になって思う。危険な目にも多少遭ったものの、それ以上に新たな世界に触れることができたこと、己と似た立場の者達に出会えたことは、紛れもなく僥倖だった。
「だからお礼を言いたかった。俺を頼ってくれてありがとう」
「そういうことでしたら、どういたしまして」
ナインは破顔する。
「僕も皆さんと出会い、お仕事ができて光栄でした」
「ここでのこと、ナインのこと、皆のこと。ずっと忘れない」
「今生の別れのような言い方をされますね」
「実際そうだろ」
「いいえ」
ナインは双眸をしならせ、どこか悪戯めいた笑みを浮かべる。
「僕達はまた出会いますよ。時空を超えてここまで戦える戦士はそういませんから」
「それは天使の勘か?」
「いえ。僕の知る世界の摂理の一つです」
ナインは歩き始めた。レックが追うと、小柄な背中がまた話し始める。
「世界の扉はそう堅くない。存亡の危機が迫っていなかろうと、時空を超える旅人は僕らの他に少なからずいます。だから僕らもまた、きっと」
ナインは歩を進めつつ、背後のレックをちらりと仰ぎ見た。
「レックさんはもう異界に満足しましたか?」
「まだ!」
レックは即答する。
「もっといろんな場所を冒険したい。見たことのないものを見て、知らないものに会いたい」
「ならばまた会えます」
天使の声色は暖かかった。
「あなたが世界を愛して渡りたいと願う限り、世界もあなたを歓迎する。どうか、その気持ちを忘れないでくださいね」